学校でなぜ芸術が教科としてあるのか

 

 

今朝、セッションで

「今、怪獣のバラードですね」

 

という喩えがつい口をついて出て来。

小中学生がよく歌う合唱曲です。

 

 

クライアントさん、

はじめは「なんですかそれ?」

だったのですが、そのあと、メールで

 

「youtubeで聞きました。

昔は何とも思わなかったけど、今聞くと泣けました」

 

と。

 

この方にも、

何度目かの旅立ちの時が訪れているようです。

 

砂漠を行くキャラバンの「旅立ちの鈴の音」を

聞いてしまった人は、

もう元に戻ることはできないのです。

 

住み慣れたあたたかい砂漠を出て、次の世界へ旅立つときが、

みな、人生で何回か、訪れるものです。

海を見るために。人を愛するために。

https://www.youtube.com/watch?v=_9VCTbHXfOQ&index=1&list=RD_9VCTbHXfOQ「怪獣のバラード」

 

 

 

 

さて、

今日は、本題はこちらでして。

今日はそのセッションからこっち、ずっと合唱曲を聞いています。

 

 

やっぱり、

教員だったころに子どもたちが歌っていたものが懐かしい。

 

「怪獣のバラード「大地讃頌」「マイバラード」「心の瞳」…

「空かける天馬」

も懐かしい。

 

こうやって聴いてみると、あらためて思うのは、

まあ、大きな言い方をすると「芸術のすばらしさ」(必要性)

です。

ひらったくいうと、子どもの頃に、

「質の良い、美しいものに触れることの大切さ」。

 

 

 

合唱はいいですね。

 

ただ「触れる」(見る、聞く)だけでなく、

自分の身体、呼吸、全細胞を使って表現する、

しかも、マックスにエネルギーを出して表現する。

 

歌詞と、自分の心の中にある感覚と感情を結び付け、

増幅して、自分の想いを乗せて思いっきり発する。

 

 

 

 

どなたかがテレビで、

中学校で合唱コンクールがあるのはとても理にかなっている、

ということを言った人がいましたが。

 

 

 

なかなか感情が言葉になりにくいこの時期。

身と心に溢れる、得体のしれないエネルギーをもてあますこの時期に、

「洗練された、美しい言葉」と「美しい旋律」を借りて

 

 

「自己を思いっきり表現する」

 

 

これは、計り知れない効果をもたらしているのでしょう。

 

 

 

そしてさらに。

その体験は、身体と心に、一生をつらぬく財産となって刻まれます。

 

Youtubeに書き連ねられている、

たくさんのコメントを見ていると、それをしみじみと感じます。

 

人生のたくさんの場面で、

「その曲の思い出」(と、そこから沸き起こる感覚感情)が

自身を勇氣づけていることを、多くの人がせっせと書きこんでいる^^

 

 

 

 

芸術は、人の魂の至高の発露。

 

絵も、書も、歌も、文学も、造形物も、踊りも…

いわば人の神性の発露。

 

多くの先人たちが、

身を削り、魂を削り、自身と向き合い、

その中から一瞬のきらめきのように見つけた「ほんとう」を

かたちにしたもの、それが芸術です。

 

 

学校で、なぜ、芸術が教科としてあるのか。

 

 

それは、畢竟

 

人としての生き方の美しさ、

人としての生き方の幅、

あい、

いつくしみ、

真善美を希求し続けるあり方、

 

 

そういったものを、

理屈ではなく、細胞に移すため。

瑞々しい細胞にそれを刻むため。

 

それから後の長い人生をくじけず、よろこびの中、歩いていくため。

 

そう思えてなりません。

 

 

 

親御さん。

先生方。

今、子どもたちが身近にいる方々。

どうぞどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

わたしも、

一人の大人として、責任もって、

この世界を「よきもの、美しいもの」で

溢れさせるよう生きたく思います(おー!)

 

 

 

 

追伸;

クライアントさん、ただ今「宣言文」を作成中です。

これからどんな人として、どんな人生を歩むのかを言葉として明確に「宣言」する。

 

「怪獣のバラードをリピートしながら」

書いています、とメッセージがやってきました。

 

 

 

 

 

 

 

❉【今氣に入っている合唱曲「旅立ちの時」】

https://www.youtube.com/watch?v=oaYSb6nwqmk&index=4&list=RD_9VCTbHXfOQ

 

❉画像は映画「くちびるに歌を」から

 

 

 

そもそも自分であること自体が「仕事」

 

 

 

アイヌは、その個性・役割が「名前」になっている、と
聞いたことがあります。

アニメ「ゴールデンカムイ」。
これに出てくるアイヌの女の子「アシリパ」は、
確か「未来」という意味だったような。

時は明治後半。
その名の通り、アシリパはアイヌの伝統を守りつつも、
旧習を打ち破り、大活躍。

 


 (※クリックすると公式サイトに飛びます。ご興味ある方はぜひ。

 アイヌの風習が詳しく描かれていて、出てくる料理がいちいち美味しそう)

わたしたちも、親から名前を授かりますが、
一方、子どもがその名前を選んでいる、とも読んだことがあります。

何で読んだのかは忘れましたが、
子が親に「その名前を思いつかせるのだ」と。

わたしの甥っ子。4歳と2歳。

長男はゆったり、ほんわりとやさしい子です。
おしゃべりで、「ねえねえ♪」とニコニコしながら近寄ってくる。
何だかいつも春風が吹いているよう。

そして、この子はまさに、Yの字からはじまる、
ゆったりした意味と音韻の3文字の名前の持ち主です。

翻って2歳の次男。

生れて2日目、病院に会いに行ったときには驚きました。
大きくてしっかりした手。長い指。
夜だというのに、しっかと目を見開いて、
かっとこちらを見据えるその視線の強さに、

「この子、ものすごく氣の強い子になるね」

と。
赤ちゃんをそんなに見たことのないわたしさえ、
ついそういってしまう眼力の強さ。

この子も生まれる前から「K」ではじまる名前をもらっていました。
うん、何があっても君は、この大海原を
ざんぶと渡っていけるよ…君にピッタリだね、

と、そういう感じの4文字の名前です。

そして、月日はたち、
彼はやっぱりそのように成長しています。
おしゃべりをしているのはおおよそ見たことがありませんが、

入園式の日にはその場に留まらず。
法事の日はお寺の祭壇によじ登り。
運動会の日は、一人フィールド内に突進して行っていました。(もちろん出番外)

その子の持つ「本質」。
もともと持っている「生」の響き。魂の響き。リズム。
それは厳然としてある。

わたしたちは、大人になると「仕事」をはじめます。
職につきます。
けれど。

そもそも「自分であること」自体がこの世界に対しての
大いなる「仕事」なのではないか?

と、あらためて、最近、思い始めています。
昔の…どれくらい昔かはわかりませんが、
例えば縄文時代とか?

その頃の集落では、その人の本質(特質・個性)がそのまま仕事、であり、
それを発揮し、交換しあうことがそのまま、
「皆で生きる」ことにつながっていた。

逆に、そうでなかったらあの時代、生き残れなかったのでは?とも。

「自分を生きる」ことが、
チームへの貢献であり、そのまま全体の繁栄にもつながっていた。

「未来を生きるもの」(アシリパちゃん)。
「ゆったりと時間を刻むもの」(甥っ子1)。
「未知を開き、航ってゆくもの」(甥っ子2)。

ゲームに、
「僧侶」「戦士」「魔術師」「賢者」「戦略家」「道化」…
などなど、出てきて、みんなで旅しながら
ミッションをクリアするものがありますが、
あんな感じでしょうか。

もっとも自分であり、
自分を輝かすことが出来る状態であること。
最高に自分自身であること。

結局、いつも同じことを言っている氣がしますが、
それよりほかにすることはなく、
それこそが最高のこの世界への貢献である、と思うのです。

*    *    *

7月・8月スタートの個人セッションのクライアントさんを募集します。

募集人員は2名となっています。

次のような方には特に活用いただきたい、またお役にたてるセッションです。

・忙しく時間だけが流れて行く氣がして、なんとなく焦りを感じている。
・生活の基盤を整え、手放すべきものは手放し、自分にとって一番大切なことに
 エネルギー(時間・意識・お金…)を注ぐ必要があると感じている。
・自分の良さが存分に伝わるコミュニケーション力を発揮したい。
・周囲のリズム、人、出来事に振り回されている氣がする。
 ふと振り返ると自分がない感じがする。地に足がついていない氣がする。
・人生の節目にあると感じている。
・自分らしさ、自分の本質を存分に発揮して仕事や生活を営む段階に
 シフトする時期が来たと感じている。
      ↓
◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
https://peraichi.com/landing_pages/view/sekai
◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
https://peraichi.com/landing_pages/view/thanks-minasama

《なぜ「話すこと」が役立つのか》

人の無意識に乱れ飛ぶ情報は、夜空の星のように膨大です。
そして人はその中の、ほんの小さな一点しか把握できていない。
それはあたかも、広大な星空を、望遠鏡を逆さにして覗いている感じでしょうか。

広大な無意識という海の底から、自分にとって必要な情報を浮上させる方法、
それは「言葉にすること」。

言語化することで初めて「自身の手に取り」確認し、使うことのできる
「形ある」ものになります。

コーチは、セッションの中で、たくさんの役割を果たします。
「かがみ・共鳴板・伴走者・ナビ・指揮者・ストーリーテラー」…。
それらの力を使って、
一人の思索ではたどり着けない場所に、
早く、確実に行ける。

それがコーチングの効果であり、醍醐味のひとつです。

 

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感情をしっかりと言葉にできることの大切さ

 

 

 

生徒に暴力をふるってしまった先生へのアンケートがあるそうです。

「なぜ手をあげてしまったのか?」

そのもっとも上位の答えは、
「言葉が出なかったから」。
的確に、自身の感情と言葉を合致させられなかった、が理由。

な、なんとある意味わかりやすい。
「そのまんま」。

暴風雨。
たまりにたまって溢れそうな水を、適切に放出することが出来なかったダムが
耐えきれず決壊してしまうように、

溢れ、暴れる感情。
それを適切に「開放」するすべを知らなかったがゆえに
「身体で」放出するしかなかった、ということでしょうか。

日頃から、
自分自身の感情と「言葉の回路」をしっかりとつなぎ、
なおかつその回路を「太く」しておくことはとても大切です。

この回路が細い、あるいは詰まっていると大変です。
そして、例えば若い世代を見ていると、
この回路が「豊かに開いている子」が多い反面、

「泥が詰まりまくって水が流れない水路」
もしくは、
「ほとんど使ったことがないんじゃない?}

というくらいに、もう、ストローくらいに細い子も見受けられます。
前者は感情豊か。
表情も生き生きとしています。

そして、いつも多くを見て、多くを氣づける。
周囲へ向けての繊細なアンテナが
のびのびとしっかりと世界に向けて、健康に張り巡らされているのを感じます。

後者は、表情が乏しい。
石のような表情で、身体もガチガチに固まっている子が多い。
そして、自分が本当に、何が好きで何をしたいのか、
ということがわからない、と訴える子が多いかなと。

感情を言葉にする。
これは、「そうしましょう」と今聞いたから、
明日からすぐできる、という
類のものではなく、慣れが必要です。

1.今、自分が何を感じているか?に敏感になること。

2.感じている感情が「何であるのか」を探索し、
 適切な「ラベル」をちゃんとつけることが出来ること。 

不快な感情があった場合、
・それの正体は何か?「悲しさ」なのか?「怒り」なのか?「悔しさ」なのか?
 それとも…。
・腹が立つのだったら「何に?」「誰に?」「言えるなら何と言いたい?」
「自分はどうしかたった?」「自分は何を望んでいる?」等…
 ちゃんと、自分の感情を「言語化」してあげること。

最近、他者の身体を無差別に攻撃する事件が相次いでいます。

きっと「自分の氣持ちを丁寧に言葉にする」とは無縁の状態で
ずっと生きてきたのかな、
ということはなんとなく思うのです。

何が何だかわからなかったものに「名前」がつく、
言葉として表に取り出される、というだけでも、
楽になります。
そして解決への一歩がはじまります。

居心地の悪い感情…怒りや悲しみや、
そういったものとわたしたちは無縁では生きられない。

そんな中、
自分の感情に振り回されることなく生きる。
自分の感情に振り回されることなく、
他者や物事とコミュニケーションをとる。

そのための第一歩は、
感情を抑えることでも、
見て見ぬふりをすることでも、
否定することでもなく、

「そこにある」

と見てとり、認め、そして、それを言葉に変えること、です。


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それを相手に直にぶつけなくても、
(適切な方法で伝えられればなおよいのですが。そしてその方法はあります)
まずは、自分の中で、

紙に書く。
誰かに聞いてもらう。

どんな方法でもよいので、まずは、
自分の中の感情の「かたまり」をよく見て、分解し、
正体を明らかにし、光のもとに連れ出してあげること、です。

大人は、
子どもの「氣持ち」を丁寧にきいてあげること、です。
子どもがゆっくりと、自分の感情の海に分け入り、光を当て、
海面に浮上させ、言葉にできるように導いてあげることです。

丁寧に、丁寧に、繰り返し。
それが「当たり前」になって、自分で自然と出来るようになるまで、
習慣づけてあけることです。

そして何より、
「自分の感情はどんなものでも受けとってもらえる」
(※「受け取る」と「受け入れる」は別)
「自分の感情はどれも大切なものだ」

ということを、子どもの無意識にしっかりと、
刻み込んであげることです。

そして、まず何より大人自身が、
感じることを怖がらず、
そのことを自身に対して行う。
それこそが大切だと思うことです。

 

 

 

 

 

 

 

✱個人セッションのクライアントさんを募集します。

枠は2名です。(7月より募集を開始しますので今しばらくおまちください)

 

 

◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
自分の人生の軸を明確にしたい方。
自分の中に今ある方向性をさらに力強く開花させ、前へ進むための後押しが欲しい方。

◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、注ぎたいところへエネルギーを注ぐ準備を!

 

男はゆっくり父になる

 

 

 

昔、
男は火星人、女は金星人…
みたいなタイトルの本を読んだことがあります。

「お互い、そう思っておけば腹は立たないよ」

と。
ざっくり言うと、そういう趣旨の本だったなと。

どうして、これを思い出したかというと、
「男と女って、本当に違うんだ」

と、しみじみ感じた瞬間があったからなのです。
具体的に言うと、
知人が「男が父になる過程(笑)」を話すのを聞いた時。

知人。
新生児(我が子)を見て一番に思ったことは、
「あ…歯、ないんだ」。
(そこですか!)

そして、
「ああ、自分の子どもだ~」としみじみ実感したのは
赤ちゃんに反応が出てきて、自分に笑いかけてくれた時。
それまでは、案外、実は、やや、なじめなかった、と。
そうだったんですね♪

男性は、ゆっくりゆっくりお父さんになってゆく。

自分の中の「若者」の部分なんかに、
じりじりと折り合いをつけながら、
それに代わる、あふれんばかりの豊かな世界に、
ゆっくりと身を浸してゆく。
(まるで、ちょっと熱めの温泉に浸かる人みたい?)

そのプロセスが、よく伝わってき。

同時に実感したのは、
子どもが生まれた瞬間から「母」になる、
女性のその「大変さ」を、
本当の意味で、男性はなかなか実感できない、

そして、女性にも、
男性の「父になっていく」過程の
「とまどい」「不安」は、本当の意味ではわからない。

身体が違う。脳も違う。
育った環境も違うわけで、
まあそうだろうなあ、としみじみ思ったわけなのでした。

(このお話を「男性は」「女性は」と一般化してもいいのかな?
とも思っているのですが、知人が「周りの男友達もそんな感じで…」
と言っていたので、
まあ、そこはざっくりとしたかんじでお読みください^^)

さて。
わたしたちのコミュニケーションに齟齬が起るとき。
平たく言うと、相手のやることにいちいち腹が立ったりするとき。

わたしたちの中には、
「(この場面では、この状況では、役割上…)
当然、相手はこうあるべき」

という自分の中の「マイルール」「前提」が発動しています。
それに相手が合っていないと一言「言ってやりたく」なったりする。
自分が正しい。自分のルールに従え、と。

知人は今、
きっと、どこの夫婦にもきっとある、日々の「山と谷」を越え、
「お互いの前提の溝を埋める」

ということをはじめています。
丁寧に。
言葉にし、擦りあわせる地道な作業。

その姿からは、
目の前の奥さんを
「母」「妻」という一括りのもの、ではなく

「この個性を持った一個の人」

として見ようとする、
その「覚悟」がしっかりと伝わってきます。

日々、普通に過ごしていると、雲霞(うんか)のごとく湧いてくる

母親なら…
妻なら…
子どもなら…
「こうやって(これが出来て)当たり前」

といった、
知人の中にあった
(誰の中にも普通にある)
透明な、空氣のような「前提」。

それを
自分のものはいざしらず、
相手のものにも意識を向ける。
そして、
取り出して二人のテーブルの上に乗せる。
…すごいなあ、と思います。

何より、
上手くいってもいかなくても、
たまには「キツいなあ…」と思っても。

必ず「そこ」に戻ってきて、
倦まずたゆまずゆっくりと「自分たちにとってのベスト」
を探し続ける、
その姿勢そのものを、本当に尊い姿に思います。


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次回は(氣が向けば)
「こういうときの感情とのつきあい方」

を、書いてみたく。
聞くと、知人も同じようなことをしているようで。
上手くいく人は、やはり
本質的なやり方にたどり着くんだなあと思ったことです。

 

 

 

◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
自分の人生の軸を明確にしたい方。
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◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
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意志の力なんて弱いものです―「仕組み」のすゝめ

 

 

 

今、
「仕組みづくり」に余念のないクライアントさんがいらっしゃいます。
具体的には、

・食事中、お子さんに「食べなさい」と言わずに食べてもらう仕組み
・家族全員の片付けがスムーズに行く仕組み

などなど。

「~しなさい」
「~しなきゃダメじゃないか」

と、
言葉で指示する、怒る、ということが、
結構なエネルギーを使い、
その割に

「場の雰囲氣が冷え込む」
「家族が委縮する」

以外、何の効果をもたらさない、ということを実感なさったそうで、

家具
収納スペース
家族の動線

にはじまり、

言葉の使い方
休日の過ごし方
に至るまでちゃくちゃくと改造中。
(楽しそうです)

わかりやすいところでは、
お子さんに「ウサギの帽子掛け」をつくってあげたそうで、
お子さん、
それ以来、言われなくても幼稚園帽をそこへ突進して掛けているそう。

朝早く起きる。
忘れ物をしない。
部屋を片付ける。

などなど…
子どものころから、
わたしたちには「ちゃんとしたほうがいい」
様々なことがあり。
それらを成し遂げられなかったときに、

意志の力の弱さ
人間性

に結びつけられ、しこたま怒られたり、
またあるときは、
「弱い自分」を自分で責めたり
と、そんなことはありませんでしたか?
わたしはけっこう覚えがあるんですが…。

なので、
コーチングを勉強し始めたころ、

「意志の力なんて弱いものです」

と、スパッと書いてあったのを見たときには、
とても嬉しかったものです。

意志の力をあてにするのはほどほどにして。
(はなからあてにしないで)
「仕組み」をつくろう、という、そんな内容でした。

一つのテーマに、みんなで「仕組み」を考えて、出しあうクラスは
とても楽しかったのを思い出します。

さて、
先のクライアントさんの「仕組み」のひとつ。
「休日の過ごし方」。

今は、家族全員で「カフェめぐり」をしているのだそうです。
週に一回のお楽しみ。
その日に向けて、時間をいかに生み出すか?
いかに、心安らかにその時間を楽しむか?

構成メンバーみな(ご家族ですが)
自然と毎日の過ごし方に「目標」が生まれているそうで。

「これは早くやっておこう♪」

とそんな感じでしょうか。

禁止ではなく。
否定ではなく。

「心惹かれる「場所」(時間・あり方)」

をつくって、
そこへ向けての自然な人の心の動き、という形を仕組化している
わたしのクライアントさん。
いつも本当に、すごいなあと思います。

(それに、着々と開拓しているカフェ情報もくださるので
これも本当に嬉しい)

ところで、
小さい頃、いろんなことが出来なくて、
しょっちゅう怒られていた、と書きましたが、
父がつくってくれた素敵な「仕組み」のことを、
書いていて思い出しました。

いつの頃だったか、父がいきなり
「明日から朝、ラジオ体操をする」
と言い出したのです。

ええ~!(げんなり)
と多分思った、と思うのですが。

朝起きると、父が
「裸足でとび出せっ!」と。
(縁先は広い芝生の庭だったのです)

姉、父、わたしと
裸足で縁側からジャンプ。

朝露にぬれた芝は少しちくっとして冷たくて、
眼下に広がる錦江湾と桜島が本当にきれいで。
体操のあとは父が逆立ちをして見せてくれたり、
姉と父の腕にぶらさがったりと…

もう、その時間は今でも「楽しかった!」という思い出しかありません。

神経質で、寝つきも悪く、
夜中にしょっちゅう起きだすような子どもでしたので、
今思えば、
あの頃が、生活のリズムが形作られていった時間であったなあ、
と思います。

 

 

 

 

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◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
自分の人生の軸を明確にしたい方。
自分の中に今ある方向性をさらに力強く開花させ、前へ進むための後押しが欲しい方。

◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、注ぎたいところへエネルギーを注ぐ準備を!

 

 

 

人馬一体の心地よさ

 

 

 

 

 

「わたしの馬があんまりやりたい放題やらないように、
抑えられる力がほしい」

と、
なんとも分かりやすい喩えでテーマをおっしゃったクライアントさんがいました。
正確には「わたしの中の馬が」でしたが。

「ともすると、ものすごく走り出す」
「あんまり自由に走らせすぎていいのだろうか」
「手綱をつけておかなくては」
「あんまり暴れすぎると困る」

云々。

数十分後。
この方が氣づいたこと、それは

「馬こそが本当の自分。
馬が存分に走れるように、
馬の邪魔をしないように、
『わたし』が静かで、穏やかであること」

でした。

この方が「馬」と呼んでいたものは、
自分にとっての自由でワクワクする感覚や感情、
それを味わうための行動。

怖がっていた馬の存在こそが

自分を自分たらしめるもの。
それを存分に走らせることこそが、
自分のすべきことなのだ、と。

今、
この方はまさに「馬」と一体となって、全力疾走しています。
「人馬一体」。
その姿のなんと自由で楽しそうなこと。

そして、
その「楽しさ」「幸福感」が、
見る間に周りに広がっているのが見えるのです。
(この方、一つチームを立ち上げたのですが、人がするりと集まってきます)

「馬」を
「無意識」「身体」「本質」「魂」… 
「わたし」を
「意識」「思考」「エゴ」…

まあ、なんと呼んでもいいのですが、
とにかく「人馬一体」「神我一体」な人間はほんとうに美しいものです。
生き生きしている。
そして、労せずして、踊るように、歌うように、
多くのことを成し遂げます。

「それ」を出してはいけないと、実は誰も言っていない。
それはふさわしくないと、
大人しくしておけと、実は、誰も言っていない。

それを止めているのは、
あなたのほかにはいないのかもしれません。

 

ラベルを変えれば意味が変わる、役割が変わる~厄年は『役割を果たす年』

 

 

 

本を読んでいたら、こんな一節がありました。

「厄年は『役を担う年』」。

男性は19、25、42、そして61歳。
女性は19、33、37歳が厄年。

身体が変わる頃ですし、体調を崩さないよう、
よくないことが起らないよう「厄払い」をしよう、というのがこの年。
わたしもやりました。
懐かしい。

実は諸説あるらしい「厄年」の説の中で
この中村さん(著者)が好きなのは

「役目を与えられる年」

という説。
諸説あることすら知らなかったので、
面白く読みました。

「女性は19歳、男性は25歳で、一人前の大人としての『お役を担う』。
女性は30代、男性は40代で、世の中の中堅としての『お役を担う』。
女性は出産、子育てという大役も担いますから、30代は重責です。

そして、男性は60代で、年長者としての『お役を担う』」
  (「日本の神さまと上手に暮らす法」 中村真)


 

やく年=役年。
なにゆえこれに反応しているかといいますと、
わたし自身の「節目」「人生の切り替わり」が
見事、この19・33・37に当てはまっていたことに
はたと氣づいたからなのです。

いずれの年も

新しい世界に飛び出した年、といいましょうか。

自分の中では相当な勇氣、そして変化でした。

特に、後半33歳と37歳は

今につながる転職の年でした。

 

19歳。33歳。37歳。
「お役目」というわけではないですが、
わたしにとっては、
水が高きから低きに流れるように。
渡り鳥が渡りを始めるように。

自分の奥深いところのリズムそのままに、
水の流れの「堰を開けた」(開けることを自分に許した)年だったなと。

単純に言うと、よりやりたいことにシフトしていった年だったなと。

そうかそうか。

役目を担う年か。

(ちょっとうれしくなっています)

「『役を担うぞ』という氣持ちで厄年を迎えるのか、
『厄払いをしないと怖い』という氣持ちで厄年を迎えるのか。
ちょっとしたことですが、いずれの氣持ちで受け止めるかで、
一年の過ごし方が変わってくる氣がします」 
(by 中村さん)

心理学的にもまさにこのとおりで、
「意識を集中させたところのものが、増大する」。

 

「厄」=「役」

このことを当時知っていたら、

もっと過ごし方が違ったのにな、と少し残念な氣持ちです。

「そのもの」「そのこと」が自分にとって何であるのか。

 

 

それを決めるのは最終的には「自分」です。

自分が決めたところのものに従って。

自分が貼ったラベルに従って。

人はその面を見、体験し、吸収したいものを吸収します。

同じ出来事であっても、

それは人によって面白いくらいに違う。

 

 

そして、ラベルの貼り方はあくまでも自由。

ほんとうに自由なのです。

 

 

 

今日一日、

いつものもの、

いつもの出来事に違うラベルを貼ってみる。

そんな遊びも楽しいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

よく耳にする「ありのままでいい」 という言葉。頭では解るけど私の心にまでは響かない

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今日は、クライアントさんからいただいたセッションのご感想を載せます。
この方を見ていて感じるのは、とにかく

「自分がまず楽しむ」
「自分を楽しむ(自分の感覚を信頼して楽しむ)」

ことを自由自在になさる、ということ。
その渦の中に、人がどんどん吸い寄せられていく。

*    *    *

セッションを受けたきっかけは、

案内文の中にあった、
(確かそうだったと記憶する)

「あなたの人生の作戦会議」

というフレーズがとても心に残り、興味を持ったからでした。

セッションの事前の打ち合わせで浮かんだイメージは、
「私の中の宝探し」。

深い森の中に入って行って、
まだ見つけていなかったお宝を見つけよう♪
船の上で地図と望遠鏡を手にお宝探しにいざ行かん!
というようなワクワクするイメージ。

実際、セッションが始まると、
その時々の私の中に思い浮かぶ事や、
解決したいと思う事などをきっかけに、
その時々にぴったりの方法で、進んでいきました。

その時によって体を動かしたり、
自分の心の中の深い所に入って行ったり。

自分の中の苦手な感情や、困った所を深く見つめて行く事で、
今まで気づいていなかった新しい自分に出会ったり、
自分の中のコアな部分に気づいたり。

まさしく「自分の中の宝探し」。

新しい自分を発見したり、
いつの間にか身にまとっていた、必要のない重たい上着を脱ぎ捨てて、
私の中の新しい扉を一つづつ開けて行くような発見と驚きでした。

後半3ヶ月のイメージは「自転車の練習」!

前半で出会った「自分の中のお宝」をベースにして、
私のやろうとするチャレンジを、
公子さんにサポートしてもらいながら自分でやってみる。

まるで自転車の練習をする様に、
始めはヨロヨロと危なっかしい所を
公子さんに後ろを押さえてもらいながら走ったり、
「もっと早く足動かして!」などアドバイスをもらいながら。

3ヶ月終わる頃にはもう、
自分の足でビュンビュン風をきって気持ちよく走るのを見届けてもらう、
そんな様な力強く楽しいイメージが湧きました。

このイメージ通りに、今、
「やってみたい」
と、思いついた事をやり始めています。
今までずっと先延ばしにしていた自分の中の宿題みたいな事も。

えっちらおっちらですが、見守ってもらえている心強さに励まされ、
実行出来そうです。   

今、セッションがスタートして4ヶ月目ですが、
今までの私なら「なんだかめんどくさそう」と感じていた
少し大きな変化やチャレンジを、
セッションという手助けを受けて行く事で、

「あれ?こんな事?」

と感じられる位の小さなハードルに分解して、
軽々と飛び越えてしまっている。
(もう飛び越えている感覚すらも無いかも)
そんな感じがしています。

6ヶ月終わる頃の私がとても楽しみです。

公子さんの話やブログに載っていたり、
セッションの中で聞く中で一番印象深くてよく思い出すのが、

「ペンギンが一番輝くのはペンギンらしくある時」

という話。

ダチョウの様に速く走りたい、などと思って
いくら苦しい特訓をしても、
そんな事より、自分自身の中にある本来の姿のままである事が、
(美しい流線型の身体で海の中を彗星の様に泳ぐ!そしてあの愛らしい姿!)

自分にも、そして周りにも一番嬉しくて輝く時なのだ、
そこに力を注げば良いのだ、という話。

よく耳にする

「ありのままでいいよ」

という言葉は、頭では解るけど私の心にまでは響かない。


 

このペンギンの話は、
無駄な努力で苦しみ疲弊するペンギンと、
活き活きと躍動感あふれる姿で、海の中を泳ぎ回るペンギンの姿が目に浮かんで、
もう笑えてくるくらい大納得なのです。

少し迷ったり立ち止まったりする時に、
ペンギンである私をイメージして
行くべき道を進む事ができる様な気がします。

*    *    *

この方の人生に、
ますますの幸あれ!

ますます、自分自身を発揮して周囲の人たちに、
大きな影響を与える、その波紋が広がってゆきますように。
 

 

 

 

§「自分の響きを奏でて生きる

― 立春~春分の日・期間限定体験セッション」

 

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●期間 ~3月21日(春分の日)まで

 

【ご注意】

全2回のセッションに、事前ヒアリングがつきますので、

申し込んでくださった方の日程にもよりますが

全行程で半月はかかります。お早くお申し込みください。

(3月21日を過ぎると通常の料金・2万円に戻ります)

 

ぜひこの時期に、体験なさってください。

貴重な体験になることと思います。

 

 

 

 

 

◆☆◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆☆◆

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☆◆☆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」☆◆☆

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「『自分でいられた』ときの表情ほど美しいものはないーフィギュア男子フリーのドラマ」

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全くもって詳しくないですが、フィギュアスケートファンです。

子どものころから一家そろってNHK杯を見るのが楽しみでした。

 

 

 

さて。

平昌オリンピック、フィギュア男子シングル。

羽生君、昌磨くん、おめでとうございます。

 

 

 

わたしの10000倍フィギュアが大好きで、

今回平昌にも行った知人と

(男子シングルをばっちり現地で見たそうで!すごい!)

以前、

「羽生君は天の精。昌磨くんは大地の精」

と話していたんですが。

 

 

天を自由に飛ぶ透明な羽が背中に生えているような羽生君。

ぐっと大地に根を張って、

ぎゅいいん…と大地からのエネルギーを吸い上げているような

昌磨くんであったなあと、今回もそんなふうに思いながら見ていました。

 

 

 

 

そして、田中刑事選手。

めったにない、鹿児島でのアイスショーで直にその滑りを見たこともあって、

なんとなく氣になる刑事くん。

 

 

今回のフェデリコ・フェリーニメドレー。

 

あれは本当に「物語を紡ぐ」曲で、

(それが出来ないと、より『出来ていないこと』が目立つ曲)

たとえ、どんなにジャンプで失敗しても、

笑って、軽やかに飄々と、滑らなければならなかった。

その世界を表現しなければならなかった。

 

でも、団体戦で、彼はそれが出来ませんでした。

もう、テレビを見ながら

「笑うのよっ!刑事!ジャンプがなんじゃい。あなたの滑りを見せるのよっ!」

 

 

 

と一人念じながら見ていました。

 

 

刑事くん、そんなに固まらないで。

顔を上げて。

深呼吸して。

自分の身体の中心の炎と、曲を同調させて、共鳴させて!

そうしたら、その炎はちゃんと高らかに燃え出すから。

その炎は観客まで容易に覆ってしまうはず。

 

 

まあ、

オリンピックですもんね…。

採点競技ですもんね…。

なんだかんだ言ってもジャンプ命の競技ですもんね…。

もう、あの舞台で滑っている、ということ自体がすごいわけですが。

 

 

 

自分でいられなかった。

「これが僕だ!」と…。

存分に発揮することができなかったというのは辛いだろうな。

とそう思いました。

 

 

 

 

 

そして、個人戦フリー。

何よりうれしかったのは

彼の「表現」が伝わってきたこと。

刑事くん、ちゃんと笑っていました。

刑事くんの差し出す手の上に、空氣があり、世界が見えました。

 

ああ、よかった。

 

今、刑事くんは「その瞬間」を生きている。

もちろん、100%じゃないかもしれないけど、

ジャンプのミスはあったけれど、

でも、彼はあの場を楽しんでいる。

そうじゃないとあの顔はできない。

 

本当に、それが何よりよかった、と思いました。

 

 

 

 

これからもまた、フェデリコ・フェリーニメドレーを滑ることがあるんでしょうか。

本当に、100%表現することを楽しんでいる刑事君を

また見てみたい、と思いました。

 

 

 

 

転んでも、ミスしても

とてもすがすがしい表情でキスクラに座っている選手もいます。

人間にとって何より大切なのは、

成功や失敗の数ではなく、「自分であったか」「自分を生きたか」。

その場面の数なのだなあと思います。

 

 

男子シングル。

4分半の個性あふれるたくさんの旅にいざなわれた、

幸せな時間が終わりました。

あとは女子シングルとアイスダンス。

楽しみです。

 

 

 

 

追伸:

仕事柄よく「人前で緊張するんです」という相談を受けることがあります。

まずもって言いたいのは

「緊張はなくならない」。

緊張は人間の生体反応として当たり前、いや、なくてはならないものだ、

(むしろ、緊張を愛でよ、なのです)

ということを前提に、何が出来るか、なのですが。

 

そのことについて、次回書いてみます。

 

 

 

「自分の響きを奏でて生きる

― 立春~春分の日・期間限定体験セッション」

 

上に書いた「緊張」とも関わってきますが

「自分とは何者か」

「自分の使命とつながる」

と、緊張は、表現のエネルギーへと転化されるのですよね。

そんな些事はどうでもよくなる、という。

 

自分の中が整理されると、本当に

些末なことに惑わされにくくなります。

すっきり芯がとおります。

 

「自分の響きを奏でて生きる~
 立春~春分の日・期間限定体験セッション」

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●期間 ~3月21日(春分の日)まで
 

 

「素材を生かす。本質を生かすー廃棄物でバッグを作るデザイナーさんのおはなし」

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何気なく目にしたEテレで、

規格外のため、新品のまま廃棄される

床材やシートベルトでバッグを作るデザイナーさんの

お話をやっていました。

 

ベルト素材独特の光沢、床材の木目…その素材の個性を生かした

そのバッグがまた、カッコいい。

https://modeco-brand.com/ec/

(ショップはこちら・MODECO)

 

 

 

バッグ好きなものですから

「…これは欲しい」とつい。

 

すごいな~。

よく考えたな~。

と、感動してみていました。

 

 

 

お話には続きがあって

(ここからが山場らしく)

このデザイナーさん。水野さんというんですが、

この方のもとにバッグ制作の依頼が舞い込む。

依頼者は「名古屋市消防局」。

 

 

 

「使い古した消防服でバッグがつくれないか?」

 

 

 

安全のため2年にいっぺん取り換える消防服。

毎年1トンを超える量の「廃棄物」が出る。

 

 

 

水野さんは早速持ち帰って考えるのですが、

これまでの「新品の廃棄物」しかも、「素材ベース」のものではなく

現場で使い込まれ、焼け焦げほつれた素材。

 

しかももはや「服」の形になっているものをどうするか…。

とまあ、ちょっと悩みます。

 

 

「これまで、材料のいいところに注目し、

デザインに生かしてきた水野さん。

使い古された消防服という欠点ばかりの材料で、

一体どのようなバッグを作り上げるのでしょうか」

 

 

とここでナレもしっかり入ります。

 

 

 

さて、水野さん。

結局、リュックを作ります。

焼け焦げやほつれを前面に押し出し、

使い込んだ風合いを生かしたハードなリュック。

けっこうとどめてますよ、消防服の面影。

 

いや、「消防服だった」ということがこのリュックの最大の価値ですね、これは。

これ、おしゃれな男性好きだろうな~、と

一目でそう思うような感じのカッコいいリュックです。

これ、私も欲しいかも。

 

 

 

最後に、水野さんが言います。

「一言で言うと、決めつけないことですね」(キラリ)。

 

 

 

10分くらいの短い番組なんですが、

これなんの番組?と思って見ていると、最後に

 

 

「オン・マイ・ウェイ」

 

 

とタイトル。

なんと…小学生の道徳番組でした。

 

 

なんとステキな。

今どきの小学生はこんな道徳番組を見ているんですね。

 

 

 

 

「マイナスをプラスに変えるにはどうしたらいいんだろう」

がテーマのようでしたが、

わたしには

 

「そのものの本質を生かす。良さを生かす」

「あるがままの状態こそが何よりのリソース」

 

というテーマに思えました。

 

 

 

 

●「オン・マイ・ウェイ」 NHKRテレ

http://www.nhk.or.jp/doutoku/onmyway/?das_id=D0005130168_00000

●MODWCO(写真はこちらからお借りしました。ここからバッグを購入できます)

https://modeco-brand.com/ec/material/firefighter-uniform/

 

「自分の響きを奏でて生きる

― 立春~春分の日・期間限定体験セッション」

 

「自分自身が何者かを知り、それを存分に生かす」

「傷こそも、輝き。傷もリソース(宝・資源)」

 

自分の人生に関して、「それ」をするためのセッションです。

 

新しいものを外に求めなくても、今ここにあるよきもの

素晴らしいものを自分で認め、生かす。

 

そんな人生、あり方こそ幸せだ、と思う方は、ぜひ下記サイトへ訪れてください。

そして、体験なさってください。

「自分の響きを奏でて生きる~
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