「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

家族の幸せのために何を?-その人は日本の歴史を学び直すことを選んだ

 

 

 

 

 

少し前、

「松平家のお片づけ」

という本を読んでいました。

(松平家、というのは徳川家の元々の家系、ですね)

著者、松平洋史子(よしこ)さんが子どもの頃のこと。
年末に自分の持ち物を全て点検し、いらないものはお手伝いさんが処分する、
ということを毎年やっていたのだそう。

で、よしこさんは、ある年、間違って国語の教科書(だったかな?)
を「いらない」方に仕分けしてしまった。

お手伝いさんはそれを処分し、
そして3学期。

教科書は当然、ない。

よしこさんは「忘れました」と言ってその場をしのいだそう。
けれど、それも何回もは通用せず。

先生はやがて、家に連絡をした。

すると、よしこさんのお母さまだったかお祖母様だったか
(ちょっと忘れましたが)
が言った。

「娘の判断ミスです。
本人に責任を取らせてください。
教科書は書き写させてください」

すごい…。
腹が据わっている。

自分の持ち物について考える。
年に一回、総ざらえして見直す。

自分の部屋という限られたスペースの中で、
何を手元に残し、何を手放すのか。
(松平家では、収納棚を安易に増やす、ということは
許されなかったらしい)

それは、
自分はこの一年、どう過ごすのか。

まさに、「自分」について考える、ということです。
自分の生活を(人生を)「プランニング」をする、ということです。
しかも、毎回毎回真剣勝負^^ 

何を書きたいかというと、
上記のような視点が、子どもの頃から自然と息づいていたということ。

この価値観を土台とした「思考と行動の訓練」が、
子どもの頃から自然と行き届いていた、ということ。

さらには、多分「松平家」という場所だから、
特に残ってきたのであって、
日本人、どの家も昔はそれが「普通」であったのではないか、ということ。

「断捨離」
「ときめくお片づけ」

それらをことさら言葉にしなくても、
それは日本人として、当たり前にできていたことだったのではないか?
ということ。

今日のタイトルは、私のクライアントさんのことです。
この方とのコーチングセッションはもうすぐ10年。

お子さんも増え、
そして、
緻密な努力と不断の工夫を続けてこられたお仕事も順調。
(そのプロセスをずっと私は見、聞き続けてきたわけですが)

たくさんの自由な時間を生み出すに至っていらっしゃる。

その、生み出した自由な時間で、クライアントさんが選んだ一つが
「日本の歴史を学び直すこと」
だったのです。

教科書に書かれていたものではない、
より本質の情報を学ぶため、有料受講なさっている。

「寄って立つもの」を。
「自分たちの中に流れているはずのもの」
を学び直したいのだ、

と、
一言でいうと、そういうことなのかなと。
(そういう言い方はなさいませんが)

子どもに、何を伝えればいいか?
子どもに、何を身につけて大人になってほしいか?

皆さんは、どうですか?
何を思い浮かべますか?

「必要とされる能力」

なんてものは、
時とともにどんどん変わっています。
例えば私たちが子どもの頃から、いまに至るまでの指導要領の移り変わり。

今は、「AI台頭」を前にまた色々と言っている。

何が正しいのか?
何にすがればいいのか?
どうすれば「幸せ」になれるのか?
(そもそも幸せとは何か、ですが)

大量のネズミが
あっちへだ〜っ、こっちへだ〜っと移動するように、
目先の旗に踊らされて右往左往してきたのが、多分この七十数年の私たち。
では、なぜ右往左往しているのか?

それは、私たちが、日本人としての「水脈」と。
「通奏低音」とのつながりを絶たれているから、なのではないか、と思うのです。
それを知らないから。

繰り返します。

私たちにとって、「美しい」のは何か?どんな価値観か?
本来何が私たちに「合って」いるのか?

この細長い島国で。
豊かに変化する四季の中で。

西欧文化とは明らかに違う、世界でも特殊な脳の機能を作り上げてしまう
「日本語」という言語を使って、
2000年以上にわたって営々と歴史と文化を紡いできたのが私たちです。

(詳しくはこちら)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12292650593.html?frm=theme

自分の子どもたちの心身の中に、脈々と流すもの。
遺すもの。
つなげるもの。

将来、
意識や思考を超えた、
最も深い部分で、彼らの人生を導き、方向付ける「在り方」として、
私のクライアントさんは、

「お天道様が見ている」

に代表される、「日本人」としての在り方、を選んだのだろう、
と思います。
何かあった時に
「寄って立つ」在り方として。

これは、私のクライアントさんのお話なのですが。
改めて、
あなたは、何を残しますか?何を伝えますか?

それを考えるということは、
つまり、自分自身の人生をどう使うかを自分自身に問う、
ということなのです。

 

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