「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「お箸の記憶」

 

中村公子のコーチングna日々♪
今日は「箸の日」だとご存知でした?

 

 

(と書いてみて、カレンダーを見て『八月四日かあ~。なるほど!』と今納得したところです)

 

 

 

 

 

知人の家に行ったら

「箸の日」のイベントで

家族4人でお箸をつくってきたと、見せてくれました。

 

 

 

左からお母さんの作。

握りの部分がシェイプされていてなかなかかっこいい。

 

続いてお父さんの作。

二本目までまだ行っていないところです。ていねいに、まるで機械で削ったみたいで一番きれい。

 

続いて長男くんの作。

先がとってもとがっていて、「武器?」と、ついつっこんでしましました(ゴメンね)

 

最後に、次男くんの作。

削っている途中で折れたらしく、だんだん短くなっていったらしいです(かわいいですよね)

 

 

 

4人の個性がしっかりと感じられるお箸を見ながら、つい「お箸ネタ」で盛り上がってしまいました。

 

 

 

 

 

わたしのとっておきの「お箸」は、父が山で、そこらにある木を使って作ってくれたお箸です。

 

 

 

実家には山があり、よく、山でお弁当を食べました。

遊びに行っていたんではないんです。仕事です。仕事。

(というか、父の趣味が「山仕事」だったんです)

 

 

小さい頃から父に連れられて、

「杉の枝打ち」「しいたけの菌打ち」…まあ、いろんなことをやりました。子どもですから

実はたいした役に立ってないんですけどね。

 

 

 

 

 

それに飽きると、父が仕事をしている横で、湧き水にくるぶしまで浸かって沢がにを追っかけたり、

石で流れをせき止めたりして遊んでいました。

ああ、懐かしい。

 

 

 

 

さて

ある日のお昼、お弁当を広げたときに、お箸が入っていなかったのでしょうか…

父が、手近にある木の枝をぱしっ…

となたで切って、わたしの手のサイズに長さを合わせて

 

 

 

上半分、握る部分は木の皮を残して、下半分は白いつるつるした面がでるようにすばやく皮をはいで

お箸を作ってくれたのです。

それはそれは早い手際で。

あっという間にさりげなくお箸を作る父の姿もかっこよかった。

 

 

 

 

そのお箸で食べるお昼は…それはもう、特別な感じがしました。

いつもの梅干も、おにぎりも、ぜんぜん違って感じるんです。

そのお箸を使っていることが、もう、嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

 

 

「おいていけ」といわれたのに捨てられず

大切に家に持って帰って、洗って、家での食事でも使ったものです。

(あまり長くは持たないんですけどね。生木なので)

 

そして、それからは

山に行くとお昼のたびに、その「木のお箸」を作ってくれとせがんだような気がします。

 

 

今でも、正直、無性にそのお箸でご飯を食べたくなることがあります。

あのお箸は、ほんとうによかった。かっこよかった。棒っきれなんですが…

でも、わたしにとっては最高に、特別なものでした。

 

 

多分、どの木でもいい訳ではないんですよね。

父は、瞬時に「この木」と定めて

「お箸として使える木」を、一番最適な太さの小枝をスタッ!と切り落としていました。

今思うと、あのときの父は本当にかっこよかった。

 

 

 

 

 

 

今でもあのお箸を思い浮かべると…

そうですね、一言で言うと「幸せな」気持ちになります。

 

 

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