「能の『披き』」

 

 

 

 

「自分という「狭い世界」の中だけで納得したものをやっているのでは

世界は広がらない。

自分の枠が広がることもない。

 

そのことの意味、理屈はわからなくても、

 

「決まったこと、やれと言われたこと」

 

まずはやってみる。がむしゃらにやってみる。

その、「与えられた場面」を乗り越えることで

初めて見えてくる世界というものもあるのでしょう。

そこではじめて育つ「精神」というものもあるでしょう。」

 

 

と、一昨日、ブログに書きました。

 

 

(こちらです)

 

 

 

 

これを書いたのには

「能」における「披き」というシステムについて読んだことが大きいのです。

 

 

 

「疲れない体を作る『和』の身体作法~能に学ぶ深層筋エクササイズ」

      (安田登【下掛宝生流能楽師】  祥伝社)

 

に、

「披き(ひらき)」という能のシステムのことが出てきます。

 

 

 

能を学んでいて

ある程度練習が進んでき、基本的なことが大体わかってくると

あるとき突然「断崖絶壁に立たされる」のだそう。

それが「披き」。

 

 

 

「自分の実力ではとてもできそうにない曲を『やってみろ』と命じられるのです」

 

 

 

 

「謡おうと思えば謡えるし、

舞えと言われれば型をなぞることはできる。

 

しかし、とても自分にはできない、

そんなふうに思われる曲をやれと命じられます。

技巧の問題ならば稽古時間さえ増やせば何とかなる。

そうでないから難しい。」

 

 

 

やればやるほど「できない」という確信が押し寄せつつ

先生からは何のアドバイスもなくただ「ダメだ」と言われ続け…

それでも「お披き」の舞台の日は刻々と迫ってくる。

 

とにかくがむしゃらにやるしかない。

稽古を続けるしかない、のだそう。

 

なんともきつい状況です。

 

 

 

 

 

「ほとんどの人は、まったく不本意なままお披きの日を迎えるでしょう。

そして、無我夢中で舞台を勤める。

当然、結果は不本意です。」

 

 

 

 

すごい場面です。

 

 

 

 

心中さっしてあまりまり…です。

が。

 

 

「そのとき、その人は何かをぴょんと飛び越えているのです。

そのとき、その人はまた

新たな『初心』を迎えたのです。」

 

 

 

能の世界の「初心」とは。

 

自分のこれまでのセルフイメージや状態を

「バッサリと裁ち切り」

さらに新しい成長の可能性の世界に足をふみ入れること。

 

「自分はこのようなものだ」

「こういうことができる」

 

という「安心・安全」の慣れ親しんだ枠から出て

さらに大きくなっていくために欠かせない気持ち、ということのようです。

 

 

 

 

「元来が弱い私たちは、

自分で『初心』に飛び込むことなんてそんなに簡単にできません。

披きというものを使って『初心』に無理やり向い合せる」

 

 

 

 

 

思い出してみると

自分なりに「枠が広がった」と思えるのは。

 

仕事で失敗をしてしまった後や

「どうしていいかわからない」「けど、やらなくちゃ」

という仕事をとにかく、やり遂げたとき、などだなあ、と確かに感じます。

 

そのときは苦しかったけれど

そして、満身創痍で結果もさんざんなものだったけれど

でも、そこに初めて刻んだ「一歩」という「跡」の大きさ。

 

 

 

 

その瞬間、もはやその世界は既知のものとなり

 

恐怖は消え

「これからどう工夫していけるだろう」

という創造の翼に自由にのっかている自分に気づいたきがします。

 

 

 

 

 

話が元に戻りますが

(前回のブログの学生さんの話にです)

 

 

あの学生さんが

今回の「披き」を、頑張って自分のものとしてほしい

まだ見ぬ自分と出会うためのかけがえのない、

よき機会としてほしいと心から願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ならぬものはならぬものです」

知人がこんな話をしてくれました。

知人は専門学校の先生なのですが

「学生が、『自分の気持ち』を優先したがる」

と。

大きなことから小さなことまで

その方曰はくその学生さんは「いちいち反論してくる」らしい。しかも速攻で。

「明日は9時に登校してください」(知人)

「9時過ぎじゃだめなんですか?」(学生)

「できなかったレポートは、終業時間まで学校で書いてください」(知人)

「帰って家でやっちゃだめなんですか?」(学生)

「(レポートを)どうしても書く気になれないので、これ以上は書けません」(学生)

そのたびに知人は

「どうして?」と理由を聞き

(この場合、遅く登校したい、学校でレポートを書きたくない、の理由は

「他の学生の目について恥ずかしい」というものだったそう)

なぜそうしなければならないのかを説明し納得させる、という一段階がそこにはいる。

「学校でレポートを書く、ということを納得させるのに45分もかかったんですよ!」

と知人。

うげ…。45分。

そう、「納得」。

「納得」しないと、できないのですね。

話を聞いていると

場所は「学校」で、相手は先生で、自分は学生である。(教え導かれるものである)

という基本的な「立場」が学生さんの中には「抜け落ちている」ように感じます。

「小さいころからものすごく、ある意味『尊重』されてきたんでしょうかね」

とわたし。

常に気持ちを聞かれ

「どうしたい?」と問われ

やりたくないことや

自分の感情として「納得」できないことは一切やってこなかった。

肥大してしまった自分の「気持ち(感情)」に振り回され、がんじがらめになって

自分でもどうしようもなくなっている、その学生さんの姿が見えてきます。

反面、自分をしゃんと立たせ、律するための「精神」は育ってこなかった。

「問答無用」。

これにどんな意味があるのか、そんなことを考える前に

ただそれをやる、やってみる、体を動かしてみる、

という時期が

幼いころはあっていいのだと思います。

鹿児島でいうところの

「議をゆな」(屁理屈を言うな)

会津でいうところの

「ならぬものはならぬものです」

というところでしょうか。

そしてかつては

学校教育の中にも

地域の教育の中にも、そういう場面がうまく組み込まれていたのだと感じます。

(鹿児島には「郷中教育」というものが普及していましたし)

自分という「狭い世界」の中だけで納得したものをやっているのでは

世界は広がらない。

自分の枠が広がることもない。

そのことの意味、理屈はわからなくても、決まったこと、やれと言われたことを

まずはやってみる。がむしゃらにやってみる。

その、「与えられた場面」を乗り越えることで初めて見えてくる世界というものもあるのでしょう。

そこではじめて育つ「精神」というものもあるでしょう。

その学生さんの中には

そういう体験がなかったのだなあ、と感じました。

決まっていることをやってみる、繰り返してみる。そういう

「型」が体の中にはいっていない。

そういう型を体に、心に「糧」として染みこませることのないまま

大人になった。

「言っちゃってくださいよ。すぱっと。

『議をゆな!』って

『ならぬものはならぬものです』って!

その学生さんの人生初の『壁』になってあげてくださいよ」

と言ってみました。

その学生さんが

今直面している「課題」をとおして

自分の力で新しい世界への扉をけることができるように。

そこまで行けるよう祈りながら。

「私はなぜ生きのびることができたのか?」

との言葉は

植松努さん。

「植松努特別講演会~きみならできる!

『夢』は僕らのロケットエンジン~北海道の小さな町工場が知恵と工夫で宇宙開発に挑む」 (現代書林)

より。

「生きのびる」というのは

正確には「私の夢は」ということです。

「なぜ自分は夢を途中であきらめることなく

その夢を持ちづつけ、育て、そして形にすることができたのか」

というような意味。

小さいころから飛行機が大好きで

宇宙に携わる仕事ができたら、と思っていた植松さん。

それを口にしたとき。

「芦別に生まれた段階で無理」

「お前の選択は芦別高校に行くか、芦別工業高校に行くか、どっちかしかない」

と先生。

先生もなかなかすっきりばっさりとした切り捨て方をなさるものです(笑)

さて

それから年月が立ち、植松さんは地元北海道でロケットを飛ばし、無重力実験施設を作り

しっかりと「宇宙開発」にたずさわっていらっしゃるわけですが。

植松さんが念願かなって航空産業関連の企業に就職したとき

仲間もみな、「飛行機が好き」という人たちだったそうです。

でも

「どこが好きなの?」

「どんなのが好き?」

と聞かれて、詳しくつっこんで答えられる人はいなかったそう。

彼らの「好き」は幼稚園段階で止まっていた、と。

みな、植松さんと同じくはるか昔、その世界へ憧れを持ったのでしょうが

彼らは、成長の過程でそこへのあくなき興味や探求心、具体的な探求の時間を

「無駄」として切り捨てられ、持つことがなかった。

かたや

大学にはいった段階で専門の授業を

「植松、お前には必要ないから、ほかの人に教えてやれ」

と先生から言われるくらいにその世界に「どっぷり」浸って大きくなった植松さん。

小さいころ探究し、妥協なく「好き」をやり続けたことが

余すことなく今の「宇宙開発」の土台となって生きている植松さん。

「多くの大人が『夢』を奪おうとした。

子どもが探求のために伸ばそうとする『とげ』を切り落とし。

結果、子どもはつるりと丸くなる」

植松さんが宇宙開発をやろう!と思ったきっかけは

以前書きました。

(よろしければこちらへ)

「他の人の夢を奪うのはなぜか?

それは自分に自信がないから。

自分に自信が持てれば、やさしくなれる。ほかの人の自信を、夢を奪わなくて済む。」

とげを自由に伸ばすことを禁じられた子どもが大人になって

他人の「とげ」をまたぞろ引っこ抜こうとする。

…恐ろしいことです。

夢を奪われるということは

魂を、その人がその人であるということを奪われることと等しいのではないでしょうか。

(自分はそんなこと、していないだろうか??

とつい振り返ってしまいました)

このDVD

多くの親御さんや先生方にも見てほしいDVDだと感じています。

「日本人ブランド」

 

ひさしぶりに

大泣きしながら本を読みました。カフェで。

 

「人生に悩んだら『日本史』に聞こう~幸せの種は歴史の中にある」 

                  (白駒妃登美&ひすいこたろう  祥伝社)

 

白駒妃登美(しらこま ひとみ)さんとは

一度だけお目にかかったことがあります。

妃登美さんが鹿児島にいらした際、市内の史跡をちょこっと案内させていただいたことがあるのです。

島津斉彬公が祀られている照国神社。

西郷隆盛をはじめ、西南の役で亡くなった西郷軍のお墓がある南洲神社。

 

ま、「案内」と、言っても

ずっとずっと妃登美さんのほうが詳しくていらっしゃいましたけれどね(笑)。

 

私も歴史が好きで

特に幕末~明治は外せないのですが

その中で、どうも「薩摩の歴史」が苦手です。薩摩人でありながら。

 

小さいころに学校で、

郷土教育資料「薩摩の偉人達」をさんざん読まされたからか

父親が西郷隆盛大好きだったからか

とにかく、小さいころからあまりに身近に、空気のようにそこにあったので

客観的にそのすごさ、素晴らしさ、魅力をを感じることができないでいたのです。

西郷さんも大久保利通も、その存在は「近所のおじさん」。

どうもきらめかない。ときめかない。

もしくは

まるで「道徳の本」を読んでいるような感覚で。

(「いい人、すごい人ですね~」で終わり)

 

幕末の薩摩の動きを頭に入れようと思ったら、会津藩とか、あっちのほうの年表に

頭の中で変換して照らし合わせていました。

 

さて

そんなわたしに、あらためて薩摩の魅力に目を開かせるきっかけを作ってくれたのが

白駒妃登美さんです。

目を輝かせて南洲神社でお汁粉(だったか?)を食べながら

よく響くアルトの声で

「西郷隆盛の逸話」をいきいきと語ってくださいました。

 

郷土教育教材ではなく

その人を心から愛する人の口から語られるストーリーは

同じ話であっても、こんなにも変わるものなのか。

血肉の通ったものとなるのか、と感じた瞬間でした。

その時はじめてわたしは「西郷ドン、かわいい…かも♪」と思ったのです。

 

さて

その白駒さんが「日本人のDNA」について書いたのがこの本。

わたしたちの先を生きたたくさんの「先輩」(とあえて呼びましょう)たちが

どのようにクリエイティブに、元気に、粋に、豊かに、そして美しく、まっすぐに

「日本人らしく」生きたのかが書かれています。

豊臣秀吉

伊能忠敬

島津斉彬

北里柴三郎

小栗上野介

そして、その「日本人らしさ」が

どれだけ外国を含めた周囲の人たちの心を打ち、尊敬を勝ち得

人々との絆を深め

それが今に続いているのか。

 

「私は、航空会社に勤務していた頃、仕事や旅行で海外のさまざまな街を訪れましたが、

そのたびに、『日本人ブランド』を感じていました。

『日本人だから』という理由だけで、

信用してもらえたり、とても親切にしていただきました。

それは、先人たちの素晴らしい生き方に、世界中の人々が共感してくれていることから

きていたと思います。」   (by妃登美さん)

 

本文通中に紹介されている詩人クローデルの言葉。

(大正10年から昭和2年まで駐日フランス大使を務めた人だそう)

 

「日本人は貧しい。しかし高貴だ。

世界でただ一つ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたらそれは日本人だ」

 

こう言わしめた私たちの先人たち。 

そして、私たちの中に、その遺伝子はあるはずなのです。確実に。

先人の残してくれた「遺産」を

使っていくだけでなく

それを受け継ぎ、現代に生きる日本人として

日々

その生き方を今こそ「発信」していかなければならないのだろう

と感じています。

 

心ふるえる先人たちの生きざまは

どうぞ本にて!出会ってください!

 

「ルースカヤ」

以前このブログで紹介しました

バレエをやっていらっしゃるクライアントさんが

こんなことをおっしゃっていました。

「先日、『ルースカヤ』を踊ったんです。

これは、わたしたちのバレエ団ではどちらかというと初心者が踊るというイメージがあって…」

ちら、とネットで検索してみました。「ルースカヤ」。

ロシアの雰囲気の踊りです。

「わたしももう10年はこれ、踊っているし。

正直いって『簡単だよね~』と、みんなとも話していたんです。

なんだ、今回は出番、ルースカヤだけか…なんて思ったり」

なぜかふと思い立った彼女

今回はじめてユーチューブで検索し、トップの人たちの踊りを確認してみたのだそう。

すると…

「スゴイ踊りでした(汗)」

そして

彼女は一つ一つの動きを再確認し

再度「正確に、正確に」。

先生のおっしゃったとおりに…それこそ、指先の筋繊維の一本まで、毛筋の一本までを

正確に動いてみようと。

そうやって「ルースカヤ」を踊りなおしてみました。

結果

「体のあちこちは悲鳴を上げ」。

「初めて汗をかきました…ルースカヤで!」

(えっ、今まで汗かいてなかったの!^^)

その時、仲間のおひとりがこういったのだそう。

「思い出した…ルースカヤの中に全部があるって。

これがちゃんと踊れたら、すべては踊ることができるって」

まったく意識の変わった彼女が踊る「ルースカヤ」を

見てみたい!と思いました。

振り付けもすべて、何も変わるところもない「これまでと同じ踊り」。

でも

拡大した意識。一つ一つの動きの意味の深い理解。

ひとつの動きの、その先につながっている世界の意味を

もはや心も体も知っている。

そんな彼女の動きはいったいどれだけ場の空気を震わせ、動かし

見ている人にその響きをとどけることでしょう。

「次の世界が、また見えてきたみたいですね」

とお伝えしてみました。

「そうでしょうか!」

ととてもうれしそうな声がヘッドセットの向こうから聞こえてきました。

すべてのものの中に。

日常の小さなこと、すべての中に息づいている宇宙をみつけ、

それを大切に味わい、自分の中の宇宙と共鳴させ

それを自分ならではのやりかたで表現できる人は

何をやっても幸せに、生きている意味を実感しながら

自らの命を響かせることができるんじゃないかなあと

そう思います。

彼女のルースカヤ。

「使用前」「使用後」。興味津々です。

見てみたいと心から思っているところです。

中村公子のコーチングna日々♪-DSC_0373.JPG

追伸:

鹿児島は梅雨にはいりました。

黒竹にとまった水滴です。

皆さんのお住まいの地域はどんなお天気でしょうか

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