世の中は簡単で単純でシンプルでいいー年末の大掃除と共に、自分の中も絶賛大掃除中ー

 

 

 

 

今年は結構早くに大掃除を始めてしまい、
ただいま家の中が散れに散れてしまっているんですが、
(開かずの押し入れとかに手をつけてしまうと、そうなる)

並行して、
「自分の中身」も絶賛大掃除中です。

 

 

 

 

 

昨日、自身のセッションで、
(わたしがメンターから受けるコーチングセッション、の意)

 

 

『かんたんな方法じゃダメだ』

ー簡単にうまくいくはずがない。
ー自分で考え、難しい課題をクリアしてこそうまくいく。
ー全て自分で頑張らないと欲しいものは手に入らない。

 

 

という考え方の「癖」(信念)
を、根強く、根深く、後生大事に持っていた、

 

ということを発見して、大いに驚いたところです。
(PCに向かって「それです!それそれ!」と叫んでしまったくらいに)

 

 

 

 

けれどまあ。

思い返してみると、むべなるかな、なんですよね。
しようがないよね(それしかやり方、知らなかったよね)
という諸々の「歴史」があるわけで。

(こういうのって、みなさんにも何かしら、あると思うのです。
世界とはこうだ!という自分自身の「信念(考え方の癖)」を
生み出すに至った体験)

 

 

 

 

で。
めでたく、「その信念」の下、これまで相当頑張ってきた自分を、

「改めて確認し」
「認め」

そして、

「存分に感謝し、いたわる」

というプロセスを経てセッションは終了しました。
なんだかとてもラクになった。

 

 

 

 

そして今朝。
(正確にはさっき)

文章でも書こうかと、昨日のセッションメモを開けたところ、
いきなりどん、と目に飛び込んできた文が、

『かんたんな方法じゃなきゃダメだ』。

え…?
と一瞬思ったんですが。
つまり、見間違えたのです。読み間違えた。

 

 

 

 

『かんたんな方法じゃダメだ』
と自身の「ビリーフ(信念)」をメモしていたんですが、
   ↓
『かんたんな方法じゃなきゃダメだ』

 

 

と脳が認識した、と。
つまり一夜にしてわたしの無意識だか潜在意識だかが、
書き変わった、ということか?

 

 

 

 

と。(少しびっくり)

 

 

 

さて。
それによって何が起こるか…
詳しくは書きませんが、
不思議と、努力とは無縁の「棚ぼた」のような嬉しいことが起こったり、
タイミングよく情報を聞いたり…

ということが続けてあり、
(つまり、妙に世界が「簡単」になっているような(笑))

「自分の思っていることが自分に返ってくるのだなあ」

ということを静かにしみじみと実感している今日。

 

 

 

 

さて。

「この世界が自分にどんなカードを配るかは、
自分が自分自身をどう扱っているかによって決まる」

という言葉を昔、何かの本で読んだことがありますが。

 

 

 

今年1年間。さまざまに溜まった書類。
モノ。

押し入れの奥から取り出し、
目の前に広げ、確認し、精査し、手放すものは手放す。

とっておくべきものは埃をふるい、丁寧に棚に戻す。
大切なものは改めて磨き上げ、ピカピカにして、
一番使う場所に改めて置く。

 

 

 

どんなに大切にしてきたものでも、
役立ってきたものでも、
自分を助けてくれたものでも。

年月と共に必ず「変化」が訪れます。

自身の成長とともに、
もう使わなくなったり、
そぐわなくなったりすることもある。

 

 

今の、これからの、来年の自分にとって、
最も心地よく、幸せな状態に住まいやモノを整えるように。

 

 

 

「自分の内面」にある戸棚の引き出しも開けてみる。

そこに何が収められているのか?
どんなルールブックを自分は今、使っているのか?
それは有効か?
(大体、いつ作ったものなのか?)
それは今の自分の支えと助けになっているか?

 

 

 

これらの作業も、
実は、ものすごく、ものすごく「有効な」大掃除、であると感じます。
(何せ、「生きること全ての土台」ですから)

 

 

 

さて。
わたしの2023年版「マイルールブック」に書き加えたのは、

 

 

『世の中は簡単で単純でシンプルでいい』

 

 

ずっと使い慣れてきたルールの変更です。

少しの不安と、そこはかとない寂しさと。
そして、
静かな解放感を感じているところです。

 

 

 

 

 

来年へ向けて–まず自分が今年「得たもの」について思いを巡らす

 

 

 

 

 

メンターコーチから、

 

「公子ちゃん(と、彼女はそうわたしを呼ぶ)

自分が意識してないだけで、
いとも簡単に(意図しただけで)手に入れているもの、
たくさんあると思うよ」

 

 

と言われ、
そういえばそうかな、と思ったのでした。

 

 

 

本当に、「意識して」ちゃんとそういうことは考えないと、

ついつい、

「ないもの」
(あれがない。これがない。これがまだだ。手に入っていない)

の方に意識が向きがちになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、昨日、12月1日。
(ちなみに、滅多にないことに、11月中から小さくあちこち掃除を始め、
なんと!年賀状も作成を始めている今年←わたしにはすごいことです)

 

 

 

改めて、姿勢を正し、しっかりと座り、

「それ」

について考えてみることに。

 

そうすると、正直…あまり出て来ないことに愕然としているところです。
(ない、のではなくて、いかに「忘れてしまうのか」ということに。
もしくは「当たり前」の箱に入れてしまっていることに)

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、絶対に忘れられない思い出の一つ、
について書いてみることにします。

と思ったのだけど、書いていて恥ずかしくなったので、これは消してしまいました。
(やっぱりこれは宝物なので、自分の心のうちだけにとどめておこう、と)

 

 

 

 

 

 

けれど、「それ」は。

 

自分が最高に楽しんでいて、
全てを忘れて(人の目がどう、とか)
全身全霊で味わって、喜んでいる時。

まるで、細胞がどんどこと音を立てて、祭り太鼓を奏でているような感覚の時、
思いもかけないところから降ってくる、という

 

 

 

「自分自身の『うまくいっているパターン』」

 

 

 

だけは、しっかりと再確認することができました。

 

 

 

そうやってわたしは、
たくさんの人と出会い、
よきものと出会い、
素晴らしい体験をたくさんしてきた。

 

(堂々と書いてみましたが、こういうことは、自分で認めて、
自分で「そうだ」と認定しないと、本当に、「なきもの」とか
「大したことないもの」になってしまうのです!)

 

 

 

 

 

 

 

さて。
もうすぐ今年も終わります。
来る年、

 

「何をしよう」
「これをやりたい」
「こんな一年に」

 

あれこれと考えたり、書いたりしてらっしゃる方、多いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

その前に、
「今年(これまで、でもいいですし)自分にするりともたらされたもの」
「今年(同上)自分の元にやってきた素敵なもの、素晴らしいもの」

 

 

 

 

 

 

について、改めて思いを巡らせてみるものいいのでは、
と思います。

そこには、自分自身の「方向性」(うまくいっているときの形)が刻まれている。

 

 

 

 

 

その「形」を明確にして。

 

(「結局、自分はこの形なんだな」
「無理しても意味ないやん」
「自分でないことをやっても意味ないな」
「迷ったらここに戻ればいいのね」などなど…←わたしの中に今、起こっている声)

 

 

 

 

 

 

そして来年へと進んでいくというプロセス(一段階)を持つ。
これは、なかなかに有効なことなのではと感じているところです。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

写真は「前田コーヒー」。
京都文化博物館の中庭にある、「いい感じのカフェ」でした。
エスプレッソに牛乳を混ぜると「ラテ」じゃなく、
違う名前になるんですが、なんですっけ。

 

 

 

 

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