日本語は本当に豊かだ(ありがとう日本語!)と、思った今朝

 

(写真は昨日お店で買ったアジサイ。

今年の我が家のアジサイは花芽が一つもなく。

ベランダが寂しい6月になりそうです)

 

 

 

 

 

 

 

今朝、ふと、
「もし、お腹の調子が悪かったりしたときに、病院でなんと説明するか?」
ということを、考えるともなしに考えていたのです。
(朝から申し訳ない話題ですが。漢方胃腸薬の箱を見ていたからか?)

 

 

病院では、先生にわかりやすいように、できるだけ詳しく説明しなければならない。
出だしはなんと言えばいいだろう?

 

「先生、トイレに行きましたら…」
なんか周りくどい。

 

「先生、実は便が…」
(本当にすみません💦)

 

いや、この出だしはダメだ。
なんか言いづらい。
かといって、上記の「幼児語」はもっとダメだ!

 

 

なんと言えばいいか?
うーん、
あの言葉は使いづらい、
アレもちょっと直接的すぎないか??

 

などなど考えていたら、

 

 

「そうか!日本には『お通じ』という、雅やかで便利な言葉があったぞ!」

 

 

と氣づき。
(アレな話題で本当にすみません)

 

 

「いい言葉だなあ〜。これでもし、という時は心置きなく説明できるぞ!」

 

 

と一安心したんですが。

 

 

 

 

日本語って、
本当に「いい」というか「すごい」。

 

おトイレ一つとっても、
「お手洗い」「手水(ちょうず)」「厠」「化粧室」「はばかり」
「雪隠」「洗面所」…

 

本当に豊かな品揃えで!
おかげで、本当に「心安く」使えているなあ、
と思います。
だって、
「選べる」んですから。

 

 

 

場面、相手、状況に合わせて自由自在の選び放題。
(同じものを表していても、全部微妙にニュアンスが違うのも面白い)

 

これが「一つしか」なかったら、
窮屈で、楽しくなくて、
なんか使うたんびに「ドキドキ」したり
ストレスが溜まったり…

 

きっと、大変なことになっているのではないか?
と思うのです。

 

 

 

 

雨も、雲も、色彩も。

 

もしこれが「一つしか」言葉がなかったとしたら、
(雨、としか言えない。雲、としか言えない。赤、としか言えない)
どんなにか世界は単調で、一緒くたで、
のっぺりとセメントに塗り固められたようになってしまうことだろう、
と思うのです。

 

 

 

 

 

 

自由に「選べて」初めて「表現」となる。
といったのは、演出家の鴻上さん。
(だったと思います)

 

 

 

 

そして「選べる」幅がある、というのは、
文化的背景もありますが、

 

やはり豊か、ということではないか、と思うのです。
言葉の「多さ」というのは、
人の繊細で、重層的な感覚や、感情の「層の厚さ、複雑さ」と
圧倒的に、
関係しているように思います。
(何せ、言葉の数は「世界を表す絵の具の数」なので)

 

 

 

 

 

 

特に「いい感じの結論」はないのです。
だた、
「ほんとにいろんな言い方があるよなー」
「日本人(日本語使い?)でよかったわー」
(こういう感じの言葉の世界観がわたしは本当、好きだー)

 

 

と思った、
という話でした。

 

 

(もっと深く掘れば、とてもいいテーマになると思うんですが、

何せ出だしが出だしだけに、

また別の言葉で掘ってみたいと思うことです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

【「その声」しか出せないなら、それは単なる「癖」。
「選択肢」が増えて、初めて「あなたの表現」となる。
自分の大切な言葉を載せて毎日「走って回る」自分の声を
「癖」から「相手と場に合った適切な『表現』」へ】

 

 

●コミュニケーションの体感を鍛えるワークショップ
 第2回「”伝わる力”の根っこにあるものはー声をめぐる冒険」

 

◉日時     6月15日(日)14時ー17時
◉所     カクイックス交流センター(鹿児島市)
◉受講費 3500円

 

【詳細】
https://commu-w.net/2025/05/28/

【お申し込みフォーム】
https://form.run/@maikaze–E7aT08ji9a56ogH0pEpf

​​​​​​​

 

 

原作をどこまで尊重するか?そして子どもに何を与えるか

 

 

 

「赤毛のアン」がとても好き、というわけではないのですが。

 

 

子どもの頃、数回は読み、自分なりのイメージや好きな場面もあって。
(アンの親友、ダイアナがアンに間違って飲まされる「いちご水」(実はお酒)が美味しそうだなー、とか)

 

そして、やはり世界に冠たる「高畑勲監督」の名作中の名作アニメ
「赤毛のアン」が浮かんでくるんですが。

 

 

 

 

この春始まった新作アニメ「アン・シャーリー」。
プリンスエドワード島の風景が美しく描かれ。
アンも生き生きと可愛くて。

 

今のアニメ技術で存分に描かれるアンの世界に、
「きれいだなー😍やっぱり絵が綺麗なのは正義だわー」
と見ていたのだけど、
話が進むに従って、少しの違和感が。

 

 

 

言葉にするなら、
「このアン、わたし…ちょっと一緒に暮らしたくないかも」。

 

 

 

カスバート家入り口。
アンを連れ帰ったマシュウに、マリラが
「男の子はどこ?」と言い、「この子しかいなかった」と返すマシュウ。
「なんですって⁉︎」とマリラ。
次の瞬間。
「誰もわたしを欲しくないんだ!」と叫ぶアン。(戸口で)

 

そして、大泣きしながら案内もされない
(人んちの)部屋の中にズカズカと歩み入って、
(人んちの)居間のテーブルにわっと泣き伏して
繰り言を延々と述べながら泣き続けるアン。

 

 

コミカルな演出で、
(コーデリアと呼んで。せめて「e」のついた「アン」と呼んで。
の有名なセリフもここで出てくる)

 

可愛いよ。
可愛いんですが…。
けど。

 

 

なんだかちょっといやだ、この子(笑)
というか、怖い。
アンよ、礼儀はどこへ行った?君の高潔なる矜持はどこへ行った?

 

 

 

 

その後、SNSにて。

 

◉「アンは背筋を伸ばし座る。アンは礼儀正しい。
『クイーン・アン』と後にギルバートが言う芯の強さがアンにはあり、
アンは可愛いお転婆娘ではない」

 

 

 

他にも。

 

 

◉「ヴィクトリア朝時代の少女が膝を抱えて座っていることはありえない」

◉「原作アンのカバンは布の古い鞄。こんな高級な革製のトランクを孤児は持てない」

◉「そもそもアンはピンクを着ない。

(原作に「赤い髪をした者はたとえ想像でもピンクのものは着られないのよ」のセリフがあるとか)
なのに、ポスターでは堂々とピンクを着ている」

◉「ダイアナの黒い瞳と黒い髪にアンは憧れる。なのにアニメのダイアナの目は青」

 

 

 

などなど。
みなさん、すごいです…。

 

 

赤毛のアンの世界観を大切にし、
アンをずっと愛し続けてきた人たちの氣持ちがそこには渦となって溢れていました。

 

 

 

◉「赤毛のアンのアンは
前向きで元気で夢見がちな魅力的な女の子ではなく、
生き抜くために想像力を使った、
愛に飢えたサバイバーなんですよ。

 

そしてアンを支えるのはその気位の高さ。
誰が相手でもそれを崩さない。
アンは単なる一時的な怒りでギルバードを叩いたわけでもない。
アニメ萌え表現に消費される」
(先の、リンクを貼った方の言葉)

 

 

 

なるほど…。

 

 

 

高畑アニメで感じた、

 

「繊細な、触れれば壊れてしまいそうな、
けれどもその奥に存在する真っ直ぐなクリスタルの硬質」

 

を持ったアンの姿を思い出したのでした。

 

 

 

 

さて。
「原作をどこまで尊重するか?」
「今の時代(の子どもたち)に受け入れられる」ための改変。

 

 

 

わたし自身の「好み」なんですが、
原作(設定・キャラ・世界観)を使って、
「自分の言いたいこと、自分の表現したいこと」を脚本家や監督がぶっ込んでくるような作品作りは
好きではありません。

 

 

そして、
「今の時代のテンポ、感覚」に合うように変えることは
あってよしですが、
(時代劇だって厳密に作れば「お歯黒女性」だらけになってしまうわけですし)

 

 

キャラクターの性格や物語の設定における、
「作者が最も表現したかった」根幹に関わる部分の改変は、なし、

 

ではないか、と思っています。

 

 

 

 

ちなみに、
SNSで印象に残ったもう一つの言葉があって。

 

「今はもう、原作を読み込める制作者がいない」
「凜とした少女、を描ける人はもういない」

 

といったもので。
恐ろしいことですが、そういうこともあるのだろうかと思ったり。

 

 

 

 

さて、さらなる願い、なのですが。

 

 

子どもには。
いえ、子どもに届けるものだからこそなおさら、

 

「わからないだろうから変えてあげよう、

薄めてあげよう、
こっちの方が見栄えがいいだろう」

 

といった大人側の安易な、勝手な
(戦後の薄い、毒された「テレビ文化」の中で育った貧困な想像力から生まれた)

「改変」ではなく、

 

 

 

ガッツリと「作者が描いたキャラクター」そのままに
「作者が描いた世界観」
「真に伝えたかったこと」を、
子どもたちに手渡してほしい、と思っています。

 

 

ゆるいお粥のような作品ではなく、
噛みごたえのある強飯(こわめし)を与えて欲しい、と思います。
子どもはそこまでバカでも、愚かでもないのだから。

 

 

 

そこへの思いや努力がないのなら、
「原作もの」に手を出してはいけない、というのは言い過ぎでしょうか。
(上記SNSの方の言葉のように「萌えアニメとして消費」するために
原作の世界観を使ってほしくはないなと)

 

 

何より、原作者が、
「ああ!映像化してくれてありがとう!アニメ化してくれてありがとう!」
と喜ぶ作品になるのが一番だと思います。

 

 

 

 

この「アン・シャーリー」を、
作者のモンゴメリが見たらなんと言うかはもちろんわからないんですけれど。
(案外面白がったりしてですね。
そして、この「アン・シャーリー」。
十分に面白くて「いいアニメ」なことは確かだと思っているのです)

 

 

(上の新旧比較写真は、先のリンクを貼った方のSNSよりお借りしました)

 

 

 

 

 

 

春のセンバツ、市立和歌山の川辺謙信主将の宣誓がすごかった件(「心を掴むプレゼンの枠組み」にのっとっていた件)

 

 

 

 

 

 

 

一昨日の春の甲子園の選手宣誓が、よかったのですよね。
短い中に「物語」があった。
短い中に聴衆の意識を過去から今、そして未来へと連れていく壮大な「仕掛け」があった。

 

 

 

●「高校野球は100年以上にわたる長い歴史の中で、幾多の困難や、
苦難を乗り越えながら発展してきました」

 

そして「大正、昭和、平成、令和…」と言葉で繋ぎ、
イメージを喚起し、一瞬のうちに観客と共に時間を旅する。

 

(そうだ、そうだぞ!ずっと、いろんなことがあった。
本当にいろんなことがあった。よくここまで続いてきた…と涙するわたし)

 

  ↓

 

●「わたし達は、今、大好きな高校野球を続けることができています」

 

現在に到着。
今、その高校野球を共に「見ることができている」
自分たちにも「氣づく」聴衆。自分たちも今ここにいるのだ。
「わたしたち」の中に入っているのだ。

 

(本当、奇跡だわ〜!感謝だわ〜!と、もはやここで、

心は野球以外の全てのことに飛んでいるわたし)

 

そしてさらに今の(課題)を提起。
「そして現在、野球人口が減少する中…」

 

  ↓

 

●「この大好きな高校野球をさらに魅力あるものに発展させ、
未来の高校球児へとつないでいく責任があります」
「今まで支えてくれた全ての人たちへの感謝を胸に、仲間を信じ、
そして、未来のために、全力でプレーすることを誓います」

 

みんなの目を、意識を、未来へ。未来のありたい姿へ。
(だよ!その通りだよ!わたしもそうする!という熱い塊が胸の中に沸いているわたし)

 

 

 

美しい。

なんて美しい流れ。

 

 

 

 

 

これって、昔学んだ、
「インフィニティ(♾️)ストラテジー」だったか、

 

の枠組みなのですよね。

 

 

「過去の出来事をつなぎ、橋をかけ、今につなぎ、
そこから今度は未来の好ましいイメージへとさらに繋げていく」

 

という構造が書かれた説明の紙をもらい、
(その紙にはまさに「♾️」の形の図が書き込まれていました。ちょうど真ん中の交差点が「現在」)

 

 

 

それをギュッと手に持って、実際にフロアをうろうろとしながら
(過去・現在・未来と動き回りながら)
何回もプレゼン練習をしたものです。

懐かしい。

 

 

 

 

 

さて、人というものは。

 

 

 

生きていく上で「物語」が必要な生き物なのだ、と思います。
「つながり」が必要な生き物なのだとつくづく思います。

 

 

時のつながり。
先人たちとのつながり。
思いのつながり。

 

未来の子どもたち。
まだ見ぬけれど、
確実に自分たちの思い、行動の延長線上に
存在することになるであろう
人たちとのつながり。

 

その結果出現するであろう世界とのつながり。

 

 

 

その「滔々たる流れ」の中の
「意味ある一人」として
「意味ある一瞬」を生きている。

 

自分も、「それ」を担っている。

 

 

 

そう思えた時に、
今持っている錘(おもり)は軽くなり、
歩むエネルギーが湧いてくるのだ、と思います。

 

 

 

 

この「つなぐ」という仕組み。
歴史上の偉人の「人を動かした名プレゼン」をみてみると、
この「つなぐ」ことをやっているプレゼンが結構あるのですよね。
(♾️などと名づける以前に、人の心が動く時の、とても自然な流れなのだと思います)

 

 

 

自分の「大切な思い」を誰かに伝える必要のある人。
大勢の人に、自分の「思い」を伝えて、揺り動かしたい場面のある人

 

 

 

 

興味のある方はぜひやってみてください。

 

コミュニケーションについて学ぶとはつまり「愛の表し方」を学ぶということなのだ

 

 

数日前、仕事先で連絡窓口となってくださっている方から、

 

「私も(研修案を)拝見させていただきました。

一人の親としても、大変参考になることが多く、
○○という役職の方だけでなく、
親としても勉強させていただきたいなと思うところでした」

 

の言葉と共に、
ご自身のお子さんとの関わりにおける、
とあるシーンへの(後悔の)思いが綴られたメッセージが届き。
(「タイムマシーンがあったらあの時へ戻るのに」と)

 

で、思ったわけなのです。
(たくさんの親御さんの似たような声、いわば「心の叫び」を思い出しつつ)

「ああ、お願いだから自分を責めないで」

と。
それはその時のあなたの(全ての親御さんの)
精一杯だったのだから、と。
で、最近思う
「この連綿とつながる『悲しみ』『もどかしさ』」は何なのだ、
という思いがまたむくむくと頭をもたげ。

 

 

で、
次のようにお返事を返しました。

 

 

 

*  *  *  *

 

「コミュニケーションについて学ぶとは、
つまり、

『愛の表し方』

を学ぶということなのだ、と思います。
他者への愛。
そして、自分自身への愛。

 

わたしたちはそもそも、
たくさんの愛を持っていますけど、
それを「適切に表す」「適切に伝える」すべ、を知らない。

 

自分の親も、その親も、その親も…

 

そんなことを教わっていないし、
知らなかった。

 

(特に、80年前、戦争が終わった時に、
一度大きく断絶してぐちゃぐちゃになった、と思います。
世の中の激変、価値観の激変。
あの時、日本の大人たちはみんな、
自分自身を信じられなくなった、と思うのです。
その傷(固まった心と身体)をわたしたちは受け継いでいる)

 

あなたのお子さんへの(後悔している)言動。
その、
根っこの根っこの深いところにあった、
あなたの「本当の願い」。

それは、
ご自身の不安もあったやもですが、

そのさらに奥には、お子さんへの「純粋なる愛」
がダイヤの原石のようにしっかりと存在していた、
と思うことなのです。

 

*  *  *  *

 

 

「愛を表現する」
「愛を伝える」

 

20代、
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んで
「いっちょんわけがわからん…」
だったのですが、
それでも、最終章に出て来る

「愛とは修練である」

の言葉はとても印象に残っています。

愛とは。
愛を伝える、愛を表現するということは、
「練習あるのみ」なのです。

 

どろつき大根のままで
(洗うことも、皮を剥くこともなくそのままで)

「さあ、受け取ってくれ」
「どうして理解できないの?受け取ってくれないの?食べてくれないの?」

と言われても、
相手にとっては咀嚼は愚か、口にすら入れることができない。
(けれど、みんな案外「それでいい」「それが普通」
「自分、不器用だから…」レベルの認識で止まっているのが
「コミュニケーション」の分野なのではないかと思っています)

 

*  *  *  *

 

 

「わたしたちのような仕事の者の役割は、
それぞれが、その「ダイヤの原石」に気づいていただき、
楽しく磨いて「本来の美しい光」が
周りにしっかりと届くためのお手伝いをしているということでしょうか」

 

*  *  *  *

上のように続きを書いて、終わったことでした。
(我ながらいい喩えだなーと思いつつ)

 

 

 

まとまりませんが。
今年もそういう場でたくさんの人にお会いできることが
とても楽しみなところなのです。

 

 

 

追伸:
では、昔の日本人はそんなに「愛」を伝えるのがうまかったのか?
ということなんですが。

「言葉」がうまかった、ということではなく。
(何せ言葉は「今夜は月が綺麗ですね(=I LOVE YOU)」の世界なので)

「身体」が今とは違っていたのだと思います。
身体が常に「温まっていた」(体温ということだけではなく)。

 

柔らかく、豊かにコミュニケーションのためのセンサーが広がり、
リラックスした身体で
昔の日本人は生きていたのだと思います。

(渡辺京二「逝きし世の面影」にその雰囲気を感じることができるのではと)

 

つまり「いるだけで」「お互いそこにいるだけで」
安心感や、つながりの感覚や、愛おしいという感覚や…
そういったものが
溢れている身体、やり取りできていた身体、といいましょうか。
(昔、ばあちゃんの膝に乗っかっていた頃に、そういう感覚を
感じたことがあったように思います)

 

谷川俊太郎さんの訃報を聞いた日に書こうと思い立ったこと

 

 

 

 

朝のリレー 

       谷川俊太郎

 

 

カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている

 

ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

 

この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

 

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

 

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

 

 

 

*  *  *

 

 

 

今でも、夜明け前に起き出して、
どこか遠くへ移動するとき、
ちょうど空が白んできた頃、つい口ずさんでしまうんですよね。

 

 

「カムチャツカの若者が…」

 

 

この詩の言葉が身体の中に呼び起こす

すがすがしさ、
静かな躍動感、
何かが始まる前のワクワクする感じ、
壮大な感覚

そんなものが、
わたし自身の身体にもしっかりと刻まれてしまったんだなあ、
と。

 

 

この詩に出会ったとき、
もはや「いい大人」だったわたしでさえそんななのだから、

みずみずしい13歳の頃に出会った子たちの身体には、
もっともっと、深く刻まれていたらいいなあ、と思うんですが、
それは「授業をした人」(つまりわたし)
の力量に大きく関わっているんじゃあ??

と思うと、ほんっとに責任を感じる😅
と今更ながらに思うことなのです。

 

 

 

 

 

谷川俊太郎「朝のリレー」。
入学後のとても早い時期(春か、遅くても初夏)の題材として、
載っていたように思います。

「出発」「新しいスタート」を迎えた子どもたちに触れてもらうに、

なんとも相応しい。

 

 

 

 

美しい言葉に触れること。
美しい世界に触れること。
そこと、いつでもすぐにアクセスできる回路をつくること。
そこは、心の故郷であり、
いつでも自分を助け、温め、癒し、鼓舞してくれる、
大きな大きなものの「みなもと」。

 

 

 

 

詩の授業なんてのは、
結局「そういうもの」をたくさん作るために
やるんじゃあないの?

 

 

そこから始まる長い人生、
どんな場面でも、
「帰れる」「繋がれる」心のエネルギー源をたくさん作るために。

 

 

 

 

と今なら思います。
今ならわかります。

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

《追伸》
この「朝のリレー」のドリル(市販の小テスト)を見ていたら、

 

【そうしていわば交替で地球を守る】
ここの意味として正しいものを選べ。(4択)

 

の選択肢の中の三番目の選択肢が
「地球防衛軍に入って防衛に力を尽くす」
という感じの選択肢だったのが、とても(笑えて)気に入ったことを思い出します。

 

それはつまり、親の「努力」じゃなく「言葉になはらない意識」の方が伝わる、ということじゃなかろうか

 

 

 

【努力は実を結ばないのね】というタイトルで、

 

 

「歯を丁寧に仕上げ磨きしてあげていたのに、歯も磨かない男になった。
毎晩読み聞かせをしていたのに、スマホ以外の活字は読まない男になった。
ご飯、ちゃんと手作りしてたのにカップラーメン大好きな男になった。
環境考えて親子でエコ活動してたのに一面ゴミの部屋で暮らす男になった。
…息子に一言。
努力が実らない世界があるということを知った。
教えてくれてありがとう」

 

といった感じの内容の内容の文章を見た時に、
(文章はうろ覚えなので悪しからず)

 

 

それはつまり、
「結局、親の(大人の)『何が』子どもに伝わるか」
ということなのじゃないだろうか、
と想像したのでした。

 

 

ちょうど知人に話したばかりなのだけど、
「人はあなたの言葉の通りになるのではない。あなたの身体の通りになるのだ」
という言葉があって。
(コミュニケーションにおいて、わたしの好きな言葉です。本質をついている)

 

これはつまり、
言葉や、思考でコントロールした行動。
ああしたほうがいい。
こうすべき、と言った言葉や行動ではなく、

 

結局「本音」(無意識)の方が伝わる、
影響を与える、ということなのだけど。

 

 

「ちゃんとしなくちゃ」
「〜すべき」
「正してあげないと」
「しっかりしないと、させないと」
「いいことをさせないと」

 

 

そこには、親自身の
「楽しさ」
「リラックス」
「心から『それしたい!』」
という感覚は
含まれていない。多分。

 

で、子どもには、「そっち」の方が伝わるのだ。

 

 

 

「親も常日頃言っていたし、やっていたし。
『そうした方がいいし、正しい』のはわかっているけれど。
なんだかわからないけれど、
それを考えると、
しようとすると、
固い感じ、重い感じ、嫌な感じを感じる…」

 

 

という、子ども本人にも理解できない「感覚」
になって子どもの中に残る。
それがつまり
「相手はあなたの言葉(思考)のとおりになるのではない。
あなたの身体(無意識)のとおりになるのだ」。

 

ということなのだと思う。

 

 

自分の話になりますが。
子どもの頃から本が好きで、
多い時で年に2〜300冊くらいは読めていたように思う。

 

今も本好きは変わっておらず、
いい癖をつけてもらったなーと。
ここのところは親に感謝しているのだけど、
「本を読め」と言われたことは一度もない。

 

だだ、「家に本があった」。
父が本好きだった。
壁一面をぶち抜いた本棚と、
父の机の上にはガラスの扉のついた「特別本棚」があって、
その中には父のお気に入りの本が並んでいた。

 

 

 

何を言いたいかというと、
読み書きかせでもエコ活動でもなんでも。
「自分も楽しい」
「何より自分が好きで、したい」
「夢中になれる」
のだったら、
より、いいんじゃないだろうか、と思うのだ。

 

 

「頑張る」「しなきゃ、させなきゃ」が醸し出す大人の無理や、
緊張の方が、
結局子どもには伝わってしまうから。
(と書きながら、なんだか切なくなっている。
その気持ちも、よくわかるから。
そして、教員時代を思い出すに、
それで上手く行ったことは一つもないなあとも思うのだ)

 

 

いつも思うのは。

 

「大人が笑って、のびのびと自分の人生を楽しんでいる」
「その姿を、ただ見せる」

 

もっというと、
「家の中がなんか知らん、
そんなHAPPYな大人が出すHAPPYな波長で満ちている」

 

 

子どもの幸せはまずは、それじゃあなかろうか、と思うのだ。

清里の街の再生に思うーつまりはわたしたち日本人全員の課題

 

 

 

 

 

今朝ほど清里の街の再生をする人たちの番組を見ていて、
なんだか悲しいやら切ないやらの気持ちになっていたところでした。

 

清里高原がブームになった時、
あそこに一斉に押し寄せていた若者たち
(パステルカラーの服を着て「聖子ちゃんカット」をしていた人たち)
とわたしは大体同じ年代なのだけど。

当時から幕末オタクの神社仏閣好きということもあって、
あの、キッチュな偽物(いかもの)チックな清里の雰囲気に、
なんとなく

 

「恥ずかしいな…」

 

という感慨を持ってみていたのだけど。

 

けれど、そんなわたしですらパステルカラーのものを、
何かしら身につけていたように思うので、
時代?流行り?空氣というものは本当に恐ろしい。

 

 

その番組には、清里の地元の人たちが描かれていたのだけど、
みるからに「本当に難儀だったろうなあ」と想像するに十分で。

 

ブームの時。
外からどっといろんな人たちが入ってきて、
「キッチュな」「イカものな」(言い過ぎ?)
お店をどんどん建てて、人が集まって。
その雰囲氣に乗って、地元の人たちも同じようにして。
「ああすれば儲かるのだ」「乗り遅れるな」と。

 

けれど、ブームが去った途端に、
外から来た人たちはさあっと潮が引いたように清里から去っていき。

 

後は、食い荒らされた土地に、
歯抜けのような空き店舗だらけの街。
その中にぽつねんと取り残された自分の店。

 

辛かったろう。
悲しかったろう。
歯痒かったろう。
絶望したろう。

 

と思うのだ。

 

 

父親からのレストランを引き継いだ一人の男性。
父親の工夫と努力で繁盛していた店を、
ブームに乗って改築し、席数を増やし、
効率優先で多くのお客を捌くために冷凍食品を使うようになり、
そしてブームが去った時、お客も去っていった。
お店は負債を抱え、閉店。

 

今、がんとして加工品を使わず、
パスタ麺を自分で打ち、カフェを続けるその人。
(喉から手が出るほど加工品を使いたいけど、でも使わない、と言っていた)

 

きっと彼は深い後悔の中で、この30年間
「自分とは何か?」「自分はどう生きたかったのか?」
を探し続けてきたのではないかと思え。

 

「清里だからお客が来るんだと思っていた。
でも、そうじゃなくて、いいお店があって、
それがたまたま清里にあった、じゃなきゃいけないんだ」

 

いうのはその人の言葉。

 

 

 

清里(のような、もしかしてあちこちにあるかもしれない街)が再生するとき。

 

今度こそ、その土地に根ざす人たち、一人一人の意思と、知恵と、
まことなる自立の心、
「こうしたい!」
「これが自分たちなんだ!」
「これを大切にするんだ!」
という心からの思いで街が息を吹き返すとき。

 

日本も真の意味で再生していくのではないか?と思える。

 

 

それは結局、
わたしたち一人ひとりの心の中、在り方と無縁ではなく。
(全てはフラクタル)

 

清里の人々だけでなく、
この大きな変化の時、
わたしたち日本人一人一人に、刃のように突きつけられ、
問われている、
大きな「喫緊の課題」なのだろうとも思える。

 

 

 

 

どこへ行く日本人。どっちつかずの日本人。お前は何者?

 

 

 

今日から浴衣を着てみたんですが。(7月の声を聞いた途端、うずうずしてしまい)
半分は趣味、半分は仕事でしょうか。

 

 

 

 

話は飛びますが、
偶然「フットケア」の特集番組を見まして。

 

足の不調(外反母趾や、巻き爪、魚の目、たこ…や何やかやで痛くて歩きづらい)
をどうケアするか、という話と、
予防として、そもそも「そうならない」ための「靴選びや歩き方」、

といった内容だったのですが。

 

 

それを見ていて、思ったことは、

 

「なんだかんだ言っても、わたしたちは『靴』に馴染んでいないし、
『靴で歩く』ことにも扱いにも慣れていないのだな」

 

ということでした。
靴を履き始めて160年(やっと)。
身体なんて、そんなにあっという間に変わるものじゃない。

 

 

一体、何人の日本人が足のため、
身体のための「靴の正しい選び方」「扱い方」をちゃんと、
お味噌汁を作るくらいの「当たり前」レベルで
知っているだろう、出来るだろう、と改めて思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

で、
ふと思い出したのですが。

 

相当昔の話なんですが、何かの番組で、
「オードリー・ヘプバーン」の問題が出ていて、その問題が、確か

 

「オードリーが小さい頃、足が綺麗にちゃんと成長するように親ががやったことは?」

 

というような問題だったのです。
で、いくつか選択肢があって、
答えは「足首まである編み上げ靴を、紐を締めてしっかりと履かせる」
だったように覚えています。

 

 

今思えば、向こうの人たちにとって、そういうのは、
至極当たり前のことなんだろうなあと。

 

 

 

 

 

で、日本人なのですが。

 

 

では、草履や下駄を履き、畳や板の間で「座して」暮らすことで
昔からご先祖が馴染んできた、

 

「身体の使い方」

 

は身体にちゃんと息づいているか?というと、
それももう、ない。

 

 

 

そして、今の若い子たちは「蹲踞(そんきょ)」ができず、
丹田の場所がわからず(こういう役者の卵の子に会ったことがある)、
浴衣の帯をウエストで結び(男の子です)
腰を立てて姿勢をキープできず。

 

しかも衝撃だったのは
10代から「尿もれ」を起こしている女の子がいると。
(骨盤底筋が弱いのが原因らしいのですが、
これは、和式の生活をしていればごくごく自然に鍛えられてきたものなのだそう)

 

 

 

 

で。
「どこへ行く日本人」
「どうする日本人」

 

と思ってしまったわけなのでした。
もう「和」は捨ててしまった。
どっちつかずで何者でもなくなってしまうんじゃないか?と。

 

 

フラフラと。
あっちへいき、こっちへいき、何が正しいのか?
何を軸にしたらいいか、とても深いところでわかっていないというか、
なくなってしまっている。
その精神も、「よって立つ『よすが』がない」感じ。

 

 

それらは、こういったところにも
(生活様式、身体の使い方が伝承されていないところにも)
その原因はあるのではないか??
とずっと以前から思っているのです。

 

身体の軸と精神の軸はしっかりと繋がっているわけですから。

 

 

そんなことを考えつつ、浴衣でここに座っている今。
(近所の人と、カフェの店員さんから
「何かお稽古ですかっ😃!」と声をかけられつつ)

 

 

 

 

それにしても。
「和のよそほひ」って、背中を丸めようがないなあ、と
(下腹が定まって楽だよなあと)。

 

それに、下腹で楽に全身を支えられるので
(帯で下腹をきゅっと締めてますんで)
肩に余計な力が入らなくて、大変よろしい。肩こり防止に。

 

 

 

 

日本人の中心は「肚」なんだなと。
頭(思考)と、胸(感情)と、肚(意思・精神)。
最終的には、腑に落とし、決断し、
そして「肚からの声」で伝えるのが日本人だったんだろうなと。

 

そんなことをつらつらと思っているところです。

 

 

 

自分の中心から動くと、最も自然に力が発揮できる

 

 

 

 

2週間ほど前、ちょっと動くと途端に首がバリバリと痛くなることが数回あり、

考えた挙句、

 

「重い荷物を腕だけで持ち上げようとする」

 

のが原因だなあ、と気づきまして。

 

 

筋力の衰えに反して(筋力が落ちているのも問題ですが!)

持ち歩く荷物の重さは変わっていないもんなあと。

 

 

そうなると「腕から動く」のをやめる必要がある。

腕の力のみに頼るのをやめて、

 

「中心から動く」。

 

「古武道の身体の使い方を介護に活かす」

的な番組で見た知識を思い出しながら、

臍の下。丹田と呼ばれるあたりから動く。そこを意識して、連動して動く。

を意識しているのだけど、

そうするとだいぶよいのです。楽になった。

(今やすっかり首は元気です)

 

 

 

ここで思い出しているのですが。

 

ダンスを踊る際に、

「腕を動かす」「足を動かす」というような意識の踊り方だと、

一見、派手に上手に踊れているように見えても、

バタバタした素人くさいダンスになってしまうのです。

 

 

身体の中心に落ちた一滴の水。

その波紋が同心円状に全身に広がっていくような感覚で動くといい。

 

身体の中心で起こった静かな揺れが、

指先、足先までしんしんと広がっていくような動き。

 

そして、自分の手、足を通り越して、

空間全体に「わんわん…」と広がっていくようなイメージで動くと、とても美しい。

 

 

(わたしが教員だった頃の教え子さんでこういう動きをする人がいましてね。

肩先をピクン、と動かしただけなのに、

場の空気を一瞬にして変えるような彼女のダンスを今でも思い出します。

微かな動きの中に、

彼女の中心から湧き出る『律動の強さと純粋さ』を感じたものでした)

 

 

 

 

そして。

これは身体の動きに限ったことだけではなく。

(と言いますか、一時が万事。共通している)

 

 

語るということ。

言葉で伝えるということも全く同じなのです。

 

 

自分の中心で起こった振動。(思い。感情。意図)

自分の中心で発生する、

純粋な「最初の一滴」を常に捉え、

そことのつながりを保って、そこから言葉を発するといい。

 

 

自分の「最初の一滴」から生まれた振動が、

同心円状に外にしんしんと広がっていくように、

声を出し、言葉が出せるととてもいい。

 

 

そこには余計な飾りなど発生する余地は全くなく。

 

「どう言おう?」

 

も、

 

「かっこよく言おう」

「いいふうに言おう」

「ウケないといけない」

「面白くないといけない」

 

も何も存在しない。

 

 

 

そういうふうに、

「本当の言葉」

「自分の中心としっかりと繋がった言葉」

「その瞬間、その場で、その相手との間にしか生まれない、鮮度100%の言葉」

 

を出している人や場面に出会うと、本当に心動かされます。

 

 

 

「立て板に水」とか、「話すのが上手いよね」

などとは全く次元を異にする語り手。

 

そんな人が、いるものです。

(そして、実は誰でもそういう言葉を持ち合わせている)

 

 

 

ちなみに。

わたしは先に書いたダンスの上手い教え子さんの語る様子も好きでした。

ゆっくりと、時間をかけて、言葉を探し出すように話すときの視線。

自分の中に深く降りて、

最もしっくりくる言葉を丁寧に捕えようとするその雰囲気が。

 

 

 

 

 

もしも。

 

言葉が「一語いくら」と値段がついているものであったら、

一瞬たりとも、一語たりとも無駄に使うことはできない。

みんな、自分の「真の意図」を最も表現できるものを、

探して探して、厳選して選び出すだろうなあ、と思います。

 

 

 

 

そして、

実はそれくらい意識して言葉を使ってもよいのでは、とも思っています。

 

言葉は確かにただですし、

湯水のように溢れるようにダダ漏れさせても誰も何も言わないし、

いくらだって走らせることができる。

 

 

けれど、

「自分の中心と繋がっていない言葉」

は人に届かない時代に、これからますますなっていくように思います。

 

 

届かないどころか、

自分の人生に対して。

自分の大切な人たちの幸せに対して。

早晩しっぺ返しが来るような氣すらするのです。

 

人は結局自分の物語を表現するしかない。(それが一番強く周囲に響き渡り、人の心に届いていく)

 

 

 

最近、

①宮崎駿は自分のために(自分を解き放つために)アニメを作っている。
②久石譲いはく「ドメスティックでいいから真剣に掘り下げたものが、かえってインターナショナル」

ということに少し感動してですね。

 

 

 

まず①について。

 

その番組では「君たちはどう生きるか」の制作を通して、
2018年に死去した「パクさん(高畑勲)」への
宮崎駿の断ち難い、憧憬、愛情、おそれ、呪縛、…等々、

 

一言では言葉にすることのできない、山ほどの想いへの対峙と、
それをなんとか超えようとしているプロセスが描かれていました。
(作品内に「これはパクさん」と、
位置付けているキャラが出てくるのですよね◁わたしは見ていないけど)

 

 

 

 

 

それを見て、

 

「ああ、この人は、何より誰より、まず自分を癒すために、
アニメを作っているんだな。
自分の心的旅路を作品にしているんだな。
作ることを通して、昇華し、癒されようと(もしくは次へ行こうと)しているんだな」

 

と思ったのでした。

 

 

 

 

そして、それでいい(ものすごく、いい)と。

 

 

 

世の中のすべての創作活動というものは、
畢竟そういうもの…
というか、その要素がないものは、
他者の心に響くものにはなり得ないのでは?と。

 

 

一人が旅をする。
周囲は、その「旅」を共にし、追体験することを通して、
そこから自分自身にとって必要なものを獲、
感じ取って癒され、成長する。

そこに必要なのは、ただ、掛け値なしの
「クリエイター」自身の本気の旅、自分自身の旅のプロセスなのだ、と。
それだけが、真の響きを放ち、
周囲を巻き込める可能性を持つのでは、と。

 

 

 

そして②。

久石譲いはく「ドメスティックでいいから真剣に掘り下げたものが、かえってインターナショナル」

 

 

ドメスティック(domestic)は
「家族的な」とか「自国の、国内の」意。
(わたしはドメスティックとバイレンスをくっつけて、妙な覚え方をしていました!)

 

 

番組では、久石譲が、世界各国の有名なオーケストラで指揮をし、
シンフォニーや、そしてもちろん、宮崎アニメの曲が、
大喝采を浴び、受け取られている様子が映し出されていました。

 

 

どこか懐かしい、わたしたち日本人にとって
心揺さぶられるような数々の楽曲が、
こんなふうにたくさんの国の人たちに
熱狂的に受け入れられているなんて。
(正直、涙が出るくらい胸がキュッとしてしまった)

 

ニューイヤーコンサートで毎年見る、
ウィーン楽友協会の絢爛たるホールで鳴り響く
「となりのトトロ」を聴きながら、
とても誇らしく思うと同時に、少し「うるっと」き。
(そして、なんだかちょっとクスッと笑える感じ)

 

 

先の言葉。
これは、久石譲の「宮崎駿のつくる世界」についての言葉なのだけど、
久石譲の曲自体が、まさに、自分の中に湧き上がる
「ドメスティック」
な部分を、追及して今に至っているのだろうなあと。

広く、でもない。
万人に受け入れられるか、でもない。
世界はどんなのが好みなんだろう?
どんなものが受け入れられるんだろう、でもない。
自分の中に湧き上がる、ただ一つの響き。

 

繰り返し、繰り返し、自分に力を与えづつける、決して枯れない泉。
魂に刻まれたもの。細胞の記憶。

 

そこを探究し、追及し、
それが今、世界の、多くの人の心を震わせている。

 

 

 

さて。
というこの2つの話を、
少し前、クライアントさんとしたところだったのです。
「何を他者に伝えるか?」
について。

 

(ですので、自分の中から真に湧いてくる、断ち難い思い、
最も興味あること、最も伝えたいことを伝えればいいのでは!と
お伝えしてみたところでした)

 

 

今この瞬間、
「何を伝えるか?」
「自分とは何か?」
「これから自分は何を表現するのか?」

 

で迷っている人がいたら、
よろしければこの話、何かの糧にしてください。

 

 

 

(絵は、想像だけで描いてみたトトロ。似ているけど何かが違う…。
こういうのを「これじゃない感」というんでしょうか)

 

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.