「脳を見る~秘密 THE TOP SECRET」

人は自分の見たいようにものを見て、聞いて、感じている。

万人に共通の、不変の「事実」があるのではない。その人それぞれの「現実」があるのだ。

というのは

コーチングやNLPなど

コミュニケーションを扱う(「脳」の特徴、癖を扱う)分野ではあたり前のことですが

その「脳」をテーマにしたマンガ

秘密~THE TOP SECRET 」がこのたび完結しました。

中村公子のコーチングna日々♪

友人のNLPerがつい「大人買い」をしてしまったというこのマンガ。

(わたしもですが)

2060年。

日本の警察機構では

「個人の脳の中にある映像データを見る」という捜査方法が

確立されています。

死後、摘出された脳に電気刺激を加え

死者が生前見ていた映像を再生し

それをもとに犯罪を捜査する「法医第九研究室」。

死者の脳が見た映像を再生するということは

死者が見た犯人の映像だけでなく、その人が「見た」生活すべてが再生されてしまうため

(トイレの中からベッドの中まで、とにかく「見た」ものはすべて映像として再生可能)

プライバシー侵害の観点から

法医第九研究室(通称「第九」)で扱うのは猟奇的殺人などの凶悪犯罪のみ

ということになっています。

このマンガで興味深いのは

「人は同じものを見ても、同じようには認識していない」

ということが見事に描かれているということです。

例えば、ある事件で複数の人が死ぬ。

同じ場所に居合わせ、事件に至る数日間のプロセスを全員が共有しているのに

脳を見てみると皆「違ったもの」を見ている。

Aさんを憎んでいるBさんの脳に映っているのは

実際よりとても醜く、みすぼらしい姿の「Aさん」。

幼いころに虐待を受けた若者の脳に残っている映像は

大人の顔が欠けている。

もちろんほんとうに欠けていたわけではなく

「視覚者」(脳の持ち主)には「そう見えていた」わけで、そのとおりに再生されます。

「見ている人」のフィルター(心の状態やものの見方の癖)を通して「認識した」とおりのものが

そのまま映像としてスクリーンに映し出されるのです。

これが

読んでいて、切なかったり、怖かったり…さまざまな感情を呼び起こします。

人のどうしようもない醜さ

エゴ

現実からの逃避

狂気…

本来、その人だけの「秘密」。

永遠に他者に知られることはない最後の「聖域」である「視線(の向こうにある思い)」までも

すべてを残酷に、余すところなく「白日の下」にさらしてしまう

この「脳を見る」という捜査は

本当に重く、救いがないように感じられます。

こんなふうに

「犯罪被害者の脳」「殺人者の脳」を見る、という話なので

基本、気持ち悪い絵がたくさん出てくるんですが

中には光のあふれるような美しい場面もあります。

それは

そういう思い(フィルター)を通して世界を見ている人の「脳の映像」。

事件に巻きこまれ、殺された盲目の少年「学」と飼い犬「ZIP」

少年は目が見えないので、脳に事件の映像が残っていない。

そこで、捜査員はZIPの脳を見ることを思いつきます。

ZIPの見ていた映像が決め手となって事件は解決するのですが

最後に捜査員はZIPの見ていた「日常」を目にします。

満開の桜の木の下、空を見上げる学。

振りむく学。

手を伸ばし、近づいてくる笑顔。

犬の目線から見た見上げるような桜の巨木。

降り注ぐ光と花びら。

スクリーンに大写しで広がる学の笑顔。

「色のほとんどないZIPの見ていた日常は

いつもいつも少年を見ていて

あまりにも倖せで倖せで

すべてが優しさと愛情に満ち溢れていたので

本当にこんなに世界が美しいのなら

本当にこんなに愛があふれているのなら…」

人の「秘密」。

本来秘めておきたいとだれもが願っている「すべて」を捜査という名のもとにさらけ出し

それを見続けるという「第九」の仕事の重さに苦悩していた若い捜査員は

(青木といいます。主人公)

この画を見て泣きます。

そして

「自分と世界や人とのつながり」を、再び信じてみよう(というような意味のことを)

思う。


今、自分の脳を覗かれたら

いったいどんな映像が広がっているのだろう。

もし自分が死んで、脳を取り出されたら。

「世界」をわたしの目を通して誰かに見られることがあったら

いったいどんな世界としてスクリーンに映し出されるのだろうか…。

そう思うと

つくづく「2060年に生まれていなくてよかった」(笑)

と思います。

「秘密~THE TOP SECRET」。

数々の事件に秘められた「秘密」を軸に

登場人物たちの人生を巻き込み、うねり、とんでもない方向に激走しつつ

今月、完結!


「赤ちゃんの一歩」

この一か月ほどいろいろと「決める事」が多いのです。

たまたまシーナ・アイエンガ―教授の「選択の科学」の授業シリーズをテレビで見ていたこともあり

「選ぶ」

「決める」

ということにおける自分のパターンについて多く考えた1か月でした。

あらためて、一番強く感じのたは

自分の中の「ホメオスタシス」の存在。

「新しい世界へ行く」

「これまでと違うことをする」

「枠を広げる」

こういうような体験を自分にさせようとすると

必ずと言って「邪魔」^^がはいる。

さらに大きく広がろうと願う自分に対して

おもしろいくらいに体中が反応して「今」にとどめようとする自分が出現します。

疲れる…。

この一か月の「選択」の勝敗ですが

半々。

ホメオスタシスをすりぬけて、心行くまで納得の、会心の、心躍るような選択を

自分にプレゼントできたのが半分。

悪戦苦闘の末

ホメオスタシスに「負けた…^^」のが半分。

と思っていたのですが

その「負け方」が一回目より二回目と。

少しづつ変化(進歩)してきているのに気づきました。

ましな負け方、になってきている。

ちなみに、いま私の体重は、年末からすると4キロほど減っているんですが

ゆっくりゆっくりと落ちてきたのでした。

急に500グラムくらい落ちてしまった時には

必ず400グラムは後戻りしていました。

体に負担がかからないよう、安心安全に、ゆっくりと。体を慣らしながら。

私の命がいつも安全であれるよう。

恒常性維持機能(ホメオスタシス)は頑張っている。

「選べなかった」「怖さに負けた」

と思っていたときは、そういう自分がどうしても腹立たしく、悔しく

たいそうなエネルギーの枯渇を感じていたのですが

この1か月

わたしを急激な変化から守ろうと大奮闘していた

もうひとりのわたしの「切なる願い」に目を向け

さらには

「負けた」と感じた出来事の中にすら、自分の「前へ」の一歩を確認した時に

やっと自分を心からいとおしく感じることができました。

さて

新しい世界へ向かう時、変化成長してきたい!と思う時の

最初の一歩は「ベイビーステップ」。

歩き始めたばかりの赤ちゃんの最初の一歩のように!

たとえ40度の熱が出てもできることから。

というのはNLPの師菊池さんの大好きな喩え。

わたしも使わせてもらって、しょっちゅう言っているんですけれどね^^。

周りの方々には。

「歩き初めの赤ちゃんって、そもそも自分の『一歩』の歩幅なんか

いちいち気にもしないよね」

と言ったのは、私の友人コーチ。

「ですよね~。何にも考えないで、自然に体が動くだけ

それが赤ちゃんの一歩ですよね」

とわたし。

眉間に立じわを寄せ、脂汗を流しながら踏み出す一歩は多分「ベイビーステップ」ではないだろう…(笑)。

(そんな赤ちゃんがいたら怖い)

自分に関してはいろいろ無茶するものです。

そういう自分も好きなんですけれど。

「冬が来た!~変化のサイクル」

節分を過ぎ

心身ともにすっきりとしてきた感じがしている今日この頃。

「日本人はやっぱり節分を境に新しいスタートよ~」

などとつぶやきながら心地よい寒気の中を動き回っています。

中村公子のコーチングna日々♪

冬は大好きな季節です。

よく思い出すのはこの詩。

「冬が来た

きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になつた
 
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た」

数年前

NLPのある講座で「変化のサイクル」というものを知りました。

自然界の摂理・動植物・人・組織・または出来事、ある関係性などなど…

およそ、この世にあるすべてのものがたどる

変化のプロセス。

創造

 ↓

成長

 ↓

成熟・複雑系

 ↓

動乱

 ↓

カオス(危機)

 ↓

ドロップ・オフ(手放す)

 ↓

休眠

 ↓

創造

成熟し、紅葉した葉をすべておしげもなく手放し

来たるべき春にむけて

吹きすさぶ寒気の中にただ立ちつくし「休眠」の時を過ごす木々のように

無駄なものをそぎ落とし

自分を研ぎ澄ますのに

この冬という季節はとてもあっている気がします。

息もつかせぬ寒風の中

凍りつく星空の下

冬は容赦なく、その鋭い刃物をつきつけるような強さで問いかけてくる気がします。

「お前は、何者なのだ?」と。

肥沃な土地に深くおろした自分の根を久しぶりに振り返り

そこから静かに滋養を得つつ

その根から育ち、今ここにいる自分の咲かすべき花について

あらためて思いめぐらす

節分なのでした。

「終幕」

昨日
無事、全14日間にわたる
NLPトレーナーズトレーニングの全行程が
終了しました。

まさに
長い長い一本のミュージカルが
幕を下ろすかのような瞬間でした。

すべてのキャストが舞台に上がっての
グランドフィナーレ。
みんなで手を繋ぎ互いのパフォーマンスを振り返り
讃えあい

そして
ライトがストンと落ち
スポットの中に
佇むクリスティーナ・ホール博士。

その声は
とても静かでかすかなのですが
さざ波のように場内に広がり
そしてやがて
その場にいる一人一人の人生に分け入り
大きな影響を与えていくのだろうと

体の中心でそんなことを
感じた終幕でした。

ちなみに
実際に舞台があったり
ライトがあったりしたわけでは
ないんですよ。
手を繋いだわけでもない。
机のある普通のセミナールームなんですから。
ただ
例えるとまさに
そんな感じ、ということなのです。

クリスのセミナーはまさに上質のドラマの構成のように

一つの大きなテーマの中に
たくさんの小さなテーマと伏線が張り巡らされ
それらがセミナーが進んでいくにつれて
絶妙のタイミングで回収されつつ
エンディングに向かってゆくきます。

ミルフィーユのような
繊細な層の重なり。

その作り方を学びつつ
自らがどっぷりとそのものに浸った14日間でした。

お酒がゆっくりと醸成されるように
クリスからもらったリソース
たくさんの仲間たちからもらったリソースが
自然に自分のものとして
融合されるのを楽しみに待ちながら

まずは帰途に着きたいと思います。

Android携帯からの投稿

「英雄の旅」

この間、長崎の「自分の本質を生きるセミナー」(でしたっけ?タイトルを忘れてしまいました)

で、あるお一人の参加者から

「ジャンパー」

というお言葉をいただきました。

空間を瞬時に移動できる能力を持つ主人公が出てくる映画がありましたけれど、その「ジャンパー」です。

「今ピラミッドの頂上にいたと思ったら、次の瞬間にはもうぜんぜんちがうところにいる

中村さんはそんな感じです。トラベラーです」。

その場で顔がひきつってしまいました。嬉しくて。

もちろん旅好きだからというのもありますし

何より

自分がこの仕事を通して、やりたいと思っていたことを一言で言い表されてしまったような気がしたからです。

「非日常を旅する」という感覚は昔から好きでした。

今思えば、中学校の教員時代、そしてウエディングプロデューサー時代を通して

自分がもっとも「価値を感じてきたこと」だったように思います。

50分の「授業」という場の演出

そして2時間半の結婚式と披露宴という場の演出を通して

「非日常」「異空間」の中での「視点の転換」「気づき」「発見」そして「感動」をつくりたい。

その場にいた人の心に忘れられない何かが刻まれ、その後の人生によき影響をもたらし続けることを願って。

それがわたしにとって「授業をする意味」「披露宴を演出する意味」でした。

今はそして、クライアントさんとの時間をとおして、やっぱりやっているのはそのことです。

やりたいことって、変わらないんだなあと思います。

クライアントさんの中を、現在から過去へ。未来へ。

高い空へ、深い海の底へ…自由自在に二人で飛び回り

その人の「宝」を見つける旅。

その人の望む人生にむけての古地図を二人で開き

途中に出てくるドラゴンを倒しアイテムを獲得しながら二人で進む、それはまさに「冒険の旅」。

その人の深い魂の目的に向かって二人で歩む「約束の地への旅」。

わたしにとって、セッションとはまさにそんな「時空を越えた壮大な旅」です。

どんな映画にも、ドラマにも劣らぬその方にとっての「旅の物語」がそこにはあります。

一人の思いを、願いを、祈りをともに歩むたびというのは、こんなにも深く、遠く

そして心震える体験なのかといつも感じます。

中村公子のコーチングna日々♪

そんな「旅好き」が

今、舐めるように幸せな心地で読んでいる本。

「…キャンベルはアメリカの神話学者であり、長年あらゆる時代のさまざまな物語、伝説、神話で、男女双方を含んでいるもの全てを研究しました。そしてこれらの物語や例には、共通のある「深層構造」があることに気づき、それを『英雄の旅』と名づけました」

    (本書19ページより)

英雄の旅(ヒーローズジャーニー)のプロセスは次の8つ

  1天命を聞く

  2天命を辞退する

  3境界を越える

  4守護者を見るける

  5字分の中の悪魔と影に立ち向かう

  6内なる自己を育てる

  7変化を遂げる

  8帰還する

わたしが望んでいたセッションははまさにこういうことだなあ、と思いながら読んでいるんですが

それより何より、まず自分の心の中が盛り上がってしまってしようがありません。

この高揚感と焦燥感はなんだろう?

まるで自分の中で、何度目かの「旅立ちの鐘」でも鳴り響いているかのような。

コーチという人種は

みなさんの「旅」のお手伝いをしつつ、自身も旅人をしているわけですが

旅の途中の大きな宝の発見かもしくはドラゴンとの格闘か

はたまた賢者との出会いか・・・

自分自身の「旅」の大きな変化の予感も感じているところです。

「懐かしい写真」

中村公子のコーチングna日々♪

ヴォイスさんから

先日の講座の写真が届いたのでアップしてみました。

懐かしい。

今回が初めての講座だったので、わたしたちは「一期生」ということになるそうです。

もう三月くらいも前のことのように思えます。

赤いジャケットがシャンタル。

一番右の、黒い服の女性が「スーパー通訳」さん。

お仕事で海外によく行くらしい

イメージコンサルのYさん(写真右後方)の言によると

「同時通訳ってのは、ものすごい集中力を要する。

テレビでよく見る同時通訳さんも、途中で交代している。

それを…あの人はすごい!!」

確かに。

一日。朝の10時から夜の7時前まで。

シャンタルのあふれ出る言葉の奔流を

よどむことなく、一度のひっかかりもなく、たんたんと、流れるように

日本語に変換し、わたしたちに伝え続けてくれました。

しかも、こちらの(受講生の)、ときにはとんでもなかったり、突拍子もなかったり、意味不明?な発言も

顔色一つ変えず、やはり淡々と意味のある流れでシャンタルに伝える。

頭の中で、瞬時に何が起こっているんでしょう。

なんでも、訳した瞬間にもうそのことは忘れてしまうのだ、とYさんは言っていましたが。

(そこが集中のカギだと)

さて

写真を見ながらそんな懐かしいあれこれが少し、よみがえってくることでした。

みな、それぞれの場所で、それぞれの時間をスタートさせているんでしょうね。

それにしても…

わたしはどうしてあんなに顔をはらしているんだろう?

多分、ほぼ毎晩だれかと食事に行っていたせいでしょうか。

それだけが少し気がかりな

懐かしの写真です。

「『チェンジ』エージェント」

昨日遅くに鹿児島に帰還しました。

大阪→そのあと少し京都で遊んで帰ってきました。

(あまりの暑さにフラフラしながらの「史跡めぐり」に「戦跡めぐり」)

その間の仕事のことも含め

書きたいことがたくさんあったのですが

すべてがあわただしく過ぎたこの半月となりました。

まずは米国NLP協会認定コーチ&チェンジエージェント養成講座。

無事終了しました。

終わって思うことは

さて

はたしてわたしは「チェンジエージェント」となれたのか…??

「人のよりよい変容を促す人」

その「変容」をテーマに

(単なる変化ではない。より深い「変容」。

すぐにもとに戻ってしまう「第一次変化」ではなく、「第3次変化」。

その人の人生を変えるような、蛹が蝶に変容するような「別の次元への変化」)

そこに向かって

言語のスキル、考え方、そして何より「あり方」を学んだ8日間となりました。

講師のシャンタルの8日間の姿勢そのものが

なにより「人の変容を促す人」の雄弁なモデルとなって

あたたなか水のようにいつも場を満たしていました。

その水の中で

自由に泳ぎ、たくさんの栄養をもらっているのがわたしたち参加者、という感じでしょうか。

魚は自分が水の中にいることを意識しない。

でも、そこから受けている恩恵と愛には計り知れないものがある。

というか、水があるところまでしか泳いでいけないし

そもそも生きてゆけない。

「わたしたちの思考が、わたしたちに関するすべてを創りだしている」

それが、シャンタルがもっとも強く伝えたいことの一つであったように思います。

そして、それを身を持って講座のあらゆる局面でわたしたちに見せてくれた。

いつも軽やかに、笑いながら。そして踊りながら。

そんな時間だったように思います。

8日間の最後の時間に

シャンタルの目に光ったものに

彼女の「思い」をみた気がしました。

シャンタルにとっても、日本での講座は始めての体験でした。

初めての土地。

初めて通訳を介して自分を伝えるという体験。

そして、

はじめて目にする、いつもと違う講座生の反応。

日本人の持つ反応の特性にきっととまどったことも多々あったことと思います。

(もう、わたしなど特に、シャンタルと眼が会うとしょっちゅう目を伏せていましたし…シャンタルごめんなさい)

その状況を

存分に楽しみ、その状況とダンスをし

「どんなことでも、その状況は自分自身が創り出しているのだ」

(人は状況の奴隷ではないのだと。つねに最善のものを創りだせるのだと)

そこに全身で「あり続けた」彼女に

わたしたちにそれを、全身で見せ続けてくれた彼女に

心から感謝しています。

そして、そうとう僭越ではあるんですが

心から拍手を送りたいと思います。

ありがとう。シャンタル。

「全部リソース」

ただいま。

昨日遅くに

(正確には「今日」になっていましたが)

まずは帰ってきました。

いくつか仕事をして

また金曜日に講座の後半を受けに行きます。

帰ってみると

封書やらあちらで見切れなかったメールやら何やら、少したまっていたりするんですが

それを開けてみると、いろいろな案件がでてきたりするんですが

ひっくるめて思うことは

すべてをいいふうに、いい方向に使っていけたらいいなということです。

シャンタルの講座の話なんですが

前半4日間、たくさん学んだことがありますが

その中で一つ、最たるものをあげるとすれば

「何があっても、何が起こっても

その出来事と遊び、戯れ、それを使って学ぶことができる」

という彼女のあり方。

そして、その方法。でしょうか。

いっきに全員の視点をそこへ移動させることができる。

会場が静かにしら~っと冷えている暇なんてない。

もちろん、あのとらえ方、あの表現のしかた

(言葉使い、声、表情、体の動き)はシャンタルのもので、そっくり使うことは難しいわけですが

その、彼女が出している雰囲気、感じ

その物事のどこに焦点を当て、どんな学び、成長の要素を抽出するかという

視点(切返しの技に)は

それこそ芸術性を感じました。

(シャンタル自身「コーチングはアート」と言っていて

その考えはとても私を嬉しがらせたのですが)

「これだよなあ~」

日々生活するうえで

生きていくうえで

つまりは

スキルを超えて、こういったも世界を自らのものとする。

そしてそのように生き、周りの人をもその世界に招待することができる

軽やかに。

(シャンタルはしょっちゅう「今からあなたたちを招待します」という言葉を使っていたっけ

ニコニコしながら)

そういうことこそが

コーチングやNLPを学ぶ目的ですよね。

あらためて

あらためて

心の底から思っている今です。

「チェンジ・エージェント養成講座IN大阪」

15日の夜から大阪に来ています。

「米国NLP協会認定 チェンジ・エージェント養成講座」

参加中。

「阿波座駅」から電車に乗って、地図でいくとユニバーサルスタジオの近くあたりを通って

(見えませんけれど)

コンテナたくさんの港などを見ながら20分。

毎朝ものめずらしさにきょろきょろしながら通っています。

講座のほうはとても楽しい時間が過ぎています。

講師のシャンタルさんの作る時間は、そうですねえ。

昨日

「音楽を聞くように(相手の話を)聴く♪」というワークがあったんですが

まさにそのような感じの時間が流れています。

心地よいリズムの音楽を聴いているような

全身そこにとっぷりとひたっているような

そんな講座です。

特にがんばったり、考えたりしているわけではないんですが

そこにいるだけで自然と細胞に染み入ってくる

そんな感じでしょうか。

とても深い学びの瞬間瞬間を

リラックスして過ごしている、と言う感じがします。

夜は…

といっても、ほとんど遊んでいる時間はないんですが

(いえ、時間はあるのです。疲れて寝てしまうだけで)

コチラの方に案内いただいてちょろっと梅田に出たり

そんなことをしています。

エスカレーターの「右より・左より」の違いや

「こむら返り」を本当に「コブラ返り」と呼んでいるかのチェックなどしたり・・・

小さな文化の相違の体験と確認がとっても楽しいところです。

そういえば

道を歩いていてこんなものを見つけました。
中村公子のコーチングna日々♪

「大塩平八郎終焉の地」

思わず

古い古い友にばったり出くわしたような感動が。

歴史の教科書の、王道を行くメジャーな事件の現場に

出くわしてしまいました。

テストの解答欄にカリカリと書いたのを思い出します。

「大塩平八郎」。

教科書の太字を飾る事件のあれこれに出会えるのも、嬉しいところです。

・・・忙しいけれど、大阪城くらい行っておかなくちゃ、と

ふと思ったことでした。

「あの時のマントはどこ?」

最近研修の中で

「あなたの好きなヒーロー・ヒロインは?」

というテーマで語ってもらうことをよくします。
このテーマ、さまざまな効用があります。

なんといっても「楽しい」。
みなさん、心に秘めたヒーロー・ヒロインはさまざまなんですが
語り始めるといっきに、会場の温度が1~2度上がるような気がします。

昔好きだったアイドルや
マンガの主人公や
映画の中の登場人物だったり
身近な人だったりと
本当にさまざまなんですが。
そのこだわりが面白かったりします。

さらに
皆さんが語るその姿に、これまでとは違う表情が明らかに混じり始めたりする。
そうですね・・・背広にネクタイのかっきりとした姿、リーダーとしての表情の向こうに
ふっと、透けて見えるのです。

はるか昔、夏の一日、そのアイドルのコンサートに声を枯らしたであろう若者の顔。
そのヒーローのテーマ曲を頭に思い描きながら
人生の難関をぐっ…と踏ん張ったなつかしい時を思い出していらっしゃるような
何とも言えない懐かしげなお顔。
そんな顔に、一瞬皆様が戻っているのを見るのは、なんとも心が熱くなるものです。

そしてさらに
そのヒーロー、ヒロインに惹かれる理由を通して
その方が生きていくうえで大切にしていることも垣間見えます。

その方は、物静かな感じの方でした。
選んだヒーローはマイケルジャクソン。
マイケルの生き方のどこに惹かれるのか、言葉を尽くして語ってくださるその姿に
「わたしも、そう生きたい」とおっしゃっているような
願いを感じたことでした。

みな、心の中に、大切なヒーロー、ヒロインがいる。
はるか昔に忘れてしまっているけれど
確かに私たちの無意識の奥底にあって、わたしたちの「何か」を形作っているようにも思うのです。

そんなことを考えていたら
心に響くCMを今日、見ました。

あるとき、自分はヒーローにはなれないと気づいて
それはおとぎ話だ夢物語なんだと
遠いところに置いてきてしまったけれど
いつしかあきらめてしまったけれど
本当に、そうなんだろうか。

「あの時のマントはどこ?
もう一度着る時がやってきた」

心の奥が
どくん

としました。

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