詩とか文学とか、なんのために学校で勉強するのかと言いますと。

 

 

 

 

朝のリレー 

       谷川俊太郎

 

 

カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている

 

ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

 

この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

 

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

 

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

 

 

 

*  *  *

 

 

 

今でも、夜明け前に起き出して、
どこか遠くへ移動するとき、
ちょうど空が白んできた頃、つい口ずさんでしまうんですよね。

 

 

「カムチャツカの若者が…」

 

 

この詩の言葉が身体の中に呼び起こす

すがすがしさ、
静かな躍動感、
何かが始まる前のワクワクする感じ、
壮大な感覚

そんなものが、
わたし自身の身体にもしっかりと刻まれてしまったんだなあ、
と。

 

 

この詩に出会ったとき、
もはや「いい大人」だったわたしでさえそんななのだから、

みずみずしい13歳の頃に出会った子たちの身体には、
もっともっと、深く刻まれていたらいいなあ、と思うんですが、
それは「授業をした人」(つまりわたし)
の力量に大きく関わっているんじゃあ??

と思うと、ほんっとに責任を感じる😅
と今更ながらに思うことなのです。

 

 

 

 

 

谷川俊太郎「朝のリレー」。
入学後のとても早い時期(春か、遅くても初夏)の題材として、
載っていたように思います。

「出発」「新しいスタート」を迎えた子どもたちに触れてもらうに、

なんとも相応しいなあと。

 

 

 

 

美しい言葉に触れること。
美しい世界に触れること。
そこと、いつでもすぐにアクセスできる回路をつくること。
そこは、心の故郷であり、
いつでも自分を助け、温め、癒し、鼓舞してくれる、
大きな大きなものの「みなもと」。

 

 

 

 

詩の授業なんてのは、
結局「そういうもの」をたくさん作るために
やるんじゃあないの?

 

 

そこから始まる長い人生、
どんな場面でも、
「帰れる」「繋がれる」心のエネルギー源をたくさん作るために。

 

 

 

 

と今なら思います。
今ならわかります。

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

《追伸》
この「朝のリレー」のドリル(市販の小テスト)を見ていたら、

 

【そうしていわば交替で地球を守る】
ここの意味として正しいものを選べ。(4択)

 

の選択肢の中の三番目の選択肢が
「地球防衛軍に入って防衛に力を尽くす」
という感じの選択肢だったのが、とても(笑えて)気に入ったことを思い出します。

 

光源氏がいろいろとひどい(笑)

 

 

 

 

ずいぶんと久しぶりの投稿になってしまいました。

暑い暑いと言っているうちに、はや中秋の名月です。

 

 

さて、今日の文章。

わたしの周りの幾人かも、

「思ったー!」

との声があったので、アップしてみます。

 

 

*   *   *

 

大河ドラマで式部がいよいよ「源氏物語」を書き始めたので、なんとはなしに読み始めてみた、
と言いたいところだけど、朗読を聴き始めのです。(桐壺から順番に)

 

与謝野晶子訳のを聞いているのだけど、
わたしにとって与謝野晶子も十分に「昔の人」の範疇ですし、
古典の文章の特徴か、一文が長くて冗長なところもあって、
聴いていて、

 

「あれ?今の誰のこと??」

 

ということも多々ありなのですけど、
とりあえず「夕顔」の終わりあたりまでやってきました。

 

 

で、
ここまで聴いて感じていることは、
「源氏、ひどーい😆‼️」

 

今の所、出てきている女性は

⚫︎「藤壺」(帝の妻で源氏の義母/道ならぬ恋に燃える源氏)
⚫︎「空蝉」(他人の奥さん/道ならぬ…(以下略))
⚫︎「軒端荻」(空蝉の代わりについ『そい伏して』しまったひと。つまり人違い)
⚫︎「夕顔」(乳母の家に見舞いに来て、隣の家で見つけたひと。源氏ぞっこん。けれど生き霊に憑かれて死んでしまう)

 

の四人なのだけど、
空蝉になんとか会おうと忍んで行って逃げられ、
代わりに別のひとに間違って声をかけてしまい、仕方なく、

 

「わたしはずっとあなたを思っていたのですよ」
(うわ〜、すごいなあ)

 

夕顔が死に、
悲しみのあまり病になる源氏。
ありし姿をしみじみ偲んでいる頃、
空蝉から手紙が来て思う。

 

「この人を思う熱情も決して冷めていたのではないのである」
(おいおい、君は何を言っているのだ??)

 

 

空蝉との逢瀬を作るため、
空蝉の弟、小君(こぎみ)をそばに置き、何かと手引きをさせるのだけど、
なかなかうまくいかない。
そうすると、

 

「お前は役に立たないな」
「いつまでお前を可愛いと思っていられるかわからないな」
(など言い放つ。子ども相手に!)

 

 

光源氏17歳。
輝く日御子。若さゆえの我儘か、
傲慢さか、癇癪か。
(若いってすごい)

 

ちなみに、「末摘花」(鼻の赤い姫ですね)の巻でも、
源氏は相当「ひどい」(笑)。
心の中で言いまくっている。
(醜いなあとか着物のセンスがダサいなあ…的なことを)

 

 

けれど、一度「めおとになった」末摘花を見捨てることなく、
「この人の夫となったのは、
この人の亡き父の必死の引き合わせだったのかも」

 

なんて思いつつ、せっせとお世話を続けるのだけど。

 

 

 

「源氏物語」。
若くて、美しくて、傲慢でわがままで、好奇心の塊。
繊細で感動屋。
心優しく、たおやかで、まめまめしく。
その言葉の尽くし方と言ったら本当に「学べるレベル」。

 

そして、
全てのもの、全ての女に必ず、

 

「美(それぞれの良いところ、美しいところ)」

 

を見つけ、そこを愛おしみ、慈しむ力を持つ光源氏。

今の所、そんな感じでしょうか。
わたしの中に立ち上がっている光源氏像。

 

 

これからも、呆れつつ、
「ひどい〜😆」と可笑しくなりつつ、
ため息をつきつつ、
この若者がどう成長していくのかを
ゆっくりのんびり見届けようと思っているところです。
(いずれ因果応報、いろいろと帰ってくるんだぞー!と思いながら)

 

 

そして、何より新鮮に感じるのは、
その、源氏の見て、感じている「世界」の細やかさ。

 

それはつまり、式部が見てとり、氣づいていた世界、ということで、
当時の平安人たちがすべからく
「見てとり、感じ取っていた世界」
ということなのです。

 

今のわたしたちにはもうもはや、
よくわからなくなっている感覚も多々あるんだろうなあ…
と思いつつ、
自分の身体中の感覚を押し開くように、

 

浸ってみる「源氏物語」の時間な感じもしています。

どこへ行く日本人。どっちつかずの日本人。お前は何者?

 

 

 

今日から浴衣を着てみたんですが。(7月の声を聞いた途端、うずうずしてしまい)
半分は趣味、半分は仕事でしょうか。

 

 

 

 

話は飛びますが、
偶然「フットケア」の特集番組を見まして。

 

足の不調(外反母趾や、巻き爪、魚の目、たこ…や何やかやで痛くて歩きづらい)
をどうケアするか、という話と、
予防として、そもそも「そうならない」ための「靴選びや歩き方」、

といった内容だったのですが。

 

 

それを見ていて、思ったことは、

 

「なんだかんだ言っても、わたしたちは『靴』に馴染んでいないし、
『靴で歩く』ことにも扱いにも慣れていないのだな」

 

ということでした。
靴を履き始めて160年(やっと)。
身体なんて、そんなにあっという間に変わるものじゃない。

 

 

一体、何人の日本人が足のため、
身体のための「靴の正しい選び方」「扱い方」をちゃんと、
お味噌汁を作るくらいの「当たり前」レベルで
知っているだろう、出来るだろう、と改めて思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

で、
ふと思い出したのですが。

 

相当昔の話なんですが、何かの番組で、
「オードリー・ヘプバーン」の問題が出ていて、その問題が、確か

 

「オードリーが小さい頃、足が綺麗にちゃんと成長するように親ががやったことは?」

 

というような問題だったのです。
で、いくつか選択肢があって、
答えは「足首まである編み上げ靴を、紐を締めてしっかりと履かせる」
だったように覚えています。

 

 

今思えば、向こうの人たちにとって、そういうのは、
至極当たり前のことなんだろうなあと。

 

 

 

 

 

で、日本人なのですが。

 

 

では、草履や下駄を履き、畳や板の間で「座して」暮らすことで
昔からご先祖が馴染んできた、

 

「身体の使い方」

 

は身体にちゃんと息づいているか?というと、
それももう、ない。

 

 

 

そして、今の若い子たちは「蹲踞(そんきょ)」ができず、
丹田の場所がわからず(こういう役者の卵の子に会ったことがある)、
浴衣の帯をウエストで結び(男の子です)
腰を立てて姿勢をキープできず。

 

しかも衝撃だったのは
10代から「尿もれ」を起こしている女の子がいると。
(骨盤底筋が弱いのが原因らしいのですが、
これは、和式の生活をしていればごくごく自然に鍛えられてきたものなのだそう)

 

 

 

 

で。
「どこへ行く日本人」
「どうする日本人」

 

と思ってしまったわけなのでした。
もう「和」は捨ててしまった。
どっちつかずで何者でもなくなってしまうんじゃないか?と。

 

 

フラフラと。
あっちへいき、こっちへいき、何が正しいのか?
何を軸にしたらいいか、とても深いところでわかっていないというか、
なくなってしまっている。
その精神も、「よって立つ『よすが』がない」感じ。

 

 

それらは、こういったところにも
(生活様式、身体の使い方が伝承されていないところにも)
その原因はあるのではないか??
とずっと以前から思っているのです。

 

身体の軸と精神の軸はしっかりと繋がっているわけですから。

 

 

そんなことを考えつつ、浴衣でここに座っている今。
(近所の人と、カフェの店員さんから
「何かお稽古ですかっ😃!」と声をかけられつつ)

 

 

 

 

それにしても。
「和のよそほひ」って、背中を丸めようがないなあ、と
(下腹が定まって楽だよなあと)。

 

それに、下腹で楽に全身を支えられるので
(帯で下腹をきゅっと締めてますんで)
肩に余計な力が入らなくて、大変よろしい。肩こり防止に。

 

 

 

 

日本人の中心は「肚」なんだなと。
頭(思考)と、胸(感情)と、肚(意思・精神)。
最終的には、腑に落とし、決断し、
そして「肚からの声」で伝えるのが日本人だったんだろうなと。

 

そんなことをつらつらと思っているところです。

 

 

 

なまはげの社会適応

 

 

 

 

秋田で仕事をしていた姪からのお土産が届き、
スモーキーで味わい深いいぶりがっこや

 

「かき飴」
(牡蠣エキス入りの飴。甘いのに海産物の味もちゃんとする😳)

 

など、
南国人からすると大変珍しいものがたくさん入っていたのだけど、
その中でも見た目のインパクト大(だい)!だったのが、

 

『なまはげのおくりもの✨✨』

 

という秋田のお米で作ったサブレで、
ふわっと軽いお味で大変美味しかったのですが、

 

 

偶然にもその日の夜、
「なまはげの社会適応化」
というのを番組でやっており、
なまはげサブレの興奮も相まって、興味深く見たのでした。

 

 

 

「泣く子はいねが〜👹」

と、大晦日の夜、家を回り、
子どもに大きなトラウマを残す「ナマハゲ」。
(確かに、映像に残る昔のナマハゲは激しい!これは子どもは怖いだろうなあと😊)

 

これが、時代とともに、今風にいうと
「コンプライアンス遵守(笑)」

な言動に変わり、
(入り口でインターホンを押し「はいってもいいですか?」と聞き、
靴を脱いで揃えて上がり、そこから「泣く子は…」とナマハゲモードに入る^^)

担い手不足に伴って、外国人のナマハゲが生まれ、

 

さらにはコロナによって、
「窓越し、ガラス越しのナマハゲ訪問」

 

に至る、という…
まさに、社会適応化の「歴史」。

 

 

 

お笑い芸人さんの番組なので、
その「変遷」につい笑ってしまうのだけど、
その向こうにはどうにかして「ナマハゲ文化」を伝承したい、
しなければ、という男鹿半島の大人たちの願いと工夫がひしひしと垣間見え。

 

 

サブレの袋のインパクトある可愛らしいナマハゲを見ながら、
「こんな苦労と歴史があったのか…」
と、色々と感じ入ってしまいました。

 

 

 

ここでふと思い出したのは、長崎くんち。
たった2年休んだだけで(コロナで)
「伝承」が危うくなってしまった町がある、という話を思い出し。
(知識と技術を「つなぐ」ために大変な苦労をすることとなった人たちの話を見たんでした)

 

 

なくなってしまう(途絶えてしまう)ということは、
食であっても風習であっても、「モノや行事がなくなったね」では終わらない。

 

とても多くの、たくさんのもの…
つまり、そこに込められ、先人たちが大切にし、なんとか繋いできた、
「心」「価値観」「精神性」までもがもはや伝わることのない、
失われたもの、になってしまうということなのだ、
(だからこんなに努力しているのだ)

 

と、そのくんちの番組を見た時に、強く感じたのでした。

 

 

 

さて。
これから、ナマハゲにどんな将来が待ち構えているのか?
それは分かりませんが、
それでも。

 

これからもナマハゲに幸あれ!
男鹿半島の皆さんに幸あれ!
日本&世界中の、
「自分たちの土地の伝統、文化、風習」を大切に守り伝え、育て続けるすべての人たち
(つまりわたしたち一人一人の中にあるその心とDNAに)
幸あれ!

 

と心から思ったのでした。

「よくも断じたまへるものかな」という龍馬の言葉を思い出した日

 

 

という言葉は(タイトルの)

徳川慶喜が大政奉還をした際に、龍馬が慶喜に対して言った言葉、らしいんですが。

 

 

知り合いがPTA活動や地域の活動に尽力していることは
結構前からFacebookでおりに触れ見ていたのだけど、その知り合いから、
「市議を目指しているので、よかったら応援してください」
のメッセージが来たときに、
頭の中にぽやん…と浮かんだのは、

 

「…かくすればかくなるものと知りながら…」

ご存知の通り、吉田松陰の歌で、
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
(こうすればこうなるとはわかっているけれど、やむにやまれぬ思いが私を突き動かすのだ)

 

 

 

議員になるとは、
わたしのイメージは「盆も正月もない24時間の仕事」。
自分の全人的なもの、
全てをかけて取り組まねばならない仕事であって、

 

本人だけでなく、
家族全員の在り方も全方位に向けて問われる。
そんなものはもはや「仕事」という言葉でくくれるものではない。

なので、

 

「ああ、本当に、やむにやまれぬ思いがあってのことなのだな」

 

と素直に思ったのでした。
そして、次に浮かんできた言葉が、タイトルの言葉だったわけです。

 

 

 

知り合いは、きっと「やるだけやった」んだろう。
自分の立場で、学校と、教育と、子どもを育むべき地域に関わって、
やるだけやって、
そして最終的に選んだ道なのだろう、
と。

 

 

 

ちなみに。
知り合いが「市議を目指したい」と言ったときに、
2つの反応があったそうで。

 

一つはわたしと同じ。
「よくも断じ給へるものかな」
な反応。

 

もう一つは、
「いいねー。当選したら何にもしなくてもお金入ってきて生きていけるもんね」
的な反応。

 

それを聞いて、改めて驚いたんですが。
(へええ〜😳❗️と)

 

 

 

さて。
「よくも断じ給へるものかな」。

 

誰の胸の中にも、
今の世の中への憤り、
「ああ、もっとこうであったら」
「人が自然に、健やかに、ただ幸せであれる状態はどこにある?」

 

(そうであれば、これからこの世界を生きていく若い子達に、
「どうだ、生きるって素晴らしいんだぞ!」といろんなものをもっと胸張って手渡せるだろうに)

という思いがあると思います。

 

 

 

そんな中。
自分には出ようもない勇氣の選択をした人に対して。
「すごいよね」
「頑張って」
という素直な感嘆の気持ちがこの文章を書かせているわけなのですが。

 

 

そして、その「思い」が実をむすんで欲しい。
勇氣を出して、無私の心を持って「断じた」人たちが、
その使命を全うできる場へと、
願わくば運んでゆかれますようにと、
これも素直に願っているところです。

 

 

直接仕事とは関係ないのですが、ふと浮かんだので書いて見ました。

 

 

 

(写真は仙巌園からの山桜。
この季節に思い出す歌といえば、

 

「敷島の やまとごころを 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花」

 

というのもありますね。本居宣長。

 

ーわたしの中にある日本人の心とは?と問われたら、
それは朝日に美しく輝く山桜に感じ入るような心、だろうかー

というような意味)

 

「どうする家康」。時代考証グッジョブ!(ナンバ走りに萌えた夜)

 

 

 

 

 

 

昨日の「どうする家康」。

女の子(阿月ちゃん)爆走の回。

 

 

 

時代もので走る場面で、100M走の走り(現代の走り方)で
思いっきり全力疾走するのがいつも違和感だったのですが、
昨日はちゃんと「ナンバ走り」でした♪

 

(手を身体の横で上げ下げして、変な走り方だなあと思った人も多いのでは。

ちなみにあれが本当にそのまんま、当時の通りなのか、

もちろんわたしにはわからないのですが)

 

 

 

 

 

 

以前、この「ナンバ走り指導」の方の動画を見て
「ナンバ走り」を習得しようとしたことがあるんですが、なかなか難しくて。
(ナンバの動きを日々の動きに取り入れられると身体が楽で効率的、と聞き)

 

 

 

 

 

 

 

 

(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=G29X8CBlzBs

 

 

 

 

昨日、確かにこの走りでしたよね。

 

 

 

 

子どもたちも、役者さんも頑張ってたなあと。
(こういう細かい考証が地味に嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

「日本に「西洋の動き」(運動・体育)が入ってきたのは、
幕末。
幕府によるフランス軍事顧問団の招聘による。

 

 

 

 

明治以前、日本人には
身体と心を分けるという概念がなかった。
(「カラダ」は死体のことで、
生きているこの身体は「み(身)」と言った。

 

 

 

それから約160年。
生活様式の変化とともに、わたしたち日本人は
「日本人の伝統的身体」「身体技術」
というべきものを忘れ去りつつある。

 

 

そして、
身体は「もの」として扱われ、
「ここを5センチ細く」
と…
自分の身体をモノとして
(商品のように)
「評価する」ようになった。

 

 

 

 

身体と心、精神はつながっている。
身体技術が受け継がれないと、
精神も受け継がれない。
(それを「感じたことがない」「感じられない」わけなので、本質は伝わらない)

 

 

160センチに満たない身体で
40キロのセメント袋(当時は重かった!今は25キロらしい)
を担いで軽々と山道を登っていた父の
腰肚を要とした使い方、腰の座り具合、力の出し方。
足のひかがみ(膝裏)の使い方等々…

弟には受け継がれていない。
(もちろんわたしにも)

 

 

 

 

 

日本人はどこへいくのか?」

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

昨年春のわたしのセミナー
「日本人の身体と精神と言葉の話
ーわたしたちはどこへ行こうとしているのか?ー」

 

からちょっと抜粋してみました。

 

 

 

 

 

 

マスク解禁→世界を表す声と言葉と表情を取り戻す。いや、以前よりずっと豊かに生き生きと。

 

 

 

 

3ヶ月ぶりに訪れたカフェのバイトの女の子の「言葉数」と表情が
とても豊かになっていました。

 

 

3ヶ月前は慣れていなかったのか、硬い表情で、お茶を置いて、

「こちら、紅茶になります」
(それはもはや紅茶であって、「ならない」のよ、

それ以上変身しないのよ(笑)と思いつつ聞いていましたが)

 

という言葉を投げかけて去るだけだったのですが、

今日は(やや噛みつつも)
「もう少し茶葉を蒸らしてからお召し上がりください」
&
目が合うとはにかむ目元、というおまけがついてきた。
かわいい…。

 

で、幸せを感じているところです。

 

 

 

 

 

朝ドラの少し前の回で、言葉にまつわるこんな場面が。

 

広辞苑を見ていた中学生の女の子が、
「こんなにたくさんの言葉、いらんやん」
と。

「中学行ったらな、みんなに合わせて、

 

かわいい。
ヤバい。
キモい。

 

のどれかを言っておけばそれで済むねん」

 

 

 

 

それに対して、
主人公の旦那さん(歌人)が、

「たくさんの言葉は自分の気持ちにぴったりのものを見つけるためにあるんやで」

と。

 

 

 

 

 

言葉の数=世界に目を向けることができる広さと深さ、精密さ、
を表している、とつくづく思います。
言葉はまさに「絵の具」。

 

目に見えるもの、聞こえるもの、感じるもの…
決まったほんの数色で塗り固めてしまうにはもったいないくらいに、
世の中はたくさんの色で溢れている。

 

 

 

 

と、どうしてこういうことを書いているかというと、
「伝える力が伸びる!12歳までに知っておきたい語彙力図鑑」
を読んでいるからなのですが。

 

「かわいい」を他の表現で言い換える。
「やばい」を他の表現で言い換える。

 

今これを読んでる方、いくつくらいの表現に
言い換えることができるでしょう?
(大人でも戸惑うと思うのです)

 

 

 

 

 

こと、「感情」に関して。
今、自分の中で何が起こっているのか、
しっかりと「感じる」ことができ、
なおかつ、それをなるべくピッタリくる言葉で表現できた方がいい。
多くの言葉があった方がいい。

 

自分の中で何が起こっているのか。
自分が何を感じているのかがわからない。
または、のっぺりと一色で塗り固められた、記号化したような言葉でしか感知できない、

というのはなかなかに生きづらい。

 

(色々と弊害が起きます。まあ、人生迷いますよね。

感情は自分の魂の声の出発点であり、人生を指し示すセンサーであり、

一生大切に持ち歩く羅針盤だからです)

 

 

 

子どもの場合は、大人が丁寧に、

「聞いてあげて」
「受け止めて」あげ、

適切な問いを「問いかけて」あげることによって「自分の感情を言葉にする力」
が身につきます。
答えが返ってくるのをゆっくりと待つ。

 

 

 

 

大人の場合は、
今から自分自身で自分の感情を聞いてあげることをやっていけばいい。
(わたしも、そっちのくちです。大人になってから自分で癖づけたクチ)

 

 

専門家の手を借りるのもいい。
わたしも、これまでずいぶん助けてもらいましたし、
他者の「そのプロセス」をお手伝いもしてきました。
(一人でやるより早いし楽なのです)

 

 

 

 

 

 

さて。今日は春分です。

マスクも外れて一週間。
(元々「任意」だったと思うんですが、
けれど「解禁!」という言葉がやっぱりしっくりきます)

 

 

 

わたし達は、再び言葉を取り戻さなくてはならない、と思います。
豊かな表情を取り戻さなくてはならない。
この美しい世界を表現する言葉と、表情と、身体能力を取り戻さなくてはならない。

 

 

 

この3年間が、わたしたちの、そして特に若い人たち、子どもたちの
その身体に=無意識層に、
刻み込んだであろう影響を思うと、この先が予想もできないのですが。

 

 

 

 

 

世界は美しい場所だと。
そして、その世界で存分に自分を知り、自分を愛し、
自分の本質を表現していいのだと。

 

大きな声を存分にあげ、湧くままに踊り、
自分の響きを全身で表現するために、
わたし達は生まれてきたのだと。

 

 

 

そして、一人一人の「それ」こそが世界へのギフトなんだと。

 

 

 

わたしたち大人は、
声を大にして、そう再び彼らに伝えなければならない。
何より「その姿」を生きて見せねばならない。

 

そう思います。

 

 

 

 

 

「自分は幸せである」と感じる理由を「人」だけに頼るのは危うい

 

 

 

 

 

 

 

と、いうようなことを養老孟司先生が言っていたのですよね。
(YouTubeの、しかも「切り抜き動画」を見ただけなのですが)

 

 

 

講演会の会場の人たちに、事前アンケートをとって、
(あなたは幸せですか?ならびに、そう思う理由)
それを元に、養老先生が話している。

 

 

 

 

「10代の時にいじめを受けた人が、20代になってそのことを書いた本を読んだ。
皆さんのアンケートを見て、その本を読んだ時と、同じ印象を受けた」

 

 

 

と。
その「同じ印象」とは、養老先生の言葉でいうと、

 

 

 

 

 

 

「花鳥風月が一切出てこない」。

 

 

 

 

 

 

場内アンケートにあったのは、

「こういう人間関係があるから幸せ」
「こういう友がいるから幸せ」
「家族がこうだから幸せ」

 

 

 

幸せの「よって立つ」ところが、人、人、人…

 

 

 

 

これは、裏を返せば、「人(人間関係)」によって、
いとも簡単に「不幸」にもなる、と言うことだ、と。
(いじめなんて、まさにつまりそういうことだ、と)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。
花鳥風月、とはつまり「自然」ということなのですが。

 

 

「人間関係が辛い時に、
自分だったら
『死体(死体は「自然」だから)』(←解剖学者)
『虫』(←虫大好き)

そういう世界と語らっていたら、
人間関係の悩みなど、どうでもよく思えてくる。(生きてるだけですごいだろう!と死体を見ていると思うし)」

 

なんだそうで。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係が全て。
うまくいかないと、もう行き場がない。逃げ場がない(心の)。
他に「繋がる」ところを知らない。

 

 

というのは、確かに危ういなあ、と思います。
それで、命をたつことを選んでしまう人もいるわけですし。

 

 

 

 

 

 

「そこに、風は吹いていなかったのか?
鳥は鳴いていなかったのか?」

 

by養老先生

 

 

 

 

 

 

 

齋藤孝は、現代人の「感情」と「精神」のバランスの悪さを書いています。

 

 

 

現代人は「感情」が肥大してしまい、感情に振り回され支配されているが、

かつては「精神(志・こころざし)」というものが、
感情の暴走を抑え、心のバランスをとっていた。

が、戦後、「精神」という言葉は、

「愛国精神」「軍国精神」

と言ったように、
何か悪いもの、古臭いもののように扱われてしまっている…

と、そういう内容だったかと。

 

 

 

 

 

 

 

さて。
養老先生が小さい頃は、人の世界と、自然、「半々」だったそう。
どちらも「近しかった」。
ほんの七十数年ばかし前のことですよね。

 

 

 

わたしたちの祖先は、たくさんの世界とアクセスし、

 

「そこで心を自由に羽ばたかせる」
「心をあそばせる」

 

あり方を知っていた。
この広大な世界の中で「人との関係」というのは、

 

 

 

「その一部に過ぎない」

 

 

 

 

ということを、体感的にわかっていたんだと思います。

「侘び」
「寂び」
「もののあはれ」

なんていう言葉は、そのことをよく表している。

 

 

 

 

 

 

今日はちょっとまとまりませんが。
(テーマが壮大すぎるのだよ、と思いつつ)

 

 

けれど、
自分を生かすものは、目の前の人間関係だけではない、
ということは、ものすごく思うのです。

 

 

 

ミルフィーユの如く、重層的に、
わたしたちは、実はたくさんの世界にまたがって生きている。
多くのものとつながり、
実は時間も空間も超えて、多くのものからのエールを受けつつ、生きていると感じます。

 

 

 

 

そうそう…。
そういうふうに生きられたら、狭い視野の中できつい思いしなくていいよ、

ということを養老先生は言いたかったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

写真は一昨日の渡月橋。
ちょっと用があって京都に行ってきたんですが、
(弾丸ツアーな感じであまりゆっくりできなかったんですが)

すっかり京都、元に戻っていて、人だらけでした。
ここで「いろんなもの」と語らうには、ちょっと集中力が…。

けど、わたしにとっては
京都はとても「アクセスしやすい」場所なことは確かなのでした。

 

 

 

いい時間でした。空気は冴えて、山は美しい。

 

 

 

人生史上、餃子が最高にうまく焼けた話

 
 
 
というテーマで先日書きましたが。続きです。
 
 
*  *  *
 
 
「身内が餃子のお店を始めたんです。よろしければ、お裾分けを…」
 
 
 
というなんともありがたいお話をいただき、
ありったけの保冷剤を詰めた「ミニ保冷バッグ」持参で、知人と会ったのが昨日。
 
 
 
(なんでも、美味しく焼くためにはカッチコッチの冷凍のまま
フライパンに置くのがポイントだそうで、「溶け」をなんとしても阻止しなくては、と)
 
 
 
 
 
 
 
さて、
知人と過ごした楽しい数時間の詳細は省き、
夕方5時半。
家に帰りつき、速攻でフライパンを出し、「焼き」の作業に入りました。
 
 
 
 
 
 
「焼き方」(絵付き)の説明書をみながら、最新の注意を払い。
 
(何せ、いつもの餃子とは違います。餃子専門店の餃子!期待大なのです)
 
 
 
 
 
「フライパンに大さじ一の油を敷き、
プライパンを熱して、その後弱火にしてから餃子を間隔を取って並べ…」
 
 
 
 
 
説明書をガン見しながら頑張ること10分ほど(かな?)
 
いい色に焼けた餃子(形も美しくキープ)は、
カリっとした歯触りと、その後の「パシュ…」感(旨み広がる感)
 
 
…美味しかった。
とてもとても美味しかった。
そして、先にも書きましたけど、こんなにうまく焼けたのは初めてで(喜)
 
 
 
 
 
 
で、焼いていて、本当に「焼きやすかった」のですが、
そのポイントが説明書に書かれた「音」だったのです。
 
 
 
 
「七十度のお湯を餃子が5ミリほど浸かるくらいに入れ、蓋をする。
その音が、
『グツグツ、ブクブク』から『チリチリ、パチパチ』になったら蓋を開けて水分を飛ばし…」
 
 
 
 
時間指定などよりも、
ずんとわかりやすい。なんて「安心ガイド」。
 
 
 
 
 
 
さて。
この日、わたしはこの餃子お裾分けの知人に「玉ねぎ」を進呈したのですが、
(いつも書きますがうちの姉の無農薬農園謹製)
 
 
その際、とある食べ方をして欲しく、
直径15センチもある大きな玉ねぎを一つ、入れておいたのです。
 
 
 
その「食べ方」と言うのは、「玉ねぎステーキ」なのですが。
直径15センチを横一文字に切って2分割。そのままフライパンに置いて豪快&丁寧に焼く。
 
そうすると、
 
塩胡椒&バターでも美味しいし、
花がつお&ポン酢でもいける。
試していないけれどきっとチーズ&トマト系ソースもいけるぞ!
 
 
 
という…
とろっとろの玉ねぎの甘さを楽しめる、最高に美味しい一品になるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
さて。
夜、知人からメールがきました。
今日の御礼とともに、
「玉ねぎステーキ、わたしの腕がまずく、
火が通らないところが少し残ってしまい…火の通ったところはめちゃくちゃ美味しかったです!」
 
 
 
 
 
 
 
…ああ、知人よ。
それはあなたの「腕」のせいではなく、明らかにわたしの「説明不足」。
 
 
 
焼く感覚は「トロトロ」と。
(中火の弱火とか言ってしまったんですが、家のコンロによってそんなの違いますもんねえ)
断面は「ふやっと」。
側面は「ツヤツヤ」。
全体的な感触は「ややくたっと」。
 
こういう「感覚」はなんにも伝えなかったなあと。
 
 
 
 
 
 
 
どんなデータよりも確実に、
(いえ、データはすごいし、大切なんですけど)
わたしたち日本人に、
 
「ものすごく膨大で繊細な量の情報を一瞬にして伝達してしまう」
 
「擬音語、擬態語、擬声語」という話でした。
 
 
 
 
 
そして。
日頃、「データ重視」。理路整然と語るのが当たり前、という世界に住んでらっしゃる方。
オノマトペなんて子どもっぽい、と言わず。
フォーマルじゃない、なんて切り捨てず。
 
 
 
 
バランスをとりつつ、少しだけこの、豊かな「オノマトペ」の世界を
挟んだりしてみてもいいかもしれない、と思うのです。
 
 
伝わり方、
伝わる人種、
「あなた」という人の見え方
 
 
などなど。
いろんなところに案外「可能性を開く」ものになるかもしれない、と思います。
 
 
 
 

日本語は、地球上で一番『世の森羅万象を細かく、隅々まで表現できる』言葉

 
 
 
 
 
知人が英語を勉強しているのですが、
先生(アメリカ人の宣教師さんだそうで)にタケノコの食感を聞かれて、
 
 
「シャキシャキするんですよ!」
 
 
「…?」(先生)
 
 
先生には、「シャキシャキ」がどんな感覚なのか、がわからなかったらしく。
 
 
 
 
 
 
その話を聞いて、
 
「わからないんだ〜(新鮮!)」(わたし)
 
「でしょう〜!」
 
と知人。
 
 
「あちらには、そういうのを表す言葉は『crispy(クリスピー=カリカリ)』しかないみたいなんです」
 
「カリカリ!?それだけ!?」
 
「そうなんです。
日本には、しゃりしゃり、パリパリ、ぽりぽり、ぼりぼり、サクサク…いろいろありますけど…」
 
 
 
 
 
 
 
旬のタケノコの食感は、そのどれでもない。
あの、水分をたっぷり含んで内側から弾けるような細胞、
その細胞壁が歯にによってパシュ…!と断裂し、
細かくなっていく感覚は、
 
 
「シャキシャキっ✨✨✨」
 
 
でしかないのです!
(注:わたしと、知人の体感です。個人の好みあり)
 
 
 
 
 
 
何でに書いてあったのか忘れましたが、
「日本語は、この世界の事象を、最も細やかに、たくさん表現できる言語」
だと読んだことがあります。
 
 
 
雨の降る音一つとっても…
 
 
 
ここにわたしが羅列するのもヤボだと思うくらいに、
今、皆さんの頭の中に山ほどの雨の音の表現が浮かんでいる、
と思うのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
宮沢賢治の作品は、「オノマトペ」が多いことで有名です。
彼の作品を読んでみると、
本当に、豊かな擬音語、擬声語、擬態語があふれている。
 
 
 
「どっどど どどうど どどうど どどう
甘いりんごも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう」
 
 
風の又三郎の一節。
調べなくてもすぐに浮かんできるくらいに、個性的な「風の音」。
賢治には、本当に、さまざまな現象が見えて、聞こえていて、
それをそのまま「音」として表現したんだろうなあ、
 
と思える擬音語、擬声語、擬態語が彼の作品には満ち溢れている。
 
 
 
 
 
 
 
そして、
これも何で読んだのだったか忘れましたが、
いっとき、賢治の作品は「格が低い」と言った感じで扱われていたことがあったとか。
 
それはひとえにこの、
 
 
「擬声語、擬態語、擬音語が多い」
 
 
というのが理由だったと。子ども向け、と。
何を言っているんだ、と思いますけれどね。
 
 
 
 
 
 
これこそが、日本語の特徴の一つ。
この宇宙に渦巻く現象を、余す所なく、
丁寧に「おと」として写し撮り、表現できる「自然に最も近い」言葉。
自然(=かみ)に近い言葉。
 
 
 
 
 
そして、
工場では「機械に不調が出たことを知らせるランプ」が点灯する前に、
その「耳」で微かな異音を察し、
修理してしまえるという耳を持った能力を培うに至った言語。
 
 
(これも以前読んだのです。
同じ機械を使って、同じラインで製造をしていた日本の工場と外国の工場があり、
日本人の工場の方は、一度も「機械の不調を知らせるランプ」が光らなかった、と)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タケノコの話からまたもや壮大になってしまいましたが。
 
「中」にいるまさに空氣。
特徴、特異点もなかなかわからないものですが、
「外」と比べてみると、それが浮き上がってくる。
 
 
わたしの「ええ〜っ!」という驚きを皆さんと共有したく、書いてみました。
 
わたし自身は、日本語のこの、なんともなんとも細やかなる特徴が大好きなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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