「青春の鼓動」

「青春の鼓動」

なんて…

今日はちょっと気恥ずかしいタイトルです。

臆面もなく。

知人から、「10月半ばにあるとある美術展に出品しました」というお話を聞いたのです。

  (知人のブログはコチラ。ここに絵が!)

       ↓

 http://nomuw.blog67.fc2.com/

わたしは、この方の絵を見ると、懐かしいような不安なような…すいこまれるような

なんともいい感じに心かき乱される感じを受けます。

頭のてっぺんがぱっと開くような、うずうずする感じを受けます。

さて

今朝この方から「美術展に出品しました」のメールをいただいたときに

瞬間ふわ~っと(なぜか!)蘇ってきた感覚が。

それはもう幾年も前

高校生だったときのこと。

当時、わたしは絵を書くのが好きで…といっても、このkeiさん(ブログ)のような絵ではなく

(本格的な油絵などではなく)どっちかというとマンガとかイラストと呼べる類のものです^^

一回だけ、何かのイラストのコンクールに出したことがあるのです。

そのとき、
たったあれだけのことなのに
それこそ不眠不休^^で
自分の全存在をかけてかいた気がします。

夜中、たった一人の作業なのに、あんなに高揚したことはなかった。

一枚の作品を仕上げるのに、何枚も何枚も…黙々とかいたものです。

それから集団でお芝居を作り
チームで結婚式をつくり(仕事です)
今はセミナーを作り…

いろんなものを「創って」きましたが

もしかしたら
あのときのたった一人の高揚感にまさるものはないかもしれない、と、思います。

夜中、人気のないしんとした闇の中で

音もなく、ただ黙々とパステルを動かしながら…(わたしが選んだ画材は「パステル」^^)

わたしの体からは多分ゆらゆらとあわい炎が立ち上っていたかもしれません。

ふかいしじまの中

わたしの耳は、確実に何かの「音」を聞いていた気がします。

多分、あれが「青春の足音・鼓動」だったのだと
今はまじめに思います。

もうあの感覚を感じなくなってから、どのくらいたつだろう??

今も「モノを創っている」ことは変わらないのに、なぜあのときほど、まっさらな感じを感じないんだろう?

あのときは

ただ「無心」だったな…。

あんな時を過ごせた自分をなんだかいとおしく思います。

さて

みなさんの「青春の鼓動」体験、お聞きしたいです。

よろしければお聞かせくださいね。

「お箸の記憶」

 

中村公子のコーチングna日々♪
今日は「箸の日」だとご存知でした?

 

 

(と書いてみて、カレンダーを見て『八月四日かあ~。なるほど!』と今納得したところです)

 

 

 

 

 

知人の家に行ったら

「箸の日」のイベントで

家族4人でお箸をつくってきたと、見せてくれました。

 

 

 

左からお母さんの作。

握りの部分がシェイプされていてなかなかかっこいい。

 

続いてお父さんの作。

二本目までまだ行っていないところです。ていねいに、まるで機械で削ったみたいで一番きれい。

 

続いて長男くんの作。

先がとってもとがっていて、「武器?」と、ついつっこんでしましました(ゴメンね)

 

最後に、次男くんの作。

削っている途中で折れたらしく、だんだん短くなっていったらしいです(かわいいですよね)

 

 

 

4人の個性がしっかりと感じられるお箸を見ながら、つい「お箸ネタ」で盛り上がってしまいました。

 

 

 

 

 

わたしのとっておきの「お箸」は、父が山で、そこらにある木を使って作ってくれたお箸です。

 

 

 

実家には山があり、よく、山でお弁当を食べました。

遊びに行っていたんではないんです。仕事です。仕事。

(というか、父の趣味が「山仕事」だったんです)

 

 

小さい頃から父に連れられて、

「杉の枝打ち」「しいたけの菌打ち」…まあ、いろんなことをやりました。子どもですから

実はたいした役に立ってないんですけどね。

 

 

 

 

 

それに飽きると、父が仕事をしている横で、湧き水にくるぶしまで浸かって沢がにを追っかけたり、

石で流れをせき止めたりして遊んでいました。

ああ、懐かしい。

 

 

 

 

さて

ある日のお昼、お弁当を広げたときに、お箸が入っていなかったのでしょうか…

父が、手近にある木の枝をぱしっ…

となたで切って、わたしの手のサイズに長さを合わせて

 

 

 

上半分、握る部分は木の皮を残して、下半分は白いつるつるした面がでるようにすばやく皮をはいで

お箸を作ってくれたのです。

それはそれは早い手際で。

あっという間にさりげなくお箸を作る父の姿もかっこよかった。

 

 

 

 

そのお箸で食べるお昼は…それはもう、特別な感じがしました。

いつもの梅干も、おにぎりも、ぜんぜん違って感じるんです。

そのお箸を使っていることが、もう、嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

 

 

「おいていけ」といわれたのに捨てられず

大切に家に持って帰って、洗って、家での食事でも使ったものです。

(あまり長くは持たないんですけどね。生木なので)

 

そして、それからは

山に行くとお昼のたびに、その「木のお箸」を作ってくれとせがんだような気がします。

 

 

今でも、正直、無性にそのお箸でご飯を食べたくなることがあります。

あのお箸は、ほんとうによかった。かっこよかった。棒っきれなんですが…

でも、わたしにとっては最高に、特別なものでした。

 

 

多分、どの木でもいい訳ではないんですよね。

父は、瞬時に「この木」と定めて

「お箸として使える木」を、一番最適な太さの小枝をスタッ!と切り落としていました。

今思うと、あのときの父は本当にかっこよかった。

 

 

 

 

 

 

今でもあのお箸を思い浮かべると…

そうですね、一言で言うと「幸せな」気持ちになります。

 

 

「祭り待つ風情」





中村公子のコーチングna日々♪

七月は

毎晩、鹿児島の街のどこかでお祭りを

やっています。


「六月灯」

(鹿児島弁で「ろっがっどー」)






と呼ばれる神社ごとの祭りです。



ここは、うちの近くにある中では、とても気に入っている神社です。

「県社 鹿児島神社」






六月灯は風情が命!

(わたしの中の勝手な基準^^)






この小さな小さな神社。境内を横に歩いてもわずか十数歩のこじんまりとした

神社なのです。

そして、六月灯。

灯篭の数も出店の数もそう多くはないんですが


でも、とてもこじんまりとして、本来の「祭り」のココロが味わえそうな

感じがあります。

境内横には樹齢400年の木もそびえ立っている。

(400年だったかな?違ったらごめんなさい!明日もう一回見てこようかな)





六月灯というこの行事は、島津19代藩主久光公が、新昌院(現新照院町)に観音堂を

建てた際、旧6月18日に沿道に灯篭を掲げたのがはじまりなのだそう。





中村公子のコーチングna日々♪

今日、ひさしぶりにお参りしたら

灯篭を下げる竹がはりめぐらされて

夕刻の境内は、静かな中にも祭りを待つ風情。

「祭りのあとの寂しさ」の逆で

しんとしずまりかえっているんですけれど



なんだかつつましやかな高揚感を感じます。





この竹にたくさんの灯篭が下げられます。

絵は、近所の子供達が書いたものなどさまざま。


中村公子のコーチングna日々♪





浴衣に灯篭

出店のオレンジ色の明るい光







七月が来ると、31日、全部の六月灯に

いけるわけでもないのに

なんだか毎晩気持ちが浮き足立ってしまいます。






ところでこの鹿児島神社の六月灯は

いつなんだろう。



今日、神主さんと挨拶を交わしたのですが

聞いてくるのを忘れてしまいました。






明日、聞きに行かなくては。
































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