子どもは一人で育てるものではない。人間の特性上、そもそもそういうことになっている

 

 

 

 

ニホンザルだかチンパンジーだか、の母親が一人で「ワンオペ育児」ができるのは、

 

「生まれてすぐに、小ザルの両腕が、母親の身体にしがみつける」

 

構造と力を持っているからなのだ、と何かで見た。

 

 

小ザルは、自らの力でぎゅっと母ザルの身体にしがみついて、
振り落とされなることはない。
なので、母親の両手は自由自在。(ここが大事)
子どもを身体にくっつけたまま、
自分も自由に餌を食べたり、どこへでも移動することができる。

 

だから、「ワンオペ子育て」ができるのだ、と。

 

 

 

が、人間はそうではない。
生まれたばかりの赤ん坊は、コロンと転がったまま、
放っておけばすぐ死ぬ。
1年間は一人では何もできない。
(1年過ぎても色々と大変そうですが)

 

 

母親は、常に、自分の両手で子どもを抱き抱えていなければならない。
(抱っこ紐があるやん、というツッコミはここでは
論旨がズレるので置いておく)

 

 

 

 

これは、改めて、よーく考えてみると、
すごいことだと思うのだ。
家の中に、「放っておくとすぐに死んでしまう」
「寝転がっているだけ」の
「最高に大切な」ものがいるのだ。
常にいるのだ。
24時間待ったなし!なのだ。

 

 

この緊張。
このストレス。
これを「死ぬ気で」「全精力使い果たして」産んだ、
その余波も冷めやらぬ身体で、
(帝王切開だったら、切ったお腹が痛いよー!な状態で)
やるのだ。

 

 

 

 

今、身体のことを書いたけれど、
精神的な部分の長期の「負荷」も含めて、
本当に、人間の子育てというものは、

 

「頭を大きく産み、代わりに1年間は寝たきりで、
庇護者がつきっきりで面倒を見る」

 

という出産形態を選んだ段階で、
「チームで行う」ということが「必要不可欠」になったのだ、
と思う。

 

そうやって人類は「二足歩行」と「知」の進化を、得た。
それもこれも、全部
「子育てはチームプレイ」あってのことだ。

 

 

 

 

 

そう考えると…
今、一人で。
または基本夫婦だけで、一生懸命子育てをしていたとしたら、
それは本来の「人間の本質」ではない、
とても「不自然な形」なのだ、と思う。
「何か」と切り離されてしまった不自然な姿。

 

 

 

 

なので何を言いたいかというと。
まずは、カフェで騒いでいる子を見たら
(静かにしてね、は言うけれど)

 

 

その庇護者さんたちに、心の奥底で
限りない愛と敬意を持っていたい、と
まずはとりあえず、思うのだ。

 

 

 

 

「みんなのために」の前にまず「自分のために」が存分に満たされていないといけないよね

 

 

 

 

 

思った経緯は長くなるので省きますが。

 

 

 

「自分のために」が十分に満たされていない人の選ぶ、
「みんなのために」は
なんだか無理があったり、ギリギリな感じだったり、
「〜すべきでしょ!」な感じだったり…

 

見ていて辛く感じる時がある。

 

 

 

 

子どもに「みんなのために」を要求するような場合には、
前提として、
その子の「自分のために」がたっぷりと満たされていること、
そういう環境がこれまでもあったし、
これからも
あり続ける、という「安心感」が必要だよなあ、

 

 

としみじみ思う。

 

 

 

 

そして、
「その環境がなかった」と思う人は、

 

 

 

幾つであっても、
もう、まず、必死こいて「自分のために」を満たすことから
やればいい、と思う。

 

 

 

 

その先に自然な「みんなのために」が、
喜びの中で花開く時がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

「氣枯れ」を払い「祭り」を起こすー人が再び「つながり」を取り戻す場としてのワークショップ

 

 

ちょっと長いこと、投稿が滞ってしまいました。

結構たくさん文章は書いていたのですけれど。

あっという間に9月のワークショップのご案内の時期になりました。

 

*   *   *

 

 

「人と会いたい」「集いたい」と思うのはどんなときだろう?
「疲れているとき」
「なんだか寂しいとき」
「とにかく語りたいとき」
いろんな「とき」があるだろう。

 

どうしてわたしたちは「人と会いたく」「集いたく」なるのだろう?

 

 

 

セミナーやワークショップを作るときに
ずっと前から湧いてくるイメージがあって、
それが「祭り」。

 

かつては村々で行われる「祭り」がその役目を果たしていた、
「人の再生」。

 

 

生きることで「すり減る」わたしたち。

 

仕事。
家族のためのあれこれの時間。
世間や常識。
「普通は…」
「男なら」「女なら」「親なら」「上司なら」「⚪︎歳なら」…

 

たくさんの「⚪︎⚪︎なら」に
振り回され、合わせるうちに、
いったい何が本当の自分なのかわからなくなる。
そんなとき−−

 

 

 

火を囲み。
語らい。
歌い。
踊り。
太鼓を叩き。
思いっきり発散して。

 

 

そうして、仲間との時間を通して元気を回復していく。
それが祭りの役割。

 

しかも実はその奥で、

 

「自分への信頼の回復」
「ご先祖とのつながりの回復」
「自然とのつながりの回復」
「神様とのつながりの回復」

 

そんなことが全部、同時進行で行われていたのだから、
祭りというものは本当に、すごい。

 

 

まさに「けがれ=氣枯れ」を取り払い、
人が「つながり直し」「復活する」場。
それが古来からの「祭り」の姿、なのだ。

 

 

で、
話戻って、ワークショップ。

 

「知識の伝達」はもちろん大切なのだけれど、
今思い返してみると、
この仕事を始めた頃から、どんなお堅い場所での研修であっても
もちろんコーチングのセッションでも、

 

「そこ(知識の伝達)」をゴールにしていたことは、
一度も、ない。

 

 

わたしの中の「何者か」が、
いつものたまうのだ。
「祭りを、せよ」「祭りを起こせ」「人を震わせよ」
「響きを起こせ」
「目の前の人を、(本人だけが知っている)あるべき場に戻せ」

 

と。

 

 

これはもう、それこそ「持って生まれた響き」、
特質、なのだから仕方がない。
違うことをしようとすると身体が動かないのだ。
変えようがない。

 

 

なので、今回も。

「コミュニケーションの体感を鍛えるワークショップ・第4回」
も、そんな「祭り」をイメージしつつ、準備を進めています。

 

楽しみたい、という人はもちろん、
もし、どこか疲れているかもと感じていたら。

 

そんな人にも、ぜひきてほしい、と思っています。
何より「場の力」が、
わたしたちを元氣づけてくれるのではと
思うのです。

 

太古の昔から、人は「場の力」で元氣になってきたわけですし。

 

 

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🔷9月21日開催🔷
「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ・第4回」

「たまには「直感と思いつき」を頼りにしてみよう」
ー四元素でめぐる「自分発見の旅ー

 

🔸9月21日(日)14時ー16時半
🔸カクイックス交流センター 絵画製作室にて
🔸受講費 3500円

 

申し込みフォーム
https://form.run/@maikaze–LJ1V8NRFJwvcC5hlfdDc

 

 

 

 

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