昨日は
「万葉びとに学ぶ ~平城京遷都一三〇〇年によせて~」
という講座に行っておりました。
講師は元 財団法人奈良県万葉文化振興財団 万葉古代学研究所 主任研究員で
今は鹿児島高専の准教授でいらっしゃる松田信彦先生。
鹿児島に、こんな、古代の風をまとった(いえ、松田先生が古代っぽいという意味ではなく)
古代の人の息遣いをわかりやすく、今に伝えることができる方がいるのだということに
しかも2時間、3時間…それらを熱く語り続けられる方がいるのだということに
(本当に楽しそうにお話になるのですもん)
感謝と感動を覚えつつ…。
松田先生、よくぞ鹿児島にいらしてくださいました!
さて
「万葉集にみるNLP」なんて
壮大な題名をつけてしまいましたけれど…^^
そんなたいした内容ではないんです…
人は、外界の刺激を取り入れるのに「五感」を使いますよね。
視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚
この感覚、人によって『利き感覚』がある。とNLPでは学びます。
(利き腕、と同じようなものですね。優位感覚、といいます)
何かを覚えたりしないといけないときに、この「優位感覚」は顕著にあらわれます。
例えば…
新しい電気製品の使い方を理解するときに
①使い方の図(絵)やフローチャートを見ると理解しやすい?
②文章を読む・人から耳で聞くと理解しやすい?
③読むのも見るのもかったるい。直にさわって動かしてみて理解する?
①が強い人は「視覚優位」
②は「聴覚優位」
③は「体感覚優位」ということになります。
(ざっくりですからね^^ざっくり)
そして、優れた、人の心を討つ「名スピーチ」をする人は
この3つの感覚に訴える言葉を、演説の中にしっかりと織り交ぜている、ということなのです。
「目で見え」「耳に聞こえ」「体で感じる」…ことのできる全ての要素の言葉を
巧みに入れている。(オバマさんとかね。そうなさっているようですね)
さて、
話、持って回っていますが、ここで万葉集。
「我が宿のい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうべ)かも 巻十九 4291」
~わが家のわずかな群竹をすぎる風の音のかすかな、この夕暮れよ~
わずかな群竹、それが夕日の光照らされてゆれている情景が見えます。
風が葉をゆらす「かさこそ」というかすかな音が聞こえます
そして、その過ぎ行く風を頬で感じませんか?
この、わずか三十一音の中に、すべてがある。
映像と音と感覚の惹起によって導かれる世界が、瞬間にしてわあ~っと広がります。
その場に、行ってしまう。
松田先生いはく
「心情を表す言葉は一つも入っていない。それでいて『春愁』(春のなんとなく感じるもの悲しさ)を感じる歌」
なんだそう。
日本人は
ことさら意識などしなくても、繊細にそれぞれの感覚に訴えることばを
豊かに配置して、その妙を味わっていたのですね。昔から。
こんな感覚をDNAとして持っている日本人をあらためて誇りに思いました。
(なんだ…昔からふつうにやってるじゃん、という感じでしょうか)
NLPを学んでみて
あらためてその歌の世界の豊かさ、すごさが実感できてしまった…というお話なのでした。