「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「鹿児島の子どもは体が眠ってる?~斎藤孝講演会」

この講演会は
子どものためのもので
参加は「小学校3年生~6年生の子どもとその保護者」。

テーマは
「人間関係をつくるコミュニケーションン」。
約300人くらいの子どもがホール前部に座り、ワークショップに参加する。
保護者は後方の席でそれを見守ります。
おかげで、1時間半で
どのように場が変わり、高揚し、子どもの集団が
どのように変わっていくかをつぶさに目と耳と、そして体で体験することができました。

斎藤孝さんの身体論の本、日本語の本…
よく読んでいるんですが
そこにかかれている「場をつくる」「気を読み、自在にコントロールする」体
そのものを持っているらしい人が作るのは、いったいどんな場なのか?
否応なしに期待は高まります。

さて
舞台に現れた斎藤さんは…
しょっぱなからとにかく体の力が「抜けて」いました。
やわらかく背中を丸めて、はずむゴムまりのように舞台に現れた斎藤さん。
黒いTシャツにあれはたぶんスーツのズボンなんでしょう。
Tシャツに大きく書かれた「敬天愛人」の文字に
なんだかはなっからちょっとやられたような気分になってしまいます。
「あ、ズルい~」という感じでしょうか。

さて
講演やセミナー、ワークショップの際
まず、場を温めることをするわけですが
(落語の「まくら」の部分に相当します。参加者の気持ちをぐっとひきつけ、開く。
「聞いちゃおうかな」「参加しちゃおうかな」という状態をつくるわけですね)
これが…速い!
なに、この速さ?
多分、演台に到着してからから第一声でそれが終わっている。
(ように感じました)
うへ~。

鍛えられている。
やはり、徹底的に鍛えられている。
毎日、山ほどの学生さんを相手に様々な広さ、人数の場所で授業を続け
しかも、そこで
「いかに全員を参加させるか」
「すべての人間をいかにさぼらせないか」
(どんなに広い場所で、どんなに大人数であってもです)

それを
「体」「言葉」「気」といった部分から
(これが相対的に働いてなされる自身と他者への働きかけを
総じて「コミュニケーション」というわけですが)
あくなき探求を続けてきた方だな、と感じました。

この日の講演会(というより、ワークショップ)のポイントは
ずばり
「体を動かす」であった、と思います。
ご本人もおっしゃっていましたが

「コミュニケーション力は卓球やテニスや…スポーツと同じ。『技』」

なので、徹底的に体をう動かして
体に刻み込んでしまうことが必要だ、ということ。
また、
「体が眠っている、固まっている」ところに
どんないいことを伝えても、どんな活動をさせても効果は出ない!と斎藤さんが
心で叫んでいることも、
やってることからビンビンと伝わってくる。

「はい、その場でジャンプして!」
「はい、読みます!」
(弁天小僧のセリフ、早口言葉、じゅげむ…)
「はい、復唱!」

300人を相手にこの繰り返し。
ものすごいリズムとテンポで
場をがんがん作っていく斎藤さん。

ホール、作り付けの椅子という制限のある空間などどこ吹く風。
あくまでも自由に、体形を変えながらダイナミックに「斎藤ワールド」は
あれよあれよという間に展開して行きます。
斎藤さんが、いかに子どもたちの細胞を揺り動かし、その中に単なる「知識」ではない
本当の、生きた「体の知恵」として
子どもたちの中に刻み込もうとしているかが
伝わってくる。

「みんな、三年生より上でしょ?これくらいできて当たり前。なんでできないの?」

子どもを子どもとして、いい意味で扱わず
当然のごとく「出来る」」という前提のもと
「やるように」要求をしていることも印象に残りました。
ああ、この人、ぜったいあきらめないんだな。

1時間半で
「世の中で大切なことは『アイデア』を出せること」

というテーマでブレストまでやって、場は終わりました。
ふう~。

終了後
長蛇の列。わたしも、どうしても確かめたいことがあって
めったにないことながら、その長蛇の列の後ろに並びました。
時間が過ぎて、最後から二番目。
やっと番が回ってき。
他のみなさんは、サインと記念撮影を斎藤さんにお願いしてましたが
わたしは限られた時間で、一番確かめたかったことをお願い。

「ハグ、いいですか?体、触らせてください」

するり、OKでした。
思ったより「漲る体」をしてらしゃる、というのが印象。

さて
この時間でひとつ、気になったことが。
それは

「子どもたちの反応が遅い」

ということです。子どもって、こんなだっけ??
なんというか、まったり、まだるっこしい。
斎藤さんも何回もダメだし、やり直しをさせてましたっけ。
水面に投げた石の波紋が、普通はさああっ…と広がって行くんですが
もたもたしながら、どんどんなくなって、最後はどこに行ったかわからなくなる、
とそういう感覚です。

「鹿児島の教育の、まさに弊害が出ていたね」

そうおっしゃったのは
終了後、ロビーでばったり出会った
知り合いの大学の先生。

その一言に
体感的に妙に納得した自分がいたのでした。
このあたり、もう少し調べてみたいと思っているところです。

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