「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「半沢直樹の『体』」

金曜日

大阪の知人からこんなメールが届きました。

「ただ今東京です!

明日からのアジアマスターズ柔道大会に出るためで

先ほど計量はパスしました!

計量終わって、達成感に包まれています(笑)」

そうそう

この知人はなんだか、柔道がすごいんですよね。

(詳細は覚えていないのですが)

春に出会った時の「飲み会」で、本筋の他にその話でも盛り上がっていたのでした。

メールを見て、いいなあ~、と思いました。

自分の体の中に

ゆるぎない「技」が染みこみ、組み込まれているんだろうな。

仕事やプライベートとは別に

その「技」を存分に発揮できるこういう世界を持っているのがとてもうらやましい。

頭を介さず、自分の体の存在を直に感じて

対話できる時間を生活の中で持っている。

しかも、この方のようなレベルになると、それはとても質のいいものなんでしょう。

自分の体への信頼や万能感を存分に体感できる時間。

そんな体験をずっと人生の中でキープしていることが

とてもすごい。

こういう時間って

生きていくうえでとても大切なところだと思うのですよね。

こういう感覚がある人は、日々の生活の中で何があっても

根っこのところでぶれない。ちゃんと立っていられる気がします。

簡単に言うと

踏ん張れる体を持っている人は心も踏ん張れる。

腰が据わっている人は心もぶれにくい。

半沢直樹。

昨日最終回でしたけれど

剣道のシーンを見ながら

全編を通して貫かれている

半沢の鋼のようにしなやかな強靭なあり方は、

彼のあの「身体のあり方」と無関係ではないのではないか

とふと思いました。

彼の体自体が「筋を通す」「まっすぐである」「あきらめない」という体験を

しっかりと知っている。

(そうすると、同じく剣道をやっていながら、あの同僚の「近藤さん」の心の弱さはどうなんだ?

ということになりますが、そこはドラマなのでまあ…)

体の状態と心の状態は密接に関わっている、というお話です。

「コミュニケーション」という観点から多くの人を見て思うことですが

体が硬い人、固まっている人で「コミュニケーション上手」って

いないですし。

先のわたしの知人のように

スポーツをやっている人は、そのスポーツへの知識ももちろん大切なのでしょうが

体に刻み込まれた「モノ」こそが

最後はどんなときでも彼を導き、助けているのだろうな、と思います。

プロとアマの境はそのあたりにある気もします。

試合に臨み

いつも平常心でいられるときばかりではないでしょう。

そんな中、心がどんな状況であっても

体に深く刻みこまれた「ゆるがぬもの」がハイパフォーマンスができる状態に

すぐに戻してくれる。

即、連れて行ってくれる。つなげてくれる。

それがいつも、正確にできるのがプロなんだろうなと。

それは

わたしたちでも同じなのでしょう。日々の生活の場面において

わたしたちを導いてくれる「体の状態」「体に刻まれた、体の知恵」を

持っているほどよい。

そして、それは何か特殊な動きや訓練をするということではないのです。

話が戻りますが

先日の斉藤孝講演会で「子供の反応が鈍かった」と書きましたが

そこで見た光景にとどまらず

子供・若者たちの体からそういったものが抜け落ちているように感じます。

「まっすぐに座れない」

「腰を立てていられない」

他にも

「リズムに乗れない」

「足腰がふらつく」

などなど…。

セミナーで、ちょっとしたコミュニケーションに関するゲームをするとすぐにわかります。

拍手を合わせられない若者

押し相撲が上手に出来ない若者

今までどんな生活をしてきたの??

と言いたくなることがたまに。

これらは体だけの問題ではありません。

体と心はイコール。表現力、コミュニケーション力などと直結してきます。

そして、体の知恵は生きるための知恵。

これから長い人生を彼らが生きていくうえでの「心の在り方」を支える根っこの

「身体体験」がない、ということが

どれだけ脆弱なものであることか。

口で100万遍

「頑張れ」「もっと粘り強く」などなど子供に言っても。

「団結」「調和」「共鳴」の大切さを言っても。

それを「体が」体験し、体がそれが「どんな感覚なのか」を知っていない限り

頭で想像したものでしかない。

先週金は、月一の若者セミナー。

たった3時間という短い時間のセミナーでも

「体」を変えると、若者たちは面白いくらいに変わります。

体が動きだす。

そして、心が動き出す。精神が活発に動き出す。

場が熱を帯び

創造のエネルギーをぐん、と出し始めます。

それを見ているとただただ

「ああ、これまで機会がなかったんだな」

「眠っていただけだったんだな。(冷凍マンモスみたい)」

「きっと、待っていたんだな」

と思うのです。

解き放たれた彼らの体の細胞にひとつひとつが

表現の、創造の喜びを歌い上げているのを感じるのです。

短い時間の中でその状態を「なんとか、体に刻みつけられたら」と思います。

たった3時間の出会いの中の体験ではあるけれど

それでもこれから彼らが落ち込んだ時

今日の、この体の感覚を、状態を思い出してくれたらと。

きっと、彼らの軌道を変え

心を上向かせるための「体の記憶」にきっとなってくれるのではないかと。

まとまりませんが

今日はこんなところで。

今日はこれから、まったく負のプログラムの組み込まれていない「純な体」を見てきます。

(赤ちゃんということです)

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.