「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「歴史は誰のもの?~東郷平八郎没後80年式典レポート」

 

 

毎年

3月~6月はいつの間にか

 

「古人と語り合う月間」

 

のようになっている感があり

国内をあっちこっちふらふらとしている気がするのですが

(史跡や墓地を巡ったり、いろんな人の「〇〇忌」なるものに参加しているということなんですが)

 

今年は初!

鹿児島県内の「〇〇忌」に参加してみました。

今日のかの人は「東郷平八郎」。

日露戦争、日本海海戦の連合艦隊の司令長官。

日本を勝利に導いた方、というくらいの知識しかなく、お恥ずかしいことです。

個人的には明治の華々しいご活躍より

若き日、宮古湾海戦(明治2年、旧幕軍が新政府軍所有のストーンウォールを奪取しようとした戦い)

にも参戦していた、という話の方が萌えるのですが。

 

場所は市内、多賀山公園内、東郷墓地。

そぼ降る雨の中、せっせと坂を上り、馳せ参じた「それ」は、いつも行くものとはだいぶ

いえ、ものすごく…違う雰囲気でした。

何が違うって、「協力者」がすごかった。

なな、なんですか?これは!!

 

いきなり目に入ってきたのはこの光景。

式典開始10分前。はためくZ旗を見守るのは海上自衛隊のみなさん。

そして…

 

 

わかります?

空の彼方からごぉ~っと、来たんです!

あの、狭い多賀山公園上空に向かって飛んできたんです。

 

式典は

「表敬訪問飛行」、なるものからスタート!

規模が違う。何なんだこれは。

 

 

こんなふうに、P-3Cとやらは、会場の真上を飛び去ってゆきました。

初めて見た~(喜)

 

そしてさらに、軍艦旗の掲揚へと続きます。

あの動きは「ささげ、筒」というんでしょうか。

自衛隊の皆さんの美しい動きの一つ一つが場を引き締めます。

 

 

旗がしずしずと上がっていくところ。

銃の先についた「剣」の部分は、動きがおわると

腰の「剣先フォルダー」(なんて呼び名ではないと思いますが)にいちいち収納するんですね。

めったに見られない道具、所作ばかりで、とにかく見ていて飽きません。

 

そして、国歌斉唱。

ちなみに、ここまですべて「生演奏」です。なんと~。

演奏はそう、この式典のためだけにはるばる大型バスに乗って佐世保からきた

「海上自衛隊佐世保音楽隊」のみなさん。

白い制服が眩しい。

生演奏で歌うというのは気持ちのいいものです。

 

そして

式辞、来賓あいさつ…と続き(国会議員さん多数。ほとんどが代理の方でしたが)献花。

 

一般参列者にもお花をくださるとのことで

しっかり献花させていただきました。

一般人は20名くらいでしょうか。

 

わたしがこれまで参加してきたものは、「一般参加者」が数百名、長蛇の列でごった返し、

というものがほとんどなので

ここは「勝った!」と思ったり。

(勝ち負けの意味が分かりませんが)

 

テントの中に進み、自衛隊の女性隊員さんから白い菊の花を受け取り

テーブルに捧げたのち、手を合わせます。

そして、奉納演武。

薬丸自顕流です。東郷元帥も門弟であられたとの説明あり。

どんな練習をするのか、知識としてはあったつもりだったのですが、これまた初めて間近で見…

すごい(というか、怖い)。

 

その、気迫というか、勢いが半端ない。

練習用の横木にだ~っとはしって打ち込み、そのまま体ごと「ばこっ」と体当たりする人も。

横木がばらっとはじけ飛びます。

「猿叫(えんきょう)」もすごい。

(きえぇ~っ!という独特の声ですね)

 

これは…幕末、京の町中で薬丸自顕流なんかにばったり出会ってしまったら

相手は怖かったろうなあと思いました。

強そう。

強そうというか、ある種クレイジーな感じのこの気迫。

(まあ、あの時代はみなある意味クレイジーだったのでこの気迫は大切だったのでしょうね)

 

小技はないので竹刀では負けるかも知れませんが

真剣での戦いには絶対強そうです。

あの勢いで「きえぇ~っ!」と来られたら、もう脳天からばっさりですね。

西南戦争の際、

薬丸自顕流の打ち込みを小銃で受けた兵士が小銃ごと頭蓋骨を叩き割られたという

話も残っているそうで(WIKI情報ですが)

 

他流派の演武も見たことはあるのですが

本当に古人の「命のやり取り」の瞬間の片りんをその姿の奥に感じたのは、これが初めてでした。

恐るべし、薬丸自顕流。

 

1対多数を想定した切り込み。

バタバタ倒れる木がついバタバタ倒れる人に見え…

(東郷元帥式典レポのつもりが、だんだん自顕流レポになってきました)

 

 

そして宴たけなわ

海上自衛隊佐世保音楽隊の皆さんによる演奏披露を経て最後の時間へ。

「軍艦旗奉納」。

 

再び自衛隊の皆さんの手によって、「儀式」として旗が下されてゆきます。

来年は、国旗とともに揚がるといいですね。

(会場は旗を揚げるポールが2本しかないので、やむなく軍艦旗とZ旗のみ揚げました、と

痛恨の思いを主催者がお話しになったので)

 

さて…。

 

「軍艦旗」と「Z旗」。

曇天にはためくこの二つの旗のもと、とても不思議な感覚を味わった時間でした。

 

この式典は61回を迎えます。

ずっと、この鹿児島の地でこの人を愛し、

その心をこのような形で表し続けてきた人たちがいるのだという再確認。

一言でいうと「わたしの知らない世界があった…!!」という驚きなのですが。

 

そして

海軍から自衛隊へ。

形を変えつつも、自分たちの誇りある「源流」として、海上自衛隊の方々に

愛され、尊敬され続けている方なのだという感動。

 

さらには

わたしにとって最もわからない国であるこの「薩摩」の波長の本質の一部分を

少し体でわかったかな、という感覚。

なんというか…薩摩って、こういう感じですよね。やっぱり。

一言でいうと…「萌え要素ゼロ」(笑)

良くも悪くも、です。うまく言えませんが。

なんというか、歴史は誰のもの?~おじさんと偉い人たちのもの、という感じでしょうか。

 

東郷平八郎第61回記念式典」。

とても素晴らしい場でした。

あまり詳しくなかった東郷という人物を身近に感じ、そして

彼をたたえる自衛隊の方々の美しいたたずまいや、多くの人の言葉(式辞ですが)を聞き

また、演奏される国歌その他の曲の響きを体で感じ。

一人の日本人として

また、鹿児島県人として

百年と少し前の、この人の「頑張り」「ゆるがぬ姿」の先につながっている

今の自分たちなのだ、ということを空気とともに体感でき

とてもシンプルな誇りの感情を抱くことができました。

すっと自分の背筋が伸びたようで…嬉しかった。

 

願わくば…

これらの思いが、もっと多くの人に広まりますように。

これからを担う若者たちにも広まりますように、と思うのですが、無理でしょうか。

一般参加「20人」は少なすぎないですか?

これだけのことをやっているのに…

(P-3Cまで飛んでくるのに!)

しかも、若者ゼロ。

それとも、これは式典なので、これでいい、むしろあまりにぎやかにならないほうがいい

内輪だけのもの、という位置づけなのでしょうか。、

 

冒頭に書きました

わたしがよくいく「古人の遺徳をしのぶ」場のいくつかは

エネルギーがこことは全く違います。異質です。

「官」ではなく、完全に「民」のエネルギー。

自然発生的に沸き起こった「しのぼうぜ!」の思いが湧き上がり、膨れ上がり

常に自己増殖を続けています。

それが日本各地で(ゆかりの地で)街おこしのエネルギーや動きとなり。

それぞれが「やりたくてたまらない」から勝手に楽しくやっている。

どちらがよい、悪いではなく、多様な側面や切り口が

ある、ということで。

 

歴史と今をつなぐ、とは

先人たちの優れた知恵、美しき生き方、思いを受け継ぎ、それをできるだけ多くの人で共有し

さらにはしっかりと使い、役立て

生きた形で次の世代の若者たちの「心と体に」しっかりと刻みこむことではないかと思います。

ガラスケースに飾られた「よいお話」ではなく。

 

ここまで書いてきて思ったのですが

鹿児島に足らない努力って、そのあたりなんでしょうか?とにかく…「萌えが足りない」!!

萌え、とは確かにオタク用語ですが、でもその根本は

「みずみずしさ」「若さ」「やわらかさ」「生き生き」という意味です。

 

  岩ばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる春に なりにけるかも   (志貴皇子)

 

なのですから。

 

まとまりませんが!

来年はぜひ、皆さんも行かれてみてください。

めったに触れられないものがたくさんです。

感動します。

 

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