「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「親になってゆく」

 

冬に、ブログをご覧下さったみなさまからも
多くの祝福をいただきました我が弟の婚礼。
その弟に赤ちゃんが生まれ、先日、お祝いの席に行ってきました。

ベビーベッドに眠る全長49センチの物体。
おなかを上下させながらの寝姿もうるわしく。
あ~、やっぱり赤ちゃんはほんとうに健やかな腹式呼吸だな、と
そんなことを見てしまいます。
これでわたしを「おばちゃん」と呼ぶ人が6人になりました。
それにしても…

目の前の赤ん坊を見るにつけ、不思議な気持ちになるのは
弟が赤ん坊を抱いているというその事実。
ほんの少し前、ベッドにこうやって、小さな手をバンザイさせてくーくーと寝ていたのは
あんただったはずなのに、と
年の離れた弟の誕生の場面を思い出していたのでした。

「俺もまだ、二回くらいしか会ってないんだ~♪」
と、目じりを下げながら
まるで壊れ物でも抱くかのように
不器用に、赤ちゃんを掴んで抱える弟のその手つきを見ながら
…漬物石じゃないんだからさ、と心の中で突っ込みをいれてみます。

それにしても。
赤ちゃんとは、ほんとうに無垢なものですね。
その反応の良い体。
生きるためのシンプルな(動物としての?)ものの他は
まだ、何もよけいなプログラミングがされていない。
この感じを何と表現したらいいのでしょう。
無垢、純、素…言葉が出ません。
やっぱりしっくりくるのは、天使?

こわごわと赤ちゃんを腕に乗せる弟の姿を見ながら
「人は親になってゆく」のだな、としみじみと思いました。
まだ、弟は「親」ではない。
(生物学的には親ですが)
この、出会ったばかりの2個の生命体が
これからお互い響きあい、切磋琢磨しあい
そして弟は「親」になってゆく。

この二人の姿を見て
そして思いました。

「世の中のお父さん、お母さん・・・無理するな。自分を責めるな」

と。

未知の世界との初めての「出会い」を前に
おずおずと、その輝く命と魂の圧倒的な存在に手を伸ばす弟の姿。
そこにあるのは
かすかな怖れ。
そしてそれをはるかに凌駕する喜び。
この喜びの奔流に導かれ、弟は今、親としての「新しい旅」の一歩を踏み出そうとしています。
それは、本当に大きな旅だと思うのです。
この世で最も大きなプロジェクトへの出帆、ということもできるでしょう。
地図も何もない。

世のお父さん、お母さんたちは
その旅を日々、歩いている、ということだけでもすごい気がしたのでした。
うまくいかないこともたまにはあるでしょう。
でも
どうか自分を責めないで。
だって、はじめてなんだから。
歩いて初めてわかるのだから。
完璧な「親」なんていない。
小さな小さな一日一日を経て、人は自分らしく親に「なってゆく」しかないのだから。

仕事の場で出会う
そしてまた、身近にいる幾人かのお母さんがたを思い出しながら
そう、あらためて伝えたい気分になったのでした。

そして
もうひとつ。
願わくば、こどもに「美しいもの」を体験させてあげてください。
見せてあげてください、と。
禁止の「枠」を伝えるよりも。

禁止の「枠」を子どもに伝えれば伝えるほど、子どもの体は委縮します。固まります。
赤ちゃんのような、この、自由な体ではなくなります。
イコール、心も委縮します。

それよりも「どのようなものがよりよく、美しいのか」を。
行くべき方向、望ましい方向を見せるだけでいいのです。
世の中に美しいものは溢れています。
美しい景色、音楽、絵、言葉、そして、礼儀、作法。
さらに、美しく生きた人々のお話。
魂を震わせる感動があふれています。
それを、親と一緒に味わい、楽しみ、喜ぶ。
それでいい。

この、赤ちゃんの無垢な体にはそれがふさわしい。
この柔らかい体を、美しいものへの感動と繊細な感受性でいっぱいに満たしてあげてほしい、

そう心から思いました。

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