「声をつかむ」

昨日セミナーで

「声をつかむ」話をしました。

昨日はスクールコーチ協会の学習会で

先生方や、お父さん、お母さんなどなど…が対象の会だったんですが

なぜか

ご自身のセミナーや講演が近い方、講師業をはじめる予定の方

講師をやっていらっしゃる方…が多かったので

なんとなくこういう話になってしまいました。

この、声をつかむのお話

わたしが最近クライアントさんから聞いて

えらく感動したお話なのです。

ご本人の了解をもちろん得まして書きますと…

学生の時「指揮法」の授業があり

(音楽科です)

外から有名な指揮者さんが来て

大勢で大合唱をした。

すると、いつも自分たちの先生の指揮の下に歌う時とは

全く違っていた。

どこで声を盛り上げて、どこで気持ちを入れるのか…

それは「こんなに変わるのか…!」という驚きの体験であった。

自分の中から不思議と出てくる「何か」

そして、みんなとの一体感、指揮者との一体感、ピアノとの一体感。

中村公子のコーチングna日々♪

「それは…まるで指揮の先生が

一人ひとりの声をつかんでゆらしている

感じでした」

声をつかんで揺らす。

心にずん、とはいってくる表現でした。

手で

体で

表情で…

すべてでもって

その指揮者は、一人一人から最高のものを引き出し

みなを一つの方向へ連れて行ってくれたのだそうです。

とても小さな男の方だったそうですが。

そういえば

昔、とてもはっきりと「つかんでいる」体験をしたことがあります。

だいぶ前のことですが

お芝居をやっていたときに

舞台の上、恐ろしいほど静かな一瞬がやってき

(野外劇でしたので『舞台』はなかったんですが)

そのとき

前に立つ自分一人と

客席の隅から隅まで、一人一人の観客と自分が

コードか何かでつながっているような感覚を感じました。

あのつながり

一体感

自分の手の一振り、目の動きひとつであの場の空気すべてを動かすことができると

「わかった」あの瞬間。

あの時の感覚、体験は

今の仕事にとても役立っている気がします。

自分も知らなかった声を出し

できると思っていなかった表現をし

自分でつくっていた「枠」を軽々と越えた合唱の感動はきっと、とてもとても大きかったことでしょう。

指揮者と私たちの仕事

「場をつかむ」ということ

「つながる」ということ

「最高を引き出す」ということ

とても似ているなあ、と思い、このお話をしてみたのでした。

「声と体の関係~ボイストレーニングに行って来ました」

東京にいる間に

ボイストレーニングに行ったのです。

「Breavo-para(ブレイヴォーパラ)」というところの。

表参道をちょっとひっこんだところにある白くてかわいらしいスタジオでした。

1時間半の通常レッスンに

参加させていただいたのですが…

感じたことは、「本当に、声は、体を通して出てくるんだな」ということ。

(あたりまえですが)

体という、一つの楽器というか、共鳴させるものから出てくるのだということを

再体験しました。

まずは、「体をほぐす」ことから始まります。

背中の上部から、4つのポイントをペアを組んだ相手に押してもらい、そこのコリをほぐすことをします。

それぞれの箇所ごとに

「声枯れを防ぐ」

「声を飛ばす」

と、その役割があって

そこがほぐれるごとに、なんともいえない気持ちよさやリラックスした感じ

そして体の温かさを感じます。

ああ、こんなところが固まっているのでは(うまく使えていないのでは)

自分の本当の声、よき響きの声は出ないなあ…

ということが、まさに体全体のほかほかする暖かさとともに感じられるのです。

バイオリンもピアノも、ギターも

なぜ、あの美しい響きの音色が出るのかと思うと

もう、この段階で

いかにいつも自分の体をないがしろにしているかを思って

苦笑い…

それから

さらに丁寧なストレッチに入っていきます。

これが…できない^^;

インストラクターさんと比べると、自分の体のあまりの融通のきかなさに落ち込みます。

まったく、別物(悲)

最後に、

胸に手を当て、「響き」を感じながら、低い声から出していきます。

ていねいに、ていねいに…。

十分にほぐした体は最高の声をだす「器」となってくれているだろうか・・・??

そんなことを感じながら、出してみます。

結果は…実は、よくわからなかった、というのが正直なところです。

(いつも響くけど、今日も響いているなあ、というかんじ)

今回は1回でしたが

これを繰り返していくと

自分の声の(体の)、あらたなる世界、もっと凄いレベルの世界が見えてくるのじゃないか

と思うと興味深いところです。

「薩摩スチューデント」に負けるな

 

 

NHKで「日本人の言語力の低下」についての番組をやっていました。

言語力とは

自分の思考や感性、気持ちを整理して、わかりやすく相手に伝える力、ということだそう。

 

前回のワールドカップ。

日本サッカーの敗因は「選手の言語力の低さ」にあったのだそう。

野球と違って、刻々と猛スピードで変わっていく試合の展開に

監督がいちいちゆっくりと指示を出していることなど出来ない。

各人が考え、うごかなければならないわけですが、その際、意思の疎通が図れず

それぞれが違った意図で試合をしてしまったのだそう。

(守りたい人、攻めたい人、ばらばらだったと、当時のキャプテンの宮元さんが言っていました)

 

そして

サッカーの指導者に

「言語力向上」のための研修がされている様子が紹介されていました。

ある質問に対して、「賛成か、反対か」を伝え、そのあと「なぜならば」という接続詞でつないで

自分の意見の「理由」を伝えると言う、よく中学でもやったような感じのもの。

 

オシム元監督が言っていました。

「日本人よ、自分の意見を言うことを恐れるな」

 

「伝えること」。

 

先日、研修の打ち合わせのためにとある短大にうかがったのです。

で、学生さんに聞いてみました。

(講座内容は、「キャリア教育、というか就職対策」です)

単刀直入に

 

 わたし「ねえ、どんなことが知りたい?」

 (大きなさっくりとした質問に答えてくれた学生さん、感謝)

 

 学生さん「う~ん、面接でどんな質問がよくでるか」

 

 わたし「そうかあ~(それは…わたしが燃えないなあ)」

 

いろいろ考えてはいたのですが…

「伝える」をテーマに、やってみようと思います。

 

この講座は他に2人の講師と担当するのですが

他のお2人はビジネスマナー等のプロでいらっしゃるので

面接や電話応対の際の言葉使い、姿勢、立ち居振る舞いなどなど・・・

具体的にやってくださると思うのです。ですので、わたしは、それらの『根幹』にあるものを…。

 

「あなた達は『伝えられる』ものを持っているか?」

 

「国家の品格」にあったと思うのですが

幕末?明治?の海外留学生は、英語はまったく流暢ではなかったが、西欧人から

とても尊敬されたと。

それは、自国の文化にちゃんと造形が深く、日本人として「語るべきもの」(自分の考え、核)を

持っていたからだと。

さらに、どんなに早く英語教育をし、仮に、英語が上手く話せるようになっても

「しっかりした語るべき内容」を持たぬ人間は意味がない(という表現ではなかったと思いますが)

というようなことが書かれていたのを思い出します。

 

その、「語るべき内容」とは、「思考すること」からうまれるものであり

「思考の深さ」=「母国語の習得度合い」と深く関わってくると。

だから、幼い時期は特に英語より、まずは国語。何をおいても国語の勉強であると

著者の藤原さんは力説なさっていますよね。

 

話が少し、それました。

今回の講座で「母国語は~」とか「日本の文化はあ~」とやるつもりはないんですが

どんな質問がよくでるか、ではなく

「どんな質問が出ても、自分の言葉で、自分の心からの思いを伝えられる」ために

今、何をすればいいのか

 

といったようなことを

学生さんとみんなで考え

体験する時間を作ってみようかな、と思ったことでした。

 

最後に

またまた話は少し飛びますが、1週間ほど前、「維新ふるさと館」に行ったのです。

幕末、明治維新を中心に、鹿児島の歴史に触れることが出来る場所なんですが。

そこで

「薩摩スチューデント、西へ」という短い映画を見ました。

慶応元年に、薩摩から英国へ留学(幕府は許可していませんので、見つかれば大罪です)した19名。

イギリスで、彼らの聡明さや理解の速さは驚嘆されたそうです。

イギリス人にどんどん質問をしている姿が映画には描かれていました。

そんなかれらの飛躍の土台にあったのは、紛れもなく日本で培った、日本人の学問、文化、価値観でした。

 

オシム監督が言っていた、もう一つの言葉があります。

「日本人らしさを追及せよ」

 

「日本人らしさ」は「自分らしさ」ともつながります。

自分は、何者で、何を大切にしていて、これまで何をしてきて

これから何をしたいのか…

 

それらを考えて考えて、整理して言語にして、人に伝えてみることで

「どんな質問が来ても、ゆるがない」自分の「軸」のようなものを少しでも探ることが出来たなら

学生のみなさんに、何よりもよいプレゼントになるかなあと

そんな気がしています。

 

「大人よ、自分の言葉で語っているか?」

11月21日(土)
鹿児島地区の勉強会が終了いたしました。

この日は
いつもと違い、一つまたチャレンジを…。

ご参加くださった方から
「今コミュニケーションについて、一番考えていること。知りたいこと」
をお話していただき
そこからその日にやることを決めるというやり方。

いらしてくださった先生から
こんなお話をいただきました。
「子どもとの間の『垣根』をとるには?
子どもが『別に』とか、心を開かない反応をするときに
まずどうやって話をしていけばいいか」

う~ん。どうしよう。
頭の中に、いくつか選択肢が浮かんだのですが
この日は
「Iメッセージ」について学ぶことにしました。

子どもとの関わりの中で
日々交わされるのは圧倒的に「指導・説諭・説得」が多い。

何度言っても宿題の作文を持ってこない子に
  「ダメじゃないか。ちゃんとしなさい。約束を守れないようじゃ将来困るよ
  社会に出てから信頼されないよ」云々…。

先のこと(進路)がまだよくわかんない、という高校生の息子さんに
  「そんなことでそうするの。いいかげんちゃんと考えないと。
  計画を立てて進まないと、将来そんなことじゃ大変よ…」

まあ、なんとも立派な「お説」ですね。
これらは、伝え方としては「YOUメッセージ」をいう伝え方です。
「あなたはダメじゃない。あなたは将来困るわよ。あなたは信頼されないわよ」

「あなた」を主語として、相手を「変えよう」「意図する方向に動かそう」
とする大人の意図が働いています。

思うに、こういう場合の「YOUメッセージ」が
子どもに受け取ってもらえるのは
子どもが大人を(つまり、それを言っているあなたを)
「凄い存在だ」と無条件に心から尊敬しているときくらいだと
思うんですよね。

力で押さえつけられて恐怖心から「聞いている」状態のときは
その場では聞いていても、心の中には入っていないでしょうし
あなたと子どもの「力関係」が逆転したとたんに
「ものすごい反発」や
「軽蔑」の言動となって子どもから帰ってくることでしょう。

(私自身も、教員時代に「いやっ」ていうくらい体験しましたからね^^『逆転現象』)

さて
体も小さく、顔もこわもてでもなく
体力も並。
そしてたいして指導力もない教員時代のわたしが
この「負のスパイラル」
(YOUメッセージで「世間一般の常識という正義」をたてに子どもを
コントロールしようとして、倍の反発を受ける)

からいかにして脱出したか…^^

その鍵は

「Iメッセージ」

にありました。

「相手が取った言動から、自分がどのような影響を受けたかを
『私』を主語にして伝える」のが「Iメッセージ」

  「あなたの宿題を見るのを、『私は』楽しみにしていた。
  見られなくて『私は』残念に思っている。
  今、『私は』ちょっと悲しい。」

先の、高校生のお子さんを持つ親御さんは
こういうふうに息子さんに言います、と
ロールプレイで演じてくださいました。

 「あなたが、自分の好きなことを見つけて生き生きしているのを見ると
 『お母さんは』とっても嬉しい。
 『お母さんは』あなたが将来、自分の大好きなことを見つけて
 自分の人生を歩んでいく人になっていほしいと思っている」

自分がこの方の子どもだったら…と想像すると
先の「YOUメッセージ」ではもう「ムカつく」という言葉が出そうなくらい
受け取ることが出来ません^^。

そして、この「Iメッセージ」は…
戸惑いながらも
「お母さんがそう思ってるってことはわかったよ。
たまには考えてみるか…うまく行くかはわかんないけどサ」

くらいの気持ちにはなるのではないでしょうか。

さて
先日、熊本のコーチフォーラムでもお伝えしたのですが

「子どもがあなたから聞きたいのは『世間一般の正論』ではない。
あなたの人生から生まれた『生きた言葉』が聞きたいのだ。
あなたの『思い』。あなたの『心』を聞きたいのだ」

といったところでしょうか。

「正論」「常識」「世間は」「みはな」…。
そこを離れて、「自分の言葉」で
「自分の感情を語る」

これは、相当勇気のいることです。
真の意味で、自分と向き合うことにほかならないからです。

でも、自分の「感情」と向き合えない人間が
子どもの「心」をつかむことなど、できはしないのです。

バレエ「平家物語」

鹿児島で古くから活動していらっしゃる

白鳥バレエの60周年記念公演に行ってきました。

これまでも

「ヤマトタケル」

「邪馬台」と

日本古来の題材を創作バレエとして演じてこられたのだそうですが

今回は

「平家物語」

頭の中にある平家物語に関する知識をひっぱり出し、思い起こしつつ

会場へ向かいます。

どんなふうに「平家物語」の世界がバレエで再現されるのだろう、とワクワクしつつ

知人が出演しているので、お花などを預け

中へ。

実は…バレエを「全○幕」という形でしっかりと鑑賞したことがこれまでない私。

歌舞伎のときは途中でちょっとだけ寝てしまったしな…などなど

(まあ、歌舞伎は「半日」ですから)

これまでの自分のもろもろの鑑賞歴を思い出したりしつつ

幕の上がるのを待ちます。

さて

始まってみると、あっという間にすぎた「全三幕」でした。

すっかり平家一門の栄華と凋落の世界に引き込まれて帰ってきたのでした。

内容もなのですが、見ていてしみじみと感じたことは

周りで踊るたくさんの人たちあっての舞台だなあということでした
主役級の方々はもちろん素敵なのですが
周りの人たちがあってこそ、「場」ができている。
平家の栄華の世も、戦乱の世の不穏な空気も
平家一門が身投げしていく壇ノ浦のみな底の哀しさも・・・たくさんの踊り手あってこそ創ることができる空間で
また、その一人の踊り手さんが
お一人お一人、ものすごく「民衆」だったり「海」だったり「女官」だったりするんです。

完璧に、心から一人ひとりがその役割を果たしている。

舞台の、どんな端っこの人も、全身全霊でそこにいらっしゃる。
その「何か、伝わってくる大勢の人の力」に圧倒されたことでした。
なので、実は幕が開いた直後からなんだか「目に涙」…(早すぎますよね^^)




それからもうひとつ

主役の建礼門院徳子を、一幕とニ幕は若い方が
ラストの三幕のみを、この舞台で引退なさる70歳のプリマの方が踊られたのです。
動きが激しくて華やかな「大技」がふんだんに見られるのはどう見ても一幕とニ幕で
三幕目の主役はあまり動きがないのですが
でも…


一番徳子の「思い」が伝わってきたのは
三幕目でした。
あれは、何なのでしょうね。
舞台に立って、両手を広げ、あごを45度に持ち上げて立っている
それだけで、客席の隅々にまで、その方の「感謝」や「慈愛」のまなざしが
ずわあ~っと、広がっていくんですよね…。

同じ、手を動かすにしても、その動かした手によってかき乱される周囲の空気の質が
違うんです。


技術はとても大切で、でも、やっぱりそれだけではないところで
人の中に深く伝わっていくんだなと感じたことでした。






なんだか
とても触発されて帰ってきたことでした。


「神7人、選出!」

中村公子のコーチングna日々♪

昨日は日本全国キャンドルナイト

そして皆既日食を1ヵ月後に控え

わたしの周りはいやおうなしに盛り上がってきています。

そういうのが好きな人たちがわたしの人間関係には

たくさん配置されているというありがたい状況なのです。

マヤ暦

「コズミックダイアリー」の公式講師NAOMIさん

カタカムナの集いやいろは書道の会を企画してくださる

「心の芸術家、ウーさん」

などを筆頭に、たくさんの「面白き」方々が、いつもわたしの人生に潤いをくださいます。

さて、そんな皆様方が企画しているのが

7月25日、マヤ暦でいうところの「時間をはずした日」に鹿児島の桜島、「月読神社」で行われる

(きれいな名前の神社でしょう!?もう県民として胸を張って自慢したい!!)

「月読祭~魂の岩戸開き」



そこで、前にも書きましたけれど、「天の岩戸開き」のお芝居をやるのですね。

古事記の原文で!(ここ、こだわってるところ)



土曜日は、台本第1稿を持参

さっそくスタッフのみなさまに読んでいただきました。




当日のイメージを描いて欲しくて



「はいっ。ここで松明7名登場~。太鼓の音はいる!

一斉に松明中央に歩いて客席へ~!

松明7人はここで『神』に変身っ!



お客様は『天の安の河原』に集まった八百万の神。

その中に立つ7人は神の代表ですよぉ~はい、立ったあ~!神になったあ!」



と、台本片手に太鼓に笛に琵琶の音まで口まねしながら

ほとんど怪しい状態で熱くみなさんにご説明申し上げていたら

皆さん結構「乗って」いだたけだみたいで

(スタッフが「演じる」ことまで請け負わないといけない芝居になるなんて

わたしも作りながら予想してなかったんで、いきなりの提案だったんですが)

その場で

「当日だれが『神』をやるか決めようぜ!!」ということになってしまいました。

(嫌がられるよりずっと嬉しい反応でしたけど、ちょっとびっくり)

さて、

岩屋戸に隠れてしまったアマテラスオオミカミを外へ出すための

この「天の安の河原」で行われた「神様作戦会議」幾人かの方々が出てこられるのですね。

知恵の神さま「思金神」(おもいかねのかみ)

力持の神さま「天手力男神」(あめのたぢからおのかみ)

そして、みなの期待を一身に受け、岩戸の前で舞を舞う

「天宇受売命」(あめのうずめのみこと→イラストの方)         

などなど

みなさん

・・・結構嬉しそうに選び選ばれしていたなあ^^

さて、

メインの7名の神も決まり、

(なにより、「そんな恥ずかしいことやりたくないっ!ていわれなくてよかったと)一安心。

水曜日は現地視察に行ってまいります。

海越えて~。





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