「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

文章には、あなたの「命が刻むリズム」が表れる

文章を書いて、誰かに託した際に

とても「口うるさい人」になってしまい、我ながら恥ずかしいな、と思うことがあります。

自分の打った句読点。

改行

間…

細かいひとつにまでこだわってしまい
掲載時に違いでもあればつい「直してください」と言ってしまうから、なのです。

半角分のずれも許しません、みたいな。

何をこだわっているかというと

結局「リズム」なのだ、ということに気づきました。

「ライブ」な感じをなるべく伝えたい。

熱熱の、この体に湧き出でたリズムをそのままに…

と。

その瞬間、自分の中に生まれた「伝えたい」は、言葉だけでおさまる問題ではない、と

なんとなく思っているから、なのでしょう。

言葉の「内容」だけでは人は動かない。

それがどんなに立派な内容であっても。

あなたにとって「正しい」ことであっても。

言葉はもちろんのこと、言葉と言葉の間、行間に生まれる空気、間合い・・・そういったものも

含めての「表現」であると、そうあきらかに思っています。

「人は、あなたの話した言葉のとおりになるのではない。

あなたのその瞬間の体のとおりになるのだ(あなたが『体から発しているもの』の通りになるのだ)」

これは

プレゼンスはじめ、全般的にコミュニケーション力を扱うセミナーで

よく受講生さんにお伝えする言葉です。

わたしが言ったのではなく、確か竹内敏晴さんの言葉かと。

この「体から発しているもの」をあらわす一つが

文章の場合「リズム」である気がしています。

魅力的な場をつくる語り手。

人をひきつけ、場を一瞬にしてつかむ発信者に共通していることは

「リズム」

をもっている。

多くの語り手を見て、体験的にそう感じます。

「こういうリズムがいい」「このリズムが正解」というものはもちろんなく。

例えば

落語家さんが同じ題材を語ったとしても

誰一人、同じリズム、同じ口調で語る方はいませんし。

それぞれが、完全に「その方の世界(リズム)」を持っている。

その人が持っている固有のリズム。

その人の体、細胞に刻まれた…いわば、「自分のいのちが刻む音」と言ってもいいでしょうか。

それを自然に、止めることなく溢れさせることができる人はステキです。

体の奥から沸き起こる自分の「リズム」を捉え、

それをしっかりと、増幅させ。

増幅した「自分のリズム」は、もはや勝手にあふれ出ていきます。

泉からあふれでる清水のように。

そして、自然と周囲を豊かに潤します。

これは文章も同じ。

静かなさざ波のように始まり、次第に大きな流れとなり、うねりとなって押し寄せ

そして再び静かに引いていく波のように。

またあるときは

ラヴェルのボレロのように最高潮までぐんと高まり…

そしてトン!と唐突に落ちる幕。

あとに残るは深淵たる余韻・・・。

といった感じに。

自分のリズムを聴き

自分のリズムを知り

そして、それを目の前の白い紙の上に(PCの画面に)あふれさせることのできる力。

そんなものが必要なのかな、と思います。

そして

自分のリズム、をとらえるためには、たくさんの「経験」が必要なのだろう、と思います。

多くの文章に触れ、美しい言葉に触れること。つまり、しっかりとまずは「型」を学ぶこと

「型破りとは型のある人がやるから型破り。型のない人がやったら、それは形無し。」

…これは、先代の勘三郎さんの言葉でしたっけ?

「声のワークショップ」で文語文や講談の台本を扱うのも、そんな意図があるかもしれません。

話は飛びますが、そのワークショップ終了の方々の中から

「声と言葉と表現力」の場であったにもかかわらず

  

「書く文章が変わった」

「自分の記事を読んだみんなの反応が違う」

「ブログのお客様の反応が変わった」

「ブログ告知で、あっという間にセミナーが満席になるようになった」

という現象が起こるのはとても嬉しいことであり

こうやって考察してみるに、「むべなるかな」という気もするのです。

彼らは、数か月のプロセスを経て

「自分の持って生まれた命のリズム」をあふれさせることの快感を知り

そうすることに「許可」を出した。

そして、その、「自分のリズムを瞬時に出せる」よう

いつでもアクセスできるよう

回路を太くすることを鍛錬した、ということなのかな、と思います。

一事が万事。

自分のリズム。

自分の命が刻む、あなただけの脈動。

それに乗って生きている人は、すべてにおいて魅力的です。

✿写真は、「声のワークショップ」であるお一人が使った台本です。

ゴシック体の印刷のものをご自身で手書きで書き直し

さらに、間合い、抑揚…徹底的に書き込んで「型」を体に染みこませ。

自分独自の表現になるまで体に沿わせる鍛錬をした、この方のプロセスが滲み出す台本です。

面白いのは

なんだか謡?の台本っぽくなっている、ということ。

きっと、意図せずそうなっていらっしゃるのでしょうね。

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