詩とか文学とか、なんのために学校で勉強するのかと言いますと。

 

 

 

 

朝のリレー 

       谷川俊太郎

 

 

カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている

 

ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

 

この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

 

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

 

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

 

 

 

*  *  *

 

 

 

今でも、夜明け前に起き出して、
どこか遠くへ移動するとき、
ちょうど空が白んできた頃、つい口ずさんでしまうんですよね。

 

 

「カムチャツカの若者が…」

 

 

この詩の言葉が身体の中に呼び起こす

すがすがしさ、
静かな躍動感、
何かが始まる前のワクワクする感じ、
壮大な感覚

そんなものが、
わたし自身の身体にもしっかりと刻まれてしまったんだなあ、
と。

 

 

この詩に出会ったとき、
もはや「いい大人」だったわたしでさえそんななのだから、

みずみずしい13歳の頃に出会った子たちの身体には、
もっともっと、深く刻まれていたらいいなあ、と思うんですが、
それは「授業をした人」(つまりわたし)
の力量に大きく関わっているんじゃあ??

と思うと、ほんっとに責任を感じる😅
と今更ながらに思うことなのです。

 

 

 

 

 

谷川俊太郎「朝のリレー」。
入学後のとても早い時期(春か、遅くても初夏)の題材として、
載っていたように思います。

「出発」「新しいスタート」を迎えた子どもたちに触れてもらうに、

なんとも相応しいなあと。

 

 

 

 

美しい言葉に触れること。
美しい世界に触れること。
そこと、いつでもすぐにアクセスできる回路をつくること。
そこは、心の故郷であり、
いつでも自分を助け、温め、癒し、鼓舞してくれる、
大きな大きなものの「みなもと」。

 

 

 

 

詩の授業なんてのは、
結局「そういうもの」をたくさん作るために
やるんじゃあないの?

 

 

そこから始まる長い人生、
どんな場面でも、
「帰れる」「繋がれる」心のエネルギー源をたくさん作るために。

 

 

 

 

と今なら思います。
今ならわかります。

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

《追伸》
この「朝のリレー」のドリル(市販の小テスト)を見ていたら、

 

【そうしていわば交替で地球を守る】
ここの意味として正しいものを選べ。(4択)

 

の選択肢の中の三番目の選択肢が
「地球防衛軍に入って防衛に力を尽くす」
という感じの選択肢だったのが、とても(笑えて)気に入ったことを思い出します。

 

『風の時代』本格到来と懐かしいマドモアゼル・愛先生の本の話

 

 

 

 

 

教員時代、マドモアゼル・愛氏の

「自分の素晴らしさに気づいていますか」という本を、
学級通信で紹介したことがあるのだけど、
当時クラスで一番大人びていた部類に入る男子が、
額にかかる前髪をサラリと払いながら
(本当はそんなことはなかったんだろうけれど、なぜかそういうイメージで覚えている)

 

「先生、これはだめだよ〜」

 

と注進してきたことがあった。

 

 

 

何がダメなのか、全くわからなかったのだけれど、
つまり、彼いはく、
「自分たちは年頃なんだから(この絵はいかがなものか)」
と、そういうことだった。
(そういえば、そのプリントを配った時、いつもは騒がしい帰りの会なのに、
妙に静かになった気はしたのだった。男子が)

 

 

小さく縮めて載せていたし、
リアルでもなんでもない絵本風の「挿絵」なので、
全く気に留めていなかったのだけど。
(今になると配慮が足りなかった、ホントに申し訳なかった‼️と思うのだけど)

 

 

 

子どもたちとは、本当に優しくて、
わたしにとっては大きな存在であったな、と思う。

 

思春期特有のセンサーで「大人の都合」や嘘や欺瞞には
敏感に反発しまくってくるのだけど、
こちらの掛け値なし、作為のない頑張りには、
たとえ成果が出なくても、失敗しても優しかった。

 

教職後半になるに従って、この子達に
「伝えないといけないもっと大切なことがある」
という思いが湧き。
(例えば、この本に書いてあるような、生きる上で大切であろうことを)

 

しかしいかんせん。
思いは湧くのだけど「知識」がない。
「技術」がない。
(「自分を大切にしましょう」と口で言ったからといって、
授業になるわけではないし、ましてや子どもが「そうできる」ようになるわけもなく)

 

 

 

そのうち、もう嘘はつけないなあ…
という苦しくなったのも、教員を辞めた理由の一つだったように思う。

 

 

それから数年して、
「出来なかった苦い思い」を「出来る」にするための
格好の知識と技術、概念として、
コーチングに出会ったと思っているのだけど。

 

 

 

さて。
今日の本題は実はそこではなく。
上記のような懐かしい昔を思い出させてくれた
マドモアゼル・愛氏いはく、

 

【20日、5時28分に、冥王星が山羊座から水瓶座に入った】

 

のだそう。
200年続いた「土の時代」から「風の時代」に「本格移行」した。

 

⚫︎土の時代の象徴は「ルールの整備、安定、物質、権威」
⚫︎風の時代の象徴は「自由、知性、情報、横の繋がり」

 

産業革命から今までの約200年間がまさに、
「土の時代」だったんだそう。

 

わたしたちは存分に土台を固め、物質的に発展を極め、
昔からあった既存のルールや権威を基準として、
幸せを追求し、
また享受する時代を過ごした、ということでしょうか。

 

 

 

そして「風の時代」がやってきた。

 

懐かしいマドモアゼル・愛氏の口からその「到来」を告げられ
(たまたま見た動画でですけど)
なんだか感慨深い気持ちになっています。

 

 

今思えば、ですが。
昔、生徒たちに伝えたかったことは、
既存のルールが崩れて、自分の軸がより必要になる
「風の時代」をメインとして生きることになるであろう彼らにとって、
必要なことでもあったんだなと、
そんなことを思ったりもしているところなのです。

 

 

*  *  *

⚫︎縦社会→横社会へ
⚫︎物質を獲得→心の豊かさをより重視
⚫︎型のある人生→自分の意思で選択する人生
⚫︎みんなと一緒→個性を出していく
(「風の時代って何?」こちらのサイトからお借りしました)

https://note.com/satomi_09/n/n641f1e650782

 

*  *  *

 

 

ということで、みなさん。
「風の時代」に突入したそうですよ。

 

それはつまり、親の「努力」じゃなく「言葉になはらない意識」の方が伝わる、ということじゃなかろうか

 

 

 

【努力は実を結ばないのね】というタイトルで、

 

 

「歯を丁寧に仕上げ磨きしてあげていたのに、歯も磨かない男になった。
毎晩読み聞かせをしていたのに、スマホ以外の活字は読まない男になった。
ご飯、ちゃんと手作りしてたのにカップラーメン大好きな男になった。
環境考えて親子でエコ活動してたのに一面ゴミの部屋で暮らす男になった。
…息子に一言。
努力が実らない世界があるということを知った。
教えてくれてありがとう」

 

といった感じの内容の内容の文章を見た時に、
(文章はうろ覚えなので悪しからず)

 

 

それはつまり、
「結局、親の(大人の)『何が』子どもに伝わるか」
ということなのじゃないだろうか、
と想像したのでした。

 

 

ちょうど知人に話したばかりなのだけど、
「人はあなたの言葉の通りになるのではない。あなたの身体の通りになるのだ」
という言葉があって。
(コミュニケーションにおいて、わたしの好きな言葉です。本質をついているなあと)

 

これはつまり、
言葉や、思考でコントロールした行動。
ああしたほうがいい。
こうすべき、と言った言葉や行動ではなく、

 

結局「本音」(無意識)の方が伝わる、
影響を与える、ということなのだけど。

 

 

「ちゃんとしなくちゃ」
「〜すべき」
「正してあげないと」
「しっかりしないと、させないと」
「いいことをさせないと」

 

 

そこには、親自身の
「楽しさ」
「リラックス」
「心から『それしたい!』」
という感覚は
含まれていない。多分。

 

で、子どもには、「そっち」の方が伝わるのだ。

 

 

 

「親も常日頃言っていたし、やっていたし。
『そうした方がいいし、正しい』のはわかっているけれど。
なんだかわからないけれど、
それを考えると、
しようとすると、
固い感じ、重い感じ、嫌な感じを感じる…」

 

 

という、子ども本人にも理解できない「感覚」
になって子どもの中に残る。
それがつまり
「相手はあなたの言葉(思考)のとおりになるのではない。
あなたの身体(無意識)のとおりになるのだ」。

 

ということなのだと思う。

(もちろん全てがそう、ってわけではないだろう)

 

 

自分の話になりますが。
子どもの頃から本が好きで、
多い時で年に2〜300冊くらいは読めていたように思う。

 

今も本好きは変わっておらず、
いい癖をつけてもらったなーと。
ここのところは親に感謝しているのだけど、
「本を読め」と言われたことは一度もない。

 

だだ、「家に本があった」。
父が本好きだった。
壁一面をぶち抜いた本棚と、
父の机の上にはガラスの扉のついた「特別本棚」があって、
その中には父のお気に入りの本が並んでいた。

 

 

 

何を言いたいかというと、
読み書きかせでもエコ活動でもなんでも。
「自分も楽しい」
「何より自分が好きで、したい」
「夢中になれる」
のだったら、
より、いいんじゃないだろうか、と思うのだ。

 

 

「頑張る」「しなきゃ、させなきゃ」が醸し出す大人の無理や、
緊張の方が、
結局子どもには伝わってしまうから。
(と書きながら、なんだか切なくなっている。
その気持ちも、よくわかるから。
そして、教員時代を思い出すに、
それで上手く行ったことは一つもないなあとも思うのだ)

 

 

いつも思うのは。

 

「大人が笑って、のびのびと自分の人生を楽しんでいる」
「その姿を、ただ見せる」

 

もっというと、
「家の中がなんか知らん、
そんなHAPPYな大人が出すHAPPYな波長で満ちている」

 

 

子どもの幸せはまずは、それじゃあなかろうか、と思うのだ。

制限も枠もなく「自由にしてください」と言われると、案外自分が「そう出来ない(思ったより自由ではない)」ことに氣づくものだ

 

 

 

写真は、先日書道ワークショップに参加の際に書いたものなんですが、
これを書くまでに小さな発見(衝撃?)がありまして。

 

 

お話などあれこれと聞き、そしていよいよ「筆をふるう」時間となり。
大きい広幅用紙も目の前に広げてもらい、
(何枚書いてもOK!ということで、山ほどの広幅用紙が準備してありました)

 

「さあ!」

 

と書くだんになって、
何も浮かばなかったのです。
書きたいものが。

 

 

 

で、仕方なく、
無限大(♾️)を縦につなげたような、
筆のウォーミングアップでよく書くにょろにょろの図を書いたり、
場内にいる人の名前を小さく書いてみたり…
そのあとは、
「うどん」とか「うなぎ」とか(うのつく看板シリーズを)
書いたりしながら、
内心戸惑っていたのでした。

 

 

「何も浮かばないなんて…💦」

 

 

たいして書きたくもない、意味のない字を連ねつつ思ったのは、
これまでやってきた「お習字」というのは、
手本ありき、だったもんなあ。ということ。

 

お手本があって、それを写すのが当たり前。
いかに綺麗に、いかに正確に写すか。

 

自分で何を描きたい、など思ったこともなかったし、
もちろん聞かれたこともなかった。

 

 

書くぞー!
かきまくるぞー!
爆発するぞー!

 

という心に反して、
真っ白な、圧倒的な、完全なる「自由」の前に、
身体はしっかりとフリーズしてしまったのでした。

 

 

 

写真は、やっと心身ともに「溶けてきて」、
6割?くらいのアクセスで書いたもの。

 

(何へのアクセス?と問われますと、
本来の書きたいとか表現したい、楽しいとか…
自分の中にふつふつと湧き上がるものへのアクセス、
という感じでしょうか。

 

さらに言いますと、

 

 

「なんかいい言葉を書かなきゃあ」
「説明できる言葉を書かなきゃ」
「あの人、変なこと書いてるって思われたら恥ずかしい」

 

 

などなど…
うるさい思考がだいぶ静かになった状態、とも)

 

 

 

「6割の字」ですが、
それでも、見ると、書いた瞬間の感覚が
湧き上がってきます。
(今は部屋の壁にでーんと貼ってある。嬉しくて捨てられない)

 

身体の中から湧き上がってきたものが、
腕に、筆につながって、墨と紙の間の摩擦でバチバチと音を立てていたような感覚。
自分の全細胞が歓んでいるような感覚と言いましょうか。

 

 

 

 

今、この文章を書きながら思っていることは、
「自分の本質」との回路は、
やっぱり密に、スムーズに開いていた方がいい、ということです。

 

いつでも、
どんな瞬間でも、常にすぐにアクセスできるように。

 

 

あなたは何がしたいの?
何が欲しいの?
あなたは何者なの?

 

 

と問われたときに、瞬間、すぐに、
その答えが自分の中から溢れ出るように。
(そこの回路が詰まっている人たちもたくさん見てき、手伝いもしてきました)

 

 

それが、
生きる上でとてもスムーズに幸せに生きられる、
ということではないか、
と思います。

 

 

一瞬一瞬の選択は、
自分の「そこ」に添うしか自分にとっての「正しさ」「幸せ」の道はなく、
その選択は、ますます嵐のように、数多く訪れると思うからです。
これから特に。

清里の街の再生に思うーつまりはわたしたち日本人全員の課題

 

 

 

 

 

今朝ほど清里の街の再生をする人たちの番組を見ていて、
なんだか悲しいやら切ないやらの気持ちになっていたところでした。

 

清里高原がブームになった時、
あそこに一斉に押し寄せていた若者たち
(パステルカラーの服を着て「聖子ちゃんカット」をしていた人たち)
とわたしは大体同じ年代なのだけど。

当時から幕末オタクの神社仏閣好きということもあって、
あの、キッチュな偽物(いかもの)チックな清里の雰囲気に、
なんとなく

 

「恥ずかしいな…」

 

という感慨を持ってみていたのだけど。

 

けれど、そんなわたしですらパステルカラーのものを、
何かしら身につけていたように思うので、
時代?流行り?空氣というものは本当に恐ろしい。

 

 

その番組には、清里の地元の人たちが描かれていたのだけど、
みるからに「本当に難儀だったろうなあ」と想像するに十分で。

 

ブームの時。
外からどっといろんな人たちが入ってきて、
「キッチュな」「イカものな」(言い過ぎ?)
お店をどんどん建てて、人が集まって。
その雰囲氣に乗って、地元の人たちも同じようにして。
「ああすれば儲かるのだ」「乗り遅れるな」と。

 

けれど、ブームが去った途端に、
外から来た人たちはさあっと潮が引いたように清里から去っていき。

 

後は、食い荒らされた土地に、
歯抜けのような空き店舗だらけの街。
その中にぽつねんと取り残された自分の店。

 

辛かったろう。
悲しかったろう。
歯痒かったろう。
絶望したろう。

 

と思うのだ。

 

 

父親からのレストランを引き継いだ一人の男性。
父親の工夫と努力で繁盛していた店を、
ブームに乗って改築し、席数を増やし、
効率優先で多くのお客を捌くために冷凍食品を使うようになり、
そしてブームが去った時、お客も去っていった。
お店は負債を抱え、閉店。

 

今、がんとして加工品を使わず、
パスタ麺を自分で打ち、カフェを続けるその人。
(喉から手が出るほど加工品を使いたいけど、でも使わない、と言っていた)

 

きっと彼は深い後悔の中で、この30年間
「自分とは何か?」「自分はどう生きたかったのか?」
を探し続けてきたのではないかと思え。

 

「清里だからお客が来るんだと思っていた。
でも、そうじゃなくて、いいお店があって、
それがたまたま清里にあった、じゃなきゃいけないんだ」

 

いうのはその人の言葉。

 

 

 

清里(のような、もしかしてあちこちにあるかもしれない街)が再生するとき。

 

今度こそ、その土地に根ざす人たち、一人一人の意思と、知恵と、
まことなる自立の心、
「こうしたい!」
「これが自分たちなんだ!」
「これを大切にするんだ!」
という心からの思いで街が息を吹き返すとき。

 

日本も真の意味で再生していくのではないか?と思える。

 

 

それは結局、
わたしたち一人ひとりの心の中、在り方と無縁ではなく。
(全てはフラクタル)

 

清里の人々だけでなく、
この大きな変化の時、
わたしたち日本人一人一人に、刃のように突きつけられ、
問われている、
大きな「喫緊の課題」なのだろうとも思える。

 

 

 

 

ここらで「人の話を聞く」という「超基本」について振り返っておこうじゃないかー私たちは本当に「聞いて」いるか?聞けているか?

 

 

 

数日前、会話をしていて「聞かれてないなあ」とモヤモヤすることがあり、

すっかり元気がなくなってしまったので、

(わかりきっていることですが「聞かれてない」「受け取ってもらってない」

という感覚は結構「来ますよね」心に)

 

 

 

みんなで再確認しましょう‼️

 

 

 

まず、前提として、
「コミュニケーションはキャッチボール」。

 

よく聞きます、知ってます、と思ったあなた。
この「キャッチボール」が本当には「出来ていない」こと、結構多いのです。

 

以下、
わたしが研修で実際にボールを使ってやる
「コミュニケーションはキャッチボール」のエクササイズを、言葉で書いてみます。

 

 

 

 

さて、「心地よいキャッチボール」のルールとは。

 

 

❶心地よい速度の(受け取りやすい)ボールが
❷一回に一個、こちらに飛んでくる

 

 

当たり前ですね。
当たり前なんですが、ボールを「言葉」に置き換えると。

 

「ものすごい速さのボールが」
「一度に2〜3個飛んでくる」

 

ようなキャッチボールを平気でやっている人がいたりします。
(ボールだと、そんなことしたら「何かの特訓か??」ですけど、
「言葉」だと平気でやってしまったりする)

 

 

 

 

さらに。
心地よいキャッチボールのルールは続く。

 

 

❸自分が投げたボールを「相手が受け取った」ということがちゃんとわかる

 

 

これも当たり前ですね。けれど、これを言葉に置き換えると、

「反応がない
(うなづきがない、相槌がない、目が合わない、受け取ったよというメールがない…)」

とても「不安になる」やり取り、溢れているんじゃないでしょうか。
さらに。

 

 

❹投げたボールが相手から自分の手元に返ってくる

 

 

この❹までを完了して、初めて「コミュニケーションが完了した」
ということになります。
ここまでをやって、一つのコミュニケーションが終わる。

 

 

「相手にボールを返さない」
「もらったボールを一人持ちし続ける」

 

 

そんなキャッチボールは「ありえない」わけですが、
これが言葉だと、ある。とてもある。ものすごくある。

 

 

「返事が返ってこない」

 

 

というわかりやすいものから、
あなたが一生懸命話した内容に対して、

 

 

「へえ〜、そうなんだ」

 

 

の一言で、

 

 

⚫︎「ところでさあ」とあとは自分の話に持ってかれる…
⚫︎「それってこうなんじゃないの」
と断定される、判断される、ジャッジされる、
欲してもいない(合ってもいない)「答え」を返される、などなど。
(ああ、なんて悲しい)

 

 

 

 

 

 

さて。
心地よいキャッチボールのルール。

 

 

❶心地よい速度の(受け取りやすい)ボールが
❷一回に一個、こちらに飛んでくる
❸自分が投げたボールを「相手が受け取った」ということがちゃんとわかる
❹投げたボールが相手から自分の手元に返ってくる

 

 

 

 

ボールを「言葉」に置き換えて、
自分が毎日、どんなふうに、どんな速度で、どんな投げ方で
「言葉というボールを」相手に向かって発しているか、
そして、どんなふうに受け取り、相手に返しているか。
双方にとっての快適な「リズム」はあるか?

 

 

改めて、「イメージして」みてください。

 

 

あなたと大切な人との対話において、
きっと、大いに発見するところがあるのではと思います。

 

「コミュニケーションはキャッチボール」

 

 

このことが、しっかりと「身体で」実感出来ていると、
コミュニケーションというものが、
「なんて言えば…」
とか、
「どんな言葉を使えば…」

 

以前のものであって、
表面的なハウツーのみでは成り立たないものだということが、
よくわかるのではないかと思います。

 

 

 

才能とは何か?ー今年もみんなが自分の才能全開で生きる1年となりますように

 

 

 

 

「わたしの才能は…」なんていう言い方は、
少々(だいぶ)抵抗のある人もいるのではないだろうか。
いや、むしろ言えない、という人もいるのではないだろうか。

 

才能・強み。

 

わたしの専門分野ではそれを、

「放っておいてもついつい勝手にやってしまう、思考パターンや行動」

と定義しているけれど、
最近、いろいろな人の話を聞いていて、

「人には見えていないものが見える(わかる)分野」

という言い方も(わたしにとって)ピッタリくる、
いい表現が見つかったなー、という気がしている。

 

 

ある人と、布の話をしていたのだけど、
話を聞いているうちに、
自分がミクロサイズになって、
布の繊維一本一本が交錯している巨大な織りの空間に
ふわんと浮かんでいるかのような感覚を覚えた瞬間があった。
(大昔、こういうSFドラマがあったぞと思いつつ⇨小さくなって人体に入るやつ)

わたしには想像もつかない視点。
見ているところ、見えているところ。
それは多分、その人にとっては「ものすごく当たり前」で、
わたしにとっては新鮮で驚きだらけのものだった。

 

 

で、
「才能」に関して、小さい頃伝記で読んだ
「シュバイツアー博士」の話を思い出したんでした。

 

シュバイツアーは小さい頃から、
オルガンがうまかった。
メロディに美しい和音をのせて弾く。

 

で、ある日、担任の先生に、
「先生はこうすると綺麗な演奏になることを知らないんだ」
と思い、アドバイスした。

 

翌日、先生が相変わらず、
片手で(一本指で?)オルガンを弾いているのを見て、
「みんなができるわけではないんだ。
これが普通だと思っていたけれどそうではないのだ」

ということを初めて知る、と。
そんな内容だったかと。

 

 

 

そのことが苦ではなく、ずっとできる。
そして、自分にとって、まるで
「そこに空氣があるように」
「ご飯を食べるように」

自然で当たり前のこと、感じ方、見え方、動き方。
それを「才能」と呼ぶ。

 

そしてそれは、もちろんあなたの中にも。
あなたの身近な人の中にも。
皆に備わっているもの。

 

 

それをお互いに交換しあい、
披歴しあい提供しあってつながっていく。
まるでパズルのかけらのように補い合って丸い豊かな世の中になる。

 

そんな世の中、
最高じゃないか!と今年、今この瞬間も、ものすごく思っている。

 

さて。
人はそれに「まみれて」いる時が一番幸せ。

 

今年、あなたはどれくらいの時間、それに「まみれて」生きるだろう?
あなたの大切な人の「それ」を発見し、
彼が、彼女がそれに「まみれる」ことをどれくらい
サポートするだろう?

 

どうぞ、今年も存分にやっちゃってください。

 

「効率」と対極にある「存在するだけでいい」

 

 

 

 

高齢の方がよく口にする言葉に、

 

 

「子どもに(周りに)迷惑をかけたくない」

 

 

 

というものがあるように思うけれど(そして、わたし自身もどこかでそう思っている自分を発見するけれど)
その根っこには、

「役に立たなければならない」
(役に立たないならいる価値がない)

という観念があるよなあ、
と、クライアントさんと話していて思ったのです。

 

 

役に立つか、立たないか。
効率的か、非効率的か。
正しいか、正しくないか。

わたしたちは、ずっと長いこと、
これらの軸を中心に据えて生きてきており、
なんとかして、

 

「役に立つものであろう」
「効率的であろう」
「正しくあろう」

 

 

と。
一生懸命にそっちの方向へ行こうとしていたように思います。
そういうものであろうとしていたように思います。
そして、(世間的に)逆の側にある状態は、

 

 

「見ないようにし」
「非難し」
「排除し」

てきた。

 

けれどもう、その軸から離れていいときがやってきたんだな、
と最近特に、そういうふうに思います。

 

 

 

 

 

 

つい最近、
知り合いに「江戸時代の長屋のたぬき男の話」というのを
書いて送ったんですが。

 

 

 

「長屋にたぬきが大好きな男が住んでいて、
自分の部屋の中にたくさんのたぬきを飼っていた。
匂いもするし…で、同じ長屋の人々は
『困った困った』と思っていた。

 

ある日、長屋が(もしくはそのたぬき男の部屋が?)
火事になったかで、
たぬきが全部死んでしまう。
男はたぬきがいなくなって、すっかり元気がなくなってしまう。

 

すると、長屋の住民がお金を出し合って、
たぬきを買ってあげた」

 

 

 

元々、日本人というものは、そういうものだったんだろうな、と思います。
「多様性」なんて言葉をわざわざ使わなくとも、
様々なものを「ありのままの姿」で大きく包み込み、
みんなでわしゃわしゃと、助け合ってげんきに生きていく、
そういう土壌をはじめから持っていたのだ、と。

とにかく、その際、生きる上での中心軸は、

 

「役に立つか?」
「効率的か?」
「正しいか?」

 

ではなかったことは確かなのです。

 

 

 

 

 

話戻って。
思うに大家族で生活することが少なくなって久しいので、

「上手に周りに頼り、家族や周囲に委ねて身を任せつつ、
人生をゆったりと全うしていくお年寄り」

のモデルがもはや身近にいないんだなあ、と、そういうことも思いつつ。

 

 

記憶の奥底にかすかに残る祖母の姿を思い出しながら、

 

 

(あれを「愛」と言わずになんというんだろう、と思うのです。
わたしが「無条件の愛」という言葉で唯一、思い出すのは、
部屋にちょこんと、ただ座っていたばあちゃんの姿です。
ばあちゃんのふところの温かさです)

 

 

 

これからいい時代になるなあ、と改めて思うところです。
何ってわけではないんですが、
このような話のできる人、響きあえる人、
共感できる人が身近にどんどん増えている、ということを感じ。

 

 

 

このようなつながりを新たな(いえ、本来あるべき)軸として、
やっていこう、動いていこう、という人たちの思いを、
あちこちで感じている最近です。

 

 

(写真は正月二日の鹿児島は城山からの眺め)

 

 

伯母の葬儀で思う、儀式や祭祀の大切さー「プロセスを踏む(体験する)」ということの大切さ

 

 

 

 

 

伯母が亡くなり、葬儀に参列してきたんですが。
一つ一つの儀式。
「手順」を踏みながら、「ああ、これはまさに生きている人間のためのものだなあ」と
あたらめて思ったのです。

 

 

(ちなみに、子どもだった頃
わたしに一番「かわいい」をたくさん言ってくれたのは
確かにこの伯母だったような、と改めて思い出しつつ)

 

 

お経を聞き、
(また、お坊さんは声がいいので、全身に響くんですよね)
お焼香をし、
そして、お棺の中に花を添え、
出棺の儀式があり、

そしてまた、火葬場での一幕があり。
何度も祈り、何度も手を合わせ。

 

 

そのプロセスを通して、
少しづつ、少しづつ、生きている者たちが
「この人は次の世界に旅立つんだ」
ということを身体レベルで「わかり」「受け止めて」いく。

 

悲しみと共にだんだんと「あきらめて」いく。
俗世から次第に離れていく、彼の人を見て、感じている。

 

そのプロセスが、
あの、段階を踏んだ様々な「行動」なんだなあ…と。

 

 

 

弔いの儀式というものは、
故人を新たなる世界へ送り出す場であると同時に、
参列する人間にとっても「死と再生」のプロセスを踏むものなのだな、
と思います。
生と死の境まで行き、そして再び戻ってくる旅。

 

火葬を待つ間、
出された仕出し弁当を黙々と食べながら、
ふと「際(きわ)」から「今」に。
「隠り世」から「こっち側」に帰ってきた感じがものすごくしたのですよね。
まるで長い旅から帰ってきたような?

 

 

ああ、生きてるんだなあ、と。
大きなガラス窓の向こうの、
雲ひとつない秋晴れの高い空を見ながら思いました。
空がほんとうに美しかった。

 

 

 

 

 

 

伯母との別れは悲しかったですが、
そんなふうに悲しみや辛さもあるこの世界を
一生懸命に生きるわたしたちには、
だからこそ「儀式」「まつり」が必要なのだな、と思います。

 

なんといましょうか。
「魂」とか、「存在そのもの」とか自分の心の柔らかいところ。
純粋なる喜び、哀しみ。
生(せい)の実感。そんな、日頃忙しくて、
すっかり忘れ果てている部分や感覚にアクセスし、味わう時間。
哀しみが昇華し、生きるエネルギーに変わる時間。

 

 

 

 

日頃の地面を這っているような近視眼的な視野の世界ではない、
自分が過ごしてきた時間や、
人生全体を俯瞰して見直すような、そんな時間。
命や志のつながりを脈々と実感するような時間。
非日常。異空間。

 

 

 

 

 

 

それを、儀式や祭祀、祭りというものは果たすのだろうな、と思います。
お葬式だけでなく、結婚式、結納の儀、卒業式、入学式…
そんなものも同じく。
土地土地のお祭りも。

 

儀式、祭祀、祭りは人にとって再生の場なのだ、と思います。
再び新たなるエネルギーで生き始めるための大切な時間。
まさに「ヒーローズジャーニー」。

 

旅立って、そして変容して帰ってくる英雄の「小さな旅」なのです。

 

 

 

 

今日は何というわけではないんですが。

 

効率、といったものとは全く別のところで、
人が人として生きるに、とても大切な時間がある、
(わたしたちの心と魂を再生する仕組み、
癒し、再び復活するための仕組みというものが、
わたしたちの伝統風習には、ちゃんと昔から組み込まれているのだなと)

と思ったのでした。

 

 

大切にしたいものだと思います。

 

 

 

転んだとき「我慢すると褒められる」男の子。 人が転んだ時に「他者の体の痛みにまで気を遣い同情すると褒められる」女の子。 この違いが「感情への感性」の違いを生む

 

 

 

 

 

 

「転んだとき『我慢すると褒められる』男の子。
人が転んだ時に『他者の体の痛みにまで気を遣い同情すると褒められる』女の子。

この違いが『感情への感性』の違いを生む」

 

 

 

というのは、岡田斗司夫氏が言っていたことで。
「男の子は、自分の体の様子や体調不良を我慢すればするほど褒められる。

なので、身体についても感情についても鈍くなるんだ」と。

 

ああ、なるほど。
結局そういうところから始まっているかもなと。

 

 

 

今はそういう親ごさんは少ないでしょうが、
わたしは小さい頃、泣くとよく怒られました。

結果わたし自身、「泣かない子」(我慢する子)に育ち、
なのでなんだかよくわかるのです。

 

 

 

 

 

例えば小さい頃の予防接種。
だいぶ痛かった覚えがあるんですが、
いつも全身&心を石みたいにして我慢していた。

 

 

 

そして、顔を真っ赤にして泣きわめく
周りの「園児たち」(←自分も園児)
の顔を見ながら、
「見苦しいな…」と。

(可愛くない子)

 

明らかに泣かないのが立派なのだ、と思っていました。

 

 

 

 

 

「自分は感情を感じるのがあまり得意じゃない」

 

 

と思ったのは仕事を始めてからのことで。
なので、教員生活の始めの頃は今思えばなかなかに大変でした。
(自分の感情を感じないように、
分厚い皮をかぶっているようなものなので、
子どもの「身体感覚」「感情」と本当の意味で触れ合うのに時間がかかり)

 

 

悲しいこと、びっくりしたこと、怖いことがあった時に。
怒りを感じた時に。
その自然な感情の発露を、

 

 

「それはいけないことなのだ」

 

 

と言われると、
(言葉で言われなくともそういう身体メッセージを発せられると)
確かに「それ」を感じるセンサーの感度は弱くなりますね。
自分の中で「それを感じる」ことへ許可がおりない。

 

 

 

 

けれど、我慢した感情自体はなくならなず、
ずっと自分の中に残り、着々と蓄積され続けるので、
結局「後で」味わうことになるのですけれどね。
(手をかえ品を変え形を変え、
絶対に「気づく」ような出来事が起き、味わうようになっている)

 

ずっと「放っておいた自分」「ないことにされていた自分」
は怒っていて、悔しくて、悲しくて、
寂しくてしようがないわけですから、
全力で「メッセージ」を送り続けるわけです。
気づいてもらうまで。

 

 

 

 

 

そう思うと、
「味わうべき感情」「湧いてきた感情」は
その場ですぐに、存分に味わってしまうのがいいな、
と本当に思います。
白黒つけず、いい悪いもなく、ジャッジすることなく、
ただ、しっかりと味わうのがいい。
(「味わう」と「表現する」は別物なので念のため)

 

 

 

 

 

 

 

家族との関係。
職場での人間関係。
仕事。
対ひと、ひと以外に関わらず
の大切なものとの関係、全てにおいて

 

 

 

 

あれ?と思ったら。
うまくいかないと感じたら。

 

 

その時こそ「今だ!」というメッセージなのだと思います。
「見て!」
「聞いて!」
「気づいて!」
「ここにいるから!」
という、「どこかに置いてきた自分」からのメッセージ。

 

 

 

 

答えは外側にはなく、
全部自分の内側にある。

 

 

「その自分」との語らい、承認、和解。そして愛を注ぐ。
それもまた、

 

前回書いた「自分の中心に戻る」「碁盤の目の中心に戻る」
(=それこそが世界への、あなたの貢献)

 

ということなのかと思います。

 

 

 

 

 

 

追伸:

「他者の体の痛みにまで気を遣い同情すると褒められる」女の子、

がOK、と言っているわけではなく。

それはそれで行きすぎると色々と弊害が。

バランスですね。

 

 

 

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