「Cメールコーチング」

姪っ子(二十歳)からメール。

「今度、同期の子の結婚式に招待されたんだけど、振袖で行こうかなあ思ってるんだけど

会場が○○なんだけど

振袖だとちょっと重いかな

初めてのことだからよくわからなくて」

これをCメールで2回に分けて送ってきました。

「いつあるの」

「9月末だよ」

からはじまって

会場の様子や本人の気持ちなどが

つづられていきます。

(これがCメールで小分けにやってくるので、着信音がうるさいことオビタダシイ^^)

「時期が時期だし…

○○で挙式、披露宴は△△なんだよね」

(う~ん、思いっきり『軽やかなレストランウエディング』じゃのう)←わたしの心の声

「この間ドレスを見に行ったけど、なかなか…でもやっぱり」

(そうなんだ~。探しにいったんだなあ。一枚選ぶにも迷いまくる性格だもんねえ)←心の声

そんな「内的会話」はもちろんおいておき

特に「こうしたら?」も書かず

「ふうん」とか

「だよねえ」とか

そして、情報などお伝えしつつ

(暦の上ではあわせの着物はOKの時期だね、とか)

やり取りは続き…

さて、細切れのCメールをひとしきり受け取ったところで

「ここまで書いて見て、なんかまとまった」


と送ってみました。

すると、意外や意外。

「うん。振袖を着ていく!」






(えっ、そうなんだ…てっきり話の展開から、「洋服にする」と言い出すかと…)

             ↑

       ニュートラルに聞いてないですよね






「周りが結構キャピキャピした感じの子が多いから

合わせた方がいいかなあって思ったりしたんだけど

わたしはわたしだしね」

(そっかあ、本当に気がかりなのは、そこだったんだね)

彼女はわたしに似て、

和のものが大好きなのです。





着物が好き

日本茶がすき

和の小物がすき。

(なにせ今つとめているのも「和菓子屋さん」ですし)

わたしが途中で何かを言ったわけではないのです。

(「着物好きなんだからいいじゃない」とか)

彼女のなかで、書きながら

整理され、見えてくるという現象が(まさにコーチングの真骨頂とも言うべき現象が)

起こっていたのでしょう。

メールの向こうから

とにかく「スッキリ感キラキラがものすごく伝わってくるのを感じました。

彼女

当日胸張って振袖を着ていくんだろうな

そして、

存分にそのことを、

「着物を着ている自分」を楽しむんだろうな。

そんな彼女は

きっと、最高に魅力的だろうな。


そう思ったことでした。

そして

意図せずやったコーチングでしたが

あらためて、コーチングというものの効果を、

「自分の中から、自分自身で見つけ、決める」ことの

ゆるがぬ力強さを再確認したのでした。

「子どもは本質を見抜く」

ダンス教室の先生の一人むすめ

Yちゃん(10歳)

両親をダンスの先生に持ち
(まさにサラブレッド)

小さい頃からクラシックバレエを習い

手足は長く

顔は小さく

つぶらな瞳に長いまつげ

さくらんぼみたいなくちびる

さらさらの髪を長くたばねたその姿はさながら天使みたいにかわいらしい

さて、この天使が…

実にやんちゃ







レッスン中にちょっかいを出しに来る

(今日は、ペンで足に描かれそうになったな







そしてわたしと「スリッパサッカー」

(相手の片足から奪取したスリッパを、相手が奪還できないように&相手から取り返すため

足で蹴りあうという高尚なゲーム)

教室中ところせましと走り回っている。











さて、そのYちゃんの学校の先生が

最近偶然にわたしのコーチングセミナーに参加なさった、という話から




Yちゃん「コウコちゃんって、なんのセミナーやってるの~」

わたし 「う~ん、何っていわれるとねえ…

     (コミュニケーション、ってとりあえず言ってみるか、と思った瞬間)」

Yちゃん「テツガク?」

わたし 「え?違う違う。そんなんじゃないよ」

Yちゃん「だって、『わたしは何者か?』って、そういうのでしょう?」

わたし 「そういわれると(このとき、ものすごく『ハッと』しました)

     …そうだね。ただ、いつものセミナーではそこまでやらないことが多いかな。

     でも、最後はそういうことかな~」

Yちゃん「うちに、子どもむけのテツガクの本があるよ」

わたし 「ふうん…」








さて

自分の仕事について

彼女にことさら詳しい説明をしたことはなかったのだけど。

(この教室自体で、仕事の詳しい話をしたことがない)





「コーチ」

という仕事がどんな仕事か、彼女なりに誰かから聞いたのでしょう。

そしてそれらの情報を総動員して

彼女は







「自分とは何か」










を明らかにするものだ、と定義づけている。






セミナーではまず、

「ラポールを築く」

「聞く」

「質問」



なんてことをやるけれど

その奥の奥

いつも、念頭においているのは

まさに、それらを通して「自分を知ること」

自分はどんなことに価値を感じるのか。

何を大切にして生きているのか。

どんな信念を持っているか。





そして、自分はそもそも「どういう存在か」。








自分を知ることなくして

(自分とのコミュニケーションなくして)

他者とのよりよいコミュニケーションは成立しない。

それは、わたしがいつも一貫して意識し続けていることです。








Yちゃんの言葉を聞いた瞬間のわたしの感じを

いくつか言葉にしてみたけれど

どれもピッタリこなくて、全部消してしまいました。







こどもは、すばらしい。

この、稀有なみずみずしい生物よ

宝石のような存在よ。

いつまでも、このままの状態で成長してください、と切に願ったことです。






「プロの技がもたらすもの」

9月下旬に

わたしの通っている社交ダンスの教室の20周年パーティーがあります

そのときに柴田淳の「椿」で踊ることにしました。

(どんな曲?という方はコチラ)              

http://www.youtube.com/watch?v=e1FdrCiftKk&feature=related

日本語の歌詞の曲で踊るなんて今までなかったんですけど

最近どうも「日本語の美しい言葉の響き」に惹かれるもので

こういう曲で踊ったらどんな踊りが踊れるかなあ…と思い。

「言葉」を体で感じながら踊ると、どんな踊りになるんだろう、と。

この曲は5分半くらい。

これを3分に縮めなめればなりません

昨日、音響を専門にやっていらっしゃる方のところへ伺ったのですね。

これが…面白かった。

わたしは音楽には全くまったく詳しくないので、

全て見るもの、聞くものが始めてのものばかりで、もう、未知の世界で

正直言って「大興奮」。

中村公子のコーチングna日々♪

こんな機械があり

中村公子のコーチングna日々♪

そして、画面にこんな「声紋鑑定」みたいなものが出て

始めて聞く曲みたいですのに

その方は

中村公子のコーチングna日々♪

曲を聴きながら

「Aメロ~」

「Bサビ~」

と言いいながら

どんどん声紋鑑定(みたいな)画面に線を入れていく

曲の構成を把握していくんですね。

ちゃっちゃっと。

で、それが終わったら

「さあ~て、どうつなげるかなあ~」

(か、かっこいい~)

ただつなげばいいってものじゃあないんですね。

例えば

1番と2番、全く同じ旋律でも、リズムの刻み方が違っている。

(確かに、一番の出だしはメロディだけが流れる感じで

2番からしっかりとリズムが入ってきてるんですよね)

そうすると

踊りとしては、1番をカットして「イントロ→2番」と飛んだほうが踊りやすい。

(この方は、たまたま社交ダンスにもとてもお詳しい方だったのです。

「ルンバだったら、ある程度リズムがはっきりしていたほうが踊りやすいでしょう」と

的確なアドバイス!)

だけど、わたしは一番の「メロディだけで静かに始まる」感じをとても気に入っているので

そこは生かしたい。

その部分でどう踊ろう…なんて楽しみに考えていたわけで。

そうすると

「そうですか~」と、一番を生かしてくださり

でも、出来上がった曲を聴いてみるとトータルで

「途中からいきなり盛り上がってます」みたいな曲になるらしく

(なにせ5分半を3分に短縮ですのでね・・・)

中村公子のコーチングna日々♪

そうすると

1番途中→2番後半→…

というふうに、不自然でないようにまたそこで一操作。

音の加工なんかもして、実に自然な流れに。

歌詞も、ほぼ違和感なく、

無事「椿3分ヴァージョン」

完成いたしました





なんだか嬉しくてですね。「これは、わたしの曲だ」と。

いただいたCDを握り締めて帰ったことでした。

さて

この3分の曲

とても愛着を持って大切に、心をこめて、楽しんで踊れそうな気がしています。

なぜなら

それはやっぱりあの「創作過程」

(制作、ではなく、あえて創作、と^^)

があるからかな。

時間をかけ、それが形になるところに自分も立ち会ったということ。

そして

作ってくださった方からすると、いつものお仕事の一環で

時間的にもそんなにかからなかったのものなのでしょうけれど

わたしからすると、

「わたしの希望を聞いてくださって、丁寧に、しかもプロの技を駆使してわたしのために作ってくださった」

とても嬉しい、ワクワクと高揚する時間だったということ。

プロの技というものが

周りの人にもたらすものは、その仕事の「結果」だけではなく

< p>本当にいろいろなもの、色々な感動があるのだなあ、と

実感した

とても楽しい体験でした。






「わたしをつくったもの」

 

 

という

国語の教材があったのです。昔。

中学校2年生の国語の教科書に載っていました。

 

どんな話かといいますと

外国のお話なんですけど。

大嫌いだったおじいちゃんの昔語りを、ふとしたきっかけで聞くことになった

少年が、

そのことがきっかけで、古いものや、それにまつわる物語に夢中になって

やがて博物館の館長になる道をすすむというお話です。

 

 

 

 

「祖父がわたしを作ったのだ」

 

 

という一文で、確か締めくくられていたような。

 

その授業のときに

「人生でこれを見つけないと、という2つは、自分が一生をかけられる仕事と、

人生のパートナー」

 

という言葉を自分のクラスで言ったのです。

 

すると、一人の男の子がわたしをチラッと見て

「…先生はどっちもまだだね」

 

 

 

パートナーがまだなのはわかるけど、どっちもかあ、

と思ったのでした。

 

 

 

 

何か満たされない気持ちで、何かがまだどこかにあるんじゃないか、

と思いながら教員をしていたことを彼はわかっていた、ということかなと。

 

 

 

子どもにそれがわかるようでは、もうここにいちゃいけないな、と思ったんでした。

 

彼の一言は、わたし自身を次のステップへ押し出してくれたような気がします。

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、恐るべき(笑)洞察の一言をすらりと言ったのが彼。

(一番奥の男性。本人は「覚えていない」といっていますが)

 

 

 

手前の男の子はデザイン関係の仕事でしたか。

中学生の頃は甲高い声で、一番前の席に座って小さな身体でまっすぐ前を向いている子で、

彼の目を見ていると「授業、手を抜けません!」といつも思ったものでしたが。

 

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3人の子のお母さん。

障害児教育に頑張っている子。

みんな成長しています。頼もしい…。

結婚式で、わたしに「乾杯のご発声」をさせてくれた子も。

 

 

 

 

他にも、高校の先生にプロのダンサーと、

みんな、自分の「道」を進んでいます。

 

 

 

 

この子達にとって「わたしをつくったもの」はなんだったんだろう?

 

 

 

それは、わかりませんが、わたしにとってこの子達は、

「今のわたしを作ったくれたもの」であることは確かです。

 

「99パーセントの努力と1パーセントの才能」

チャップリンとエジソンの言った言葉。

 

「天才とは1パーセントの才能と99パーセントの努力だ」(チャップリン)

 

「天才とは1パーセントのインスピレーションと99パーセントの努力だ」(エジソン)

 

あれ、

「努力礼賛」の言葉だと思ってたんですけれど

そうじゃないんだそう。

(人間努力が大切!努力すればいつか必ず成功する…という)

 

「私は

たとえ99パーセントの努力をしても、

1パーセントの才能がなかったら天才にはなれないと言ったのだ。

才能を自覚した上で努力をすることが成功の秘訣なのに、多くの人は勘違いをしている。

1パーセントの才能という言葉は、才能が絶対必要だという意味なんだよ」(チャップリン)

 

「私は

1パーセントのインスピレーションがなければ、

99パーセントの努力は無駄になると言ったのに

世間は私の言葉を都合のいい美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、

努力の重要性だけを

成功の秘訣と勘違いさせている。」(エジソン)

 

そして、自分がいかに「インスピレーション」を大切にしているか

それを得るためにどんな工夫をしているか、を

エジソンは語ります。

さらに

 

「私は子どもの頃、

教育についていけないという教師の勝手な判断で学校に通えなくなった。

どうしてだと思うかね?

 

その頃の私は『ナゼナゼ小僧と呼ばれていてね…しつこいほど周囲の大人に聞いた。

多くの疑問が次から次へと頭をよぎった。

あまりに質問をしすぎるから、頭がおかしいと思われて、小学校を退学させられてしまった―

 

そして私が発明家という道に進んだのは、

このナゼ?の延長にある答えを、インスピレーションによって

解決したときの喜びを持ち続けられたからだ。

インスピレーションは私の才能であり、その才能を努力によって伸ばしたことによって

現在の成功があるんだ」

 

以上は

「目標設定練習帳」(リチャード・H・モリタ編著・イーハトーヴフロンティア)

からの抜粋ですが

この本には

 

「才能は必ず、誰にでもある」

 

と。

 

そして

「自分を知り、自分を見極める」ことの大切さ

「自分の特質、才能」にそった

 

自分にとっての「リアルゴール」(真実の目標)

 

を発見し、設定することがいかに大切か

それが、「成功」のためのただ唯一の条件である、と書いています。

 

人は、それが「真実のゴール」であれば

努力を努力とも思わず、自然と頑張れる。

モチベーションを「上げよう」などと思わなくても、自然とそれは湧いてくる。

あきらめよう、もうやめよう、無理だ…

つらくても、そんな思いは湧いてこない、湧いてきようがない、

それが、その人にとっての「真実の目標」



みなさんには、ありますか?

わたしは思わず、自分のささやかな「目標」あれこれをチェックしてしまいました。

すると…昔思っていたそれのいくつかは

自分の本心ではない何か、に左右されていたものだったりするのですよね。


昨日は先生とお母さん方へのセミナーだったのですが

大人の仕事は

ただただ、上の一事につきる

と実感したことでした。

 

 

「子どもが『リアルゴール』を見つけられるようサポートをすること」


そして、そのためには大人自身が

「自分としっかり向き合っていて」

「自分の『才能』に根ざした自分らしい満足した人生」

を送っていないとですね。

 

 

 

 

「わたしはウシでもブタでもない」

 

 

 

先日、先生方の研修会に行ってきました。

「シンポジウムのパネリスト」というもので呼ばれまして。

 

 

先生達の研修をすることはあっても外側から客観的に眺めているのはめったにない体験。

(昔、教員として研修に参加していたとき以来でしょうか)

いろんなことを思いながら会場にぽわん…と坐っていました。

 

 

 

 

その中で、一つだけ、ものすごく違和感のあったことが…。

それは何かというととあるグループワークのときの話。

 

 

その日、進行がだいぶ押していたようで。

進行係の先生は、とても気を揉んでいらっしゃ理。

参加者を時間通りに動かそうとなさっていらっしゃるのを感じました。

 

そして、5グループに分かれたディスカッションも終了時間となり(わたしも、参加していました)

みんなで中央に集まって、各グループの発表を聞き合うという流れになっていました。

 

 

が。

ディスカッションは盛り上がり、各チーム、なかなか終わらない。

というか、「終わり」ということはみな理解しているんですけれど、加速度の着いた車と同じように、

急にはストップできないので

各チーム、止めるのに少しタイムラグが発生していると見えました。

 

 

 

さて、進行の先生。

数回「終わりです」の声を発すれども、みんななかなか真ん中に集まってこない。

すると突然。

 

 

 

 

 

「いち!にぃ〜!さん!しぃ〜!ごぉ〜!ろく!…」

 

 

 

大声で「カウントダウン」を始めたのです。

 

 

 

 

 

これ、もし学校の先生だったなら、もしかしたら一度は使ったことがあるかもしれない。

もしくは誰か他の先生が使っているのを見たことがあるかもしれない。

 

 

「子どもを短時間に、一定のところに集めるための『やり方』」なのです。

 

 

 

 

 

無条件に、四の五の言わせず、有無を言わさず、この先生の「いち!にぃ〜!さん!」が始まったら

生徒たちは何をおいても、先生の目の前に馳せ参じなければならない、というルール。

 

 

そして、大体において「カウント◯◯を過ぎても全員揃わなかったらオシオキ」。

(オシオキはされなくても小言くらいは食らうでしょうね。

「お前ら、なんでルールを守らないんだあ〜、先生はいつも五つ数えるうちに集まれって

言ってるだろうがあ〜」なんて)

 

 

 

(言っておきますが、この時カウントをした先生がそうしている、と言っているわけではありませんので。

思い出しただけです。昔そういう人がいたのを)

 

 

 

 

 

さて、このカウントが始まった瞬間、わたしの身体の中になんとも言えない不快感が…。

強いて言葉にするならば。

 

 

 

 

 

 

「わたしは、牛でも豚でもなーい!(怒)」

 

 

 

 

 

 

言葉ではなく。

有無を言わせず柵に追い込まれ、囲い込まれる牛のような。

鈴が鳴ったら「めえ〜」と鳴きながら黙々と飼い主の元へ集まらねばならない羊のような。

 

 

 

 

 

自分がそんな扱いを受けたような気がしました。

 

 

「わたしは大人です。ちゃんと意思を持った一人の人間です。言葉で言って下さればわかります」

そう、言いたい気持ちで一杯になったんでした。

 

 

 

そして、更に恐ろしいのは、自分が教員だった頃、この方法について何の疑問も抱かなかったことです。

わたしは使ったことがなかったのですが、誰か他の先生がやるのを見て、

ああ、いい方法だ、あんなふうに子どもが動いてくれたらいいな、

あの先生は指導力が高いんだな、

 

と思っていたのを思い出したのです。

 

 

 

 

 

子ども達ってこうやって「慣らされて」いくんだなあ…。

 

 

「めえ〜」「めえ〜」「めえ〜」「めえ〜」(以下略)

 

 

 

そして「めえぇ~」な状態についていけなかったり、違和感を強く感じる子供たちが

世間一般の価値観で言うところの「学校からはずれてしまった(いろんな意味で)」といわれる子達に

なっていくのか…と感じたことでした。

 

 

もしくは、企業さんに研修に行くと上の方々からよく聞く

「動かないんですよ。待ってるんですよ、指示を」

と言われてしまう「大人」になっていくのでしょうか。

 

 

 

最後に、なぜわたしが子どもの動きをコントロールするのに上の方法を使わなかったか、なのですが

そんなに立派な理由があるわけではりません。

 

わたしが「い~ち、にぃ~…」とやっても

「先生、何やってんのさ」「似合ね~ことすんなよ」の一言であしらわれ、

生徒はわたしのもとへやってはこないだろうということが、

なんとなくわかっていたからみたいです(今思うに)

 

 

「お神輿のかつぎ方」

 

 

ひょんなことからお神輿の話になりまして

 

 

 

 

目の前に「担いだことがある」という人が2人。

(男みこしと女みこし、それぞれ)

まずは

 

 

「本当に、重い」(2人の心からの声)

 

 

「あの重さを肩に感じた瞬間、『ああ、これは本当に心を入れて(性根をすえて、だったかな)

担がないといけないんだ』と思ったんですよね。

だから、御神輿は軽くちゃダメです!」

 

 

と彼女、断言。

(へえ~、そうなんだ~、何となくわかるような気がする、とわたし)

 

そして男性。

 

 

「35人くらいで担いでいるときにね(重さ一トンです)

明らかに、5人くらい担いでないだろ!、

 

というくらい重く感じる瞬間があるんです。

もう投げ出したくなる。

そのときに、逃げちゃダメなんです!」

 

 

 

 

 

「そういう時こそ、肩をぐっと!(と、彼はここで何回も、実際にぐっと肩を入れる仕草をしながら)

入れて、担ぐんです。そうすると…」

 

 

 

 

そうすると…

 

 

 

 

そうすると…

 

 

 

 

「そのときに、家族の幸せでも、商売繁盛でも、まあなんでもいいんですけどね。

聞き届けられるみたいですよ」

 

 

 

 

 

その瞬間、「耳痛っ!」と思ったんでした。

 

 

 

 

 

 

最近、数人でとあることをやっていて、

明らかに「おいっ、誰か神輿、担いでないでしょ!(重いんだけど!)」

 

 

 

と思うことがあったのです。

 

 

 

わたしがそう感じたとして、別にそこで怒ったり、人を非難したりする筋合いのものではなく、

そういうときこそさらにぐっと肩を入れて神輿を担げばいいのだ。

 

 

 

 

と気がづいたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お箸の記憶」

 

中村公子のコーチングna日々♪
今日は「箸の日」だとご存知でした?

 

 

(と書いてみて、カレンダーを見て『八月四日かあ~。なるほど!』と今納得したところです)

 

 

 

 

 

知人の家に行ったら

「箸の日」のイベントで

家族4人でお箸をつくってきたと、見せてくれました。

 

 

 

左からお母さんの作。

握りの部分がシェイプされていてなかなかかっこいい。

 

続いてお父さんの作。

二本目までまだ行っていないところです。ていねいに、まるで機械で削ったみたいで一番きれい。

 

続いて長男くんの作。

先がとってもとがっていて、「武器?」と、ついつっこんでしましました(ゴメンね)

 

最後に、次男くんの作。

削っている途中で折れたらしく、だんだん短くなっていったらしいです(かわいいですよね)

 

 

 

4人の個性がしっかりと感じられるお箸を見ながら、つい「お箸ネタ」で盛り上がってしまいました。

 

 

 

 

 

わたしのとっておきの「お箸」は、父が山で、そこらにある木を使って作ってくれたお箸です。

 

 

 

実家には山があり、よく、山でお弁当を食べました。

遊びに行っていたんではないんです。仕事です。仕事。

(というか、父の趣味が「山仕事」だったんです)

 

 

小さい頃から父に連れられて、

「杉の枝打ち」「しいたけの菌打ち」…まあ、いろんなことをやりました。子どもですから

実はたいした役に立ってないんですけどね。

 

 

 

 

 

それに飽きると、父が仕事をしている横で、湧き水にくるぶしまで浸かって沢がにを追っかけたり、

石で流れをせき止めたりして遊んでいました。

ああ、懐かしい。

 

 

 

 

さて

ある日のお昼、お弁当を広げたときに、お箸が入っていなかったのでしょうか…

父が、手近にある木の枝をぱしっ…

となたで切って、わたしの手のサイズに長さを合わせて

 

 

 

上半分、握る部分は木の皮を残して、下半分は白いつるつるした面がでるようにすばやく皮をはいで

お箸を作ってくれたのです。

それはそれは早い手際で。

あっという間にさりげなくお箸を作る父の姿もかっこよかった。

 

 

 

 

そのお箸で食べるお昼は…それはもう、特別な感じがしました。

いつもの梅干も、おにぎりも、ぜんぜん違って感じるんです。

そのお箸を使っていることが、もう、嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

 

 

「おいていけ」といわれたのに捨てられず

大切に家に持って帰って、洗って、家での食事でも使ったものです。

(あまり長くは持たないんですけどね。生木なので)

 

そして、それからは

山に行くとお昼のたびに、その「木のお箸」を作ってくれとせがんだような気がします。

 

 

今でも、正直、無性にそのお箸でご飯を食べたくなることがあります。

あのお箸は、ほんとうによかった。かっこよかった。棒っきれなんですが…

でも、わたしにとっては最高に、特別なものでした。

 

 

多分、どの木でもいい訳ではないんですよね。

父は、瞬時に「この木」と定めて

「お箸として使える木」を、一番最適な太さの小枝をスタッ!と切り落としていました。

今思うと、あのときの父は本当にかっこよかった。

 

 

 

 

 

 

今でもあのお箸を思い浮かべると…

そうですね、一言で言うと「幸せな」気持ちになります。

 

 

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