「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「繋がりがあれば前に進める」

 

 

 

 
わたしの知人に、林道雄さんとおっしゃる方がいます。
林さんは古い写真を扱うお仕事をなさっています。
ご自身で現存している当時のネガ(ガラス板)から写真を現像なさったりもします。
幕末、明治期の写真や写真機、なんてものをfacebookにしょっちゅうアップなさっています。
わたしからすると、もう、垂涎の的。うらやましい世界です。

その古い写真を使ってなにをなさっているのか、正確にはよくわからないのですが
(多岐にわたってお仕事をされているのでわたしが把握できていない、説明できない、ということです)
大きく見ると、わたしには

「今という時を中心に、過去と未来を結びつけている人」

に見えます。

以前
「歴史を勉強する意味が分からない。昔のことを学んで何の意味があるの?」

と歴ヲタのわたしの前で言い放った^^輩(やから)がおりましたが。
ちなみにその「やから」は今ではふるさと薩摩の歴史と伝統を何より大切に思う
熱きおごじょ(女性)となって薩摩のために邁進しています。

彼女はわたしに感化されて変わったわけではありません。
自然に、ひとりでに「出会っていった」。
今を、そしてこれから先ををよくしよう、と思ったら、その土台を…源流を知らずしては出来ない。
目の前に今ある現象、ひとつひとつは「なぜそうなっているのか」。
何を残し、何を変えればよいのか。

それには
その「意味」を、ルーツを知らねばならない。
彼女は多くの人を介して、そのことに体で出会っていた。
そんな印象を持っています。

さて
写真は林さんからお借りしたものです。

「ずっと気になっていた明治初期の一族写真。
動乱を生き抜いた人たちの顔って何か違って見える。
この一枚から映画ができそう。
割れてしまっていることは残念だけど、そんな事どうでもよく思えるすごく好きな一枚」
                                     by林さん

じっと写真を見ていると
なんだか知らず知らずのうちに熱い何かがこみあげてくるような心持になります。
すぐいろんなものに波長を合わせて感じ入ってしまうのもよし悪しなのですが。

この写真に写る、一人一人の身の内に。
まなざしの中に、それぞれの思いがあり、人生がある。
江戸から明治へ。
生き方の形も立場も価値観も…いろんなものがいっきにひっくり返った時代。
ずっと大切にしてきた有形無形のものが例えばすべて
一夜にして否定されたような、そんな時代に、その中を生き抜いた家族。
そんな中でもやはり
毎日の暮らしがあり、喜びがあり悲しみがあり。
それぞれの大切にしているもの、夢や希望、そして不安や覚悟…
そんなものまでが垣間見えるような。
(着物もかなり厚手の装いなので、廃藩後、開拓で僻地に移住した侍かな?と林さんの言)

わたしにとって歴史とは、教科書の中にあるもの、ではなく。
月並みですが、辛いとき、苦しいとき、道が見えないとき
自分が「頑張れる」。
「もう半歩だけ先に」行こう、と思う
その原動力のようなもの、にもなっています。
過去に触れるということは
この写真のような表情で一瞬一瞬を生きたたくさんの、
それこそたくさんの人たちの積み重ねの上に今の自分がいるということを
俯瞰できる瞬間、なのです。
自分の体は、自分の精神は、そして今の生活は自分一人で成ったものではない、
ということを感謝と共に強く感じる瞬間です。

最後、いいことを書いてまとめようと思ったのですが
思いつかないので今日はこれにて!
わたしは歴史が好きです、というお話でした。

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