清里の街の再生に思うーつまりはわたしたち日本人全員の課題

 

 

 

 

 

今朝ほど清里の街の再生をする人たちの番組を見ていて、
なんだか悲しいやら切ないやらの気持ちになっていたところでした。

 

清里高原がブームになった時、
あそこに一斉に押し寄せていた若者たち
(パステルカラーの服を着て「聖子ちゃんカット」をしていた人たち)
とわたしは大体同じ年代なのだけど。

当時から幕末オタクの神社仏閣好きということもあって、
あの、キッチュな偽物(いかもの)チックな清里の雰囲気に、
なんとなく

 

「恥ずかしいな…」

 

という感慨を持ってみていたのだけど。

 

けれど、そんなわたしですらパステルカラーのものを、
何かしら身につけていたように思うので、
時代?流行り?空氣というものは本当に恐ろしい。

 

 

その番組には、清里の地元の人たちが描かれていたのだけど、
みるからに「本当に難儀だったろうなあ」と想像するに十分で。

 

ブームの時。
外からどっといろんな人たちが入ってきて、
「キッチュな」「イカものな」(言い過ぎ?)
お店をどんどん建てて、人が集まって。
その雰囲氣に乗って、地元の人たちも同じようにして。
「ああすれば儲かるのだ」「乗り遅れるな」と。

 

けれど、ブームが去った途端に、
外から来た人たちはさあっと潮が引いたように清里から去っていき。

 

後は、食い荒らされた土地に、
歯抜けのような空き店舗だらけの街。
その中にぽつねんと取り残された自分の店。

 

辛かったろう。
悲しかったろう。
歯痒かったろう。
絶望したろう。

 

と思うのだ。

 

 

父親からのレストランを引き継いだ一人の男性。
父親の工夫と努力で繁盛していた店を、
ブームに乗って改築し、席数を増やし、
効率優先で多くのお客を捌くために冷凍食品を使うようになり、
そしてブームが去った時、お客も去っていった。
お店は負債を抱え、閉店。

 

今、がんとして加工品を使わず、
パスタ麺を自分で打ち、カフェを続けるその人。
(喉から手が出るほど加工品を使いたいけど、でも使わない、と言っていた)

 

きっと彼は深い後悔の中で、この30年間
「自分とは何か?」「自分はどう生きたかったのか?」
を探し続けてきたのではないかと思え。

 

「清里だからお客が来るんだと思っていた。
でも、そうじゃなくて、いいお店があって、
それがたまたま清里にあった、じゃなきゃいけないんだ」

 

いうのはその人の言葉。

 

 

 

清里(のような、もしかしてあちこちにあるかもしれない街)が再生するとき。

 

今度こそ、その土地に根ざす人たち、一人一人の意思と、知恵と、
まことなる自立の心、
「こうしたい!」
「これが自分たちなんだ!」
「これを大切にするんだ!」
という心からの思いで街が息を吹き返すとき。

 

日本も真の意味で再生していくのではないか?と思える。

 

 

それは結局、
わたしたち一人ひとりの心の中、在り方と無縁ではなく。
(全てはフラクタル)

 

清里の人々だけでなく、
この大きな変化の時、
わたしたち日本人一人一人に、刃のように突きつけられ、
問われている、
大きな「喫緊の課題」なのだろうとも思える。

 

 

 

 

「よくも断じたまへるものかな」という龍馬の言葉を思い出した日

 

 

という言葉は(タイトルの)

徳川慶喜が大政奉還をした際に、龍馬が慶喜に対して言った言葉、らしいんですが。

 

 

知り合いがPTA活動や地域の活動に尽力していることは
結構前からFacebookでおりに触れ見ていたのだけど、その知り合いから、
「市議を目指しているので、よかったら応援してください」
のメッセージが来たときに、
頭の中にぽやん…と浮かんだのは、

 

「…かくすればかくなるものと知りながら…」

ご存知の通り、吉田松陰の歌で、
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
(こうすればこうなるとはわかっているけれど、やむにやまれぬ思いが私を突き動かすのだ)

 

 

 

議員になるとは、
わたしのイメージは「盆も正月もない24時間の仕事」。
自分の全人的なもの、
全てをかけて取り組まねばならない仕事であって、

 

本人だけでなく、
家族全員の在り方も全方位に向けて問われる。
そんなものはもはや「仕事」という言葉でくくれるものではない。

なので、

 

「ああ、本当に、やむにやまれぬ思いがあってのことなのだな」

 

と素直に思ったのでした。
そして、次に浮かんできた言葉が、タイトルの言葉だったわけです。

 

 

 

知り合いは、きっと「やるだけやった」んだろう。
自分の立場で、学校と、教育と、子どもを育むべき地域に関わって、
やるだけやって、
そして最終的に選んだ道なのだろう、
と。

 

 

 

ちなみに。
知り合いが「市議を目指したい」と言ったときに、
2つの反応があったそうで。

 

一つはわたしと同じ。
「よくも断じ給へるものかな」
な反応。

 

もう一つは、
「いいねー。当選したら何にもしなくてもお金入ってきて生きていけるもんね」
的な反応。

 

それを聞いて、改めて驚いたんですが。
(へええ〜😳❗️と)

 

 

 

さて。
「よくも断じ給へるものかな」。

 

誰の胸の中にも、
今の世の中への憤り、
「ああ、もっとこうであったら」
「人が自然に、健やかに、ただ幸せであれる状態はどこにある?」

 

(そうであれば、これからこの世界を生きていく若い子達に、
「どうだ、生きるって素晴らしいんだぞ!」といろんなものをもっと胸張って手渡せるだろうに)

という思いがあると思います。

 

 

 

そんな中。
自分には出ようもない勇氣の選択をした人に対して。
「すごいよね」
「頑張って」
という素直な感嘆の気持ちがこの文章を書かせているわけなのですが。

 

 

そして、その「思い」が実をむすんで欲しい。
勇氣を出して、無私の心を持って「断じた」人たちが、
その使命を全うできる場へと、
願わくば運んでゆかれますようにと、
これも素直に願っているところです。

 

 

直接仕事とは関係ないのですが、ふと浮かんだので書いて見ました。

 

 

 

(写真は仙巌園からの山桜。
この季節に思い出す歌といえば、

 

「敷島の やまとごころを 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花」

 

というのもありますね。本居宣長。

 

ーわたしの中にある日本人の心とは?と問われたら、
それは朝日に美しく輝く山桜に感じ入るような心、だろうかー

というような意味)

 

人は繋がりがあれば生き生きとしていられるし、自分に対しても周りに対しても「無体なこと」はしないと思う

 

 

 

 

知人の実家のお墓は、お父様がたくさんの想いを込めて作ったお墓なのだそうで、
それは坂を登った小高い丘の上にあるんだそう。

 

で。
そのお父様が数年前に他界され、
きょうだいでこれからの家のこと、
お墓のことを話しあうこととなったこのお盆。

 

 

「お墓をしまって平地の納骨堂に」

 

 

という意見が出たのは、
お墓をこれから次に繋いでいく可能性の高い
きょうだいの一人から。

 

「お墓を見る負担を子どもたちに残したくないから」

 

と。

 

 

 

 

ああ、そうだなあ〜、
と思いつつ、
どうも一抹の寂しさを感じ、なんともいえない氣持ちを感じ。
で、口にしてみたのです。
(繊細な内容ですんで、どきどきしながら)

 

 

「それを即、『負担』と捉えるということが…。
なんと言いますか、
長い長い時代の流れってものがあったんですもんねえ。
そういう時間をわたしたちは過ごしてきた(来てしまった)んですねえ」

 

 

 

 

知人も、わたしと同じような感慨を抱いていたようで。
けれど、知人は家を出てしまっているので「負担」と言われると
確かに、と。
で、自身の思いをどう伝えよう…と。

 

 

 

 

もうね。
頭の中が飛躍してしまって、
縄文時代みたいに「お墓は集落の中心」にあったらいいのに、
なんて思いましたよ。

 

お墓を中心に家が周囲に立っている。
死は隔絶されたものではなく、軽く「地続き」な感覚。

 

 

 

話が飛びますが、
少し前の番組「ファミリーヒストリー」で、
草刈正雄が父方のルーツを探す、という回がありました。

自分のルーツの片方が完全にない、わからない、
断ち切られている、
繋がっていない、
という感覚は草刈さんにとって、
(いえ、誰にとってもでしょうが)
本当にきついことであったと想像するのです。

 

 

自分を捨てた父親への言葉にできない思いと、
それでも、叔母やいとこがいた、という喜び。
父親の幼少期や育った環境が明かされていく
=自身の「源流」が初めて明かされ、繋がっていくという
そのプロセスが映し出されていました。

 

 

 

 

 

人にはつながりが必要です。
横のつながり(今生きている人たちとのつながり)はもちろん、
縦のつながりも。
時を超えた、立体的なつながり。

 

 

わたしたちは、全方位、360度、繋がって生きている。
生きている人。今はここにいない人。
形あるもの、ないもの、全て。

 

遺伝子を受け継ぎ、
たくさんの人たちの「思い」「願い」をもらい、受け継ぎ、
今、わたしたちはここにいる。

 

 

 

そして、その「つながり」へ思いを致す力が強いほど、
「無体なこと」はしない。できないものなのです。

山なんて崩せない。
海も川も汚せない。
なんで大木を切るんや!
そこの緑をなんで潰すんや!
と。

 

 

そう考え出すと、もう、他にもたくさん…
大切なもの、大好きなものががありすぎて。
(形あるものはもちろん、知識や伝統風習含め)

そういう感覚で世界を見ると、
自分を生かしてくれている、
支えてくれている、
エネルギーをくれる、
「宝」に囲まれまくって自分が生きていることに氣づきます。

 

そしてこう思う。

この繋がりの先端で今という時代を生きている自分自身も、
すごく大切なんだ、と。
存分に生きよう、と。

 

 

 

 

話が大きくなりましたが、
お墓って、そういうものの一つではないかな、
とわたし自身は思います。
自分自身の確認の場。
つながりを確かめ、実感する場だったりありがとう、と感じる場。

 

 

 

 

そして、子どもたちって「負担」と思うかな?

思う子もいるだろうし、

思わない子もいるんじゃないかな、

とも思うのです。

特に、これからの世代。

(親が「負担だ」と決めなくてもですね)

 

 

 

 

さて、
わたしたちは、これからどこへ行こうとしているのか。

 

 

 

今回の「お墓について」なんですが、正直、
「教育、間違ったんじゃないの⁉︎」
と思いました。

 

 

知人のお家がどうこう、と言っているのではなく。
長い長い間の「日本人」全体のことです。
この160年だか、戦後80年だかのことです。
大きな、この国の「流れ」のことです。

 

 

 

一体わたしたちは、何を捨ててきたのか。
何を受け取ってきたのか。

そして、次代に何を手渡そうとしているんでしょう、と改めて考えたこのお盆です。

 

(写真は先ほど行ってきた神社の大木です。苔がいい感じでした)

 

 

最近思い始めた『20年後』にどんな姿で立っていたいか(同年の方々、どうですか?)

 

 

 

 

 

伝統料理を発掘、継承している人たちの活動を取材した番組があったのです。
その土地の女性たち(80代,70代)を中心に、料理をする様子が出ていたんですが、
それを見ていて、

 

 

「80代と70代って…こんなに違うのか」

 

 

とびっくりしたんでした。
何が違うかと言いますと、立ち振る舞いやコメントが、

 

 

 

「テレビ向け」

 

 

 

かどうか、という一点で。

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組に出ていた70代の方のコメントや振る舞いは、
完全に「テレビでよく見るやつ」。

 

 

例えば…
「◯◯(食材の名前)の声をよーく聞くんですよ〜」とか、
「子育てもそうでしょう〜?」などなど。

(確かにそうなんでしょうけど、どうも、その人が「いつも使っている」言葉には聞こえず。

それに食材の声を聞くって、もはや使い古された表現にも感じるのですよね)

 

 

 

 

食材を混ぜるレポーターに、甲高い声で
「そうそう〜♪上手上手〜♪」と言いながら5本の指をぱあっと広げて、満面の笑みで、
顔の前でパチパチと手を叩く仕草。

 

若い女の子のタレントさんがよくやるのを見ますけど。
(何というか…ちょっとそぐわなく感じたのですよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、70代80代というのは
人生の年輪を重ねた、尊敬すべき「人生の先輩」であり、

酸いも甘いも噛み分けた、なんというか…
しっかりと軸を持って、大地に根を張った大木のような、
というイメージがあり。
(イメージというより願望、期待、願い?)

 

 

 

で、
はたと氣づいてしまったのでした。

 

「そうだよなあ…70代といえば、もはや『テレビの洗礼』真っ盛りの中で育っているわけだもんなあ」

 

と。

 

 

 

 

何がいいか。
何がかっこいいということか。
何が受け入れられるか。
どうあるのが幸せか。

 

物心ついた頃から、それは全部、「テレビが決めてきた世代」の走り。

 

 

 

 

 

 

 

その後、この会を立ち上げた
80代の女性のインタビューがあったのですが、
こちらはもう…低めの声でゆっくりと静かに話されるその感じに、
「自分の芯」から話をされる感じを受け。

きっと、テレビであろうが、誰であろうが、
この佇まいで、この声で、この言葉なんだろうなあと。
(枝振りの良い古木のようなかっこよさを感じたことでした)

 

 

 

 

 

 

 

 

たった10年のことで、
こんなにも違ってくるのか??

 

と。
日本という国の何か、歩んできた道の縮図を見てしまったような氣になったんですが。

 

 

 

 

 

さて。
70代と80代では…と書きましたが、
80代だからいい、90代だからすごい、ということではなく、
若いとダメ、ということでもなく。
多分に「個人差」だよなあと思いつつ。

 

 

 

それでも、ちょっとびっくりしてしまったので書いてみました。
(それに、言葉や所作に関して、わたし自身の「好み」が大いに入っているので悪しからず、なんですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、
わたしがこの場面を見た瞬間、浮かんできた言葉を真正直に書きますと、

 

「ああ、70代もダメだなこりゃ〜」。

 

(誠に誤解を招きそうな言葉です。

「先達だと思ってたのに!」「頼れる先輩だと思ってたのに!」「自分たちと一緒かよ〜」

というショックが言わせた言葉ということで、大目に見てください。
くれぐれも世代ではなく、個人差ですし。わたしの「好み」の話ですし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

最近、「これからどんなふうに歳を重ねていくか」。
もみじが紅葉するように、身体も心も、さらに成熟していったその先に。

 

 

 

自分は、どんな姿で立ち続けるか。
立ち続けていられるか。
立ち続けていたいのか。

 

ということを、たまにですが考えるようになりました。

 

若い時にはただ、そこにあるだけで美しい。
溢れる生氣。
細胞から放っておいても発するみずみずしいエネルギー。
若いときは、誰だってそこにいるだけで、目を引く魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

けれど。
これからますます「ごまかしのきかない」年代に入っていくなあ、と思います。

 

花が落ち、
深い深紅の紅葉のその後、

木の幹、枝…それらがただ厳然と、そこにある。

なんの飾りもなく、否応なしに晒されるとき。

 

そんな時、自分はどんな太さの幹を持ち、どんな枝ぶりでそこに立っているのだろうか。
過ごした時間が作り出した根の形が、幹が、枝ぶりが、
願わくばしっかりと自分の魅力になるような…

 

 

 

 

 

そんな時間を過ごしたいし、そういう姿でありたい、
(し、次の世代の前にそういう姿で立っていたい)
と思うのですれけどね。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

※これはどこの桜でしたか。
ちょっとすごすぎる例を貼ってしまいました。

 

 

「できる、できない(する、しない)」を決めているのは「常識(だと思ってきたもの)」

 

 

 

 

 

YouTubeで「生米からパンをつくる」というのをやっていたのです。

それがすごい。

 

 

 

大まか。

ダイナミック。

目分量。

 

「多かった」と途中で米は戻すわ、

指に材料はつくわ…

 

 

使うスプーンは計量用ではなくカレーのスプーンではないか。

 

 

で、それを見て…

 

 

 

 

 

 

「勇気出たー?‼️」(わたし)

 

 

 

 

 

 

お菓子、ほぼ作ったことがありません。

いえ、どっちかというとトラウマ?

(中学ん時、うちの班だけ黒焦げの物体を作り、

他のチームから「…あげよっか?」とおずおず同情されたな)

 

 

 

高校の頃は、

「趣味、お菓子作りです✨」

 

というクラスメートが調理実習の際に作り出す、

細やかなクリームの巻きバラを、

遠巻きに眺めていたものでした。

(輝いてたなあ〜、彼女)

 

 

 

 

(写真はわたしの好きな&これまたわたしに勇気をくれるパンの写真。

動画の「米粉パン」の写真ではありません)

 

 

 

 

 

 

 

話戻って。

パン、好きなのです。けれど。

小麦が苦手なので、米粉パンを食べたい。

 

そもそもクッキーレベルですら作ったことがないのに、

「米粉パン」

どうやって作るんだろう…

 

(遥かなる道のり。遠い目で途中で思考がフリーズするくらいに)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて。

昨日、自然食料品店で、

 

「ドライイースト」

 

なるものを買ってきました(ふふ♪)

 

動画を見て、これは完全に自分にもできる!と☺️

(動画の人!ハードルを「ダダ下げ爆下げ」してくれて本当にありがとう)

 

 

 

 

 

 

 

そして、今思っているのは、

「お菓子作り経験ゼロのわたしが作ります!」

 

という動画、案外需要があるんじゃないだろうか?

ということ。

 

こういうのは、すべからく、

「得意な人」「知ってる人」が動画を上げるものですが…

 

 

 

 

 

 

 

お菓子の先生などは、この動画を見て、

「素人が、何がわからなくて、どこにつまづくのか」

 

がわかるでしょうし、

(ずっとその世界にいる人には「当たり前」「常識」なことが

外から見るとそうではない、ということ多々ありますし)

 

 

 

 

 

 

 

お菓子作ってみたいけど…

 

という人には、

わたしみたいに「勇気出たー?‼️」

 

ってことにはならないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

米から作るパン、の動画の人の口癖は。

 

 

「適当でいいんです」

「これも適当でいいんです」

「これでできるんです」

「まあこんな感じで…」

 

 

 

その言葉と、ダイナミックな(テーブルに案外材料を落としつつ進むそれは)

 

 

 

 

わたしの、

 

 

 

「パンづくり」

「お菓子作り」

 

 

へのイメージ。

こうでなければ、ちゃんとしなければ、難しい、

いろんな道具がいる…

特別なもの。

 

 

 

 

等々を、粉々に粉砕してくれました。

後に残ったのは「わくわく感」のみ。

(誰でもできる!わたしでもできる!だって…「あれ」でいいんだもの・笑)

 

 

 

 

 

 

 

今感じているこの「軽やかさ」。

開放感。

わかっていただけるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

差別でも蔑視でもなく可愛いものは可愛い

   

 

 

 

車の点検でたまにディーラーさんに行くんですが、

わたしの担当はとても若い女性スタッフさんで、可愛い。

よく「女がいう『あの子可愛いのよ』」は

あてにならないというけれど、本当に可愛い。

とある若い女優さんに似ているのです。

 

くっきりとした二重の目。

長い睫毛。

きれいな弓形のまゆからつながる鼻筋。

 

 

 

 

 

どれくらいそっくりかというと、

初めて会ったときに、打ちあわせ諸々をすっ飛ばして、

 

「大変失礼ですが、あの人に似ている、

と言われたことはありませんか?」

 

と聞いてしまったくらいに似ている。

 

 

 

 

 

ディーラーは今日休日か?と思うくらいに混んでいて、

5つあるテーブルは全て満席。

 

全てのテーブルに、男性のお客さんと、

それを接客する男性スタッフが座り。

 

プラス、整備士さんたちが車の状態説明のため、

ひっきりなしに

テーブルとドアの間を行き来している。

 

 

 

その間を、さらにスーツ姿のマネージャーらしき人が、

満面の笑みで挨拶をしつつ、

消毒スプレーを手に回遊しているという…

 

本当に、「わんわんとした」

という状態がぴったりの賑やかさ。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、車を預け、

その「わんわん」の中で一人、

席に座って本を読んでいたんだけど。

 

その中を、

時折聞こえてくる鈴の音のような声。

 

 

 

一卓、その彼女が担当している卓があり、

そこから漏れ聞こえる声なんですが。

 

 

 

 

 

 

 

例えは悪いかもしれないけれど、

あれはなんだろう…

 

 

 

荒野で一輪の花を見つけたような。

山奥をさすらっていたら、

清らかに咲く一本の薄桃色の山桜を見つけたような。

(荒野とか言って、他の人たちごめんなさい?)

 

 

 

 

 

 

本当にそうなんです。

彼女の声が聞こえてきた瞬間だけ、

ぱあっと場が華やぐ感じ。

 

華やぐというか、場が動く。

揺れるんです。

そして、そこにいい感じの「空氣が通る」。

涼しい風が吹く感じ。

(男声と女声の周波数の高さの違いとか、きっとあるんでしょう)

 

 

 

 

 

その場に、彼女の出す音があるのとないのとでは全然違う。

あの場に、彼女一人がいるのといないのとでは、

空氣が全然違う。

(その彼女、背はわたしより少し低いくらいで、

決して大きくはないんですが)

 

 

 

 

 

 

何を書きたいかというと、

彼女に「それ」を伝えたくてたまらなくなり、

(中村さんっ!遅くなりましたっ!と駆け寄ってらしたんで♪)

 

けれど、

 

 

 

若い女性に、

「職場の花って言葉があるけど

ホントウですね」

 

とか言ったら、

もしかして今はもうダメなのか?

 

差別、とか、蔑視とか、

そんなふうになるのか!?

 

 

と、そんなややこしいことがふっと頭をよぎったからなのです。

 

 

 

 

 

 

「いやいや、けど実際そうじゃん!」

(わたしの超実感)

 

 

 

 

 

この職場は、きっと、

彼女が一人、いるといないとではものすごく

雰囲氣が違うだろう、と。

 

 

 

彼女と話をする年配の男性。

わたしからは背中しか見えないけれど、

もう、声から嬉しさが伝わってくる?

(前に回って表情を拝見してみたい、と思いましたよ。

わたしまで笑顔になりそうな声音で)

 

 

 

 

 

 

 

 

女性と男性は違う。

持って生まれた「特質」が違う。

そもそも遺伝子からして違う。

 

 

 

 

年寄りと、若い子は違う。

当たり前だけど。

 

 

 

 

お互い、自分にない「違い」を愛でる気持ちは、

至極当たり前に思えます。

 

違いに驚き、

尊重し、学び合い、大切にする。

 

 

 

 

 

 

 

帰り際に

どうしても言いたくて、

おずおずと伝えてみたんですが、

(あなたがいるのといないのとではとても雰囲氣が違うと思う、

仕事の内容はもちろん、若いこと、女性であること全部含めて、

本当に素敵な存在感、と)

 

彼女はとても真っ直ぐに、

 

「そう言っていただけて嬉しいです(笑顔)」

 

と受け取ってくれました。

(ほっ)

 

 

 

 

 

 

 

「女性がいると場が和む」

「若い女の子がいると場が華やぐ」

 

元がそういう「もの」なんだから仕方がない。

つくり含め、存在そのものが、

柔らかくってみずみずしいんだから仕方ない。

見ているだけで、顔が綻んでしまうんだから仕方がない。

 

 

 

 

ちょっとまとまりませんが。

 

 

 

(注:彼女が女優さんに似ているから可愛い、

というのではなく、心根とか、その一生懸命さ全部含めて、

「花」というお話でした)

 

 

 

 

教員はときたま「無理ゲー」をやらされる(雑談)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前に書いたブログに、

自筆の説明図「脳のキャパの図」を載せていたんですが、

https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12623909885.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の文章を元生徒さんがシェアしてくれ、

「絵、上手いっすよね」

と、

コメントの中にさらり一言。

 

 

 

 

 

嬉しいよ。

とても嬉しいけれど…。

 

 

 

 

 

YOUは確かプロだったよね。

絵の仕事をしてたよね。

とこそばゆくなるわけで。

 

そして、

わたしはそんな彼女が中3の時、授業で美術を受け持っていた。

(こういうことがあるから、教員って仕事は怖い)

 

 

 

 

 

 

絵を描くのは好きだっんですが、

免許自体は別の教科だったもので、

(小さな規模の学校でしたんで)

「???」なことの方が多く、

 

 

 

放課後、一人で糸のこを動かしたり、

(足で踏むと、ドドド…と切れるやつ)

バケツをドプドプにしながら石膏を使ってみたり…

 

 

 

 

あれこれ練習していたもんでした。

 

 

 

 

 

 

 

彼女の「上手いっすね」に、

 

 

今になって感じる恥ずかしさと、

面映さと、

それから嬉しさ。

(大きくなって、元氣にしている生徒の姿を見るのは本当に嬉しいものです)

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、

彼女のコメントを読んだ時、

嬉しいのと同時に瞬間なぜか、

 

 

 

 

「無理ゲー!」

 

 

 

 

と(心で)叫んでしまったんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

教員は、ときたま(いや、結構な頻度で)

「無理ゲー」をやらされる。

 

 

それは、

「畑違いのことをやらされる(ので嫌)」

という意味ではなくて、

何と言いますか…

 

 

 

「このきらめき、この才能、この持って生まれたセンスの固まりたちを前に、

わたしが何かをするの?」

 

 

 

というような場面がある、ということ、です。

もう、眩しくってしようがない。

自分の力不足がわかってしようがない。

 

 

 

 

 

そういう時はもう、

そこに一生懸命立っているしかないわけなのです。

 

 

 

 

 

 

 

(上の写真は、当時使っていたパステル。引っ張り出してみました。

どうしてボロボロかというと、

いろんな生徒に「せんせ〜、あの色貸して」「この色貸して」

と言われ、貸していたらこんな感じになって返ってきたからなのです・笑。

フタの絵も生徒のラクガキ)

 

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 

 

《追記:オンラインセミナー、はじめました》

 

 

「おでんはじめました」

みたいなノリですが…。

 

 

オンラインは苦手だなと思いつつ、
7月末から試しに始めたZOOMセミナーですが、

 

やってみると、
オンラインならではの氣軽さの他にも、
オンラインだから出来る様々な可能性を山ほど発見し、
愉しくなってきたところでの、
皆さんへのお誘いです。

 

 

 

 

このZOOMセミナーは、
毎日のコミュニケーションの場面から一つ、
選んだテーマを真ん中に置いて、
そのテーマを通して、

 

・人の話をじっくりと聞く
・自分の考えを話す
・自分の感じ方を話す
・共感する
・意見を交わす
・合意をつくる
・自分のストーリー(伝えたいこと)を語る

 

などなど。

 

コミュニケーションにおいて必ず発生するこれらを、
少人数で丁寧に体験する時間です。

 

 

 

(もちろん、
その日のテーマについての知識と技術も深まる時間です)

 

 

 

9月のテーマは
●24日「リフレーム」
●29日「イエスアンド」

 

 

のんびりお茶を飲むような、
氣の合う人たちと語らいに興じるような、

 

そんな感覚で氣楽にご参加ください。

 

 

 

それぞれの場所から、
「生活の空氣」と一緒にこの場にINしてくださる方々とつくる、
この独特で貴重な語らいの時間を、
毎回楽しみにしています。

 

 

*   *   *

 

《セミナー詳細》

 

①9月24日(木)20:00-21:30
「自分にとっての現実は自分で作る
ー存分に自己を表現して生きるための『リフレーム』力を鍛える」

 

 

 

ある出来事があったときに、
どこに視点を向けるのか?
そこから何を見出すのか?

 

それは、面白いくらい人によって違います。
みんなに共通の「真実」というものがあるのではなく、
実はそれ(真実)は、星の数ほどある。

と、

この数ヶ月、いろいろな人の言動、感情の動きを
見て聴いて感じるに、
あたらめて感じたこの数カ月。

 

 

 

それならば。

どうせなら、自分にとって「力づけとなる」ことを
そこに見出せたほうがいい。
プラスの面を見出せたほうがいい。

 

 

そういう視点が大事、
とわたしたちはもちろん知っているわけですが、
「知っている」
ことと
「すぐ出来る」
ということはまた、違うわけで。

 

それをみんなで練習するセミナーです。

 

今すぐ、この瞬間からのわたしたちの生活を支える
「思考パターン」
の一つになるといいなと思います。

 

 

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆ 

 

 

②9月29日(火)20:00-22:00
「瞬発力を持って発想し、自信を持って創造する力を磨くインプロワークショップ」

 

 

インプロビゼーション【improvisation】
=即興。 特に、即興演奏や即興演劇のこと。

 

 

 

「即興力」というと、

 

「自分はお芝居をやるわけじゃないから」
「自分には必要ない」
「うちのチームにはそういうものを発揮する場面はないから
(そういう仕事じゃないから)」

 

などの言葉を聞くことがあるんですが、
本当にそうかなあ、と思うわけです。

 

 

 

「即興力」とは、そもそも

・どんな状況下でも
・フリーズすることなく、
・自分やチームにとっての最善を見つけ、選び、行動し、
・自分(たち)にとっての最高を「表現し続ける」

 

力。
そして、今ほど「先が見えない」「予測が立たない」
ときはないのでは?と思えるわけです。

 

 

 

今回のセミナーでは、
インプロゲームの中でも、
「即興力」の中でも特に大切な、

「イエスアンド」
(アイデアを受け取り、発展させる)

の力を、言葉を使ったゲームでもって磨きます。

 

 

 

◆インプロで鍛えられる「7つの力」◆

 

●「自分の感覚を信じる力」
自分の能力や考え、選択を信じ、瞬時に必要なものを選び出す力

●「受け入れる力」
相手の発信を拒否することなくいったん受け取り、そこから創造する力

●「伝える力」
互いの発信を素早く正確に理解し、コミュニケーションをとる力

●「集中する力」
場に集中し、コミュニケーションに必要な情報を素早く正確にキャッチする力

●「転じる力」
どんな状況からでも新しい視点を生み出す力

●「行動する力」
どんな状況でも積極的かつ前向きに動ける力

●「笑う力」
リラックスし、状況を楽しむ力

(「インプロであなたも『本番に強い人』になれる」池上奈生美著より)

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

参加費はいずれも3000円。

参加ご希望の方は、

 

https://form.run/@co-co-1600488291

 

 

 

 

 

こちらより必要事項をお送りください。
参加費振込のご案内ならびに参加URLを送らせていただきます。

 

 

 

 

 

 

求めよ、さらば与えられんー私に「魂のごはん」をくれたかの人へ

 

 

 

 

 

もう、書いてしまった氣もするんですが、

再び書きたくなったので、今日は懐かしい話を書きます。

 

 

 

 

 

 

数年前、セミナーに参加してくださったお客さんと二人で

銀座をブラブラしていました。

 

 

ベトナム料理のお店でものすごく美味しいランチなど食べ、

そのまま足は自然と歌舞伎座へ。

 

 

 

 

新しくなった歌舞伎座は空中庭園があると聞いているし、

とにかくどんなになったのか見てみたいと。

「そこまで興味はないのですが」というその方を引っ張って。

 

 

 

 

 

 

地下の売店から屋上庭園と、

歌舞伎を見なくても入れるところは全部入り、

最後に「歌舞伎座ギャラリー」へ。

(歌舞伎のセットや、小道具がある、ちょっとした体感スペース)

 

 

 

そこで、

馬とか船とか乗れるものには全部乗り、

ポーズをとって写真も撮り、

触れる小道具にはしっかりと全部触って味わい尽くし、

 

 

 

 

 

「(初めてでしたけど)いいものですねえ、歌舞伎って~」

「ですよねえ」

 

 

 

 

と二人で、椅子に座ってしばしぼ~っと。

(つまり遊び疲れたわけです)

 

 

 

 

 

すると、不意に

「今日はもう、歌舞伎はご覧になったんですか?」

 

 

と声が。

見ると、まだ若い女の子が(はたちを少々越したくらいの)立っており。

 

 

 

 

 

「いえ、今日は予定していないんです。

チケットも買っていないし」

 

 

 

 

と正直に伝えると、

 

 

 

「チケットならあります。よかったらどうぞ」

 

 

 

見ると、一枚じゃなく、軽く3~4枚。

さらにしかも、今日の分だけでなく、明日の分も。

 

 

 

 

「え…!?」

 

 

 

と戸惑う私たちに、

 

「私、関係者なので、チケットが手に入るんです。

このチケット、後10分(15分だったかな)で始まりますけど、

どうします?」

 

 

 

 

 

 

 

 

10分後。

 

 

私は、連れのお客さんと別れ、

なぜか?

10分前にあったばかりの女の子と、隣り合わせで、

歌舞伎座の客席に座っていました。

 

(連れの方は、用があるので長時間いられない、とのことで

「私に構わず行ってください!」と)

 

 

 

 

なんと不思議な感覚…。

 

 

 

 

彼女は、歌舞伎座の隅から隅まで知り尽くしており、

「ここのたい焼きは美味しいです」

(それは、いつ買いに行くといい)

 

 

などなど…

細かに「レクチャー」してくれ、

私は先達の導きで、とても安心して「新歌舞伎座」での芝居を味わうことが

できたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芝居がはねた後。

私は半ば無理やり彼女をお茶に誘い、

そして色々と質問。

 

 

 

どうしてチケットが手に入るの?

歌舞伎の仕事ってなにをしているの?

 

 

 

 

 

 

詳しくは書きませんが、

彼女にとって、舞台を見ることは勉強であること。

なので、OFFの日は、こうやって観客として歌舞伎を見るのだ、ということ。

 

 

 

この仕事が好きで、

インターンとしてはいり、そのままその会社に就職したこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は言いました。

 

 

 

「(数組いたギャラリーの客の中で)

一番、楽しそうに、感慨深そうにしていたのが、お二人だったんです」

 

 

 

 

その時、私の頭の中に、表題の言葉が

大音量でよぎったんでした。

 

 

 

「求めよ、さらば、与えられん」

 

 

 

子どものように、ただ楽しんで、

喜んで、味わって、今この瞬間の幸せに生きている人のところに、

「それ」

はやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、歌舞伎座の階段の踊り場に飾ってある

「青獅子」。

 

中を案内してくれた彼女が、

つっと立ち止まって

 

 

「私、これ、好きなんです」

 

 

と言った絵です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、歌舞伎もお休み。

 

 

 

彼女は何をしているかなあ、と思います。

きっと、この期間も次の準備をし、

研鑽に励み、技を磨いていることだろうなと、

彼女の会社のfacebookページを見るたびに、そう思います。

 

 

 

 

本当に、この、青い獅子のような感じの人でした。

凛として、しっかりと軸のある。

 

 

一日も早く、また彼女が存分に腕をふるう場が再開されますように。

ついでに、

世の中の、演劇、音楽…あらゆる「魂のご飯」分野に携わる方々に

この時期も心からの元氣をもらっていることに感謝しつつ、

 

また、たくさんの作品に触れられるときを楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸:

私の「連れ」の方なのですが、

その方は、翌日の券をもらってお帰りになり、

翌日、歌舞伎座で、ちゃんとお芝居を見たそうです。

(その方をほっぽって、私だけが見たわけではない!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「新年あけましておめでとうございます」

ずいぶんと遅いごあいさつになってしまいました。
みなさま、よき新年をお迎えになられたことと存じます。

わたしのお正月ですが
見たかった映画をまとめて見に行ったりと
そんなことをしていました。

ちょっと時期がずれたこともあってか
わたしが見ようと思っていた映画は
どれも一日一回の上映しかなく。

まずは朝の8時半。
寒い。
…誰もいないんですね。あの時間帯の映画館って(笑)
でも、おかげでいつもは目に止めないかもしれない
ちょっと素敵な光景に出会いました。

朝もやの中
真っ赤な頬をした男の子が
年配の女性の手を引っ張って

「ねえ、はやく!はやく!」

息せき切って
映画館に通じるエレベーターの前へ。
会話から
お孫さんと、せがまれて連れてきたおばあちゃんとわかり。
一緒になったエレベーターの中でも
駆け出しそうな勢いの男の子。
つい、声をかけてしまいました。

「戦隊ものですか?」

すると下から男の子が

「ううん!イナズマイレブン!!」
「…ああ、サッカー??」
「うん!!」

もう、その場で体がジャンプしている。

うわ~。
「映画」(ごとき)←ゴメンナサイ
でこんなに幸せそう。
こんなに「生きてる」人をみたのは久しぶり。

全身で楽しんで、喜んでいる人って
(人のそういう状態って)
それだけで周りを幸せにしますね。

そして夜。
今度は声をかけられました。
9時50分から始まった映画が終わったのは12時前。
帰り道
駅の構内を早足に歩いていたんですが。

「…あの~」

振り向くと、男の人が立っていました。
30代くらいの
背の高い、人のよさそうな方でしたが。

「あの…新年会ですか?」
「いえ…」
「あの、変なンじゃないですから、あの…」

「映画です」
そう言って破顔してみました。
その後
「何を見たんですか?」「面白かったです?」
のやりとりがあり

「ええ、とっても面白かったですよ。じゃ!」

でその方とはお別れしたのですが。
歩きながらなぜだか顔がほころんでしまって。
なぜかというと

きっと
「映画ごとき」で
今の自分は、朝のあの男の子のような顔をしていたんだろうなあ
と思ったからです。

寒空の下
コートに手を突っ込んで前のめりに歩いていても
「声をかけられる」くらいに
きっと何かほわほわと幸せそうな顔で歩いていたんだろうと。

ただ喜べる自分。
それが隠せなくて
メタメタ顔に出るくらいに
「幸せです。最高です」な顔になる自分。
…新年早々、なんていい傾向なんでしょう。

$中村公子のコーチングna日々♪

新しい年。
もう手放していいかな、というものが
さらに増えたような気がしています。
今まで自分を守るために必要だと思ってきたいろいろなものに
お礼を言って手放す時が来ている気がします。

余計なものをさらに落として
いついかなるときも自分の最高の音色を奏でる鐘のように
すっきりとした状態でありたいと願っています。
そのために
「楽しむ」「喜ぶ」ことは、わたしにとって
今年もとても大切な要素になりそうです。

皆様は
この1年をどのようなご自身として
過ごしてゆかれますか?

「小川の辺」

漫画家の和田慎二先生がお亡くなりになったと

ネットの端で目にして

「和田慎二先生がお亡くなりに~!」

と一行

つい姉にメールしてしまいました。

そんなにしょっちゅう会うわけでもない姉なのですが。

姉からは

「…誰だっけ?」

とすげないメールが帰ってくるかと思いきや

「いつー!!」

という強度に反応した(^^)メールが。

「よかった・・・」と内心安堵しつつ

ちょっとその心配をもらすと

(「誰それ?って言われるかとおもったよ」と)

かつて、子どもの頃に共に読んだマンガのタイトルをずらずらっと書いてき

「読んだじゃん」

と返事が。

なんだか嬉しくなりました。

同じテレビを観て、同じマンガを読んで、同じおやつを食べて

時間も空間も物も人も…すべてを共有し、ゆずりあい、奪い合い

あるときは一番盛り上がり、語り合える相棒

あるときは一番憎らしいライバル

あるときは一番頼れる先達

そして、あるときは、耐え難い人生の傷をいっしょに分かち合ったかけがえのない戦友

それがわたしにとっての「きょうだい」であったように思います。

帰宅時間を守れず母に締め出されて一緒にみた夕焼けや

取り合ったマンガの本のインクの匂い

そんなものを、「和田先生のマンガ」とともに一瞬思い出したのでした。

そういえば、昨日のクライアントさんも

幼い頃の、ご自身のお兄さんや妹さんとのことをお話なさいましたっけ。

(と、書いてOK,と了解いただき書いております)

どうにも居心地悪いざわつく感情を感じて、すっきりしない。

思い出していたら、小さいころのきょうだいとのある場面に行き当たった。

「ああ、はじめてこれを感じたのは『あのとき』だったんだなあ~」と。

一番近い存在、一番知った存在だけに

心から愛おしいくもあり

また、幼い頃のほんの小さな、まるで小骨が刺さった程度の心残りであるのに

なぜか不思議と心の中に残っていたりする

きょうだいとはそういうものなのかなあと思ったのでした。

今日見た映画
「小川の辺」にも

そういう「きょうだい」がいました。

海坂藩、戌井朔之助は、藩命によって

親友を討たなければならない。

親友の妻は、自分の妹、田鶴である。

負けん気が強く、自分と同じく直心流の使い手である田鶴は

夫が討たれるとなると刃向ってくるかもしれないとの

危惧を抱く朔之助。

脱藩した親友とその妻(妹)を追って

歩きづつける朔之助。

山に、河に…美しい風景につつまれて旅は続きます。

旅の途中でよみがえるきょうだいのふとした場面。

幼いころに遊んだ小川のほとりで起こった小さないさかいの思い出。

「討手」として朔之助がたどりついた場所は

小さいころに遊んだ場所によく似た「小川のほとり」でした。

苦悩の中、友を討ち果たした朔之助の前に立つ田鶴。

その手には剣が握られている。

小川のほとりでやむなく始まってしまう兄と妹の戦い。

(このときの菊池凜子さんの殺陣がまた…すごいんです。くの一かと思いました)

朔之助は

この戦いに決着をつけると同時に、幼いころのあのいさかいの結末もつけます。

(そう思いました)

あの日、小川のほとりで泣きじゃくる妹を前に

武士の子ゆえか?長兄ゆえか?

やりたかったのにできなかった慈しみの気持ちを

やっと形にすることができる。

とても不器用な表現でしたけれど。

小川のほとりを一人、あるいて国へ向かう朔之助の

その後ろ姿はなぜか、とてもすがすがしく、軽やかに感じられ―

ああ、朔之助の心の中にどこか、小さく残っていた「とげ」も

一緒にとれたのだなあ、と

そう思いました。

朔之助と田鶴。

武家のさだめやしがらみに翻弄された二人でしたが

いつかまた会いまみえ、ともになつかしく語り合える時が来ますよう祈りつつ。

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