「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「いい大人になりたい。姿を見せられる大人になりたい」

 

 

 

 

 

中学の時の家庭科の先生が、とても怖い先生だったのです。

 

 

提出課題はもちろんのこと、

時間、道具の扱い方、全てにおいて徹底しており、「手抜き」を許さない先生でした。

少しでも片付け方がまずいと、

班全員が放課後に呼び出され、

できるまで徹底的にやり直しをさせられるという。

 

 

その先生の思い出は「鉄なべの話」など、
他にもいろいろあるんですが、
(鉄なべの扱い方を徹底的に仕込まれた話)
今日話したいのは、そこではなく。

 

 

 

ある日突然、
先生が「数学の先生」に転向したこと、なのです。

 

 

密かに免許を取り、準備をしてらしたんでしょう。
春4月。
その先生は、受験学年であるわたしたち中3のクラスに
「数学の先生」として乗り込んできました。颯爽と。

(今でも、先生が教室に入ってきた瞬間の勢いを思い出します。
小柄な身体が前のめりで、教壇まであっという間にたどり着いた、その足取り)

 

 

 

 

 

 

ざわめく教室。
そして、授業は始まり…。

 

 

さて。
それは見たこともない授業でした。
それまで、どの数学の先生も…どの「数学のプロ」もあんな授業はしなかった。

 

 

 

先生は、お手製の「黒い箱」を持ってきていたのです。
30センチ✖️20センチくらいの、まさに「ブラックボックス」。

何の内容だったか、正確には思い出せないんですが、
そのブラックボックスに、

 

「ぽん!」

 

と数字だかのカードを入れると、横から全く別の数字?記号が「ぽん!」と出てくる。
「ボヨヨ〜ん」とバネのついた数字カードが飛び出てくるのです。
本当に。

 

その「ボヨヨ〜ん」の仕掛けと、先生の、カードを投入する瞬間の

「ぽん!」

というハリのある声、今でも鮮明に思い出します。

 

 

 

 

中3を相手に、マジックショーのような授業を始めた先生。
本当に驚いたんですが、けれど…

 

 

 

その時の、自分の表情が想像できるのです。
目を見開いて、瞬きもせずに先生の手元を見つめていたであろう、
中3の自分の表情が。

 

 

算数、そして数学の授業で、初めて感じた「楽しさ」。
目と心を奪われる、無垢な集中の感覚。

 

 

 

 

ああ、自分にも「わかる」かもしれない。
もしかしたら…もしかしたら。

 

 

 

 

あえて言葉にするとそんな感じでしょうか。
長い間かかって強固に固まった苦手意識と自己否定。

 

そんな子の心の中に、軽やかな風の吹く間を作るということが。
希望の灯を再びともすということが。

 

 

どれだけすごくて、
どれだけ「世界を救う」ものか、なので、わたしにはわかるのです。
(まあ、それくらい数学に関して長いこと心身ともに「フリーズしてた」ということでして)

 

 

 

 

さて。秋だったか。
外部業者が行うテストで、わたしははじめて数学で80点越えの点をとり。
(わたしにとってはとても大きなことでした)

 

そして、冬。
受験に向けて、問題を解くことを「楽しい」と感じている自分が、確かにいました。

 

 

 

 

 

 

「先生」のことに戻って。
先生がどうして家庭科の先生から数学の先生になったのか、理由はわからないんですが。

 

 

想像ですが、
「自分ならこうするのに」という思いが、
ずーっと先生の中にはあったんじゃないのかな、と思うのです。

 

ずっと「その道」をどっぷりと歩いてきた者ではないからこそ
見えるもの。持つことが出来る視点。

というものがあるものです。

 

 

 

 

先生は、それを試してみたかったんじゃないか。
自分の視点と感性を、思いっきり表現してみたかったんじゃないか。

「今、自分がこの子たちに関して見えていて、わかっている視点を使えば、必ずこの子たちの能力を開花させることができる」

 

という、確信があったんじゃないか、と。

 

 

 

 

 

そして、先生は挑戦した。

 

 

 

 

本当に、エネルギーに満ちた先生であったと思います。
そして、何よりやっぱり、怖い先生でした。

 

 

それは、
先生には「誤魔化しが効かない」ことが分かっていたから。
この人の前では、小さな嘘もまやかしも効かない。

 

 

いつも、「まっさらの自分」でぶつからないといけない。
自分でないことをやれば見透かされる。
小器用に適当にこなしても意味がない。
失敗しても「自分そのままで取り組んだ」ことをよしとする人だ、

と分かっていたから。

 

 

 

 

つまりそれは、先生自身が、何より自分自身に対して、
そのように生きていた人だった、ということなんだなあ、

と今になってみると思います。

 

 

こうして「その姿勢」を語りたくなる大人と出会えたことは、
幸せなことであった、と思います。
そして、それは、

 

 

「今の自分自身の生きる姿勢」

 

 

を。
自分自身が言葉の外で雄弁に発してしまっているであろう
メッセージを。
自分自身の姿を問い直すことに、いつもつながります。

 

(それをあえて言葉にすると、
タイトルの、「めっちゃ素直な」いい大人になりたい!の言葉に
なってしまうわけなのです)

 

 

 

 

 

※写真は京都市内の「旧明倫館小学校」。

今は「京都芸術センター」になっています。

この間行ってきたので、載せてみました。

(木造校舎独特の懐かしいにおい)

 

 

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