クライアントさんとの対話
話を聞こうよ、とりあえず!(それだけでいいからさ)
コーチングを始めた頃。
住んでいた場所もあってか、クライアントさんにアーティストさんが多かった。
踊る人に作る人、等々。
で、今また、先々週から1年ぶりに、
その頃からのクライアントさんのセッションをしている。
(大きなプロジェクトがあるときなどに、定期的にお声がかかる)
この方はダンサーさんで、
当時はご自分のダンススクールを主催されていた。
それから幾星霜(笑)
話を聞きながら
「変わらずすごいエネルギーだなあ」と。
とにかく、このエネルギーが途中で止まらないよう、
私は、聞いて聞いて聞きまくる。
溢れながら、どんどん太く、深く、この方が「自分自身」とつながっていく
その「回路」を、確保し続ける。
「出すだけ出して」
軸(方向)をはっきりさせて、
事柄を並べて、
優先順位をつけて、
整理する。
そのプロセスを手伝う、というのが役割。
で、先週。
ふと昔話が出た際、
(なんだかんだで長いですよね、と)
「公子さんが一番話せるんです。
わたしは『何言ってるの?』『できるわけない』というエネルギーが
本当にだめで。
伝わってくると詰まってしまう。パタンと閉じてしまう」
自慢ではなく。
その時、何に驚いたかって、
この方と出会ってから16年。
未だ厳密な意味で、本当の意味で
「語れる」のがわたしだけなのか⁉︎
ということに軽い驚愕を覚えたわけなのです。
人がいかに、
「掛け値無しの、聞き手」
=自分のエネルギーがどんどん溢れるような状態の場、
を求めているのか。
なのに出会っていないという…
それがある意味、とても腹立たしく(笑)。
ということで、今日は改めて言いたいわけです。
「とにかく、聞こうよ。目の前の大切な人の話をさ!」
それによって。
どれだけ「ひらく」人がいることだろう。
どれだけ「自分の源泉」とつながれる人がいるだろう。
どれだけ、前へ進める人がいるだろう。
どれだけ自信を持てる人がいるだろう。
どれだけ、本当に自分を愛せる人が育つだろう。
(いつも言いますが、これこそが「一生の財産」「真の生きるスキル」)
この方は、ただいま日本全国行脚の旅の準備中で、
それは、
「聖地への奉納舞の旅」
なのだそう。
各地の神社で、もはや粛々と始まっている。
(日本における
土地と、人と、祭り(=祀り・奉り)の関係・効果については、
わたしも大いに語りたいところですが、また後日)
初めて会った時、
この方の踊りに「アメノウズメ」を見たわたしなので、
(それはもう、太古の天岩戸にどかんとタイムスリップしたような氣分になりましたよ。
今でも思い出します)
このプロジェクトも、いともストンと腑に落ちつつ。
「共有」
「共振」
「増幅」
そして
「俯瞰」
の役割を通して、
いくばくかなりとでもお役に立てればと思っているところです。
「掛け値なしの、この人が、溢れる。
溢れて広がるその先に、
変化を起こす人、場所、地域、土地が必ずある。
それが起こる」
それを「知っている」のが、
究極私たちのような仕事の者の役割かもしれません。
https://peraichi.com/landing_pages/view/nagatuki
【コーチング・秋の特別体験セッションー「チーム自分」のつながりを強固にする】
家族の幸せのために何を?-その人は日本の歴史を学び直すことを選んだ
少し前、
「松平家のお片づけ」
という本を読んでいました。
(松平家、というのは徳川家の元々の家系、ですね)
著者、松平洋史子(よしこ)さんが子どもの頃のこと。
年末に自分の持ち物を全て点検し、いらないものはお手伝いさんが処分する、
ということを毎年やっていたのだそう。
で、よしこさんは、ある年、間違って国語の教科書(だったかな?)
を「いらない」方に仕分けしてしまった。
お手伝いさんはそれを処分し、
そして3学期。
教科書は当然、ない。
よしこさんは「忘れました」と言ってその場をしのいだそう。
けれど、それも何回もは通用せず。
先生はやがて、家に連絡をした。
すると、よしこさんのお母さまだったかお祖母様だったか
(ちょっと忘れましたが)
が言った。
「娘の判断ミスです。
本人に責任を取らせてください。
教科書は書き写させてください」
すごい…。
腹が据わっている。
自分の持ち物について考える。
年に一回、総ざらえして見直す。
自分の部屋という限られたスペースの中で、
何を手元に残し、何を手放すのか。
(松平家では、収納棚を安易に増やす、ということは
許されなかったらしい)
それは、
自分はこの一年、どう過ごすのか。
まさに、「自分」について考える、ということです。
自分の生活を(人生を)「プランニング」をする、ということです。
しかも、毎回毎回真剣勝負^^
何を書きたいかというと、
上記のような視点が、子どもの頃から自然と息づいていたということ。
この価値観を土台とした「思考と行動の訓練」が、
子どもの頃から自然と行き届いていた、ということ。
さらには、多分「松平家」という場所だから、
特に残ってきたのであって、
日本人、どの家も昔はそれが「普通」であったのではないか、ということ。
「断捨離」
「ときめくお片づけ」
それらをことさら言葉にしなくても、
それは日本人として、当たり前にできていたことだったのではないか?
ということ。
今日のタイトルは、私のクライアントさんのことです。
この方とのコーチングセッションはもうすぐ10年。
お子さんも増え、
そして、
緻密な努力と不断の工夫を続けてこられたお仕事も順調。
(そのプロセスをずっと私は見、聞き続けてきたわけですが)
たくさんの自由な時間を生み出すに至っていらっしゃる。
その、生み出した自由な時間で、クライアントさんが選んだ一つが
「日本の歴史を学び直すこと」
だったのです。
教科書に書かれていたものではない、
より本質の情報を学ぶため、有料受講なさっている。
「寄って立つもの」を。
「自分たちの中に流れているはずのもの」
を学び直したいのだ、
と、
一言でいうと、そういうことなのかなと。
(そういう言い方はなさいませんが)
子どもに、何を伝えればいいか?
子どもに、何を身につけて大人になってほしいか?
皆さんは、どうですか?
何を思い浮かべますか?
「必要とされる能力」
なんてものは、
時とともにどんどん変わっています。
例えば私たちが子どもの頃から、いまに至るまでの指導要領の移り変わり。
今は、「AI台頭」を前にまた色々と言っている。
何が正しいのか?
何にすがればいいのか?
どうすれば「幸せ」になれるのか?
(そもそも幸せとは何か、ですが)
大量のネズミが
あっちへだ〜っ、こっちへだ〜っと移動するように、
目先の旗に踊らされて右往左往してきたのが、多分この七十数年の私たち。
では、なぜ右往左往しているのか?
それは、私たちが、日本人としての「水脈」と。
「通奏低音」とのつながりを絶たれているから、なのではないか、と思うのです。
それを知らないから。
繰り返します。
私たちにとって、「美しい」のは何か?どんな価値観か?
本来何が私たちに「合って」いるのか?
この細長い島国で。
豊かに変化する四季の中で。
西欧文化とは明らかに違う、世界でも特殊な脳の機能を作り上げてしまう
「日本語」という言語を使って、
2000年以上にわたって営々と歴史と文化を紡いできたのが私たちです。
(詳しくはこちら)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12292650593.html?frm=theme
自分の子どもたちの心身の中に、脈々と流すもの。
遺すもの。
つなげるもの。
将来、
意識や思考を超えた、
最も深い部分で、彼らの人生を導き、方向付ける「在り方」として、
私のクライアントさんは、
「お天道様が見ている」
に代表される、「日本人」としての在り方、を選んだのだろう、
と思います。
何かあった時に
「寄って立つ」在り方として。
これは、私のクライアントさんのお話なのですが。
改めて、
あなたは、何を残しますか?何を伝えますか?
それを考えるということは、
つまり、自分自身の人生をどう使うかを自分自身に問う、
ということなのです。
「天から降りてくる糸は、自分でいかようにも太くできる」
レンコンが好きなもので
数日前の「ためしてガッテン」のレンコン特集、
録画して、前のめりでみました。
その中に、ミャンマーの「蓮の糸の織物」が出てきました。
ミャンマーでは、レンコンの栽培は盛んだが、レンコン自体は食べない。
葉っぱから糸を取って、織物にする。
その糸の、細く、繊細で、きれいなこと。
と。
その美しい糸のイメージもさめやらぬ昨日。
クライアントさんと話していたら、またもや糸の話が。
(前記事のクライアントさんと同一の方です。難関突破で見事望む仕事に就いた方)
「どうしても、公子さんに言いたいことがあるんです。
はじめ、私の前に降りてきたのは
本当に細い糸でした。
いつ、プツン…と切れてもおかしくない。
『その糸はつかんでもムリ』とも言われ。
そんな中で、その糸をともかくつかんでみよう、と思えたのが不思議なくらいでした。
でも…」
それでもつかんでみよう、と
そこにこそ縁を感じますねえ…
と思いつつ。
でも?
「そのことについてセッションで話をして
そして、他にもたくさんの人に話をして…
そうするうちに、どんどん糸が太くなっていった氣がするんです」
話すことを通して、
自分の中に浮かぶ夾雑物をの正体を見、手放し。
さらに
自分のリソースを見つけ、糸の先にある未来をイメージし。
それははからずも、どんどん糸に自分の意識を=エネルギーを向けて、注ぎ込むこと
ということだった、ということなんでしょう。
もちろんプラスの。
そして、「なんであれ、エネルギーを向けたところのものが大きくなる」は自然の摂理。
ふと、美しい蓮の池のイメージが浮かびました。
そこから、キラキラ光る蓮の糸が地上へ向けて降りてゆく。
その糸に、クライアントさんが手を伸ばす。
そして、満面の笑みで糸を撚っていくんです。自分の手で。
それはそれは楽しそうに。
キラキラと光りながら、糸はどんどん太くなっていく。
もう、完全に綱引きの綱みたいになっている。
公子さんは、若い方々のセミナーもしてらっしゃるから、と。
とその方は言いました。
伝えてほしいのだ、と。
「あなたの前のその糸は、自分でいかようにも太くすることができる」
と。
「糸は切れる」
「その糸はつかんでもムリ」
というのは、本当にあなた自身の考えなのか?
ともおっしゃっていましたか。
お釈迦様が蓮の池から降ろしたのは蜘蛛の糸でしたが。
わたしたちは、
糸を選べる。
糸を太くする方法を知っている。
なんと自由自在な。
なんと幸せな時代に生まれたことだろう、
とそんな感想を抱きました。
「自分が何者かを知ると、全力で振り切れる」
クライアントさんが
難関突破。
希望の仕事に就職しました。
資格、経歴、知識ともに、自分よりあきらかにあるであろうというメンバーに囲まれ。
採用枠1名。見事に合格しました。
その試験&面接の様子を聞いてみると
「人っていうのは、自分を知りさえすれば、こんなにも自由自在に
全開でぶっとんでアクセルを踏みきれるものなのか‼」
と、(セッションしたわたしでさえ驚くほど)
自由自在、縦横無尽にやってきたようで(笑)。
・「その企画」の魅力を見せる方法
・自分のこれまでの経験に照らして、その仕事でできる工夫
について聞かれたそうなんですが。
事細かに聞きましたが、まあ、出る出る…。
これは試験官もワクワクしたろうなと。
なんというか、対試験官、という内容ではなく
対「その企画を好きなもの同士」
のやりとり、なのです。完全に。
面接、小論文ともに、この方の独壇場だったんじゃないのかな…
なんて想像することでした。
試験直後
詳細なレポとともに、メールがきました。
「私全開で行けば良い という公子さんの言葉を胸にいい状態で向かいました。
…
一通り終わって、出し切った満足感 でボンヤリしてました。
スタバでクールダウン。
ほーっ。
採用になれば今日か明日に電話連絡。
これで採用されなかったら求めている人材が違ったという事でスッキリします。
とても濃いこの数日でした」
試験会場という「舞台」で自身を存分に表現しきった
何とも言えない「今この瞬間を生きている感じ」
が伝わってき。
なんとすがすがしい風。
なんとさわやかな。
(そのスッキリ感(執着のなさ)に
これは行けるな…という感じがその時になんとなくしたのですが)
「ダメでもともとですし…」
と言っていたのは、受験を決めたとき。
年齢その他の条件を並べ、はなから不利ですが…と。
落ちた時の傷が少ないように、自分で無意識のうちに
言い聞かせてしまっている、とおっしゃっていました。
それがどうして変容を果たしたか。
それはひとえに「自分は何者かを思い出した」から、だと、そう感じるのです。
自分自身の人生。
やってきたこと。
好きなこと。
自分の怖さと対話すること、愛すること。
プラスもマイナスも、すべて含めて自分の人生をいとおしむこと。
真の自分とアクセスし
自分のこれまで、これからのすべてにOKを出した瞬間に
もはやこの方にとって
最終的に、「他者との比較」はこの方の中に
存在しなくなっていた、とそう思えます。
「あるのは感謝のみ」みたいな…?
今回あらためて実感したこと。
人は
「自分自身を余すところなく」生きられたら
結果はどうでもいいものなのです。
(多分)
問題なのは
「自分を生きられなかった」
「あれは自分ではなかった」
「自分を存分に表現できなかった」
その思いそのものなのだと。
その思いがずっと残ることなのだ、と。
そのエネルギーは重く
「そのモノが手に入らなかった」
こと自体よりも、ずっとずっと重く、
長く、静かに私たちの中に潜伏し続け、わたしたちを苦しめます。
いろんなものを私たちから奪います。
自信、自己信頼感、他者の幸せを応援する氣持ち
…
他にもたくさんのものを。
もういい、と思います。
もう十分。
そういうのはもう終わり。
一分一秒、自分を生きない時間があるとしたら
それは大いなる損失なのです。
あなた自身にとって。
あなたがもっとも大切にしたい人達にとって。
そして
この世界にとって。
あなたがあなたであることが世界に伝わらないのはもったいない―プレゼンについて
プレゼン力アップの個人セッションを
先月終えたクライアントさんからご感想をいただきましたので
紹介します。
――― * ――― * ―――
「声と人間の内面は本当に深くつながっていることを学びました。
セッションを終えた今、改めて、
伝える時、イメージすることの大切さ、意識することの重要性を感じています。
これまで自分を支えてくれている人や経験を感じながら、
ありのままの自分で、根っこをもって伝えることに意味があることを
教えていただきました。
伝えること、そして生きていくことは、
自分らしくいることで可能性も広がることを感じました。
これまでそうすることができない自分に向き合える機会を得られたことは
大きな収穫です。
大きな声を出して可動域を広げておくと、
日常生活の会話が楽になりました。
自然に声が出せるようになったことで、人との会話が以前よりも楽しく、
もっと話したい、やりとりを深めたいという気持ちが生まれました。
プレゼンだけでなく、日常生活の中でも、今回得たものを大切に
人とのかかわりを楽しんでいきたいと感じています。
自分らしく楽にいられることは、人とのつながりを広げられるように感じます。
仕事や家庭の中で、自分らしく何ができるのか、したいのか、
立ち止まる機会を頂きました。
これまでの思考の枠が、とても広がったように思います。
今後行動する際の力になると感じています」
――― * ――― * ―――
ひと月半後に仕事でのプレゼンを控えてのトレーニングとしてセッションを
お受けになりました。
出会ったときはまるで野の花のような風情の方で。
そして、確かに「声が小さくていらっしゃるな」
と思ったのでした。
霧吹きで「ぱしゅ…」と柔らかく吹かれたエネルギーが
ご自身の身体の周囲50センチをふわ~っと漂っている感じ。
ともにいてとても心地いいのですが
でも、そこから先にぐん、と出てくるものがない。
声という体からのアプローチ。
自身のパートとの会話という内面からのアプローチ。
回を重ねる中で
霧吹きがホースへ。
どんどんと花開いて力強く、あふれるような声を出してゆかれる姿。
ご自身の中にすっく、と軸を立ててゆかれるそのお姿は
感動そのものでした。
ああいうとき、ほんとうに
場の粒子がバーッと音を立てて、わたし、その方…
すべてを巻き込んで震えるかのような得も言われぬ空気を感じます。
そして
ああ、あれこそが「伝わる」ということの本質
(仕組み)なのだな、と思うのです。
それはいつも書きますが「言葉の内容や順序」といったレベルのこととは
まったく別物なのです。
いつもですが
そういう姿に立ち会えたとき、本当に幸せだなと思います。
やっていてよかった!と思う瞬間です。
これらクライアントさんの言葉の数々は
貴重な資料であるとともに、わたしにとっても「幸せの記録」です。
さて
あなたの専門性。
あなたの知識・技術。
あなたの思い、愛。
あなただからできる世界への貢献。
それらが「伝わらない」のはもったいない。
あなたがあなたであるということが、世界に伝わらないのはもったいない。
すべての人を見ていつも思うのはその思いです。
もどかしく、その人の胸をたたいて言いたくなります。
「起きろ!世界はあなたがあなたであることを待っているのだ!」と。
「伝えたい」という思いのある方。
でも、ちょっとそれを苦手と感じていらっしゃる方。
どうぞ、セッションを受けてくださいね。
「ともに走れる幸せ」
4月。
何かと環境の変わる方が多くていらっしゃるかと思いますが
わたしのクライアントさんでもそういった方が多く。
新しい仕事。
新しい住処。
新しい出会い。
新しい人間関係。
で
大きな出発をなさる方に、つい何かお送りしたくなってしまいます。
文具とか、ハンカチとか…そういったちょっとした、
身近におけるようなもの、なのですが。
単純にお祝い、といってしまってもよいのですが
それとも少し違うような。
何だろう、この感覚は…と思っていたのですが
クライアントさんのお一人にメールを書いていて、その意味(自分の中の思い)に気づきました。
✱ ✱ ✱
…ささやかですが、お使いくださいね!
少し変な喩えですが
「宇宙には行けないけれど、うちの作ったネジが
あのロケットにはのっかってんだ^0^!」
と息巻く町工場のおじさん、のノリに近いかもです。
どうぞ、あなたの旅の小さなお供にお加えくださいませ!
…
✱ ✱ ✱
だそうで。
人ひとり分の人生は今、自身が味わっている「このヴァージョン」のみですが
クライアントさんのお話を通して
クライアントさんの人生を通して
わたしは、いくつもの人生を一緒に生きることができます。
自分の人生では見られないものを見、
出会えない出来事に出会います。
世界はなんと広いんだろう、といつも思います。
いつも目を見張ります。
どの方の人生も、興味深く、そして感動に満ちています。
…なのでつまり
「そこに連れて行ってね(変わりにこの子を!)」
ということだったのでした^^。
今日も、この広い世界中、クライアントさん達と共に駆け回るいろんな小物たち(嬉)。
きっとわたしが直には見られないものを見
出会わない人に出会い
吸えない空気を吸っている。
そして、各所でその方の活躍をちょこっとだけ支えているだろう(多分!)。
今ここにいながら思いを馳せられる
そんな瞬間、たまらなくワクワクします。
コーチは「伴走者」にたとえられることがありますが
その人の人生の大切な一時期を一緒に走り抜けられる、ということの
幸せを感じます。
「初音ミクとマツコロイドのお話」
今日もクライアントさんのお話です。
この方は、物を作る方なので
最先端の技術の展示会によく行かれます。
そのお話を聞くのがいつもとても楽しいのです。
今日のお話は
「ロボット展」。
介護用ロボットから何からありとあらゆるロボットが展示されているのだそう。
以下、聞いたお話列挙。
災害救難用ロボットは、今や人型。ペアになってトンネル事故から人を救う。
(話を聞いて、赤と青のペアロボットの健気さに感動)
「役に立たないものをつくる!」がポリシーで
ファッションとしてロボットを身にまとう「ロボティクスファッションクリエイター」を名乗る
若い女の子。
「ドクター」と異名を持つ世界一の天才ライダーを超えることを目指す
ヤマハの「バイクに乗るロボット」。
重心もちゃんと自分で変えて、今や100キロ超くらいの速度で
バイクを運転するらしい。なんとすごい…。
(MOTOBOTという名前でしたっけ)
ものをつくる世界の人って、純粋だなあ~というのが
いつもこの方のお話を聞いていて思うこと。
直接的に何かの役に立たなくても。
「非効率」かもしれないけれど。
「あったらいいな」「楽しいかも」「とにかくそれをしたい」
という…そんな自分の「想いを無心に追いかける」エネルギー。
それがいつしか
「新しい視点のすごいもの」を生み出す入り口になったり土壌になったりする。
ひとつのモノにはひとつの感動のストーリーがある、
といつもそう思いますし
どうせなら、そんな、人の思いを凝縮した「ストーリー」のあるモノと関わりたい、
(自分の身近に置くものにしても)
と、いつも思ってしまいます。
そして、とにかくとても元気が出ます。
今日とくに心に残ったのは、そんなたくさんの
「ロボット展」のお話の中で
「マツコロイド」を企画したプロデューサーさんとボーカロイド、初音ミク開発者の
対談。
マツコロイド、はじめは会話の機能までを作ろうとしたのだけれど
やるごとに「これは、すごい領域に足を踏み入れることになる」
と気づき、やめたのだ、とプロデューサーさん。
そして、
物まね芸人の「ホリ」さんに声をお願いした、と。
ホリさんによって完成したマツコロイドを通して
結果、ホリさんがどれだけすごいことをしているのか…
人がわからないところまでどんなに工夫をしているのかを実感することとなったと。
最終的には「人間ってすごい」に行き着いた、と。
(2015国際ロボット展、対談の様子をこちらのサイトからお借りしてきました)
声の波形に感情は出ないそうで。
機械には出ない、計測できない。再現できない。
人が人たる所以は、その、計測できない世界の技にこそある、ということなのでしょう。
「ロボットを作る、ということは人間そのものを見返すってことなになるんですね~」
「やればやろうとするほど、きっと結果的に人間のすごさが見えてくるんでしょうね」
とクライアントさんと。
人と同じように
歩く、走る、話す、支える、持つ、歌う…ロボットを作る、ということを通して、結果として
人というものの精妙さをまざまざと見せつけられる。
神のつくりたもうた巧緻な世界を垣間見る。
「そういう方々って、ある瞬間、とても敬虔な気持ちになったりして…神を感じるといいますか」
「ああ、なるほど」
極めて極めて、そしてその先に。
どうしようもない、絶対に人の手では作り出せない世界に(そこはきっと美しい)触れ、震え
首を垂れる。
その絶対的な世界に畏敬の念を抱きつつ
それでもまた、その世界に近づこうとコツコツと歩き続ける。
そうせずにはいられない
たくさんの人たちがいる。
それは決して、「不遜」ということではないのでしょうね。
そして、そんな方々の思いと力がわたしたちの暮らしや、未来や夢や願いを支えている。
そんな話を聞いていると
また違う意味で「人ってすごい」と思います。
そして、深い感謝の気持ちをささげたくなります。
同時に「絶対に踏み入れられない領域」のある、この美しい世界で生きていることの
幸せや不思議、切なさもとても味わっている自分を感じます。
単純に言うと
この世界に生まれてきてよかったなあ、人として生をもらえてよかったなあ、
という感じでしょうか。
話は飛びますが
ボーカロイド、結構好きでして。
最近お気に入りの曲を最後に。
※「ココロ」
自分を作った科学者が死の間際まで自分に作ろうとした「ココロ」とは何か??
それを知りたいと願い続けたロボットのおはなし。
(初音ミクではなく、これは鏡音リンちゃん)
「そのゴールを手放した先に~年末イエスアンドワークショップへのお誘い」
クライアントさんのお話です。
この数か月間
人事の変更にともない、大きく変わった職場の雰囲気や仕事の方法について
お話しになることが多く。
変化を受け入れ、なじんでいくというのは
どんなときでもやはり少しだけ心の面で時間がかかることも多く
なおかつ一定のプロセスを経るものなのですね。
さて
昨日はその、お仕事のお話。
これまであるやり方でずーっとやってきたことが
新しくやってきた上司の一存で変更することとなった、と。
しかし、これまでのやり方は、
今までのメンバーで考えに考えた末のものであり
一言で変えられるのは納得がいかない。
それに実際やりにくい。
「明日、そのことについて話しに行くんです」
とその方。
その声音につい
「…明日は決戦の場?」
尋ねると
「そうですね」
と。
わかります。気持ち。
あなたがどれだけ思慮深く、全体を見ながら、一本の筋を通しながら
仕事をしてこられたか、ずっとわたしは見続けているんですから。
「明日、話に行く、その心構えというか…どんな風に話そうか、と。
納得させようとすると抵抗が返ってきそうですよね
…やはり、話の持って行き方、ですよね」
それが今日のテーマなんですね。
そして10分後…。
確か、そんなものだったと思います。15分は過ぎていなかった。
どんな言葉か交わされたかは、略しますが。
その方は、こうおっしゃった。
「わたし、
自分の得たい結果を得る、というゴールを持って行くのをやめます。
かわりに、その方と、一緒に最善の方法を導き出します」
ものすごく腑に落ちたような
ワントーン上がった声で。
「まず、その人の話を聞きます。何が出てくるかわからないけれど…。
一緒に考える、ということになればいいですね」
「わからせる、説得する」から
「わかりあおう」へ。
同じ時間を取り、同じ「話し合う」のでも、
その方の目的は、あっという間にもはやまったく
違うものとなっていました。
(見事です。天晴です)
何があってもこの方がずっと通してこられた一つの姿勢。
いかなる時でも自身を見返し、整理し、自身と語らうことで
日々出てくる「問題」(と感じられるもの)
を問題でなく、「成長への糧」としてこられた。
その積み重ねの日々を瞬間、思い出してしまいました。
そして。
根っこにもはやしっかりと立っている
その方の「自分自身」に対する絶対的な信頼を再確認しました。
こうしよう、と作戦など練っていかなくても。
こうでなくては、というゴールを持たなくても。
そこに向かう台本など作らなくても。
(そもそも大体においてまったく役立たないですしね)
「目の前の相手」と「その瞬間」に生まれる「場」から
最高のものを創り上げられる。
ジャズセッションのように。
お互いの音色を響き合わせ最高の成果をきっと引き出せる。
そんな
柔軟かつ自由自在な自分自身の在り方への絶対的な信頼。
それは、どんなにかステキなことでしょう。
何があっても消えることのない、真実の「幸せに生きる力」。
「明日は『春風にそよぐ柳』ですね」
とわたし。
「ああ、それ、いいですねえ~」とその方。
そして、今年最後のワークショップ。
ここに書いたことを
体で体験して、その感覚を培うワークショップ、
ということになりそうです。
コミュニケーション力を培うゲームを中心に
より良いコミュニケーションの土台をつくる
「受け取る力」と「発信する力」の柔軟性を磨きます。
手放したときに。
否定ではなく、受け取ってみたときに。
そこに新しい、自分自身が想像もしなかった
豊かな創造の世界が生まれる。
それは、あなたはもちろん、
あなたの周りの一番大切な人たちの人生にも
あらんかぎりの祝福をもたらすものなのです。
「『さしむかふ心は清き水かゝみ』~聞くってどういうことだ?」
タイトルの句は、ご存知の方はご存じと思いますが
土方歳三が文久三年、京都に行く前に編んだ「豊玉発句集」の
第一ページ目に載っている句です。
「さしむかふ心は清き水かゝみ(水鏡)」
クライアントさんからいただいたセッションのご感想を読んでいたら
ふっと思いついたので何となくタイトルに据えてみました。
何かと言いますと
「そういえば、そういう状態で聞くことを心がけているかもなあ」
と思ったからなのです。
わたしは歴史好きなので、そういうことにくっつけたら何でもテンションが上がる、
というのもあるのですが。
「公子さんにお願いすると、なんでも大丈夫!必ずうまくいくから、と思ってます。
自信満々のクライアントです。
そしていつもその通りになってます。
今回はなんとなくの不安、なんとなくのやりたい事、
何が原因で何が困ってるのかすらよくわからない状態でした。
迷路にいるような動けない見通せない感じ。
一体私は何を話したら良いのでしょう?という所から話し始め、
終わった時にはすっかり不安もなくなり、やりたい事もスッキリハッキリしていました。
予定通り(笑)
そして、終わった後に『これをしたら?!』『あれを調べてみたら?』といくつもアイデアが出てきて、
気がついたら実行しているのでした。
まるで魔法使いのようですね。
またよろしくお願い致します」 (40代 女性 自営業《教育関系》)
「人生で初めてのセッション。
対面ではなく電話ということで、表情が見えないし、長電話も最近していないので、ちょっと不安でした。
でも、直接お話したことのある公子さんだったので全然問題なかったです。
新鮮な驚き!
セッションも公子さんが一緒に旅をして、気づきをくれたので、
沈んでいた気持ちが終わる頃には軽くなっていました。
自分に問いかける方法が少しわかった気がします。
心を感じました。感謝です♪
ありがとうございました(^-^)」 (40代 女性 公務員)
自分の中にいらぬものがあると
映せない、といった感覚があります。
クライアントさんの姿を「映しかえし、見せてあげる」ことが出来ない。
クライアントさんにはご自分の姿は見えていませんから。
映せない、だけではなく、なんというか…目が曇る。
見えなくなる。
共に旅をするときに…時には濃霧の航海であったり
ドイツの黒い森を夜に共に歩くような旅であったりするわけですが
(実際行ったことはありませんが)
そんなときに
もう一人の「イーグルの目」を持った自分、というような存在がいて、じっとこの旅を遥か上空から
俯瞰してじっと道筋を見据えている。
その目が正常に働くためには
「清き水かゝみ」な感じが必要な気がします。
正常に働く、というのはわたしの場合
自分のいらぬ予断や思い込みや勝手な判断や価値観や…
そういうものを通さずに、という感じでしょうか。
そういえば先日知人が
「家族から
『話していて、話がポンポン飛ぶのでついていけない。直してほしい』
と言われたけどどうしたら?」
と言っていたことを思い出しました。
ご本人いはく
「話を聞いていると、どんどん関連した思いつきや発想が浮かんできて
それをつい口にしてしまう」
のだそう。
聞いていて
「わかるなあ~」、と。
普通に「漫然と聞いて」いると、そんな感じになりますね。
特に家族の話など聞いた日には。わたしもそうです。
ただ
必要があれば瞬時に切り替えられる、というのが
やはり長くやっている者の強み、ということなのでしょうか。
その知人には
「一日10分でいいから、やってみて!」(口を挟まずただ、聞く、ということを)
と伝えてみました。
あれからどうなったのでしょう。気になります。
先の句を教えてあげればよかった^^
(特に歴史好きという方ではないので「?」と言われそうですが)
感想をくださいましたお二方、嬉しいお言葉を本当にありがとうございます。
それから…
タイトルに惹かれてついこの文章を読んでしまった「歴史好き」の方がいらしたら
ごめんなさい!










