「なんとなく…に従うのは大事」

クライアントさん(男性、独身)のお話なのですが。

もうずいぶんと長いお付き合いになるこの方。

月2回、電話でのセッションをまるで「行きつけの整体院」のように

フル活用してくださっています。

さて
今年の2月からこの方、「お買いものラッシュ」が来ていました。
長いこと昔のを使っていたから、なんとなく…と。

車、PC、携帯の周辺機器…

すべて、ピカピカの、最新の、そしてこだわりの、

お気に入りのものを選んで手元にそろえて行かれる様子をお聞きするのは何とも楽しく。

「新しくするときには一気に来ますよね~」などと二人で納得。

ほしかったかっこいいオーブンも手元に届き。
「外食やめました♪今、いろんな冷凍食品にはまっています」

と話すお声もほほえましく。

そんな3月末、
年度替わりのぎりぎり。

お仕事で、その方を思いもしない「緊急事態」が襲いました。

とにかく普通ならあり得ない出来事がリズムを打つように重なり
お役目がどどん、と増え

「この仕事についてから、今年の年度替わりが一番忙しい…」

と言わしめるほどのハードな数週間を送っていらっしゃる今。

そしてぼそっと一言。

「よくぞ、買い替えておいた…」
と。

最新の車、ナビ、PC…ただでさえ忙しい状態をスムーズに流すことにとても大きく役立っているらしく。
家に帰ればオーブンがフル活躍。

ああ、練習しといてよかった…。

虫の知らせ?
とにかく、
ちゃんと、準備を促されていたんですねえ~。

2日前のセッションで、やっと「振り返れる」余裕のできたその方と
そんな話をしたことでした。

「直感」
「感覚」
「なんとなく」

に従うって、大切ですね。やっぱり。

小さいけれど、あらためてとても大切な実感を得た時間でした。

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「出会うべくして人は出会う~個人セッションご感想」




「まずは3か月間
わたしの冒険で常に傍らで
どんな話でも聞いてくださり
道を示してくださってありがとうございました。

初めての世界でしたが、本当に楽しく
自分の中の暗い話もあったのに
なぜか印象としては明るい世界を感じられる旅でした。

人前だと自分が委縮して緊張しやすく
初めは
これを変えられないかと思ってセッションに申し込みました。

自分の中身を変えることはとても辛かったり、努力の積み重ねだと思っていたし
人はなかなか変われないとも漠然と思っていました。

でも
セッションを受けて、自分の心の声を聞き
自分の思うままに話し
潜在意識の大きな力を得る旅なのだとわかりました。

頭ではわかっていてもこう(自分を変えるのは大変なことだ、と)思ってしまう自分に対して、
外からの「合理的な」解決法では上手くいかなかったと思います。
だから、わたしが主体のこのやり方はとてもぴったりだと感じましたし
すぐに現れる効果に戸惑うくらいでした。

自分を守り強くするということは
これまでは術でもって表面的に取り繕う方法を探していた感じでしたが
内面を変える術を教えてもらえて
これからの人生にどれだけ心強いか分かりません。

また、自分の声を聞けるようになったことは
これからとても大きな差があると思います。

今は
先生に出会えたことにとても感謝しつつ、これから自分の中でさらにバージョンアップし
太いアンカーをつくっていこうと思います。
わたしのこの感動と感謝が伝え切れたかわかりませんが
文章に書くとこうなりました」

40代、女性。
スカイプにて、毎月2回、計6回のセッションをご一緒させていただきました。

ご自分の中の繊細な感覚。
真実をちゃんと知っている部分。
何より、この方を幸せへと導く繊細なセンサー。

それをずっと抑え
使うことをためらい、外にある「基準」を自分に当てはめて生きてこられた感じを受けました。
が、
お話を、そしてお声を聴いてみると
溢れるくらいの、そして瞬時に「そこ」につながれる力を実はお持ちで。

わたしの仕事は
まず、
それが(センサーが)「ある」ということをその方にお知らせすること。
そして、それはあなたの大きな大きな「宝物」なのだと、使っていいのだとOKを出すこと。
(それを認めていらっしゃらなかったので^^)
そして
その方が持っていらっしゃたいくつかの体験や感情、そして概念をともに整理し
名前を付けること。
(それが「何だったのか」がわかり、落ち着くべきところへ落ち着くと、視界が広がります)

さらに
何度も何度もその方の「センサー」「知っている部分」へ一緒に行き、
ともにつながり、「回路を太くする」こと。

人前での緊張。
人の目が気になる。

そのことに対しての変化は確か、初回セッションと2回目の間にもう
どんどんご自身で作り出してこられたように記憶しています。

それは
わたしにとっては「二次的なご褒美」のようなもので
もっとも大切な部分は
この方が「自分自身の生きる上での軸」を知り、それを太く太くなさったこと。
なおかつ、今後もご自身の力でどんどん人生のそれぞれの場面に合わせて
カスタマイズ&強化してゆくための考え方と方法のひとつを
手に入れた、ということ。

蓋を開けば
そこには豊かなリソースがあふれている。
これは
誰でも、みなさんそうです。
それがわかっているから、わたしはいつも大声で言いたくなります。
心はいつも叫んでいます。
「起きろ」「目を覚ませ!」と。
セッションにおいても、セミナーやワークショップにおいても、いつも、です。

そして最後に一つ。
まさに、セッションは「セッション」なのだ、ということです。
複数の演奏家による、様々な楽器の出会いによって生まれる創造の世界。

声と声。
言葉と言葉。
その奥にある互いの体験、人生、すべての「響きあい」。
それは決して、コーチの側が一方的に「導く」ものではなく
(もちろん、リードするのはコーチなのですが)
お互い触発しあい、共に深く、そして高みに上っていくその過程は
いつも、まさに「瞬間の芸術」です。
その方としか出来ない「世界」がある。

そして
出会うすべてのクライアントさんが
その時のわたしにとっても、大きなメッセージをもってきてくださいます。
まさに
「出会うべくして人は出会うのだなあ」
といつも思うのです。
そしてその出会いに、いつも心から感謝します。
きっと、お一人お一人との出会いが、とても稀有な奇跡のような出会いなのだと
いつも実感しています。

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「そして、若者は旅立っていった~クライアントさんからの手紙」

今日は

了承をいただきまして

先日クライアントさんとやり取りした手紙を載せてみます。




「どうしても解消できないことや悩みがあり、

自分をもっと成長させたい、もう一度自分を信じられるようになりたいと強く思い、

先生のセッションに飛び込みました。



初めて先生とお話ししたとき、

自分の中の大きな心のしこりが溶けて、体全体に広がっていく体験をしました。

こんなことが現実に起こるのだと驚き、感動しました。

ずっと苦しくて自分だけではどうしようもなかっただけに、本当に救われた気持ちになりました。




セッションでは毎回自分なりに課題を設定して取り組みました。

できるだけ自分の中で事前に準備して、

こんなふうになるのかなと見通しをつけるようにしていましたが、

セッションは予想外の展開ばかりで、なのに安らかで、癒される時間でした。


セッションを受けていると、自分とは思えないほど勇気を出して行動に移せたり、

不思議なことがあれこれ起こったり、周りの人との関係が変わったり、

日常生活がなんだかドラマチックで充実したものになりました。




能力や技術の前に、自分自身のあり方や生き方を大切にしていきたいと思いましたし、

自分の中に求めていこう、自分につながろうとするうちに、

周りの目は気にならなくなり、自然と自分を信じられるようになりました。
つらくて、取り除きたいことであっても、

実はそれには自分自身を磨き向上させようとする深くて前向きな意味があったのだと

理解することができ、今後の自分の生きる方向を見つけることができました。

過去と現在と未来が一直線につながる大きな気づきがありました。


自分の生き方・あり方の大きな転換点をともにしていただき、

私の人生を変える貴重な時間を過ごすことができました。

本当にありがとうございました」





「振り返ってみますと

あなたの中の『何か』が(真の輝きが)音を立てて外へ出てこようとしている
< font size="2" face="Meiryo UI">そういう時期だったのかなとあらためて感じております。



解き放たれたい!という『あなた自身の輝き』は、

メッセージを、ずっとあなたの体や心に送っており
それを「採択しよう!」と決めた
その証しとして形として「セッション」の場にお見えになった、という感じでしょうか。

ですから

わたしとしては『何をした』という感覚があまりありません。

豊かな光の河の奔流があることがわかっており、もうそこに見えており。

その前にはまっている水門の小さな「板」の一枚を取り除こうとしているあなたの

その取り除かんとする手に手を添えてほんの少しだけ力を添えてみました、という

感じでしょうか。



光の奔流はもう、あふれることが決まっていたのです。
溢れるべくしてあふれ…そして、これからあなたらしい人生、

あなたの持って生まれた特質、能力は

とても生き生きと、あなたご自身と、周りを満たし、豊かに彩ってゆくのだろうと感じています。

といいますか…絶対そうしてくださらないと、

わたしは承知しません、という思いでいっぱいです。




ゲームやアニメや歴史や物語の世界…なんでもいいのですが。


主人公には必ず、

成長脱皮の前の「産みの苦しみ」の時期があります。

そういうときにふと偶然に立ち寄った森の奥の館や、深い山奥の洞窟や…

そこで庵を結ぶ老人とか、魔女とか(笑)

そういうものに出会って

火を囲みながらいろんな話をしたり、ワインを一緒に飲んだり

怪しい?呪文やアイテムをもらったり。

現実世界と切り離された時間と空間で

『自分と出会う(生まれ直す?)』時期を過ごします。



ここは(セッションとは)そういう場所なのだ、と思います。

その空間で何かを見つけ、あるいは取り戻した若者は、再び現実世界に戻って旅を続けます。

そしてやがて、

その宝をみなで分かち合い、『世界を変える』ことをしていくのです。



あなたが、あなたらしく存分に輝いて、自由自在に力を発揮されますことを願っています。

そして、どうぞ、「使命」を、果たしてくださいね!

使命、と硬く書きましたが

その人らしさ全開で生きること、何かを為すこと、

そして楽しむこと、そのものが使命だと思っています。

あなたの響きを十分に、どうぞ、どうぞ存分に奏でてくださいね!」






そして

彼の人は旅立って行った。自分の生きるべき世界へ。

光る太刀をたずさえて、

マントをひるがえして。

今日みたいに空の綺麗な日は

ここに立ち寄り、しばし時を過ごしたたくさんの「旅人」たちのことを思い出します。

そして、その活躍の姿を想像します。

またいつでもいらっしゃい。たまにはまた一緒に火でも囲みましょう。

旅の武勇伝を聞かせてくださいね、などと思いながら。




わたしにとって

個人セッションとはこのような感じの場所、でしょうか。


人生の醍醐味。

自分が生きている意味を感じる瞬間。

それはまさに「ともに火を囲む場」にいるとき。

その人の「旅」のとても大切な一場面に出演させていただき

その人の、ある意味「今なんです!」という瞬間を

探究の時を一緒に過ごす瞬間、といえるかもしれません。





「百万回生きたねこは、なぜ最後に生き返らなかったのか?」

「こんな絵本をもらったんです」

と。

昨夜のセッション。半ばを過ぎたころ、クライアントさんがそうおっしゃり

電話ごしに読んでくださっのでした。

一部。

死んでは生まれ、死んでは生まれ…

たくさんの出会いと別れをその人生のたびに味わい

それを百万回繰り返したネコが

幾度目かの…百一万回目の?人生で一匹のネコに出会い、そのネコを愛し、生き

そして死ぬ。

「最後にこう書いてあるんです。

『そのネコは、もう二度と、生き返りませんでした』」

ここで、不覚にも、

鼻の奥がじん…と。

ネコよ、よかった…本当によかったねえ。

それから話は

ネコの人生(?)の話になりました。

ネコはなぜ二度と生き返らなかったのか。

ネコはなぜ『百万回も』生き返っていたのか…などなど。

「ネコは、ずっと何かをさがしていたんでしょうか。何回も生まれ変わりながら」

「あ~、ですねえ」

そして最後に、その方が一言。
「ネコは、最後の人生、『生き切った』んだと思います」

その一言が大きく響き。

そうか…生き切ったんですか。

その日のセッションの直のテーマは仕事について。

膨大な量の「やらなければならないこと」の前で

漠然と、おしつぶされそうな、混乱した感覚に、ふとなることがあるのは誰しも。

そんなとき、仕事の具体的な「やり方」ももちろんですが

何より自分自身の「心の状態」「立ち位置」「あり方」がぶれない状態であるのが何よりなのですよね。

そのカギが、

どこかに、どこかにあるはずだ…と思ってずっとお話を聞いていたのですが

図らずもその方がふっと、口に上らせた

「そういえば、本をもらったんです…」

の話の中に、昨日のセッションにおいては潜んでいたようです。

こうお伝えしてみました。

「私も実は今けっこう忙しいのですが

あなたがおっしゃった『生き切る』という言葉を口にすると

今、自分の前にある状況が、とてもシンプルに見えてきます。

大切なこととそうでないことがはっきりする気がします」

するとその方も

「…ああ、そうですね!!」

と。

「生き切る」。

その日のセッションでの、わたしたちの間に生まれた場の中で

その言葉の意味するところは

「自分の一番大切とするもの(信念・価値観)を自分の人生の中心にどっかととすえて生きるのだ」

と、多分そういうことでした。

「わたしは今、『生き切って』いるか?」

「わたしはいつ、いかなるときでも『生き切る』のだ」

そう、自分に語りかけると、目の前の「現象としての混乱」はいっきに違った様相を見せてきます。

「生き切る(自分の人生を生きる)」

を判断の中心に据えると

「こうしなければ」とつぶされそうに焦っていたことの、実は案外半分くらいが

自分以外の価値観に左右されていたり、人と勝手に比べたり

誰かほかの人の「基準」に自分も合わせようとしていたり…

そんなものからくる「幻影」であったことに気づいたりする。

実際の仕事の量は変わらなくても、そうなるともはや全く違うのです。

「真の優先順位」が自身の中ではっきりと見えてくる。

それを大切にしていいのだという軽やかな自信や確固たる決意が自分の中に立ち上がっている。

結果、周りへの要望やリクエストも心置きなく出せる状態に

心が変わっている。

セッションの最後の時間。

二人で、静かに凪いだ心でそこにおりました。

「強い風で、どんなに海の表面が波立っても

深い海の底は穏やかですもんねえ」

「ですよねえ」

「表面に惑わされないで、いつも、海の底の、凪いだ部分につながっていたいですねえ」

「ですねえ」

「今日、絵本読んでくださったの、本当にうれしかったです♪」

「いえいえ…」

すっきりとシンプルに

力強く

どんな瞬間も、一瞬たりとも自分を明け渡すことなく

「自分の人生」を悔いなく生き切るために

わたしたちには確固たる「基準」が必要です。

それは人生の深い部分を流れ続ける静かな自分だけの旋律。

あなたがあなたとして存分に輝くために欠かせない「ルール」。

そして

お気に入りの宝石を、靴を、銀の食器を磨くように

それを見て、味わい、確認し、磨き上げる静かな時間も必要ですね。

「出発するということ」

9時半過ぎでしたか

さああっっっ…とアスファルトを走る雨の音。

いつもの音と違って、やけに軽やか。

あまりに気持ちの良い軽やかな音だったので

どんな雨が降ってるんだろうとベランダへ出ると、何か変です。

道路の色がヘンなのです。

濡れてるような濡れてないような。

思わず手を伸ばしてみると、手にあたるのは「プツプツ」と肌に痛い感覚。

「げっ…」

水じゃない。これ。

灰です。

灰の癖に音を立てて降ってくるなんて!

灰の癖に、粉末ではなく、「粒」で降ってくるなんて!

バラバラ音を立てるなんて!

それから数分

灰はアスファルトにあたってぴょんぴょん飛び跳ねながら

降り積もっていました。なんだかすごい…。

さて

ここからが本題です。

灰が音立てて降るのが珍しくて、つい書いてしまいました。

先週、クライアントさんが一つ、大きな選択をされ

「決意」をメールでくださいました。

そのメールの最後に

「あ!ベルが鳴りました。

今から行ってきます。

明日は大切な人たちにたくさん会います」

この方

港でメールを書いていらしたのでした。

きっと、出帆を知らせるベルを合図にぐいっと送信ボタンを押して

すっくと立ち上がり、そして船に乗り込んだのでしょう。

なんだか象徴的だなあ、と思いました。

今回のこの方の船旅と、その「大きな選択」は、直接的には関係のないものなのですが。

でも、なんだかタイムリー。

ですので、次のように返事をお返ししました。

「あなたが聞いた出発のベルは

まさに今のあなたへのメッセージなのだと感じています。

行ってらっしゃい!

新しい世界へ」

船でも、飛行機でも、新幹線でも…

「出発する」瞬間が大好きです。

物理的に体を移動させるということの他に

なんだかとても大きな「切り替え」「変化」を感じるからです。

体を移動させて、違う場所に降り立ち

そしてまだ帰ってくる。

時間と空間の移動が自分の体と心に及ぼす不思議な変化をいつも感じます。

また

何かの切り替えが必要な時に

タイミングよく距離の移動の機会がやってくるような気もします。

少し波の荒いその日の海。

船に揺られ

時間と空間を旅したその方が

きっと、たいそうすっきりとしたお顔で帰っていらっしゃるだろうなと

そんなことを思ったことでした。

「真の発見とは」

「真の発見の旅とは
新大陸を探し求めることではなく
新しい視点でものを見ることである」
      マルセル・プルースト(小説家)

という言葉を見ていたら
思い出したことがあります。

わたしのクライアントさんで自転車に乗っている(をやっている、と言った方がいいでしょうか)方が

いらっしゃるんですが

自転車に乗ってどの道を通ってどこへ行った、というお話から

その道で見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、の話になり

盛り上がったのです。

「加世田を通って、海側をずっと走って、坂を超えるとそこから先はずっと下りになっていて

風がとっても気持ちいい」

「枕崎の街に入った瞬間に鰹節のにおいがわあ~っとしてくる。ああ、枕崎だ~と思う」

「坊津側の海は本当に美しい。沖縄以外であんなに青いのは初めてみた」

などなど。

…鹿児島に住んでいない人には何が何やらさっぱり、ですね。スミマセン。

さらに話は広がって

鹿児島でも、自転車で走るためのいいルートが(観光ルートのような)

いくつも組めるのに、という話になりました。

「薩摩半島のほうも魅力的。景色もだけれど

あのアップダウンも含めて。厳しいのが好きな人にはとてもいいコースになる」

のだそう。

その時に思いました。

車や電車の旅しかしたことのないわたしには

道の途中の「アップダウン」などは「目的地へ行く途中の単なる坂道」にしかすぎず

場合によっては「目的地へ行く途中にあるちょっと邪魔なもの」でしかなかったりするのに。

自転車の旅、という視点から見ると、その「起伏」そのものの形が、がぜん大きな意味を持ち

そこには「物語」が生まれ、堪えられない「魅力」となるのだな、と。

まさに「その坂に萌え~」といいますか。坂によだれが出そうな感じ?

自転車乗りであるその方からすると

鹿児島のあちこちの道、地形は、その道すがらに見える景色も含めて

ものすごい「宝の山」に見えているのでしょう。

きっと、同じ道を見ても、私とは全く違うものがこの方には見えているのでしょうね。

そして

はじめの言葉にたどりつくわけです。

「真の発見とは」。

それは何か、外にあるものではなく、見慣れたもの、身近なもの、自らの中にこそ

それはある。

そこにこそ、真に豊かなものがある。

このあたりはコーチングもまさにそのような前提を軸としていると言えます。

外にあるものに答えを求めるのではなく

自分の中にある本来の自分の最も自分らしい響きを聞き分け

そこに合わせていく、調律をしていくという作業がコーチングです。

その時にこそ、人は一番魅力を発揮することができるからです。

余計なものを手放し、取り去ってしまえば

容易に気づけるものなのですよね。

いつも見慣れ、聞きなれた身近な土地の「道すがら」のことを

全く違う魅力的な視点からわくわく感満載で話してくださるその方の声を

心地よく聴いたことでした。

Android携帯からの投稿

「もっと世界を、あたしは見たい」

という本があるんですよね。

中村公子のコーチングna日々♪

以前、わたしのクライアントさん。

今も大切な友人である方が、貸してくださった

本です。

一人の女性が

バスを借り切って、大陸横断のツアーに挑む

というお話なんですが。

この本を貸してくれた方とわたしが出会ったのは

この方が管理栄養士をしていた頃でした。

現場でのこの方のリーダーとしての奮戦記を聞くのはとても楽しく

自分が知らない世界の

さまざまな「事件」、をいつも笑いながらクリアしていくこの方の「軽やかさ」には

心浮き立つものでした。

「冷凍の魚を焼いたら

なんと、ぜんぶ(人数分、すべて、数百食分)溶けちゃったんですよ~。

おかずがなくなっちゃって困りました。」

てなことを

とても楽しそうにおっしゃるのです。

まるで「その問題」が問題ではなく

自分に新しい世界を見せてくれる扉であるかのよう。

「こんなことになっちゃった。わたしってどう対処するのかしら」

「こんな状態で、どういう可能性を切り開ける?」

というのがこの方の常なる「基本スタンス」。

その出来事と、まるで戯れているかのような軽やかさ。

さて

この方がずっと温めてきた夢は海外青年協力隊に参加することで

そのための資格の一つとして、管理栄養士をとり、現場経験も着々と積んでいらしゃったのでした。

わたしが出会ったころは、ちょうどその「夢」にそろそろ移行しようかな…

という頃だったのですが。

結果、

彼女の能力とは全く関係ないところのちょっとした事情で

その夢はかないませんでした。

それからしばらくは日常が続き・・・。

ある日彼女は

「また連絡します!海の上からスカイプしましょ~」

との言葉を残して

船上の人となってしまいました。

(100日間世界を旅する船に乗っかったらしいです)

わたしの手元に上記の本を残し。

「ああ、ついに世界を見に行ったか…」

(気持ちは港に立って出航を見送る父の気持ち)

結局

その「海上スカイプ」は一度も実現することはなく^^

(彼女は恐ろしくPC関係が苦手な人だったのです)

次に彼女に会ったのは半年後くらいだったでしょうか。

少し日焼けした満面の笑顔で100日間のスライドショーを見せてくれました。

それから

元気だという風の便りを聞くのみで彼女と会うことはほとんどなく。

返しそびれた本を手元に月日は流れ…

先日、4月、彼女の誕生日。

プレゼントを添えて本をやっとお返ししました。

住所、変わってないかなあ、と心配しつつ。

GW真っ最中。

電話がありました。

「お久しぶりです!今、大宰府です~。プレゼント、ありがとうございました!」

お休みを楽しんでいるのだな…と思っていたらそうではなく
彼女は旅を仕事にする人になっていました。

電話の向こうの彼女の声はことさら高揚するでもない、いつもと変わらぬ声。

が、わたしの方は感無量でした。

「もっと世界を、あたしは見たい」

ずっと、見続けていたんだな。これからもずっとそうやっていくんだな

と思いました。

栄養士さんだった時も

夢がかなわなかったときでさえも

自分の心の奥底に流れる旋律。

自分の魂の指し示す「センサー」の声を聞き続け

自分の人生の「流れ」に沿ってそれを生きている。

無理することなく。

自分の人生の中で、そのときにできる方法で、それを実現している。

彼女はわたしの中で、そういう風に生きている人の五本の指の中に入ります。

彼女は本当に、軽やかです。

彼女が旅から帰ってきたら

また会うことを約束して電話は終わり

今からとても楽しみにしているところなのです。

「それを通して何を見せるのか?」

「『NASAより宇宙に近い町工場 』っていう本を読んでいるんですけれど」

とお話が始まりました。

北海道に、NASAから実験させてほしいと言ってくるほどの会社がある、と。

タイトルだけでもなんと魅力的なのでしょう。

がぜん聞き耳が立ってしまいます。

技術畑のお仕事をされているだけあって

その方面に疎いわたしにも、とてもわかりやすく

その北海道の「植松さん」という方のやってることをわかりやすく説明してくださいました。

クレーンの先にひっつける、大きな磁石みたいなのを作っている会社で

日本では、ほぼそこしか作っていないという会社であるということ。

本業をしっかりと成り立たせつつ

憧れであった「宇宙」に関わる何かをしたい、と

無重力状態を作れる施設を作り

安価で実験できることから、いまではNASAから実験させてほしいと

人が来るようになっていること。

そのことが

人とのあたらしいつながりや、会社の社員さんの意識の変化となって

利益以外のたくさんののよき影響を生んでいるということ。

「その方に会いに行ってみようかなと思うんです」

そうか~。

行かれるんですね…!

「植松さんは、親元から離れて暮らす子どもたちの施設に行ったんです。

子どもたちは虐待を受けていたりして心を閉ざしていて…

はじめは『近寄らないように』って言われるんですけれど

でも次第に子どもたちの方から寄ってきてくれるんです。

その時に、植松さんは『何かしたい!』と思うんです。

中村公子のコーチングna日々♪

ここで働こうか?

いや、それは違う。

では、子どもを引き取ろうか?

それも違う。

自分は、今やっていることを通してこの子たちに見せるのだ。

やればできる。不可能はない、ということを」

不覚にも、涙があふれてしまいました。

この方の声を通して

植松さんのものすごい「覚悟」の瞬間に立ち会った気がして。

逃げることは絶対にできない

自分に課したもっとも厳しい道。

目の前にいる子どもたち、その向こうにいる、何千何万の、たくさんの子どもたち

その子どもたちを取り巻いてきた今のこの世界

そのすべてに向かって「見せるのだ」と。

「植松さんに、会いに行ってこようと思うんです」

今、この方は「ピースの最後の一つ」を探していらっしゃいます。

ご自身が生きてこられたこれまでの時間をすべて昇華させ

そこに伝えてみたいと生まれた自らの「思い」。

それを表現するための具体的な方法の「ピースの最後の一つ」。

きっとそれは

ちゃんと、最高のタイミングでこの方にもたらされるのだろうなあと思います。

いつも、静かな声の向こうにしんしんと、穏やかに光り輝く

この方の北極星を感じてきましたから。

静かに、穏やかに、「決意」を固めて行かれるその過程を

ずっと見てきましたから。

「行ってらっしゃい!

自由に風のように、好きなところへ、導かれるままに行ってらしてください。

いつもここで待っていますから!」

と、お伝えはしていないのですが

心から声を大にしてそれを言いたい気持ちで

今、こうして文字にしています。

願わくば

わたしの周りにいる

たくさんの「そう生きることを決めつつある」方々へのエールともなるといいと思いつつ。

「よりよき鏡となる」

四月になりましたね!

桜もですが

午前中に行った市場に並ぶ鯛のつやつやした色があまりに美しくて

「これも桜色だな」

と見惚れて帰ってきたところです。

見るものすべてが生気にあふれて光っている春、四月です。

わたしの周りの皆様方も、一気に新しい環境になり

そのおひとりおひとりのお話を聞くのが、なんとも心浮き立つ春、四月です。

人は、一回の人生で「真剣に」プロとして取り組める物事の数は

そう多くない気がしますが

おひとりおひとりの「心を真剣に傾け、人生を賭けた」世界を

セッションという場を通して共に生き

喜びも感動も、ともに追体験できるのが

このコーチという仕事の譲れない醍醐味だと感じます。

いくつもの人生をいきることができる仕事。

クライアントさんのお一人からこんな感想をいただいたのですが。

「私にとってコーチは

どんなときでも、何をしていても絶対に私を信じて待っていてくれる

またそこにいてくれる存在です。

私よりももっと明確に、そして深く私のことを知ってくれている気がします。

だから、いつも思います。

『今、この気持ち、感じをコーチに話したら絶対わかってくれる!』

そして、話をしていくうちにその感覚がより深く繊細に自分の中に広がっていくのです。

そしてそこからまた新たな気づきが生まれてくるのです。

(略)

コーチと出会って、私はますます自分が好きになりました。

自分の軸がさらにしっかりとしなやかになっている気がします。

これから先、どんな自分に出会うのだろうと今もわくわくします。

こんな自分でいられるのもコーチのおかげです。心から感謝しています」

わたしがこの方とのセッションのたびに

この方の持つ深く豊かな世界をともに旅させていただくことを通して

どれだけインスピレーションをもらい、気づきと発見を得ているか

どれだけ壮大な旅を共に楽しませてもらっているか

この方はご存じないのですね。

「心から感謝しています」

それはこちらのセリフです。

さて

この文章を目にした瞬間

あっ!と思ったことがあり、次のようにお伝えしました。

「何回も読ませていただきました。

ありがとうございます。

思ったのですが

わたしはあなたの「ハイヤーセルフ」(という言葉を今日は使ってみますが)

を映し出しているのです。

つまり、あなたの中にあるものなのです。

『どんなときでも、何をしていても絶対に私を信じて待っていてくれる

また、そこにいてくれる存在』とは。

その人の中にあるそれをわたしはただ反映するだけなのです。

それが、『意識のあれこれ』に阻まれて表層意識のあなた自身に届かない時

あなたが感じられない時

わたしがそれを感じて言葉にするのです」

まさにこれは真実なのではないかと

そう思います。

コーチとは

その人の今を映し出し、さらにはその人が気づかないその人の願い

深いところの魂の目的とつながり、それを感じ、映し出し、言葉にするものである気がします。

今、ご本人は見ていられなくても

その人の代わりに

雑音を排除した先にあるもの、うっすらとかかった雲の上に常にある太陽を

しっかりと見据えている、そういうものである。

それが私たちの仕事。

よりクリアに。

ニュートラルに。

澄んだ鏡でありたいと

春四月のひかりを浴びながら

その自らの想いを確認しています。

「楽しくないとこの先には行けない」

クライアントさんに

自転車に乗っていらっしゃる(をやっていらっしゃる、と表現したほうがいいのでしょうか)

方がいらっしゃいます。

とても長い距離を走るのです。

その「競技」のお話を聞くのは、それはそれは楽しくて興味深い。

自前ですべて現地調達しながら(雨具ですとかその他必要なものを)

夜も黙々と走るお話とか

走りながら眠くなって側溝にす~っと落ちていく人の話ですとか

頑張りすぎて、競技終了後、横隔膜が下がってこなくなってしまい

とっても「ヤバい状態」になったお話ですとか。

(横隔膜って、そんなことにもなるのですね!初めて知りました)

さて

その方は、また数百キロをを走る大会にお出になるそうなんですが

その先には、フランスである大会を目指していらっしゃいます。

で、おっしゃったのです。

「楽しくないと、この先には行けない」。

その方は、ず~っと、頑張ってこられたのです。

速さを追及し、自らを追い込み、困難な状況に挑み

それを乗り越えることに価値を置いてこられたのかもしれません。

ほんとうに、頑張ってこられた。

それがいつの頃からか

景色を楽しみ、人と出会い、ともに旅するその過程を、出会いそのものを

お話しくださるようになりました。

先日はちょっと遠い県外の海に走りに行かれたとかで

「イルカは見られませんでしたが…」

の言葉とともに

そこでの出会いのあれこれをメールで送ってきてくださいました。

なんだか、とにかく楽しそうな感じが伝わってくるのです。

まるで小さなこともが見るもの出会うものすべてに目をキラキラさせているような

そんなリズムが伝わってくる。

「楽しくないと、この先には行けない」

「頑張る」ことでたどり着ける世界。

「足りないもの」を追いかけ、自らを矯正し、補い、抜きんで、獲得するやりかた

と言い換えてもいいのでしょうか。

これまで、わたしたちも、わたしたちの親も、そのまた親も、その道をそれこそ

「頑張って」たどってきたのかもしれません。

そしてもちろんたくさんのものを得てきた。

でも、この方は

気づいてしまったのです。

それによって行ける場所には限界があることを。

(そこに至る、この方の長い「旅」のプロセスに、心からの慈しみと拍手、そして敬意を表したいと思うのです)

さて

これから先、どんな「旅」のお話がこの方から聞かせていただけるのか

本当に楽しみでなりません。

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