「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「チーム自分」

友人コーチからメールが来ました。

ご親戚が入院中で

そのつきそいによく病院に行っているとのこと。

「看護三昧でちょっとお疲れモードです。

でも!

その病院は

チーム医療が県内ではトップクラスの病院で

ベッドの周りに10人以上のスタッフ

(医師・看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・歯科衛生士・管理栄養士・薬剤師・介護福祉士)

などが集まり

最初の動きのチェックがあり、共有していました。

おじやん

(ってこの方はご親戚のことを呼んでいるのですね^^)

がんばれ~!」

その人の

「目標達成」のために

エキスパートが全員で集まり

方向を確認しあう。

「よし、これでいこう!」とみんなで手を取り合う。

連携を取り合ってともに進む。

「おじやん」のために結集した

これはまさに「チームおじやん」。

か、かっこいい…。

こういうの、聞いているだけで身震いしてしまいます。

おじやんも、なんとも心強いことでしょうね。

さて

そして、私たちの中にも「チームおじやん」ならぬ

「チーム自分」がいる、というお話なのです。

自分の中にいるたくさんの自分。

(NLPではこれを「パート」なんて呼びます)

自分にとって好ましいパート。

好きなパート。

私だったら、『好奇心』パート(羽の生えた子どもの姿をしている)

や人前で場に浸透する波紋のような気を出さないといけない瞬間のパート

(吟遊詩人とか、アメノウズメのミコトみたいなイメージです)

は好きですね

その存在を受け入れている「パート」です。

そして

いなければいいのに、とつい思ってしまうパート。

(私の場合は例えば「怖がり」のパート。なかなか前へ進めなくなるときが)

ほんとうは、

「好きな」パートはもちろん

「嫌っている」「受け入れがたい」パートも

自分のために、よきことをしようと頑張ってくれているパートなのです。

怖がりのパートは

実はわたしを危険から守ろうとずっと奮闘し続けてきたパートです。

私が幼い頃から、ずっとわたしを見守ってきてくれたかけがえのないパートです。

イメージだと「老執事」かな(笑)。

「お嬢様!おやめくださいっ!」みたいな…

いつも私の後ろで私が危険なことをしないよう、「常識」を説いてくれます。

袖を引いてくれます。

さて

自分の中「子ども」や「詩人」や「老執事」。

そのほか「学者」や「武士」などなどの…(すいません、いろいろいます)

たくさんの「わたし」。

つまり、わたしをわたしたらしめ、わたしの望む人生を作っていってくれる

大切な「チーム自分」。

わたしたちの仕事(コーチの仕事)というのは

ひとえにこの「チーム自分」を

あの、おじやんのチームのように

「お互いの存在と力を認め合った」「結束力のある」チームとすること。

最高の力を発揮できる状態に調整していく、というところにあります。

チームの中に「嫌われ者」として扱われる人がある限り

そのチームは力を発揮できません。

その人を「排除」すれば済むという問題ではない。

また、次の「嫌われ者」を生むだけです。

自分の中に敵はいない。

すべてを自分のリソースに変えてゆくこと。

すべての自分が手を取り合って、進んでいく。

「チーム自分」がみな仲良く、うまくいっているときほど

その人の人生は軽やかに、スムーズであり

わたしたちは他にも求めなくとも、ただ、今、あるがままの「幸せ」でいることができると

感じます。

ただ内側から満ちてくる幸せ。

自分の中のたくさんの自分。

「チーム自分」。

大切にしたいものです。

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