私たちに自信のなさや自己肯定感の低さがあるとしたらそれは「民族の傷」という側面もあるかもしれない

 

 

 

 

 

この夏は、いつもよりたくさんの戦争関連の番組を意識して観たように思う。

 

 

その中に、

 

「戦争から戻った父親からの虐待を受けて育った子どもたち」

 

という内容の番組があったのだけど。

 

 

 

 

ほとんど全ての日本人が、何らかの形で、

大きな傷と挫折を心身ともに負った時代が、あの時代だったと思う。

 

 

ずっと信じてきた価値観が、脆くも根底から崩れ去った人。

目の前で、大切な人が死ぬのをただ見ていなければならなかった人。

戦場で、言葉には一生できないであろうものを見、

言葉にはできないであろう行動をしなければならなかった多くの人。

 

 

その「傷」は、

きっと一人ではとても耐えられるものではなく。

 

 

 

「戦争から帰ってきた父親は、狂ったように自分たちに暴力を振るった」

 

 

 

その記憶を、今、

70代、80代を迎えた人たちが

やっと、ポツポツと語り始めている、と。

 

 

そして、さらにその「傷」は連鎖している、というのだ。

(それはそうだろうなあ、と思う)

子から、その子、また次の子へと。世代を超えて。

 

 

 

 

学生の頃、

「自分」というものにふっと興味が湧き、

それで「日本人」ついて、調べたことがあった。

(「菊と刀」なんかも読んだ気がする)

 

そして、

島国であることから形成された民族の特性、などを読んで、

妙に落ち着いたというか。

自分の性格的な「難」(だと当時、捉えていた部分)

に「理由」「ルーツ」「起源」が見つかったような。

腑に落ちた気がしたことを覚えているのだけど。

 

 

 

 

 

さて。

「虐待は連鎖する」。

 

 

 

戦後80年。

子ども達は、もはや「その出発点が何であったか」もわからないまま、

ただ順送りにされてきた、重い鬱屈したエネルギーだけを、

理不尽に受け取り続けている(かもしれない)。

 

 

(ちなみに「虐待は連鎖する」と書いたが、

私がここで問題視しているのは、「目にみえる暴力や暴言」だけではない。

 

「自分を信じられない」

「何か、自己が不安定である」

「自分たちのルーツを大切にできない。誇りを持てない」

「自分たちの文化・心根の土台を軽んじ、継承できない」

 

これら全てが「虐待」と同じであり、

長い目でみた「自殺行為だ」と捉えている)

 

 

 

 

 

今日は、だいぶ重たいことを書いた。

 

 

日本人は他民族に比べて「自己肯定感の低さ」というものがある、

と何かで見たことがあるのだけど、

 

 

 

それが、この

「民族の集合無意識に、刻み込まれた悲しみと挫折と傷」

からも、きているのだとしたら。

 

 

 

さあ。

どうする?

 

 

 

 

大人たちよ、どうする?

 

今この瞬間、人ごとではない。

「あなた自身の」中にある、親から、そのまた親から、

そのまた親から無意識に受け継いだ、深く深く積もった

「恐怖」が。

「挫折」が。

 

「自分を出してはいけないのだ」

「私たちは間違っているのだ」というような…

そんな「悲しみ」と「恥辱」が。

 

 

 

もしも、そんなものが私たちの中にあるとしたら。

そして、今この瞬間、子ども達に「それら」の欠片が伝わっているとしたら。

 

 

 

 

 

 

再度、問いたい。

で、

あなたはこれからどうする?

どう生きる?

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

《お知らせ》

 

私たちは、確かに親から、その親から、そのまた親から

「負の遺産」

も、受け継いだかもしれません。

 

けれど、

それ以上に美しいもの、素晴らしいものもたくさん受け取っています。

 

これから、私たちが「自分らしく」

「誇らしく」

「自信を持って」

「自分の自然な在り方(特質・よさ)を存分に発揮して」

軽やかに生きることと、

 

「受け取った素晴らしいもの」=「日本人的感性」

 

とアクセスすること、は

無関係ではないと思っています。

 

 

このワークショップも、

根っこにそういう「構造」を秘めている、と言えます。

 

(中身は、全くもって難しいものではないので

安心していらしてくださいね!)

 

 

*  *  *  *  *

 

 

🔷9月ワークショップのご案内🔷

 

【コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回

「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」】

 

 

 

🔸今回はちょっと面白くて。

9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに

「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。

アセスメントや数値化ではなく、

「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、

参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

 

自然と人と、自分のつながりを感じる時間

私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。

風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、

実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。

今回は、そんな「自然のイメージ」から、

自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

【開催概要】

 

⚫︎日時:9月21日(日)14:00〜16:30

⚫︎会場:カクイックス交流センター 絵画製作室(5階)

⚫︎参加費:3500円

⚫︎募集:12名(先着順・残席5)

 

 

*  *  *  *  *

 

 

⚪︎イメージする力

⚪︎ 言語化の力

⚪︎観察する力

⚪︎感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)

⚪︎チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)

⚪︎自分を深く見つめる力

⚪︎対話の力

 

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。

「感性で自分を探ってみたい」

「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」

「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたい」

 

 

そんなことを、面白そう、と思ってくださる方と、

ご一緒できれば嬉しく思います。

(詳細はこちらへ)

https://fb.me/e/5i0ACrXld

 

 

文無し、ふんどし一丁で生きる江戸の街‼️というアプリがあります

 

 

 

クライアントさんが教えてくれた、 

「ハイパー江戸博シリーズ」のアプリ。(江戸東京博物館が出しています)

 

これの「日本橋繁盛記 江戸のお金ーふんどし一丁で生きるー」

 

をやってみました。

 

これが、結構面白かったのです。

 

 

 

提灯屋の若旦那が芝居に入れ上げすぎて、お父っつあんから
勘当されてしまう。
で、素寒貧のところからどうやって復活していくか、

 

というアプリなんですけど、
わたしが辿った道を挙げておきます。

 

 

「勘当‼️」
 ⇩
 弥次喜多に借金の証文を掴まされる
 ⇩
 まじに「ふんどし一丁」になる
(みぐるみ剥がされる)
 ⇩
 寺子屋の師匠に泣きついて、
 長屋を紹介してもらう
 ⇩
 古着屋で古着GET
 ⇩
 長屋の隣に住む男から魚屋(棒手振り)
 の仕事を紹介される
 ⇩
 (中略)
 ⇩
 長屋時代から何かと気にかけてくれていた
 「おみっちゃん」と祝言✨
 ⇩
 桜の花びら舞う江戸の空を
 見上げる二人🌸🌸🌸

 

 

 

(※先ほどまでは、上のルート、事細かく書いていたんですが、
どうもロールプレイングゲームと違って、
ルートの数がないのかもしれない、と思い、
これからやる人のために略しました^^;)

 

 

 

 

形としては、
江戸の街をただただ黙々と走り回って、
指示に沿って目的の場所に行ってミッションを果たす、

 

という内容なんですが、
(3D地図の江戸の街を、若旦那が黙々と走り続ける、という絵柄が基本)

 

 

ボタンを押すと、「若旦那目線」の絵になったり、

 

 

それから、ミッションが

「古着を買う」
「布団を損料屋で借りる」
「米を米搗屋についてもらう」
「お金を集金に行く」
「銭湯でサッパリ」

など、いちいち細かいのが楽しい。

 

 

で、
ここが「江戸東京博物館」の力の見せ所で、
(そもそも、膨大なる収蔵品をたくさんの人に見て欲しくて
作ったアプリでもあるんだろうなあと‼️)

 

 

 

一つ一つのミッションに、
わかりやすい解説と、資料写真が必ずついてくるのが
とても見応え読み応えあり!なのです。

 

(歴史上の人物への言及もあって、
遠山の金さんがなぜ決まりとなっている馬で登城せず、

「駕籠を使わせて下さい💦」
の届けを幕府に出したか、のちょっと笑える
「裏事情」なども資料つきで出てくる)

 

 

 

 

江戸が好きな人。
歴史が好きな人。
地図の中をうろうろしてみたい人。
タイムスリップしてみたい人。

 

 

オススメです。
(が、一つ。方向感覚をとるのが、
苦手な人は、少し難儀するかもしれません^^)

 

 

 

【アプリ詳細はこちら】ハイパー江戸博
https://hyper.edohaku.jp

 

 

 

 

 

 

「毒親」とは何か?ーそれはみんながなりうるものだし、なっている瞬間があるもの

 

 

 

 

今朝、何かの記事を見て、俗にいう「毒親」の定義はなんだろう?とふと思ったのだけど。
わたしの思う「毒親」とは、

 

 

「自分の不安や心配や願望、コンプレックスなどの『心的状態』を
 子どもの問題にすり替える親。
 そして、そのことに気づかない(気づこうとしない、見ようとしない)親」

 

 

でしょうか。
(なので、「親」だけでなくいわゆる「毒教師」「毒上司」「毒配偶者」などというものも

存在するだろうな、と思うわけです)

 

 

 

 

ちなみに、
「とても満ち足りた、100%幸福な親」に育てられた人は
そんなにいないと思うので、

 

(敗戦、そしてその後の混乱で、
わたしたちの数代前の先祖の多くは皆、ずっと守り培ってきた価値観の「崩壊」それに
「挫折」が深く刻まれることとなったろうから)

 

 

 

そこからつながるわたしたちは大なり小なり、

 

「漠とした不安・これがないと幸せじゃない!という思い(願い)
よくわからない自己否定・コンプレックス」

 

などを持ち合わせているのじゃないか、と思います。

 

 

 

なので誰でもそういう「状態」(毒親・毒大人状態)になりうるし、
なっているときも実は大いにある、
というのが「案外普通のこと」なんじゃないか、と思うわけです。

 

 

だから、これがあることが悪いのではない。
(逆に、「全くない」と豪語する人の方が怪しいと思ったりする)

 

 

 

 

大切なのは、

 

「自分でそれを認めることができるかどうか。
 受け入れることができるかどうか。
 これは自分のものだ、自分で癒すぞ、と決めて、
 そことしっかり向き合うことができるかどうか」

 

なのだと思います。

 

 

 

 

何はともあれ、
自分の幸せは自分の中にしかなく。
何かの条件によるものでもなく、
ましてや人に託すものでもない、

 

ということはしみじみと思うのです。

 

 

 

そして、全ての大人が、
「楽しく、ワクワクと、静かに満ちて、しみじみと…」
(いろんな言葉がつくけれど😀)
とにかくそういう感じに「自分の」人生を生きていることが。

 

 

自分の「中心軸」で生きていることが、
(親は親の「自分が生まれてきた目的」をちゃんと生きていることが)
子どもの幸せにとって、必要不可欠なことなんだ、

 

と、そう感じます。

 

 

 

 

 

今日はなぜこんなことを書いているかというと、
確たる理由は全く思い浮かばないのだけど。

 

 

 

 

 

今が、分岐点、な氣がするから、でしょうか。
わたしたちは今、分岐点に立っている。
(という言葉が勝手に浮かんできている)

 

 

 

 

 

NLPに、
「親のタイムライン(生きた軌跡)までを遡り、癒し、統合するワーク」
というものがあるんですが。

 

 

 

親のたどってきた人生、思いを癒し、
先祖のたどってきた人生や思いをも癒し、

 

それら全てを美しく力強い「糧(かて)」に変え、
自分のこれからの未来のタイムラインを生きるための
プラスのエネルギーとする。

 

そういうワーク。

 

 

 

 

それは「全て」は、
誇らしく輝かしい「リソース」へと姿を変え、
わたしたちの人生を通して、
次の世代へと手渡されていくことになるのだろう、と思います。

 

 

 

 

そして、それが今、(わたしたちが)できるかどうか?が
案外これからの日本を大きく左右するのではないだろうか、
(その、最後のポイントに今、わたし達は立っている)

 

 

 

と、そんな氣がしています。
こういうのは理屈ではないので、うまく言えませんが。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに自分はどうなの?という話なんですが。

昔、20代後半だったか30代前半だったか忘れましたが、

 

 

 

「『負の文化的遺伝子』を次には手渡さない」

 

 

 

と、なぜか思ったことだけははっきりと思い出します。

(ちなみに、うちの親が「毒親」だったと言うわけではなく。

日々悩みつつ、生活しつつ、子どもを愛し、

時にはそれが十分にできない自分にまた悩むというごくごく普通の親でした)

 

 

 

 

で、
わたし自身、それが今うまくできているかと問われると、
毎瞬毎瞬「プルプル」しています(笑)
(繊細に揺れて、ズレては戻りズレては戻り…ということです)

 

 

なんですけれど、
周りに色々な「ズレを元に戻してくれる」たくさんの人や
ものがちゃんと存在してですね
それが本当にありがたいと思っています。

 

一人ではなかなか難しい。

 

 

なので、世の皆さんたちも、無理はしないでくださいね、
というのは大いに言いたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

800年前も今も幸せの「方式」は同じだと親鸞上人のアニメで思う

 

 

 

 

 

 

 

前売り券をいただいたので映画館に行ってきました。
「親鸞ー人生の目的ー」

(アニメです。出ている声優さんが結構豪華でですね◁大事なところ)

 

 

感想なのですが。

 

自分を認めよ、そのままの自分を愛せよ、
まず自分が今のままの自分で幸せになれ、
それなくして周りの幸せは、ない。

 

という映画かなあと。

 

 

煩悩はなくらなない。
私たちが煩悩と呼んでいるものは
人の自然な「生」の発露と表裏一体。

 

美味しいものを食べたい→生きる欲求
異性に惹かれる→種の保存の欲求
もっとお金が欲しい→安心や自由への欲求

 

 

それを「よくないもの」として
消そうとすること自体無理がある。
人の素直な「生のエネルギー」に反する。

それを認め、愛し、抱きしめるからこそ、
それの肥大、暴走から、自由になることができる。

 

 

 

前半、
若き親鸞が山にこもって修行をする20年間が
(自分は煩悩まみれだー!死んだらどこへいくんだー!と)
もう見ていてキツくて(笑)

 

「早くやめなよ、そんな無駄なこと」

 

と思いながら見ていました。

 

 

 

逆に、山なんかにこもってるからわからないんじゃないの?
膨らんじゃうんじゃないの?
365日、そればっかり考えているわけで、
そりゃあ、大木にガンガン頭打ちつけたくもなるよ、と。

 

市井に降りて、
目の前のことせっせとやって「生活」しなよ、
真の悟りはそこからしか生まれないわよ。

 

 

なんて思いつつ。
(今、世界中の親鸞ファンを敵に回しているかもです💧)

 

 

 

 

で、思い出したのですが。
悟りたい(解脱したい、だったかな?)僧が
生きながら墓に入るんだったか、
密閉した船で海に出るんだったかをやる話。

 

「何がなんでも、死んでも解脱してやる(変な言い方ですが)」
という…
逆に凄まじい「執着」ともいえると、
はっとしたことがあったんですが。

 

 

 

 

 

さて。
親鸞が生きた時代からすると、わたしたちは少し
「進歩」しているのかな?とも思えます。
人の意識の進化、といったほうがいいでしょうか。

 

 

 

親鸞の時代は、
「阿弥陀仏」「念仏」という「形」を使って、

 

「そのままの自分を阿弥陀仏は抱き止めてくれる」
「だからそのままの自分を愛せよ」
「そのままのあなたで救われる」

 

という「教え」で人を導き救おうとしたわけですが、
今、わたしたちはそれを普通に「知って」いる。

 

 

 

自分の中のたくさんの「自分」を赦し、愛し、
手を携えて生きていくことを知っている。
そこにこそ幸せがあることを知っている。
(サクッとできるかは置いておき)

 

 

 

 

 

ここまで書いて、
人の意識の広がりも進化も、親鸞はじめ、多くの人たちの「修行」
(人間の探究・心の探究・信仰の探究ときづき)
の先にあるものなんだよなと。

 

 

そう考えると「現代人の上から目線」の
「やめなよ、そんな無駄なこと」
ではなく、

 

「ありがとう。あなたたちの『旅』の先に、今の私たちがいる」

 

ということかなあと今、思いました。

 

 

 

 

ちなみに、親鸞の声が櫻井孝宏さんで、その奥様の「玉日姫」の声が花澤香菜さん。

「でた!水柱と恋柱…」

と思いながら見ていたことでした。

マイナーアニメながら、声優さんが豪華でした。本当に。

(櫻井孝宏の声で「なむあみだぶつ」が聞けるレアな感覚&至福感)

 

 

春のセンバツ、市立和歌山の川辺謙信主将の宣誓がすごかった件(「心を掴むプレゼンの枠組み」にのっとっていた件)

 

 

 

 

 

 

 

一昨日の春の甲子園の選手宣誓が、よかったのですよね。
短い中に「物語」があった。
短い中に聴衆の意識を過去から今、そして未来へと連れていく壮大な「仕掛け」があった。

 

 

 

●「高校野球は100年以上にわたる長い歴史の中で、幾多の困難や、
苦難を乗り越えながら発展してきました」

 

そして「大正、昭和、平成、令和…」と言葉で繋ぎ、
イメージを喚起し、一瞬のうちに観客と共に時間を旅する。

 

(そうだ、そうだぞ!ずっと、いろんなことがあった。
本当にいろんなことがあった。よくここまで続いてきた…と涙するわたし)

 

  ↓

 

●「わたし達は、今、大好きな高校野球を続けることができています」

 

現在に到着。
今、その高校野球を共に「見ることができている」
自分たちにも「氣づく」聴衆。自分たちも今ここにいるのだ。
「わたしたち」の中に入っているのだ。

 

(本当、奇跡だわ〜!感謝だわ〜!と、もはやここで、

心は野球以外の全てのことに飛んでいるわたし)

 

そしてさらに今の(課題)を提起。
「そして現在、野球人口が減少する中…」

 

  ↓

 

●「この大好きな高校野球をさらに魅力あるものに発展させ、
未来の高校球児へとつないでいく責任があります」
「今まで支えてくれた全ての人たちへの感謝を胸に、仲間を信じ、
そして、未来のために、全力でプレーすることを誓います」

 

みんなの目を、意識を、未来へ。未来のありたい姿へ。
(だよ!その通りだよ!わたしもそうする!という熱い塊が胸の中に沸いているわたし)

 

 

 

美しい。

なんて美しい流れ。

 

 

 

 

 

これって、昔学んだ、
「インフィニティ(♾️)ストラテジー」だったか、

 

の枠組みなのですよね。

 

 

「過去の出来事をつなぎ、橋をかけ、今につなぎ、
そこから今度は未来の好ましいイメージへとさらに繋げていく」

 

という構造が書かれた説明の紙をもらい、
(その紙にはまさに「♾️」の形の図が書き込まれていました。ちょうど真ん中の交差点が「現在」)

 

 

 

それをギュッと手に持って、実際にフロアをうろうろとしながら
(過去・現在・未来と動き回りながら)
何回もプレゼン練習をしたものです。

懐かしい。

 

 

 

 

 

さて、人というものは。

 

 

 

生きていく上で「物語」が必要な生き物なのだ、と思います。
「つながり」が必要な生き物なのだとつくづく思います。

 

 

時のつながり。
先人たちとのつながり。
思いのつながり。

 

未来の子どもたち。
まだ見ぬけれど、
確実に自分たちの思い、行動の延長線上に
存在することになるであろう
人たちとのつながり。

 

その結果出現するであろう世界とのつながり。

 

 

 

その「滔々たる流れ」の中の
「意味ある一人」として
「意味ある一瞬」を生きている。

 

自分も、「それ」を担っている。

 

 

 

そう思えた時に、
今持っている錘(おもり)は軽くなり、
歩むエネルギーが湧いてくるのだ、と思います。

 

 

 

 

この「つなぐ」という仕組み。
歴史上の偉人の「人を動かした名プレゼン」をみてみると、
この「つなぐ」ことをやっているプレゼンが結構あるのですよね。
(♾️などと名づける以前に、人の心が動く時の、とても自然な流れなのだと思います)

 

 

 

自分の「大切な思い」を誰かに伝える必要のある人。
大勢の人に、自分の「思い」を伝えて、揺り動かしたい場面のある人

 

 

 

 

興味のある方はぜひやってみてください。

 

コミュニケーションについて学ぶとはつまり「愛の表し方」を学ぶということなのだ

 

 

数日前、仕事先で連絡窓口となってくださっている方から、

 

「私も(研修案を)拝見させていただきました。

一人の親としても、大変参考になることが多く、
○○という役職の方だけでなく、
親としても勉強させていただきたいなと思うところでした」

 

の言葉と共に、
ご自身のお子さんとの関わりにおける、
とあるシーンへの(後悔の)思いが綴られたメッセージが届き。
(「タイムマシーンがあったらあの時へ戻るのに」と)

 

で、思ったわけなのです。
(たくさんの親御さんの似たような声、いわば「心の叫び」を思い出しつつ)

「ああ、お願いだから自分を責めないで」

と。
それはその時のあなたの(全ての親御さんの)
精一杯だったのだから、と。
で、最近思う
「この連綿とつながる『悲しみ』『もどかしさ』」は何なのだ、
という思いがまたむくむくと頭をもたげ。

 

 

で、
次のようにお返事を返しました。

 

 

 

*  *  *  *

 

「コミュニケーションについて学ぶとは、
つまり、

『愛の表し方』

を学ぶということなのだ、と思います。
他者への愛。
そして、自分自身への愛。

 

わたしたちはそもそも、
たくさんの愛を持っていますけど、
それを「適切に表す」「適切に伝える」すべ、を知らない。

 

自分の親も、その親も、その親も…

 

そんなことを教わっていないし、
知らなかった。

 

(特に、80年前、戦争が終わった時に、
一度大きく断絶してぐちゃぐちゃになった、と思います。
世の中の激変、価値観の激変。
あの時、日本の大人たちはみんな、
自分自身を信じられなくなった、と思うのです。
その傷(固まった心と身体)をわたしたちは受け継いでいる)

 

あなたのお子さんへの(後悔している)言動。
その、
根っこの根っこの深いところにあった、
あなたの「本当の願い」。

それは、
ご自身の不安もあったやもですが、

そのさらに奥には、お子さんへの「純粋なる愛」
がダイヤの原石のようにしっかりと存在していた、
と思うことなのです。

 

*  *  *  *

 

 

「愛を表現する」
「愛を伝える」

 

20代、
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んで
「いっちょんわけがわからん…」
だったのですが、
それでも、最終章に出て来る

「愛とは修練である」

の言葉はとても印象に残っています。

愛とは。
愛を伝える、愛を表現するということは、
「練習あるのみ」なのです。

 

どろつき大根のままで
(洗うことも、皮を剥くこともなくそのままで)

「さあ、受け取ってくれ」
「どうして理解できないの?受け取ってくれないの?食べてくれないの?」

と言われても、
相手にとっては咀嚼は愚か、口にすら入れることができない。
(けれど、みんな案外「それでいい」「それが普通」
「自分、不器用だから…」レベルの認識で止まっているのが
「コミュニケーション」の分野なのではないかと思っています)

 

*  *  *  *

 

 

「わたしたちのような仕事の者の役割は、
それぞれが、その「ダイヤの原石」に気づいていただき、
楽しく磨いて「本来の美しい光」が
周りにしっかりと届くためのお手伝いをしているということでしょうか」

 

*  *  *  *

上のように続きを書いて、終わったことでした。
(我ながらいい喩えだなーと思いつつ)

 

 

 

まとまりませんが。
今年もそういう場でたくさんの人にお会いできることが
とても楽しみなところなのです。

 

 

 

追伸:
では、昔の日本人はそんなに「愛」を伝えるのがうまかったのか?
ということなんですが。

「言葉」がうまかった、ということではなく。
(何せ言葉は「今夜は月が綺麗ですね(=I LOVE YOU)」の世界なので)

「身体」が今とは違っていたのだと思います。
身体が常に「温まっていた」(体温ということだけではなく)。

 

柔らかく、豊かにコミュニケーションのためのセンサーが広がり、
リラックスした身体で
昔の日本人は生きていたのだと思います。

(渡辺京二「逝きし世の面影」にその雰囲気を感じることができるのではと)

 

つまり「いるだけで」「お互いそこにいるだけで」
安心感や、つながりの感覚や、愛おしいという感覚や…
そういったものが
溢れている身体、やり取りできていた身体、といいましょうか。
(昔、ばあちゃんの膝に乗っかっていた頃に、そういう感覚を
感じたことがあったように思います)

 

つまり、日本人の「自然の摂理」を五感で見て、聴いて、感じてキャッチして表現できる繊細な力が、世界に認められているように感じる

 

 

 

日本の「伝統的酒造り」が無形文化遺産に登録決定しましたね。
我がふるさと、鹿児島にもそれこそたくさんの焼酎蔵がありまして、
みなさん、本当に嬉しいことだろうなあと思うことなのです。

 

で、早速に「酒作り」の特集番組を見て、
「すごいなあ」とその凄さを噛み締め、味わっていたところでした。

 

 

 

 

日本人の食と健康に欠かせないたくさんの伝統的発酵食品。
その元となる
【麹菌(アスペルギルス・オリゼ)】は国菌。

 

で、
それをずっと「繋いで」きた種麹屋さんが出ていました。
三百年前、室町時代からずっと、種麹を「植え継いで」育ててきた。
今でも、その人たちが育て増やした「種麹」が
日本中に渡っている。

 

 

自然に蔵にあった菌を、「育てる技術」を室町時代から持っていた、と。
すごい…。
すごすぎます。

 

 

 

 

 

そして、杜氏さんの言葉。

 

「五感を駆使して、麹の状態を見極める。
触ってわかることがたくさんある。
熱。水分のこもり具合…

 

麹が自分の力で。
自力で、自分で自分を作っていく。
それの環境を整えるのが親、っていうふうに思えば、
子どもの力に応じて、それを生かした育て方が重要」

 

 

 

 

この言葉が、一番胸に「ぐっと」ときたんでした。

 

結局、人間は、
「自然」に学んで、大自然の動き、はたらき(摂理)をよーく見て、
それを「法(のり)」として(方法、でもいいか)動くのが、
一番間違いがないんじゃなかろうか、と。
全てにおいて、です。
教育。
医療。
商い。
政(まつりごと)。

 

 

 

かつて。
わたしたちには、それをするだけの「ゆったりとたゆたう時間」と、
それをキャッチするだけの繊細な感覚。
そして、大自然への畏敬と感謝があったんでしょうね。

 

 

 

 

仕事の前、神棚に全員で手を合わせる杜氏さんたちの姿を見ながら、
「仕事」というものはなんでも、
昔は「祈り」と隣り合わせ(というか、同義)だったのかもしれない、
とも思えました。

 

祈り、という言葉がピンとこないというならば、
「感謝と切なる願い」
でしょうか。

 

 

 

自分一人の力では何も生み出すことはできず、
「いただいているのだ」ということがわかっている。
自分も「大きな摂理」の一部となって、
大切な人たちの健康や心の充足や幸せのために
「これ」を送り届けるのだ、という願い。

 

 

 

酒造りのような、自然の力を借りるものだけではなく、
全てにおいて、そういうスタンスが根底にあったのではないか、
と思えます。

 

 

 

 

今日はまとまりませんが。
自分自身もそういうふうに仕事をしたいと思いますし、
そういう姿勢で「素晴らしいものや場」を生み出し続ける
たくさんのプロフェッショナルたちが、
わたし自身の身近にもたくさんおり、
(多くの人たちの顔が浮かびます)

 

 

また日本の国全体としても、こういった多くの方々の恩恵を
被る(こうむる)ことができる環境にあることを、
幸せに思うことなのです。

 

 

 

 

この秋「すごいぞ日本文化」と思ったこと(蹲踞と菊と慶応元年)

 

 

 

少し前、11月下旬にFacebookにあげたんですが、

こちらにも書いておきたく。

では早速ですが、この秋感じた「すごいぞ日本!」シリーズ、3本です。

 

 

❶大相撲、呼出さん(若い子)の蹲踞《そんきょ》がすごい!
❷鹿児島名所、仙巌園には65年前から咲いている菊がある!
❸その仙巌園内の博物館『尚古集成館』が慶応元年当時に戻っているぞ!

 

*  *  *

 

❶大相撲九州場所での話。

「本日の取り組み」を書いた用紙を
行事さんが一枚づつ観客に披露する場面があるのだけど、
その横に控える呼び出しさんの「蹲踞(そんきょ)」がとても美しい。

 

多分5分くらいはかかるコーナーだと思うのだけど、
その間微動だにせず、
背筋をまっすぐに伸ばして蹲踞の姿勢をキープし続けている。
上半身は「用紙をとり、回しながら観客に示す」という結構な動きがありながら、
下半身はスッと気持ちいいくらいに
地面からまっすぐに立ち上がって安定している。

 

今、このくらいの年齢の子で、きれいに蹲踞ができる子というのは、
正直とても少なくなっている、と思う。
(もはや生活の中で、この姿勢をすることがなくなってきていますんで)

そして、
これらの「身体の使い方」ができなくなってきていることが、
心身ともに日本人に悪影響を与えているのでは、というのは、
いつも書く通り。
(わたしは「よろしくない影響」だと感じているけれど、
そこは人それぞれかもですが)

 

これは、やはり相撲の世界に入ってから訓練をするのだろうか。
それとも日々の修行精進の中で自然と身につくものなのだろうか。
(多分後者だろうとは思いつつ)

 

その旨、聞いてみたく「日本大相撲協会HP」へと行ってみましたが、
「問い合わせに個別の回答はありません」とのことで。
いづれ明らかにしたいと思っているところです。

 

 

*  *  * 

 

❷正確にいうと、65年間「ずっと咲き続けている」というわけではない。
(季節ガン無視でそんな菊があったら逆に怖い)

 

65年前、「仙巌園菊まつり」を始めた時から、ずーっと
子、その子、そのまた子…
と、一つの株から受け継いで、咲かせ続けている花がある、
ということです。

 

「今咲いているこの花、65年前から同DNAってことですよね!」

 

と、仙巌園の菊のプロフェッショナの方を前に、
つい大興奮してしまいました。
すごい。本当にすごい。

 

ちなみに、菊のプロフェッショナルさん、
菊まつり前数ヶ月は、
「もう、ビニールハウスの前で寝たい」
くらいに緊張されるらしく。

 

鹿児島の仙巌園といえば、錦江湾沿いの海端。

お殿様のお屋敷なので、一番景色のいいところに陣取っているのですよね。

けれど、それだけに台風直撃ルートにもなっている。

この間の台風でも、施設の屋根が剥がれていましたし。

そして、菊。

台風となれば、六千鉢くらいを避難だせるのだそう。

 

 

生きているものを「その日」に向かって準備し、
ピークを持ってくるということの大変さ、
伝統の重さ、責任の重さ、楽しさ、職人さんの矜持…
そんなものもじっくりと感じられる「仙巌園菊まつり」。

機会があったら見に行かれてください。

(そして、65年ものの菊はどれですか?と聞いてみてください。

きっと、職人さんが喜ばれることと!)

 

*  *  * 

 

 

❸慶応元年の壁に頬を押し当て、すりすりして

慶応元年の歪んだ窓ガラスに我が顔を映して、慶応元年の重い鉄の扉をキイキイできます!
(※すみません、キイキイはできません。叱られます)

 

と、上のようにfacebookに書いたところ、

知人から「公子さん、嬉しそうねえ」と書き込まれていたんでした。

はい、嬉しかったです。

 

この10月に全面改装し、リニューアルオープンした
「尚古集成館」。

慶応元年(1865年)に竣工した日本最古の「石造」の洋式機械工場の建物なのですが。

以前は、窓を塞ぎ、館内を黒で統一し、外光を遮断した中で、
ライトを駆使して展示の空間が演出されていましたが、
今回行ってみると…

 

戻ってました。
当時のまんまの白い壁。
当時のまんまの窓から柔らかく差し込む自然光。

 

「ああ。これって…慶応元年と同じ明るさなんだなあ」

 

としみじみ。
窓はところどころ歪んだ板ガラス。
当時は丸いガラスを板に伸ばしたんだそうで、
自然と歪みができたんだとか。
(この歪みが堪えられません)

 

 

鉄の扉も、全部そのままそこにあって、
天井を仰ぐと、なんだか昔ここで仕事をしていた人たちの
ざわめきや熱気が聞こえてきそうな。

 

ちなみに、
直径3メートル?くらいの鉄の巨大な歯車は、
「受付ブース」の外枠になっていました。

「これ、思う存分触っていいんですよね」
「どうぞどうぞ😃」

ということで、ベタベタ触ってきました。

 

 

 

「保全」と「活用」。

これが、仙巌園に課せられた使命なのだそうで。
この2つを両立させるため、
ほんっとうに「あの手この手」。
(という表現ですととても軽くなってしまいますが)
頑張ってらっしゃるんだなあと。

 

ちょっと掘ると「何か出てくる」ので
(歴史的なものがですね)
掘れない。
仕方ないから施設を作る際には「土を盛る」。

 

台風があると壊れる屋根。崩れる土壁。
それもサクサクっと修理できるわけではない。
(手続きが山ほどあるらしい)

 

 

「保全と活用」
の難しさと努力をたくさん聞いて帰ってきたのでした。

 

そして、小さなことなんですが。
この日、仙巌園の駐車場に止める段になって、
料金が値上がりしているのにちょっとびっくり。

けれど、帰る頃には、
「いいよいいよ〜、仕方ないよ〜😃
値上がり分、菊の苗買ってね♪」
という気分になって帰ってきました。

 

「知る」(共感する)ことの大切さも、味わって帰ってきたことでした。

 

(※ちなみに10月1日から入園料も改定されていますんで
行かれる方はチェックです)

 

*  *  *

 

以上、この秋の「ここがすごい。素敵な日本」シリーズでした。

光源氏がいろいろとひどい(笑)

 

 

 

 

ずいぶんと久しぶりの投稿になってしまいました。

暑い暑いと言っているうちに、はや中秋の名月です。

 

 

さて、今日の文章。

わたしの周りの幾人かも、

「思ったー!」

との声があったので、アップしてみます。

 

 

*   *   *

 

大河ドラマで式部がいよいよ「源氏物語」を書き始めたので、なんとはなしに読み始めてみた、
と言いたいところだけど、朗読を聴き始めのです。(桐壺から順番に)

 

与謝野晶子訳のを聞いているのだけど、
わたしにとって与謝野晶子も十分に「昔の人」の範疇ですし、
古典の文章の特徴か、一文が長くて冗長なところもあって、
聴いていて、

 

「あれ?今の誰のこと??」

 

ということも多々ありなのですけど、
とりあえず「夕顔」の終わりあたりまでやってきました。

 

 

で、
ここまで聴いて感じていることは、
「源氏、ひどーい😆‼️」

 

今の所、出てきている女性は

⚫︎「藤壺」(帝の妻で源氏の義母/道ならぬ恋に燃える源氏)
⚫︎「空蝉」(他人の奥さん/道ならぬ…(以下略))
⚫︎「軒端荻」(空蝉の代わりについ『そい伏して』しまったひと。つまり人違い)
⚫︎「夕顔」(乳母の家に見舞いに来て、隣の家で見つけたひと。源氏ぞっこん。けれど生き霊に憑かれて死んでしまう)

 

の四人なのだけど、
空蝉になんとか会おうと忍んで行って逃げられ、
代わりに別のひとに間違って声をかけてしまい、仕方なく、

 

「わたしはずっとあなたを思っていたのですよ」
(うわ〜、すごいなあ)

 

夕顔が死に、
悲しみのあまり病になる源氏。
ありし姿をしみじみ偲んでいる頃、
空蝉から手紙が来て思う。

 

「この人を思う熱情も決して冷めていたのではないのである」
(おいおい、君は何を言っているのだ??)

 

 

空蝉との逢瀬を作るため、
空蝉の弟、小君(こぎみ)をそばに置き、何かと手引きをさせるのだけど、
なかなかうまくいかない。
そうすると、

 

「お前は役に立たないな」
「いつまでお前を可愛いと思っていられるかわからないな」
(など言い放つ。子ども相手に!)

 

 

光源氏17歳。
輝く日御子。若さゆえの我儘か、
傲慢さか、癇癪か。
(若いってすごい)

 

ちなみに、「末摘花」(鼻の赤い姫ですね)の巻でも、
源氏は相当「ひどい」(笑)。
心の中で言いまくっている。
(醜いなあとか着物のセンスがダサいなあ…的なことを)

 

 

けれど、一度「めおとになった」末摘花を見捨てることなく、
「この人の夫となったのは、
この人の亡き父の必死の引き合わせだったのかも」

 

なんて思いつつ、せっせとお世話を続けるのだけど。

 

 

 

「源氏物語」。
若くて、美しくて、傲慢でわがままで、好奇心の塊。
繊細で感動屋。
心優しく、たおやかで、まめまめしく。
その言葉の尽くし方と言ったら本当に「学べるレベル」。

 

そして、
全てのもの、全ての女に必ず、

 

「美(それぞれの良いところ、美しいところ)」

 

を見つけ、そこを愛おしみ、慈しむ力を持つ光源氏。

今の所、そんな感じでしょうか。
わたしの中に立ち上がっている光源氏像。

 

 

これからも、呆れつつ、
「ひどい〜😆」と可笑しくなりつつ、
ため息をつきつつ、
この若者がどう成長していくのかを
ゆっくりのんびり見届けようと思っているところです。
(いずれ因果応報、いろいろと帰ってくるんだぞー!と思いながら)

 

 

そして、何より新鮮に感じるのは、
その、源氏の見て、感じている「世界」の細やかさ。

 

それはつまり、式部が見てとり、氣づいていた世界、ということで、
当時の平安人たちがすべからく
「見てとり、感じ取っていた世界」
ということなのです。

 

今のわたしたちにはもうもはや、
よくわからなくなっている感覚も多々あるんだろうなあ…
と思いつつ、
自分の身体中の感覚を押し開くように、

 

浸ってみる「源氏物語」の時間な感じもしています。

清里の街の再生に思うーつまりはわたしたち日本人全員の課題

 

 

 

 

 

今朝ほど清里の街の再生をする人たちの番組を見ていて、
なんだか悲しいやら切ないやらの気持ちになっていたところでした。

 

清里高原がブームになった時、
あそこに一斉に押し寄せていた若者たち
(パステルカラーの服を着て「聖子ちゃんカット」をしていた人たち)
とわたしは大体同じ年代なのだけど。

当時から幕末オタクの神社仏閣好きということもあって、
あの、キッチュな偽物(いかもの)チックな清里の雰囲気に、
なんとなく

 

「恥ずかしいな…」

 

という感慨を持ってみていたのだけど。

 

けれど、そんなわたしですらパステルカラーのものを、
何かしら身につけていたように思うので、
時代?流行り?空氣というものは本当に恐ろしい。

 

 

その番組には、清里の地元の人たちが描かれていたのだけど、
みるからに「本当に難儀だったろうなあ」と想像するに十分で。

 

ブームの時。
外からどっといろんな人たちが入ってきて、
「キッチュな」「イカものな」(言い過ぎ?)
お店をどんどん建てて、人が集まって。
その雰囲氣に乗って、地元の人たちも同じようにして。
「ああすれば儲かるのだ」「乗り遅れるな」と。

 

けれど、ブームが去った途端に、
外から来た人たちはさあっと潮が引いたように清里から去っていき。

 

後は、食い荒らされた土地に、
歯抜けのような空き店舗だらけの街。
その中にぽつねんと取り残された自分の店。

 

辛かったろう。
悲しかったろう。
歯痒かったろう。
絶望したろう。

 

と思うのだ。

 

 

父親からのレストランを引き継いだ一人の男性。
父親の工夫と努力で繁盛していた店を、
ブームに乗って改築し、席数を増やし、
効率優先で多くのお客を捌くために冷凍食品を使うようになり、
そしてブームが去った時、お客も去っていった。
お店は負債を抱え、閉店。

 

今、がんとして加工品を使わず、
パスタ麺を自分で打ち、カフェを続けるその人。
(喉から手が出るほど加工品を使いたいけど、でも使わない、と言っていた)

 

きっと彼は深い後悔の中で、この30年間
「自分とは何か?」「自分はどう生きたかったのか?」
を探し続けてきたのではないかと思え。

 

「清里だからお客が来るんだと思っていた。
でも、そうじゃなくて、いいお店があって、
それがたまたま清里にあった、じゃなきゃいけないんだ」

 

いうのはその人の言葉。

 

 

 

清里(のような、もしかしてあちこちにあるかもしれない街)が再生するとき。

 

今度こそ、その土地に根ざす人たち、一人一人の意思と、知恵と、
まことなる自立の心、
「こうしたい!」
「これが自分たちなんだ!」
「これを大切にするんだ!」
という心からの思いで街が息を吹き返すとき。

 

日本も真の意味で再生していくのではないか?と思える。

 

 

それは結局、
わたしたち一人ひとりの心の中、在り方と無縁ではなく。
(全てはフラクタル)

 

清里の人々だけでなく、
この大きな変化の時、
わたしたち日本人一人一人に、刃のように突きつけられ、
問われている、
大きな「喫緊の課題」なのだろうとも思える。

 

 

 

 

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