「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「てふてふが一匹」

先日
3年?4年?ぶりくらいに、ある教え子さんと会いました。

ちなみに、いつも
「教え子」という言葉を書くときに、体の中にぐん、と抵抗が起こるのですよね。
彼ら、彼女らから山ほど「教えられた」ことはありますが
今となっては
自分が「教えた」なんておこがましい、とつくづく思うのです。
でも、他になんと表現していいかわからないので
(もう「生徒」じゃないし)
とりあえず「教え子」で。

彼女が今、オーストラリアに住んでいることは
彼女のブログから知っていました。
久しぶりの彼女は
大きなくるんとした目もつやつやの頬も昔と少しも変わらず。
彼女と初めて会ったのは、彼女が13歳の時なんですが
その時からこの目、この頬でした。

彼女の前に座り
あらためてまじまじと顔を見てみます。

少し、ふっくらとして、表情が柔らかくなったかな…
と思った瞬間
左薬指に指輪を発見。
細いラインの上に、まんべんなくダイヤがちりばめてある
とても繊細なデザインのものです。

「先生、わたし結婚したんです」
と彼女。

気ままな外国暮らしを堪能しているんだな~
くらいに思っていたんですが
彼女は向こうで新しい家族をつくり
旦那さんとともに、しっかりと新しい人生を踏み出していました。
ああ、だから、この表情…と、勝手に納得。

2時間と少しでしたが
たくさん話しました。
それぞれの近況から共通の知人、友人の近況
彼女の海外暮らし&国際結婚から端を発した
言葉の話、国ごとの文化の話、歴史の話…
それから
大きく「人生」の話。

そのすべてがとても楽しく興味深く、そしてなんとも繊細で心地よい。
あれ?これは…。
「教え子」だから楽しいんじゃなくて、この人と話しているのが楽しい。

彼女が15歳の頃だったでしょうか。
わたしはもう教員を辞めていたのですが
彼女が手紙をくれたことがありました。

「先生、わたしの目はまだ、あの頃の目のままでしょうか」

初めて会ったときの、その目のあまりに印象的な。
世界の事象を静かに、言葉もなくじっと見据えているような
まるで「世界の真実」を探ろうとしているかのような
深い湖みたいな目に
そのことを伝えたことがあったのです。
「あなたの目はいい」と。

自分では気づいていないでしょうが
そして、そんな手紙を出したことも忘れてしまっているかもしれませんが
彼女はそのままに大人になった気がしました。
生きる上で大切なものは何か。
どうしたら人を大切にできるのか。
世界と自分はどう関わって行きたいのか。
自分の軸をしっかりと持った、やわらかな魅力的な大人になっていました。
人の痛みを自分のことのように感じられる
優しい大人になっていました。

「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」 

安西冬衛のこの詩を
私自身、卒業に際して恩師からもらったのですが。

あんなに小さかった「てふてふ」は
海を越え、たくさんの旅を重ね
そしてちゃんと「目指すところ」に着いたようです。
もちろん、これからまた幾つもの新しい旅が
待っているのでしょうが。

この季節になると
渡って行ったたくさんの「てふてふ」たちのことを思い出します。

彼らの旅が穏やかで
幸せに満ち溢れたものであるよう
今日も願わずにはおれません。

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