「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「自分が何者かを知ると、全力で振り切れる」

 

 

 

 

クライアントさんが

難関突破。

希望の仕事に就職しました。

 

資格、経歴、知識ともに、自分よりあきらかにあるであろうというメンバーに囲まれ。

採用枠1名。見事に合格しました。

その試験&面接の様子を聞いてみると

 

 

 

「人っていうのは、自分を知りさえすれば、こんなにも自由自在に

全開でぶっとんでアクセルを踏みきれるものなのか‼」

 

 

 

と、(セッションしたわたしでさえ驚くほど)

自由自在、縦横無尽にやってきたようで(笑)。

・「その企画」の魅力を見せる方法

・自分のこれまでの経験に照らして、その仕事でできる工夫

について聞かれたそうなんですが。

 

 

事細かに聞きましたが、まあ、出る出る…。

これは試験官もワクワクしたろうなと。

 

なんというか、対試験官、という内容ではなく

対「その企画を好きなもの同士」

のやりとり、なのです。完全に。

 

面接、小論文ともに、この方の独壇場だったんじゃないのかな…

なんて想像することでした。

 

 

 

 

 

試験直後

詳細なレポとともに、メールがきました。

 

「私全開で行けば良い という公子さんの言葉を胸にいい状態で向かいました。

一通り終わって、出し切った満足感 でボンヤリしてました。

スタバでクールダウン。
ほーっ。

採用になれば今日か明日に電話連絡。
これで採用されなかったら求めている人材が違ったという事でスッキリします。

とても濃いこの数日でした」

 

 

 

試験会場という「舞台」で自身を存分に表現しきった

何とも言えない「今この瞬間を生きている感じ」

が伝わってき。

なんとすがすがしい風。

なんとさわやかな。

(そのスッキリ感(執着のなさ)に

これは行けるな…という感じがその時になんとなくしたのですが)

 

 

 

 

 

「ダメでもともとですし…」

と言っていたのは、受験を決めたとき。

年齢その他の条件を並べ、はなから不利ですが…と。

落ちた時の傷が少ないように、自分で無意識のうちに

言い聞かせてしまっている、とおっしゃっていました。

 

 

 

それがどうして変容を果たしたか。

それはひとえに「自分は何者かを思い出した」から、だと、そう感じるのです。

自分自身の人生。

やってきたこと。

好きなこと。

自分の怖さと対話すること、愛すること。

プラスもマイナスも、すべて含めて自分の人生をいとおしむこと。

 

 

 

 

真の自分とアクセスし

自分のこれまで、これからのすべてにOKを出した瞬間に

もはやこの方にとって

最終的に、「他者との比較」はこの方の中に

存在しなくなっていた、とそう思えます。

「あるのは感謝のみ」みたいな…?

 

 

 

 

 

 

今回あらためて実感したこと。

 

人は

「自分自身を余すところなく」生きられたら

結果はどうでもいいものなのです。

(多分)

 

 

問題なのは

「自分を生きられなかった」

「あれは自分ではなかった」

「自分を存分に表現できなかった」

 

その思いそのものなのだと。

その思いがずっと残ることなのだ、と。

 

 

 

そのエネルギーは重く

「そのモノが手に入らなかった」

こと自体よりも、ずっとずっと重く、

長く、静かに私たちの中に潜伏し続け、わたしたちを苦しめます。

いろんなものを私たちから奪います。

自信、自己信頼感、他者の幸せを応援する氣持ち

他にもたくさんのものを。

 

 

 

 

 

 

 

もういい、と思います。

もう十分。

そういうのはもう終わり。

一分一秒、自分を生きない時間があるとしたら

それは大いなる損失なのです。

あなた自身にとって。

あなたがもっとも大切にしたい人達にとって。

そして

この世界にとって。

 

 

 

 

 

 

 

 

―そろそろ自分の聲と言葉で世界に向けて語りだそう―

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.