1月~3月は
たくさん企画書を書きます。
来年度、研修をさせていただくところに
「来年、こんなんどうでしょ」
とご提案をさせていただくためのものなんですが。
この仕事を始めるまで、「企画書」なるものを書いたことがありませんでした。
書かなければならないという段になったとき
ハウツー本を見たほうがいいかな??とチラっと思ったのですが
結局見ないままに好き勝手に書き始め、早10年。現在に至っています。
本の代わりに
頭の中は、好きな映画や小説やらアニメやゲームやマンガやら
絵本やら神話やら歌やら…そんな雑多なものがくるくると飛び交いつつ
企画書から始まるわたしの「創作活動」に今も大いに貢献してくれており、
おかげでわたしは企画書(と自分が思っているもの)を書くのが結構好きになりました。
というか、かなり好きです。
そして
そういうものでいい、というか
そういうものをひっくるめて「わたしでいい」(わたしがいい)
と言ってくださる方々とのご縁がつながっていることを
ありがたく、幸せだなあと感じています。
感じているのですが
半月ほど前。
「企画書を書かなければならないのだけど、すごく苦手。ちゃんとしたモノを書いたことがないので見せてほしい」
と同業の方からメールをいただき、
はた、と困ってしまいました。
「ん~、これを『ちゃんとした企画書とはこういうものです』と言ってお見せするのは
なんというか、責任問題だぞ…」
インプリンティング。初めて見たものをスタンダードだと思われても困る。
実に困る。
大手を振って「お手本」として見せてはいかんでしょう。これは。
みたいな思考がパタパタと働き。
結局この方には「ご参考までに」と「項目」と
それから
「企画書だと思って書くからキンチョ―するんです。書けなくなるんです!代わりに例えば…」
と、激励を兼ねた視点転換のメッセージをお送りしました。
「ちゃんとした」というところに結構反応している自分、を
新鮮な思いで見たのでした。
そんなこともありつつ昨日の夕方
とある研修先の担当者さんからメッセージをいただきました。
「来年度の企画書、拝見いたしました。
1P1P、とても読み応えのある内容でした。
久しぶりに中村先生の言葉を拝見し
先生の紡ぎだす言葉はやっぱり美しい、としみじみ感じております。
…
1回1回のセミナーの展開が、今からとても楽しみです。
この企画書の醸し出す、ファンタジックだけれども力強い世界を体験させていただけることに
心から感謝申し上げます」
やっぱり、好き勝手に書いてきてよかったなあ。
そう思いました。
「好き勝手」。
つまりわたしにとっては
「自分が生きている」あかしであるところの
「表現する」ということを
こだわりぬく、ということですが。
自分が最も心を砕き、大切にし、いわば命を懸けて表現しているところのものを。
その世界を
ぴたっと感じ取り、響きあい、
それをまた、的確な、わたしにとって震えるような嬉しい言葉で返してくださった。
そんな方と出会えるのは、生きていくうえでの醍醐味であり
けれども案外、稀有なことではないかとも思えます。
そして
人はそういう人と出会い、つながるためにこそ生きているのではないか、とも思えます。
そのために「自分であり続ける」ことをやめてはならない。
放たれた矢が寸分たがわずトッ…と的の中心にまさに「的中」するときのように
絶妙の「そこです!」感をもって
その方の言葉はわたしの胸に到達し、そのままずっと
あたたかな波を広げ続けています。
わたしの中に静かな力を呼び起こしてくれています。
今も。
何だか全くまとまりませんが。
たいそう嬉しい出来事でしたので
書かせていただきました。