私たちに自信のなさや自己肯定感の低さがあるとしたらそれは「民族の傷」という側面もあるかもしれない

 

 

 

 

 

この夏は、いつもよりたくさんの戦争関連の番組を意識して観たように思う。

 

 

その中に、

 

「戦争から戻った父親からの虐待を受けて育った子どもたち」

 

という内容の番組があったのだけど。

 

 

 

 

ほとんど全ての日本人が、何らかの形で、

大きな傷と挫折を心身ともに負った時代が、あの時代だったと思う。

 

 

ずっと信じてきた価値観が、脆くも根底から崩れ去った人。

目の前で、大切な人が死ぬのをただ見ていなければならなかった人。

戦場で、言葉には一生できないであろうものを見、

言葉にはできないであろう行動をしなければならなかった多くの人。

 

 

その「傷」は、

きっと一人ではとても耐えられるものではなく。

 

 

 

「戦争から帰ってきた父親は、狂ったように自分たちに暴力を振るった」

 

 

 

その記憶を、今、

70代、80代を迎えた人たちが

やっと、ポツポツと語り始めている、と。

 

 

そして、さらにその「傷」は連鎖している、というのだ。

(それはそうだろうなあ、と思う)

子から、その子、また次の子へと。世代を超えて。

 

 

 

 

学生の頃、

「自分」というものにふっと興味が湧き、

それで「日本人」ついて、調べたことがあった。

(「菊と刀」なんかも読んだ気がする)

 

そして、

島国であることから形成された民族の特性、などを読んで、

妙に落ち着いたというか。

自分の性格的な「難」(だと当時、捉えていた部分)

に「理由」「ルーツ」「起源」が見つかったような。

腑に落ちた気がしたことを覚えているのだけど。

 

 

 

 

 

さて。

「虐待は連鎖する」。

 

 

 

戦後80年。

子ども達は、もはや「その出発点が何であったか」もわからないまま、

ただ順送りにされてきた、重い鬱屈したエネルギーだけを、

理不尽に受け取り続けている(かもしれない)。

 

 

(ちなみに「虐待は連鎖する」と書いたが、

私がここで問題視しているのは、「目にみえる暴力や暴言」だけではない。

 

「自分を信じられない」

「何か、自己が不安定である」

「自分たちのルーツを大切にできない。誇りを持てない」

「自分たちの文化・心根の土台を軽んじ、継承できない」

 

これら全てが「虐待」と同じであり、

長い目でみた「自殺行為だ」と捉えている)

 

 

 

 

 

今日は、だいぶ重たいことを書いた。

 

 

日本人は他民族に比べて「自己肯定感の低さ」というものがある、

と何かで見たことがあるのだけど、

 

 

 

それが、この

「民族の集合無意識に、刻み込まれた悲しみと挫折と傷」

からも、きているのだとしたら。

 

 

 

さあ。

どうする?

 

 

 

 

大人たちよ、どうする?

 

今この瞬間、人ごとではない。

「あなた自身の」中にある、親から、そのまた親から、

そのまた親から無意識に受け継いだ、深く深く積もった

「恐怖」が。

「挫折」が。

 

「自分を出してはいけないのだ」

「私たちは間違っているのだ」というような…

そんな「悲しみ」と「恥辱」が。

 

 

 

もしも、そんなものが私たちの中にあるとしたら。

そして、今この瞬間、子ども達に「それら」の欠片が伝わっているとしたら。

 

 

 

 

 

 

再度、問いたい。

で、

あなたはこれからどうする?

どう生きる?

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

《お知らせ》

 

私たちは、確かに親から、その親から、そのまた親から

「負の遺産」

も、受け継いだかもしれません。

 

けれど、

それ以上に美しいもの、素晴らしいものもたくさん受け取っています。

 

これから、私たちが「自分らしく」

「誇らしく」

「自信を持って」

「自分の自然な在り方(特質・よさ)を存分に発揮して」

軽やかに生きることと、

 

「受け取った素晴らしいもの」=「日本人的感性」

 

とアクセスすること、は

無関係ではないと思っています。

 

 

このワークショップも、

根っこにそういう「構造」を秘めている、と言えます。

 

(中身は、全くもって難しいものではないので

安心していらしてくださいね!)

 

 

*  *  *  *  *

 

 

🔷9月ワークショップのご案内🔷

 

【コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回

「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」】

 

 

 

🔸今回はちょっと面白くて。

9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに

「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。

アセスメントや数値化ではなく、

「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、

参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

 

自然と人と、自分のつながりを感じる時間

私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。

風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、

実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。

今回は、そんな「自然のイメージ」から、

自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

【開催概要】

 

⚫︎日時:9月21日(日)14:00〜16:30

⚫︎会場:カクイックス交流センター 絵画製作室(5階)

⚫︎参加費:3500円

⚫︎募集:12名(先着順・残席5)

 

 

*  *  *  *  *

 

 

⚪︎イメージする力

⚪︎ 言語化の力

⚪︎観察する力

⚪︎感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)

⚪︎チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)

⚪︎自分を深く見つめる力

⚪︎対話の力

 

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。

「感性で自分を探ってみたい」

「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」

「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたい」

 

 

そんなことを、面白そう、と思ってくださる方と、

ご一緒できれば嬉しく思います。

(詳細はこちらへ)

https://fb.me/e/5i0ACrXld

 

 

「今が一番若いのだから」という言葉に埋め込まれている前提は?

 

 

この記事は、Facebookでシェアしたエッセイの再掲です。

秋の風が吹きはじめたこの時期。

よろしければ、静かな時間にご一読くださればと🍂

最後には、現在お知らせしているワークショップに関するご案内も添えています。

この文章と響き合うような内容になっていますので、

関心をお持ちの方はどうぞご覧ください。

 

 

*     *     *

 

 

朝夕涼しくなって、頭と心にも空間がやっと生まれてふっと「涼やかな風が吹く」と言いますか…。
自分の中に眠っていた「思いの種」もぽつぽつと拾い上げたくなるような、そんな季節になりました。

 

 

さて。
どこかの動画で「今が一番若いわけですから」という「よく聞く言い回し」を耳にしたのですが。
(なのでここから広がる可能性に目を向けましょう、みたいな)

 

「今が一番若いのだから」
「今日が一番若いのだから」

 

 

というこの言い回しに、
以前からなんでしょうね…ほんの少し、
胸の辺りが微かに詰まるような、微妙な感覚を感じていたのですが。

 

 

で、この微かな違和感は何かなあ、
と考えてみたのです。

 

つまり、この言葉には、
「若さ=正・よいこと」
「年をとる=負・マイナスなこと」

 

という王道の「前提」が入っていはしないかしら?
と思ったのですよね。

 

 

とても前向きなセリフに感じますが、
その奥の奥、土台には、
「年をとる」ということへの不安、怖さ、
そういったものが
やっぱりしっかりと横たわっているのでは、と。

 

なので、決して「そこから自由に」なっている言葉、ではないなあと。

 

 

 

9月になり。
車の上に、桜の葉が一斉に落ちてくる時期を迎えているんですが、
その葉っぱが美しくてですね。

 

あざやかな黄色で、そこにオレンジが混ざっていたり、
少し虫に食われてこっくりとした茶色の縁取りが入っていたりと。

 

 

とにかくどれも綺麗で、
フロントガラスから払い落とす時に、
つい、手に取ってまじまじと見入ってしまうのです。

 

 

 

花のときは花のとき。
青葉のときには青葉のとき。

 

 

全く「質の違う」美しさであって、
わたしにはとても「どれが優れていてどれは劣っている」
というふうには見えないし、
そんなふうに感じることも出来ない。

 

 

 

 

年をとるって、

つまりこういうことではないのかなあ、と。

 

 

「変化」は自然の摂理。
生まれた時から、変化は私たちの身体に
(まあ、この世界のもの全てに、ですが)
組み込まれているもの。

 

赤ちゃんは背が伸び、歩き出し、やがてたどたどしく言葉を話しだす。
…これも全て「変化」です。
(変化は祝福、とも言えるのではないでしょうか)

 

もしも、変化することがなかったら
どんなにか恐ろしくて、
寂しいことだろう、と思います。

 

 

 

なので、今。
毎朝、落ち葉の一枚一枚がそれぞれ美しくて仕方がないように、
自分の変化も、周囲の人たちの変化も、
実はそういうものなんじゃないかと。

 

 

うまく言葉にならないんですが、
そういうふうに感じているところです。
少なくとも、

 

 

「今が一番若いんだから!」

 

 

という言葉よりは、
ずっと「力が抜けて」「深く息がしやすい」感覚を今のところ
感じているところなのです。

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

上の文章を書いてみて、
暑さを過ぎてふっと方の力が抜けた感じのあるこの季節。

 

「自分の中のふとした感覚」
を拾い上げて、丁寧に見てみる、
味わってみるのに、適した季節だなあと。

 

そんなふうに思ったことでした。

 

こういう「自分の土台」と関わる時間は、
派手ではありませんが、
静かに、でも確実に「違いを生み出す」
大切なところだと思っています。

 

 
下記は、そういう時間の「ご案内」です。
ご興味ある方はぜひ。

 

 

 

 

🍁【コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ ・第4回
「四元素でめぐる 自分発見の旅ワークショップ」】

 

 

🔸 今回はちょっと面白くて。
9月のワークショップは、“直感”や“感覚”を手がかりに
「自分を探る」ちょっと不思議で新しい体験です。
アセスメントや数値化ではなく、
「水・風・土・火」という“自然のイメージ”を使って、
参加者同士の対話を通して、自分の姿を浮かび上がらせます。

 

🔸 自然と人と、自分のつながりを感じる時間
私たち日本人は、四季や自然への感受性がとても豊かです。
風、火、水、土……そうしたものへの原体験は、
実は身体や記憶にちゃんと刻まれています。
今回は、そんな「自然のイメージ」から、
自分自身や他の参加者を“感覚的に”見つめていく時間となっています。

 

*  *  *  *  *

 

🗓 開催概要
⚫︎日時:9月21日(日)14:00〜16:30
⚫︎会場:カクイックス交流センター 絵画製作室(5階)
⚫︎参加費:3500円
⚫︎募集:12名(先着順・残席5)

 

*  *  *  *  *

 

🌱 イメージする力
🌱 言語化の力
🌱 観察する力
🌱 感じたことを信じて伝える力(エビデンスではなく感性)
🌱 チャンクアップする力(感覚の統合とラベリング)
🌱自分を深く見つめる力
🌱 対話の力

 

…こうした力を楽しみながら自然に発揮できる時間にもなるかと。
「感性で自分を探ってみたい」
「みんなの感性で『自分』はどんなふうに見えているだろう?」
「忙中閑あり。ちょっと自分の時間を楽しみたい」

 

 

そんなことに、
面白そう、と思ってくださる方と、
ご一緒できれば嬉しく思います。
https://fb.me/e/5i0ACrXld
(詳細はこちらへ)

 

「毒親」とは何か?ーそれはみんながなりうるものだし、なっている瞬間があるもの

 

 

 

 

今朝、何かの記事を見て、俗にいう「毒親」の定義はなんだろう?とふと思ったのだけど。
わたしの思う「毒親」とは、

 

 

「自分の不安や心配や願望、コンプレックスなどの『心的状態』を
 子どもの問題にすり替える親。
 そして、そのことに気づかない(気づこうとしない、見ようとしない)親」

 

 

でしょうか。
(なので、「親」だけでなくいわゆる「毒教師」「毒上司」「毒配偶者」などというものも

存在するだろうな、と思うわけです)

 

 

 

 

ちなみに、
「とても満ち足りた、100%幸福な親」に育てられた人は
そんなにいないと思うので、

 

(敗戦、そしてその後の混乱で、
わたしたちの数代前の先祖の多くは皆、ずっと守り培ってきた価値観の「崩壊」それに
「挫折」が深く刻まれることとなったろうから)

 

 

 

そこからつながるわたしたちは大なり小なり、

 

「漠とした不安・これがないと幸せじゃない!という思い(願い)
よくわからない自己否定・コンプレックス」

 

などを持ち合わせているのじゃないか、と思います。

 

 

 

なので誰でもそういう「状態」(毒親・毒大人状態)になりうるし、
なっているときも実は大いにある、
というのが「案外普通のこと」なんじゃないか、と思うわけです。

 

 

だから、これがあることが悪いのではない。
(逆に、「全くない」と豪語する人の方が怪しいと思ったりする)

 

 

 

 

大切なのは、

 

「自分でそれを認めることができるかどうか。
 受け入れることができるかどうか。
 これは自分のものだ、自分で癒すぞ、と決めて、
 そことしっかり向き合うことができるかどうか」

 

なのだと思います。

 

 

 

 

何はともあれ、
自分の幸せは自分の中にしかなく。
何かの条件によるものでもなく、
ましてや人に託すものでもない、

 

ということはしみじみと思うのです。

 

 

 

そして、全ての大人が、
「楽しく、ワクワクと、静かに満ちて、しみじみと…」
(いろんな言葉がつくけれど😀)
とにかくそういう感じに「自分の」人生を生きていることが。

 

 

自分の「中心軸」で生きていることが、
(親は親の「自分が生まれてきた目的」をちゃんと生きていることが)
子どもの幸せにとって、必要不可欠なことなんだ、

 

と、そう感じます。

 

 

 

 

 

今日はなぜこんなことを書いているかというと、
確たる理由は全く思い浮かばないのだけど。

 

 

 

 

 

今が、分岐点、な氣がするから、でしょうか。
わたしたちは今、分岐点に立っている。
(という言葉が勝手に浮かんできている)

 

 

 

 

 

NLPに、
「親のタイムライン(生きた軌跡)までを遡り、癒し、統合するワーク」
というものがあるんですが。

 

 

 

親のたどってきた人生、思いを癒し、
先祖のたどってきた人生や思いをも癒し、

 

それら全てを美しく力強い「糧(かて)」に変え、
自分のこれからの未来のタイムラインを生きるための
プラスのエネルギーとする。

 

そういうワーク。

 

 

 

 

それは「全て」は、
誇らしく輝かしい「リソース」へと姿を変え、
わたしたちの人生を通して、
次の世代へと手渡されていくことになるのだろう、と思います。

 

 

 

 

そして、それが今、(わたしたちが)できるかどうか?が
案外これからの日本を大きく左右するのではないだろうか、
(その、最後のポイントに今、わたし達は立っている)

 

 

 

と、そんな氣がしています。
こういうのは理屈ではないので、うまく言えませんが。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに自分はどうなの?という話なんですが。

昔、20代後半だったか30代前半だったか忘れましたが、

 

 

 

「『負の文化的遺伝子』を次には手渡さない」

 

 

 

と、なぜか思ったことだけははっきりと思い出します。

(ちなみに、うちの親が「毒親」だったと言うわけではなく。

日々悩みつつ、生活しつつ、子どもを愛し、

時にはそれが十分にできない自分にまた悩むというごくごく普通の親でした)

 

 

 

 

で、
わたし自身、それが今うまくできているかと問われると、
毎瞬毎瞬「プルプル」しています(笑)
(繊細に揺れて、ズレては戻りズレては戻り…ということです)

 

 

なんですけれど、
周りに色々な「ズレを元に戻してくれる」たくさんの人や
ものがちゃんと存在してですね
それが本当にありがたいと思っています。

 

一人ではなかなか難しい。

 

 

なので、世の皆さんたちも、無理はしないでくださいね、
というのは大いに言いたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

だからある意味「物語」は恐ろしいー「アリこそ正義」に侵食されていた自分にはっと気づいた今朝

 

 

 

 

 

 

アリとキリギリス。

あの、例のアリとキリギリス。

 

 

今朝方、クライアントさんが、
「あれって、本当はああいう話じゃない、という話を聞いたことがあるような…」
と。
そこからしばし、
「アリとキリギリス」の話で盛り上がったんですが。

 

 

「キリギリスは持って生まれた歌の力で冬ごもりのアリたちを、
楽しくしたらいいですよね。
アリはアリの矜持を持って(◀︎この視点がこの方らしい😊✨)
『それくらいの食べ物、どんと来い!俺たちの力を見ろ!』
と、キリギリスを食べさせてあげればいいですよね」

 

とクライアントさん。

 

 

「ですよねえ!
そういえば…なんだかこの話って
『みんなアリであれ』『アリとして生きろ』
『アリが立派』って言われているようにも。
でも、それって考えてみれば無理ですよね。
アリとキリギリスはそもそも違いますし」

 

とわたし。

 

「頑張る」こそ正義。「コツコツ」こそ正義。努力こそ正義。

そんな感じでしょうか。

この話からわたしがずっと、受け取っていた

(そして無意識のうちに肌身に染み込んでいたところの)メッセージは。

 

 

 

それから
生きるためには、歌も必要です。
踊りも必要です。芸術が必要です!
(魂のご飯です!)

 

と…
話がなんだかあちこちに広がって行ったのでした。

 

 

 

 

さて、今日、声を大にして言いたいのはそういうところではなく。

 

 

「物語」というものは人の無意識に深く深く入り込み、
個々人の価値観を作り、世の中の価値観を作り、そして「時代の風向き」(方向性)
を作る、ということを言いたかったのです。

 

「物語」は人を勇氣づけ、能力を発揮させ、鼓舞し、解放もする。
「物語」は、とても容易に「ある価値観」「ある状態」に持っていくこともできる。
それが「物語の力」。

 

 

「物語」は、だからこそある意味「恐ろしい」。
人の「意識のガード」をやすやすと超えて、
無意識に音もなく入り込み、
わたしたちは、それに「染まって」いることさえ氣づかない。

 

 

 

わたしたちの周囲に溢れる「物語」には
(毎日流れてくるニュース含め)
どんな意図がその奥にあるのか、
一体、それは
「わたしたちに『何を正義とし』『どこへ導こうと』しているのか?」
そんなことをちょっと考えてみるのも面白いかもしれません。

 

 

 

さて。
で、今もし、まだわたしが教員をしていたら、なのですが。

(話は飛びますが)

 

 

この「アリとキリギリス」の話を元に、
ここから、たくさんの価値観を体現した、新しい「アリとキリギリス」の脚本を
子どもたちに作ってもらうだろうなあ〜

 

と思います。

 

これからの時代を生きる彼らに、
新しい「アリとキリギリス」の世界を。
たくさんの、いろんな生き方の「アリ」や「キリギリス」の話。

 

たくさんの価値観を、世界を発見してほしい、
創造して欲しい、と思うのです。

 

例えば…
「それぞれの強みを活かして、
一緒に『新しい村』を作るアリとキリギリス」とか??

 

 

で、
それをお芝居にして、子どもたちみんなで舞台を作って
あちこちで上演して回ることだろうなあ、
と思います。
声を出して、全身で、存分に思いっきり
「新しい物語」を自分たちの身体に刻み込んでほしい、と思います。

 

(在職時代にこういう自由な発想にならなかったのが
誠にまことに残念です。
子どもたちとたくさんお芝居は作っていたんですが)

 

 

 

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