「変化をとどめる『堰』を外すと人生はいっきに流れ出す」

 

 

前回の
「捨てられない」クライアントさん。
(「変化への一番の早道は「小さく静かに」)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12346001951.html

モノを捨てようとすると、なぜか、
「反する心」がわいてくる。
「持っていなければ」と無性に思う。

この方、
ご本人も氣づかない心の奥底に、
「ルール」
を持っていた、と書きました。

「一度手放すと、わたしの人生には、二度とよいものはやってこない」

客観的に見て、これが事実かというと
そんなことはありえない。

もし、大切な家族や友達が
こんなふうに言ったとしたら、
みなさんも
「何言ってるの。そんなことないよ!大丈夫!」

と声を大にして言うことでしょう。

この「その人独自の人生ルール」を
コーチングでは「ビリーフ」
と呼んだりします。
信念。

このビリーフ。

人生で味わった強烈な体験、
小さいけれど、毎日毎日繰り返され続けた体験、

などによって、作られます。

五感を通して、身体レベルで染みついたそれは、
自分自身も氣づかない
深い無意識の底で働き続ける。

それはもう、頭(意識)が太刀打ちできるものではない。

意識と無意識の関係は、
まさに
海に浮かぶ氷山の
「てっぺんと水面下」
の関係そのものですから。
 (無意識がものすごく大!)

さて、この方。

「一度手放すと、わたしの人生には、よいものは二度とやってこない」

このビリーフが出来た過去の瞬間に遡ってみました。
すると、そこにいたのは、

学校から帰ると、
大切なあれもこれもない。
お母さん、どうして捨てたの!

悲しみ、怒る小さな自分でした。

よくある光景です。
片付けせず、親に強制執行される(笑)

大人になってしまえば
「そんなことか」なのですが、
その時のその方にとっては
大きなことだったのでしょう。

「大切なものは二度と帰ってこない」。

身体に嫌というほど刻み込んだ衝撃に従って
その方は、大切だ、と思うものを
大人になってからも
すべて「目に届くところ」に置き続けたのでした。

小さい頃は役立ったかもしれないけれど、
今はもう、必要のないビリーフ。
自分の足を引っ張るようになってしまったビリーフ。

誰でもが大なり小なり、
持っているものです。

どうする?

この方は、
書き換えました。
自分の人生を軽やかに前に進ませるものに。
 ↓

「全部持っていなくても大丈夫。
大事な物だけを持っていればそれで大丈夫!」

大人になった今。
日々を存分に楽しみ、
自分の「生み出す力、出会う力」を心から信じている、
この方らしい新しいビリーフです。

そして、前回の内容に続く。
(捨てられました!
 こんなに簡単でいいんですね!のご報告)

お一人お一人のセッション。
セミナー。

すべてを通していつも感じるのは、

「人が、本来の自分に還っていく」プロセスに
私は立ち会っている、
という感動です。

人が、
本来の自分が持つ豊かな力に、
自由自在につながる回路を開くプロセス。

望む人生を軽やかに生きる、
エネルギーを取り戻していく過程、
といいましょうか。

「堰を外す」
ことは、その過程で多くの人が
体験する大切なプロセスです。

次回は、「変化すること」において
もう一つ欠かせないことについて。

この記事を読んで
「言葉だけ変えればいいの?それでうまく行くの?」
と思った方。

そうなのですよね^^。

*    *    *

2月4日は立春です。

新年は1月1日からですが、
「日本人の流れは節分で切り替わります」
(by 知り合いのエネルギーワークの先生)

ということで、
この、よき日から、
この個人セッションの体験の募集をスタートします。
いろいろお読みいただき、興味をもっていただいた方は、
どうぞ、この機会に体験なさってください。

詳細は次回にご案内します。

「変化の一番の早道は『小さく静かに』」

 

 

 

「今年は300%動く」
と宣言。

そのために
まずはモノ、ことがら、すべて
…いらないものは手放す!

と決めたクライアントさんがいらっしゃり。

「まずは手始めに、モノからです!」

と。
多分、ご自分の座っている居間を見まわしつつ
おっしゃっているであろう氣配を
ヘッドセット越しに聞きつつ。

これまでも何度か挑戦した、
いわゆる「断捨離」。

捨てようとすると、なぜか行動が鈍る。
ムラムラと「反する心」がわいてくる。
「持っていなければ」と思う、のだそうです。

さて。
その「ムラムラ」の奥底を見てみると、
この方、
こんな無意識下の「ルール」を
持っていることがわかりました。
(専門用語では「ビリーフ」と呼んだりします。
信念、のことですね)

「一度手放すと、わたしの人生には、よいものは二度とやってこない」
「大切なものからは、目も手も絶対に離してはいけない」

その日のセッションが終わり、
翌日。

「一夜明けて、今の感じはいかがですか?」

と聞いてみました。
こんなお返事が。

「公子さん、
おはようございます。
早速、本棚と引き出しの中の服から、
少し捨ててみました。

好きな曲を流しながら、
1曲目で本。
2曲目で服。

曲の5分程度の時間内でパパッと決めて、
というのが私にはすごく合っていて楽でした。

結果、
単行本をメインとして15冊程度
服は10枚くらい捨てられました。

所要時間10分というのと、
『捨てたい』という感覚もあまり湧かないくらいの量なのが
今の私にちょうど良い、
とご機嫌でした。

今朝の気持ち、
という程、大きな変化を感じているわけではないけれど、

―こんなに簡単なことなの?
断捨離せねばー!
と小鼻を膨らませていたけれど、
この程度を繰り返していけば良いのなら、
大した事ないのかも。
…いけんじゃね?―

みたいな感じでしょうか。

昨夜のワーク。

あれだけで、私の中に根っこを張っている
「捨てたくない」気持ちに変化があるのか??
と思ったけれど。

確かに軽くなっている感じがします。
別人のようにはならないけれど、少し軽くなっている」

どかん、と変わりたい。
一氣に自分の人生をバラ色に変えたい。
わたしたちは往々にして、
そう望みます。
(わたしもそうです)
そして、変われない自分を責める。

けれど。
人の身体が変わるのは、
「思考(意識)」よりずっと遅いのです。
そういえば、

最近の人は
身体を待ってあげられない。

というような意味のことを、
内田樹さんがおっしゃっていましたっけ。

そして
人は身体が動くより早い速さのことをしてはいけない、
というのは、大地と生きて30年。
有機無農薬専業農家のうちの姉の口ぐせ。
(姉と内田樹さんを並べるのもおこがましいですが)

身体。
そして、身体と直結する「無意識」が
最も大切にするのは、
「変わらないこと」。

身体に備わった
「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」。
その役割は、
私たちの命を「安全に保つこと」。
身体にとって
変化=危険。

ですから、
急激な変化を嫌います。
全力で邪魔します。
急に変わろうとすると、それだけ抵抗も大きい。
ゆり戻しも大きい。
(急なダイエットのリバウンドしかり)

わたしの、その方への返信。

「それでいいと思います^^
小さな一歩。 
無意識が氣づかないくらいの。

―え?こんなもん?これでいいの?―
というくらいの小さな変化を
積み重ね
積み重ね
積み重ね… 

それがいつしか 氣づくと、 

―以前と違うところに立っていた―。
 
それが変化の最も早道です」

小さく
小さく
静かに
静かに

身体を(無意識を)だまくらかしながら
ホメオスタシスをだまくらかしながら

そして、いつしか、遥けき地平に立つ。

さあ。
あなたもどうぞ
まずは今日の「小さな一歩」から!

※追伸
この「小さな一歩」。
「ベイビーステップ」とかつて習いました。
「赤ちゃんのはじめの一歩」。
「熱が40度あってもできること」。

それくらい「小さな一歩」だそうですよ!

*    *    *

今日のクライアントさんが受けてらっしゃる
セッションはこちらです
   ↓   
◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
https://peraichi.com/landing_pages/view/thanks-minasama
 毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
 がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
 それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、注ぎたいところへ
 エネルギーを注ぐ準備を!

次回は、
この方の「ビリーフ」に
変化が起こったのはなぜ?
のお話を。

*    *    *

◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
https://peraichi.com/landing_pages/view/sekai
 今まさに、「旅立ちの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
 自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
 自分の人生の軸を明確にしたい方。
 自分の中に今ある方向性をさらに開花させ、前へ進むための後押しが欲しい方。

◆「コミュニケーションスキルアップ講座」◆

https://www.c-work-kagoshima.jp/kagoshima/eventc/2899
 ・2月20日(火)鹿児島商工会議所ビル 
 知識の習得と身体トレーニングの場。
 大学生・短大生・専修生・35歳未満の若年者・40歳代前半までのフリーターの方 
 ※在職中の方も参加可

「江戸時代まで、「からだ」というのは『死体』のことでした

 

 

 

江戸時代まで、「からだ」というのは「死体」のことでした。
では、生きている人の身体のことは何と言ったかというと

「身(み)」。

「この身ひとつでお供します!」
なんてセリフ、時代劇でありますね。
この場合の「身」というのは、身体のことだけを指すのではない。

「この人についていく」

という覚悟や思い。
そんなものも含まれている感じがしませんか?

かつて、わたしたちのご先祖様は
「からだ」と「こころ」を分けていませんでした。
分ける、という概念すらなかった。
それらは分けることのできない一つのもの、でした。

では
いつから分けるようになったのか?

「身体を鍛える」
「あとウエストを5センチ…」

の言い方のように
からだを「モノ」として切り離し、
減らしたり増やしたり、とってつけたり削ったりできるような…
そんな「対象として」見るようになったのでしょう?

わたしにもよくわからないんですが
一つ思い出す話が。

幕末♪
近代的な軍備の薩摩・長州に対して、
遅れた幕府側、というイメージがありますが
どうしてどうして。
幕府も実は、着々と近代化を進めていました。

「幕府歩兵隊」。

フランスの教えを受けて作った軍隊で、新式のシャスポー銃を備え
日本でもっとも進んだ軍隊のひとつでした。

で、
この歩兵隊、
フランス軍事顧問団のもと
「体操」を取り入れた。

整列して歩く。
それまでの「なんば歩き」から、
集団で、手足を交互に出す歩き方へ。
そして、身体能力を高めるための各種体操。
(はじめは、まったくなじめなくて
しっちゃかめっちゃかだったらしいです)

それまで日本には、
武道でも、演劇でも…およそ、身体活動において
「準備運動、体操」や「発声練習」といったものは
存在していなかったわけで。
(居合の先生と、それからお能出身の演劇の先生にきいた話)

とにかく
「二頭筋をもっと…」とか「腹筋を…」というこの
「バラバラに考える」感覚。
整列する、という「身体の、モノ化」。
これらは西洋文明とともに(そして戦のために)
日本に入ってきた、と。

そして、学校体育へまんべんなく広がり、はや150年。
今に至る。

さて。

世の中の事象を切り分け、
細分化し探求することで発展してきた科学や医学。

それらの恩恵を、感謝と共に十分に受けとりつつ
わたしたちは今、

「ひとつであること(全体性)」

について
再度とらえなおすときに来ている氣がします。

他の人との、コミュニケーション。
自分自身とのコミュニケーション。
自分の人生を愛して、
自分の本質を存分に世に表現するということ。

そのことと、自分自身のからだとのつながりは欠かせません。

からだはわたしたちの深い無意識とつながっています。
そこには、思考だけではたどりつけない
「真の答え」が眠っている。

全体性。
こころとからだ、すべてを含めた深いところでの一致感。
しっくり感。

そういったものが、
これからはわたしたちを「真の自分の生き方」へと
導いていくことでしょう。

☆彡  ☆彡  ☆彡

意識の奥にある広大な無意識の海に漂うわたしたちのリソース(資源)。
そこへ至る道しるべは
「頭(=知識・思考)」
ではなく
「身体の感覚(=感情)」

わたしたちは、自分が思うよりずっと身体(感覚・感情)に左右されています。
頭で「最高の方法だ、やろう」と思っても、身体(無意識)が納得しないとき、
なかなか実行できません。
    ↓
    ↓
    ↓
◆☆◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆☆◆

https://peraichi.com/landing_pages/view/sekai

◆☆◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆☆◆

https://peraichi.com/landing_pages/view/thanks-minasama

◆☆◆「コミュニケーションスキルアップ講座」◆☆◆
https://www.c-work-kagoshima.jp/kagoshima/eventc/2899
 知識の習得と身体トレーニングの場。
・大学生・短大生・専修生・35歳未満の若年者・40歳代前半までのフリーターの方 
・在職中の方も参加可
・2月20日(火)鹿児島商工会議所ビル 

【遊】という字の意味は「祖先の靈力を宿した旗を持って未知へ進む」

 

 

 

 

新年明けましておめでとうございます。

2018年もみなさまにとりまして素晴らしい年となりますように。

 

 

*    *    *     

 

 

とある本を読んでから、

毎年年末に「来年の自分を象徴する漢字」を一文字、決めることにしています。
今年はさらにたくさんの人と共鳴できたらいいなと思っていたので、

「結」

という字かなあ〜となんとなく思いつつ、
実際決めたのは元旦。
いざ、決める段になってどん!と浮かんできたのは

「遊」

でした。「へえ〜、面白い」と意外に思ったんですが。

そしてまあ、

呼応するかのようにこの日は「遊べ!」のメッセージがやって来る。
(ふとひいた「日本の神様カード」やら、いつも読むメルマガやら)

 

 

 

で、
氣になって【遊】の字源を調べてみました。
そうして出てきたのが表題の意味。

 

ユウの古代文字は「先祖の靈を宿した旗ざおを持つ人の姿」。

 

 

 

・靈力の宿った旗を押し立て、その力に守られながら未知の世界へ出て「ゆく」

(「ゆく」がしんにょうの意味)。
  ⇩
・旗に宿る神さまが氣ままにあちこちゆく。
  ⇩
・「あそぶ」

と意味が変化したそうで。
そもそも「遊んで」いるのは神さまだったというわけです。
(以上、白川静博士による)

 

(白川静博士直筆の「遊」の甲骨文字。旗ざおを持つ人に見えますか?)

 

なんとも壮大な字だったのだなあと思いつつ、

昔、教員になりたての頃、大枚はたいて買った本が

白川静「字統」「字訓」をだったことを懐かしく思い出しています。

 

 

 

 

【遊は絶対の自由とゆたかな創造の世界である。
それは神の世界に他ならない。
この神の世界にかかわるとき、
人も共に遊ぶことができた】 (白川静 「遊字論」)

 

 

 

 

神の世界、というのは「無心」ということかなあ、と思ったりもします。

子どもが夢中になって遊んでいるときの、澄み切った瞳。

何かを発見した!とばかりに振り返る瞬間の表情。

それらは確かに、

神さまと通信しているんだろうなとしか思えない美しさだったりするのです。

 

一つ事に集中する職人さんや、

それからスポーツ選手も時にとても美しい。

 

 

 

人にとって幸せというのは、

この瞬間をよりたくさん味わうことではないかと思えます。

自分の本質とつながり「自由に」「ゆたかな創造」をする瞬間を、

人生でどれだけ味わえるか。

 

 

 

 

まあ、なんだか難しくなりましたが
とにかく美しく、カッコいい言葉です。

「遊」。

「絶対の自由」「ゆたかな創造」というところがもう。

 

 

 

 

 

ということで、今年は【遊】。
祖父母、おじおば、それから父。
そこに連なるたくさんのご先祖さま。
日本人という「氏族」の靈力の宿った旗。
その力に守られて…何をするのか、未定ですが、

存分に【遊】を楽しもうと思います。

 

 

そして、守られているのは皆同じ。
だただ無心に楽しむ。
集中する。
今の自分を100%、存分に生きる時、

人は大きなものと、ただただつながっているのではないか、と思えます。

 

 

 

 

今年も、

響きあう人たちと一緒に「遊」のたくさんの場面を過ごせたら幸せです。

 

 

 

 

◆☆◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆☆◆
https://peraichi.com/landing_pages/view/sekai
 今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
 自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
 自分の人生の軸を明確にしたい方。
 自分の中に今ある方向性をさらに開花させ、前へ進む後押しが欲しい方。

 

 

◆☆◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆☆◆
https://peraichi.com/landing_pages/view/thanks-minasama
 新しい年のスタートアップに。
 毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
 がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
 それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、たくさんのエネルギーが戻ってきます。

 

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