「自分が何者かを知ると、全力で振り切れる」

 

 

 

 

クライアントさんが

難関突破。

希望の仕事に就職しました。

 

資格、経歴、知識ともに、自分よりあきらかにあるであろうというメンバーに囲まれ。

採用枠1名。見事に合格しました。

その試験&面接の様子を聞いてみると

 

 

 

「人っていうのは、自分を知りさえすれば、こんなにも自由自在に

全開でぶっとんでアクセルを踏みきれるものなのか‼」

 

 

 

と、(セッションしたわたしでさえ驚くほど)

自由自在、縦横無尽にやってきたようで(笑)。

・「その企画」の魅力を見せる方法

・自分のこれまでの経験に照らして、その仕事でできる工夫

について聞かれたそうなんですが。

 

 

事細かに聞きましたが、まあ、出る出る…。

これは試験官もワクワクしたろうなと。

 

なんというか、対試験官、という内容ではなく

対「その企画を好きなもの同士」

のやりとり、なのです。完全に。

 

面接、小論文ともに、この方の独壇場だったんじゃないのかな…

なんて想像することでした。

 

 

 

 

 

試験直後

詳細なレポとともに、メールがきました。

 

「私全開で行けば良い という公子さんの言葉を胸にいい状態で向かいました。

一通り終わって、出し切った満足感 でボンヤリしてました。

スタバでクールダウン。
ほーっ。

採用になれば今日か明日に電話連絡。
これで採用されなかったら求めている人材が違ったという事でスッキリします。

とても濃いこの数日でした」

 

 

 

試験会場という「舞台」で自身を存分に表現しきった

何とも言えない「今この瞬間を生きている感じ」

が伝わってき。

なんとすがすがしい風。

なんとさわやかな。

(そのスッキリ感(執着のなさ)に

これは行けるな…という感じがその時になんとなくしたのですが)

 

 

 

 

 

「ダメでもともとですし…」

と言っていたのは、受験を決めたとき。

年齢その他の条件を並べ、はなから不利ですが…と。

落ちた時の傷が少ないように、自分で無意識のうちに

言い聞かせてしまっている、とおっしゃっていました。

 

 

 

それがどうして変容を果たしたか。

それはひとえに「自分は何者かを思い出した」から、だと、そう感じるのです。

自分自身の人生。

やってきたこと。

好きなこと。

自分の怖さと対話すること、愛すること。

プラスもマイナスも、すべて含めて自分の人生をいとおしむこと。

 

 

 

 

真の自分とアクセスし

自分のこれまで、これからのすべてにOKを出した瞬間に

もはやこの方にとって

最終的に、「他者との比較」はこの方の中に

存在しなくなっていた、とそう思えます。

「あるのは感謝のみ」みたいな…?

 

 

 

 

 

 

今回あらためて実感したこと。

 

人は

「自分自身を余すところなく」生きられたら

結果はどうでもいいものなのです。

(多分)

 

 

問題なのは

「自分を生きられなかった」

「あれは自分ではなかった」

「自分を存分に表現できなかった」

 

その思いそのものなのだと。

その思いがずっと残ることなのだ、と。

 

 

 

そのエネルギーは重く

「そのモノが手に入らなかった」

こと自体よりも、ずっとずっと重く、

長く、静かに私たちの中に潜伏し続け、わたしたちを苦しめます。

いろんなものを私たちから奪います。

自信、自己信頼感、他者の幸せを応援する氣持ち

他にもたくさんのものを。

 

 

 

 

 

 

 

もういい、と思います。

もう十分。

そういうのはもう終わり。

一分一秒、自分を生きない時間があるとしたら

それは大いなる損失なのです。

あなた自身にとって。

あなたがもっとも大切にしたい人達にとって。

そして

この世界にとって。

 

 

 

 

 

 

 

 

―そろそろ自分の聲と言葉で世界に向けて語りだそう―

あなたがあなたであることが世界に伝わらないのはもったいない―プレゼンについて

プレゼン力アップの個人セッションを
先月終えたクライアントさんからご感想をいただきましたので
紹介します。

――― * ――― * ―――

「声と人間の内面は本当に深くつながっていることを学びました。
セッションを終えた今、改めて、
伝える時、イメージすることの大切さ、意識することの重要性を感じています。
これまで自分を支えてくれている人や経験を感じながら、
ありのままの自分で、根っこをもって伝えることに意味があることを
教えていただきました。

伝えること、そして生きていくことは、
自分らしくいることで可能性も広がることを感じました。
これまでそうすることができない自分に向き合える機会を得られたことは
大きな収穫です。

大きな声を出して可動域を広げておくと、
日常生活の会話が楽になりました。
自然に声が出せるようになったことで、人との会話が以前よりも楽しく、
もっと話したい、やりとりを深めたいという気持ちが生まれました。
プレゼンだけでなく、日常生活の中でも、今回得たものを大切に
人とのかかわりを楽しんでいきたいと感じています。

自分らしく楽にいられることは、人とのつながりを広げられるように感じます。
仕事や家庭の中で、自分らしく何ができるのか、したいのか、
立ち止まる機会を頂きました。
これまでの思考の枠が、とても広がったように思います。
今後行動する際の力になると感じています」

――― * ――― * ―――

ひと月半後に仕事でのプレゼンを控えてのトレーニングとしてセッションを
お受けになりました。
出会ったときはまるで野の花のような風情の方で。
そして、確かに「声が小さくていらっしゃるな」
と思ったのでした。
霧吹きで「ぱしゅ…」と柔らかく吹かれたエネルギーが
ご自身の身体の周囲50センチをふわ~っと漂っている感じ。
ともにいてとても心地いいのですが
でも、そこから先にぐん、と出てくるものがない。

声という体からのアプローチ。
自身のパートとの会話という内面からのアプローチ。
回を重ねる中で
霧吹きがホースへ。
どんどんと花開いて力強く、あふれるような声を出してゆかれる姿。
ご自身の中にすっく、と軸を立ててゆかれるそのお姿は
感動そのものでした。

ああいうとき、ほんとうに
場の粒子がバーッと音を立てて、わたし、その方…
すべてを巻き込んで震えるかのような得も言われぬ空気を感じます。
そして
ああ、あれこそが「伝わる」ということの本質
(仕組み)なのだな、と思うのです。
それはいつも書きますが「言葉の内容や順序」といったレベルのこととは
まったく別物なのです。

いつもですが
そういう姿に立ち会えたとき、本当に幸せだなと思います。
やっていてよかった!と思う瞬間です。
これらクライアントさんの言葉の数々は
貴重な資料であるとともに、わたしにとっても「幸せの記録」です。

さて
あなたの専門性。
あなたの知識・技術。
あなたの思い、愛。
あなただからできる世界への貢献。
それらが「伝わらない」のはもったいない。
あなたがあなたであるということが、世界に伝わらないのはもったいない。
すべての人を見ていつも思うのはその思いです。
もどかしく、その人の胸をたたいて言いたくなります。
「起きろ!世界はあなたがあなたであることを待っているのだ!」と。

「伝えたい」という思いのある方。
でも、ちょっとそれを苦手と感じていらっしゃる方。
どうぞ、セッションを受けてくださいね。

「ともに走れる幸せ」

4月。
何かと環境の変わる方が多くていらっしゃるかと思いますが
わたしのクライアントさんでもそういった方が多く。
新しい仕事。
新しい住処。
新しい出会い。
新しい人間関係。


大きな出発をなさる方に、つい何かお送りしたくなってしまいます。
文具とか、ハンカチとか…そういったちょっとした、
身近におけるようなもの、なのですが。
単純にお祝い、といってしまってもよいのですが
それとも少し違うような。
何だろう、この感覚は…と思っていたのですが
クライアントさんのお一人にメールを書いていて、その意味(自分の中の思い)に気づきました。

✱    ✱    ✱

…ささやかですが、お使いくださいね!
少し変な喩えですが
「宇宙には行けないけれど、うちの作ったネジが
あのロケットにはのっかってんだ^0^!」
と息巻く町工場のおじさん、のノリに近いかもです。
どうぞ、あなたの旅の小さなお供にお加えくださいませ!

✱    ✱    ✱

だそうで。

人ひとり分の人生は今、自身が味わっている「このヴァージョン」のみですが
クライアントさんのお話を通して
クライアントさんの人生を通して
わたしは、いくつもの人生を一緒に生きることができます。
自分の人生では見られないものを見、
出会えない出来事に出会います。
世界はなんと広いんだろう、といつも思います。
いつも目を見張ります。
どの方の人生も、興味深く、そして感動に満ちています。

…なのでつまり
「そこに連れて行ってね(変わりにこの子を!)」
ということだったのでした^^。
今日も、この広い世界中、クライアントさん達と共に駆け回るいろんな小物たち(嬉)。
きっとわたしが直には見られないものを見
出会わない人に出会い
吸えない空気を吸っている。
そして、各所でその方の活躍をちょこっとだけ支えているだろう(多分!)。

今ここにいながら思いを馳せられる
そんな瞬間、たまらなくワクワクします。
コーチは「伴走者」にたとえられることがありますが
その人の人生の大切な一時期を一緒に走り抜けられる、ということの
幸せを感じます。

 

「初音ミクとマツコロイドのお話」

今日もクライアントさんのお話です。

この方は、物を作る方なので
最先端の技術の展示会によく行かれます。
そのお話を聞くのがいつもとても楽しいのです。

今日のお話は
「ロボット展」。
介護用ロボットから何からありとあらゆるロボットが展示されているのだそう。
以下、聞いたお話列挙。

災害救難用ロボットは、今や人型。ペアになってトンネル事故から人を救う。
(話を聞いて、赤と青のペアロボットの健気さに感動)
「役に立たないものをつくる!」がポリシーで
ファッションとしてロボットを身にまとう「ロボティクスファッションクリエイター」を名乗る
若い女の子。
「ドクター」と異名を持つ世界一の天才ライダーを超えることを目指す
ヤマハの「バイクに乗るロボット」。
重心もちゃんと自分で変えて、今や100キロ超くらいの速度で
バイクを運転するらしい。なんとすごい…。
(MOTOBOTという名前でしたっけ)

ものをつくる世界の人って、純粋だなあ~というのが
いつもこの方のお話を聞いていて思うこと。
直接的に何かの役に立たなくても。
「非効率」かもしれないけれど。
「あったらいいな」「楽しいかも」「とにかくそれをしたい」
という…そんな自分の「想いを無心に追いかける」エネルギー。
それがいつしか
「新しい視点のすごいもの」を生み出す入り口になったり土壌になったりする。
ひとつのモノにはひとつの感動のストーリーがある、
といつもそう思いますし
どうせなら、そんな、人の思いを凝縮した「ストーリー」のあるモノと関わりたい、
(自分の身近に置くものにしても)
と、いつも思ってしまいます。
そして、とにかくとても元気が出ます。

今日とくに心に残ったのは、そんなたくさんの
「ロボット展」のお話の中で
「マツコロイド」を企画したプロデューサーさんとボーカロイド、初音ミク開発者の
対談。

マツコロイド、はじめは会話の機能までを作ろうとしたのだけれど
やるごとに「これは、すごい領域に足を踏み入れることになる」
と気づき、やめたのだ、とプロデューサーさん。
そして、
物まね芸人の「ホリ」さんに声をお願いした、と。
ホリさんによって完成したマツコロイドを通して
結果、ホリさんがどれだけすごいことをしているのか…
人がわからないところまでどんなに工夫をしているのかを実感することとなったと。
最終的には「人間ってすごい」に行き着いた、と。
(2015国際ロボット展、対談の様子をこちらのサイトからお借りしてきました)

 

声の波形に感情は出ないそうで。
機械には出ない、計測できない。再現できない。
人が人たる所以は、その、計測できない世界の技にこそある、ということなのでしょう。

「ロボットを作る、ということは人間そのものを見返すってことなになるんですね~」
「やればやろうとするほど、きっと結果的に人間のすごさが見えてくるんでしょうね」
とクライアントさんと。

人と同じように
歩く、走る、話す、支える、持つ、歌う…ロボットを作る、ということを通して、結果として
人というものの精妙さをまざまざと見せつけられる。
神のつくりたもうた巧緻な世界を垣間見る。

「そういう方々って、ある瞬間、とても敬虔な気持ちになったりして…神を感じるといいますか」
「ああ、なるほど」

極めて極めて、そしてその先に。
どうしようもない、絶対に人の手では作り出せない世界に(そこはきっと美しい)触れ、震え
首を垂れる。
その絶対的な世界に畏敬の念を抱きつつ
それでもまた、その世界に近づこうとコツコツと歩き続ける。
そうせずにはいられない
たくさんの人たちがいる。
それは決して、「不遜」ということではないのでしょうね。
そして、そんな方々の思いと力がわたしたちの暮らしや、未来や夢や願いを支えている。

そんな話を聞いていると
また違う意味で「人ってすごい」と思います。
そして、深い感謝の気持ちをささげたくなります。
同時に「絶対に踏み入れられない領域」のある、この美しい世界で生きていることの
幸せや不思議、切なさもとても味わっている自分を感じます。
単純に言うと
この世界に生まれてきてよかったなあ、人として生をもらえてよかったなあ、
という感じでしょうか。

話は飛びますが
ボーカロイド、結構好きでして。
最近お気に入りの曲を最後に。

※「ココロ」
自分を作った科学者が死の間際まで自分に作ろうとした「ココロ」とは何か??
それを知りたいと願い続けたロボットのおはなし。
(初音ミクではなく、これは鏡音リンちゃん)

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「そのゴールを手放した先に~年末イエスアンドワークショップへのお誘い」

 

 

 

クライアントさんのお話です。

 

 

この数か月間
人事の変更にともない、大きく変わった職場の雰囲気や仕事の方法について
お話しになることが多く。

変化を受け入れ、なじんでいくというのは
どんなときでもやはり少しだけ心の面で時間がかかることも多く
なおかつ一定のプロセスを経るものなのですね。

さて
昨日はその、お仕事のお話。

 

 

これまであるやり方でずーっとやってきたことが
新しくやってきた上司の一存で変更することとなった、と。

しかし、これまでのやり方は、

今までのメンバーで考えに考えた末のものであり
一言で変えられるのは納得がいかない。
それに実際やりにくい。

「明日、そのことについて話しに行くんです」

とその方。
その声音につい

「…明日は決戦の場?」

 

 

尋ねると

 

 

「そうですね」

と。

 

 

わかります。気持ち。
あなたがどれだけ思慮深く、全体を見ながら、一本の筋を通しながら
仕事をしてこられたか、ずっとわたしは見続けているんですから。

「明日、話に行く、その心構えというか…どんな風に話そうか、と。
納得させようとすると抵抗が返ってきそうですよね

…やはり、話の持って行き方、ですよね」

それが今日のテーマなんですね。

そして10分後…。
確か、そんなものだったと思います。15分は過ぎていなかった。
どんな言葉か交わされたかは、略しますが。
その方は、こうおっしゃった。

「わたし、

自分の得たい結果を得る、というゴールを持って行くのをやめます。
かわりに、その方と、一緒に最善の方法を導き出します」

ものすごく腑に落ちたような
ワントーン上がった声で。

「まず、その人の話を聞きます。何が出てくるかわからないけれど…。
一緒に考える、ということになればいいですね」

「わからせる、説得する」から

「わかりあおう」へ。

同じ時間を取り、同じ「話し合う」のでも、

その方の目的は、あっという間にもはやまったく
違うものとなっていました。

(見事です。天晴です)

 

 

何があってもこの方がずっと通してこられた一つの姿勢。

いかなる時でも自身を見返し、整理し、自身と語らうことで
日々出てくる「問題」(と感じられるもの)
を問題でなく、「成長への糧」としてこられた。

その積み重ねの日々を瞬間、思い出してしまいました。

そして。

根っこにもはやしっかりと立っている
その方の「自分自身」に対する絶対的な信頼を再確認しました。

こうしよう、と作戦など練っていかなくても。
こうでなくては、というゴールを持たなくても。
そこに向かう台本など作らなくても。
(そもそも大体においてまったく役立たないですしね)

「目の前の相手」と「その瞬間」に生まれる「場」から
最高のものを創り上げられる。
ジャズセッションのように。

お互いの音色を響き合わせ最高の成果をきっと引き出せる。
そんな
柔軟かつ自由自在な自分自身の在り方への絶対的な信頼。

それは、どんなにかステキなことでしょう。
何があっても消えることのない、真実の「幸せに生きる力」。

「明日は『春風にそよぐ柳』ですね」
とわたし。
「ああ、それ、いいですねえ~」とその方。

そして、今年最後のワークショップ。
ここに書いたことを
体で体験して、その感覚を培うワークショップ、

ということになりそうです。

コミュニケーション力を培うゲームを中心に
より良いコミュニケーションの土台をつくる
「受け取る力」と「発信する力」の柔軟性を磨きます。

手放したときに。
否定ではなく、受け取ってみたときに。

そこに新しい、自分自身が想像もしなかった
豊かな創造の世界が生まれる。

 

 

 

それは、あなたはもちろん、

あなたの周りの一番大切な人たちの人生にも
あらんかぎりの祝福をもたらすものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「『さしむかふ心は清き水かゝみ』~聞くってどういうことだ?」

タイトルの句は、ご存知の方はご存じと思いますが

土方歳三が文久三年、京都に行く前に編んだ「豊玉発句集」の

第一ページ目に載っている句です。

「さしむかふ心は清き水かゝみ(水鏡)」

クライアントさんからいただいたセッションのご感想を読んでいたら

ふっと思いついたので何となくタイトルに据えてみました。

何かと言いますと

「そういえば、そういう状態で聞くことを心がけているかもなあ」

と思ったからなのです。

わたしは歴史好きなので、そういうことにくっつけたら何でもテンションが上がる、

というのもあるのですが。

「公子さんにお願いすると、なんでも大丈夫!必ずうまくいくから、と思ってます。

自信満々のクライアントです。

そしていつもその通りになってます。

今回はなんとなくの不安、なんとなくのやりたい事、

何が原因で何が困ってるのかすらよくわからない状態でした。

迷路にいるような動けない見通せない感じ。

一体私は何を話したら良いのでしょう?という所から話し始め、

終わった時にはすっかり不安もなくなり、やりたい事もスッキリハッキリしていました。

予定通り(笑)

そして、終わった後に『これをしたら?!』『あれを調べてみたら?』といくつもアイデアが出てきて、

気がついたら実行しているのでした。

まるで魔法使いのようですね。

またよろしくお願い致します」    (40代 女性 自営業《教育関系》)

「人生で初めてのセッション。

対面ではなく電話ということで、表情が見えないし、長電話も最近していないので、ちょっと不安でした。

でも、直接お話したことのある公子さんだったので全然問題なかったです。

新鮮な驚き!

セッションも公子さんが一緒に旅をして、気づきをくれたので、

沈んでいた気持ちが終わる頃には軽くなっていました。

自分に問いかける方法が少しわかった気がします。

心を感じました。感謝です♪

ありがとうございました(^-^)」    (40代 女性 公務員)

自分の中にいらぬものがあると

映せない、といった感覚があります。

クライアントさんの姿を「映しかえし、見せてあげる」ことが出来ない。

クライアントさんにはご自分の姿は見えていませんから。

映せない、だけではなく、なんというか…目が曇る。

見えなくなる。

共に旅をするときに…時には濃霧の航海であったり

ドイツの黒い森を夜に共に歩くような旅であったりするわけですが

(実際行ったことはありませんが)

そんなときに

もう一人の「イーグルの目」を持った自分、というような存在がいて、じっとこの旅を遥か上空から

俯瞰してじっと道筋を見据えている。

その目が正常に働くためには

「清き水かゝみ」な感じが必要な気がします。

正常に働く、というのはわたしの場合

自分のいらぬ予断や思い込みや勝手な判断や価値観や…

そういうものを通さずに、という感じでしょうか。

そういえば先日知人が

「家族から

『話していて、話がポンポン飛ぶのでついていけない。直してほしい』

と言われたけどどうしたら?」

と言っていたことを思い出しました。

ご本人いはく

「話を聞いていると、どんどん関連した思いつきや発想が浮かんできて

それをつい口にしてしまう」

のだそう。

聞いていて

「わかるなあ~」、と。

普通に「漫然と聞いて」いると、そんな感じになりますね。

特に家族の話など聞いた日には。わたしもそうです。

ただ

必要があれば瞬時に切り替えられる、というのが

やはり長くやっている者の強み、ということなのでしょうか。

その知人には

「一日10分でいいから、やってみて!」(口を挟まずただ、聞く、ということを)

と伝えてみました。

あれからどうなったのでしょう。気になります。

先の句を教えてあげればよかった^^

(特に歴史好きという方ではないので「?」と言われそうですが)

感想をくださいましたお二方、嬉しいお言葉を本当にありがとうございます。

それから…

タイトルに惹かれてついこの文章を読んでしまった「歴史好き」の方がいらしたら

ごめんなさい!

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「なんとなく…に従うのは大事」

クライアントさん(男性、独身)のお話なのですが。

もうずいぶんと長いお付き合いになるこの方。

月2回、電話でのセッションをまるで「行きつけの整体院」のように

フル活用してくださっています。

さて
今年の2月からこの方、「お買いものラッシュ」が来ていました。
長いこと昔のを使っていたから、なんとなく…と。

車、PC、携帯の周辺機器…

すべて、ピカピカの、最新の、そしてこだわりの、

お気に入りのものを選んで手元にそろえて行かれる様子をお聞きするのは何とも楽しく。

「新しくするときには一気に来ますよね~」などと二人で納得。

ほしかったかっこいいオーブンも手元に届き。
「外食やめました♪今、いろんな冷凍食品にはまっています」

と話すお声もほほえましく。

そんな3月末、
年度替わりのぎりぎり。

お仕事で、その方を思いもしない「緊急事態」が襲いました。

とにかく普通ならあり得ない出来事がリズムを打つように重なり
お役目がどどん、と増え

「この仕事についてから、今年の年度替わりが一番忙しい…」

と言わしめるほどのハードな数週間を送っていらっしゃる今。

そしてぼそっと一言。

「よくぞ、買い替えておいた…」
と。

最新の車、ナビ、PC…ただでさえ忙しい状態をスムーズに流すことにとても大きく役立っているらしく。
家に帰ればオーブンがフル活躍。

ああ、練習しといてよかった…。

虫の知らせ?
とにかく、
ちゃんと、準備を促されていたんですねえ~。

2日前のセッションで、やっと「振り返れる」余裕のできたその方と
そんな話をしたことでした。

「直感」
「感覚」
「なんとなく」

に従うって、大切ですね。やっぱり。

小さいけれど、あらためてとても大切な実感を得た時間でした。

個人セッションのご案内・お申し込みはこちら

「出会うべくして人は出会う~個人セッションご感想」




「まずは3か月間
わたしの冒険で常に傍らで
どんな話でも聞いてくださり
道を示してくださってありがとうございました。

初めての世界でしたが、本当に楽しく
自分の中の暗い話もあったのに
なぜか印象としては明るい世界を感じられる旅でした。

人前だと自分が委縮して緊張しやすく
初めは
これを変えられないかと思ってセッションに申し込みました。

自分の中身を変えることはとても辛かったり、努力の積み重ねだと思っていたし
人はなかなか変われないとも漠然と思っていました。

でも
セッションを受けて、自分の心の声を聞き
自分の思うままに話し
潜在意識の大きな力を得る旅なのだとわかりました。

頭ではわかっていてもこう(自分を変えるのは大変なことだ、と)思ってしまう自分に対して、
外からの「合理的な」解決法では上手くいかなかったと思います。
だから、わたしが主体のこのやり方はとてもぴったりだと感じましたし
すぐに現れる効果に戸惑うくらいでした。

自分を守り強くするということは
これまでは術でもって表面的に取り繕う方法を探していた感じでしたが
内面を変える術を教えてもらえて
これからの人生にどれだけ心強いか分かりません。

また、自分の声を聞けるようになったことは
これからとても大きな差があると思います。

今は
先生に出会えたことにとても感謝しつつ、これから自分の中でさらにバージョンアップし
太いアンカーをつくっていこうと思います。
わたしのこの感動と感謝が伝え切れたかわかりませんが
文章に書くとこうなりました」

40代、女性。
スカイプにて、毎月2回、計6回のセッションをご一緒させていただきました。

ご自分の中の繊細な感覚。
真実をちゃんと知っている部分。
何より、この方を幸せへと導く繊細なセンサー。

それをずっと抑え
使うことをためらい、外にある「基準」を自分に当てはめて生きてこられた感じを受けました。
が、
お話を、そしてお声を聴いてみると
溢れるくらいの、そして瞬時に「そこ」につながれる力を実はお持ちで。

わたしの仕事は
まず、
それが(センサーが)「ある」ということをその方にお知らせすること。
そして、それはあなたの大きな大きな「宝物」なのだと、使っていいのだとOKを出すこと。
(それを認めていらっしゃらなかったので^^)
そして
その方が持っていらっしゃたいくつかの体験や感情、そして概念をともに整理し
名前を付けること。
(それが「何だったのか」がわかり、落ち着くべきところへ落ち着くと、視界が広がります)

さらに
何度も何度もその方の「センサー」「知っている部分」へ一緒に行き、
ともにつながり、「回路を太くする」こと。

人前での緊張。
人の目が気になる。

そのことに対しての変化は確か、初回セッションと2回目の間にもう
どんどんご自身で作り出してこられたように記憶しています。

それは
わたしにとっては「二次的なご褒美」のようなもので
もっとも大切な部分は
この方が「自分自身の生きる上での軸」を知り、それを太く太くなさったこと。
なおかつ、今後もご自身の力でどんどん人生のそれぞれの場面に合わせて
カスタマイズ&強化してゆくための考え方と方法のひとつを
手に入れた、ということ。

蓋を開けば
そこには豊かなリソースがあふれている。
これは
誰でも、みなさんそうです。
それがわかっているから、わたしはいつも大声で言いたくなります。
心はいつも叫んでいます。
「起きろ」「目を覚ませ!」と。
セッションにおいても、セミナーやワークショップにおいても、いつも、です。

そして最後に一つ。
まさに、セッションは「セッション」なのだ、ということです。
複数の演奏家による、様々な楽器の出会いによって生まれる創造の世界。

声と声。
言葉と言葉。
その奥にある互いの体験、人生、すべての「響きあい」。
それは決して、コーチの側が一方的に「導く」ものではなく
(もちろん、リードするのはコーチなのですが)
お互い触発しあい、共に深く、そして高みに上っていくその過程は
いつも、まさに「瞬間の芸術」です。
その方としか出来ない「世界」がある。

そして
出会うすべてのクライアントさんが
その時のわたしにとっても、大きなメッセージをもってきてくださいます。
まさに
「出会うべくして人は出会うのだなあ」
といつも思うのです。
そしてその出会いに、いつも心から感謝します。
きっと、お一人お一人との出会いが、とても稀有な奇跡のような出会いなのだと
いつも実感しています。

個人セッションのご案内はこちら

「そして、若者は旅立っていった~クライアントさんからの手紙」

今日は

了承をいただきまして

先日クライアントさんとやり取りした手紙を載せてみます。




「どうしても解消できないことや悩みがあり、

自分をもっと成長させたい、もう一度自分を信じられるようになりたいと強く思い、

先生のセッションに飛び込みました。



初めて先生とお話ししたとき、

自分の中の大きな心のしこりが溶けて、体全体に広がっていく体験をしました。

こんなことが現実に起こるのだと驚き、感動しました。

ずっと苦しくて自分だけではどうしようもなかっただけに、本当に救われた気持ちになりました。




セッションでは毎回自分なりに課題を設定して取り組みました。

できるだけ自分の中で事前に準備して、

こんなふうになるのかなと見通しをつけるようにしていましたが、

セッションは予想外の展開ばかりで、なのに安らかで、癒される時間でした。


セッションを受けていると、自分とは思えないほど勇気を出して行動に移せたり、

不思議なことがあれこれ起こったり、周りの人との関係が変わったり、

日常生活がなんだかドラマチックで充実したものになりました。




能力や技術の前に、自分自身のあり方や生き方を大切にしていきたいと思いましたし、

自分の中に求めていこう、自分につながろうとするうちに、

周りの目は気にならなくなり、自然と自分を信じられるようになりました。
つらくて、取り除きたいことであっても、

実はそれには自分自身を磨き向上させようとする深くて前向きな意味があったのだと

理解することができ、今後の自分の生きる方向を見つけることができました。

過去と現在と未来が一直線につながる大きな気づきがありました。


自分の生き方・あり方の大きな転換点をともにしていただき、

私の人生を変える貴重な時間を過ごすことができました。

本当にありがとうございました」





「振り返ってみますと

あなたの中の『何か』が(真の輝きが)音を立てて外へ出てこようとしている
< font size="2" face="Meiryo UI">そういう時期だったのかなとあらためて感じております。



解き放たれたい!という『あなた自身の輝き』は、

メッセージを、ずっとあなたの体や心に送っており
それを「採択しよう!」と決めた
その証しとして形として「セッション」の場にお見えになった、という感じでしょうか。

ですから

わたしとしては『何をした』という感覚があまりありません。

豊かな光の河の奔流があることがわかっており、もうそこに見えており。

その前にはまっている水門の小さな「板」の一枚を取り除こうとしているあなたの

その取り除かんとする手に手を添えてほんの少しだけ力を添えてみました、という

感じでしょうか。



光の奔流はもう、あふれることが決まっていたのです。
溢れるべくしてあふれ…そして、これからあなたらしい人生、

あなたの持って生まれた特質、能力は

とても生き生きと、あなたご自身と、周りを満たし、豊かに彩ってゆくのだろうと感じています。

といいますか…絶対そうしてくださらないと、

わたしは承知しません、という思いでいっぱいです。




ゲームやアニメや歴史や物語の世界…なんでもいいのですが。


主人公には必ず、

成長脱皮の前の「産みの苦しみ」の時期があります。

そういうときにふと偶然に立ち寄った森の奥の館や、深い山奥の洞窟や…

そこで庵を結ぶ老人とか、魔女とか(笑)

そういうものに出会って

火を囲みながらいろんな話をしたり、ワインを一緒に飲んだり

怪しい?呪文やアイテムをもらったり。

現実世界と切り離された時間と空間で

『自分と出会う(生まれ直す?)』時期を過ごします。



ここは(セッションとは)そういう場所なのだ、と思います。

その空間で何かを見つけ、あるいは取り戻した若者は、再び現実世界に戻って旅を続けます。

そしてやがて、

その宝をみなで分かち合い、『世界を変える』ことをしていくのです。



あなたが、あなたらしく存分に輝いて、自由自在に力を発揮されますことを願っています。

そして、どうぞ、「使命」を、果たしてくださいね!

使命、と硬く書きましたが

その人らしさ全開で生きること、何かを為すこと、

そして楽しむこと、そのものが使命だと思っています。

あなたの響きを十分に、どうぞ、どうぞ存分に奏でてくださいね!」






そして

彼の人は旅立って行った。自分の生きるべき世界へ。

光る太刀をたずさえて、

マントをひるがえして。

今日みたいに空の綺麗な日は

ここに立ち寄り、しばし時を過ごしたたくさんの「旅人」たちのことを思い出します。

そして、その活躍の姿を想像します。

またいつでもいらっしゃい。たまにはまた一緒に火でも囲みましょう。

旅の武勇伝を聞かせてくださいね、などと思いながら。




わたしにとって

個人セッションとはこのような感じの場所、でしょうか。


人生の醍醐味。

自分が生きている意味を感じる瞬間。

それはまさに「ともに火を囲む場」にいるとき。

その人の「旅」のとても大切な一場面に出演させていただき

その人の、ある意味「今なんです!」という瞬間を

探究の時を一緒に過ごす瞬間、といえるかもしれません。





「百万回生きたねこは、なぜ最後に生き返らなかったのか?」

「こんな絵本をもらったんです」

と。

昨夜のセッション。半ばを過ぎたころ、クライアントさんがそうおっしゃり

電話ごしに読んでくださっのでした。

一部。

死んでは生まれ、死んでは生まれ…

たくさんの出会いと別れをその人生のたびに味わい

それを百万回繰り返したネコが

幾度目かの…百一万回目の?人生で一匹のネコに出会い、そのネコを愛し、生き

そして死ぬ。

「最後にこう書いてあるんです。

『そのネコは、もう二度と、生き返りませんでした』」

ここで、不覚にも、

鼻の奥がじん…と。

ネコよ、よかった…本当によかったねえ。

それから話は

ネコの人生(?)の話になりました。

ネコはなぜ二度と生き返らなかったのか。

ネコはなぜ『百万回も』生き返っていたのか…などなど。

「ネコは、ずっと何かをさがしていたんでしょうか。何回も生まれ変わりながら」

「あ~、ですねえ」

そして最後に、その方が一言。
「ネコは、最後の人生、『生き切った』んだと思います」

その一言が大きく響き。

そうか…生き切ったんですか。

その日のセッションの直のテーマは仕事について。

膨大な量の「やらなければならないこと」の前で

漠然と、おしつぶされそうな、混乱した感覚に、ふとなることがあるのは誰しも。

そんなとき、仕事の具体的な「やり方」ももちろんですが

何より自分自身の「心の状態」「立ち位置」「あり方」がぶれない状態であるのが何よりなのですよね。

そのカギが、

どこかに、どこかにあるはずだ…と思ってずっとお話を聞いていたのですが

図らずもその方がふっと、口に上らせた

「そういえば、本をもらったんです…」

の話の中に、昨日のセッションにおいては潜んでいたようです。

こうお伝えしてみました。

「私も実は今けっこう忙しいのですが

あなたがおっしゃった『生き切る』という言葉を口にすると

今、自分の前にある状況が、とてもシンプルに見えてきます。

大切なこととそうでないことがはっきりする気がします」

するとその方も

「…ああ、そうですね!!」

と。

「生き切る」。

その日のセッションでの、わたしたちの間に生まれた場の中で

その言葉の意味するところは

「自分の一番大切とするもの(信念・価値観)を自分の人生の中心にどっかととすえて生きるのだ」

と、多分そういうことでした。

「わたしは今、『生き切って』いるか?」

「わたしはいつ、いかなるときでも『生き切る』のだ」

そう、自分に語りかけると、目の前の「現象としての混乱」はいっきに違った様相を見せてきます。

「生き切る(自分の人生を生きる)」

を判断の中心に据えると

「こうしなければ」とつぶされそうに焦っていたことの、実は案外半分くらいが

自分以外の価値観に左右されていたり、人と勝手に比べたり

誰かほかの人の「基準」に自分も合わせようとしていたり…

そんなものからくる「幻影」であったことに気づいたりする。

実際の仕事の量は変わらなくても、そうなるともはや全く違うのです。

「真の優先順位」が自身の中ではっきりと見えてくる。

それを大切にしていいのだという軽やかな自信や確固たる決意が自分の中に立ち上がっている。

結果、周りへの要望やリクエストも心置きなく出せる状態に

心が変わっている。

セッションの最後の時間。

二人で、静かに凪いだ心でそこにおりました。

「強い風で、どんなに海の表面が波立っても

深い海の底は穏やかですもんねえ」

「ですよねえ」

「表面に惑わされないで、いつも、海の底の、凪いだ部分につながっていたいですねえ」

「ですねえ」

「今日、絵本読んでくださったの、本当にうれしかったです♪」

「いえいえ…」

すっきりとシンプルに

力強く

どんな瞬間も、一瞬たりとも自分を明け渡すことなく

「自分の人生」を悔いなく生き切るために

わたしたちには確固たる「基準」が必要です。

それは人生の深い部分を流れ続ける静かな自分だけの旋律。

あなたがあなたとして存分に輝くために欠かせない「ルール」。

そして

お気に入りの宝石を、靴を、銀の食器を磨くように

それを見て、味わい、確認し、磨き上げる静かな時間も必要ですね。

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