「出発するということ」

9時半過ぎでしたか

さああっっっ…とアスファルトを走る雨の音。

いつもの音と違って、やけに軽やか。

あまりに気持ちの良い軽やかな音だったので

どんな雨が降ってるんだろうとベランダへ出ると、何か変です。

道路の色がヘンなのです。

濡れてるような濡れてないような。

思わず手を伸ばしてみると、手にあたるのは「プツプツ」と肌に痛い感覚。

「げっ…」

水じゃない。これ。

灰です。

灰の癖に音を立てて降ってくるなんて!

灰の癖に、粉末ではなく、「粒」で降ってくるなんて!

バラバラ音を立てるなんて!

それから数分

灰はアスファルトにあたってぴょんぴょん飛び跳ねながら

降り積もっていました。なんだかすごい…。

さて

ここからが本題です。

灰が音立てて降るのが珍しくて、つい書いてしまいました。

先週、クライアントさんが一つ、大きな選択をされ

「決意」をメールでくださいました。

そのメールの最後に

「あ!ベルが鳴りました。

今から行ってきます。

明日は大切な人たちにたくさん会います」

この方

港でメールを書いていらしたのでした。

きっと、出帆を知らせるベルを合図にぐいっと送信ボタンを押して

すっくと立ち上がり、そして船に乗り込んだのでしょう。

なんだか象徴的だなあ、と思いました。

今回のこの方の船旅と、その「大きな選択」は、直接的には関係のないものなのですが。

でも、なんだかタイムリー。

ですので、次のように返事をお返ししました。

「あなたが聞いた出発のベルは

まさに今のあなたへのメッセージなのだと感じています。

行ってらっしゃい!

新しい世界へ」

船でも、飛行機でも、新幹線でも…

「出発する」瞬間が大好きです。

物理的に体を移動させるということの他に

なんだかとても大きな「切り替え」「変化」を感じるからです。

体を移動させて、違う場所に降り立ち

そしてまだ帰ってくる。

時間と空間の移動が自分の体と心に及ぼす不思議な変化をいつも感じます。

また

何かの切り替えが必要な時に

タイミングよく距離の移動の機会がやってくるような気もします。

少し波の荒いその日の海。

船に揺られ

時間と空間を旅したその方が

きっと、たいそうすっきりとしたお顔で帰っていらっしゃるだろうなと

そんなことを思ったことでした。

「真の発見とは」

「真の発見の旅とは
新大陸を探し求めることではなく
新しい視点でものを見ることである」
      マルセル・プルースト(小説家)

という言葉を見ていたら
思い出したことがあります。

わたしのクライアントさんで自転車に乗っている(をやっている、と言った方がいいでしょうか)方が

いらっしゃるんですが

自転車に乗ってどの道を通ってどこへ行った、というお話から

その道で見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、の話になり

盛り上がったのです。

「加世田を通って、海側をずっと走って、坂を超えるとそこから先はずっと下りになっていて

風がとっても気持ちいい」

「枕崎の街に入った瞬間に鰹節のにおいがわあ~っとしてくる。ああ、枕崎だ~と思う」

「坊津側の海は本当に美しい。沖縄以外であんなに青いのは初めてみた」

などなど。

…鹿児島に住んでいない人には何が何やらさっぱり、ですね。スミマセン。

さらに話は広がって

鹿児島でも、自転車で走るためのいいルートが(観光ルートのような)

いくつも組めるのに、という話になりました。

「薩摩半島のほうも魅力的。景色もだけれど

あのアップダウンも含めて。厳しいのが好きな人にはとてもいいコースになる」

のだそう。

その時に思いました。

車や電車の旅しかしたことのないわたしには

道の途中の「アップダウン」などは「目的地へ行く途中の単なる坂道」にしかすぎず

場合によっては「目的地へ行く途中にあるちょっと邪魔なもの」でしかなかったりするのに。

自転車の旅、という視点から見ると、その「起伏」そのものの形が、がぜん大きな意味を持ち

そこには「物語」が生まれ、堪えられない「魅力」となるのだな、と。

まさに「その坂に萌え~」といいますか。坂によだれが出そうな感じ?

自転車乗りであるその方からすると

鹿児島のあちこちの道、地形は、その道すがらに見える景色も含めて

ものすごい「宝の山」に見えているのでしょう。

きっと、同じ道を見ても、私とは全く違うものがこの方には見えているのでしょうね。

そして

はじめの言葉にたどりつくわけです。

「真の発見とは」。

それは何か、外にあるものではなく、見慣れたもの、身近なもの、自らの中にこそ

それはある。

そこにこそ、真に豊かなものがある。

このあたりはコーチングもまさにそのような前提を軸としていると言えます。

外にあるものに答えを求めるのではなく

自分の中にある本来の自分の最も自分らしい響きを聞き分け

そこに合わせていく、調律をしていくという作業がコーチングです。

その時にこそ、人は一番魅力を発揮することができるからです。

余計なものを手放し、取り去ってしまえば

容易に気づけるものなのですよね。

いつも見慣れ、聞きなれた身近な土地の「道すがら」のことを

全く違う魅力的な視点からわくわく感満載で話してくださるその方の声を

心地よく聴いたことでした。

Android携帯からの投稿

「もっと世界を、あたしは見たい」

という本があるんですよね。

中村公子のコーチングna日々♪

以前、わたしのクライアントさん。

今も大切な友人である方が、貸してくださった

本です。

一人の女性が

バスを借り切って、大陸横断のツアーに挑む

というお話なんですが。

この本を貸してくれた方とわたしが出会ったのは

この方が管理栄養士をしていた頃でした。

現場でのこの方のリーダーとしての奮戦記を聞くのはとても楽しく

自分が知らない世界の

さまざまな「事件」、をいつも笑いながらクリアしていくこの方の「軽やかさ」には

心浮き立つものでした。

「冷凍の魚を焼いたら

なんと、ぜんぶ(人数分、すべて、数百食分)溶けちゃったんですよ~。

おかずがなくなっちゃって困りました。」

てなことを

とても楽しそうにおっしゃるのです。

まるで「その問題」が問題ではなく

自分に新しい世界を見せてくれる扉であるかのよう。

「こんなことになっちゃった。わたしってどう対処するのかしら」

「こんな状態で、どういう可能性を切り開ける?」

というのがこの方の常なる「基本スタンス」。

その出来事と、まるで戯れているかのような軽やかさ。

さて

この方がずっと温めてきた夢は海外青年協力隊に参加することで

そのための資格の一つとして、管理栄養士をとり、現場経験も着々と積んでいらしゃったのでした。

わたしが出会ったころは、ちょうどその「夢」にそろそろ移行しようかな…

という頃だったのですが。

結果、

彼女の能力とは全く関係ないところのちょっとした事情で

その夢はかないませんでした。

それからしばらくは日常が続き・・・。

ある日彼女は

「また連絡します!海の上からスカイプしましょ~」

との言葉を残して

船上の人となってしまいました。

(100日間世界を旅する船に乗っかったらしいです)

わたしの手元に上記の本を残し。

「ああ、ついに世界を見に行ったか…」

(気持ちは港に立って出航を見送る父の気持ち)

結局

その「海上スカイプ」は一度も実現することはなく^^

(彼女は恐ろしくPC関係が苦手な人だったのです)

次に彼女に会ったのは半年後くらいだったでしょうか。

少し日焼けした満面の笑顔で100日間のスライドショーを見せてくれました。

それから

元気だという風の便りを聞くのみで彼女と会うことはほとんどなく。

返しそびれた本を手元に月日は流れ…

先日、4月、彼女の誕生日。

プレゼントを添えて本をやっとお返ししました。

住所、変わってないかなあ、と心配しつつ。

GW真っ最中。

電話がありました。

「お久しぶりです!今、大宰府です~。プレゼント、ありがとうございました!」

お休みを楽しんでいるのだな…と思っていたらそうではなく
彼女は旅を仕事にする人になっていました。

電話の向こうの彼女の声はことさら高揚するでもない、いつもと変わらぬ声。

が、わたしの方は感無量でした。

「もっと世界を、あたしは見たい」

ずっと、見続けていたんだな。これからもずっとそうやっていくんだな

と思いました。

栄養士さんだった時も

夢がかなわなかったときでさえも

自分の心の奥底に流れる旋律。

自分の魂の指し示す「センサー」の声を聞き続け

自分の人生の「流れ」に沿ってそれを生きている。

無理することなく。

自分の人生の中で、そのときにできる方法で、それを実現している。

彼女はわたしの中で、そういう風に生きている人の五本の指の中に入ります。

彼女は本当に、軽やかです。

彼女が旅から帰ってきたら

また会うことを約束して電話は終わり

今からとても楽しみにしているところなのです。

「それを通して何を見せるのか?」

「『NASAより宇宙に近い町工場 』っていう本を読んでいるんですけれど」

とお話が始まりました。

北海道に、NASAから実験させてほしいと言ってくるほどの会社がある、と。

タイトルだけでもなんと魅力的なのでしょう。

がぜん聞き耳が立ってしまいます。

技術畑のお仕事をされているだけあって

その方面に疎いわたしにも、とてもわかりやすく

その北海道の「植松さん」という方のやってることをわかりやすく説明してくださいました。

クレーンの先にひっつける、大きな磁石みたいなのを作っている会社で

日本では、ほぼそこしか作っていないという会社であるということ。

本業をしっかりと成り立たせつつ

憧れであった「宇宙」に関わる何かをしたい、と

無重力状態を作れる施設を作り

安価で実験できることから、いまではNASAから実験させてほしいと

人が来るようになっていること。

そのことが

人とのあたらしいつながりや、会社の社員さんの意識の変化となって

利益以外のたくさんののよき影響を生んでいるということ。

「その方に会いに行ってみようかなと思うんです」

そうか~。

行かれるんですね…!

「植松さんは、親元から離れて暮らす子どもたちの施設に行ったんです。

子どもたちは虐待を受けていたりして心を閉ざしていて…

はじめは『近寄らないように』って言われるんですけれど

でも次第に子どもたちの方から寄ってきてくれるんです。

その時に、植松さんは『何かしたい!』と思うんです。

中村公子のコーチングna日々♪

ここで働こうか?

いや、それは違う。

では、子どもを引き取ろうか?

それも違う。

自分は、今やっていることを通してこの子たちに見せるのだ。

やればできる。不可能はない、ということを」

不覚にも、涙があふれてしまいました。

この方の声を通して

植松さんのものすごい「覚悟」の瞬間に立ち会った気がして。

逃げることは絶対にできない

自分に課したもっとも厳しい道。

目の前にいる子どもたち、その向こうにいる、何千何万の、たくさんの子どもたち

その子どもたちを取り巻いてきた今のこの世界

そのすべてに向かって「見せるのだ」と。

「植松さんに、会いに行ってこようと思うんです」

今、この方は「ピースの最後の一つ」を探していらっしゃいます。

ご自身が生きてこられたこれまでの時間をすべて昇華させ

そこに伝えてみたいと生まれた自らの「思い」。

それを表現するための具体的な方法の「ピースの最後の一つ」。

きっとそれは

ちゃんと、最高のタイミングでこの方にもたらされるのだろうなあと思います。

いつも、静かな声の向こうにしんしんと、穏やかに光り輝く

この方の北極星を感じてきましたから。

静かに、穏やかに、「決意」を固めて行かれるその過程を

ずっと見てきましたから。

「行ってらっしゃい!

自由に風のように、好きなところへ、導かれるままに行ってらしてください。

いつもここで待っていますから!」

と、お伝えはしていないのですが

心から声を大にしてそれを言いたい気持ちで

今、こうして文字にしています。

願わくば

わたしの周りにいる

たくさんの「そう生きることを決めつつある」方々へのエールともなるといいと思いつつ。

「よりよき鏡となる」

四月になりましたね!

桜もですが

午前中に行った市場に並ぶ鯛のつやつやした色があまりに美しくて

「これも桜色だな」

と見惚れて帰ってきたところです。

見るものすべてが生気にあふれて光っている春、四月です。

わたしの周りの皆様方も、一気に新しい環境になり

そのおひとりおひとりのお話を聞くのが、なんとも心浮き立つ春、四月です。

人は、一回の人生で「真剣に」プロとして取り組める物事の数は

そう多くない気がしますが

おひとりおひとりの「心を真剣に傾け、人生を賭けた」世界を

セッションという場を通して共に生き

喜びも感動も、ともに追体験できるのが

このコーチという仕事の譲れない醍醐味だと感じます。

いくつもの人生をいきることができる仕事。

クライアントさんのお一人からこんな感想をいただいたのですが。

「私にとってコーチは

どんなときでも、何をしていても絶対に私を信じて待っていてくれる

またそこにいてくれる存在です。

私よりももっと明確に、そして深く私のことを知ってくれている気がします。

だから、いつも思います。

『今、この気持ち、感じをコーチに話したら絶対わかってくれる!』

そして、話をしていくうちにその感覚がより深く繊細に自分の中に広がっていくのです。

そしてそこからまた新たな気づきが生まれてくるのです。

(略)

コーチと出会って、私はますます自分が好きになりました。

自分の軸がさらにしっかりとしなやかになっている気がします。

これから先、どんな自分に出会うのだろうと今もわくわくします。

こんな自分でいられるのもコーチのおかげです。心から感謝しています」

わたしがこの方とのセッションのたびに

この方の持つ深く豊かな世界をともに旅させていただくことを通して

どれだけインスピレーションをもらい、気づきと発見を得ているか

どれだけ壮大な旅を共に楽しませてもらっているか

この方はご存じないのですね。

「心から感謝しています」

それはこちらのセリフです。

さて

この文章を目にした瞬間

あっ!と思ったことがあり、次のようにお伝えしました。

「何回も読ませていただきました。

ありがとうございます。

思ったのですが

わたしはあなたの「ハイヤーセルフ」(という言葉を今日は使ってみますが)

を映し出しているのです。

つまり、あなたの中にあるものなのです。

『どんなときでも、何をしていても絶対に私を信じて待っていてくれる

また、そこにいてくれる存在』とは。

その人の中にあるそれをわたしはただ反映するだけなのです。

それが、『意識のあれこれ』に阻まれて表層意識のあなた自身に届かない時

あなたが感じられない時

わたしがそれを感じて言葉にするのです」

まさにこれは真実なのではないかと

そう思います。

コーチとは

その人の今を映し出し、さらにはその人が気づかないその人の願い

深いところの魂の目的とつながり、それを感じ、映し出し、言葉にするものである気がします。

今、ご本人は見ていられなくても

その人の代わりに

雑音を排除した先にあるもの、うっすらとかかった雲の上に常にある太陽を

しっかりと見据えている、そういうものである。

それが私たちの仕事。

よりクリアに。

ニュートラルに。

澄んだ鏡でありたいと

春四月のひかりを浴びながら

その自らの想いを確認しています。

「楽しくないとこの先には行けない」

クライアントさんに

自転車に乗っていらっしゃる(をやっていらっしゃる、と表現したほうがいいのでしょうか)

方がいらっしゃいます。

とても長い距離を走るのです。

その「競技」のお話を聞くのは、それはそれは楽しくて興味深い。

自前ですべて現地調達しながら(雨具ですとかその他必要なものを)

夜も黙々と走るお話とか

走りながら眠くなって側溝にす~っと落ちていく人の話ですとか

頑張りすぎて、競技終了後、横隔膜が下がってこなくなってしまい

とっても「ヤバい状態」になったお話ですとか。

(横隔膜って、そんなことにもなるのですね!初めて知りました)

さて

その方は、また数百キロをを走る大会にお出になるそうなんですが

その先には、フランスである大会を目指していらっしゃいます。

で、おっしゃったのです。

「楽しくないと、この先には行けない」。

その方は、ず~っと、頑張ってこられたのです。

速さを追及し、自らを追い込み、困難な状況に挑み

それを乗り越えることに価値を置いてこられたのかもしれません。

ほんとうに、頑張ってこられた。

それがいつの頃からか

景色を楽しみ、人と出会い、ともに旅するその過程を、出会いそのものを

お話しくださるようになりました。

先日はちょっと遠い県外の海に走りに行かれたとかで

「イルカは見られませんでしたが…」

の言葉とともに

そこでの出会いのあれこれをメールで送ってきてくださいました。

なんだか、とにかく楽しそうな感じが伝わってくるのです。

まるで小さなこともが見るもの出会うものすべてに目をキラキラさせているような

そんなリズムが伝わってくる。

「楽しくないと、この先には行けない」

「頑張る」ことでたどり着ける世界。

「足りないもの」を追いかけ、自らを矯正し、補い、抜きんで、獲得するやりかた

と言い換えてもいいのでしょうか。

これまで、わたしたちも、わたしたちの親も、そのまた親も、その道をそれこそ

「頑張って」たどってきたのかもしれません。

そしてもちろんたくさんのものを得てきた。

でも、この方は

気づいてしまったのです。

それによって行ける場所には限界があることを。

(そこに至る、この方の長い「旅」のプロセスに、心からの慈しみと拍手、そして敬意を表したいと思うのです)

さて

これから先、どんな「旅」のお話がこの方から聞かせていただけるのか

本当に楽しみでなりません。

「開花」

ホームページの作り変えを進めているのですが

そのためもあって

あらためて以前受けた

「最高のプロフィール講座」の

十数ページにおよぶ「自分について」書き記す冊子を開いています。

その中に「尊敬する人は?」という項目があって

すっと浮かばなかったのですが

この数日を経て

わたしのクライアントさんたちみなさん、わたしにとって「尊敬する人」だなあという思いを

新たにしています。

それは

わたしにとってみなさんが「自らの旅」の途中で

自分の持って生まれた本質を見事に開花させ、その美しさで、輝きで、存在感で

周りに大きな影響を与えるというプロセスを

たどっている方々だからです。

みな、果敢に、勇気をもって、その道を歩んでいらっしゃる。

そりゃあ、平たんなみちばかりではなく、たまには茨の道であったりも

するときもあるのかもしれないのですが。

何より、旅を楽しみ、自分自身を愛し、慈しみながら進むことをなさっている。

先週末

そんなおひとりにお誘いを受け、バレエの公演を見に行きました。

今回の公演で、その方はソロを踊られるということでした。

その方のソロパート、すばらしいものでした。

1500人が取り囲む舞台上。

少しだけあごをくいっと上に向けて

優雅な足取りで現れたその方は細い首をまっすぐに立てて、微笑みを浮かべています。

その踊りのなんとチャーミングなことか。

自信に満ちていて高貴、そして軽やかでとても楽しい。

舞台上の楽しさと躍動感が客席にぱあっと伝わってきます。

キャラクターと曲の雰囲気を余すところなく体現した踊りでした。

不覚にも涙がこぼれてしまいました。

この方と出会ってから3年ほどでしょうか。

わたしは、この方が今回の公演で選ばれてソロパートを踊ることになった訳を知っていました。

いえ、もちろんわたし一人の思いなのですが。

たいそうな練習を積み重ねてこられたからなのですけれども

でも、それだけではない。

中村公子のコーチングna日々♪

この方がずっと、自分の中を見つめ、自分と語らいながら

あるときは余分なものを手放しながら

自分の中の宝を再発見し

「自分の軸」を確立してきた

プロセスをわたしは知っていました。

「自分とは何者なのか」

「自分らしくあるとはどういうことか」

「自分はどうありたいのか」

「何がしたいのか」

そこと再びつながる道が強まるにつれて

この方はますます輝きをましていったように思います。

仕事でも、独自の企画を立ち上げ、形にしつつあるこの方。

その体から発せられる静かな自信。喜び。生き生きとした充実感。

「ソロを踊るんです」

との言葉を聞いたときとても順当な気がしました。

今のこの方が発する「もの」に、一流のアーティストである先生方が

気づかないはずはない、と。

2階席の隅々にまで優雅な視線を送って

それから手を胸の前において深く腰を折り、片膝をついた彼女。

長いまつげを伏せ、ゆっくりと深くこうべを垂れました。

ほんとうにほんとうに美しかった。

終演後

舞台裏にお邪魔して

「素敵でした」

とハグをした、その彼女のあまりの細さ。

数週間前にあった時よりもさらにさらに細くなっていました。

客席を巻き込んだあの存在感が、この細い小さな体から発せられていたなんて。

到底信じられないくらいの華奢な体でした。

この方が、この瞬間にどれだけの持てるものを注ぎ込んできたのかを感じた気がしました。

人が

「その本質」を余すところなく表現し、輝かせるとき

自分であることの喜びをただ歌い上げるとき

その細胞からはこんなにもすごいパワーが生まれるものなのか。

こんなにも大きな影響を人に与えることができるものなのか。

細い肩をきゅっと抱きしめながら

たくさんの気持ちがあふれてきて

「よかった。よかった」と

ただ繰り返すしか能のないわたしなのでした。

「セッションは調律」

「ピアノの調律をしたんです♪」

とその方は

セッション中に嬉しそうにおっしゃいました。

中村公子のコーチングna日々♪

ご自宅のグランドピアノ。

「最初の一音」との格闘中のその方にとって

常に万全の状態に整えておく

必要があるのだそう。

その

「最初の一音」のお話も

思いっきり面白いのですが

それは後日。

「なんだか、気持ちもすっきりしますね」

と、その方。

瞬間

音を整えるその作業の風景がさあっと頭をよぎり

「セッションも調律ですね」

との言葉が口をついて出ていました。

そのピアノの持つ本来の音、ベストの、最高の音がある。

さまざまな条件や、時の経過に従って、それがずれてしまう。そこからはずれてしまう。

だから定期的に、「中心に」戻してやる。

弦をポーンと叩いて

丁寧に丁寧に、「本来の音」へと戻す。

コーチングセッションとはまさに、そんな作業をしているに他ならない、と。

お一人おひとりが

わたし(コーチ)という共鳴板を使って

自分自身の音を探り、ずれを発見し、取り戻す作業をする場。

そのイメージは

わたし自身にとっても、とても心地よく、自分自身の体の軸がすっと通るような感覚でした。

少し、自分自身の体をゆらゆら…と左右にゆらして

中心軸を体感しながら

自分の中を無にしてそこにいる。

適切に響きを返し、多くの気づきと発見がそこに起こるように。

そんな感じで今はセッションの場にいます。

「どの音を出したいの?」

中村公子のコーチングna日々♪-未設定

クライアントさんが

中村公子のコーチングna日々♪-未設定ご自身のピアノの先生から

「もっと練りこんだ音を!」

と言われたんです、と

大興奮で話してくださいました。

その先生の音は

一音の中に

色々な音が聞こえるのだそう。

たくさんの糸、たくさんの布が折り重なり

幾重にも重なって奏でられる

パッチワークの美しい布のような音。

「あなたの音は

ぱーんとはった木綿布一枚!って感じなのよ」

と言われて…

と、その方は弾むような声で

続けてくださいます。

「一つの鍵盤をひいたら出る音は一つなのに、でも、先生の音はそうじゃないんです」

その不思議を、その深さを味わえる世界にいるという喜びが声からあふれ出ていらっしゃいます。

こんなに全身で喜べる世界を自分にたくさん与えているこの方を、

自分がどんなときに輝くかをよく知っていて、それを存分に生かしていらっしゃるこの方を

素敵だな・・・と感じつつ

いつもお話を聞かせていただくのですが。

「あなたの音はおかずが多すぎる!とも言われたんですよ」

おかずが・・・面白い表現です。

「一番食べたいメインは何?どの音を出したいの?」

ああ、すごい。

この先生は、ピアノという表現方法を通して

生徒さんたちに何かものすごいものをつきつけていらっしゃるのだな、と思いました。

「どの音を出したいの?」

この曲を通じて、何を表現し、聞く人に何を伝え、どんな世界を持って帰ってもらいたいのか。

このピアノという方法を通して、あなたはあなたという人間の何を表現したいのか。

それはつまり

「あなたは何者なのか?」

「あなたはどう生きたいのか?」

と問いかけられていることに他ならない。

わたしにはそう思えました。

この一音に

積み重ねた自分の歴史が出る。

曲の解釈や理解には、そのまま自分の心の繊細さや幅の広さ、深さが出ることでしょう。

どこまで相手に伝わるのか

そこには、どれだけ広く、場に、世界に意識を広げられるかにかかっていることでしょう。

それは

ピアノだけではなく、どんな表現の世界でも同じなのでしょう。

ピアノの話をはるかに越えて

自分自身への問いとなって体の中にぐんぐんしみこんでくるのを感じていました。

とても心地よい高揚感。

そして

クライアントさんお一人お一人の関わっていらっしゃる世界を通して

いつも、幾つもの世界、いくつもの人生、幾つもの感動をを共に体験させていただいていることに

心から感謝したことでした。

Android携帯からの投稿

「モデリングを使いこなしている方のお話」

わたしのお客様に

とてもうまく(そして楽しげに)

NLPのいろいろな技

(という表現はあたりませんが、その方のお話を聞いていると

つい、こう表現したくなってしまいます)

を使って

「ここぞ」というときによい結果を出している方がいらっしゃいます。

お話を聞いているだけで嬉しくなります。

数ヶ月前、初夏の午後、仕事帰り、海沿いを走っていましたら

その方から電話が。急いで車を道路わきに寄せて電話をとりました。

「もしもし!やりました~!」

え、なになに?今日は確か大切な大切な、あなたにとって大きな試験の日でしたね。

「面接会場に入る前に、『出て』『入った』んです」

ですか~!とわたし。

何のことか、すぐにわかりました。1ヶ月ほど前のセッションの際「落ち込み」をテーマに

出されたその方と一緒に「落ち込んでいる自分」から出て(その状態から自分を切り離し)

「自信に満ちて堂々としているときの自分」をイメージして

その中に入る、というワークをたっやのです。

そうすると、自分の体や心の状態が「自信に満ちて、堂々としている」まさにそのときの自分に状態に

変化していくのですね。

どうやら、それを応用したらしい。

「面接が近づくと・・・なんだか周りが気になって、『こんな自分が通用するんだろうか』

『上手く答えられるだろうか』ってどんどん背中が丸くなっていって…」

「そのとき思ったんです!そうだ、ここから出るんだ!そして

あの自分に入るんだ!って」

よかった!!

それを思い出してくれて。もう、涙が出るくらいに嬉しい。

で、どうでした?

「いっきに背筋が3センチくらい伸びたような感じで、もう、首を真っ直ぐ立てて

面接会場に入いれましたよ!」

…その方は、それを、出番を待つ廊下でやったらしい。

よかった。本当に。

まだ、結果は出ないけれど

心行くまで「最高の自分自身」でそこにいることができたのだ!という

満ち足りた高揚感が、電話の向こうから伝わってきました。

電話の後

初夏の海風が、ますます気持ちよく爽快に感じられて

快適に車を飛ばしたのでした。

(数日後、その試験の結果は見事、望む結果としてその方のもとにもたらされたそうですよ^^)

さらには

約1ヶ月前のその方とのセッション。

開口一番「今日は、プレゼンがあったんです」

へえ~すごい、とわたし

何でも、大勢の企業の代表の方々の前で、研修についての説明をするという場面が

あったのだそう。

「準備もしっかりしたんですが、前日から緊張して緊張して…」

とおっしゃるその方。

話は続きます。

「で、ですね…今回もプレゼン前に『はいったんです』」

「へえ、今度は誰に?(何に?でもいいかな?)」

「中村さんに」

えっ!…わたしにですか?それは…責任重大です…(汗;)

「中村さんのセッションのときの声や言葉や…それからセミナーのときの動きをイメージして

その中に入りました」

ど、どうでした…??

「ものすごく、落ち着いてみなさんの前に立てました。

立ち居地とか資料を置く場所とか…準備とは全く違ったふうにいきなりなってしまったんですけれど

不思議と臨機応変に動けて…

あ、はじめに笑いもとれたんですよ!」

な、なんと…聞くからに、イメージするのは、多くの人を前にして

その方が「その場を楽しんでいる」様子。

広い場の中心にしっかと立って、場をコントロール出来ている自分を楽しめている様子。

多くの人のまなざしの集中を楽しんでいる様子。

ああ、こんなにしっっかりと、自分の中心から発信ができる方だったのか。

わたしは、心から祝福の言葉をお伝えしました。

「よかったですね…本当にステキです。わたしもその場にいたかった。聞いてみたかった!」

その方にとっての最高の人生のために

2人でその方という「広い森」を探検してゆく冒険の時間がコーチングセッションだと

わたしはイメージしているのですが

その「旅」の過程で望む方向に行くために繰り出される

様々な「アイテム」を

(ゲームで言うと、つるぎとか、盾とか、宝の箱とか魔法の鍵とか…?)

こんなにも活用していただけているなんて

本当に嬉しくてなりません。

同時に

「モデリング」されることもあるんだな

もっと毎日自分らしくしゃんとしていなきゃ

などということも、心の隅でちょっと感じたことでした。

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