「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

日本語は、地球上で一番『世の森羅万象を細かく、隅々まで表現できる』言葉

 
 
 
 
 
知人が英語を勉強しているのですが、
先生(アメリカ人の宣教師さんだそうで)にタケノコの食感を聞かれて、
 
 
「シャキシャキするんですよ!」
 
 
「…?」(先生)
 
 
先生には、「シャキシャキ」がどんな感覚なのか、がわからなかったらしく。
 
 
 
 
 
 
その話を聞いて、
 
「わからないんだ〜(新鮮!)」(わたし)
 
「でしょう〜!」
 
と知人。
 
 
「あちらには、そういうのを表す言葉は『crispy(クリスピー=カリカリ)』しかないみたいなんです」
 
「カリカリ!?それだけ!?」
 
「そうなんです。
日本には、しゃりしゃり、パリパリ、ぽりぽり、ぼりぼり、サクサク…いろいろありますけど…」
 
 
 
 
 
 
 
旬のタケノコの食感は、そのどれでもない。
あの、水分をたっぷり含んで内側から弾けるような細胞、
その細胞壁が歯にによってパシュ…!と断裂し、
細かくなっていく感覚は、
 
 
「シャキシャキっ✨✨✨」
 
 
でしかないのです!
(注:わたしと、知人の体感です。個人の好みあり)
 
 
 
 
 
 
何でに書いてあったのか忘れましたが、
「日本語は、この世界の事象を、最も細やかに、たくさん表現できる言語」
だと読んだことがあります。
 
 
 
雨の降る音一つとっても…
 
 
 
ここにわたしが羅列するのもヤボだと思うくらいに、
今、皆さんの頭の中に山ほどの雨の音の表現が浮かんでいる、
と思うのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
宮沢賢治の作品は、「オノマトペ」が多いことで有名です。
彼の作品を読んでみると、
本当に、豊かな擬音語、擬声語、擬態語があふれている。
 
 
 
「どっどど どどうど どどうど どどう
甘いりんごも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう」
 
 
風の又三郎の一節。
調べなくてもすぐに浮かんできるくらいに、個性的な「風の音」。
賢治には、本当に、さまざまな現象が見えて、聞こえていて、
それをそのまま「音」として表現したんだろうなあ、
 
と思える擬音語、擬声語、擬態語が彼の作品には満ち溢れている。
 
 
 
 
 
 
 
そして、
これも何で読んだのだったか忘れましたが、
いっとき、賢治の作品は「格が低い」と言った感じで扱われていたことがあったとか。
 
それはひとえにこの、
 
 
「擬声語、擬態語、擬音語が多い」
 
 
というのが理由だったと。子ども向け、と。
何を言っているんだ、と思いますけれどね。
 
 
 
 
 
 
これこそが、日本語の特徴の一つ。
この宇宙に渦巻く現象を、余す所なく、
丁寧に「おと」として写し撮り、表現できる「自然に最も近い」言葉。
自然(=かみ)に近い言葉。
 
 
 
 
 
そして、
工場では「機械に不調が出たことを知らせるランプ」が点灯する前に、
その「耳」で微かな異音を察し、
修理してしまえるという耳を持った能力を培うに至った言語。
 
 
(これも以前読んだのです。
同じ機械を使って、同じラインで製造をしていた日本の工場と外国の工場があり、
日本人の工場の方は、一度も「機械の不調を知らせるランプ」が光らなかった、と)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
タケノコの話からまたもや壮大になってしまいましたが。
 
「中」にいるまさに空氣。
特徴、特異点もなかなかわからないものですが、
「外」と比べてみると、それが浮き上がってくる。
 
 
わたしの「ええ〜っ!」という驚きを皆さんと共有したく、書いてみました。
 
わたし自身は、日本語のこの、なんともなんとも細やかなる特徴が大好きなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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