昨日
十数年ぶりに教員時代の教え子から便りが届きました。
昔もらった葉書きの字と全く変わらない個性的な字で。
「インターネットを巡っていたら
公子先生のホームページを見つけて驚きました」
そりゃあそうだろうなあ。
確か、最後にあったのは東京で。
花小金井の彼女のアパートで。
わたしはウエディングプロデューサーの資格を取りに行っていたところで。
それがどうしてこんな仕事に??と
さぞ驚いたことでしょう。
ちなみにそのとき
彼女はなりたてのアニメーターでした。
教員と生徒として彼女と過ごしたのはわずか一年間なんですが
その中でも彼女は本当に「個性的」な少女でした。
絵をかくのが好きで
当時から「なかなかにディープな世界観」に満ちた絵をかいていました。
その彼女に美術を「教えて」いたのが私なのだから恐ろしい。
(その学校は生徒数100に満たない小規模校だったので
免許以外の教科も教えなければならず、それで免許は国語ながら
授業を担当していたわけです。本務より楽しいくらいでしたけれど)
思えば、その頃から
創作にいつも、実に才能を発揮する女の子でした。
演劇の小道具から使う曲の作詞まで…
こちらが口を出すことはほぼなく、自分で方法を考え、それなりにものにし
形にしてしまうのです。
そしてそれは「使える」ものになっている。
思えば
あの頃から彼女は
「独立」していた人だったんだなあ、と思います。
うまくいっても、うまくいかなくても
自分の考えを、試してみる。
他の人のアイデアではだめなのです。
そのこと(自分のアイデアをアウトプットしてみる)こと自体が、
アウトプットの場があること自体が彼女にとってはとても大切で
彼女らしくあるために必要なことだったのだと
今から思えばよくわかります。
いつも大きな目でじっといろいろなものごとを見つめている子でした。
いつも、いろいろなことを深く考えている風でした。
あれは、究極
「自分とは何か」を考えていたんだろうなあ、と思います。
自分とは何か、どう生きたいのか?自分らしい生(せい)の表現は何か?
その彼女の魂からの欲求が
たまに現実や周囲との間で摩擦を呼ぶこともありましたっけ。
それはまるで彼女の中で
「パキっ…!」と破壊音を立てて何かが破裂するかのよう。
「もっと楽でいいじゃん」
「もっと単純でいいじゃん」
「そんなに難しく考えなくても」
そういう「普通に」満ちがちな雰囲気に、彼女はとたんに反応してしまうのです。
そんなときの彼女の目を今でも思い出します。
大きな茶色の目がイライラしながら語っていました。
「わたしはもっと生きたいのに…!
自分として生きたいのに!」
本当にそんなポーズをとっていたわけではないのでしょうが
わたしにはなぜか
彼女がぐっとこぶしを握って立ち尽くす姿となって思い出されるのです。
すべての思いを握りしめて立つ女の子。
時はたち
彼女は望む世界へと行き。さらに15年。
はがきにあった彼女のHPを見ました。作品がアップされているブログを見ました。
…涙が出ました。
彼女の個性がいかんなく発揮されたたくさんの絵。
マンガ。短編アニメ。
本当に彼女らしい。彼女らしくて笑ってしまいました。
変わってない!
ここでは、どれだけ凝ってもだれにも文句は言われないね。
どれだけこだわっても大丈夫だね!
そんな思いで画面を見つめました。
いや、そのこだわりにこそきっと価値がある世界。
彼女はまさに、自分の「本質」が最も生かされる世界に
自分を置くことを成し遂げたのだなあと。
そして
今も走り続けている。
「先生、私はまだしつこくアニメーターをしています」
ええ、ええ、そうなんですね!
そんな、なんともいえない気持ちではがきの文字を読みました。
今日も彼女は走り続けている。
それは彼女が自分の人生を自分らしくいきている証。
遥か昔
こぶしをぐっと握って立ち尽くしていたセーラー服の女の子は
今や
ペン一本で自由自在に世界を紡ぎだす
魔術師になってしまいました。
その才を存分に生かして。
自分の「力」を、「感性」を信じ続け、自分の旅を歩み続けた彼女に
心からの拍手を送りたいと
そう思います。