とっさにものを言うのは「身体に刻まれたリズム」−三言しか出なかった英語でミッションコンプリートしたお話

 

 

 

去年の夏に英語学習アプリを教えてもらい、
途中3ヶ月ほど間が開きつつも、
遊び感覚で毎日少しづつやっていたのです。

 

で、年末。

 

 

観光地ど真ん中のカフェでお茶をしようとしていたところ、
駐車場で声をかけられ。(英語です)

 

 

駐車場の使い方を聞いているんだな、
ということは雰囲気でわかるんですが、
何を言っているか、はほぼ聞き取れず。

 

 

 

その時、私が発した(発することが出来た)英単語は次の3つだけ。

 

「IN?  OUT? OK!」

 

で、無事、観光客の車の「お金を払って車を出す」作業を
をやってあげることが出来たんですが。

 

 

 

その時、
面白かったのは、一緒にいた私の知人の言葉なのです。

 

「公子さん…完全に『しゃべれる人』モードだったよ!」

 

IN ・ OUT ・OK。
の3つしか口から出せないのに、
それ以外は完全に「しゃべれる人」のノリだったらしく。

 

 

 

 

受け答えの「雰囲気」。
彼らに近寄っていく「雰囲気」。
あいづちの「雰囲気」。
そして
最後の「have a nice trip!」

(これだけは、高校の頃覚えさせられて、染み付いているんですよね。
無理やり覚えさせられた百人一首みたいなもんで)

 

 

 

しみじみ実感したのは、
一日10分のアプリくらいじゃ、
しゃべれるようにはならないなあ
(言葉なんて、出てこないなあ)

 

ということ。
そして、
それでも、自分に起こった変化の面白さ。

 

 

 

毎日、歌うようなリズムの言葉に触れていた、
その周波数と心地よさだけは、
しっかりと身体に「入って」いたんだなあと。

 

そう思いました。

 

 

 

なんでも「頭を通す」段階を超えて、
「身体から出てくる」域になったときに、
使えるものとなる、ということなんだなと。

 

単語は3つしか出なかったけれど、
わたしの「身体」はちゃんと旅人と会話をできていたみたいです。

 

 

 

読んでくださった皆さんの中にも、
きっと「同じような」(言葉に限らず)
体験があるんじゃないかな、

 

と思いながら書きました。

2026年2月22日(日)ワークショップ開催のご案内

明けましておめでとうございます。
2026年が、皆様にとりまして、さらに「自分自身」を声にし
言葉にし、周囲にその美しい影響が
波のごとく広がる年となりますよう、お祈りいたします。

 

 

さて。

 

昨年末に、
『「感情を扱えない人」って案外多い、と実感したこの2ヶ月
−それがどういうことを招くのか?−』
という記事をnoteにアップしましたが、
《こちら このワークショップの元となった記事です》
https://note.com/legit_camel4686/n/n6ceb929ab1cb

 

 

今、私が最も関心を抱き、身につまされ、
そして皆さんに伝えたい、
と思っていることをワークショップとして作りました。

 

 

年齢、立場、仕事、役職。それらを全て超えて。

 

全ての人たちが、人生でたったの一度でいいから、
「聞く」ということについて、
ちゃんとしたトレーニングを体験すべき、

 

― 評価せず、直さず、急がずに
 ただ「受け取ってみる」聞き方を ―

 

と、ずっと以前から思っていました。
(今日はあえて「べき」と言ってみます)

 

 

全てのコミュニケーションの土台であって、
そして、その力は、
あなた自身の人生を。

 

そしてあなたの周りの、本当に大切な人の人生を
支え、力づけ、勇気づけ、
変えるものになりうるからです。

 

 

人にとって、
「コミュニケーションそのものが生きる喜び」
「コミュニケーションそのものが人生の目的」

 

 

私が、この仕事を始めた頃に会った言葉です。
本当に、人は一人では生きられない。
そして、その「繋がり」の初っ端にあるのが今回のテーマです。

 

これらに時間を割くということ。
とても意味ある、価値あることだ、と思いませんか?

 

 

ご一緒できることを、心から楽しみにしています。

《お申し込みはこちら》
https://form.run/@maikaze–tyjt1b0n8Lky8OkT9BaO

 

 

 

 

 

 

日々の気づきや、少し長めの思索は、noteに綴っています。

▶︎ 「世界は響きでできている」

 

 

「氣枯れ」を払い「祭り」を起こすー人が再び「つながり」を取り戻す場としてのワークショップ

 

 

ちょっと長いこと、投稿が滞ってしまいました。

結構たくさん文章は書いていたのですけれど。

あっという間に9月のワークショップのご案内の時期になりました。

 

*   *   *

 

 

「人と会いたい」「集いたい」と思うのはどんなときだろう?
「疲れているとき」
「なんだか寂しいとき」
「とにかく語りたいとき」
いろんな「とき」があるだろう。

 

どうしてわたしたちは「人と会いたく」「集いたく」なるのだろう?

 

 

 

セミナーやワークショップを作るときに
ずっと前から湧いてくるイメージがあって、
それが「祭り」。

 

かつては村々で行われる「祭り」がその役目を果たしていた、
「人の再生」。

 

 

生きることで「すり減る」わたしたち。

 

仕事。
家族のためのあれこれの時間。
世間や常識。
「普通は…」
「男なら」「女なら」「親なら」「上司なら」「⚪︎歳なら」…

 

たくさんの「⚪︎⚪︎なら」に
振り回され、合わせるうちに、
いったい何が本当の自分なのかわからなくなる。
そんなとき−−

 

 

 

火を囲み。
語らい。
歌い。
踊り。
太鼓を叩き。
思いっきり発散して。

 

 

そうして、仲間との時間を通して元気を回復していく。
それが祭りの役割。

 

しかも実はその奥で、

 

「自分への信頼の回復」
「ご先祖とのつながりの回復」
「自然とのつながりの回復」
「神様とのつながりの回復」

 

そんなことが全部、同時進行で行われていたのだから、
祭りというものは本当に、すごい。

 

 

まさに「けがれ=氣枯れ」を取り払い、
人が「つながり直し」「復活する」場。
それが古来からの「祭り」の姿、なのだ。

 

 

で、
話戻って、ワークショップ。

 

「知識の伝達」はもちろん大切なのだけれど、
今思い返してみると、
この仕事を始めた頃から、どんなお堅い場所での研修であっても
もちろんコーチングのセッションでも、

 

「そこ(知識の伝達)」をゴールにしていたことは、
一度も、ない。

 

 

わたしの中の「何者か」が、
いつものたまうのだ。
「祭りを、せよ」「祭りを起こせ」「人を震わせよ」
「響きを起こせ」
「目の前の人を、(本人だけが知っている)あるべき場に戻せ」

 

と。

 

 

これはもう、それこそ「持って生まれた響き」、
特質、なのだから仕方がない。
違うことをしようとすると身体が動かないのだ。
変えようがない。

 

 

なので、今回も。

「コミュニケーションの体感を鍛えるワークショップ・第4回」
も、そんな「祭り」をイメージしつつ、準備を進めています。

 

楽しみたい、という人はもちろん、
もし、どこか疲れているかもと感じていたら。

 

そんな人にも、ぜひきてほしい、と思っています。
何より「場の力」が、
わたしたちを元氣づけてくれるのではと
思うのです。

 

太古の昔から、人は「場の力」で元氣になってきたわけですし。

 

 

=======

🔷9月21日開催🔷
「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ・第4回」

「たまには「直感と思いつき」を頼りにしてみよう」
ー四元素でめぐる「自分発見の旅ー

 

🔸9月21日(日)14時ー16時半
🔸カクイックス交流センター 絵画製作室にて
🔸受講費 3500円

 

申し込みフォーム
https://form.run/@maikaze–LJ1V8NRFJwvcC5hlfdDc

 

 

 

 

知識だけではいかんともし難いー人生豊かに生きるための力を鍛えるには?

 

先日終了した「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ第二回」
『伝わる力の根っこにあるものはー声をめぐる冒険』

 

なのですが。

 

その中で「他者が声をかける様子を、横から観察する」

 

という時間があったのです。
そうすると、観察チームがどんどん「言い出す」。

 

「声が、こういうふうに飛んだ」
「そこに落ちた」
「上から弧を描いてあそこを超えてこういう風に
(と、手で軌跡を描きつつ)落ちていった」

 

と。
でもって、そう言いながら
「見えるもんですねえ…」。
「わかるもんですねえ…」。

 

 

鋭いフィードバックを飛ばしているご本人たちが、
自分たちで「驚いている」。

 

 

 

さて。
「優れたコミュニケーション力」というものがあるとして、
その「土台」は、
「受信力」と「発信力」ということになります。

 

 

❶「受信力」
→その場で何が起こっているか?何が飛び交い、
個々がどんな「モノ」を発信しているかをキャッチする力

 

この「感度」「精度」が「受信力」ということかなと。
(もちろん、この「何が飛び交い」
「個々がどんなモノを発信しているか?」
というのは「言っていること(言語情報)」だけではない)

 

 

 

そして。

 

その、「よきセンサー」を持っている、ということは大事ですが、
それだけだと場合によっては大変辛いことになる。

 

 

場で今、何が起こっているか?
いわゆる「場の空氣」というものを
繊細な感度で捉えられたとして、
その「空氣」が例えばピリピリしたものだったとしたら、

 

「わかってしまって」「繊細で」
「いつも疲れがちな」人になってしまう。

 

 

 

なので、ここで❷「発信力」が必要になってくる。
「自分の働きかけ(発信)で、
場にプラスの影響を与えることができる」力、が。

 

 

 

「コミュニケーション力」とは、
この2つを備えている状態、ではないかと。どっちかのみ、では
「バランスが欠けている」。

 

(想像すると「ああ、そうね」とわかる思うのです。
「周囲のことをわかっていない発信」は「独りよがり」
とか「ただ声が大きい人」
ということになってしまうわけで。これは大変痛い)

 

 

 

 

さて。
「その受信力&発信力」。
どうすれば鍛えられるか?ということなんですが。

 

それこそまさに「体験」だと思うのです。
「それ」が開発されるような、
体験を繰り返し、繰り返し、重ねる。そういう場を繰り返し、体験する。

 

 

今月21日開催の、
「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ第三回」
『知識だけでは如何ともしがたい
ー人生を豊かに生きるための7つの力を鍛える』。

(チラシを見てくださいね!)

 

は、まさにそのための場として考えました。

 

 

 

前回ご参加の皆さんにも、ぜひいらしていただきたいですし、
(開いたセンサーがますます開くかなと)
何か、響くものがある方には、どなたでも来ていただきたい場です。

 

なんて言いつつ、
実は…
「大人ー!みんな無条件にこういう視点、センサー、
磨こうよ!そうしたら子どもらとか若者が幸せでしょ?」
「若者ー!こういう力、これから必須だよ!やっときな」

 

 

と、思ってるところです。

 

「声」の語源は「越ゆ」であるという説(ワークショプのご案内と共に)

 

 

 

「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショプー『聞くこと(傾聴)の前にあるものは』」

第一回、無事に終わりまして、

(と一応のご報告)

 

 

 

上のご案内は、「第2回」のご案内です。

第2回のテーマは「声」。

「”伝わる力”の根っこにあるものは−声をめぐる冒険」

と題して、あれこれ楽しもうかなと。

(詳細は上の写真を大きくしてご覧ください)

 

 

で、これを作りながらふと思い出したのは、

 

「声は『越ゆ』」

 

と言った安田登氏の言葉なのですよね。
(能楽師・日本の伝統的身体技術を通して、
コミュニケーション力や生活の力を鍛える著書、多数)

 

 

声は自分を「どこか、越えたところ」へ連れていく。

 

 

「声の可動域を広げる」
とわたしは、よく表現するんですが。

 

「自分の声は、こう」
「自分は大きな声は出せない」
「自分の声はこんなもん」

 

「出て当たり前」なものであり、
生まれてからずーっと、同じ声を出して
「その状態」でいるので、
自分の声について、疑う人はほぼ、いない。

 

そして「(全く違う、さらなる)大きな世界」がある、ということも
想像がつかない。

 

 

 

けれど、
「声の可動域」が広がった人は、
人生が変わる、ような氣が実はするのです。

 

(豪語してしまったな、と少し緊張しつつ。
けれど、少なくともわたしはそうだったなと。

 

そして受講生さんにも、
人生、とまではいかないかもですが
「上司に言えなかったことが言えるようになりました」
などなど、様々な「変化」の訪れた人が結構いたように思います)

 

 

声は、身体を共鳴版として出すものなので、
「声が変わる=身体が変わる=心の状態が変わる」
と、そういうことになるんだろう、
と思います。

 

 

昔、自分の声が変わった時。

自分の身体がぐん、と振動して、目の前の「グレーの壁」がバリバリと崩れ、
美しい極彩色の世界が実は目の前に広がっていたことに氣がづいた。

 

あの時の感覚と、感動は、今も身体に刻まれているなあと。

 

 

上記のワークショプ。
もちろん、「伝える」「伝わる」ための
いろんなスキルをやる予定ですが、
その根っこには、

 

「声は、越ゆ」

 

をしっかりとわたし自身の身体に抱きつつ、

そういう時間にできたら、と思っています。
(今回は3時間ですので、
どこまで行けるかなー、と思いつつ)

 

 

 

お知らせ(告知)でした。

 

 

お申し込みフォームはこちら

https://form.run/@maikaze–E7aT08ji9a56ogH0pEpf

頼られる嬉しさーわたしたちは一緒に美しい色を描いている

 

 

 

先日、知り合いのクリエイターさんから

「日本語(縦型)表記における、ある記号の使い方」

の質問がきており。

 

 

 

 

「もと国語の先生なので、お詳しいかもと…」。

 

 

 

 

で、
がぜん元氣になり、張り切って調べ、
(なんでもやっとくもんだなーと呟きつつ)
お返事を書いたところでした。
役に立てているといいのだけどと心から思いつつ。

 

 

 

 

 

「あなたの力を貸して」
「あなたの知識を貸して。知恵を貸して」

 

 

 

どうしてこんなに嬉しいんでしょうね。
その「どうして」を掘り下げてみたいんですが、
今日は時間がなく。

 

 

 

 

 

で、
知識だけでなく。

 

 

 

 

「あなたの存在感を貸して」
「あなたの波長を貸して」
「あなたの笑顔を貸して」
「あなたの中心軸(ぶれないあり方)を貸して」
「あなたの『夢』を目指す力を貸して」

 

 

 

 

いろんな「貸して」があって、
わたしたちは影響を与え合って、
補い合い、混ざり合って、美しい色を織りなしているんだろうなあ

 

 

 

と思ったのでした。
(貸して、がなくても、自然とそうなっている)

 

 

 

 

 

そう考えると、なんだか元氣が出ませんか。
連休明け、もし、ちょっと元氣がなくなっている人がいたら、
「大丈夫、あなたがあなたなだけで、
なんかもういい感じなのよー」
(いるだけで影響を与えているのですよ)

 

 

 

 

とお伝えしてみたくなり、書いてみました。

 

 

 

 

 

 

*   *   *

 

《「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ
第一回『聞くこと(傾聴)の前にあるものは」》

 

🔸5月18日(日)14時〜16時30分
🔸鹿児島市/カクイックス交流センター(県民交流センター)リハーサル室4
🔸受講費 3500円
🔸残席 1

 

 

●お申し込みフォーム
https://form.run/@maikaze–y8gv4sN7nzB1LjeCeGdk

●詳細
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12900477660.html

 

 

🌟「ここでは聞ける。家に帰るとダメ」
🌟「頭ではわかっているけど、なかなか…」
🌟「ついいらぬ一言が口をついて出てしまう」

 

こんなふうに相手の話を「聞けない」とき。
自分を責める必要はないかもしれませんよ。
それはあなたの「スキル不足」じゃないかもしれませんよ。

 

「聞く」というスキルの「もう一つ前」にあるスキル。
「聞くこと」を支える「その前」を
みんなで練習しよう、鍛えてみよう、の時間です。

 

年齢・仕事・立場・役割に関係なく。

「人ともう少し心地よく関わりたい」
全ての方へ。

 

 

 

*   *   *

 

 

《第2回のご案内》

●6月15日(日)14時〜 鹿児島市/カクイックス交流センター(県民交流センター)
●内容→伝わる声と言葉についてのあれこれ
(タイトル、詳細は後ほど)
●受講費 3500円
●募集 8(残席5)

 

 

 

 

 

「知っている」「わかってはいる」と「出来る」の間に横たわる溝を埋める

 

 

「わかっている」「どうしたらいいかは知っている」と

「出来る」(身体が動く)の間に横たわる、案外と深い溝。

 

これを埋めるものは何か?という話なのですが。

 

 

自転車に乗るのでも、新しくスポーツを始めるのでも、
「それ」を埋めるものは、実際に動くこと(つまり練習)
しかないわけですが。
(そして、当たり前じゃん、この人何言ってんの?な感じだと思うのですが)

 

 

 

と。
ここで思い出すのは、運転免許を取った際のこと。
テキストを読みながら、家で「イメトレ」をやっていたわたしを、
姉がばかにしたのですよね。

 

 

「いつもあんたはそうだ」
「そんなだから…」
(以下、いつまでたってもできないのよ、その他いろいろ)

 

 

まあ、確かに「理解」からはいるたちではありましたけど。
いきなり体当たりで動いてみる、というたちではないですけど。

 

(けど、あなただって、
オーブンの説明を読まずにクッキー作って砂糖ざらざらになって
失敗してたじゃん、などと思うわけです)

 

 

 

 

話戻って。

 

その「知っている」と「出来る」の溝を埋めるには
「繰り返し、やる」(練習する)
ことしかないわけですが、

 

 

なぜか?コミュニケーションのあれこれに関しては、
ろくすっぽ練習もせずに、
たった数回の「うまくいかなかった」で

 

「わたしはこういうタイプだから…」
とか、
「わたしの考え方(思い方)がいけないから」
とか
「あの人はああいう人だから、無理」

 

ですとか。

 

そういうことになるのですよね。
「心の問題」になる。

 

 

 

 

まあ、適正、向き不向き、はありましょう。確かにその通りです。

 

けれど、コミュニケーションも、運動と同じく、
思ったよりずっと「身体」が関わっているものです。

 

それまでの人生でいろんな体験について
「身体感覚」にどんな感覚・感情をくっつけてきたか、
が自分の今の反応に関わってくる。

 

 

 

 

5月18日からのオープンセミナー。
短い時間のワークショップではありますけれど、

 

「わたしはこういうタイプだから…」
「俺はこういうタイプだから…」
「これまでこうだったから…」

 

は完全に置いておき、
楽しく「身体にいい感じの動きと感覚を刻みこむ」(練習✖️練習)
をやりたいと思います。

 

 

 

 

上にも書きましたけど、
もともとテキスト&イメトレ(畳の上の水練)派だった
わたしがやるワークショップですので、

左脳と右脳(知識と身体)のバランスがちょうど取れた
いい時間になることと思います。
(なので、怖くないので^^
どうぞいらしてくださいね!)

あと1名参加可能。

 

(申し込みフォームはこちらです)
https://form.run/@maikaze–y8gv4sN7nzB1LjeCeGdk

 

 

 

開催のご案内ーコミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ・第一回「聞くこと(傾聴)の前にあるものは」

 

 

 

 

久しぶりにオープンセミナーを開くこととしました。

 

 

本当に久しぶりだなあ…と思いつつ、選んだテーマは、
「コミュニケーションの『体幹』を鍛える」。
 
 
 
武道やダンス、スポーツ全般。
(そして、書道や茶道、華道などもそうだと思うんですが)
 
技・スキル以前に基礎の筋力や体幹がしっかりしているかどうか、が
技の「美しさ」「正確さ」「リラックスした表現」「自然体」
そしてもちろん「効果的か」に、大きく影響します。
 
 
そして、それは「人と接するスキル」に関しても同じだろう、と思うわけです。
 
 
 
 
いつも、人様の研修ではなかなかできない
(時間の関係でですね)
けれど、
 
「これを取り上げさせてもらえたら」
 
本当にいいのに。楽しいのに。
長い目で見ると、全然(その効果が)違ってくるのに。
 
という「土台」のあれこれを、
「コミュニケーションに必要な『体幹』」として、
丁寧に一つづつ、手のひらにのせ、慈しみながらじっくりとみんなで見て、扱ってみよう、
 
といった時間です。
 
 
 
 
で、第一回目なんですが、テーマは「聞くこと(傾聴)の前にあるものは」。
 
 
🌟「ここでは聞ける。家に帰るとダメ」
🌟「頭ではわかっているけど、なかなか…」
🌟「ついいらぬ一言が口をついて出てしまう」
 
 
こんなふうに相手の話を「聞けない」とき。
自分を責める必要はないかもしれません。
それはあなたの「スキル不足」ではないのでは?
 
「聞く」というスキルの「もう一つ前」にあるスキル。
「聞くこと」を支える「その前」を
みんなで練習しよう、鍛えてみよう、
 
と、そういう時間です。
 
 
 
わたし自身が大いに上記のタイプだったのですが、
けれども「その前」を何度も練習したことで、
形として「聞ける」ようになったなあと。
 
心の中で「でもさ」「だけど」が「瞬間発動」することがあっても、
それでもその反応のままに、言葉をダイレクトアタックで返すようなことは、
なくなったなあと。
(心は波立つことがあっても、けれど「くいっ」と押さえて、
「聞き続ける」ことが今はできます。
そして、それであっても相手には一定の満足や、気づきがちゃんとある)
 
 
 
そして、この「形(型)」が大切なのです。
心は「型」に自然とついてくるものだから。
(日本人は昔からそうやって心を整えてきたわけですし)
 
 
 
 
年齢・仕事・立場・役割に全く関係なく、
「人とともう少し心地よく関わりたい」全ての方へ。
いい時間となるのではないかと、大いに思っているところです。
 
 
なんだこんなことか。
でも確かに考えたこともなかったし、出来てもいない。
そして、練習すれば身体が覚えてくれるってわけか!と。
 
 
 
お申し込みフォーム
 
(下記のコードよりも行けます)
 

 

*   *   *   *   *

 

日時:5月18日(日)14時〜18時30分

ところ:カクイックス交流センター(かごしま県民交流センター)

    〒892-0816 鹿児島市山下町14番50号

募集:8

受講費:3500円

 

 

 

 

※上にチラシのスクショも貼ってみましたが、

 なんだかぼやけています😅

 

放っておくと、わたしたちは無意識のうちに、「それをしなくていい合理的な理由」を次々と編み出し、結果、自分の【枠】はどんどん狭くなっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

このGW中にあったことを一つだけ書いておこうかなと。
(そうじゃないと、どんどん新しい出来事が生まれて、瞬く間に後ろに流れていってしまう)

 

知人からインド映画に誘われ、
自分ではまず選ばないジャンルなんですが、
屋上での上映&「マサラ上映(鳴り物ダンス応援OK)」ということで、

 

紆余曲折、色々ありつつ行ったのです。
で、この映画がものすごくよかった。
面白かった。

 

国が違って、文化が違えば、こんなにも違うものなのか、
と驚嘆するくらいに、
「初めてみた😳」世界でした。

 

同時に、わたしたちがずっと慣れ親しんできたのは、
「西洋的な」表現方法をスタンダードとしたものなんだな、
ということもあらためて感じ。

 

 

イギリスがインドを植民地支配していた時代の話で、
イギリスの法とルールによる武力(軍隊)の支配に対して反旗を翻す、

とまあ、言葉で書くとそういうような内容なんですが、
なんと言いますか、西洋の武器(銃火器)に対して
徹底的に、

 

「自然」
「大地」
「人間」
「身体」

 

そして、
「受け継がれてきたもの(先祖・神話)」

 

 

を土台にして戦うインド人主人公たちの姿のまあ、美しいこと✨✨✨
本当に、インドの神様に見えました😍
(そして、たまにそのアクションが凄すぎて
「それはありえねーだろ」とクスッと笑えたりする)

暮れていく空に、桜島。
吹き渡る風も心地よく。

 

 

で、
初めに書いたこの文章のタイトルなんですが。
会場に足を向けるまで、とても「うだうだと」していたのでした。

「遠くから帰ってきたばかりで体調がイマイチだ」
からはじまって

「人混みかあ…」
「あんまり賑やかなのは苦手だな」
「3時間って!無茶…」

最後は
「そもそもインド映画って面白いのか?」

まで。

 

 

けれど、帰りはアーケードの中、知人と踊りながら
(映画中のダンスを)
帰ったんですけどね。

ということで、まさに表題の通りのことを実感したんでした。

 

誘ってくれた知人に心から感謝しているところです。
(際どいところで機会を放棄しそうになりながらも、なんとか出向いた自分にも)

 

 

 

映画の写真を貼ってみましたが…
この絵だけ見ても、まず私は見に行かないなあと。
それだけに、とにかく楽しげにワクワクと誘ってくれた知人、グッジョブ‼️と思うのでした。

 

 

 

 

40代・50代・60代女性を「大人世代」と呼ぶ違和感

 

 

 

 

 

 

 

髪を切りにいって久しぶりにヘアカタログを見ていたんですが、
いろんな言葉が舞い踊っていました。

 

「大人世代の『愛され』ヘアカタログ💓」
「きれい大人の『褒められ』ヘア✨」

 

大人世代って(笑)。
(言うに事欠いてまた面白い表現を編み出したな←脳内つぶやき)

 

ああいう世界って、新しいことばの使い方がどんどん生まれますよね。
「若見え」とか「高見え」とか。
(カタログ中の一つ一つの髪型に添えられているキャッチフレーズを見て、
「誰が考えるんだろうこれは」としみじみ感心してしまいました)

 

「春の日差しに輝く永遠の憧れふんわり大人のアンニュイミディアム˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚」

 

みたいな。
(ポエムか⁉︎ポエムなのか?これは。
「実りの秋の森のキノコの氣まぐれシェフサラダ」を凌ぐ言葉だらけのヘアカタログ)

 

 

 

で、
美容師さんのYouTubeも見てみたんですが、
何だかみなさんものすごく「言葉を選んでいる」感満載で。
その姿はまるで、盾にヘルメットの完全防備で地雷原を行く勇敢なる兵士のよう。
(↑踏んだら終わり^^)

 

「わたしたち大人世代ですともうちょっと前髪を軽くするとよりステキに…(笑顔)」
「…顔まわりの髪の量、大人世代は氣をつけたいところですね(笑顔)」

 

わたしも若くみられたいし、
おばさんと言われるのは嫌だし、
年配の方々は、などと言われたとしたらちょっと悲しい(多分)。

 

そうなんですけど。
そうなんですけれどなぜか感じるこの違和感。
もしくは笑ってしまうこの感じ。
言葉にあえてするなら

「そこまで必死にならんでも…」

という感じでしょうか。
なんというか、痛々しい?

 

そんなにも歳をとるとはいけないことか。
受け入れ難いことなのか?
触れてはならぬ「禁忌」なのか😆?
(ドラゴンの棲む禁断の森じゃああるまいし🐉)

 

 

 

話が飛ぶんですが、
イギリスのドラマを見ていて、
女優さんたちがとても自然な顔だなあと最近思っていたところだったのです。

堂々とした目元のアップは小皺はっきり。
おでこのしわも生き生きと。(あちらは表情筋をよく動かすので)
そして鼻の横のしわも元氣に存在感のあること!

日本の女優さんたちとはちょっと違う雰囲氣。
そしてもちろんみな、とても魅力がある。

 

 

「大人世代」。
(「大人女子」というのもあったな。
この呼び方を聞いたとき「やめい!見苦しい😆!」と思ってしまいましたが。
↑あくまでも個人の感想なので、許してね)

 

40・50・60代にこのラベルを貼る
(貼らざるを得ない、もしくは「貼っとけばいいだろう」的な)
空氣に、

 

「若さこそ正義」
「自分の(こと外見に関する)価値を決めるのは外の基準」

 

の中で生き続けてきた日本女性たちの
余裕のなさ、張り詰めたような痛々しさと同時に、
なんとなくの「小馬鹿にされている感」を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。

 

 

 

そして、ここまで書いてみて、
今日書きたかったのは多分、

 

日本のおばさんのことも
もっと信頼してもらって大丈夫よ^^
と、そういういう感じでしょうか。

 

確かにそういう時代も長かったかもしれないけれど。
けれど日本の女も、
これまでにいろんなことを体験して、学んできたのです。
いろんな物事をじっと見つめて、静かに聞いて感じてきた。
もう準備はしっかりとできている。

 

何の準備?

 

んー、そうですね。
真に成熟した男性たちとともに、自由自在にのびのびと、
成熟した関係性や世の中を作っていく準備、でしょうか。
(と、湧きいづるまま思考を通さない直感に従った言葉を書いてみましたが、
ちょっと自分でもよくわかっていないところ)

 

 

 

 

わたしの周りにいる女性たちの多くは、
「自分の本質を生きることこそ、うつくし」。
とある瞬間にしっかりと決めた、
そのプロセスを経て、ここにいるように感じています。

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