「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「会津幕末歴史検定in同志社」

 

 

2月の中ごろ。
姉から「3月、研修で大阪に行って、帰りに京都に立ち寄る予定」
という連絡があり
いいな~、一緒に京都行きたいな~と思いつつふとサイトを見ると
その日にちょうど、あらなんということでしょう。
やっているではありませんか。

「会津幕末歴史検定」

ということで、せっかく行くのならとついでに参加することにしました。
場所は同志社大学新町キャンパス。
慌てて公式ガイドブックなど買い、図書館に走り、「八重の桜」は欠かさず見て
バタバタと迎えた検定当日。

一応「行ったのだ」という記念に、
校舎入口を写真に撮ってみました。
四隅を無造作に止めたガムテープにそこはかとない寂しさを感じつつ。

今回あるのは初級の3級と中級の2級。
昨年12月の「薩長幕末歴史検定」では
何を間違ったか調子に乗って2級のみ受験してしまい、悲しい結果となったので
今度はちゃんと併願にして、どちらも受験です。

近くのお洒落な町屋カフェのコロッケ定食で腹ごしらえをし
ぐっと力を入れて熱気あふれる会場へ…
と思いきや、3階のとても広い教室の左2列のみにちんまりと座った受験者の列。
何とも静かです。
かすかなしわぶきやちょっと花粉症?な人の鼻をすする声が
高い天井に響く響く(笑)
「会津若松会場と東京会場はもっと多いんだろうな!ちゃんと!」と
薩長検定の時と同じ心配をしてしまいます。

試験は2級3級どちらも100問。
4択のマークシート方式なので
完全に覚えていなくても、「どっかで見た覚えがある」くらいの記憶があれば
解くことができます。
毎回のことながら、それを期待してのさっくりとした受験勉強だっだのですが。

2級第一問。
「松平容保公の家紋はどれか?」

全部葵のご紋ですよね。これ…
(4つの紋の絵を見ながら涙にくれるわたし)
細部のデザインが確かに違うのです。はい。
葉っぱの葉脈の入り方とかが違う。確かに違う。
「八重の桜」の第何回でしたか。
格さんが(伊吹吾郎さんの水戸斉昭が)容保さまにチクリ、と
「その紋、君には重いんじゃない?」
みたいな皮肉を言った場面の映像を脳の底から必死で絞り出します。
確か紋がアップになったよね!
どれだっけ…どれだっけ…。

3級
「八重の二度目のだんなさん、新島襄が作った大学は?」

といったサービス問題もありつつ
どちらも結構難しかったなあ、というのが印象でした。
特に印象に残ったのは
(わからなかったからだと思うのですが)

「〇〇のお墓があるのはどのお寺?」

という、「お寺はどれ?」問題。
何だかとっても多いように感じました。
軽く10問以上はあったような。(数えていないのでわかりませんが)
だんだん
「…知らないわよ!そんなの!」
な気持ちになってきて。
あとから問題用紙を見ると、問題の端っこに
「しらね~よ!」
と走り書きをしていました。よっぽどイライラしたんでしょう。
これはなんとも「ならぬ」態度です(笑)。

  「本物の侍の国、会津。
  その精神は、現代の迷いがちな私達に
  真っ直ぐな光となって
  美しい道を示してくれます

  祈、会津、福島復興」
  (マンガ家の菅野文の検定応援メッセージ)  

そうでした。
そういう幕末の会津の魂に、生き方に敬意を表し
会津頑張れ、との思いも込めて、薩摩代表として(←超勝手な解釈^^)
出て行ったのでしたのに。
勉強不足を棚に上げて、恥ずかしいことでした。

そうでした。
多くのことはできないけれど
でも
「そこに(福島に、東北に)心を向け続ける」
ことの私なりの一つの形として参加した検定でもあったのでした。

今回の検定を通して
また、たくさんの既知の友人が増えました。
(会津の先人たちのことです)
会津のたくさんの人の生き方を通して
幕末という時間を何回も、いろいろな角度から追体験した1か月となりました。

そのときに
自分の立場、役割でできること、すべきことを
誠意を尽くして全うした人たちが
全体としてあのような悲劇を迎えてしまったというのが
時の流れの中での無情さといっていいのか
なんともやりきれない気がするのですが。

が、
それでも(どんな状況でも)それをやりきった人々がいたのだ、ということが。
そして、その後も生きて生きて生き抜いたのだということが。
今の私たちに勇気を与えてくれるのだとも
感じました。

120分の激闘?を終えて
青空の下に放たれ。

「受かってるといいなあ~。どっちも♪」

思いっきり深呼吸しながら、ちょっと都合のいいお願いをして。

そして京都の旅は、つづく。

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