「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「わたしをつくったもの」

 

 

という

国語の教材があったのです。昔。

中学校2年生の国語の教科書に載っていました。

 

どんな話かといいますと

外国のお話なんですけど。

大嫌いだったおじいちゃんの昔語りを、ふとしたきっかけで聞くことになった

少年が、

そのことがきっかけで、古いものや、それにまつわる物語に夢中になって

やがて博物館の館長になる道をすすむというお話です。

 

 

 

 

「祖父がわたしを作ったのだ」

 

 

という一文で、確か締めくくられていたような。

 

その授業のときに

「人生でこれを見つけないと、という2つは、自分が一生をかけられる仕事と、

人生のパートナー」

 

という言葉を自分のクラスで言ったのです。

 

すると、一人の男の子がわたしをチラッと見て

「…先生はどっちもまだだね」

 

 

 

パートナーがまだなのはわかるけど、どっちもかあ、

と思ったのでした。

 

 

 

 

何か満たされない気持ちで、何かがまだどこかにあるんじゃないか、

と思いながら教員をしていたことを彼はわかっていた、ということかなと。

 

 

 

子どもにそれがわかるようでは、もうここにいちゃいけないな、と思ったんでした。

 

彼の一言は、わたし自身を次のステップへ押し出してくれたような気がします。

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、恐るべき(笑)洞察の一言をすらりと言ったのが彼。

(一番奥の男性。本人は「覚えていない」といっていますが)

 

 

 

手前の男の子はデザイン関係の仕事でしたか。

中学生の頃は甲高い声で、一番前の席に座って小さな身体でまっすぐ前を向いている子で、

彼の目を見ていると「授業、手を抜けません!」といつも思ったものでしたが。

 

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3人の子のお母さん。

障害児教育に頑張っている子。

みんな成長しています。頼もしい…。

結婚式で、わたしに「乾杯のご発声」をさせてくれた子も。

 

 

 

 

他にも、高校の先生にプロのダンサーと、

みんな、自分の「道」を進んでいます。

 

 

 

 

この子達にとって「わたしをつくったもの」はなんだったんだろう?

 

 

 

それは、わかりませんが、わたしにとってこの子達は、

「今のわたしを作ったくれたもの」であることは確かです。

 

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