「『芸』ってすごい」

昨日、ひょんなことから

津軽三味線の演奏を間近で聴く機会に恵まれました。

「日本酒を飲む会」なるものに行ったのですが

そこにたまたま他の団体さんの懇親会で演奏家さんがいらしていて

急きょ始まった「生ライブ」に

同席させていただけたという僥倖。

演奏家さんはまだお若い男性。

ケースから三味線をだし

音を合わせて、準備をなさる所から、ずっと間近で拝見していました。

胴と、音を調節する部分(天神、というらしいです)に

きらきら光る蒔絵が施されているその楽器は、宝石を見ているかのような美しさで

それだけでもう、とても特別な感じがします。

演奏は3曲。

まず「よされ節」

「余去る」~余は去るから、あとはゆっくり楽しめよ

という意味とも

「世去る」~暗い世、いやな世よ、去れ

とも、いろいろな説がある、と教えてくださいました。

それから

「津軽じょんがら節」

そして「津軽の『おはら節』」

(鹿児島だと、おはら節といえば「花は霧島♪」ですが、各地にあるものなんですね)

場所は「飲み屋さんの一隅」なので、(しかもドアの横)

遅れてきたメンバーが途中でドアを開けて入ってきたりと…まあ、そういう環境なのですが

空気が全くぶれない。

薄まらないというか、入ってきた冷気もまた瞬時にその場の熱に染まるのです。

演奏してらっしゃるご本人の周りには

まるで朱色の炎が揺らめき立っているような

そんな印象をうけました。

目を閉じた横顔に

数分で汗がうかび、つうっと流れていく、その集中の横顔を見ていて

「美しい」と思いました。

「演奏を聴いている」というよりは

この方の体の中心から溢れてくる何かを

三味線という楽器の音と、この楽器の持つ歴史や世界観を通して感じさせてもらっている

という感じ。

演奏後

手を見せていただきました。

左手の指の一本の爪の先に小さな溝。

そして、ほかの指先も、左はやはり少し硬く。

あとは、何の変りもない

いえ、どちらかというとやわらかくてふっくらと優しい手をお持ちでした。

この手からあの音が、あの世界が生まれていたんだなあと思うと

なんとも不思議で。

高速で弦の上を「きゅっ」と走る指。

呼応して激しく動く撥。

自らのうちに宿す火を、すべて音に託して

瞑目する不動明王のような先ほどの姿と

いま目の前でやわらかく笑っている若者の姿がどうも結びつかず

「芸とはすごいものだなあ」

(個人の技術プラス、それが受け継いできた伝統のすべてを含めて)

と思ったのでした。

昨夜の演奏家。石井秀岱(しゅうだい)さん。

http://www.shudai-tsugaru.net/index.html

「お天道様が見ている」

一昨日

「美しく生きよう」と思った

と書きましたが

それ以来、いろいろな場面で自分に

中村公子のコーチングna日々♪

「それは美しい?」

と問いかけるようになりました。

すると…とても具合がよい。

「それは正しいの?」とか

「ちゃんとしたほうがいいんじゃないの?」

というセルフトークよりも

わたしにとってはずっと楽で、自然で無理がない気が

しています。

小さなことで

ああ、めんどうくさいなあ、と思う場面

いらっとする場面

(スーパーのお手洗いで、洗面台の水を拭くか?とか

置きっぱなしのジャケットをハンガーにかけといたほうがいいけど…とか

運転中に無理に割り込まれそうになったときですとか

そういうレベルのことです^^)

いつもならぞんざいに流してしまったり、態度に表してしまったりするそのときに

「それって、美しい?」

瞬間、すっと背筋がのびて(たとえではなく本当に、です)

「そのこと」に対して、最もいい自分、すてきな自分で対処できる気がします。

「それは美しいことか?」

(調和しているか?皆にとってOKか?筋が通っているか?)

ふと、これはわたしにとって「お天道様が見ている」という感覚に近い、と気づきました。

(ご先祖様が見ている、でも、なんでもよいのですけれど)

小さいころに、よく言われましたっけ。

ご飯粒をお茶碗に残すと

「目がつぶるっど~(つぶれるよ)」

「お天道様が見っちょっでな~(見ているからね)」

祖母、親戚のおばちゃん、近所のおばあちゃん…。

わたしたち子どもをとりまく日常の中で、普通にあったそのような言葉であり、態でした。

正座して

丁寧にお茶碗の底についたご飯粒をとり

小さな背中をまるめて手を合わせていた祖母の着物姿を思い出します。

目先の利益ではなく。

誰かが見ている、見ていないにかかわらず、何か大きなものに対して申し訳が立つか?

「大きなつながり」の中で、それは恥ずかしくない行為なのか?

自分の向こうにいる

家族、友達、地域…たくさんの人

それからこの自然、宇宙

さらに、時間を超えて、自分に脈々と命をつないでくれた人たち

この

「目に見えない大きなものとのつながりへ思いを馳せる気持ちこそが

最後に、どんなときでも私たちを「人」たらしめるもの

人として「まっとうに生きる」ことを助けてくれるものなのではないかと

そんなことをあらためて感じています。

ほおっていたジャケットを手にして

あたらめて意識して丁寧にたたもうとすると

自然と

「ごめんね。いつもありがとう」

という言葉が口をついて出てきます。

その服を作り、手元に届けてくれた誰かの存在を感じます。

車から降り立ち、ドアを閉める、その瞬間ですら、意識するとぞんざいに閉めることができなくなります。

いつもハードワークにつきあって走り回ってくれている「相棒」が

ほんとうにありがたく

ゆっくりと心を込めて閉めたくなります。

不思議です。

そして何より

今、あらためて自分自身をいとおしく感じています。

命がつながっている感、というのでしょうか。

大きな大きなつながりの中で生きている自分。たくさんの人や物から力をもらい

思いを受け継いで生きている自分。

身の回りの大切な物たちと同じく

とてもぞんざいには扱えない。

つながりの中で生まれた奇跡としてまた、自分もいるのだなあと、感謝しています。

「それは美しいか?」

昨日

カフェで斜め後ろに座っている7~8人の高校生を見ながら

ぼんやりと考えていました。

にぎやかですが、それほど声が大きいわけでもないし

どだばたと騒いでいるわけでもない。

「迷惑をかけられているか」と聞かれれば、否。

彼らの存在が気になって…というより

どうも不快で仕方がない。

それはなぜかというと

一言でいうと

「美しくない」から。

紺の制服のブレザーをすっきり着こなし、髪形も素敵に整えた「イケメンな」彼ら。

でも、その居住まい、たたずまい、立ち居振る舞いは、涙が出るほど「イケてない」。

美しくない。

「…こりゃあ、本当に早晩この国は滅ぶぞ」

とつい。

(大げさですね)

わたしが感じた彼らへの不快感は

「自分と仲間」しかいないあり方。

自分を中心に半径1メートルの世界ですべてがすんでいるあり方。

からきているものなのかな、と思います。

配る意識の矢印が自分の周囲50センチで止まっているあの感じ。

まったく訓練されていない「体」。

他者がいる公の空間ではどう体を動かせばいいのか?

体に何も入っていない。

家のソファにいると、たぶん全く同じ様子で座り、しゃべり、テーブルを使う彼ら。

(というか、座ってないし。長くなってるし)

就職対策のセミナーで若い子たちにプレゼンをしてもらうときのことなどをふと思い出します。

フォーマルな場面での体の動きというものは

一朝一夕にできるものでない。

「その時になればちゃんとできます」というのはあり得ないのですよね。

こういう日常をなめてはいけない。

骨の髄までしみついたものが、結局は出るのだから。

…思いは千路に飛び乱れます。

さて。

「美しい」ということはとても大切なことだと感じます。

「美しさ」への教育というものも、もっとなされてもいいのではないかと感じます。

真の美しさとは

「そこにいる自分も他者もともに心地よい状態にするもの」だと思います。

というよりは、そういうものは、自然と美しいものとなる、ということでしょうか。

先日、日本橋の上にのしかかる高速道路という景観を

溜息の出る思いであらためて見上げてかえってきたのでしたが。

(「こんなこと、よくまあやったよね~」「とにかくもう、やるしかなかったんだろうね~」と知人と時代をしのびつつ)

空のカケラも見えない。

美しい橋の頭上を鉄の塊が覆い尽くす、見れば見るほど異様な光景。

「美しさ」を捨て

代わりにわたしたちが選んできたものの結果が、今、わたしたちの周りでさまざまに噴出している気がします。

日本人は、そもそも美を尊び、生活の中の大切な判断基準として

それは美しいか?を置いてきた民族であったのではないでしょうか。

立ち居振る舞い、物のあり方、心の在り方、生き方…すべてにおいて

「それは美しいか?」

(調和しているか?みなにとってOKか?筋が通っているか?)

「美しく」生きたい、と思いました。

何より

ぶれない大人のその背中を子どもたちに見せ続けることが

今大切なのだろうと思います。

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「耳で味わう」

和菓子屋さんの前を通っていて
つい
ふらりと入ってしまいました。
ここの「朝詰み大福」が食べたくなったのです。

ラスト2個を購入して
嬉しい気持ちで店を出ようとしたのですが

ケースの上のこれに
目がひきよせられてしまい。

淡いピンク色といい
小ぶりな丸みといい…
かわいらしくてかわいらしくてたまらない

結局
これも買って帰ることとなりました。
(いつ、誰が食べるというのか?あきらかに「食べ過ぎ」です)

うちに帰り
その姿をまじまじと愛で
桜の葉の独特の香りをかいでいるうちに
先日吉田さんの言っていた言葉を
思い出しました。
「よりよきコミュニケーションのために五感をいかに磨くか?」
という話の延長でしたっけ。

和菓子は、3つの感覚をフルに生かして味わう文化。

「視覚」
自然をモチーフにした優美なデザイン。

そして当然のごとく
「体感覚」
匂い。味わい。

そして
「聴覚」
目で見ると同時に、日本人は耳でも味わい
イメージする。

「春霞(はるがすみ)」
「朧月夜(おぼろづきよ)」…

その菓子につけられた名前の
音そのものの持つ響き
さらには言葉から喚起される
イメージによって
姿や味に何倍もの奥行きがでる。

と。

ずーっと同じ感覚を
共有してきた人が多い民族だからこその
「遊び」
なのだなあとつくづく思います。

さて
そんな話を思い出しながら
食べたこのお菓子。
上品なこし餡と桜の香りが本当に美味しかったです。
ただ…
惜しむらくは、もう少し名前、ひねってくれてもよかったかな。
せっかく期間限定、今だけのものなのに。

その名もズバリ
「桜饅頭」

という名前でした。

 

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「衣擦れの音」

一昨日の
隅田川水上バス~浜離宮~鯛めしという
「江戸~東京、五感を満たす春の旅」
をご一緒したのは吉田朱音さん。

吉田さんはNLPトレーナーでいらっしゃます。
そして
お茶をたしなみ、日本文化に造詣深く…ま、一言でいうと

「日本大好き」

な方。

 

吉田さんと「日本文化」をネタによもやま話をしながらの旅だったのですが

その中でのこんなお話がとても印象に残っています。

 

「お茶は『気配を察する』世界」

 

もてなす側は、お客様の「気配」を察して、もてなしのタイミングを知る。

お客様の最後の一人が茶室へ入り「パタン」と戸を閉める音。

お茶を「ずっ」と最後の一口まで飲み干す音。

お客様の衣擦れの音。

 

「『音』が、合図となっていることがとても多いんです」

 

手を叩くとか、ベルが鳴るとか、ましてや言葉で…何かお客様から「合図」があるわけではない。

目を開き、耳をそばだて、まさに空気を察することで

お客様にとって絶妙なタイミングをはかる。

 

なんと高度な「もてなし」だろう、と思いました。

 

「お茶室にはいると、本当に『音』に集中します。その瞬間に集中します」

 

「コミュニケーション」を通して

自分自身や世界とのかかわりを、

その可能性をひらく仕事をしている者として

「細やかな差異に気づく」感覚をいかに磨いてゆくのか、その重要性については

お互い語りつくせないくらいの思いを持っているのですが

 

「本来私たちが持っている文化」の中に

それを磨くカギがもともとある。

見つけ直し、思い出すべきものは最も身近なものの中にある

 

ということを二人で再確認することのできた、たいそう貴重な時間となりました。

 

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「お花見は神事」

散歩コースにある桜も

今七分咲き。

見頃です。


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しばらく歩いているうちに

日が暮れてきて

枝の向こうに月が。


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週末はお花見です(書きつつ顔がほころぶ)

ちなみに、以前お花見を「日本中で一斉に行う『まつり』」と書きましたが

本来お花見とは「神事」だったのだそう。

「田植えがはじまる頃の咲く桜は神のヨリシロとされ

長く咲く年は豊作とされた。

サは聖なる穀霊、クラは神座の意。

『花見』とは単なる遊興ではなく、山の神を田の神として迎える

神聖な行事であった」

 (旧暦カレンダー「旧暦日々是好日」より)

「まつり」というところに

「祀る」という意味を込めて書いていましたので

あながち間違いではなかったということですね。

神事。

せっかくなので

この時くらいはいつもより意識してみよう、と思いました。

自然の営みに敬意を表しよう。

自然の一部としてあることの不思議と喜びをしっかりと感じよう。

今年もこうして花をとともに時を過ごせることに感謝しよう。

大切な人たちと花の下、集えるそのことに感謝しよう。

そして

この花の日本中を覆うふわりとしたエネルギーの力を借りてみんなで祈ろう。

傷ついている場所には癒しを。

前に進む力を。

そしてすべての物事、人の心に穏やかな調和を。

今年も

いいお花見になりそうです。

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「エール」

中村公子のコーチングna日々♪

部屋から空の青色を見ていると

どうも落ち着いて座っていられなくなる心持がします。

まさに

「世の中に絶えて桜のなかりせば…」。

(まだ鹿児島の桜もここまで満開ではないのでこの写真は借りてきたものです^^)

3月から4月にかけて

環境も、そして心の中も、体の中も大きく入れ替わって変化を迎えるこの時期。

(わたしの周りでも「落ち着かない」「体調が今一歩」などいろいろな声が)

まるであおるかのように桜が私の心をさらに大きく揺り動かします。

春のなんともいえない「ぼわん」とした日差し

まだ少し冷えた空気

何かが「移り変わる」時の独特の不安定な感じと

そして、ざあっと吹く風にのせて、あたりをピンク色に染める花びらの渦。

それらの感覚は全部セットになって

小さいころから自分の中にしっかりと根付いています。

桜って、何なんだろう…とふとあらためて思ったのですが。

きっと

エールであり、プレゼントなのだろうと。

日本民族への。

これまで

自分自身のたくさんの旅立ちや出会いを

桜の花がいろどってくれていました。

まるではなむけのようにそこにあった気がします。

わたしたちのご先祖も、古くからこの花を愛で、心を託し、精神的な意味をこの花に見出だしてきました。

このわずかな時期に

日本列島を薄桃色に染めながらいっきに駆け抜ける桜の花によって

わたしたちは特別なエネルギーをもらっている気がします。

そして、わたしたちがそれとは気づかぬ

日本人としての深い奥底にある何かを揺さぶられ

揺り起こされている気がします。

考えてみれば、この時期、日本中で「お花見」という同じ行為をするわけです。

誰に強制されるわけでもなく。

これはすごい。

日本中で「桜」を真ん中において人々が集い

一斉に同じ「まつり」をしているということです。

ピクニックなんてしたこともない興味もない、という人も「花見」は別。

敷物など敷いて、その上に座って桜を見上げて空を見上げて「あああ~」なんて

伸びをして体を緩める。

みんなで食べるご飯はまた格別の味で。

人と人をつなぐものとなり

天と地と人をつなぐものとなっているのが

かつては普通に日常生活にあふれていた

(わたしたちのご先祖が大切にしてきたところの)

「場」や「あり方」や「感覚」を

わたしたちはこの「お花見」という短い時期に

一気に体験する、といえるかもしれません。

桜の花の力を借りて。

あの、ふわ~っと人の心を浮き立たせ、舞いあがらせる、あの力を借りて。

人の心を開き

つなげる「和」のエネルギーを日本中にふりまく「桜」。

そう考えると、まさにこの別れと新しい出会いの時期に

ふさわしい花といえるかもしれません。

日本人への何よりのエール。

桜の花。

「武将のキモチ」

最近友人と
和系のダンスの練習をはじめたのですが
一段落つくと
お茶を楽しむのが恒例になりました。

友人持参のお茶のセットでお茶をたてます。
せっかくなので
お互いに向かい合って正座などしていただきます。

なんの作法もない気楽な時間なのですが
このちょっとした時間が
最近とても気に入っている自分がいます。
なんともいえない幸せを感じます。

一口の白湯の味までが
味がなんだか違うのですよね。
一滴を大切に味わわないと
もったいない気がする。

ひとかけの黒砂糖のなんと細胞に染み渡ることか。

この時間だけはエアコンも消して
外の鳥の声を聴きます。

いろいろなものごとから
いい意味で隔絶された感じがあります。

言葉にするなら
「足るを知る」
という感じでしょうか。
今、目の前に見える景色、聴こえる音
感じている感覚だけで
すべてが満ち足りて完結している感じ。

いろんなもの
感情
小さな気がかり
たくさんの情報から解放されて
自分が戻ってくる感じがします。


戦国武将たちが
茶の湯に親しんでいたキモチが
なんだかわかる気がするよね~


自分たちのささやかな時間を
すごい人たちと比べながら
今日もよき時間が過ぎました。

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「七年に一度の『コッコデショ』」

長崎の知人。

送ってきたメールの調子がいつもとなんだか違っていました。
どちらかというと穏やかで物静かな印象を持つ方
と感じていたのですが。

翌日。
電話でその方と話す機会がありました。
声を荒げるのなど聞いたこともないその方なんですが
…何かが違う。

なんといいますか
第一声から大きい。いつもよりも。なんだか勢いがある。はずんでいる。
(夜の10時過ぎにもかかわらず)

さて
先に書いた
その方のメールには用件178文字に対して約300文字にわたって熱く
「あること」が書かれていました。
それは…

「コッコデショ」
(大事なところなので、久しぶりに字を大きくしてみました)

今年も長崎くんちが始まること。
蛇踊りが有名だが、これは毎年やっていること。
今年は七年に一度の「コッコデショ」が出るということ。
そして
その「コッコデショ」がいかに「かっこいいか」ということ。

この方を
ここまで熱くさせる
常なるテンションとは変えてしまう「コッコデショ」とはいったい何だ…???
否がおうにも興味津々です。

さて
これが「コッコデショ」

「みこしを上に放り上げて受けるところ
声量のある揃った歌声
数十人がそろって型が決まっているところ
担ぎ手や携わる人々の気合を感じ胸に響きます」
(メールより)

確かに。
これは…すごい。
美しい。
なんと言っていいのか。
ほれぼれします。


また、別の長崎人よりメールが。

「よかでしょ~コッコデショ
(中略)
あれ、生で見たら
ただぽろぽろぽろーと涙が出ます。
なんの前触れもなく」

祭りとは、いいものですね。
そして、人にとって、とても必要なものであると感じます。
3日ほど前、偶然、京都祇園祭の番組を見ましたが。
ああいったものが伝えているものの大きさに
思わず身震いしたことでした。

祇園祭の「かね」を一人前に叩けるようになるまでは
10年かかるのだそうです。
それを、小さな子達が、正座をして黙々と練習している。
教えるのは若者たち。
当然ながら、この営みは数百年の昔からずっと続いてきたもの。
「町衆」の中で、自然と受け継がれ続けてきたものです。

連綿と
親から子へ、子から孫へ
さりげなく伝えられてゆく同じ「形」。
そして、形を通して受け継がれていくものの大きさ。深さ。

齋藤孝
「日本人の心はなぜ強かったのか」(PHP新書)
にこんなことが書いてありました。

日本人はかつて
「心」と「体」と「精神」のバランスがとれていた。
今は「精神」と「体」を形成するということが疎かにされ
結果「心」の肥大を招いている。
「個の心の問題」が人生における最大の「問題」になってしまっている。

以前の日本人は
「心」を律する「精神」「体」を持っていた。
それらは例えば、幼いころから無条件にやる論語の素読であったり
武道であったり、日々の立ち居振る舞いであったり。
日々の生活の中で
「形」(体の動きを伴うもの。考え方、すべて)を踏襲することを通して
自然と伝えられた。

それら伝承の営みは
特に第二次大戦後、アメリカによって
徹底的に破壊されたと。
そして、今に至る日本。

とまあ、だいたいこんなことが書いてあったような。
(わたしの言葉で言い換えているので、解釈が違っていたらご勘弁を)

「コッコデショ」。

七年に一度のこの日のために
この町のみなさんは、どれだけ練習をしてこられたことでしょう。
子どもたちは小さいころから
「コッコデショ」に出ることを目標としているに違いありません。
あの、父や兄のようになるのだと願い、成長する日々。
みこしを担ぐ意味の学びや体の鍛錬を通して
子どもたちの体の中には
きっと
模範としたい、基準となる強い「精神」の軸が形成されるのではないでしょうか。

少しのことではぶらされない
強い強い「精神の軸」。

「担ぎ手や携わる人々の気合を感じ胸に響きます」
「あれを見ると、ただ、ぽろぽろと涙が出ます」

彼女らの胸を響かせ
涙を流させるものは何なのか。
「祭り」を通してわたしたちは確かに何かに触れ
日本人としての
人としての「何か大切なこと」を呼び起こされるのだろう…そんな気がしました。

「コッコデショ」。
七年後は
必ず長崎で、この目で見よう!と思ったことでした。

「巨木倒るとも」






知り合いから

椋の木の木片をわけていただきました。

厚さ七~八センチ。直径二十センチくらいの丸い木片です。


東京の日野市に

「とうかん森」というそれはそれは小さな森があって
中村公子のコーチングna日々♪

(森というよりは、木と祠が残っている一角

といったほうがいいくらいの「森」なんですが)

そこの椋の巨木が今年の二月に伐り倒され

巡り巡ってわたしの元にもやってきたのです。









『土方歳三が誕生した家は、「土方歳三資料館」から

北東へ数百メートル離れた、多摩川沿いの地、今の川原北公園付近にありました。


(中略)

その家で小さかった歳三も見て、遊んで育ったと思われるのが、樹齢250年もの大木が並ぶ「とうかん森」です。」』(日野市観光協会HPより)



という、とうかん森。

すっかり変わってしまった一帯で、ここだけが昔と変わらぬ面影を残しているとのことで

石田寺(せきでんじ。土方家墓所)にお参りするたびに、この小さな森の前を通り

大きな木の肌を触って、百数十年の昔に想いを馳せるのが楽しみでした。


周囲の人家に危険が及ぶ恐れが出たため

数本を残して、切り倒されることとなったのだそうです。






私の部屋にある椋の木を見ながら

つくづく不思議な気持ちにとらわれています。

遠く鹿児島にやってきた木のかけらが

(わたしには、距離だけでなく、はるか時間も越えてやってきたように感じるわけですが)

この場所で人に影響を与え続けていることの不思議。中村公子のコーチングna日々♪

今、自分の目の前に残ってあることの不思議。








話は変わるのですが

この椋の木がやってきたちょうどその日

小さいころから世話になっていた伯父が亡くなりました。


伯父は、私が覚えている記憶の中で

最初から白髪頭で登場。

その頃は、たとえて言えば「大きなガキ大将」のような人でした。
子どもの頃はよく遊んでもらっていたんですが

そのうち遊んでもらってるのかいじめられてるのかわからなくなってくる(笑)


そんな感じにとてもかわいがってもらいました。


中村の家の男手の最長老がこの伯父で
まさに、わたしたちにとって、この椋の老大木のような存在でした。
ずっと、昔からそこにいて、これからも動かない巌のようにそこに存在し続けるのであろう…
と、なんとなく思っていたのですよね。





通夜の夜は、とても穏やかで和やか、もっと言えば

笑顔の絶えない通夜でした。

なんでも、大往生だったそうで、伯母もすっきりとした表情で。

「さすが、おじさん!」と思ってしまったくらい。

最後まで、やってくれるじゃないですか。




笑えたのは

二十数年ぶりに会った伯父の二男が、伯父そっくりになっていたこと。

遺影に手を合わせて振り返ると後ろに本人が立っていて「ぎゃっ!」とびっくり…とうくらいにそっくり。

ざっくりと、豪放磊落な感じも、いたずらっ子のようなところもそっくりになっていました。

そして、その存在感はとても安心感をもたらすものでした。





「ああ、形はなくなっても、なくならないんだなあ」

と。

その人が残したものは形を変え、受け継がれ、人に影響を与え続けていく。

静かに過ぎる通夜の夜

伯父はいなくても
伯父が残してくれたたくさんのものは確かにあの場所を満たし、わたしたちに影響を与え続けているのを
感じたのでした。





巨木倒るとも。

その意図、思い、願いは残る。私の手元に残る椋の木片のように。




身近な人の生きた過程を思うことも

歴史上の偉人のそれを思うことも

最近、わたしにはまったく同じことに感じられます。

「歴史」なんてひとくくりなものは存在せず

かわりにそこに、一人一人の笑い顔や泣き顔の

生き生きとした一瞬一瞬の繰り返し、その連なりが見えるのです。

木片を見ながら

伯父が「今日一日」のていねいな積み重ねで長い年月を生き切ったように

明日もまた頑張ろうと思うのでした。



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