「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「わたしはウシでもブタでもない」

 

 

 

先日、先生方の研修会に行ってきました。

「シンポジウムのパネリスト」というもので呼ばれまして。

 

 

先生達の研修をすることはあっても外側から客観的に眺めているのはめったにない体験。

(昔、教員として研修に参加していたとき以来でしょうか)

いろんなことを思いながら会場にぽわん…と坐っていました。

 

 

 

 

その中で、一つだけ、ものすごく違和感のあったことが…。

それは何かというととあるグループワークのときの話。

 

 

その日、進行がだいぶ押していたようで。

進行係の先生は、とても気を揉んでいらっしゃ理。

参加者を時間通りに動かそうとなさっていらっしゃるのを感じました。

 

そして、5グループに分かれたディスカッションも終了時間となり(わたしも、参加していました)

みんなで中央に集まって、各グループの発表を聞き合うという流れになっていました。

 

 

が。

ディスカッションは盛り上がり、各チーム、なかなか終わらない。

というか、「終わり」ということはみな理解しているんですけれど、加速度の着いた車と同じように、

急にはストップできないので

各チーム、止めるのに少しタイムラグが発生していると見えました。

 

 

 

さて、進行の先生。

数回「終わりです」の声を発すれども、みんななかなか真ん中に集まってこない。

すると突然。

 

 

 

 

 

「いち!にぃ〜!さん!しぃ〜!ごぉ〜!ろく!…」

 

 

 

大声で「カウントダウン」を始めたのです。

 

 

 

 

 

これ、もし学校の先生だったなら、もしかしたら一度は使ったことがあるかもしれない。

もしくは誰か他の先生が使っているのを見たことがあるかもしれない。

 

 

「子どもを短時間に、一定のところに集めるための『やり方』」なのです。

 

 

 

 

 

無条件に、四の五の言わせず、有無を言わさず、この先生の「いち!にぃ〜!さん!」が始まったら

生徒たちは何をおいても、先生の目の前に馳せ参じなければならない、というルール。

 

 

そして、大体において「カウント◯◯を過ぎても全員揃わなかったらオシオキ」。

(オシオキはされなくても小言くらいは食らうでしょうね。

「お前ら、なんでルールを守らないんだあ〜、先生はいつも五つ数えるうちに集まれって

言ってるだろうがあ〜」なんて)

 

 

 

(言っておきますが、この時カウントをした先生がそうしている、と言っているわけではありませんので。

思い出しただけです。昔そういう人がいたのを)

 

 

 

 

 

さて、このカウントが始まった瞬間、わたしの身体の中になんとも言えない不快感が…。

強いて言葉にするならば。

 

 

 

 

 

 

「わたしは、牛でも豚でもなーい!(怒)」

 

 

 

 

 

 

言葉ではなく。

有無を言わせず柵に追い込まれ、囲い込まれる牛のような。

鈴が鳴ったら「めえ〜」と鳴きながら黙々と飼い主の元へ集まらねばならない羊のような。

 

 

 

 

 

自分がそんな扱いを受けたような気がしました。

 

 

「わたしは大人です。ちゃんと意思を持った一人の人間です。言葉で言って下さればわかります」

そう、言いたい気持ちで一杯になったんでした。

 

 

 

そして、更に恐ろしいのは、自分が教員だった頃、この方法について何の疑問も抱かなかったことです。

わたしは使ったことがなかったのですが、誰か他の先生がやるのを見て、

ああ、いい方法だ、あんなふうに子どもが動いてくれたらいいな、

あの先生は指導力が高いんだな、

 

と思っていたのを思い出したのです。

 

 

 

 

 

子ども達ってこうやって「慣らされて」いくんだなあ…。

 

 

「めえ〜」「めえ〜」「めえ〜」「めえ〜」(以下略)

 

 

 

そして「めえぇ~」な状態についていけなかったり、違和感を強く感じる子供たちが

世間一般の価値観で言うところの「学校からはずれてしまった(いろんな意味で)」といわれる子達に

なっていくのか…と感じたことでした。

 

 

もしくは、企業さんに研修に行くと上の方々からよく聞く

「動かないんですよ。待ってるんですよ、指示を」

と言われてしまう「大人」になっていくのでしょうか。

 

 

 

最後に、なぜわたしが子どもの動きをコントロールするのに上の方法を使わなかったか、なのですが

そんなに立派な理由があるわけではりません。

 

わたしが「い~ち、にぃ~…」とやっても

「先生、何やってんのさ」「似合ね~ことすんなよ」の一言であしらわれ、

生徒はわたしのもとへやってはこないだろうということが、

なんとなくわかっていたからみたいです(今思うに)

 

 

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