とクライアントさんから質問されました。
そういいながらもその方、「語彙力なのかなあ…」と言葉を選びつつなんですが。
で、
①人に見せる文章を書く。
②その際、例えば「悲しい」と書きたいときに、「悲しい」という言葉を使わない。
「嬉しい」「楽しい」と書きたいときに、その言葉を使わない。
それ以外の言葉で表現する。
そのまま伝えてみました。
いつも私がやっていることなんですが。
一言で言い換えなくてもいいのです。
例えば、
「楽しかった」「悲しかった」
と書くかわりに、それを(その時の自分の状態/観察した相手の状態を)
丁寧に「描写」してみる。
●楽しかった
→「身体の奥からずんずん踊り出しそうな感じになった」
●悲しかった
→「なんとなくお腹の底から空氣がぬけて、椅子から立ち上がれないような心地がした」
といった。
安易に言葉を当てはめる代わりに、
「それ」
をしっかり観察する。観察して分解して言葉にしてみる。
初めは面倒臭いかもしれませんが、
「自分の中で起こっていること」
がわかることなしに、
「本当に使える生きた言葉」の獲得は難しい氣もするのです。
生きた言葉=
相手にしっかりと伝わって「本当のコミュニケーション」
(信頼・リラックス・安心・感動・プラスの変容と言ったものをもたらす関係性)
を構築できる言葉、ということですが。
セミナーで出会った「周りと関係が作りづらい」若者の特徴として多かったのは、
「自分の中で起こっていること(感情・感覚)に対して鈍い」。
自分の中で、何が起こっているかわからない。
自分の感情がわからない。
自分の中でうごめくそれを捕まえることすらできない。
ましてや、名前をつけることなど。
で、こういう子たちは「周りも見えていない」のです。
周囲の表情、声のトーン、醸し出す言外のニュアンス…そういったものが
わからない。
そういう子と話をする時は、
なんだか、分厚いセメントで塗り固められた地面の上を
歩いているような感じでした。
本当は、その子の中に、みずみずしい水場も草地も、
黒々とした土のふかふかな地面もあるだろうに、
全部塗り固められているのです。灰色に。ザラーっと。
言葉がなかなか出てこない子はもとより、
いわゆる「ペラペラと」喋りまくる子にも、同じタイプがいましたっけ。
「言葉の力」はどうすれば鍛えられるか、でしたね。
質問をくれたクライアントさんは、
今、「人生かけて」自分の想いや、愛情を周囲に伝えよう、としている人で、
セッションでは、その奮闘ぶりを日々聞かせてもらっています。
もう、「振り切った」その姿は爽やかですらある。
(もう、1分1秒たりともこれ以上、「自分でない言葉」は発したくないんだなあ、
それはしない、と決めているんだなあ、としみじみ思います)
思うのは、
「本当に」伝えようと思ったら。
①自分が心底、本心で、魂から思うことしか伝わらないし
②それの「精査」が必要だし、
(意図の精査、です。その感情の奥にある本当の願いや想いは?といった部分)
③そこまでして、初めて「言葉」の問題(どの言葉で伝えるの?)が出てくる。
ですから、簡単でもないし、苦しい作業かもしれない。
けれど、やっただけの大きな喜びを自分にも、周りの大切な人たちにも
もたらすものだと思います。
だから、画家や、作家が、ひと色に、ひと言に集中するように、
「呻吟」してみる。
毎日毎瞬呻吟するのは大変でしょうから
そういう場面を定期的に設定してみる。
(呻吟の時間を自分に与える)
このクライアントさんは、
セッションの時間を、「それ」に当ててらっしゃるようです。
「あの時なんと…」
「こういう場面でどんな表現のしようがあるだろう?」
それを通して、
いつも、自分という海にダイブする。
ある時は魚群やワカメの束をくぐり抜け、
そして、
深い深い海のそこの「本当の真珠」をがっつり掴んで、
浮上してくる。
(取ったど〜!みたいな)
凛々しく、勇氣あるダイバーさんだなあ、と思います。