「根っ子を愛する」

え~。
12月に受けました「幕末薩長歴史検定2級」の
見事不合格通知がやってきました。

薩摩人でありながら
なんということでしょう^^
ご先祖様になんとも申し訳のないことです。
お父さん、お祖父さんごめんなさい。
その昔、山を越え、薩英戦争に馳せ参じようと走りに走り
結局間に合わなかったという噂の我がご先祖様
ごめんなさい。
これでも一生懸命頑張ったんですが♪
ほかの検定が結構良い成績だっただけに
これはなんとも顔向けしづらい…。

昔から
薩摩の歴史はどうも頭に入って来なかったのですよね。

わたしの部屋に
通称「幕末棚」という歴史専用書棚があるのですが
この幕末棚には
子どもの頃からの本も含め、あれこれ並んでいるのですが
薩摩の本は2~3冊。とても少ない。
触れてきた時間と量が違うということで、
なので、まあ、この結果もむべなるかな。

そのことを話すと知人に
「鹿児島で仕事をしているのに鹿児島が嫌いなの?」
と素朴な質問をされ
あらためて考えてみたのですが
嫌いじゃないんです。
嫌いじゃないんですが…
自分にとって「『物語』にならなかった」のだということに気づきました。
薩摩の歴史。
あまりに身近で、生々しくて。

小さい頃、自分の周りにまとわりついていた空気。
土地があって地域があって家があり、その中に自分がいて。
あたりまえのように存在する、土地の、地域の、我が家の「あり方」。
いつの頃からか、それが次第に息苦しくなっていったりしたわけですが
その、あり方(目に見えないルールのような)の根っこの根っこ
「源」となっているのがいわば「薩摩の歴史」なわけで。
いろいろな逸話や風習や偉人の話も
子どものわたしからすると洒落にならない。

薩摩の古の教育システムに「郷中教育」というのがありますが
古くからの似たような地域の子ども同士の関わりイベントにも
当時はすっかり辟易していたものでした。

もうなんだか、すべてが重くって、暑苦しくてしようがない。
自分にまとわりついてくる「薩摩」が。
(父は西郷をこよなく尊敬する根っからの薩摩人でした)
わたしにとって「薩摩的なもの」はいつも「無遠慮」で「問答無用」。
わたしの意思を尊重してくれないものに感じていた気がします。

時は流れ
この数年、あちこちで
その土地その土地の歴史や、それに関わる人たちとの出会いを通して
その土地の文化やものの見方や人の特徴に触れれば触れるほど
自分の中にある「薩摩」な部分を再認識するようになりました。
そして、それが自分を助け、あるときは道を開くことに
一役買っていることにも気づきました。
悔しいけれど、これは自分の個性の一つであり、強みなのかなと。

自分の中から時にぐ~っと、渦を巻いて螺旋のように湧いてくる
エネルギーを感じるたびにそう思います。
このリズムは、大地から湧き出る鼓動のリズム。
小さいころからかたときも離れず視界の中にあった桜島のリズムであり
夜ごと月明かりの下、焼酎片手に「なんこ」に興じた
父たちの「高歌放吟」のリズムなのかもしれないなと。

自分を愛する。
家族を愛する。
自分の「これまで」を愛する。
自分がつながってきたいろいろなものを愛する。
自分と、周囲の「これから」のために。

そんな気持ちの延長線上に
受けてみた「薩長幕末歴史検定」。
さて
汚名挽回はいつになりますか!

「メイッコカフェ」

少しだけ「メイドカフェ」に響きが似ているなあ。

一度は行ってみたいと思っているんですが。

さて

明日、姪っ子のカフェがオープンします。

田舎の一軒家カフェ。

きっと今頃、何どころではないことでしょう。

(お祝いのお花など、用意してみました)

中村公子のコーチングna日々♪-DSC_0544.JPG

三,四年前でしょうか。

彼女が学生の頃、いっとき一緒に暮らしていたことがあります。

「…カフェをやりたいの…」

と聞いたのはいつのことだったか。

いつも、じっくりと、自分の中で探しながら言葉を紡ぎだすように話す子で

そのときも、ゆっくりと、見ようによっちゃ少し弱々しい声音で。

ふうん、と、話を聞いてあげたのを覚えています。

そういえば、小さいころからこまごまとした作業が得意で

お菓子作りが好きな子でした。

それから

数年勤めたお菓子屋さんを辞め

彼女は実家に帰り

実家で取れる野菜を使ってお菓子を作り、販売を始めました。

家は有機無農薬の専業農家なのです。

そして、現在に至る。

日々試行錯誤を繰り返しながら結構頑張っています。

さて

本人の頑張りもありますが

この、彼女の背後には強力な後ろ盾がいます。

それは、彼女の母である私の姉。

この姪っ子のカフェの夢は、姪っ子の夢でもあるのですが

同時に姉の夢でもありました。

なにせ昔っから「やりたいこと」満載の人で

姪っ子がまだ鼻を垂らしているころから

「いずれ加工場を作って、採れた野菜を使ってカフェをさあ…」

と目をきらきらさせていたんですから。

二十年越しの夢の一つなのです。

姉の夢と、姪っ子の夢が見事に合致した結果のオープンとなりました。

よかったねえ、と心から思いつつ

ふと…

「はたして、これは本当に彼らの夢なのか??」

と。

いや、確かにそうなんですけれど。

思い出したのです。

父がよく言っていたのを。

「山にそうめん流しを作って…」

「山に釣堀を作って鯉を離して…」

「山にそば打ちの場所を…」

父所有の山があったんですが、そこを舞台に語られる数々の「夢」。

実際、わたしが小学生の頃、そこに大きな「池」は確かに作られ

たくさんの鯉が放たれました。

(今でも彼らは元気で、主のいない山奥で悠々と泳ぎまわっています)

家にはいつも得体のしれない

石臼や石鉢、火鉢や自在鉤や…そんなものが持ち込まれていましたっけ。

父からすれば「いつか使える」という算段でもあったのでしょうか。

公務員に自営業と、いろいろな仕事をやった父でしたが

本当にやりたかったことは農業と

そして上記のようなこと。

それは子どもの私から見ていてもよくわかりました。

なにせ、語るときの「目の輝き度」が違う。

子ども心にも楽しそうだなあと思ってみていましたが…

どうして父は

あんな夢を持っていたんだろう。

父の父のことは、もはやよくわかりません。

早くに亡くなっており、一度も会ったことがない。

ただ、お墓詣りに行くたびに、墓石の裏にびっしりと刻まれた「祖父の人生」を読むことはできました。

地域の農業の発展のために尽くした人なのだというようなことが彫られていましたっけ。

やはり、土に根差してひととつながることを

目指した人だったのでしょう。

「夢」は確かに自分のもので

自分の中から湧き、自分で選び

自分の人生をかけて想い、願い、実現させようとするものですが

その奥に

意識的にせよ、無意識的にせよ

確かに受け継がれているものがある

と思ったのでした。

それは何によって受け継がれるのか?

環境なのか?

遺伝子なのか?

もっと大きな「場」を通してなのか?

そんなことはわかりませんが

私たち、一人一人の夢は

自分個人の夢であると同時に、きっとこれまで自分に命をつないでくれた多くの人たちの

切なる願いのこもったもの。

きっとそう。

…あなたの夢も、そのとなりのあなたの夢も。

誰かがその場所で、その時代で

できるところまで

進めるところまで、精一杯進んで、積み重ねて、頑張って。

そして

「あとは、たのむ」と。

そう考えると

自分の中にある日ふっと浮かぶ「夢」を

ないがしろにしてはならない。

それは実は自分だけのものではないのだから。

責任をもってかなえなければならない。

そう思えて。

父も祖父と同じく早くに他界し

夢は形にはなりませんでしたが

それでも

彼らは、確かに夢をかなえたのです。

そう

世代を超えて。

思いをたくし。

明日

田舎の一軒家にカフェがオープンします。

空は青くて、海も見えます。

健康な土の香りがふくよかな風に乗って流れてくる

緑の中の一軒家です。
姉夫婦が二十年かけて創った土から生まれる野菜やお芋からお菓子を作るのは

その二人の姿を見て育ったわたしの姪っ子です。

どうぞ

たくさん人の集う場所となりますように。

みなが土と風と太陽と水の恵みを喜び、感謝できる場となりますように。

土のエネルギーに元気をもらえる場となりますように。

自然に抱かれ、たくさんの人が癒される場となりますように。

どうぞみなさん

いらしてくださ
いね。

「クレヨンの思い出」

知人よりキャンドルをいただきまして。

香りがとても良いのです。

夜に火をつけると、その大ぶりなオレンジ色の体からゆらゆらと上る炎が

なんとも気持ちを落ち着かせます。

そのお礼もかねて

その方のお誕生日も近かったので

わたしも何かお送りしたくなり買い物に出かけました。

立ち寄った数件目の店で

吸い寄せられるように目に入ったのは

「クレヨン」。

太いクレヨンが、色とりどりに缶ケースに入って楽しそうに(と見えた)

並んでいます。

日本のものではなく、ドイツかどこか?のものだったような。

「うわ~。なつかしい」

瞬間、あの、クレヨンを紙にぎゅっとおしつけたときの「ぬりっ」という感触と

独特の香りがよみがえってきました。

どこまでもどこまでも伸びていく

太いクレヨンの線。

小学校2年の時にかいた「虫歯予防ポスター」が

ものすごく褒められたんですよね。

みんなの前で先生から「この絵はどこが素敵か」という解説までしてもらい

賞をもらって、長いこと、校内に貼ってありましたっけ。

クレヨンと水彩で描いたんですが

自分の中からあふれてくるものを一気に描きあげたあの感覚を

今でも思い出すことができます。

体の中から自然にいろんなアイデアがあふれてきて、もう楽しくて楽しくて…止まらなかった。

体の中で脈打つ「何か」を

何らかの形で表現せずにはいられない、表出せずにはいられない

そんな感覚。

それからしばらくたって

ふと、以前のようには「描けなく」なっている自分に気がつきました。

鉛筆の線は小さく、硬くまとまり、伸びやかさのかけらもなく。

消しゴムの後だけが残り、

何分たっても四分の一も埋まらない白い紙の空白。

子どもながらに愕然としました。

もう、体の中にあの「リズム」を感じなくなっていることに気づいたのです。

代わりに聞こえてくるのは自分の中の声。

一本線を引くごとに

「こんなのじゃだめだ」「もっとうまく」「こうじゃない」…。

小3の時のことでした。

(NLP的にいうと、あるプログラムが形成された瞬間であり

ある「ビリーフ」を私が自分の中に取り入れた瞬間、ということですね)

さてこのように…神とつながっていられる天使の蜜月の時代は

いとも簡単にわたしの中から去って行ったのでした。

クレヨンを見ると思い出す「あの感覚」。

確かに、わたしにもあんな頃があった。

あの頃の私は「つながって」いた。創造の源と。

そして、自由に表現した。歌い、踊り、さえずり、存分に自分の響きを高らかに奏でていた。

絵をかくのが好きなその方に

そのクレヨンをプレゼントすることにし

こう手紙を添えました。

「自由に、あなたの色を存分に描いてください。

紙からはみ出したってかまわない。

あなたの絵を、これからも存分に描いてください。力強く」

実は、何より自分へのメッセ―ジなのですが。

人は「何かを獲得」するからすごくなるんじゃない。幸せになるんじゃない。

「自分に還る」ところに

すべてを解きほぐす「鍵」があるんだなということを

再び思い出させてくれた

「クレヨンのにおい」でした。





「忘れえぬ場面」

なぜか心に残っていて、ときおり何の脈絡もなくふっと思い出す光景

というのが誰しもあるのでは、と思うのです。

朝方見た番組のせいもあって思い出したんですが

わたしには

そういう二つの場面があります。

どちらも子どもの頃、どこかの友達の家で見たマンガの一場面なんですが。

一つ目は、「愛のアランフェス」というマンガだったと思います。

こんな感じのお話でした。

フィギュアスケートのシングルの選手として将来を嘱望されていた女の子が

ペアに転向することになる。

組むことになった相手も、男子シングルの世界での相当の実力者。

周りからも

「あの二人ならきっと大技を入れてくるだろう」と期待されている。

女の子は、彼についていこう、自分と組んで、彼のレベルが下がった、と言われないよう

もう必死で、がむしゃらにがんばります。

「もっと速く」「もっと高く」「もっともっと」…。

が、彼女の努力は「力み」となって、空回りを続けます。

さまざまな葛藤が多分あり(このあたり、ほとんど覚えていないのであしからず)

最後に試合で二人が見せた演技は

大技も何もない、とてもシンプルなものでした。

会場はざわっ…と二手に別れます。

「え、たったこれだけ…?」

という反応と

「二人が合っていてよかった」

という反応。

そして、次の一言、これが、わたしの「忘れえぬ場面」なのですが。

完全に調和した、まさに「一糸乱れぬ」演技をする二人。

それをみて、コーチ(?)が一言、ぽつりと言います。

「…あいつら、ペアがわかったな」

「もっと速く!」「もっと高く!」というエゴの先にある

二人で創るという世界、それを表現する新たなる喜びに目を開いた二人の姿と

繰り広げられるその演技に

とにかく震えるような感動を覚えたのでした。

もう一つの「場面」は

もう、タイトルすら覚えてないマンガ(笑)

指揮者の話でした。

天才的な指揮者があるコンクール?で指揮をしている場面。

その指揮者が一瞬「視線」でオーケストらを制する。

その瞬間、会場に「海」が見えたりする。

会場がざわ…っとどよめき

(こういうマンガのお定まりです。ギャラリーが「いかにすごいか」の解説者となる。

「い、いま、目で…」(すごいっ)

と、圧倒される。

それだけ。

そこしか覚えていないんですけれど。

わたしの記憶に執拗にまとわりつく2つの「場面」。

結局わたしはその2つの場面の根底に流れていた「エッセンス」(醍醐味)を

自分の人生のにおいて、存分に味わう道を選んだなあ、と思います。

言葉にするとやっぱり

「場の力」

「場を創る」

「共鳴」「共振」

「コミュニケーション」

(自分とのコミュニケーション、他者とのコミュニケーション、自然とのコミュニケーション…

言語・身体・その他すべてを含む広い意味での)

ということになるのでしょうか。

人が自分の魂とつながり、その本質を存分に表現し、その響きが「場」に伝わったとき

その場はすごいことになります。

響きは波のように共鳴を起こし、広がって大きく大きく増幅され

そこにいる人たちすべてが「自分の本質」に気づき「最高の能力」を発揮し

生み出せる可能性を持つ場となります。

つまり

「奇跡」が起きる場となりえる。

そして

その「奇跡」がおきる場をいかにつくるか

それをずっとずっと考えているのが自分たちの仕事である気がします。

その場をつくれるのなら、(その力を与えてくださるのなら)

滝にも打たれましょう、座禅もくみましょう、の勢いです。

セッションの時も、セミナーの時も

そんな場が創れることをしんしんと祈りながら

日々対している気がします。

「理由はないけれど、心惹かれる感覚」

「小さいころから、ただ、好きだった感覚」

「それをずっと、味わっていたいと感じる感覚」

「そういうのを『価値」と呼びます」と昔、コーチングのテキストにありました。

「たましいのご飯」と言った人がいて

わたしはそっちの方がわかりやすくて気に入っています。

きっと、みなさんの記憶の中にも

ずっと、主旋律として、皆さんの人生の根底を脈々と流れる「ある静かなメロディ」が

あるのじゃないかなあ、と思います。

人生を流れる「自分だけのメロディ」。

主旋律をあらためて確認するということは

自分の軸を確認し、凛と立って自分の人生を生きるために欠かせないものです。

そして、明日へのモチベーションを生み出してくれます。

自分の中の、決して枯れることのない、「大きな源」の一つがこの部分なのだと感じます。

いつか、みなさんの「主旋律」のお話を

ぜひ聞かせてください。

「角倉金襴」

中村公子のコーチングna日々♪-未設定

みなさま
新年明けましておめでとうございます。
穏やかな
よき新年をお迎えのことと存じます。

わたしは
先程近くの神社に行き
毎年の縁起物、獅子舞をみて
(好きなのです)
振る舞い酒などいただきました。

今日は着物です。
相当ご無沙汰していたのですが。

黒の小紋にえんじの道行を着ています。
光の加減で浮き出る地模様がかわいらしい。
この地模様
兎の柄なのですが
「角倉金襴(すみのくらきんらん)」という紋様です。
着物の紋様に詳しいわけではなく
この道行をつくったときの呉服屋さんの言葉がずっと頭に残っているのです。

「この紋様は角倉金襴というんですよ。かわいらしいでしょう」
「丈は普通のコートより長めにしたててあります。この長さが一番美しいんです」
「裏地のグラデーションがよいでしょう?着ても美しい、脱いでも美しいのが理想です」

昔、行きつけ…というより
入り浸っていた呉服屋さんの言葉です。
長さから襟の形まで、こだわって作ってくださるお店だったように覚えています。

この呉服屋さんで
わたしは着物に関することをずいぶんと教わった気がします。
高価なものは買いませんでしたが

普段使いに着られる紬や夏の薄物など、少しづつそろえていくのは
本当に楽しいものでした。
今でも、一枚一枚、見るたびに、その時にその方と交わした会話が浮かんできます。

「惜しげなく着てくださいね!」

というのが、その方がよくおっしゃる言葉でしたっけ。

旅行の時に着物を着たいとき、どうすれば長距離の移動に楽でいられるか、ですとか
そんなことまで教えていただきました。
「ハレの日の衣服」ではない着物文化を復活させたい、とおっしゃっていました。
この十数年、心づくしの着物がぜんぶ箪笥の肥やしになっていたと知ったら…。
ああ。
今年は着物をたくさん着よう、と思います。
腰を中心に背筋がすっくと伸びる、着物ならではの緊張感。
洋服と違い、たっぷりな分量の絹が体にまといつく心地よい重さ。
襟、帯締め、帯揚げ…畳にあふれる華やかな色の洪水。
それらを一つ一つ手で触れ、質感を確かめ、色を合わせる楽しさ。
幸せな時間です。

今年は

自分を満たすのに遠慮なくいこう、と思います。
「いつか」「そのうち」「時間ができたら」なんてのはやめて。
懐かしい肌触りを楽しみながら
「新年の抱負、一つできた!」
とうれしくなった元旦の午後でした。
皆さんは、この一年をどんな年になさいますか?

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「真央ちゃんの表情」

 

テレビに
仙台市立八軒中学校合唱部の皆さんが出ていました。

歌声もですけれど
その歌う表情の美しさに見いってしまいました。

ああ。
中学生でも
ああいう表情ができるんだな…。

男の子も、女の子も
顔の個性に関係なくみな一様に
「気高い」
ともいうべきその表情。

彼らは
震災からこっち
施設で、あるときは街角で、駅の前で、歌い続けてきたのだそうです。

人は
自分を越えた大きな何かを意識し
そこに向かって心から伝えようとしたときに
年齢など関係ない高まりや広がり、成長が起きるものなのだなあと思いました。

静かな高揚。
内から光り輝く隠しようのない
慈しみ
癒し
優しさ
光…

13~15歳の彼らの表情にあふれるそれらに
目を離すことができませんでした。

一昨日の全日本フギュア。
浅田真央ちゃんの演技を見ていました。
フギュアスケートは大好きなので
毎年シーズン中に放送されるものは
すべて見るのですが。

フリー「愛の夢」。
最後の天を仰ぐ形をとった真央ちゃんの表情は
今季のどの大会でも見なかったものでした。
これまで
この最後のポーズから感じていたものは

愛すること、愛されることの喜びを…
そう、まるで天から降り注ぐ光と
呼応するかのように
その喜びを全身でうたう真央ちゃん
という感じだったのですが。
咲きにおう花のような笑顔。

今回
彼女は一瞬
微かに、ほんのわずかに眉根をよせて
静かに天を仰ぎました。
まっすぐな眼差しで。
うまく言い表すことができないのですが。

祈り?
願い?
これまでよりもっと遠く、もっと深い世界と
つながることを知った真央ちゃんの

その瞬間に立ち会ったような気がしました。

真央ちゃんに起きた出来事が
新たな表現の世界に真央ちゃんを一歩押し出したのだと
そのことはよくわかったのです。

傷を得て
人は何者になるのか。

彼らのように
それを光に変え
さらなる高みに自分をひらくようなあり方に
そんなたくさんの人達に
その美しい表情に
いつも心動かされ、励まされます。

 

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「愛を思い出す日」

クリスマスイブです。

知人からこんなメールが届きました。

「クリスマスは
愛されていたこと
愛されていることを
思い出せっていうメッセージを
神様がプレゼントしてくれているのかも
しれません」

そう言われると…
さまざまに思い出します。

小さい頃
必ず枕元にあったお菓子のブーツ。

一度だけ家族そろってイブに行った
近くの修道院のクリスマスミサ。

あのとき着せてもらったコートの
肌触りや色や、柄、デザイン
今でも鮮明に覚えています。
(フードのついた深緑のチェック柄でした。
内側にも毛がついていて
それはそれは暖かかったっけ)

つまり、
あの日は「超」のつく一張羅だったのです。
姉と私、おそろいで…。
そんなに贅沢できる感じでも
なかったでしょうに
父と母の心尽くしだったのでしょう。

それから
学生の頃。
大人になってから。
これまで
クリスマスを共に過ごしたたくさんの
人たちの顔…。

ああ、
私は確かに愛されてきたんだなあと
今、そう感じています。

それらはわたしの中にしっかりと残って
わたしのエネルギーの源
土台を作っているんだなあと
感じています。

なので今日は。
もらったものの万分の一もお返しできませんが(*^^*)

これまで出会ってくださったみなさま
これから出会うみなさま
そしてすべてのみなさまへ

心をこめて
「メリークリスマス」

どこにいても
何をしていらしても
それぞれの場所で
よき一日をお過ごしくださいますように!

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「図書館タイムスリップ」

さっき

ちょっと用があって「地域の公民館の図書館」に立ち寄りました。

しのつく雨。

静かです。

奥のほうの、2つしかない机で近所の中学生が
中村公子のコーチングna日々♪ プリントを広げてお勉強をしています。

貸し出しカウンターには

白髪の男性の係がお一人。

本当に小さな図書館なんですが

「なんか、はまる」

この感じは、なに…?

市立の大きな図書館などとくらべると

蔵書数も広さも

まったくもって及ばないのですが

(広さは教室2つ分くらいのものですし)

大好きな紀伊○屋書店やジュ○ク堂やオプシア○スミや…

鹿児島で一番大きな市立図書館なんかよりずっと

本の一冊一冊が輝いて見える!

全ての本がとても面白そうで

とても意味のあるものに見えて

まるでわたしに「こっちにおいで」と手をふっているみたいです。

壁には文学全集。

その上には生物の分類全集。どちらも背表紙がやや退色して

いいかんじの色合い。

きっと、あんまり誰も手をふれないんだろうな…という感じがします。

この感じ…この感じ。

少し古びた紙のにおい。

本の背表紙を目で追う、この吸い込まれるような感覚。

全部の本を手にとって、一冊一冊中身を確かめてみたくなるこの誘惑。

うまく言葉にできないんですが

「ここにずっといられたら、どんなに幸せだろう」

そんな感じでしょうか。

図書館を出て

車に乗って、エンジンをかけたとたん

その感覚はぷつん…と消えてしまって

現実に引き戻されたような感じを覚えました。

あの感覚は

きっと、中学・高校のころのものですね。

わたしが人生で一番本を読んでいたのが多分このころで

多いときで年間300冊くらい読んでいました。

ほとんどが学校の図書室の本。

(どうして覚えているかというと、当時は「図書カード」なるものがあって

それに読んだ本を記録して借りていたから。懐かしいですよね)

今思えば

その頃のわたしにとって図書室は宝の箱。

もしくは異次元空間への通路。

もしくは時間を越えてどこかとつながれる扉

もしくはもしくは…

とにかく、大切なものだったんでしょう。

町に一軒の本屋さんもない小さな町で

ほの暗い図書室の一隅

毎日毎日

今とは比べ物にならないくらいの澄んだ目で

恐ろしいほどの集中力で

わたしは背表紙の一つ一つを見つめていたんでしょう。

そういえば

本当に手に入れたい本も

車で30分くらい行った下の街の書店に注文して

街に行く父に頼んでついでに寄ってもらっていました。

(こう書くと、ほんとにどんだけ田舎なんだ、というかんじがしますが)

恋焦がれて待つ時間の長いこと長いこと。

今は

アマゾンもあるし、大きな書店もそこいらにたくさんあります。

幸せです♪

たくさんの情報に囲まれて、何だって手に入れることが出来る。

幸せなんですけれど。

もうあの頃のような気持ちには一生戻れないんだろうなあと思うと

それも少し、寂しかったりするのでした。

「雪の新年」

いつも訪れてくださっているみなさま

新年あけましておめでとうございます。

中村公子のコーチングna日々♪

どんなお正月をお過ごしでしょうか。

ニュースでもちょっと出ましたのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
鹿児島は30日から雪。

だいぶ積もりました。

これだけ積もれば鹿児島市内ではもはや大雪です。

近所の子どもたちの歓声に誘われて

わたしも徒歩で買い物に出かけました。

(車道はちゃんと通行可能だったのですが

こんな日に車なんてもったいないと)

いつも15分でつくスーパーまで歩いたのですが

途中

空き地の未踏の積雪には押し入って足跡をつけ

塀の上の雪はずず~っと手で落としながら歩き

吹き溜まりには足を突っ込んで深さを確認し…

とやっていたので、たっぷり30分以上かかってしまいました。

雪は相変わらず降り続き

傘もささなければ歩けないのでたくさんの荷物は持ちたくありません。中村公子のコーチングna日々♪

みかんとチーズだけ買って、帰途につきました。

歩きながら

小さいころのことを思い出していました。

小学校の1年か2年の頃だったでしょうか。

もっとたくさんの雪が降って

家の前の広い芝の庭が真っ白になりました。

音が一つもしない真っ白な庭に一人で出てみました。

なんの跡形もついていない。何をしても自由。

恐る恐る膝をついて、雪に顔を押し付けてみたんでした。何度も何度も。

きっと、雪をしっかり感じたかったのかな、と思うんですけれど。

手はかじかんで感覚がないし

靴と靴下を脱ぐのは面倒くさい。となると顔しか残ってない。

あのころは、なんでも今よりもっとしっかりと五感で感じていたように思います。

目の前にあるものをもっとしっかり見ていたような気がします。

なんのために感じるのか、というようなことではなく

感じること自体が喜びであり、生きていることそのものだった気がします。

中村公子のコーチングna日々♪

今年は

シンプルな「感じる喜び」を自分にたくさん与える一年に。

そして

もっと五感を研ぎ澄まして

さらによい仕事をしたいと思っています。

これまでご縁のありました大切な皆様

そして、今年お目にかかるであろう大切な皆様

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

みなさまにとっても、よき一年でありますように!

「天にまします我らが父よ」

先日

鹿児島市の純心女子短期大学さまに

うちあわせのためにおじゃまいたしました。

玄関にはいりますと

中村公子のコーチングna日々♪

「うわあ、懐かしい…!」

思わず声が出てしまいました。

この時期、教会にかならず飾られる

「キリスト生誕の場面」の

これは、なんというのでしょう…?

この日、担当の方とお話をさせていただいていたときに

「あれが、とても懐かしかったです。ほら、あの、玄関の…玄関の…」

わたしの頭の中では

言葉がめまぐるしくかけめぐり最後に

「…ジオラマ」

という、何とも無粋な言葉が出てきてしまいました。

小さい頃、私が住んでいた家の近くに、修道院があったのです。

そこには、青い目をしたドイツ人の神父様がいらっしゃり

よく遊びにいっていたのもでした。

子ども心に

修道院と神父様のお宅はもう、なんといっていいか

「異世界」で!!

修道院の

壁に掲げられたキリストさまの一生をあらわした切り絵や

ステンドグラスの美しさもさることながら…

神父様のおうちのふかふかの、お尻がなんとも落ち着かないソファや

お風呂と一緒になった、タイル張りの広い広いお手洗い

(はじめてお手洗いに案内されたとき、あまりの衝撃にどうやって使ったか、覚えていません

…ちゃんとできたのだろうか??)

それから

近所の子ども、誰も持っていない、みたこともないゲームの数々…

(ダイヤモンドゲームというゲームがとても印象に残っています)
中村公子のコーチングna日々♪

そしてそして・・・

顔中とろけそうなクッキーや焼き菓子

(当時、ほんとうに食べたことのない、初めての味でした)

そんな魅力的なものに惹かれて

しょっちゅうおじゃましていたというわけなのです^^

(子どもですねえ)

神父さんは本当にお優しくて

いつも数人で訪れる友人の長い髪を見ては

「アナタハ、オ姫様ノヨウデスネ」

とおっしゃるのが口癖でした。

それをとくだん「いいな~」とか「うらやましいな~」と思わなかったところを見ると

きっと、どの子にも、本当に優しく、公平に承認の言葉をかけていてくださったんでしょうね。

神父さんは、いくつかのお祈りの言葉を教えてくださって

それを一番に覚えて、得意そうにスラスラと神父様に暗唱などしていたのはわたしだったそうです。

子どもですよねえ・・・神父様にほめていただきたいいっしんだったのでしょう。

反面、姉はなかなかおぼえることができなかったと。

後で聞いたことですが。

(この姉が、神父様とその後もずっと交流を続け、ついに高校生のときに

仏教徒のわが家族の中、一人クリスチャンになってしまたのですから、人生とはわからないものです)

さて

そのころ、クリスマスの時期になると

いつも教会で見ていたこの「ジオラマ」(ちゃんとした呼び名があるはずなのです。申し訳アリマセン)

中村公子のコーチングna日々♪

あったかいお茶と甘い焼き菓子の香り

あの、大きなふかふかのソファの茶色の皮の色

家族でクリスマスミサに出かけたとき

はじめて着せてもらったフードのついた厚地のコートの肌触り

修道院の高い天井にくるくるまわるオレンジ色の灯り…

久しぶりに目にして

そんなものが一気によみがえってきた

初冬のひとこまだったのでした。

この

「キリスト生誕の場面」は

わたしにとって

「子ども時代の自分」の

幸せの象徴、なのかもしれません。

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