とにかく「循環」が大事。身体も世の中も。

 

 

 

 

年に一度も会うことがないんですが(遠方なので)

その暮らしぶりに、憧れている人がいます。

 

 

 

「きのう今日と2日で数年ぶりに蓮の植え替え。

今日植え替えた2鉢目は細い根だけど芽が出かかっているので

そぉーっと。

アーシングもしつつね」

 

 

と、この写真とともにアップされていたので。

 

 

(可愛い足袋。地下足袋ではないです。着物用の普通の布のものだそう)

 

 

 

 

早速「アーシング」に食いつき、下記のコメントを書きこみました。

 

 

 

「昔の人たちは『わらじ』か『草履』か『下駄』。

生活=そのままアーシング、だったんだよなあと思います。

 

今、手持ちの下駄は、桐で軽いんだけど、裏に滑り止めのゴムが貼ってあるんですよね…。

ゴムじゃない、昔ながらのものが欲しいなあ、と思っているところです。

 

 

 

それからちょっと本筋からずれるんですが、

鹿児島でずっとお座敷芸を今に伝えている方が、

 

 

『自分の社中では、ゴムの裏のついた下駄は絶対に買わない』と。

 

 

理由は『すり減らないから』。

 

すり減らない→下駄がいつまでも持つ→下駄屋さんが回転しない、

からなんだそう。

 

たくさん書かせていただきありがとうございます!」

 

 

 

 

早速に返事が来ました。

 

 

 

 

「公子さん、たくさん書いていただき、ありがとうございます!

 

そうなんです!

生活自体がアーシングだったんです。(自然というか)

ゴム底の靴を履くようになって、

地球と絶縁して、名前の長い病気とかが増えたそうです。

 

 

手作りの布のわらじとかいいですね。

 

そして下駄。そのこと改めて書こうと思っていたとこですよ。

私も下駄が大好きで、それも底にゴムが付いてないやつ。

 

 

そう、減るんです。

斜めにへったりするんでね、左右交互に履いたりしてました。

家の近くだと歯が5㎜くらいになっても履いてました。

もはや下駄に見えない!とにかく気持ちがいいんです。

 

 

ヤフオクとかで台を買って、下駄屋さんで鼻緒をつけてもらってました。

あまりいい客ではなかったな。

 

公子さんのお知り合いの方は下駄屋さんのことをちゃんと考えて、すごいなと思います。

 

自分の健康は自分で守らないと、ね。

 

たくさん読んでいただき、ありがとうございます!笑」

 

 

 

 

 

 

まとめ。

 

 

①大地と「循環」すると、身体が元氣になる。病氣も減る。

(この方いはく『骨密度も上がる』らしいです)

 

 昔は自然素材の履物だったので、歩いているだけで「地球と繋がり」「循環」していた。

 地球と「絶縁」して150年の日本人。

 

 

 

②健全な「循環」によって「文化」「技術」も続く。

 商売も成り立つ。

 

(伊勢神宮の二十年毎の建て替えも一緒ですね。

優れた伝統技術の伝承に大いに一役買っている。

 

いつのことだったか定かではないですが、式年遷宮をせず

 

「コンクリートにすれば長持ちする」

 

と言った政治家がいるそうで。

全くもってそういうことではなく、「次元が違う」話なんですが)

 

 

 

 

 

 

今日は、「循環が大事」の話でした。

 

 

 

 

 

 

《追伸》

アーシングについて、上の知人がこんな動画を送ってくれました。

面白いです。

ご興味ある方はぜひご覧ください。

 

「95%の人間は大地と繋がっていない。

このことは炎症などの疾病の最大の原因です」

ダウン・トゥ・アース

 

 

 

「着物は暑くない、疲れない~いろいろと理に適っている」

 
 
 
 
着物が好きな割に これまでほとんど着ることがなかったので 
機会を見て、なるべく着るようになりました。 
着方含め、着物を着てわかること、などなど… いろいろと初心者目線で実験中です。 
 
 
 
 
で、 先日、一日着物を着ていた日の発見をフェイスブックに 短く書きました。
タイトルは「着物は暑くない。疲れない」。

 

 

 

『この間、一日中着物の機会がありました。
午前中は屋外。 タクシー移動で午後は室内で講演会。 
さらにタクシー移動で懇親会(座敷)へ。でもって電車で深夜帰宅。
 
で、感じたこと。
 
 
 
①着物は(思ったほど)暑くない。
露出が多い=涼しい、というわけでもない。 
この日の東京は湿度高め。 なので肌が隠れている分かえってサラッとして過ごしやすい。
風も開口部から適当にいれることができる。
 
 
 
②着物は疲れない。
帯が適度に背中をサポートしてくれ、姿勢が保ちやすい。 
背骨一つ一つをちゃんと積み上げて姿勢をキープできる感覚がある。 
骨盤あたりをキュッと締めるので丹田に意識を持って行きやすく、 
結果、上半身(胸、肩)の力が自然と抜け、リラックスしやすい。 これぞ「上虚下実」。
 
 
 

(これがその時来ていたもの。サマーウールに、紗の羽織もの。麻の帯、だったと思う)

 
 
 
 
 
【結論】着物は疲れない。暑くない。
 
 
キツかった。二度と着ない、という人にたまに会うのですが、 
わがご先祖たちが「日常着」として着ていた着物が苦しい、 
というのが何か間違っている、と思っていたんでした。

(それは、着方に無理があるのだ)

 
 
実験してみて、いろいろと体感出来ました』 以上。 
 
 
 
 
 
 

この上の文章は、東京旅行の時のことを書いたもので、

 
 
「旅先で一日、朝から晩まで着物でいる」
 
 
ということも、結構なチャレンジだったなあ、と思い出すわけですが、
その点を鑑みても、
なおかつ、ホテルで自分で着脱、トランクに着物一式を持って移動した、
 
 
 
ということを合わせても、
 
 
 
 
結論。
「着物は、日常着」。
「着物は、イケる!」。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

春を寿ぐ

立春もすぎ
心身ともに起動してきた感じがしています。
やっぱり日本人は立春からだな~と、なんとなく。

さて
先月、誕生日だったのですが
クライアントさんからプレゼントをいただきました。
ブックカバー。
襖に使う紗紙を使ったものだそう。
持っている文庫本の中で、一番大切にしているものに付けてみました。

「使い込むうちに
手なじみがよくなっていく過程をお愉しみください。
古くなってからは、紙を軽く揉んで書包みすると
紗紙独特の風合いが生まれます」

本当に!
肌触りがよくて、持ちやすい。
持っていて手が喜ぶ感触。
落ち着いた色の市松模様です。
なんだか、早春の野山を見ているよう。
筍が頭を出し始めたころの野山の色合い、といった感じでしょうか。
目にやさしい。
「彩り市松栗文(りつもん)」とあります。

「古代より世界中で存在し、最も古い柄のひとつとして知られます。
日本では家紋や正倉院の名物裂などで多く見られる柄です。
森羅万象を司る相対する陰陽を表しており、
市松模様のような終わりなく続いていく柄は、永続、途切れぬご縁を示す吉兆柄です」

永続、
途切れぬご縁を示す吉兆柄。
吉兆柄…(嬉!)
市松模様はよく見ますが、恥ずかしながら今回その意味を初めて知りました。

幸せだなあ、としみじみ。
そのような思いをさりげなく意匠に込めてくださる存在とつながっているという喜び。

時間は動き
人も自然も様々なものは変化してゆくわけですが
昔の人はだからこそ
きっと言葉や模様や、そんないろいろなものに
「続いていくこと」への憧憬や祈り、思いをこめたんだろうなあと
そう思いました。

冬を経て
ふと空を見れば
昨日より今日、今日よりあした。
膨らみを少しづつ増す軒先の桜のつぼみ。
道すがらの満開の紅梅。
毎年繰り返される春の営みに、今年もまた出会える喜び。
春は「続いてゆく命」の息吹を肌で感じて
その輪の中に生きている自分の命を寿ぐ季節なのかもしれません。
なんだかとても感動しているわりに
まとまりませんが^^

「ななつ星、その後」

 

先月
JR九州の、デビューしたての豪華クルーズ列車
「ななつ星」を踏切で見かけ
追っかけて駅まで行ってしまった。

という話を書きました。
その時は「ななつ星」は、もはや車庫でお休み、ということで、会えなかったのですが。

その後を書いていませんでしたが
翌日、ちゃんとななつ星に会いに行きました。
午後3時。
私の他にも、結構たくさんの人。
みな、ななつ星を待っているようです。
でも、「鉄道オタク」という感じではない。
みな、美しいものが見たいのだろうなあ、と思ったり。

時刻を少し遅れて
ななつ星はやってきました。
「プァン・・・」
と、汽笛?(じゃないですよね。何ですか、アレ)を鳴らして
遠くから、ゆるいカーブを描きながら近づいてくるキラキラと光る車体。
その姿は
鉄道ファンでなくとも「おおっ!」と声が出てしまいます。

さて
これが前面から見たところ。
深いワインレッドが重厚。

 

これが最後尾。
大きなガラスの空間一面が客室になっているのですよね。

 

え~。
室内です。
これは、食堂の部分ですね。

 
 

 
客室も撮らせてもらったのですが
個々人のお客様が宿泊中のお部屋だったので
アップは控えます。

カーテンは竹の御簾。
パテーションの役割をはたすすりガラスの文様や
壁の組子細工と、和の美しさも満載。
職人さんたちの技が贅沢に、あますところなくちりばめられた室内。
きっと、「ななつ星」に携わった方々は、みな楽しかったろうな、嬉しかったろうな、燃えたろうなと
そんなことを思います。

それは
乗務員さんの表情からも言えることで。
みな、「美しい表情」でした。
緊張感、大きな責任、そして内側から溢れる静かな「誇らしさ」。
そのたたずまいと表情からはそんなものを存分に感じることができました。
「ああ、みな、今、本当に幸せそうだ。みな『生きて』いらっしゃる」
何だかそんなふうに思い。

最上の「価値」を新しく生み出す場に携わる。
自分の持てる技、力のすべての最高をいかんなく出し切れる場所で。

式年遷宮の時も思いましたが
そのような場があるということは、一個の人間の生命力の「活性化」「目覚め」「開花」
という意味でもとても大切ですし
人間の歴史、伝統、文化、精神という全体から見た
「大きくつながるもの」としての「活性化」としてもとても大切なことだと
感じます。
人間という大きな一つの生命体としての活性化、とでもいうんでしょうか。

人は、このような作業を通して
ずっと「よきもの」「美しきもの」「最高のもの」を伝えてきたんだろうな、と
目の前のこっくりとしたワインレッドの美しさに触れながら
少し、しみじみと感動。

 

 とても素敵な制服だったので
お断りして撮らせていただきました。
ななつ星のエンブレムが胸に眩しい・・・。

一言で言いますと
「創意工夫でもって
新しい価値を果敢に、優雅に生み出す人を応援せずにはいられない」

という話なのでした。

 

日本人は「ともに」の民族ーお宮参りと婚礼と

 

日本中がオリンピック招致決定に沸いた8日。

 

朝5時の生中継を、いつにない、がっつりメイクの顔で見つめていました。
日本中の皆さんとその瞬間を喜び、
もう一つの慶びの席へ出発。

この日は、クライアントさんの婚礼という晴れの門出に
お招きいただいたのでした。

くれぐれも失礼がないように、
そして、心からのお祝いを表したいと、
着ていく衣装選びや、晴れがましくもお声掛けいただいたスピーチの準備と、
それまでの時間もとても楽しみながら迎えた当日。

9月に入っているけど鹿児島はまだまだ暑い。
紗の一つ紋の色無地でいいだろう。
礼装用の夏帯は持っていないので、この際だから帯のみ新調。
帯の柄は…悩みます。

いつもなら、少し抑えた色、柄のものを選ぶけど、
今回は吉祥紋がしっかりと織られた、華やかな絽の帯を選びました。
とにかく、すべてを総動員してお二人の門出の「場」を祝いたい、という思いがあり。

 

好みよりも、その場にいる「景色」の一つとして、祝いの力をより持ったものを選ぼうと。
(文様ひとつとっても、意味と力があるわけで)

…とまあ、詳しくないなりに考えて考えて、選んでいく
プロセスの楽しかったこと。

 

当日
鶴の柄の白無垢に身を包んだ花嫁さん。
もう、それはそれは美しくて!

新郎新婦を囲んでの記念撮影の後
神殿にての挙式となりました。

ここの神宮は、オープンペースといいますか、
自由に、誰でも間近で挙式を見ることができます。
ちょっと能舞台に似ている感じの神殿です。

厳かに式が進む中、多くの方がお参りがてらやって来ます。
みなさん、挙式をしているとわかると、
お子さんに「しーっ」と声をかけ、そっーとお参り。

「きれいね~」

「花嫁さんだね~」

 

と言いながら
見守ってゆかれる。

この日、境内には、
お宮参りの赤ちゃんもたくさん。
初々しいお母さんとお父さん。
そして新しい、萌える命をしかと懐に抱いて、誇らしげなおばあちゃんの姿もかっこいい。
もう、みんなきらきら光っている感じです。

「うわ~、神様、喜んでいらっしゃるだろうな」

と、ふと、そんなことを思いました。

この世に命が生まれたことを神様に報告し、ご加護を願う人々。
成長し、ただ一人の人と巡り合い、

新しい縁をつなぐことを神様に報告する人々。

人生のいろいろな場面がそこにあって、
それらをそこにいる人たちがともに祝っている。
とても自然に。
みんな一緒に。
かみさまのもとに集いながら。

「日本人の命の営み」

そんな言葉がふと、浮かんできました。

日頃は意識することはありませんが
わたしたちのDNAの中にきっと、しっかりと刷り込まれているのでしょう。
そんな気がしました。
何が、かといいますと

「ともに」

という感覚、でしょうか。

人とのつながり
命のつながり
そして
かみさま(といいますか、見えない大きな何か、を随所に見、それを信じるという心)とのつながり

いつもは忘れてしまっていますが
わたしたちは、自分たちで思うよりずっと
そういったものと密接にかかわり
そして助けられて生きているのでしょう。

目にはみえないけれど
わたしたち日本人を根っ子の根っこでつないでいる

 

 

「何か」。

それを

この日、全身で浸る幸せな感じとともに

味わったように思いました。

 

「すだれから日本人を思う」

ちょっと
京都っぽく使ってみたくなりまして。この言葉。

「建具替え」。

といっても
家じゅうのカーテンを全部とりはらって
「すだれ」
(というか、竹製のロールアップカーテン)
に替えてみただけなのです。
ベランダには「よしず」。


これが…
ほんとうに、具合がよいのですね。
家の西向きの部屋は、直射日光が入ってくるわけではないのですが
とにかくとても「まぶしい」部屋でした。
向かいにある建物の反射がまっすぐに差し込んでくる。


普通のカーテンですと、何とも光量の調節がしづらかったのです。
縦に窓を区切ることになるので
どう閉めても、不快な光がはいってくる。
かといって、全部閉じるとうっとおしい。

が、すだれだと横に窓を区切るので
「空の面積を調整できる」のですよね。
仕事机に座っていて
空を見たい分だけ、光を浴びたい分だけ1センチ刻みで「上げたり、下げたり」…。
(この微妙な要望に見事応える竹のすだれの威力が面白くて
5分ごとに席を立って巻いたり下げたりしています)

すべておろすと
部屋の中が心地よい薄闇に満たされます。
けれど
外界をすべて遮断してしまうのではなく、竹の隙間から
柔らかに入ってくる日の光と、そして、風。
これは…

小さいころ夏になると遊びに行ってた
ばあちゃんちのほの暗い「闇」に似ている、と気づきました。
田舎のばあちゃんの家の座敷。
吹き抜ける風が心地よい、それはとても落ち着く静かでさわやかな仄暗さ。

縁側があって、
農家の家らしく、軒が深く。
それらは、外界と家の中とを自然につなぐ場所でした。
家の中でもない、外でもない
あいまいな、乗り入れの空間。

そもそも、日本の住まいと言うのは
西洋の住まいのように
「内は内、外は外」
と「かっきり」と分けるのではなく
いつのまにか、家の中に入ってました、というような造り。

縁先で自然の風に吹かれる。
庭の虫の声と、人工物である風鈴の音を共に「美しき音色」として聞く。
明るいことのみを善しとする、というよりは
光と影を表裏一体、一つのものとしてとらえ、どう取り入れるか
どう遊ぶかを考えた室内のしつらえ。
そういうあいまいさ、混ざった感じ、渾然一体とした感じ。
そういうものが、日本人の培ってきた感覚なのだろうなと思います。

この感覚。
この「分けない」「決めつけない」「はっきりさせない」感覚。
「一緒」な感じ。
日本人のよろしくないところ、ともいわれていたこともあったように思いますが
(わたしも、かつてはそうだと思っていましたが)
でも今は、ここがいいのだ、と思っています。

ここにこそ
日本人らしい創造の源がある(のではないか?)
と思っています。

たいそう舌足らずな文章となりました。
とにもかくにも、夏を乗り切る先人の知恵はすごいぞ!快適だぞ!
と言うことを身をもって体感しました、ということだけは
胸を張って言えるのでした。

「羊羹を食べる」

このひと月ほど
羊羹が食べたくて仕方がない。

頭の中を駆け巡るのは
わたしにとっての「KING OF 羊羹」。
切ってしばらく置いておくと外側に白い糖分がじゃりじゃりと固まってつく
大分は日田の赤司羊羹。
立派な箱に入って、とても「特別感」のある堂々たる姿でした。

四角いシンプルな姿の奥に、いろんなものが凝縮されているような
奥ゆかしさ。
一回に1センチ食べるのがやっとな感じの、あの荘厳かつ重厚な甘さ。
さすがは、天領の地の羊羹。
(関係あるのかわかりませんが)

ウエディングの仕事をしている頃
日田出身の同僚が、家に帰るたびにお土産として持参してくれていたのでした。
懐かしい。

さて
このあたりで手に入るはずもなく、仕方なく近所の
「創業安政元年 かるかん元祖 明石屋」
に急ぎます。
広い店内に走り込み、ざっと目を滑らすと店頭に並ぶのは「木目羹」のみ。
これは「蒸し羊羹」。
一人でいっきに半分は食べられそうなやわらかさと軽さが魅力なのです。
今日はこれじゃない!
店員さんに言ってみました。

「これぞ羊羹、って感じの、羊羹中のようかん、ありますか」

渋いお茶を飲みながら
2センチくらいに上品に切ったその一切れを
ゆっくりと味わうしかない。
いっきになんてとても食べられない、あの羊羹独特の静かな甘みと濃厚な密度のパワー…

そんな羊羹です!
(とまではさすがに言いませんでしたが)

購入したのはこれ。

1369965448559.jpg 

楽しみです。ああ…。
ちなみに、自分のためだけに羊羹を。
ケーキでもシュークリームでもなく、羊羹を、しかも丸ごと一本(一棹でしたっけ)買うのは
初めてなことに気づき。

「どうして、羊羹なんだろう」

と思ったのですが。
持ち重りのするかたまりを目の前に据えてしばらく。
納得がゆきました。

「ああ、わたしは『間』がほしかったんだな」

…新しいお茶を買ってこようかな。
せっかくだから、前にもらった漆塗りの菓子楊枝を箱から出そう。
おしゃれな器がないなあ。
羊羹をこれくらいに切ったとして器にはこれくらいのスペースが…

と、頭の中で「羊羹シュミレーション」が目まぐるしく展開していることに気づき(笑)。
それは、地味ながら、とても満たされるものでした。
シュークリームやケーキではどうも、こうはいかない。
これらはわたしにとってはなんというか、やっぱり「日常」なのですよね。

その存在は
喩えて言えば足元にすり寄ってくる毛足の長い愛玩犬のよう。
「見て見てほら、かわいいでしょう!?」と言わんばかりに
突進してくるあのテンション。
いいんです。好きだし。可愛いし。
かわいいんですけれど、なんというか「間」はできない。

かたや、羊羹は
凛として、まっすぐに前を向き、孤高を保つ柴犬のような?
その愛らしさはあくまでも奥ゆかしく。
媚びないので、容易には近寄りがたいけれど。
じゃれなくてもいいから、ともに寄り添い、静かに縁側で庭を眺めていたいような。
(…だんだん、何を書いているのかわからなくなってきました)

とにかく
羊羹が食べたかったというよりは
自分が「羊羹を食べる」ということに対してイメージ(というか、妄想)している「ひととき」を
とても必要としていたんだな、ということに気づきました。

ばたばたと流れていく時間。
目まぐるしい日常。
そこからいったん切り離されたかった。
ただ、そこにある「瞬間」を味わう時間がほしかった。
そういう感じでしょうか。

濃い紫と何の飾りもない、ただただすっきりと四角い姿は
そのような集中にとても似つかわしい気もします。
なんともストイックなあの形状。

「忙中閑あり」。
お茶室の中で流れるような「一瞬の永遠」の時間を
一棹の羊羹に託してしまっていたのでした、というお話でした。
…「羊羹」で、よくこれだけ書けるな~と
自分の妄想力を少し恥ずかしく思いつつ。

みなさんは
どんな方法でそういう時間をとるのでしょう?
とても聞いてみたい気がします。

「みちびき~弟の結納」

 

せっかくの鯛が
ぼやけてしまいました。
残念。

DSC_0594.JPG

晴れの日のために、背びれ、尾びれまでちゃんとお化粧した
ツヤツヤの鯛です。
しっぽに飾りまでついている!
間近でこういう鯛を見たのははじめてなので
興味津々でのぞきこんでしまいました。
本当は指でうろこをつん…とさわってみたかったんですが
縁起物なのでそれはやめにしてと。

11月の初め
弟の縁談が調い、先方様へ「結納の儀」に出かけました。
家族がそろうこともめったにないので
全員でごあいさつかたがた出かけよう、ということになり。

緋毛氈の上に並べられた品の数々が
白・朱・金・銀…たくさんの色を部屋中に振りまくさまは
なんとも気持ちが華やぐものです。
並べるひとつひとつの品の由来や意味
以前は全部覚えていたのになあ、と
うんちくをその場で披露できないことを少し残念に思いつつ。
かつては「ヨロコブ…だじゃれ?」などと不届きなことを思っていましたが
今思えば『言霊』『文字の力』ということですね。
「寿恵廣(すえひろ)」
「寿留女(するめ)」

願いと祈りのこもった美しいおめでたい字で表す名前の数々です。

両家、正座で対面し
ぎこちなく、けれどなごやかに「儀式」は終わりそのままお膳での会食へ。
なんというか…
よいものですね。こういうものは。
昔からの決まりごとにのっとり、伝えられているとおりの道具を使い、作法を行う。
意味は定かにはわからなくとも(わかっているともっと良いのでしょうが)
そこに「受け継がれてゆく魂」のようなものを感じます。
品物、作法、文言…長いことかかって洗練され、形式となった「それら」には
やはり「力」があるように思うのです。
そこに、長い間人々が込めてきた思い。
それに重なって、今日この場に集う人間たちの込めた願いと思いと喜びが
この美しく華やかな「道具」に、「言葉」に集約されているように思います。

余談ですが
わたしがウエディングプロデュースの仕事をしていたとき
結納や媒酌人などは省略、というご家庭も多かったように覚えています。
あの頃は「今時、もうそういう『形式的な』ものは廃れてゆくのだなあ」と
ことさらそれに対して何を思うこともなかったのですが
今は
そういう「昔から伝えられてきた形」を無造作に
無駄、非効率的、意味が分からない、とばっさばっさと切り捨ててきたところに
今の日本の問題の一端があるのでは??
と思っているので

「結納にみんな来て」
「式は霧島神宮で挙げる」

と弟が言ったとき
「よく言った!我が弟よ♪」

と、つい頭をぐりぐり撫でたくなったものでした。

さて、話を戻します。
今回のこのご縁。
偶然にも母方の実家のある地域の方とのご縁でした。
母の祖父と、先方様のおじい様は顔見知りだったろう、という話が宴席で出て
みなで驚くことひとしきり。

11歳離れた弟の顔が、きりりと引き締まり
いつもと違う顔に見えたこの日。
長押に飾られたたくさんの古い写真に見守られながら
集っている人たちよりもはるかにたくさんの人たちの
「祝福」の気持ちがその場に満ちているのを
確かに感じたよき日でした。

多くのご縁に導かれて、今始まろうとしている
弟とお嫁さんの新しい人生。
幸多からんことを!

*追記*

上に載せた「鯛」の写真を見かねて
姉が送ってくれました。

感謝。

「地球の鼓動~天地明察に思う」

 

 

中村公子のコーチングna日々♪-DSC_0567.JPG

 

 

 

 

 

いい焼き具合です。

まさに食べごろ。

 

このとき食べてしまえばよかったんですけど

実際は焦がしてしまいまして。

だいぶ黒くなったものをいただくことになってしまいました。

 

知人の家のウッドデッキで最近こんなことをよくやります。

「バーベキュー」ではないんです。

昨日は、「秋の味覚をめでる」と題して

実際は冷蔵庫にあった野菜などなんですけれど

そういうものをのんびりと食しながら話をする。

ご馳走でなくてもよいのです。

心地よい冷たさの夜風と、虫の声と月と、それから熱燗があれば十分。

(昨日はもはや月はなく、星がきれいでした)

 

中村公子のコーチングna日々♪-DSC_0569.JPG

 

 

きっかけは「天地明察」(映画です)。

 

中秋の名月から五~六日も過ぎた先々週の半ば

この知人と一緒に見に行ったのですが

 

「日本人に生まれてよかった~!」

 

 

とまあ、二人とも

すっかり感動してしまったのでした。

特に

映画のエンドロールに出てきた二十四節季がくるくると回りながら宇宙に浮かぶ

壮大な映像にすっかりまいってしまったのでした。

 

その日は寒空の下

煌々と光る居待月を見上げながら小一時間も話をしたものでした。

暦のこと。農業のこと。季節の行事のこと、日本の食文化のこと…。

 

 

そのとき、しみじみと感じたのです。

あまりにも自然の運航と(季節と)切り離されて

日々せわしなく動いている自分たちの「時間」が

なんとも寂しく、一瞬一瞬があまりにももったいな、と。

 

小さいころは

もっと生活の中に自然と「季節のリズム」が入ってきていたように思います。

 

お正月や節句や七夕、十五夜のほかにも

毎年の味噌づくりや山や田んぼや畑での作業と

その季節ごとの「生きること」に根差した「何か」が

がたくさんあったものでした。

そしてまた、それらと無心に「戯れる」大人たちの姿も見てきました。

 

「よいしょがっ」(寄り正月)といって

親族で集まるお正月は旧歴で大々的にやっていましたし。

昔は、行事のたびに家で「寄合」があり

そのたびに部屋は、ふすまが外された広間となり

橙色の明かりの下

月を愛で、酒を飲み、上機嫌で歌い、笑い、踊る大人たちの姿がありました。

それはそれは楽しそうでした。

見ている子どもの自分もとても幸せで。

 

何とも懐かしい思い出です。

ああいうの、いいな、と思います。

その時期その時期に、自然がくれるものをありがたくいただいて

とても満たされて生きている人たち、という感じでしょうか。

 

 

なんというか、うまく言えませんが

「地球の鼓動」とリズムを取り合って

生きていたということなのかなと。

 

 

今も、目を向ければ

地球は変わらずどくどくと鼓動をしているのですが

もはや、あのころのようにわたしは季節と(自然と)仲良しではありません。

それが、なんとももったいないことに思えます。

 

そこにあるのに。

ずっと、変わらず多くのものをわたしたちに与えてくれているのに

わたしたちのほうで、共鳴できなくなってしまった。

声を聴けなくなってしまった。

リズムを合わせることができなくなってしまった。

という感じでしょうか。

 

8年前、病気をし

回復の頃、山歩きをしていたときに

はっと頭にひらめいたことがあります。何の脈絡もなく、ただそう思ったのです。

 

 

「神様は(自然は、でいいんですが)

人間がただ、幸せに笑って、歌って、踊って、喜んでいるのを見るのが好きなんだ。

そのために人間をつくったんだ」

 

 

と。

木の葉の間からさらさらと漏れ差し込んでくる陽の光と一緒に

まるで降ってきたかのようにそう思いました。

 

私が小さいころに見ていた大人たちの姿は

そういう姿に近かったように思います。

そして、それはすなわち、「地球のリズムと一緒にダンスを踊る」ということなのかなと。

さらに、日本人というのは

太古の昔からそもそもそうやって生きてきた民族なのだろうなと。

それこそが「日本人の真骨頂」といいますか。

 

昨日は新月でした。

その旨を知人にメールすると

 

「今日は体を休めたらいいよ」

 

と。

知人も私も

これからますます「生きる」ということが

シンプルになってくるんだろうなあ、と思います。

 

 

 

 

「心を向ける~海を渡ってお墓へ行く人」

 

昨日
朝のバスの中で隣にすわったご婦人。
大きな花の包みを抱えていらっしゃいました。

包装紙に包んだ菊。
鹿児島ではよくみる光景です。

菊の横から顔を覗かせている背の高い黄緑のとんがらしのお化けみたいな大きいのが気になって
声をかけました。

「それ、何ですか?」

そこから話がはずんでしまい
しばらく時間が過ぎました。

「お花はご仏壇だんですか?お墓ですか?」
とわたし。

鹿児島では
お墓をとにかく大切にするので
お墓へいく方のこういう姿は
お彼岸でなくてもよく目にします。

「お墓参りにいくんですよ~、今から」
「そうですか~」
「桜島なんです」
「えっ」
「天文舘でおりて、水族館口までいって…」
「そのあと歩いて、それからフェリーに乗って…ですね」
「はい。この間はそのあとが大変で…向こうで、いると思ったバスが出ていて、一時間も待ったんですよ」

この方は
いつもこれだけの手間暇と時間をかけて
お墓参りをしていらっしゃるのか。

「桜島のお墓に行くときは
二三日前からもう、いろいろと考えるんですよ」

瞬間
ばたばたと忙しぶっていた自分を思いました。
いかに早く
たくさんのことをする?
それが最大の「善」になっていた自分を。
周りにもそれを求めていたことを。

ふと口をついて出ました。
「ご先祖様…とっても喜んでらっしゃると思います。
時間をかけて、手間をかけて、そこが何より、一番大切なことの気がします」

 

 

大切な人のために
自分の時間を使う。
丁寧に、心をこめて準備をして。

効率とか、短時間にいかにたくさんのことをするかとか
そんなところにはない
大切な「価値」です。

そこに
どれだけ丁寧に、真剣に心を向けるか。
その、目に見えないエネルギーは
必ず伝わり
一番大切な土台を日々作っていくのだと
感じています。

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