「これぞツワモノ薩摩武士(ホンモノの力)~閑話休題。『西郷どん』ロケ記」

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今日は、大河ドラマ「西郷どん」第五話。
わたしも参加した秋の仙巌園ロケの放送日です。

 

写真は、きっと一生に一度しか?見られないかもしれない不思議な光景。
キラキラ光る錦江湾に向かって、

ずらりとちょんまげ姿の男たちが「ロケ弁」を食べるの図。

 

 

 

さっき、エキストラの仲間が

Facebookのプロフィール写真を、このときの

「薩摩の二才(にせ)」の「髷に着物」の写真に変えていたのでビックリ!

 

 

「かっこいい‼️」
と早速コメントを入れました。

わたしは、とってもその勇氣はないけれど(笑)。
(自分の武家女姿をプロフィール写真にする勇氣は!)

でも、ロケのことを懐かしく思い出したことでした。

 

 

あの日は、男性陣、ほんとうにみんなものすごくカッコよかった。

顔は真っ黒で、袴も着物も見るからに初めて!
刀をささせれば珍しくて鞘から抜き差ししてしまい。
演出さんから「藩士役、腰のもの抜くの、禁止令」
が出ていましたっけ。

 

 

それでも…なんだかとってもみないい顔で、
日本の男、薩摩の男していました。
多分、普通に会うのより、きっとみんな3割り増しでカッコいいんじゃないの?
なんて思っていました。

 

 

朝はオリオン座を見上げながら集合し。
寒くて寒くて。
暑くて暑くて。
そしてむやみやたらに時間は長くて!
(武家女はムシロに座りすぎて「石抱きの刑かよ!」みたいな感じで!)

 

 

ほんとうに大変な3日間でしたが、
でも、薩摩のリアル二才たち、ものすごく頑張りました。
彼らの作る「本物の鹿児島弁」の熱氣の渦に、大きな声に、

役者さんたちが後押しされ、煽られ、盛り上がって行く瞬間を確かに見ました。

 

 

 

ああ。
本物って、強い。
毎日毎日、桜島を見上げて、灰をかぶって、
この土地の水を飲み、食べ物を食べ…

細胞一つ一つが「鹿児島の成分」でできているものたちが出すモノって、すごい。

そう思いました。

 

 

そして、
たった5人の、おごじょエキストラ(私たちのことですが)

も「武家女」としてはまりました(がんばりました)。
(わたしは思いっきり端っこにいたので、

多分ほとんど映っていないと思いますが…映っててほしい!)

 

 

脚本&演出。
どんな回になっているのかちょっとドキドキものですが…
薩摩のリアル二才80人
おごじょ5人
計85人、みんなでがんばって「幕末薩摩」の空氣を作った

第五話、どうぞみなさん、見てください。

 

 

そして、
とても楽しかったこの時間。
本当にたくさんの人の手がかかっておりました。
かごしまフィルムコミッションのみなさんのお仕事もすごいなあ…と思って拝見しましたし、

 

 

それに、個人的なところでは、
「楽しんでんできてください!」と

快くセッションをずらしてくださったクライアントさんはじめ…
本当に、いろいろな方のおかげで楽しむことができました。
心より感謝しています!

 

 

「土地にはそれぞれの波長がある~お盆の雑感」

 

 

 

 

お盆で地元に帰った2日間。

日中はほぼ深い霧。夜は雷雨でした。

(あれはあきらかにどこかに落ちてたな~。かみなり)

 

 

その「深い霧」が全く違和感なく、

ものすごくなじんでいる(しかもどこかリラックスすらしている)自分に、

あらためて「霧島」で育ったんだなあと実感でした。

(私の地元は鹿児島県霧島市の中でも標高の高い、霧島連山の麓の町です)

 

 

 

 

 

夏、深い霧が出た日。

真っ白な音のしない静けさの中を

歩いて学校に行った子どもの頃の思い出は

今思い出しても不思議な感覚で。

(当時読んだ本の影響で、

霧を抜けたらタイムスリップしてたらいいな、と結構本氣で思っていました)

 

 

 

 

 

細やかな粒子の霧。

下界より3度は低い氣温。

繊細な緑の色。

空氣もどこか粒子が細かいような。

 

 

 

 

 

そんな場所で生まれ育ったことを細胞はしっかり覚えているようで。

何をしたわけでもないんですが、元氣になって帰ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに帰路。

車でどんどん走って下界に近づくにつれ、

身体の感覚が変わってくるといいますか。

少し肩に力が入ってくる感じ?

 

 

そして、

錦江湾沿い、熱風とともに、櫻島を目の前にど~ん!

と見た瞬間

頭の中にぼんやり流れていた音楽がいつの間にかスパン、と変わっていました。

(たとえて言えばショパンのノクターンだったのが、

「アフリカンシンフォニー」(吹奏楽団)になった感じ。

あの、どんどこ地に響く太鼓で始まるやつ)

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、街中へ戻ってきて約2時間。

朝の細やかな「ノクターン」な感じは

もう戻ってきません。

アフリカンシンフォニーも好きなのでまあ、いいんですが。

 

 

 

 

見るもの

聞くもの

肌に触れる空氣

温度

そんなものが「心身の状態」に及ぼす影響は

本当に大きいものです。

 

 

 

それにしても

こうやってみると、

「国柄」なんてものも違うのが本当に納得&実感できます。

頭(理性)では、はかれないところの

越えられない「違い」がある。

その違いこそが面白くもあり、価値なわけですが。

 

 

 

 

こうなると、

みなさんのお住まいの場所の

「リズム」は何?(何に喩えたい?)

と聞いてみたくなりますね。

 

 

 

 

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「真にグローバルたらんとすれば真にローカルであることだ」

知人の娘さんがアメリカの大学に行くこととなり
少し前に旅立って行きました。

彼女はわたしのダンスの先生の娘さんで、
ご本人もダンスを専門に学ぶための渡米です。
わたしがダンスを始めたとき、彼女はまだ赤ちゃんだったんですが
月日は流れ流れて18年!(感無量)。
次の帰国は二年後の成人式、ときいて、
出発前、慌てて会いに行きました。

さまざまな国の人たちと一緒に
表現者としての技術を磨くことになる彼女に
何か、を持って行ってもらいたく…
瞬間閃いたものを、贈り物にすることにしました。

日本の伝統色の筆ペン20色セット。
これに手紙を添え。

「四十八茶百鼠」に代表される日本人の色彩感覚について。
それから
虫の音を「声」と聴く日本語脳について。
微細な音の違いを聞き分けられるという…。
そんなことを書いてみました。
短くまとめたつもりがA4用紙3枚になってしまい。
長々と書いて、やっと最後にこうまとめました。

『私自身は日本人の持つこういう特徴が大好きです。
世の中の様々なものを見分け、見て取り、
ていねいに名前を付けて味わうことができる
この特質が。

これからたくさんの国の人に会い、
山ほどのことを学び、その頭に、
身体にしっかりと刻み込んで行かれることと思います。
そして、極めていく道の先の先、奥の奥に…
いつか「あなた自身」としての核が必要となる、
というか、「立ち返る」時が来るのだろうな、という風にも思っています。

この日本という国で
この鹿児島の地で、
太陽の光をいっぱいに浴びて大きくなったあなたの中に
厳然としてある(備わっている)「もの」。
それらはきっと、いつかいろんな場面であなたを助け
導いてくれるものになるのだろうと、そんな気がしてなりません。

いってらっしゃい!

いろんな体験をして、吸収して、
でも、どこへ行っても何があっても、
自分が自分であることに
自分の身の中を流れるものに、
土台のところで自信を持っていてくださいね!』

「芸術はその民族の特殊性を通過して共通の人間性に到達しなければならない」
「真にグローバルたらんとすれば真にローカルであることだ」

ゴジラを作曲した伊福部昭の言葉です。
折に触れ、よく思い出すのです。
私たちが何かを成し遂げようとするときに
何者かであろうとするときに

「日本人であること」

を抜きにしては語れない。
すべてはこの身にしっかと流れる
この土地で育まれた「細胞の響き」を通してなされるものだからです。

よりよく生きるために自分を知る。
そこには「日本を知る」ということが不可欠です。

自分を愛し、大切にするということは
自分の根っこを愛し、大切にするということとつながっている。
そう思います。
自分は
どんな特質をもち、
どんな伝統文化を持ち、
先祖を持ち
何を受け継ぎ、今を生きる民族なのか。

それをよく知り
認め、愛し
誇りを持つことが
わたしたちを真の意味でさらに自由に力強く、
ユニークに、そして美しく
創造の世界に解き放つ氣がしてなりません。

 

「君らしくいられるスピードで歩いてけばいいよ♪」

 

 

 

 

 

 

わたしには姪っ子がたくさんいますが(たまにここにも登場しますが)
甥っ子もいます。2名ほど。
今日はそのうちの一人のお話です。
何って話ではないんですが…まあ、「叔母バカ」の回、というかんじでしょうか。
気楽にお付き合いください。

甥っ子。
小さいころは小柄で、そりゃあもう、頭をくりくりっと短くしてほっぺを赤くして
元気な男の子!
というかんじでしたっけ。
ここによく訪れてくださる方はご存知かもしれませんが、姉は専業農家。
美しい海と山。黒々と肥えた一面の畑。
大家族に囲まれ
近所の親戚のおじちゃん、おばちゃん
地域の人たちに囲まれ、もまれもまれて大きくなった子です。
修学旅行の時に、ほかの子どもたちが大浴場でみんなでお風呂、を恥ずかしがって
脱衣所でうろうろする中

「お前の風呂の入り方は大人だ!お見事!!」

と引率の先生に言わしめるほど
手慣れた様子で、手ぬぐい片手に一人ゆうゆうと浴槽に浸かっていた、というのは
今でも姉が楽しそうにする話のひとつです。
その甥っ子。
何かと忙しさにかまけ、あまり会う機会も少ないまま
彼は大学生になって県外へ出てゆき
そのまま東京で就職しました。

ほどなく
東京で久しぶりに会った時には
まあ、ひそかにびっくりしましたっけ。
用を終えて日もとっぷり暮れ、少し遅れて急いで指定の店に行ってみると
そこはおしゃれなカフェバー(笑)。
その、おしゃれなカフェバーのおしゃれな革張りのソファーで
これまた「おサレな」ラベルのビールを、足組んで一人飲んでいる姿を見たときは
なんというか…
笑えるような、面はゆいような嬉しいような…とても不思議な気分になったものです。
あれ?
頭くりくり
ほっぺ赤かったよね?
…どこ行ったお前!!
ってかんじ、でしょうか。

ああ、大きくなったんだなあ。
ちゃんと独り立ちして、立派に仕事、してるんだなあ。
こういうところでお酒、飲んだりするんだなあ~。
ちゃんと自分の人生、生きてるんだなあ、と。
大人になってからも会っていたはずなんですが、とにかく
一番甥っ子の「成長」を実感したのはこのとき。
赤いほっぺの小さな少年は
遠くから都会に出てきた「叔母ちゃん」を気遣いながらしっかりエスコートできる
あったかいステキな大人になっていました。

さて、その彼が
身内の法事のための一年ぶりに帰郷していたのですが
つい先ほど東京へと帰っていきました。

6年ぶりの大雪。
念のため、とリムジンバス乗り場に近い我が家で一泊した甥っ子をバス停まで送り
しばし二人でバスを待ちました。
久しぶりに雲の切れ間から見えた青空はなんだか頼りなく。
寒風の中
話の間にぼそっと聞こえた彼の声。

「ああ、帰りたくないなあ…家に一人着いた時のあの感じが、さ」

この2日間の間で聞いた
甥っ子の唯一の、あえて言うなら小さな小さな「弱音」?
…だよねえ。
あんなにぎやかな家族に囲まれて育って。
家族のあったかさに久しぶりに浸ったこんな日には、ますますそう感じることだろう。

今、甥っ子は
一人静かに羽をつくろう若鳥。
大きなあったかい家族という巣から離れ、学生時代の仲間から離れ
はじめて真の一人、に対峙する時間。
今、必死でそこに向き合っている様子が
言葉の端々からちら、と垣間見え。
…寂しいけど、がんばりな。
この時間こそがきっと君の中の「軸」を育てるのだから。
自分が何が好きで
何が幸せで
何を大切にしたいのか
自分とは、何なのか。
しっかり見極めるんだよ。
本当に大切なものができたとき、
それを守れる大きな翼になるのだから。

バスの窓から手を振る姿が小さくなるまで見送って
ふっと空を見上げた時に浮かんできた歌を
そのまま口ずさみながら帰って…
そして、ちょっと恥ずかしかったんですが、えいやっと、甥っ子に送りました。
その歌を。
めったにしないことなんですが。
でも、伝えないより伝えた方がと思い。
何を?

何にもできないけれど
でも、応援してる。
心から応援してる。
君はちゃんと頑張っている。
いいかんじの大人になってるよ!
いつも見てるから!

そんなような
面と向かっては恥ずかしくって絶対言えないキモチを込めて、ですね。
大雪も降ったことだし、たまにはいいか!
と思いまして。

 

 

 

 

 

「繋がりがあれば前に進める」

 

 

 

 
わたしの知人に、林道雄さんとおっしゃる方がいます。
林さんは古い写真を扱うお仕事をなさっています。
ご自身で現存している当時のネガ(ガラス板)から写真を現像なさったりもします。
幕末、明治期の写真や写真機、なんてものをfacebookにしょっちゅうアップなさっています。
わたしからすると、もう、垂涎の的。うらやましい世界です。

その古い写真を使ってなにをなさっているのか、正確にはよくわからないのですが
(多岐にわたってお仕事をされているのでわたしが把握できていない、説明できない、ということです)
大きく見ると、わたしには

「今という時を中心に、過去と未来を結びつけている人」

に見えます。

以前
「歴史を勉強する意味が分からない。昔のことを学んで何の意味があるの?」

と歴ヲタのわたしの前で言い放った^^輩(やから)がおりましたが。
ちなみにその「やから」は今ではふるさと薩摩の歴史と伝統を何より大切に思う
熱きおごじょ(女性)となって薩摩のために邁進しています。

彼女はわたしに感化されて変わったわけではありません。
自然に、ひとりでに「出会っていった」。
今を、そしてこれから先ををよくしよう、と思ったら、その土台を…源流を知らずしては出来ない。
目の前に今ある現象、ひとつひとつは「なぜそうなっているのか」。
何を残し、何を変えればよいのか。

それには
その「意味」を、ルーツを知らねばならない。
彼女は多くの人を介して、そのことに体で出会っていた。
そんな印象を持っています。

さて
写真は林さんからお借りしたものです。

「ずっと気になっていた明治初期の一族写真。
動乱を生き抜いた人たちの顔って何か違って見える。
この一枚から映画ができそう。
割れてしまっていることは残念だけど、そんな事どうでもよく思えるすごく好きな一枚」
                                     by林さん

じっと写真を見ていると
なんだか知らず知らずのうちに熱い何かがこみあげてくるような心持になります。
すぐいろんなものに波長を合わせて感じ入ってしまうのもよし悪しなのですが。

この写真に写る、一人一人の身の内に。
まなざしの中に、それぞれの思いがあり、人生がある。
江戸から明治へ。
生き方の形も立場も価値観も…いろんなものがいっきにひっくり返った時代。
ずっと大切にしてきた有形無形のものが例えばすべて
一夜にして否定されたような、そんな時代に、その中を生き抜いた家族。
そんな中でもやはり
毎日の暮らしがあり、喜びがあり悲しみがあり。
それぞれの大切にしているもの、夢や希望、そして不安や覚悟…
そんなものまでが垣間見えるような。
(着物もかなり厚手の装いなので、廃藩後、開拓で僻地に移住した侍かな?と林さんの言)

わたしにとって歴史とは、教科書の中にあるもの、ではなく。
月並みですが、辛いとき、苦しいとき、道が見えないとき
自分が「頑張れる」。
「もう半歩だけ先に」行こう、と思う
その原動力のようなもの、にもなっています。
過去に触れるということは
この写真のような表情で一瞬一瞬を生きたたくさんの、
それこそたくさんの人たちの積み重ねの上に今の自分がいるということを
俯瞰できる瞬間、なのです。
自分の体は、自分の精神は、そして今の生活は自分一人で成ったものではない、
ということを感謝と共に強く感じる瞬間です。

最後、いいことを書いてまとめようと思ったのですが
思いつかないので今日はこれにて!
わたしは歴史が好きです、というお話でした。

「私の衣装は、調査兵団です!」

知人。

44歳、男性。

妻子あり。

職業、公務員。

がっしりとした骨太の体躯。

初めて会ったときは、その低めの穏やかな声で語るあれこれの

その世界の広さに聞き入ったものでした。

アカデミックな世界からスポーツまで「極めてる」その世界が幅広く。

ああ、こういう人のことを「文武両道」っていうんだなあ

なんだか、人生堅実に生きてらっしゃるなあ…

なんてことをぼんやりと思いつつ。

さて

その人の

「みょ~な(笑)」

写真をフェイスブック上で見たのは数日前。

これって…なんだっけ??

どこかで、どこかで見たような。

この「服」。

それは

その方の「ライブ」の写真。

(まあ、その人がピアノまで弾けたっていうところも衝撃だったのですが。

どんだけ守備範囲、広いんですか!と)

ギターやらなにやらを持った方々と、ノリノリで

キーボードをたたくその姿に驚きつつ

もっと驚いたのはその「服装」。

「私の衣装は、調査兵団です!」

ライブのネット中継のお知らせとともに、そう

喜々としてメールに書いてありました。

「しかも、オーダーメイドです!」

だそうで(笑)。

何のことかわからない方のために説明しますと

つまり、どう見ても

「進撃の巨人」

http://www.shingeki.tv/

の登場人物が着ている衣装なのです。

このアニメ、登場する若者たちは、兵隊の訓練学校卒業後、

「憲兵団」

「駐屯兵団」

「調査兵団」

の3つのどれかに所属することになる、という設定なんですが

そこで主人公の「エレン」が選ぶのが3つの兵団の中で最も危険で

もっともハードな「調査兵団」という設定。

ちなみに、この3つの兵団の服の形はたいそう似通っており

違いは背中に入った紋章程度、という違いで、どれを着ても変わらなさそうな気もするんですが

「私の衣装は、調査兵団です!」

と意気揚々とおっしゃっているあたり

是が非でも「調査兵団」の衣装じゃないといけなかったんでしょう。

しかも特注…。

がっしりとした上背のある方なので、市販のコスプレ衣装ではサイズがなかった、ということですね。

特注…

特注…

あなた、どこにいくんですか…

あなた、どこまで「極める」のがお好きなんですか…

いろんなセリフが頭の中を渦巻きつつ

面白いのも手伝っていといろメールでそそのかしてみました。

「次は衣装着て、全身写真送ってくださいよ。もちろん、屋根から屋根へ飛び移ってるところ!」

(この服で、蒼天をバックに建物から建物へと空間を自由自在に飛び回るところが

このアニメのカッコいいところの一つなのです)

すると

至って大真面目な返事が。

「壁に鋲が刺さらないのでムリです。

(そんなの、当たり前でしょ~)←私、こころの声

それに、立体起動装置は高くて買えませんでした(T_T)」

男44歳。

痛恨の、実に残念そうなメール。

立体起動装置というのは、このアニメの世界観を多分すごく際立たせている独特の設定で

主人公たちが戦いのために装着している『空中移動』のための装置のなのです。

そっか~、買えなかったんだ。残念。

…ってことは、売ってるってことですね!あんなものまで。

恐るべし、コスプレの世界、です。

さて

このあとも、この方から詳細な

「衣装情報」がメールにて。

…衣装にはほかに、あれと、これと、これがついているんですよ。

…主人公のつけているペンダントはUFOキャッチャーでGETしました♪

何?

なんですか、これは。

この、幸せそうな…何とも無垢なメール。

こんなの、こんな感覚、最近見たことない。味わったことない。

他の誰も、こんな波動出してなかった。

たくさん若い子とも会うけれど

誰も。

こんなに自分にOKを出している。

自分の世界に

自分の感覚に

自分の楽しみにまっすぐにOKを出している。

なにコレ・・・悔しい。

職責を

家庭の責任を

そして

その他のいくつもの「立場」を双肩にがしっ、と背負いつつ

『調査兵団』のマントをその身にまとい、走り続ける男、不惑の44歳。

なんて…

なんて…

輝いているんだろう。

何、というわけではないんですが

この彼とのやりとりが終わった時に

エネルギーが満ちたような。

とても身軽になっている自分を感じたのでした。

まとめ。

「本当に、自分を信じ

自分を生きて、楽しんでいる人は、それだけで周りの人に

貢献している。

その姿を見せるだけで」

ということでしょうか。

「ふえていくかんざし」

かんざしが好きです。
どれくらい好きかというと
例えばNHKの時代もの、歴史もののドラマで
使いまわされているかんざしがわかるくらいには好きです。

あのかんざしは篤姫の宮崎あおいちゃんが「於一」の頃に着けていた。
それを今度はこのドラマでこの女優さんが着けている。

といった感じ。
ドラマももちろん楽しむのですが
真っ先にそういうものが目に入ってくるのです。

小さい頃は「お花屋さん」とか「デザイナー」とか
少女が普通に「なりたい」と思うものを「憧れのお仕事」と言っていたように思うのですが
明確に
「これはいい!」と思うものが現れたのは小4の時。

「かんざしをつくる人になりたい」。

理由なんか、まったく覚えていません。
なぜかそう思いました。
それから数年を経て、今度は
「日本髪を結う人になりたい」に変わり
そこからさらに「庭師」「映画村で大道具をつくる人」と目まぐるしく変わりながらも
そこにいちおう「一貫したもの」を見ることができるのが
「自分らしさ」なのだろう、と思うことにしています。
こうやって振り返るにつけて
今なぜこういう仕事をやっているのかがよくわからなくもあり。
自分自身の気質を見るに、絶対に「職人気質」だと思うのですが。

話は戻って
小4の頃のことです。

「かんざし職人になりたい」

と思ってはみたものの、かんざしに触れたこともない。本物を見たこともない。
憧れを募らせていたちょうどそのとき
2つ上の姉の修学旅行がやってきました。

当時、鹿児島の小学6年生の旅行先は「宮崎県」。
京都もしくは百歩ゆずって長崎に行くならまだしも
山を越えた隣の県に「海と古墳」を見に行く小6の姉に
わたしは無謀な願いをしてしまったのです。

「お土産はかんざし」

と。
修学旅行のお小遣い3000円、の小6の子どもになんてことを、
と今思えば後悔しきりなんですが。

ところが!
姉は買ってきたのです。
忘れません。
赤い玉に、鼈甲色の半透明な耳かき部分と足がついた、かわいらしいかんざしでした。
もちろん、素材はプラスチックなのですが、
そんなことは問題ではありません。
とにかくわたしにとっては、最高にかっこよくて「イケてる」かんざしでした。
いったいいくらだったのか?
自分は十分に遊ぶことができたのか?
結局聞かずじまいでしたが。

さらに月日は過ぎ
姉は京都に就職しました。
そして、はじめての帰郷の土産はやはり「かんざし」でした。
紫と緑と白の花のつまみかんざし。

この二つに加えて
高校の頃、自分で骨董品屋さんに行って購入した
ヒスイ色の玉に金属の足の玉かんざし。
この3つを、わたしは後生大事に、長いことずっと大切にしていました。
絶対に失くすはずなどないくらいに大切にしていたはずなのですが。
この十数年、
新しい世界へ何度か引っ越し
手に入れた「欲しいもの」の変わりか
わたしの人生から「かんざし」はすっぽりと抜け落ちることとなってしまいました。

弟の婚礼
そして先日のクライアントさんの婚礼で
どちらも着物を着たことをきっかけにして
なつかしい感覚が戻ってきたのはつい最近。
それ以来、せきを切ったように、かんざし集めが止まりません。

サンゴ色の玉かんざし。
薄紫のトンボ玉の玉かんざし。
金属の花の「ちりかん」
「よしちょう」という形の、前髪にさすかんざし。
それから
京都で買った柘植のかんざしに
飾り彫の入った櫛

どれも高価なものではないのですが
古典的なデザインのもので、たいそう気に入っています。
もう、かっこよくて美しくてかわいくて仕方がない。
何の理由も理屈も損得も計算もなく
ただ「好き」という感覚とは、こういうものだったなあ、と
懐かしくこの感覚を味わっています。

まだまだ欲しい種類、形、素材のもの、山ほどあるので
これからもかんざし集めは続くのでしょうが…。

幼いころ、姉から手渡された
あの赤い玉のプラスチックのかんざしに勝るものは
ないのかもしれないなあと
ふと、思ったりもするのでした。

「父親とはなかなかにめんどうくさいものらしい」

確かに。
確かに8月26日くらいまで
地獄のように暑かったはずなのですが。

3日間の雷
1日間の暴風雨
さらに深夜の台風通過を経て
昨日からの鹿児島は蒼天心地よい秋を迎えています。
過ごしやすくて本当にありがたいのですが
窓辺に下げた風鈴の音色が
もう似合わなくなってきているのが少し寂しい。

先月から、秋の研修のお打合せであっちこっちと出かけています。
そのお打合せで、今日あった出来事少し。

その方の名刺をいただいたときに
「おっ…」と思いました。
このお名前、かっこいい。
と、いいますか、わたしの年代ならば、つい思い出してしまうんじゃないか、という
ある有名なアニメの登場人物と同じお名前だったのです。
自然、自己紹介を兼ねて
お互いの「名前談義」がはじまりました。

「このお名前…小さいころ友達に突っ込まれたりしませんでしたか」
「しました」
と責任者さま。男性です。そりゃそうだろうなあ。
この名前の小学生って、なんだか渋いもの。なかなかに頑固なお名前です。

お聞きしてよいのかな…と思いつつ、湧き上がる好奇心には勝てず
聞いてみました。

「あの…お父様はどのようなお気持ちでこのお名前をお付けになったんでしょう」

すると満面の笑みで
「なんでも、父自身がそう生きたいと思ったらしく、つまり、あてつけみたいなもんですよ」
と。
「あてつけなんて…お父様の願い、なんですね~」
そう頭をよぎった思いを口にしつつ。

間をおかず
「先生のお名前はどのような由来なんですか?」
と聞いてくださり、お、来た、と思いつつ
いつもの軽い戸惑いが。
由来を聞いたことがないのです。
覚えているのは父(だったかもうろ覚え)のこの一言。

「近所に、そういう名前の人がいたんだよ」

仕方ないので、「…ってことらしいんですよ」
と話しました。
すると、その方がおっしゃったのです。
「いやいや、それは、お父様なりの愛ですよ。
本当は、たくさんの思いを込めておつけになったはずです」

予期せぬ言葉、それも即答に正直少し驚きました。
「あの~、失礼ですがどうしてわかるの?」
とつい突っ込みたくなったくらい。

その方は、こう話してくださいました。

「私にも娘がいるんですが
『お父さん、わたしが生まれたとき嬉しかった?』なんて聞かれると
もう、何だか素直にうんと言えなくて…
つい『橋の下で拾ったんだ』なんて言っちゃうんですよね~」

ええ?!それ、ひどい。
ひどいけれど…ああ、そうなのか。

「もう、名前の由来とか…
お前を愛してるとか大切だとか…何だか言えないんですよね~」

と、お話しになる
その表情はとても優しく。
その笑顔を見ながら、ちょっと大げさなんですが
自分の中で何かががらがらと音を立てて分解してゆくのを感じました。
「謎がやっと解けた」という感じ。「つながった」という感じ。
「そこか!」という感じ。

ああ、そうなのか。そうだったのか。
父親というものは、そういう人種なのか。
…なんて、めんどうくさい。

ずっと、ずーっと
「近所に同じ名前の人がいた」というわが名前の由来を信じていました。
変な由来だなと思いつつ。
そしてそのことを、
心の中にかすかな「ひっかかり」として
自分が思うよりもずっと大切に
とどめていたようです。

…冗談だったんですか。あれ。

胸の奥の奥。
自分でも忘れていた
気づかないくらいの小さな箱の扉が開いて
中にあったものが
ふわっと空へ上っていくような。
長い間の宿題がやっと終わったかのような。
そんな不思議な感覚を味わいました。

自分の中の思いが、一つ終わり
やっと空に昇ってゆく。

「面倒くさいですよ、お父さん、ホント」
打ち合わせが終わり、社屋の外で見上げた空。
あまりにも高くて綺麗なので
そうつぶやきたくなりました。
23年もたってやっと解けるパズルを用意しておくなんて。

「やっとわかったか」
そう言って、あの子どもみたいな独特の笑顔で笑っている
父の顔が、秋空の彼方
久しぶりに思い出せた気もしたのでした。

「ゾクッとするほど嬉しかったものですから」

1月~3月は
たくさん企画書を書きます。

来年度、研修をさせていただくところに
「来年、こんなんどうでしょ」

とご提案をさせていただくためのものなんですが。

この仕事を始めるまで、「企画書」なるものを書いたことがありませんでした。
書かなければならないという段になったとき
ハウツー本を見たほうがいいかな??とチラっと思ったのですが
結局見ないままに好き勝手に書き始め、早10年。現在に至っています。

本の代わりに
頭の中は、好きな映画や小説やらアニメやゲームやマンガやら
絵本やら神話やら歌やら…そんな雑多なものがくるくると飛び交いつつ
企画書から始まるわたしの「創作活動」に今も大いに貢献してくれており、
おかげでわたしは企画書(と自分が思っているもの)を書くのが結構好きになりました。
というか、かなり好きです。
そして
そういうものでいい、というか
そういうものをひっくるめて「わたしでいい」(わたしがいい)
と言ってくださる方々とのご縁がつながっていることを
ありがたく、幸せだなあと感じています。
感じているのですが
半月ほど前。

「企画書を書かなければならないのだけど、すごく苦手。ちゃんとしたモノを書いたことがないので見せてほしい」
と同業の方からメールをいただき、
はた、と困ってしまいました。

「ん~、これを『ちゃんとした企画書とはこういうものです』と言ってお見せするのは
なんというか、責任問題だぞ…」

インプリンティング。初めて見たものをスタンダードだと思われても困る。
実に困る。
大手を振って「お手本」として見せてはいかんでしょう。これは。
みたいな思考がパタパタと働き。

結局この方には「ご参考までに」と「項目」と
それから
「企画書だと思って書くからキンチョ―するんです。書けなくなるんです!代わりに例えば…」
と、激励を兼ねた視点転換のメッセージをお送りしました。
「ちゃんとした」というところに結構反応している自分、を
新鮮な思いで見たのでした。

そんなこともありつつ昨日の夕方
とある研修先の担当者さんからメッセージをいただきました。

「来年度の企画書、拝見いたしました。

1P1P、とても読み応えのある内容でした。
久しぶりに中村先生の言葉を拝見し
先生の紡ぎだす言葉はやっぱり美しい、としみじみ感じております。

1回1回のセミナーの展開が、今からとても楽しみです。
この企画書の醸し出す、ファンタジックだけれども力強い世界を体験させていただけることに
心から感謝申し上げます」

やっぱり、好き勝手に書いてきてよかったなあ。
そう思いました。

「好き勝手」。
つまりわたしにとっては
「自分が生きている」あかしであるところの
「表現する」ということを
こだわりぬく、ということですが。

自分が最も心を砕き、大切にし、いわば命を懸けて表現しているところのものを。
その世界を
ぴたっと感じ取り、響きあい、
それをまた、的確な、わたしにとって震えるような嬉しい言葉で返してくださった。
そんな方と出会えるのは、生きていくうえでの醍醐味であり
けれども案外、稀有なことではないかとも思えます。
そして
人はそういう人と出会い、つながるためにこそ生きているのではないか、とも思えます。
そのために「自分であり続ける」ことをやめてはならない。

放たれた矢が寸分たがわずトッ…と的の中心にまさに「的中」するときのように
絶妙の「そこです!」感をもって
その方の言葉はわたしの胸に到達し、そのままずっと
あたたかな波を広げ続けています。
わたしの中に静かな力を呼び起こしてくれています。
今も。

何だか全くまとまりませんが。
たいそう嬉しい出来事でしたので
書かせていただきました。

「姉バカ」

弟の結婚式が先週無事終わり、ほっとしているところです。

弟とは11歳、年が離れています。
その弟から

「ねえさん出番です」

という表題のメールが来たのは式の1週間ほど前。

「退場のとき、一緒に歩いて。」

という内容でした。
披露宴。退場の時のリードが必要と言えばご新婦さま。
和装にしても、ドレスにしてもお決まりの場面。
新婦は自身のお母さんなどと歩く演出が定番ですが…
でも、たくさん衣装も着るみたいだし♪
なぜだかわからないけれど、わたしにもお鉢が回ってきたんだな~
よし!立派に勤めてやろうじゃないの!!
と心ひそかに意気込んだのでした。

そして
お客様総数からざっくりと卓数を割り出し、左手でしずしずと新婦の右手を引くという
イメージトレーニングもさりげなく。
(このあたり、自分の前職がにくいです…)
今思えば、どうしてこんな勘違いをしたのか
自分でもわからないのですが。

そして本番。
「その場面」に遭遇し、大爆笑している自分の顔を、あとで写真で見ました。
おしゃれしたにもかかわらず
まあ、なんて顔…(よってアップできませんでした)

当然のごとく
退場に際し、舞台前でぬぼ~っと待っていたのは、「中川家礼二」似の我が弟でした。

「ええっ!あんたと一緒なの!?」
「そういったじゃん」
「あんたと退場って…、ど、どうするのよ」
「ご新郎さまとお姉さま、腕を組まれるか、手をつながれるかしてください♪」(司会者さん)

ということで
2人で手をつないで、ぶんぶんと手を振りながら歩きました。
せっかくの着物なのに…
せっかくイメトレしたのに…
元気よく歩きました。2人で。小さいころみたいに。
いえ
小さい頃でさえ、こんなふうに手をつないで歩いたことはなかったかもしれない。
なぜって、わたしは姉妹の中で、一番弟の世話が下手だったのです。
多分、最初で最後。

弟の手は骨太で肉厚で大きく、
その温度を感じながらやっと
ああ、弟は結婚するんだな~と実感することができました。
式の時も
披露宴がはじまってからも
「あの弟が??」(おしめを替えたよね)
というような思いが何だか抜けず
まるでお芝居を見ているみたいでどうもピンと来なかったのです。
まるでそこにいるのが自分の弟ではないみたいで。

昔、わたしの手をきゅっと握りしめてきたモミジみたいな小さな手が
今、自分が握っているこの手なのだ。
そうやっと、実感することができました。

この手で
ほんとうに自分らしく、自分の大切なものをマイペースでつかんできた弟。
これからも
この手で多くのものを守り、愛してゆくのでしょう。
彼らしく、周りにたくさんの幸せを振りまきながら。
かつてわたしたち家族のもとに、たくさんの幸せ満載で生まれてきてくれたように。
わたしたち家族を「結ぶ」役目を果たしてくれたように。

手をつなぐなんて
お互いこの年になってしまうとほぼあり得ないし
そもそも恥ずかしくってしようがない。
だからこそ、扉を出るまでのほんの短い時間。
弟がプレゼントしてくれたこの時間は
わたしにとっては
忘れられない大切な時間となりました。

がんばれ、弟よ。
これからも、いつまでも応援しているから。

…すみません。今日は完全に「姉バカ」でした。
弟の新しい人生へのはなむけの気持ちで書いてみました。

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