チームにとって、金のわらじを履いてでも探したいひと、欲しいひと

 

 

 

 

 

街中の商業施設にできた新しい「かっこいいかんじのスタバ」で

 

 

 

「お茶は…っと」

 

 

 

とメニューを見ていたところ、

 

 

 

「チャイがお好きでしたよね♪」

 

 

 

と声をかけられ、見ると、

以前よく行っていたスタバのスタッフさんが立っていました。

 

 

 

しかも、

「いつもすてきなタンブラーで来てくださるもの楽しみでした」と。

そこまで覚えていてくれたのが、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 

 

 

 

 

 

それにしても、すごいなと。

以前の店舗も大きな店舗だったのに。

(多分、わたしの住んでいる地域で一番大きな店舗)

よく覚えていてくれたなと。

 

こんな方だから、新店舗の立ち上げに引き抜かれたのだろうなあと。

 

 

 

 

 

 

 

こういう人は、お客さんだけでなく、万事についてよく「見ている」。

そして「氣づいている」。

そして氣づきを瞬時に行動に変えられる。

 

 

 

すぐ、声が出る。

言葉にできる。

アクションに変換できる。

(ここがとても大事!)

 

 

 

 

氣づくセンサーを持つ人は多いだろう。

が、

「コミュニケーション力」の定義をこう捉えると。

 

 

 

「コミュニケーション力とは、

繊細な受信のセンサーで場を捉えられる力。

 

なおかつ、

必要とあらば瞬時に適切な発信によって、

場に良い影響を与えられる力」

 

 

 

 

 

つまり、

氣づけるセンサーと

氣づいたことをもとに、場をプラスに変えられる発信のセンサー。

 

 

この二つが揃って初めて「コミュニケーション力」と言えるわけで、

(とまあこの表現は斎藤孝せんせいの受け売りですが。

でも本当に、言い得て妙!その通りだと思う。

思っているけど動けない、という人、結構いますもんね。

 

身体と意識が連動してこそのコミュニケーション力です)

 

 

 

 

 

この方を見ていると、まさにそんな感じで。

軽やかに風が吹いているような。

こういう人こそお店にとって宝。得難い人材だろうと思ったわけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

この人については「承認のスキル」という面からも語りたい。

 

 

 

承認=

「あなたのことを見ています。

氣づいています。

氣にかけています」

 

 

と他者に伝える全ての言動のこと、

と、コミュニケーションを学ぶと、初期の頃に出てきます。

(その時も結構感動ものでしたが)

 

 

 

 

 

今日のこのスタッフさんのような言葉はもちろん、

ちょっとしたまなざしや、笑顔。

立ち姿、身体の開き具合…

そういったものも全て含めたものが、

「承認」の言動となりえます。

 

 

 

 

それがいかに人を元氣にし、勇氣づけ、癒し、
「大切にされている」感をもたらし…
つまり、プラスのエネルギーをもたらすか。

計り知れないものがあります。そして、うまくいくチームには、
必ず、これが満ちている。

目には見えないけれど、
人と人の間を満たし、つなぐ、暖かい豊かな「氣」が
息づいています。

それを発することができる人は、
チームにとって、金のわらじを履いてでも探したい人、
欲しい人であり、

そして、
「開発したい能力&あり方」です。

そう。
これらの力は、天性のものでもありますが、
多くの人にとっては「開発できる」(後から身に付けることができる)力である、
というところが重要なところなのです。

さて、最後に「ささっと」承認上手になるポイントを紹介します。

ご自身の周りの「承認上手」を
思い出してみてください。
現在、そして、過去。

その人からもらったたくさんのものを
思い出してみてください。
嬉しさ、暖かさを。
深呼吸をして、存分に味わいます。

それをしっかりと身体に満たしたら…
あとは、「その人の真似をしてみる」。
姿勢、声のトーン、視線、口角の位置、言葉…

それだけです。

 

 

焦点を当てたところのものが増大する

 

 

 

 

 

もう長いことお付き合いしている方なんですが、

クライアントさんと

 

 

「リソースを確認してみましょう」

 

 

という流れになり、

一緒に声に出して、確認してみる場面があったのです。

リソースって、つまりこういうものでしたよね!と。

 

 

リソース=資源。

 

 

コーチングを勉強し始めた、ものすごい初期に、この言葉を知りました。

リソースを探し、人に伝えたり、伝えてもらったり…という練習を何度もし、

結構な感動ものでしたっけ。

 

時がたち、程なくすっかり『業界用語』になってしまい

なんの氣無しに、

 

 

「リソースは何?」

「リソースがさあ~」

 

 

という使っていたんですが。

 

 

 

 

「そのことに直結する能力や資格や…と言ったものはもちろん、

 

時間

お金

性格

思考パターン

過去の体験(成功、失敗にかかわらず)

 

などなど、でしたよね」

 

「年齢・身体的能力や特徴…

なんてものも場合によってはリソースになることがありますね」

 

 

「人の繋がり、なんていうものも大きなリソースですよね、

自分がそのことができなくても、知らなくても、

できる人がいる。

知っている人がいる。

持っている人がいる」

 

 

 

と二人で確認し、

 

「探すというより、思い出してください!」

 

という言葉で、その時間は終わったんですが。

 

 

 

 

何を書きたいかと言いますと、

この流れを通して、何よりわたし自身が、

 

 

 

ああ、自分はなんて豊かなんだ。

たくさんのものを持っている。

 

 

 

と思い出してしまった、ということを言いたかったのです。

 

 

 

意識しないでいると、

つい、わたしたちは「不足」に目が行きがちです。

そして、全てを一人でやろうとしたり。

「あれがない」「これができない」と悲しんだりしますが。

 

 

でも。

 

 

なんだ、こんなにあるじゃあないか。

なんだ、自分一人でやらなくていいんじゃないか。

 

と。

 

ものすごく実感してしまいました。

ああ、心穏やか。

 

 

 

 

「意識してみる」

 

 

ということは大切です。

意識することによって、日常の薄い膜に覆われた彼方から。

雑多な夾雑物の流れから。

流れていく激流の中から。

 

しっかりと立ち上がってくるものがある。

 

 

 

なんと言いますか、ものすごい情報の中で

わたしたちはいつも「山のあなた」だけをみてしまいがちですが、

 

(ああならねばならぬ、これがなければならぬ、こうしなければならぬ、と)

 

 

それはなんだか、わたしにとって、

例えば常に熱い鉄板の上で炙られ、飛び跳ねているような焦燥感なんですが。

 

 

 

 

 

明確に焦点を当てることができれば、

いつでも、宝は「ここに」あるのです。

 

 

 

 

わたしたちがまずなすべきことは、

遠くの楼閣や、キラキラしたものに照準を合わせることではなく、

今この瞬間の「自分自身」に

焦点を合わせることなのです。

 

(と、まさに自分自身に言い聞かせているわけですが)

 

 

 

 

今ここにある宝。

今ここにある豊かさから、

わたしたちはいつもここからしか出発できないわけですから。

 

 

 

どうぞ、ぜひ、思い出してみてください。

改めて、書いてみてください。

ご自身がもはや持っている豊かさの数々を!

 

 

きっと、元氣になったり

新しいことを思いついたり、

誰かに連絡を取りたくなったり…

 

 

 

いろんな氣持ちが湧いてくるかもしれません。

何より、

 

山ほどの感謝、

溢れるほどの感謝、

太陽が降り注ぐような感謝の氣持ちで

身体中が溢れるんじゃないでしょうか。

 

 

身体は雄弁に物語る〜木々がその年輪に日照りや干ばつ…太陽や風や雨の歴史をしっかりと刻むように

 

 

 

 

 

「ボティトーク」の施術を受けてみました。

 

 

 

地層にはその時代時代の、いわば「地球の記憶」が刻み込まれており、
遺物が埋め込まれており、
そこから色々な「地球の過ごしてきた物語」を知ることができますが、

 

 

 

人の身体もまさにそういうものなのです。

 

 

 

 

昔、「ロルフィング」という施術がとても氣になって、
受けに行ったことがあるんですが、
(もはや場所すら覚えていないんですが。東京に近い田舎の、梅の美しい駅でした)

 

 

 

 

それは筋膜に刻み込まれた記憶を解放するものであった、
という覚えがあります。

 

 

強い衝撃を受ければびっくりしたり、恐怖を感じますが、
それは、頭の中の記憶だけでなく、身体にもしっかりと「記憶」として刻み込まれる。
身体的な衝撃だけでなく、心の衝撃も刻み込まれる。

 

 

それらが筋膜を引きつらせ、
やがて身体の歪みを生じる、

 

 

それを修正する。

 

 

というようなものであったと記憶しています。
うろ覚えですが。

 

 

 

 

「ボディトーク」。

「主訴」(最近ここが痛くてああでこうでこうなんです)
からは想像もつかないメッセージがいつも導き出されるわけですが、

(今回でいうと、
臓器からのメッセージ、
身体の周りを囲むエネルギー体のバランス、
二代前までを含む家族間の感情の解決すべきこと、などなど…
遺伝子から宇宙まで、
その系統立てられた構造の壮大さには舌を巻くものがあります)

 

 

 

 

 

 

 

それは全て「私の身体が語っている」のです。

 

 

 

実は、身体はこんなにも「知っている」。
身体はほんとうに「自然のもの」なのだな、と感じます。

 

 

木々がその年輪に季節の変化、日照りや干ばつ
…太陽や風や雨の歴史をしっかりと刻むように、

 

 

 

 

 

深く深く、地球の奥底まで、
宇宙の、星の動きまでと繋がっており、
時間の記憶も全て、身体の中に蓄えている。

 

私たちの身体は、すべてと繋がっている。
恐るべき叡智の場、なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前。
AI全盛となるであろう時代を前に、
シリコンバレーで働く親たちが子どもをどう教育しているか?
という番組をやっていましたが。

 

 

 

それらの親に一番人氣の私立の学校の教育は
「電子機器一切禁止」。

 

 

 

その授業は、
ナイフで木を削ってスプーンを作り、
輪になって手を叩き、声を出しながらリズムをとって九九を暗唱し、
ポールにみんなでリボンを巻く(西洋のお祭りみたく)
という…

 

 

 

「身体感覚」「五感」を磨くものでした。
つくりたいのは「創造性」と「調和」だそうで。

 

 

 

 

 

 

さて。
こんな現状の日本であってもなお。
(とあえて言ってみる)

 

 

 

私たち日本人は、
世界でも「自然に最も近い民族」の一つである、と言えます。
自然に対する「繊細な五感」を備えもつ民族です。

 

 

 

それは、私たちの使う「日本語」が、
私たちのこの特徴的な「日本語脳」を作っているから、なのですが。
(詳しくはこちら)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12292650593.html

 

 

 

 

 

教育の仕組みも、社会の仕組みも、医療も、そのほか諸々…
これから

 

 

 

「身体とのつながりを取り戻す」

 

 

 

 

ことが、土台の大きな鍵となる、と
そんな風に感じています。

 

 

 

 

 

身体とのつながりを取り戻すということは、
自分の中心軸と、
自然との、
世界との、

つながりを本当の意味で、
(全てがバランスのとれた、誰も泣くもののない調和という形で)

 

取り戻す、ということだ、と思うからです。

 

 

 

 

 

あなたの人生、珠玉の3冊を選ぶとしたら?

 

 

 

 

 

「棺桶に入れる本3冊まで。
決まった!
断捨離効果が少し出てきた」

と知人がフェイスブックに書いていたのは数日前。
なになに?と読み進めると、
いろんな方とのコメントのやりとりで、

「自分がどんな人か、少しわかるみたいよ。
妙に納得。
残された時間が氣になるようになるといい方法みたいです」

「皆さま!
棺桶分3冊と限定すると、
自分の核?エッセンス?がわかるみたいです。
これからの時間、
それに沿うような生き方をしてあげると、喜んでもらえそう」

と知人の言葉が随所に。

喜んでもらえる、というのはきっと「自分自身に」ということかな、と
勝手に解釈したんですが。

さて、「3冊」。

知人の言う通り、
それは、自分の人生を表すもの、となることだろうなと。
様々なものと出会い、多くのことを体験し、
多くのことに時間とエネルギーを使ってきた自分が、
最終的に選ぶ「3冊」。

「棺桶に入れる設定」

ということは、きっと、あちらに行ってから、

「私はこんな風に生きてきました」

と、神様に見せることになるんでしょうか^^。
(そんな風にイメージしてみると楽しい)
そして、これは大変です。
何を選ぼう…と焦りが。

年号がかわります。
年号が変わるということは、まさに時代が変わるということです。
新しい時代、本当に楽しみなのですが、
同時に、ますます大きくうねってゆくだろうなあ、とも思います。

「これまでこうだったから」

だけでは今一歩楽しめないといいますか。

全てにおいて
そのことの本質は何か?大切になる。
そんな中で、
人は「自分を生きる」ことがますますキーワードになる時代となる、
そんなふうに思います。

周りがそうだから、みんながそうだから、ではなく、
自分自身の「真実の声」を聞く、といいますか。

「これからの時間、
その3冊に沿うような生き方をしてあげると、(何より自分自身に)喜ばれそう」

知人の記事を見て、私も、
新しく始まる時代。
もはや1分1秒、「自分とは違う」ことをしている時間はない、
と、そんなことを身体感覚として感じたことでした。

ということで、「3冊」を、
静かにゆっくり考え中始めたところです。
(ちょっと怖い氣もするのはなぜかな?と思いつつ。
選び、決める、というのは結構怖いことでもありますね)

新時代を前に。
よろしければ、選んでみてはいかがでしょう。
考えるだけでも、自分について、いろいろなことが
見えてきそうな氣がしています。

新しい時代という海を生きていく、

「自分自身の羅針盤」。

のいい確認作業になるのでは、と思うことです。

 

研修は「不足を埋める」為ではなく「すでにある素晴らしいものを引き出す」為にやる

 

 

 

4月1日、新元号の発表された日。

研修先で発表を見ていました。

皆さんと「令和^0^!」とひとしきり盛り上がり、

研修スタート。

 

 

 

 

 

 

この日は私にとっても初の体験で、

それは、

 

 

「事業所スタッフと事業所の利用者さん

(つまり、スタッフとお客さん)合同のコミュニケーション研修」

 

 

だったということ。

この仕事長いですが、初めてのことです。

 

 

 

 

 

 

イメージは「船出を祝う場」と決定。

 

 

 

新年度。

新しいメンバーもやってきた。

これからこのチームでスタートする。

そのために、お互いを知り合い、手を取り合い、

 

「このメンバーで歩めば何かがある!」

という未来への期待を全身で感じてほしい。

 

 

そういう出発式としよう、と。

みんなで旅立ちの狼煙をあげる場。

 

 

 

 

 

結果、とにかく楽しかったようで、ご参加者も経営者さんも喜んでくださり

よかったなあと思ったんですが、

 

より早く人間関係を構築し、チームのモチベーションを上げるために

懇親会や飲み会ではなく

(いえ、それもやってらっしゃると思うんですが)

 

 

 

この形を選んだ経営者さんもすごい、

と思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日の本題です。

 

研修は何のためにするのか?

(専門の知識を得るようなものは置いておき、

私がやっているような研修、ということで)

 

 

 

 

 

 

先日、とある経営者さんと話していて、

身体が重たくなってきたことがあり。

 

 

 

なぜかと言うと、

その方が、心の奥深いところでは、

自身の会社のスタッフさんの力を信じていないこと、

(もちろん、ご本人は意識してないと思いますが)

 

 

 

 

 

そして、研修とは、

「不備を正す」「マイナス面をプラスにする」ためにやるもの

だと思っており、従って、

 

 

 

「コミュニケーション研修を自分の会社でやるなんて、恥ずかしい」

(自分の会社がコミュニケーションがうまく行っていない、

 と露呈するようなものだから)

 

 

 

と、結構な強度でマイナスに捉えている、ということが

言葉の端々から伝わってきたからなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繰り返します。

研修は何のためにするのか?

 

 

 

「足りないもの」を補うため?

いえいえ、そうではありません。

 

 

 

もちろん、その側面はあるのですが、

「そこ一辺倒」

でやる研修は、参加する人たちにとっても重苦しく、嫌なものです。

もちろん効果も薄い。

 

 

 

 

 

 

 

なにせ、

スタートの前提が、

(経営者の意識が)

 

 

 

「お前たちには足りないものがあるから、これを受けろ」

 

 

 

つまり、否定からスタート、

なのですから。

 

 

 

 

 

「お前は足りない。お前は不十分だ」

 

 

 

 

 

と言われ、

(言葉には出さなくとも、そういう意識で場を設定され)

 

誰が嬉しいでしょう?

エネルギーが湧くでしょうか?

意欲が上がるでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真の研修とは。

 

 

 

「すでにある素晴らしいものを引き出す」

ためにやるのです。

 

 

 

今あるもの、眠っているものをもっと輝かせ、

そして、それを必要としてくれる人達(お客さん)のために、

さらに役立てられるようやるのです。

 

 

 

 

 

 

 

その出発点は、いついかなる時も、

 

「あなたはOKだ」

 

そこがスタートです。

 

 

 

 

 

自分を好きになり、自分を信じられる場になること。

人と繋がることの楽しさや幸福感を全身で感じ、

この仲間たちと創造していくんだ!という喜びを

感じることができること。

 

 

 

知識やスキルは、実は大いに二の次で、

真の研修の場というものは、人の心身をエネルギーで満たし、

火をつけるものです。

 

 

 

 

 

 

 

4月1日。

みんなにとって、安心で心地よい、楽しく希望に満ちた

スタートとなるように。

 

 

 

考えに考え。

度重なる打ち合わせを重ね。

研修という形の「団結式」を実施したこの経営者さんの、

チームへの切なる思いと、

スタッフさん、利用者さん全てへの愛をひしひしと感じたことでした。

 

 

 

 

 

きっとあなたも依存症(笑)ータブレットがないこの数日で感じたこと

 

 

 

 

 

 

今、iPadがないので、

ネットは家で、PCのみで見ているんですが、

外に出ていて、ちょっとした…例えば1分弱の空き時間なのに、

手が無意識にバッグの中にに伸びていたりと

(iPadをまさぐっている)

 

 

いかに自分が「依存」していたかが身体で実感できて、

面白い時間を過ごしています。

(みなさんもやってみてください。

きっと見事に、氣持ちの悪い『居心地の悪さ』を感じられることと思います!)

 

 

 

 

さて、

 

●いろんな人からの連絡にすぐに氣づいて返信できない

→そもそもそんなに「すぐに」氣づいてすぐに返信する必要があるのか?

 

●旅先で列車の時刻や乗り換え案内などが調べられない。地図が使えない

→人に聞く、っていう手段を忘れてどのくらいたつだろう

 

 

 

といろいろ考えて、

このままでもう少し過ごしたら、

思ったより身体にずっと浸透していた変な強迫観念(急げ早く)と

「依存」が抜けるかもしれないな、と思っている所です。

 

 

 

そもそも、この体験がなければ、「これは依存だ」と氣づくことすらなかったろうと。

日常生活に支障をきたす、とか、そういうものでは全くないんですが、

でも、

 

 

 

 

「今、ここ、この瞬間」

 

 

 

にいる時間(リアルに五感でもってこの世界と触れる瞬間)は、

この小さな箱によって、確実に減っていたことは確かです。

 

 

今は、その時間、何をしているかというと、

「ぼんやり」しています。

空を見たり、街を見たり、雑踏の音を聞いたり。

そして、夜は本を読む。

 

 

 

 

 

 

 

この小さな薄い物体を通して、

私たちは他者と、そして世界の全てと繋がっているような氣になっていますが、

(その高揚感と万能感に席巻されてしまったこの10年くらい?でしたが)

 

 

 

 

この、便利なものの利点を存分に享受しつつ、

つながるということは、

本当はそうではないのだ、という。

 

古いような、それでいて新しい次の次元に入っていく時代に

なっているような氣がしています。

 

 

(再び、氣付きを持って、その行動を選択し直す時代、というくらいの意味です)

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆「今この瞬間」に最高の自分を発揮する力を磨く ◆◆◆
   ーインプロワークショップー
  ・4月21日(日)  14時〜17時
https://peraichi.com/landing_pages/view/rissyunn

 

どんなに世界中の情報を一瞬にして手に入れることができても、

「つながる力」の土台は自身の身体感覚・五感をベースにした

「生身のコミュニケーション力」であり、

その上に立って、初めて「大な知識と情報」を自分と世の中のために

役立に立つ使い方、をすることができます。

(そうでないと、翻弄され、流されていくだけなのです)

 

 

  *   

 

即興演劇の役者のトレーニングのために生まれたゲームが

「ビジネスインプロ」

として多くの企業の人材トレーニングに使われる理由。

それは、日々生き物のように変化する企業現場において、

通例や常識、マニュアルを必要とあらば

「軽々と超えられる」人材でありチームこそが

活躍できるといういう一点にあります。

 

 

座学だけでは身につかない、開発されないこれらの能力。

頭で「わかっている」だけではどうにもならないこれらの能力。

最終的に「身体が動いてこそ意味がある」能力。

 

これらを自分の身体を通してまさに「開花させる」ワークショップです。

 

 

ーインプロで鍛えられる「七つの力」ー

1. 自分の感覚を信じる力ー自分の能力や考え、選択を信じ、瞬時に必要なものを選び出す力

2. 受け入れる力ー相手の考えをいったん受け取理、そこから創造する力

3. 伝える力ー互いの意見を素早く正確に理解し、コミュニケーションする力

4. 集中する力ー適切に状況を判断し、他者の意見や考えを深く理解する力

5. 転じる力ーどんな状況からでも新しいチャンスを生み出す力

6. 行動する力ーどんな状況でも積極的かつ前向きに動ける力

7. 笑う力ーリラックスし、状況を楽しめる力

(池上奈生美 インプロであなたも「本番に強い人」になれる より)

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

立春ー春分 期間限定特別体験セッション

https://peraichi.com/landing_pages/view/kanaderu

〜3月21日

 

 

立春からの約1ヶ月

コーチングの体験セッションを通常の半額で実施しています。

 

 

今年のご自身の方向性をはっきりさせるもよし。

今この瞬間のテーマ(解決したいこと)を語るもよし。

どうぞ、ご自由にお使いください。

 

 

「言語化する」

(声に出し、言葉に出す)

 

 

というこのシンプルな行為がご自身の意識、無意識にもたらす効果を、

体験してください。

 

 

 

コミュニケーションは武道と同じ〜「型」が私たちを助けてくれる

 

 

 

 

 

先日、インプロのワークショップを一つ終え、
あれはつまり、

「より良いコミュニケーションと、その土台となる思考のパターンを、
身体に刻み込んでいたんだなあ」

と、
あらためて実感しているところです。
(インプロって何?の方はこちら)
https://peraichi.com/landing_pages/view/rissyunn

インプロの土台となる基本姿勢は、
「イエスアンド」。
直訳すると「はい、そして」。

相手の発信を「はい」と、
いったん受け取る。
そして、受け取ったものに、「そしてさ」と
アイデアを一つ乗せて、相手に返してみる。

その循環で、
アイデアは膨らみ大きくなり、世に様々なものが生み出される。
形あるもの、ないもの、人間関係含め、全て。

その土台となるのが
「イエスアンド」
の姿勢。

これは、インプロの、というより、コミュニケーションの全ての場面における
基本精神でもあります。

反対に、何物も生み出さない姿勢に、

「ノー、バット」

の姿勢、があります。
「ええ!?でもさ〜」とでも訳しましょうか。

何を提案しても、第一声が「ええ!?(嫌そうに)」
という人、いるんじゃないでしょうか。
無意識に「ええ〜!?」が癖になっている人。
受け取れない。
必ずなんでも否定から入る人。

投げた球が、受け取られることなく、
全てダイレクトアタックで打ち返されてくるような。

これでは、関係性もアイデアも広がることはない。

さて、先日のワークショップ。
この「イエスアンド」を。

繰り返し繰り返し、手を変え品を変え、
身体と心と言葉を使って体験し続けた時間でした。

いかに早く、スムーズに、自分の心と身体から「イエスアンド」を発して、
コミュニケーションとり、チームで「創造物を作るか」。

 

 

 

「人の話ははずは聞きましょう」
「自分と違う意見でもいったん受け取ってみましょう」
「マイナスの出来事にも、必ずプラスの面があります。まずはそこを見ましょう」

誰もが知っていることです。
あなただってもちろん知っている。
より良いコミュニケーションのために、他者とともに幸せに生きるために、
こうしたほうがいいのだと、
誰だってわかっていることです。

では…出来るのか???

その瞬間。
心はどう反応する?
あたなの身体はどう動き、どんな声となって、言葉となって、
発信されるのか?
この世界に。

人の表現は、最後は身体が受け持ちます。
脳の理解と、身体の動きの間には「タイムラグ」があります。
頭では理解しても、身体はそう簡単には動きません。

頭での理解と身体の行動の間には、マリアナ海溝並みの大きな溝があるのです。
(ここ、大事!)

だから、私たちは訓練をするのです。
トレーニングをするのです。
すぐれた「型」を何回もやって、心身に刻み込むのです。
身体が無意識に、型に沿って自然に動くまで。

コミュニケーションは、スポーツや武道と一緒なのです。

知識を得ただけで安心しないでほしい。
何もしないでいて「わかっちゃいるけど、できないんですよね〜」
などと軽々しく言って欲しくない。

先日、クライアントさんに、一つ「型」の提案をしてみました。

「七三(ナナサン)で行ってみませんか」

人の話を聞く際の、
「話す割合」のことです。
相手が七話す。自分は三。
まずは無条件に、それに当てはめてみる。
そしてそれを一定期間続けてみませんか、と。

「大丈夫、『型』があなたを助けてくれます」

聞けるかな、とぽそっとおっしゃったその方に
つい、力強くそう語っている自分がいました。

愛に関する有名な著書「愛するということ」を書いたエーリッヒ・フロムは
その中で書いています。
はっきりと。
「愛とは、修練である」と。

ぼやっとしていて、放って置いていて、
勝手に育まれ、溢れ出し、豊かになるものではない。
日々心を整え、口に出し、表現し、訓練するものなのだと。

愛は修練。
愛の発露であるコミュニケーションに至っては
言わずもがな、なのです。

 

 

◆◆◆「今この瞬間」に最高の自分を発揮する力を磨く ◆◆◆
  ーインプロワークショップー
 次回は4月21日(日)です  14時〜17時
https://peraichi.com/landing_pages/view/rissyunn

 

全てのコミュニケーションに通じる鉄板の「型」を身体と心に覚えこませる3時間。

上記サイトに前回セミナーの写真、感想等が掲載してあります。
どうぞ、ご覧ください。

 

 

人の話を聞けない人は「受け取る」と「受け入れる」の違いがわからない

 

 

 

 

 

コミュニケーションの研修をしていると、

相手の言ったことを、
「受け取る」。

「受け入れる」。

この初歩的な「違い」がわからない人が多いのです。
完全に混同している。

相手の言うことを「聞く」=「受け入れる」=相手の言う通りにしなければならない

と無意識のうちに思っている。
なので、
人の話が聞けない。
(すぐに反論。相手の話の腰を折り、
「でも」「だって」「そうは言うけど」「それは違う」のオンパレード)

または、表面的には「聞いて」いても、
内心は上記の言葉を自分の中で反芻しまくっている、

と言うことが起こります。

結果、コミュニケーションはうまくいかない。
目の前で、会話している相手は、

「あの人と話していても、安心できない」
「話しづらい」
「聞かれている氣がしない」
「嘘っぽい」

と言うことになる。

こう言うとき、頭に置いているといいのが、

「いったん受け取ってみる」

というイメージです。

いったん受け取って、手のひらにおいて、まじまじと見てみる、
そういうイメージ。
受け取って、検分し、吟味して、
それから「受け入れる」か「丁寧にお返しする」

かを決めればいい。

 

 

 

この「ひと段階」(ワンクッション)がない人が多いのです。

「聞く」=「全部自分の中に受け入れる、相手のいう通りにする」
か、
「手にも取らず叩き返す」(ダイレクトアタック!ですまさに)

のどちらかしかない人が多すぎる。

さて。
「受け取ってみる」。

全ての人との、どのコミュニケーション場面。
アイデアを出し合い、物事を創造する全ての場面において、
基本中の基本。
大切すぎるくらい大切なこの行動。

「わかっちゃいるけどできないんですよねえ」

という言葉もよく聞きますが。
当たり前です。
練習が必要です。

何回も、何回も。
自転車や、車の運転の練習と同じ。
身体に染み込ませてなんぼ、
身体が動いてなんぼのものなのです。
(簡単に「できないんですよね〜」なんて言って欲しくない)

自分ひとりでももちろんできますし。
たまには、そういうトレーニングの場に行くのもいい。

第一、こういうものは
「自分を責めながら」
「辛く苦しく」

やるものじゃない。
(やっても効果薄、ですし。でもひとりでやるとこうなりがちです)

みんなで。
輪になって。
笑いながら。
楽しみながら。

みんなで進むのが一番です。
そうしてみんなで同じ目的に向かって進む。
みんなで行きたいところにスカッと行く。

みんなで笑いながら、いつの間にかひとりでは行けなかった
「遥かなる地平に立っている」

というのが一番です。

●トレーニングの場を創りました●
「今この瞬間」に最高の自分を発揮するーインプロワークショップー
https://peraichi.com/landing_pages/view/rissyunn 

インプロは、「即興力」「表現力」「コミュニケーション力」等、
チームで創造する場面で不可欠な能力や風土を、パフォーマンスを通して開発するツールです。

インプロヴィゼーション=即興。

そもそも即興演劇の役者のトレーニングのために生まれた数々のゲームが
「ビジネスインプロ」として多くの企業の人材トレーニングに使われる理由。
それは、日々生き物のように変化する企業現場において、
通例や常識、マニュアルを必要とあらば
「軽々と超えられる」人材でありチームこそが
活躍できるといういう一点にあります。

座学だけでは身につかない、開発されないこれらの能力。
頭で「わかっている」だけではどうにもならないこれらの能力。
最終的に「身体が動いてこそ意味がある」能力。

これらを自分の身体を通してまさに「開花させる」ワークショップです。

ーインプロで鍛えられる「七つの力」ー
1. 自分の感覚を信じる力ー自分の能力や考え、選択を信じ、瞬時に必要なものを選び出す力
2. 受け入れる力ー相手の考えをいったん受け取理、そこから創造する力
3. 伝える力ー互いの意見を素早く正確に理解し、コミュニケーションする力
4. 集中する力ー適切に状況を判断し、他者の意見や考えを深く理解する力
5. 転じる力ーどんな状況からでも新しいチャンスを生み出す力
6. 行動する力ーどんな状況でも積極的かつ前向きに動ける力
7. 笑う力ーリラックスし、状況を楽しめる力

  (池上奈生美著書 インプロであなたも「本番に強い人」になれる より)

 

 

ビジョンクエストー 人には「自分と対話し味わう自分だけの場所」が必要だ

 

 

 

 

 

クライアントさんが昨年から

「外へ出たい」
(旅をしたい!の意)

と、おっしゃっていたのが、来月あたり実現しそうで、

「ぜひぜひ!一族を率いる長(おさ)には定期的な『ビジョン・クエスト』が必要です」

とちょっと時代がかった表現で
背中を押してしまいました。
(お父さんの軸は家族全体の軸ですしね)

この方の「旅」は、
大自然の中、身一つで行く、という旅です。
(海だったり、山だったり、雪の中だったりさまざまですが)
無意識的に、

リセット
自然の聲を聞く
身体を通したご自身との対話…

などなど、
この方にとってきっとその旅はいつも、大切な意味と役割があるのではと思い、
つい

「ビジョン・クエスト」

と言う言葉が出てしまったわけです。

「ビジョン・クエスト」。

そもそもネイティブアメリカンの若者が、大人になるための儀式で、
様々ステップはあるようなのですが、
大自然の中、たった一人
一つの場所にこもり、数日を過ごす。

そこで、
自身のこれからへのビジョン、
人生の使命のビジョンを得て帰ってくる。

誰にも、そういう場が必要だ、と思います。定期的に。
旅でなくてもいい。
存分に「自分自身と繋がれる場所」といいますか。

そこは、誰がなんと言おうと、
圧倒的に自分でいられる場所です。
自分自身の深い思考と繋がれる場所。

わたしはものすごくカフェが好きで、
7ヶ所ぐらいのカフェを用途によって使い分けているんですが、
一番ここぞ!という時には、
(氣づきたい、発見したい、新しい何かを見つけたい、というとき。
それから、自分の中がぐるぐると混乱しているとき)

桜島と海が目の前にどどん、広がるところに行きます。

海風が吹いて、
雲が流れて、
風の具合で汽笛が聞こえて来るその場所は、
わたしにとっての日々の小さな
「ビジョン・クエスト」の場所であり時間です。
(そういう時間がないと生きてけないなあ〜、と思います)

 

 

 

(※この日は特別な日。帆船が寄港していました)

 

 

そのクライアントさんなのですが。
奥様との間で、

「お互いここだけは立ち入らない」

という場所(&世界)を決めていらっしゃるそうで。
そこだけは「不可侵」。

その、
相手の「聖なる場所」と聖なる時間が、
自分から見て、どんなに無法地帯に見えたとしても。
例えば、どんなにお部屋が爆発(笑)していたとても、

「そこは、彼女のビジョン・クエストの場所だから」

…という言い方はなさいませんでしたが。
でも、きっとそういうことなのだなあ、としみじみ感じました。

2019年。

きっと、長いこと常識だと思っていたものがさらに溶け、
揺るがぬ大地だと疑うことなく思ってきたものが動く時代となることでしょう。
なんと清々しい自由。

その中で「自分とは何者か」「自分はどう生きるのか」を自分の中に
しっかりと持つことが幸せの核となる1年な氣がしています。

2019年、あなたの「ビジョン・クエスト」はもうお済みですか?

 

「初めに言葉ありき」ただしその言葉は「本当の言葉」であること。そうでないと世界は創造されない

 

 

 

 

好きなものを追究しまくった人といえば、
わたしの中ですぐに浮かぶのは、
歴史家の磯田道史さんとさなかクン。

 

 

磯田先生の、小学生の頃の趣味は「拓本作り」
だったという。
道々の石碑に墨汁を塗り、紙に碑文を映し出す。
たんぽを手に持って「ポンポンポン…」と。

 

家に古文書があるのを見つけ、

「これを読めるようになるまでは、学校の勉強はいいだろう」

 

と自分で決め、
古文書の本ばかり読んだという。

 

 

以前、磯田先生とさかなクンの対談を見たことがあるけれど、
細部では見事に話が噛み合わない、
けれど全体としてとても「噛み合った」対談だったように覚えている。

 

 

 
世に、
自分の中の「好き」を大切に、極めた人はたくさんいるけれど、
この二人に共通するのは、

「小さい頃は、もしかして、少し大変だったんではないですか?」

とつい、言いたくなること。
なぜなら…
つまり、例えば、サッカーやバスケじゃないから(笑)
(サッカーやバスケを否定しているわけではありません!
このニュアンスがわかってもらえるといいんですが)

 

 

さて、
どうしてこんなことを思い出したかというと、
スナックメーカーの「コイケヤ」の社長、佐藤さんの、
小学生へのガチな講義。

 

「ヒットするスナック菓子を開発する」

 

を見たからなのです。

 

売れるスナック菓子を作る。
プレゼンで選ばれたものは、本当に商品化される。

 

 

このとき、
佐藤さんが小学生たちに課した「ヒット作を生み出す」ためのテーマは一つ。

 
「自分に嘘をつかない」。

佐藤さんは、
50名の小学生たちのプレゼンを聞いて、
いわばその「言葉の空虚さ」に不安を抱くのです。

 

 

一見立派で、
小洒落ていて、
よく考えられた名案に聞こえるけれど。

どこかで拾ってきたような。
どこかで誰かが言っているような。
ネットにあふれているような。
アイデアであり、
視点であり、
言葉たち。

 

 

50名から選ばれた8名の子どもたちのなかには、
佐藤さんの出した「テーマ」に戸惑う子も。

「インスタ映えとか、女の人向き、ってことで考えたんだけど…」
「クラスにアンケートを取ったら、この味が一番好きって人が多かったから」

 
などなどの理由で企画を考えていた子たちに、
佐藤さんが問いかけ続けるのは次の一点。

 

「それ、君は本当に好きなの?」
「自分が心から(それが)好きじゃないと、伝わらないよ」
「熱量が大事なんだよ!」
「そんなに甘いもんじゃない」
「それ、白紙に戻そう」

 

 

長い時間をかけ、試作をし、試行錯誤してきた案に、
ダメ出しをする。
相手は小学生ですよ。
こ、怖い…(笑)

 

 

「アンケートで多かったから梅味ポテチ」の案を、
「白紙!」と告げられた一人の男の子。
佐藤さんからの、

 
「君が、本当にこれまで美味しい!と思ったものは何?」

 
の問いに、
「お母さんの作った味噌汁」

だとはたと思い至り、
考えて考えて考えて、涙まで流して…
ついに、プレゼン会場で、

 

「味噌汁ポテチ」

 
 
を。
居並ぶコイケヤの皆さんの心を揺り動かすプレゼンをするのです。
彼自身の体験と思いに必死でアクセスし、絞り出した、
「彼にとっての本当の言葉」で。

 

 

 

どんなに美しい言葉でも。
カッコいい言葉でも。
「それ」が数値によって裏付けられたものであっても。

 

そこに、
自分自身の「思い」がないと。
「熱量」がないと。
ほんとうがないと。

 

伝わらない。
人の心は動かない。

 

そして、それをすることは、結構怖いことなのです。
いくらでも逃げることはできる。
適当なところで済ませることができる。
けれど。

かたちあるものもないものも。
何を生み出す時であっても、
世の初めにあって、
ものごとを生み出す力を持つのは、

「本当の言葉」

 

で。
佐藤さんは、そこにこそ、きっと、子どもたちを向き合わせたかった。 

 

番組を見て、
自分にとっての
「真実の言葉」で語り続けることの責任を。
大人として心から感じたことでした。

そういう言葉で
この世界を溢れさせることこそ大人の役割。
創造を楽しむ姿を見せることこそ、大人の仕事なのです。

 
 

 

 

 

 

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