「七夕飾りの意味」

って

みなさんご存知でしたか?

わたし、知らなかったのです…(恥ずかしながら)

次のような意味があるのだそうですよ。

星星飾り~織姫と彦星をあらわす

星貝~海の恵みを受けられるように

星ひし形つなぎ~裁縫が上達するように

星ちょうちん~織姫と彦星にあかりをささげるため

星短冊~字が上手になるように

星吹流し~機織りが上達するように

星網~豊漁

ちなみに

中村公子のコーチングna日々♪

情報源はこちら→

(モスバーガー某店に貼ってありました)

「お裁縫」「機織り」

当時の女の子たちにとっては

必須の習得技術だったのですもんね。

そして

「字が上達するように」

自らの修練を前提とした奥ゆかしい願い、とでもいいましょうか。

とても美しく、奥ゆかしいものに感じられます。

このような願いを

少しはにかみながら短冊に書いて

たおやかな白い手を伸ばしてそっと笹につるすような

そんな女性になりたかった…。

そして

「豊漁」「海の恵みを受けられますように」かあ。

命の糧は

願い、祈り、授かるものだったんですね。

わたしたちの祖先にとって。

小さいころに

この由来を知っていたならば

もっと心をこめて飾りをつくっていたのになあ

もっと、わたしにとって意味深く、味わい深いものになっていたのになあと、

そして、もっともっとこの「七夕」を大好きになったのになあと

(今でも、十分なくらいに大好きなんですけれど)

少しだけ残念に思いました。

若いお父様、お母様方

もし、よろしかったら、お子様に話してあげてくださいね。

ぜひ。

「世界一の庭師 石原和幸」さん

外でお茶を飲んでいるんですが

ちょうど店の目の花壇の植え替えをやっています。

赤土色の煉瓦も運び込まれ

これまで植わっていた植物はすべて根っこからなくなって

なかなか大掛かりなイメージチェンジのようです。

そして

この作業をやっているのが、これまたなかなかおしゃれなジャケットにジーンズ

先のとがった革靴を履いた男性の方々。

「いやあ…庭を作る人って、本当におしゃれなんだ」

と思いながら見ています。

なぜかというと

「世界一の庭師  石原和幸トークショー」

に昨日たまたま行ったのですが

石原さんも、とってもおしゃれな方だったのです。

(まあ、トークショーの舞台ですからね)

イギリスの「チェルシーフラワーショー」という権威ある庭つくりのコンクールで

優勝した日本人がいる、というニュースは

以前、偶然テレビで目にしていました。
中村公子のコーチングna日々♪

外国でよく見る

花いっぱい、幾何学的な対象の造詣の庭に混じって

深い緑の苔に一面覆われた、異世界のような

(それでいて私たちに日本人にはどこか懐かしい)

幽玄の世界はテレビを通しても強烈なインパクトがあり

その庭が他国の人たちに

絶賛される様子が映し出されていました。

その、石原さんが昨日、鹿児島にいらしていたんです。

石原さんがどんなプロセスで「チェルシーフラワーショー」で

(「ガーデン難民」なんて呼ばれながら)

3回も優勝するにいたったか、というお話や

そもそもどんな風に花屋をはじめたか、というお話もとても楽しい部分だったんですが

映像で紹介される石原さんのつくった「庭」そのものに

とても惹きこまれるものを感じました。

(写真は、会場にかざってあった石原さんの作品)

「源」

「青嵐」

「雲庭」

「緑の扉」

「風花」・・・

庭のタイトルも何だか、

わたしにとっては、ひとつひとつ

目を閉じて味わいたくなる響きを持っています。

「かっこよい庭をつくろう、とは思わなかった。小さい頃、森の中につくった『秘密基地』をつくろう!と思った」

「自分の生まれ育った町三原町は天空の城ラピュタよりすてき。

夏の蛍。葬儀のときに花を添えて送った思い出、牧草地に咲く花・・・

頭の中のこれらをつくり続けたい。」

中村公子のコーチングna日々♪

チェルシーに出るにあたって、コンセプトを考える際

「熊本の白川の景色を見たとき『勝った!』と思った」

(とても早口で、長崎弁のイントネーションも豊かにリズムよく

お話なさったので聞き間違いがあるかもしれませんけど)

石原さんデモンストレーション中→

お話を聞いていると

石原さんを動かしているものは「原風景」「原体験」なんだなあと思います。

石原さんのからだの中に入り込み、石原さんを作っているもの。

そして今も脈打ち続けているもの。

それは同時に、わたしたち日本人のからだの奥に、記憶の奥底に共通して

脈々と流れている「もの」といえるかもしれません。

それらの感性が、石原さんという稀に見るパワフルな「媒体」(表現者)を通して世界の人をうならせ

郷愁を誘い、感動をおこしている。

なんだか、とても誇らしい気持ちになったことでした。

余談ですが

今回石原さんは指宿にも行かれたそうで

近く、天神や・・・あと、どこだったか忘れましたが

指宿の観葉植物がメインとなって会場を飾る大きなプロジェクトをいくつかなさるのだそう。

「指宿の植物で会場を埋め尽くします!」とおしゃっていました。

ちょうど先日、指宿の観葉部会の方々の研修をさせていただいたばかりでしたので

わがことのように嬉しくて

この発表のときはちょっと騒いでしまいました。

「天から降る音」

 

「伊勢神宮展」というものががあって

それで「巫女舞」が見られるというので寄ってみました。

 

 

「浦安の舞」と「悠久の舞」と、あともう一つ。舞われるということで

これは行かねばと。

この日は朝早くからちょっと遠い場所での研修だったので孵ってこれるかな~と心配しつつ。

 

でも、何とか3時の舞に間に合いました。
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どうして「巫女舞」を観たいと思ったかというと

まあ、もともとこういうもの全般が好きなこともあるのですが

「懐かしい」とうのもあったのです。

 

 

わたしは、この舞のうち「浦安の舞」を舞うことが出来ます。

と、いいますか、「かつて舞うことが出来ました」。

 

昔、結婚式の仕事をしていたんですが

勤めていたプロデュース会社では

結婚式当日はいつも、スタッフ全員で役割を分担していました。

 

その日の総指揮をとるものが一人。

これは、半年から1年かえて、着々と新郎新婦と共にその日に向けて準備をしてきた担当者がやります。

ずっとともに準備してきたその集大成の一日なわけですから

担当者にとっても想いひとしおの一日となります。

 

そして、他のメンバーは

新郎新婦付き(花嫁のアテンド)その他のスタッフとして、式と披露宴の運営の実行部隊となる

というわけです。

 

さて、その役割の中に

「巫女」というのが、ありました。

神前挙式の際の、あの巫女さんです。

 

式の最後に

ご両家の末永いご多幸を祈念して「巫女が舞を奉納する」ことになっていました。

今でも思い出します。

青空の下

朱色の袴と白いちはやの袖がふわりと動くさまは

観ていていつもほんとう心がひきしまり、また華やぐものでした。

 

このときの舞が「浦安の舞」だったのです。

スタッフみんなで神社まで研修に行き、一生懸命特訓したものでした。

中村公子のコーチングna日々♪

 

さて
この日も

雅楽の生演奏で、たくさんの美しい楽器が姿をそろえていました。
そして、舞が始まり

はじめは「ああ、懐かしいな…」と思ってみていたんですが

 

そのうち、なぜか「得体の知れない涙」が…。

(我ながらびっくり)

 

「そんなに懐かしいのかな」

 

と思ったんですが

どうもそうでもないんです。

「音」なんです。

音が「細胞に染みる」。

 

笙の音が空中にわあ~っと広がって

舞を舞う4人の巫女さんの頭上にひかりの柱が立ち上っているような

そんなふうにわたしには見えました。

笙・篳篥・竜笛…それぞれの音が共鳴して、天井の高い屋外ドーム全体に広がって

言葉ではいえないんですがとても心地よいのです。

 

 

確かに「懐かしい」。

そう

この「懐かしい」をあえて言葉で狂言すると

「もっともっと昔から、この感じを知っていた」とでもいうような…
中村公子のコーチングna日々♪

民族のDNAを揺さぶられるような懐かしさ、とでもいいましょうか。

 

舞の合間に

楽士さんたちが説明をしてくださいました。

 

篳篥は人の声

竜笛は天と地の間、空を飛び回る龍

笙は天の音

 

天と、地と、それをつなぐ中空が表現されている。

 

きっと

太古の昔、わたしたち日本人は

特別なことでなく、こうして心をこめて、感謝をこめて、目に見えるもの、見えないものへ

舞をささげていたんでしょうね。日常の行為として。

歌を歌い、舞い、自然と遊び、喜ぶのがとても上手な民族だった気がします。

 

さて

舞が終わってから早速

「鹿児島雅楽同好会」の方に(会場にいらしたのです。神主さまでした)

「普通の人も習えますか?」とお尋ねしてみたことでした。

 

もし、習い始めましたら

また報告させていただきます。

 

 

「てんがらもん」その後

 

 

 

 

 

 

 

一昨日書いた「てんがらもん」という言葉の話↓

 

https://ameblo.jp/businesskouko/entry-10678745559.html

 

 

 

これに、メールをいただきました。

その方の了解を得てご紹介します。

 

 

 

 

「さて

 

 

てんがらもん。

 

もうかなり昔、

奄美のほうの正月や盆や親戚が集まる席で、

障害のある子どもは家の一番上座に座布団を高々と敷き

皆で囲んだという話を読んだことがあります。

 

 

『親戚の難儀やつらいことを

その子が背負って生まれてきてくれたのだから

親戚皆でその子を大事に家の中心において

もてなし感謝する』

 

 

という話でした。

 

 

確か新聞の古い記事だったと思います。

温かい気持ちになり、感動しました」

 

 

 

 

 

 

てんがらもん~天授者

 

 

 

 

 

 

 

この言葉の意味を知って以来

 

自分の中をいろいろな思いがめぐっています。

 

 

 

自分の中のあれこれ。

 

 

自分の中のさまざまな部分もすべて「天からのもの」なのだろうなあ、ですとか。

(今、少しマイナスに感じているような部分もすべて)

 

 

なんだか、自分の中の「てんがらもん」な部分が

とてもいとおしく、そして、そこにこそ大きなパワーが潜んでいる感じが

今、しています。

 

 

 

 

そこにこそ、わたしがわたしである理由がある。

そんな気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天からの者~てんがらもん」

 

 

 

 

 

 

セミナーに行った先のキャリアカウンセラーさんと

発達障害の話になりました。

 

 

 

彼女とはもう4年来のお付き合いで、

1日が終わった後の心地よい脱力感の中

いつもいろいろと熱く語り合うのが恒例となっています。

 

 

 

 

 

彼女のところのセミナーをやっていて、

いつもこの「発達障害」のことについては話題に上るのです。

 

若年者の就職支援のためのセミナーなんですが

「もっと早く、なんらかの働きかけがあったら」と

痛感せずにはいられない若者たちと、

出会うこともあるのです。

 

 

 

 

これまで、

延べ1000以上の人の若者たちのカウンセリングを

日々行ってきた彼女にとっては

その思いはもっと大きいようです。

 

 

 

 

長いこと、

「人と同じでない」「人と同じことが出来ない」子どもとして

さまざまな場面で「思い知らされて」成長し、大人となった若者たちは、

 

彼女の前に現れたとき、

いちように相当傷つき、自己肯定感を低くして

やってくるのだそう。

 

 

 

 

 

聞いていてふと思いつき。

 

 

 

 

「話は変わるんですけどね」

ふと、最近見た「歴史秘話ヒストリア」の話を彼女にしたくなり。

 

 

 

 

内容はといいますと、

江戸は文政年間。

 

 

狸を愛してやまず、家の中でたくさんの狸と住んでいた人がいた。

(長屋なので、なんて近所迷惑な)

 

 

ところが、

火事で狸を全部うしなってしまう。

その落胆はもう一通りではない。

 

すると、周りの住人たちが、

お金を出し合って新しい狸をプレゼントした。

(周囲もどうみても、裕福な暮らしではないだろうに)

 

 

 

 

家の中で、畳の上でたくさんの狸と住んでいる隣人なんて、

今だったらお役所に「なんとかしてください!」と

訴えが行きそうな感じですが、

 

 

一風変わったそういう人たちを、

 

「変わってるなあ」

「しようがないなあ」

 

と思いながらも

受け入れ、包み込み、助けながらいっしょに生きている

その時代の雰囲気がとても心にほっとするものとして伝わって来。

 

 

 

 

「昔の日本は幅があったといいますか、

『ちょっと違う』ことを

おおらかに受け入れる土壌があったんですねえ」

 

 

とわたし。

 

 

 

 

すると

その話を聞いていた彼女がいきなり

「公子さん、『てんがらもん』って知ってます?」

 

 

 

 

てんがらもんって、あれですよね。

昔はよくその言葉を聞きましたね。

鹿児島の方言なんですよね。

 

「あいは、てんがらもんじゃっで(あいつは、てんがらもんだから)」

 

というふうに使いますよね。

意味は「元気もの、乱暴もの、破天荒なもの」という感じでしたっけ。

 

 

 

 

すると、

「こんなサイトを見つけたんですよ」

 

 

 

と、彼女が見せてくれたのは

「鹿児島発達障障害児親の会」

というサイトでした。

 

そのサイトの名称が「てんがらもん」というのです。

そのサイトにあったこの一言に

思わず目が引き寄せられ、動けなくなりました。

 

 

 

 

「てんがらもんとは『天授者』

 

 

鹿児島では、活発な子ども、目をひく子どものことを

『てんがらもん』といいます。

 

 

 

発達障害という言葉もなかったずっと昔、

 

郷里の先人は、この変わった子どものことを

『天からの者~てんがらもん』と名づけました。

 

天からの子どもですので、おろそかに扱うことは出来ません。

親も地域も無意識のうちに支援や配慮をして

『てんがらもん』を見守り育ててきました(後略)」

 

(てんがらもんさんのサイトより抜粋)

 

 

 

 

 

 

天からの者~てんがらもん

 

 

 

 

なんと、なんと美しい言葉なのでしょう。

なんと美しい響きなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

この美しい言葉で

異能を発揮する、

(ゆえにあるときは、変わった、扱いにくいとされる)

子どもたちを表現した薩摩の先人たちに感動すると同時に、

 

その子どもたちの「本質」を

こんなにも適切に知っていた先人たちに

畏怖の念さえ覚えたのでした。

 

 

 

 

 

 

これは何なのだ?

この最高の感度のセンサーは。

 

 

 

そして、

「てんがらもん」という言葉を生み出した人たちのDNAを

文化文政の江戸の人たちと同じ日本人としてのDNAを

わたしたちも持っているはずなのです。

 

 

 

 

 

「天からの者」

 

 

 

 

この言葉、何度見ても

身体の奥がしめつけられるような

祈りたくなるような切ない感動をもって

私の胸に迫ってくるのでした。

 

 

 

 

(「鹿児島発達障害児親の会」サイトhttp://www2.synapse.ne.jp/tengaramon/

 

< p target=”_blank”> 

 

 

 

 

※続きの記事

 

「てんがらもん。その後」

https://ameblo.jp/businesskouko/entry-10680296917.html

 

 

 

 

 

「薩摩自顕流」

 

 

 

ここ最近

よく行く文具店の近くに貼ってある「野太刀自顕流」の看板がやけに気になっていたのです。

 

以前から何か武道をやりたいな、と思っており。

でも、体力がないから本格的な武道はムリだろう^^;

よし、「殺陣」にしよう、と思い

 

 

 

でも、鹿児島にそう都合よく「殺陣」を教えてくれるところなどないのです。

(あったら、どなたかご一報ください)

 

そんなこんなで忘れかけていたところ

 

 

 

 

ひと月くらい前に日野市の井上源三郎資料館☆から

「天然理心流演武」の写真の絵葉書が届き

           ↓

http://shinsenhino.com/archives/weekly/080930202642.php

(この日に撮影されたもののようです)

中村公子のコーチングna日々♪

 

 

天然理心流かあ~

見て見たいなあ。でも、鹿児島ではムリだし

そうなると、自顕流かあ。

「道場剣法じゃない。実践的。野太い」感じが

ちょっと似てるかなあ

(知識がないのでざっと本から得たいいかげんなイメージ)

 

 

 

そういえば、近藤勇も「自顕流は初太刀をはずせ」って

言っていたなあ。

(正確には「と、何かの本に書いてあったなあ」が正しい)

 

どんな剣法なんだろう。

薩摩人なのに、薩摩の伝統武道を知らないとは

これいかに…!

 

とだんだん興味津々になっていたところだったのです。

 

すると!(なんという偶然)

わたしが幕末オタクであることも、自顕流を見たいと思っていることも全く知らない方から

(だいいち、この2年ほど、お目にかかってもいないのですから!)

本日一通のメールが…。

 

以下抜粋。

 

『…私的には自顕流を始め、去る9/11-17まで米国シアトル遠征団に参加し現地の方々と交流しました。

 今後もこの交流が続けられるよう現地で支部づくりが行われる予定です。
 近い将来薩摩の子供たちを連れて行けたらと思います。

 自顕流は

 

 1.野外で裸足でする。

 2.あらんかぎりの声を出す。
 3.体全体で力いっぱい木刀を振る。

 

 この3点においてストレス解消にはもってこいです。

 さらに試合はなく、ただひたすら相手との間合いを計る訓練をいたします。

 プロジェクトで仕事をする方にはいい訓練だと思います。全く自分との戦いです。

 新撰組の近藤勇から恐れられた自顕流ではありますが

 現代的に意義が認めらつつあるように思われます。』

 

そして、上記の新聞記事の添付と

丁寧に、自顕流の練習場所と日時まで書いてくださっていました。

 

 

これは・・・

もはや「行け」ってことですよね。きっと。

 

 

 

近いうちに、見に行ってきます。

そのうち

「歌って踊って剣の振える肉体派コーチ」になるかもしれません。

 

「お神輿のかつぎ方」

 

 

ひょんなことからお神輿の話になりまして

 

 

 

 

目の前に「担いだことがある」という人が2人。

(男みこしと女みこし、それぞれ)

まずは

 

 

「本当に、重い」(2人の心からの声)

 

 

「あの重さを肩に感じた瞬間、『ああ、これは本当に心を入れて(性根をすえて、だったかな)

担がないといけないんだ』と思ったんですよね。

だから、御神輿は軽くちゃダメです!」

 

 

と彼女、断言。

(へえ~、そうなんだ~、何となくわかるような気がする、とわたし)

 

そして男性。

 

 

「35人くらいで担いでいるときにね(重さ一トンです)

明らかに、5人くらい担いでないだろ!、

 

というくらい重く感じる瞬間があるんです。

もう投げ出したくなる。

そのときに、逃げちゃダメなんです!」

 

 

 

 

 

「そういう時こそ、肩をぐっと!(と、彼はここで何回も、実際にぐっと肩を入れる仕草をしながら)

入れて、担ぐんです。そうすると…」

 

 

 

 

そうすると…

 

 

 

 

そうすると…

 

 

 

 

「そのときに、家族の幸せでも、商売繁盛でも、まあなんでもいいんですけどね。

聞き届けられるみたいですよ」

 

 

 

 

 

その瞬間、「耳痛っ!」と思ったんでした。

 

 

 

 

 

 

最近、数人でとあることをやっていて、

明らかに「おいっ、誰か神輿、担いでないでしょ!(重いんだけど!)」

 

 

 

と思うことがあったのです。

 

 

 

わたしがそう感じたとして、別にそこで怒ったり、人を非難したりする筋合いのものではなく、

そういうときこそさらにぐっと肩を入れて神輿を担げばいいのだ。

 

 

 

 

と気がづいたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魂の岩戸開き」

中村公子のコーチングna日々♪

このお祭りのこと

前からちょこちょこ書いていましたが

いよいよ「明日」なんです。

(詳しくはこちら)

2ヶ月前、なんとなく書き始めた台本も

なんとこんな美しい和とじの本にしていただきまして

本当に感謝しています。

中村公子のコーチングna日々♪

この祭りに携わっていらっしゃる中に

それこそ

神話の世界から抜け出てきたようなご夫婦がいらっしゃって

その奥様のほうが、こういうものを作るのがとてもお得意で

いらっしゃるのですね。

中村公子のコーチングna日々♪

ちなみに、この、祭りの日の女性スタッフの扮装も

その奥様の発案

なんでも、腰紐も使わずとっても簡単に着付けて

あるらしいです。

(写真は祭りのリーダーのNAOMIさん)

中村公子のコーチングna日々♪

さて、昨日は

市内の埠頭近くにある公園で

お芝居の最終リハをいたしました。

「最終リハーサル」といったって

この日始めて参加の方はいるわ

動き自体、「最終リハ」で作るという

いいかんじの「ゆるさ」のお芝居です^^

中村公子のコーチングna日々♪

こんなことをして遊んでいる人も・・・

音を入れてくださるSHINOさん。

この日は本番で使うドラムではなく、カホンを持って参上。

これは、打ち合わせではなく

カホンに坐っておじぞうさんのマネをして

遊んでいるところなのですラブラブ!

このお芝居は、当日、生で音を入れます。

ドラム、シンバル。

それに、

銅鑼、天吹(笛です)、法螺貝、鈴・・・

多彩な音で「神話の世界」。

神代の昔、八百万の神が集った「天の安の河原」(あまのやすのかわら)を再現します。

日本人のDNAに染み込んだ土着のリズム、エネルギーで

会場に集うスタッフ、お客様すべての人たちと「岩戸開き」を体験したいのです。

(まあ・・・「村祭り」みたいな雰囲気になるといいな、ということです)

「かれ天照らす大御神の出でますときに

高天原と

葦原の中つ国と

おのずから 照り明かりき

おのずから 照り明かりき

おのずから 照りあかりき」

神さまは(自然は、でも、宇宙は、でも何でもいいんですけれど)

人が、本来の「質」を存分に生かして、笑い、歌い、自然に笑いあっているのを見るのが

何より好きなのじゃないか

そんなことを、なんとなく、昔から思っていました。

そして、「祭り」というものは

神さまに(自然、でも何でもいいんですけど)その姿を捧げるもの

感謝と、あふれんばかりの喜びの気持ちを全身で持って表現するもので

それが、歌になり、踊りになったのだろうなと。

「再び世の中に光が満ちた」

というこの言葉を

明日は、鹿児島の地から、全身で、喜びとともに、みんなで神さまにお届けしたいと思います。

たくさんの人たちの心の岩戸がいっせいに開いて

「おのずから」光に満ちることを祈りつつ。

・・・ご出演のみなさん、しっかり家で練習してきてくださいねっ!

たのみますよっ!

「さつま寄席」

 

 

 

行ってきました。

 

「上方落語 桂吉弥 はなしの世界」

 

中村公子のコーチングna日々♪-吉弥さん

 

 

サイン、いただきましたので早速アップラブラブ

 

結構前から好きだったのです。「桂吉弥さん」

(それは誰だ?という方はコチラ をどうぞ。

有名なところでは少し前の朝の連ドラ「ちりとてちん」にご出演でした)

 

 

 

もともと

自分が落語をするなら「芸名」(っていうんですかね?)はこれにしよう!と

学生の頃、名前まで秘かに決めていたくらい

落語自体が昔から好きだというのもあるんですが

 

加えて

結構以前から

テレビのドラマで見て「ああ、いいなあ」と思っていた方だったもので

いそいそと出かけました。

 

 

 

さて

今日は3名のご出演で

お一人目が高座に上がった瞬間から、仕事柄いろんなことを考えてしまい。

 

 

どのくらいで会場は暖まるだろう?

演者が出す声(というか、とにかく雰囲気のようなもの)が

会場にどんな影響を与えているか?

力技で会場をかき混ぜようとしているか?

それとも、自然に水滴のようにお客さんの中に入ってきているか?

 

 

なんてことを

アンテナを立ててぴりぴりと感じ取ってしまいます。

 

 

ああ~、何分で枕を終えて(つまり、アイスブレイクですね)

中身に入ったな。なるなる…

 

よ、ふと時計を確認してしまう自分が悲しい。

 

 

 

さて、そんなで話を楽しむ自分と、妙に客観的な自分が同居しつつ時間は進んで行き

本日のトリが吉弥さんなわけですが。

 

 

 

はい

終わった時にわいていた感情は

あえて言うなら…「妬ましい」(なんとおこがましい!)

 

プロの「すばらしい仕事」を見るとよく感じる感情です。

「くっ…こんなにいい仕事をしてるなんて!」

という感じでしょうか。(なんと、プロの落語家さんを前に大胆な感情)

 

 

 

 

はじめは確かに『吉弥さん』を見ていたのです

吉弥さんだ~!テレビとおんなじ顔してるやん♪

あれ、なんだか前よりふっくらしてるなあ、ですとか・・・。

 

 

それが話が進むにつれて

視界がぐ~っと狭まってきて周りの屏風も何も見えなくなってしまい

 

真ん中でキラキラ光って、やけに吉弥さんだけが大きくなってき、

 

そしてそれはもはや吉弥さんではなくて芝居が好きで好きでたまらない

阿呆な若旦那と使用人の貞吉で吉弥さんは完全にいなくなっていました。

 

 

 

あらためて、落語はすごい。

あの話芸の世界はすごい。

日本の話芸はすごい。

 

 

 

 

 

言葉では描写できませんが、

今日わたしの体で感じたもの(間、呼吸、視線、声…その他たくさんのもの)は

多分わたしの細胞の中にしみじみと染みとおって

きっと、変換された形となって、生きてくるんだろうなと思います。

 

 

ああ、わたしももっと研鑽しなくちゃ!

 

と、元気の出た久しぶりの落語でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

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