人は繋がりがあれば生き生きとしていられるし、自分に対しても周りに対しても「無体なこと」はしないと思う

 

 

 

 

知人の実家のお墓は、お父様がたくさんの想いを込めて作ったお墓なのだそうで、
それは坂を登った小高い丘の上にあるんだそう。

 

で。
そのお父様が数年前に他界され、
きょうだいでこれからの家のこと、
お墓のことを話しあうこととなったこのお盆。

 

 

「お墓をしまって平地の納骨堂に」

 

 

という意見が出たのは、
お墓をこれから次に繋いでいく可能性の高い
きょうだいの一人から。

 

「お墓を見る負担を子どもたちに残したくないから」

 

と。

 

 

 

 

ああ、そうだなあ〜、
と思いつつ、
どうも一抹の寂しさを感じ、なんともいえない氣持ちを感じ。
で、口にしてみたのです。
(繊細な内容ですんで、どきどきしながら)

 

 

「それを即、『負担』と捉えるということが…。
なんと言いますか、
長い長い時代の流れってものがあったんですもんねえ。
そういう時間をわたしたちは過ごしてきた(来てしまった)んですねえ」

 

 

 

 

知人も、わたしと同じような感慨を抱いていたようで。
けれど、知人は家を出てしまっているので「負担」と言われると
確かに、と。
で、自身の思いをどう伝えよう…と。

 

 

 

 

もうね。
頭の中が飛躍してしまって、
縄文時代みたいに「お墓は集落の中心」にあったらいいのに、
なんて思いましたよ。

 

お墓を中心に家が周囲に立っている。
死は隔絶されたものではなく、軽く「地続き」な感覚。

 

 

 

話が飛びますが、
少し前の番組「ファミリーヒストリー」で、
草刈正雄が父方のルーツを探す、という回がありました。

自分のルーツの片方が完全にない、わからない、
断ち切られている、
繋がっていない、
という感覚は草刈さんにとって、
(いえ、誰にとってもでしょうが)
本当にきついことであったと想像するのです。

 

 

自分を捨てた父親への言葉にできない思いと、
それでも、叔母やいとこがいた、という喜び。
父親の幼少期や育った環境が明かされていく
=自身の「源流」が初めて明かされ、繋がっていくという
そのプロセスが映し出されていました。

 

 

 

 

 

人にはつながりが必要です。
横のつながり(今生きている人たちとのつながり)はもちろん、
縦のつながりも。
時を超えた、立体的なつながり。

 

 

わたしたちは、全方位、360度、繋がって生きている。
生きている人。今はここにいない人。
形あるもの、ないもの、全て。

 

遺伝子を受け継ぎ、
たくさんの人たちの「思い」「願い」をもらい、受け継ぎ、
今、わたしたちはここにいる。

 

 

 

そして、その「つながり」へ思いを致す力が強いほど、
「無体なこと」はしない。できないものなのです。

山なんて崩せない。
海も川も汚せない。
なんで大木を切るんや!
そこの緑をなんで潰すんや!
と。

 

 

そう考え出すと、もう、他にもたくさん…
大切なもの、大好きなものががありすぎて。
(形あるものはもちろん、知識や伝統風習含め)

そういう感覚で世界を見ると、
自分を生かしてくれている、
支えてくれている、
エネルギーをくれる、
「宝」に囲まれまくって自分が生きていることに氣づきます。

 

そしてこう思う。

この繋がりの先端で今という時代を生きている自分自身も、
すごく大切なんだ、と。
存分に生きよう、と。

 

 

 

 

話が大きくなりましたが、
お墓って、そういうものの一つではないかな、
とわたし自身は思います。
自分自身の確認の場。
つながりを確かめ、実感する場だったりありがとう、と感じる場。

 

 

 

 

そして、子どもたちって「負担」と思うかな?

思う子もいるだろうし、

思わない子もいるんじゃないかな、

とも思うのです。

特に、これからの世代。

(親が「負担だ」と決めなくてもですね)

 

 

 

 

さて、
わたしたちは、これからどこへ行こうとしているのか。

 

 

 

今回の「お墓について」なんですが、正直、
「教育、間違ったんじゃないの⁉︎」
と思いました。

 

 

知人のお家がどうこう、と言っているのではなく。
長い長い間の「日本人」全体のことです。
この160年だか、戦後80年だかのことです。
大きな、この国の「流れ」のことです。

 

 

 

一体わたしたちは、何を捨ててきたのか。
何を受け取ってきたのか。

そして、次代に何を手渡そうとしているんでしょう、と改めて考えたこのお盆です。

 

(写真は先ほど行ってきた神社の大木です。苔がいい感じでした)

 

 

「なぜコンビニの前に座っていてはいけないのか」を子どもになんと説明するか

 

 

 

 

 

 

つい最近、(誰かの記事だったか、動画だったかで)見たのですよね。

 

コンビニ前や駅の構内で、
地面にペタッと座って飲食している子達がいたとして、

「草っぱらなんかでもじかに座る。どうしてここだといけないの?」

と問われたら、なんと答えるか、と。

 

 

で、その記事だったか、動画だったか…に、こういうコメントが。

「コンビニや駅の構内だと、
公衆トイレなどに行って、みんなそのまま歩いているから汚い。
なのでダメ、と子どもには教えています」

 

 

 

本当にその通り。
けれどでは、そこがもし、ピカピカの床で、
絶対に菌やウイルスの入り込む余地のない場所だったら
座ってもいい、

ということになるのかしらん、と。

 

 

 

 

で、わたしの率直な感想は、

「理由が…いるか?」

でした。

 

 

 

 

なんというか。

「理論」。「理屈」。
よく言われる「エビデンスは何ですか?」的な。
それがないものは存在の余地なし、みたいな昨今。

 

 

そんなものは全然「通って」いなくとも、

 

「とにかく良くないの」
「それは美しくないの」

 

という精神はもはや通用しないのかしら、と。
(お天道様が見ているから、的なですね)

 

 

 

 

 

 

 

知人が「今、仏教と神道の本を読んでいます」
と。

 

 

「自分たちはどうも、以前であればあれば自然と
『もらって』(受け継いで)
きたものを上の世代からもらえていないんじゃないか、という感覚があり」

 

 

 

 

ということなんだそうで。
(わたしから見ますと、その方、全くもって、そうは思わないんですけどね)

 

 

 

で、
ご自身の子どもに何を手渡すのか、にあたって、

 

「では、自分で再度見つけるしかないか」

 

と。

 

もらえていない、受け継いでいない、どこかで断絶している、のならば、
自分で知り、取捨選択をし、
自分で再編し直さねばならない、

 

 

 

 

と思ったのだそう。

そのためには知識が必要。

 

 

 

「根っこ」を知ることが。
揺るがぬ「根っこ」。
「真善美の根っこ」を知り直す必要がある、出逢い直す必要がある。

 

 

 

それはなんだろう??
と考え、「仏教」「神道」というものにも触れてみよう、
と思ったんだそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでも何度か書いていますが。

「根っこ」を知らないもの、
根っこと繋がっていないもの、は弱いですね。
(基本・土台・型がないものは、とも言える)

 

 

 

とうとうと流れる時の中で、
自然と形作られてきた「道理」を無視して作ったものは、
どんなに「いい方法だ」と思った仕組みや考え方でも、
数年経つと、目まぐるしく変わる時の中で、
瞬く間に「合わないもの」「使えないもの」になっている感じがします。
(「時代の徒花」で笑いで済めばいいんですけど)

 

 

 

 

 

わたし達は今、大きな渦の中で、
何を信じていいかわからない。
何を支柱として生きていいかわからない。
だから、

 

 

「(有名な)この人が言っている」
「これが流行っている」
「みんながこうしている」
「『成功』している人がこうやっている」

 

 

を追いかけ、
追い求め、
右往左往している。

(この状態、「精神的孤児」という言葉で、以前書きましたが)

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、わたしたちが、
「正しい」「これが当たり前」「ずっとこうしてきた」
と思っていることも、歴史を辿れば、
戦後ほんの80年でできた「常識」であったり、
わずか160年前には全く違っていた、ということも多々あるわけで。

 

 

 

 

 

先に書いた知人が、
「わたしたち日本人を形作ってきたもの」
(自然、風土に自然と育まれてきた文化、価値観、身体観)

 

 

の源流を求めて仏教と神道の本も読んでみよう、と思った(切なる)氣持ち
わかるなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

彼は、感じたのだろうと。
わたしたちが「こうだ」と思い込んできたことは、
案外「そうじゃないものもある」ということに。
ぐらり、足元が揺れ。

 

 

 

 

そして彼はきっと思ったのです。
自分の子どもたちを「孤児」にしたくないと。
デラシネ(根無し草)にしたくない。

 

 

 

 

たとえ世の中がどんなに渦巻いていたとしても、
自分の足で立って。

 

 

他者の作った真実ではない、自分の真実を。
「自分にとっての真の幸せ」を、
(それは自身の心にも身体にも至極自然で心地よく、なおかつ、
世界と自然に調和したものだと思うのですが)

 

 

生きる人になってほしいと思ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

決して色褪せない「根っこ」を。美しさを。
幸せに生き抜く力を、

 

子どもたちの身のうちにすっくと、しなやかに
立ち上げてあげたかったのかなと思います。
(本当に、何よりの宝だと思うんですよね)

 

 

 

 

 

 

※写真は、わたしの部屋の紫陽花です。愛おしきかな😍

 

 

 

 

「どうする家康」。時代考証グッジョブ!(ナンバ走りに萌えた夜)

 

 

 

 

 

 

昨日の「どうする家康」。

女の子(阿月ちゃん)爆走の回。

 

 

 

時代もので走る場面で、100M走の走り(現代の走り方)で
思いっきり全力疾走するのがいつも違和感だったのですが、
昨日はちゃんと「ナンバ走り」でした♪

 

(手を身体の横で上げ下げして、変な走り方だなあと思った人も多いのでは。

ちなみにあれが本当にそのまんま、当時の通りなのか、

もちろんわたしにはわからないのですが)

 

 

 

 

 

 

以前、この「ナンバ走り指導」の方の動画を見て
「ナンバ走り」を習得しようとしたことがあるんですが、なかなか難しくて。
(ナンバの動きを日々の動きに取り入れられると身体が楽で効率的、と聞き)

 

 

 

 

 

 

 

 

(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=G29X8CBlzBs

 

 

 

 

昨日、確かにこの走りでしたよね。

 

 

 

 

子どもたちも、役者さんも頑張ってたなあと。
(こういう細かい考証が地味に嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

「日本に「西洋の動き」(運動・体育)が入ってきたのは、
幕末。
幕府によるフランス軍事顧問団の招聘による。

 

 

 

 

明治以前、日本人には
身体と心を分けるという概念がなかった。
(「カラダ」は死体のことで、
生きているこの身体は「み(身)」と言った。

 

 

 

それから約160年。
生活様式の変化とともに、わたしたち日本人は
「日本人の伝統的身体」「身体技術」
というべきものを忘れ去りつつある。

 

 

そして、
身体は「もの」として扱われ、
「ここを5センチ細く」
と…
自分の身体をモノとして
(商品のように)
「評価する」ようになった。

 

 

 

 

身体と心、精神はつながっている。
身体技術が受け継がれないと、
精神も受け継がれない。
(それを「感じたことがない」「感じられない」わけなので、本質は伝わらない)

 

 

160センチに満たない身体で
40キロのセメント袋(当時は重かった!今は25キロらしい)
を担いで軽々と山道を登っていた父の
腰肚を要とした使い方、腰の座り具合、力の出し方。
足のひかがみ(膝裏)の使い方等々…

弟には受け継がれていない。
(もちろんわたしにも)

 

 

 

 

 

日本人はどこへいくのか?」

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

昨年春のわたしのセミナー
「日本人の身体と精神と言葉の話
ーわたしたちはどこへ行こうとしているのか?ー」

 

からちょっと抜粋してみました。

 

 

 

 

 

 

最近思い始めた『20年後』にどんな姿で立っていたいか(同年の方々、どうですか?)

 

 

 

 

 

伝統料理を発掘、継承している人たちの活動を取材した番組があったのです。
その土地の女性たち(80代,70代)を中心に、料理をする様子が出ていたんですが、
それを見ていて、

 

 

「80代と70代って…こんなに違うのか」

 

 

とびっくりしたんでした。
何が違うかと言いますと、立ち振る舞いやコメントが、

 

 

 

「テレビ向け」

 

 

 

かどうか、という一点で。

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組に出ていた70代の方のコメントや振る舞いは、
完全に「テレビでよく見るやつ」。

 

 

例えば…
「◯◯(食材の名前)の声をよーく聞くんですよ〜」とか、
「子育てもそうでしょう〜?」などなど。

(確かにそうなんでしょうけど、どうも、その人が「いつも使っている」言葉には聞こえず。

それに食材の声を聞くって、もはや使い古された表現にも感じるのですよね)

 

 

 

 

食材を混ぜるレポーターに、甲高い声で
「そうそう〜♪上手上手〜♪」と言いながら5本の指をぱあっと広げて、満面の笑みで、
顔の前でパチパチと手を叩く仕草。

 

若い女の子のタレントさんがよくやるのを見ますけど。
(何というか…ちょっとそぐわなく感じたのですよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、70代80代というのは
人生の年輪を重ねた、尊敬すべき「人生の先輩」であり、

酸いも甘いも噛み分けた、なんというか…
しっかりと軸を持って、大地に根を張った大木のような、
というイメージがあり。
(イメージというより願望、期待、願い?)

 

 

 

で、
はたと氣づいてしまったのでした。

 

「そうだよなあ…70代といえば、もはや『テレビの洗礼』真っ盛りの中で育っているわけだもんなあ」

 

と。

 

 

 

 

何がいいか。
何がかっこいいということか。
何が受け入れられるか。
どうあるのが幸せか。

 

物心ついた頃から、それは全部、「テレビが決めてきた世代」の走り。

 

 

 

 

 

 

 

その後、この会を立ち上げた
80代の女性のインタビューがあったのですが、
こちらはもう…低めの声でゆっくりと静かに話されるその感じに、
「自分の芯」から話をされる感じを受け。

きっと、テレビであろうが、誰であろうが、
この佇まいで、この声で、この言葉なんだろうなあと。
(枝振りの良い古木のようなかっこよさを感じたことでした)

 

 

 

 

 

 

 

 

たった10年のことで、
こんなにも違ってくるのか??

 

と。
日本という国の何か、歩んできた道の縮図を見てしまったような氣になったんですが。

 

 

 

 

 

さて。
70代と80代では…と書きましたが、
80代だからいい、90代だからすごい、ということではなく、
若いとダメ、ということでもなく。
多分に「個人差」だよなあと思いつつ。

 

 

 

それでも、ちょっとびっくりしてしまったので書いてみました。
(それに、言葉や所作に関して、わたし自身の「好み」が大いに入っているので悪しからず、なんですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、
わたしがこの場面を見た瞬間、浮かんできた言葉を真正直に書きますと、

 

「ああ、70代もダメだなこりゃ〜」。

 

(誠に誤解を招きそうな言葉です。

「先達だと思ってたのに!」「頼れる先輩だと思ってたのに!」「自分たちと一緒かよ〜」

というショックが言わせた言葉ということで、大目に見てください。
くれぐれも世代ではなく、個人差ですし。わたしの「好み」の話ですし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

最近、「これからどんなふうに歳を重ねていくか」。
もみじが紅葉するように、身体も心も、さらに成熟していったその先に。

 

 

 

自分は、どんな姿で立ち続けるか。
立ち続けていられるか。
立ち続けていたいのか。

 

ということを、たまにですが考えるようになりました。

 

若い時にはただ、そこにあるだけで美しい。
溢れる生氣。
細胞から放っておいても発するみずみずしいエネルギー。
若いときは、誰だってそこにいるだけで、目を引く魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

けれど。
これからますます「ごまかしのきかない」年代に入っていくなあ、と思います。

 

花が落ち、
深い深紅の紅葉のその後、

木の幹、枝…それらがただ厳然と、そこにある。

なんの飾りもなく、否応なしに晒されるとき。

 

そんな時、自分はどんな太さの幹を持ち、どんな枝ぶりでそこに立っているのだろうか。
過ごした時間が作り出した根の形が、幹が、枝ぶりが、
願わくばしっかりと自分の魅力になるような…

 

 

 

 

 

そんな時間を過ごしたいし、そういう姿でありたい、
(し、次の世代の前にそういう姿で立っていたい)
と思うのですれけどね。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

※これはどこの桜でしたか。
ちょっとすごすぎる例を貼ってしまいました。

 

 

オリンピック柔道。日本の天野審判が美しい

 

 

 

 

 

オリンピックで柔道を見ていると、解説者がこぞって褒めるのが、

日本の「天野審判」。

 

 

「天野審判は容赦ないですからね」

「これが審判としてあるべき姿なんです」

「天野審判は公正にやってくれます」

(他の審判もそうだろう、と思いつつ、そう言わしめる「何か」

があるんだろうなあと思ったり)

 

 

 

 

そんなに褒められたら気になります、

ということで調べてみました天野審判。

 

 

*  *  *

 

天野安喜子(あまのあきこ)さん

東京都江戸川区出身

国際審判員であると同時に、江戸時代からの花火のかけ声「かぎや~」で知られる

老舗「宗家(そうけ)花火鍵屋」15代目でもある。

 

*  *  *

 

 

 

な、なにそれ〜!

かっこいい(目は完全ハート)

 

 

以下「広報えどがわ」から。

http://topics.smt.docomo.ne.jp/…/mykoho…

 

*  *  *

 

”令和の巌流島”と報じられ、

すでに伝説と化しつつあるこの試合を裁いた主審こそ、

区内に事務所を置く宗家花火鍵屋の15代目にして柔道審判員、

 

また、東小松川の道場で少年少女に柔の道を伝える

柔道指導者でもある天野安喜子さんです。

 

 

 

「試合後、勝った阿部選手と敗れた丸山選手の双方が

正しい礼法の下に畳を降りたのを見届けた瞬間、

『柔道をやっていて本当に良かった。

この勝負に間近に立ち会えて本当に良かった』

と感動したことをよく覚えています」

 

 

 

世紀の決着の瞬間をそう振り返る天野さん。

 

しかし、本当に心から肩の荷が下りたと感じた瞬間は

さらにもう少し後。

「試合後の記者会見で、敗れた丸山選手が

『まだ柔道人生は終わっていない』『もっと精進する』

と宣言したことを知ったとき」

だったと言います。

 

 

 

「数年間にわたってひたすら目指し続けてきた

五輪への切符を逃したという事実。

 

それが敗れた丸山選手にとってどれほど辛いことだったか。

それでも負けを受け止め、次の目標に向かって進むと

彼は言ってくれた。

 

近年、特に私が心掛けている”勝者も敗者も悔いが残らない、

選手のための裁き”が報われた瞬間でした」

 

(中略)

 

審判員としての道を歩み始めた当初から、

天野さんには明確な理想の審判員像がありました。

それは、

 

 

「選手たちが

『天野は怖いくらい公平な審判で、アピールも小細工も通じない。

ただ組み合う相手のことだけを考えよう』と集中できるような審判」。

 

 

 

五輪に限らず、

世界柔道選手権大会などの重要な国際大会を裁く審判員は、

それまでの裁きぶりが評価されて招集を受けた、

各国よりすぐりの面々です。

 

しかし大会が始まっても、全審判員の仕事は予選から逐一、

レフリーコミッショナー(審判委員)らによって評価をされ続けます。

 

 

 

それは、メダルを懸けた試合となるファイナルラウンドの主審を誰に任せるかを決めるため。

国際大会の緒戦は選手たちにとってはもちろん、

審判員にとっても決勝主審という晴れ舞台を目指して技量を競う、勝負の場なのです。

 

 

 

「あの”令和の巌流島”は国内の試合とはいえ、五輪決勝並みかそれ以上の注目の一戦でした。

 

あのタイミングで審判を引き受けることには、実は私なりにさまざまな葛藤があったのですが、

それでも打診があったその場で引き受けると即答できたのは、

 

『この世紀の一戦を他の人が裁くことになったら、とても私は素直な気持ちで観戦できない。後悔はしたくない』

 

という負けん気のような思いが頭をよぎったからです」

 

 

 

時には危険と隣り合わせの花火師の日常を送る傍ら、審判員という顔でもまた、

天野さんが勝負の世界を生き続けていることが痛感される言葉ではないでしょうか。

(終わり)

 

 

*  *  *

 

「勝者も敗者も悔いが残らない、選手のための裁き」

 

 

見極める。

判断する。

告げる。

 

 

選手の「すべて」をかけた一試合一試合を審判するということは、

自分もまた、全てをかけ、自分自身の信じる「軸」と、全身全霊をかけた覚悟が必要で、

その姿があんなにも美しいのか。

 

 

と。

「天野審判LOVE」で軽い気持ちで調べてみて、

結果、とてもさまざまなことを学んでしまっています。

 

 

 

 

 

 

 

神様がいっぱいー大相撲無観客試合の力士に思うこと

 

 

 

 

 

風邪をひいてしまい、ただでさえ頻度のゆるい更新が空いてしまいました。

やっと復活です。

 

 

 

 

*   *   *

 

 

 

 

いいご挨拶でした。

初めての「無観客場所」。

大相撲春場所の「ご挨拶」。

 

 

 

『古来から、力士の四股は

邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。

また、横綱の土俵入りは

五穀豊穣と世の中の平和を祈願するために行われてきました。

 

 

 

力士の身体は健康な身体の象徴とも言われています。

 

 

 

 

 

床山が髪を結い、呼び出しが柝(き)をうち、行事が土俵をさばき、

そして力士が四股を踏む。

 

この一連の所作が、大地を鎮め、

邪悪なものを抑え込むものだと信じられてきました。

 

 

 

 

こういった大相撲の持つ力が、

日本はもちろん世界中の方々に勇氣や感動を与え、

世の中に平安を呼び戻すことができるよう、

一丸となり15日間全力で努力する所存でございます』

 

 

 

 

 

 

相撲の神様は『野見宿禰(のみのすくね)』だそうです。

 

神宿る肉体がたくさん。

 

 

 

 

こ、神々しい。

 

 

 

 

 

力士の皆さん。

がんがん四股、踏んじゃってください!

 

 

 

 

 

腰から動く男たち(はかっこいい)

 

 

 

 

 

エアコンの取り付け作業がものすごく面白くて、

邪魔かも、と思いつつ横で「ガン見」していました。

 

なんというか…かっこいいんですよね。

なんでも、無駄のない流れるような動きは「美しい」。

特にこの、腰に巻いたベルトにつけたバッグから、

瞬時に工具を取り出すところなんかもう…♪

 

 

 

腰回り、ほぼ360度に大から小から…

いろんな工具を入れたバッグを下げてらっしゃるんですが、

 

さっと伸ばした手が、寸分違わず目指す工具にたどり着く。

背中側のだってもちろん同じ。

今に、手にした工具を「くるっ」と一回回してから

使っちゃうんじゃないか、と思うくらいかっこいい。

 

 

 

 

「いいなあ~。いいなあ~。

わたし、腰にそういうのを下げる仕事をしたかったんですよね。

庭師さんとか大工さんとか」

 

 

「そうなんですか?(笑)」

と工事の方。

(映画村で大道具を作る人とか、

というのは恥ずかしかったので黙しておきました)

 

 

 

 

さて。

必然的に、この結構な重さの「腰のベルト」を中心に、

動くことになる、この方の動きは、

しっかりと腰が座っています。

なので無駄がない。

(腰を要として全ての動きが波紋のように出てくるので、

バタバタ感がない。無駄がない。

小さな動きで最大の効果、という感じでしょうか)

 

 

バイトでついてきている学生さんの

「ひょこんひょこん」

としたアップダウンの多いパタパタした動きとは違う。

 

 

 

 

 

「この仕事を始めた頃はもう、腰が痛くて痛くて…。

ベルトは重いし。

下手な動きをすると、腰をやってしまうんですよね。

今はどれだけ重くても大丈夫ですけど」(職人さん)

 

 

 

 

 

 

腰を落とした際の動きもかっこよくて、

以前テレビで見た、

 

 

「古武道の股関節の動きを使って疲れない移動をする」

 

 

動き方に似ている。

(武士がさささ、とにじり寄ってくる動きみたい)

 

 

狭い室内での限られたスペースでの作業も多いでしょうから、

自然と「一番合理的な」動きを会得されたんだろうなあと。

 

室内に大荷物を広げまくることもなく、

最小限のスペースで着々と進む作業の手際も面白くて、

ずっと見ていました。

 

 

 

 

 

さて。

何をするにしても、

動きが汚いのは「アウト」だなあと思います。

(自戒を込めつつ)

動きの美しさと、仕事の質、仕事のセンスは直結している。

美しい、というのは、

 

 

身体の理にかなっている。

作業の理にかなっている。

場の理にかなっている。

 

 

という感じでしょうか。

 

それは、同時に、

その人の中の、

きちっと系統立てられ、整理された段取りや、思考をも表している。

 

 

 

 

 

幸田露伴と娘の文(あや)。

露伴が14歳の文(あや)に仕込んだのは、何よりまず

「掃除の仕方」でした。

はたきの使い方、雑巾の使い方、バケツに水をどう汲むか…

つまりは「身体の使い方」。

 

 

 

「水の扱えない者は料理も経師も絵も花も茶もいいことは何もできないのだ」

  (BY 露伴)

 

 

 

かつては、日本人誰もが、普通に生活のあらゆる場面を通して

身体に『型』という知恵を刻み込む、

(授けてもらう)

機会を持っていた、と思います。

 

例えば、まっすぐ座る。

背筋を伸ばして箸や茶碗を持つ。

それも「型」。

 

 

それらは「生活の中で使う型」ではあるんですが、

実はそこを遥かに超えて、

考え方の土台、精神の土台となって

人生の様々な場面で応用、活用できる大切なものだったような氣がします。

 

 

 

 

そして今、私たちの型がだいぶ廃れている

ということも事実なのです。

型が崩れている、ということは、

「型によって得ていた大切なもの」

も崩れている、ということなのです。

 

 

 

 

腰はら文化の話を書こうと思っていたんですが、

型の話になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「洋服を着始めてたかだか150年~日本人よ、どこへ行く」

 

オリンピックの開会式。
毎回とても楽しみに見る派、です。
お国柄、その国ならではの演出をみるのが楽しみで。

選手入場がはじまり
50番目くらいまでは衣装、それから各国の選手の表情や歩き方に
「わ~」「きゃ~」「あの色がいい」
「この衣装いいね」「このノリはさすがこの国」
などなど盛り上がり。
南米大陸はじめてのオリンピック。
あまり見ることのないブラジルの歴史、文化。
それから各国の工夫を凝らした装いを見るのは楽しくて。
それからしばらく…さすがに少し飽きてきて、「日本選手団まだかな…」
となり、
そして待ちに待った104番目。
「JAPAN!」。

まあ、なんてステキに…カッコ悪いの(笑)。
赤い上着も白のパンツも…なんだか「着られて」いるみたい。
いつもは日本人の中に自分自身が埋没しているので気づきませんが
204ヶ国(でしたっけ?)比べるものがあると、まあ「野暮ったさ」が目立ちます。
卑下でもなんでもなく、素直にふっと浮かんだ感想は

「洋服を着はじめてたかだか150年だもんな…まあ、こんなもんか」

骨盤が直立している日本人。
すり足民族の日本人。
それは湿潤温暖のやわらかい大地を歩くために育まれた歩き方であり
体形である、と読んだことがあります。
硬い石畳を数百年、膝裏をピンと伸ばし、かかとで「カッカッ…」と闊歩してきた
民族とは違う。
なんて…なんて安定のカッコ悪さ。
黒人のようにスイングする骨盤でもない。
日本人は生真面目なのです。骨格からして!

西洋文化の国々の颯爽とした動き。
ステップを踏むような優雅な足運び。
見ているとやはり「洋服を着用してきた歴史の長さ」を感じます。
民族の血にしみ込んだ長い歴史と伝統、という感じでしょうか。
その他、民族衣装をまとった国も多かったですね。
どの国も美しかった。
民族衣装は、その国の人たちを最も美しく、誇り高く見せるもの、
とそんな風にあらためて実感でした。

では日本人は?
今、民族衣装である着物を着たとして、その身のこなし、腰つき…
美しく、堂々と、かっこよく着こなせる人がいったい何人いるでしょう。
きっと今度は「アヒルがよちよちと前傾姿勢で歩いているかのような」
(毎年成人式のときに振袖集団を見て感じる残念なかんじ)
になるのでは、と危惧。

 

日本人よ、どこへ行く。

どちらにも近づけない「中途半端な身体」。
腰と肚の文化を捨て、先祖が培ってきた身体に刻まれた知恵と「あり方」を捨て
今の中途半端な身体を生んだ教育。生活様式。価値観。
身体の状態と精神の状態はイコールですから
そんなところに
日本人がこの戦後70年にわたって今の状況に陥ってしまった
「精神的孤児」の様相を感じるのはわたしだけでしょうか。

でも
全くもって悲観しているわけではなく。
なんとなく感じるのですが
振れた振り子はまた戻る。
戻りながら中庸へと。
「大切なもの」とのつながりを
取り戻そうとしている流れが波となって今ちゃんと来ている、と思えるのです。

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「ベルサイユのばらはミュージカル界の歌舞伎~古典の力。型の力」

 

一か月ほど前フェイスブックに
「1970年代の宝塚のベルサイユのばらを見たらそのセリフの格調の高さに驚いた」

というような感想をちょこっと書いたのですが
もうひとつ、感じたことがあります。
それは、一言でいうと

 

「歌舞伎みたい」。

 

リアルタイムで見ていた小さな頃はそんなこと、思ったこともなかったんですが。

 

 

 

 

 

 

 

ロココ全盛期。18世紀フランスが舞台。

ドレス、金モール、ブロンド、くるくる巻き毛の

「超洋物」の世界であるにも関わらず
とても「歌舞伎っぽい」。

(いえいえ、そんなに歌舞伎に詳しいわけではないですが)

 

間合い、視線の決め方、所作、ポーズの決め方、などなど…。

「はっ」と驚くのに、片足大きく下がって上半身をくっとのけぞらせて

大きく目を見開く、なんて
あれは完全に「見得」だなあと。

 

 

そして
小さい頃は「きれいだな」「かっこいいな」と

ただ見惚れていましたが、

この「かっこよさ」が

 

「ベルサイユのばら」

 

という作品のために
それこそ血のにじむ思いで生み出された「新しい形」であったことを知ったのはつい最近。

以下
NHK出版「プロジェクトX 挑戦者たち~ベルサイユのばら 愛の逆転劇」より。

1960年代~70年代。
宝塚歌劇団「冬の時代」の起死回生の作品として

上演が決まった「ベルサイユのばら」。

が、上演が決まった直後から、劇団に大量の手紙が届き始めた。
それは原作マンガの熱狂的なファンたちからのもので

「キャラは八頭身。日本人ではありえない。やめろ」
「生身の人間が演じるとイメージが壊れる」

 

 

中にはカミソリ入りの脅迫状もあるほど、

猛抗議の手紙が送り続けられた。

当時「ベルサイユのばら」の人気は圧倒的。
宝塚ファンのみならず、

何百万という原作ファンに注目されている。

 

イメージ通りの舞台を作らなければ大変なことになる、

と戦々恐々とする一同。

練習開始。

けれどとまどう生徒たち。

できる限り原作のイメージに忠実に演技しようと思うのだけど、

原作はマンガ。

「決めの場面」の姿はわかっても、

コマとコマをつなぐ「間の動き」がわからない。
結果、どたばたとした所作の連続に。

 

 

 

 

…今は漫画やアニメが普通にミュージカルになる時代ですから
感覚的に、何の無理も不思議もなく、

役者さんたちも演じているのでしょうが
(何せ生まれた時から周りにそういう世界があるわけですから)

40年前は本当に、こんなところまですべてが「一から」だったんですね。
大変…。
いわば、宝塚のベルばらは「2.5次元ミュージカルの元祖」?

さて、話を戻して
それを救ったのがこの方。

 

 

 

 

 

長谷川一夫。

 

 

稀代の名優、二枚目スターといわれる方なのは知っていましたが
歌舞伎の女形出身なのだそう。
そして当時、宝塚に演出として招かれていた。

「客の心を動かすには、技がなければダメです」 by長谷川一夫

そして。

歌舞伎と銀幕で培った技のすべてを使っての演技指導がはじまります。

 

このあたり、小さいころに見ていて、

とてもかっこよくて美しくて…
今でもしっかりと覚えている(真似までできる)
一枚の絵のような美しいあの名場面、この名場面が
歌舞伎の技からきていたものだったなんで!

とおおいに納得するのですが。(詳しく知りたい方は本をご覧ください)

印象に残ったこと思ったことを一つ。

主役、オスカル。

原作ではその瞳に星が飛んでいる。少女漫画ですから。

 

「あの瞳の星を舞台の上で飛ばしなさい」

 

と言われ、呆然とする榛名さん。(初代オスカル役の方です)

 

けれど…

初日に、彼女はちゃんと舞台上で目に星を飛ばすことに成功するのです。
客席からは

 

「光ってる」「ひゃー」「キャー」

 

の叫び声。

「目線を、二階席の手すりから一階席まで落とせ。そして『い‐二三番』の席を見なさい」

これが、長谷川さんの指示。
ピンスポットが絶妙に目に当たり、乱反射する角度までを計算しつくした演出。
…これは300本以上の映画を通して照明の当たり方を研究し尽くした、

長谷川さんならではの技だったそう。

初日、舞台は大成功。
この日を境に脅迫状はピタリ、止まった。

かくて。
少女漫画。しかも、18世紀フランスの王宮が舞台。

夢のように華やかできらびやかで豪華なこの世界観を、

見事日本人によって演じきり、

 

「宝塚100年の名作」

 

にまで作り上げた「ベルサイユのばら」。

その根底には、歌舞伎や歌舞伎に端を発した、

日本の商業演劇の伝統的なテクニックが大いにあったのでした。
というお話。

今となっては「普通」、で「定番」ですが、
その土台となっているのは、長谷川一夫の心身にしみ込んだ
ほかならぬ

 

「日本の美意識」

 

であり鉄壁の「型」だった、ということ。

 

そして、
当時「こんなに美しい西洋の世界♪」と思って憧れ、マネしていた世界を通して、
結局しっかりと「にっぽんの型」

が自分の身に染み込んでいた、ということに、

不思議ながらもうれしくありがたく、そして妙に
「帳尻のあった」感覚を今、抱いています。

この頃の 「ベルサイユのばら」を見ていた方、いらっしゃいましたら…
どのオスカルが好きでした?
そのアンドレが好きでした?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「的の向こうにあるものは」

可愛くて、使う当てもないのについ買ってしまいました。
「握り皮」というのだそう。
弓の握り手の部分に巻く皮です。鹿の皮。
場所は「全国高等学校弓道選抜大会」会場。
観戦に行ったのです。
初めてのことで、見るもの聞くものすべてが珍しい。

これは弦巻という名前。弓の弦をまいて持ち運ぶ道具。
弓道の道具は色鮮やかで美しいものが多いんですね。
そして、今は矢もこんなにカラフル。競技をする女の子たちに人気なのだそう。

これは「くすね」。「薬を練る」と書くそうです。
「手ぐすね引いて待つ」という言葉の語源になっている、弓道グッズです。
他にも「矢継ぎ早に」「二の矢を継ぐ」などなど…
弓道の所作から今に使う慣用句は多くあるとか。

 

…と、
道具にも心ときめかせ、大興奮だったのですが
もっとも心ひかれたものはもちろん「矢を射る」という行為そのものでした。

十五間。
27メートル先の的に向かって矢を放ちます。
見るからに遠い。とても遠い。
1チーム3人で的に当たった矢の数を競います。
一人四本。

水を打ったような静けさの中、それぞれが自分の「仕事」を成して行きます。
所作にのっとり、静かに弓をとり、つがえ、そして放つ。
衆人環視の中、それは行われます。
ここで行われているのは確かに「数を競うスポーツ」なのですが
真に行われているのは、「自分との闘い(対話)」です。
こんなにもそれがあきらかに「むき出し」になるこの弓道という競技に
胸が痛いような緊張を感じます。

「よし!」
会場が湧くのは、矢が的にあたった瞬間のみ。
的に当たった「パシッ!」という音が心地よい。
逆にはずれたときの「パスん…」という音は何ともさびしく。

射場は板の間なのですが
ここに立つ者は、選手はもちろん、監督さん、係…すべてが「すり足」で移動します。
姿勢を正し、定められた位置に弓を持ち、すっすっ…と歩く。
張り巡らされた幔幕の上からのぞく、次の出番を待つ選手たちの弓の林は
なんだかまるで、古戦場を覗いているよう。

この日観戦をご一緒くださったのは
東京代表として生徒さんをこの大会に率いていらした知人の監督さん。

「静かでしょう?矢が当たってもはずれても…勝っても負けても表情に出すこともなく、
最後までやるべきことをして、そして一礼をして静かに退場する。
ガッツポーズなどとんでもない。第一、あれは相手に失礼です」

とその方。
もちろん、彼女たちも場外に出ると、陰に隠れて泣くのだそう。
嬉しい、悲しい、悔しい…。
目の前の、きりりと鉢巻をしめ、的を見据える姿からは想像もできませんが。
立つ。歩く。背筋を伸ばす。礼をする。
全てがすがすがしく、清らかです。
自らの体を律し、心を律することのできる「型」を備えた人間のたたずまいは本当に美しい。

「的の先にあるものは」。
ふと、そう思いました。
あの的の先にあるものはいったいなんだろう?
自分の日頃の修練、そして自らの心の状態までが

「ただ一筋の矢」

に集約されるごまかしのきかない瞬間を何度も何度も体験する若者たち。
彼らはきっと
かけがえのない「もの」をたくさん心と体に蓄えて卒業していくんだろうな、と思いました。
もちろん、どのスポーツもそうであり、
そのためにこそ子どもがスポーツをする意味はあると思うのですが。

言葉として知らない概念を、心も体も行うことはできない、と聞いたことがあります。
例えば

「腹を据える」。

「落ち着く」と、意味は少し似ていますが違います。
腹を据えてことに当たる。
腹を据えてかかる。
腹を据えよ。
もっと深く、不退転の決意が感じられる言葉です。

言葉として「腹を据える」という言い方があることを知らない人はもはや「腹を据える」
という不動の境地になることはできない、ということです。
そういうあり方があることすら知らないのですから。
さらには
体が実際に「腹を据えて動いた」体験をしているほうが
「腹を据える」という不動の、どっしりとした心の状態をつくりやすい。
体の感覚と心の状態はまさに連動している、ということです。

「集中しなさい」などの言葉。
よく子供に言いますが、そういった意味では、この目の前の若者たちほど
「集中」とはなんたるかを体で知っている子たちはいないでしょう。
そして
体の体験に裏打ちされ、瞬時にいつでも発動させることができるものこそ
「真の知恵」なのです。
そして、いついかなるときも
体に刻まれた知恵は、真の力を発揮し続けます。
彼らのこれからの人生でいつも彼らを助けてるれるのです。

この美しい「型」をしっかりと細胞に刻み込んだこの体が
この若者たちの「心映え」をきっと作っています。
この子たちが大人になったときにまた会ってみたい、と思ったのでした。

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