クライアントさんに
自転車に乗っていらっしゃる(をやっていらっしゃる、と表現したほうがいいのでしょうか)
方がいらっしゃいます。
とても長い距離を走るのです。
その「競技」のお話を聞くのは、それはそれは楽しくて興味深い。
自前ですべて現地調達しながら(雨具ですとかその他必要なものを)
夜も黙々と走るお話とか
走りながら眠くなって側溝にす~っと落ちていく人の話ですとか
頑張りすぎて、競技終了後、横隔膜が下がってこなくなってしまい
とっても「ヤバい状態」になったお話ですとか。
(横隔膜って、そんなことにもなるのですね!初めて知りました)
さて
その方は、また数百キロをを走る大会にお出になるそうなんですが
その先には、フランスである大会を目指していらっしゃいます。
で、おっしゃったのです。
「楽しくないと、この先には行けない」。
その方は、ず~っと、頑張ってこられたのです。
速さを追及し、自らを追い込み、困難な状況に挑み
それを乗り越えることに価値を置いてこられたのかもしれません。
ほんとうに、頑張ってこられた。
それがいつの頃からか
景色を楽しみ、人と出会い、ともに旅するその過程を、出会いそのものを
お話しくださるようになりました。
先日はちょっと遠い県外の海に走りに行かれたとかで
「イルカは見られませんでしたが…」
の言葉とともに
そこでの出会いのあれこれをメールで送ってきてくださいました。
なんだか、とにかく楽しそうな感じが伝わってくるのです。
まるで小さなこともが見るもの出会うものすべてに目をキラキラさせているような
そんなリズムが伝わってくる。
「楽しくないと、この先には行けない」
「頑張る」ことでたどり着ける世界。
「足りないもの」を追いかけ、自らを矯正し、補い、抜きんで、獲得するやりかた
と言い換えてもいいのでしょうか。
これまで、わたしたちも、わたしたちの親も、そのまた親も、その道をそれこそ
「頑張って」たどってきたのかもしれません。
そしてもちろんたくさんのものを得てきた。
でも、この方は
気づいてしまったのです。
それによって行ける場所には限界があることを。
(そこに至る、この方の長い「旅」のプロセスに、心からの慈しみと拍手、そして敬意を表したいと思うのです)
さて
これから先、どんな「旅」のお話がこの方から聞かせていただけるのか
本当に楽しみでなりません。