「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

人生初、私が「母」になった日(笑)ー人生に必要なのは「想像力・類推力・推理力」その他もろもろ

 

 

 

 

今朝方、夢で「ものすごくいい『表現力開発のワーク』」を思いついた。

というか、夢の中で熱くなってやっていた。

(目が覚めてからも行けそうなので、これは12月のワークショップでやろうと)

 

さて。

ちなみに、どうしてこういう夢を見たかというと、

多分、昨夜、鴻上尚史の記事を長いこと読んでいたから。

 

 

 

 

 

 

数年前、

鴻上尚史の演劇ワークショップに参加したことがある。

行ってみたら、役者のたまごだらけで、

若者だらけで(というか若者しかいない)さすがにだいぶ緊張した覚えがある。

 

 

 

 

 

 

「最近、いるんですよ。

役者志望じゃなく、申し込んでくる大人の方が。

前回は議員さん(だったかな?うろ覚え)が来ました。

なので、こういう需要もあるのかな、と思って」

 

と事務方さん。

 

 

 

 

 

疲れたな〜、大変だったな〜、

という思いがあるのだけど、その中でも思い出すのは

「3人一組」でやる短い劇。

 

 

 

 

 

 

 

その台本は、

「恋人同士と、その友」

といった設定だったか。

 

 

 

 

 

基本の台本に、自分たちで手を加えて

「セリフ+『心の声』(セリフの裏にある心情)」までを、

声に出して演じる、というものだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

私のチームは、若い男の子と、女の子と、そして私。

私はやる氣満々で、彼らと台本について話し合っていたんだけど。

 

そこへ、

鴻上さんが「さささあ〜っ」と駆け寄って来て、

とってもすまなそうな表情で⬅️(と、私には見えた^^)

 

 

 

 

 

 

「あのさあ、このチームはちょっと設定を変えて、

『お母さんと息子』ってことでいいからさあ」

(もしくは、そうしようか!だったか)

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に、恋人設定から、

私は人生初の「お母さん」になってしまった。

 

 

 

息子が初めて家に彼女を連れて来ているのを「発見」した母設定。

 

どう感じるんだろう?何を思うんだろう?

と思うまもなくそれ(演技)は始まり、

 

 

 

表「あら、可愛いお嬢さん」とセットで

裏セリフ「いったいどこの馬の骨⁉️」(アドリブ)

をガンガンと繰り出す自分がいた。

 

(だいぶ性格の悪いお母さんになった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜読んでいたのは、

「鴻上尚史の人生相談」。

 

 

 

とても面白くて、氣づくと夜中の2時になっていた。

(なので今日はちょっとキツい)

 

 

 

 

 

 

何が「面白い(すごい)」のかというと、

たくさんあって未だ言語化しきれないんですが、

 

「人の視点を変える」

(思い込み/正しいと思ってずっと生きて来た価値観から、その人を外へ連れ出す)

 

いう最も難しいことを、

とても丁寧に、愛を持って、そしてうまくやってらっしゃる、という点。

(いきなり敬語)

 

 

 

 

 

 

 

「人のことを考えなさい」

「思いやりを持ちなさい」

「相手の立場に立って」

 

 

 

 

 

 

これら、

私たちも、誰かにきっと、一度や二度は言っているはず。

ほんと、まっとうなキレイな言葉(笑)

(私は教員時代にきっと言っていたんだろうなと)

 

 

 

けれど、これ…「はいそうですか」と、できますか???

そう「言葉で」言われてできるもんじゃない。

(それができるなら、世のコミュニケーションに関する問題は、

全てなくなっているはず)

 

 

 

 

 

 

 

鴻上さんは、

それを豊かなたとえ

(例えばあなたが〜だと想像してみましょう)

時間軸の移動

(あと10年後に行ってみたとして)

 

等々…

 

 

 

を使って、

相談者に「別な世界」「他者の視点」を見せる。

味わわせる。

 

 

 

 

 

 

 

こういった「質問」だけなら

使う人は多々いるだろうけれど(私たちコーチもそう)

 

 

 

 

 

 

鴻上さんは、

静かに、すぐそばにいて、手を握って話を聞きながら、一緒に

丁寧に、寄り添いながらゆっくり「そこへいざなっていく」。

(文章なんだけれど、それが伝わってくる)

 

そして、何と言っても、そのたとえの場面設定が絶妙。

 

 

 

 

 

 

 

「特質」「才能」もあるんだろうけれど、

これが「演じる」「表現する」ということに

命を傾けて来た人が会得した視点であり、在り方ではないか、

 

 

 

とも思うのだ。

 

 

 

 

 

 

一人の人を演じるということは、

ものすごい「想像力」を必要とする。

「想像力」「類推力」「洞察力」「共感力」「身体でそれらを感じる力」…

 

 

 

 

そういったものを総動員して、

初めて、「紙の上に書いてある一人の人間」

が、

立体となって立ち上がり、他者に伝わる息をして、「生き始める」。

 

 

 

 

あらゆる角度から、

スポットライトを当てるように、

立体的、複合的に人を見て、聞いて、想像できて、

そして何より

「身体レベルでもそれを感じる」力。

(最後のがないと、単なる「評論家」「解説者」になってしまう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話がまとまりませんが。

 

一昨日、専門職&学生を指導しているクライアントさんと、

 

「勉強ができない子(段取りが組めない子)って

想像したり、類推したり、推理したり…

という経験を人生でほぼしないで大きくなって来てますよねえ

(このすぐ先に、もう「世の中」が待ってるんですがねえ)」

 

 

 

という話になったことを書いて、

とりあえず終えておく。

 

 

 

 

 

  ↑

※鴻上さんの人生相談は本になったらしい。

リンクを上手に貼れなかったので自分で探してください☺️

 

 

 

 

 

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