「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「この瞬間のために生きてきた」

昨日は、わたしの「ツォルキンバースデー」でした。

それは何か?詳しく説明するのはちょっと難しいのですが^^

知人にマヤのコズミック・ダイアリーの講師がおり

その方の影響でたまにダイアリーを見るのですが

マヤの暦によると、260日にいっぺん、誕生日がめぐってきます。

そして、その生まれた日には、「意味」(役割?名前?)がついています。

(この説明も、あまり正確ではないと思いますが…)

わたしは「白い水晶の世界の橋渡し」という日に生まれました。

以下、「柳瀬 宏秀さん」(マヤ暦の大家?)から届いたメール添付。

「ハッピー ツオルキン バースデー!!

ツオルキン・バースデーの日は、
銀河の署名を確認する日でもあります。

ツオルキン・バースデーを
祝うことで、ひとりひとりの中で、ツオルキンが、
刻まれます。

『KIN 246 白い水晶の世界の橋渡し

協力 捧げる 普遍化する
cooperation dedicate universalize
機会 死 等しくする
opportunity death equalizes』

KIN246

私は 等しくするために 捧げる
機会を 普遍化しながら
私は 協力という 水晶の音とともに
死の蓄積を 確信する
私は 果てしなさ(無限)の力に 導かれる

おめでとう
これから、260日の周期を、ツオルキンの周期として、
感じ始めてください。

(中略)

KINのエネルギーを語り、伝えてください。
そのKINのエネルギーを宇宙に満たし、
自分とまわりの人を、その摂理で包み、
自分と地球、そして、宇宙とが、水晶の結晶状態のような協力関係を、
生み出すために語り、伝えてください。」

そんな、260日に一度の日の昨日は

いつものようにコーチングセッションをし

その方のすばらしい、夢の実現の世界へと、ともに参加させていただき

(NLPのワークをすると、本当に一緒に体験してしまいます)

そして、午後は2人の人に会っていました。

2人とも、若い女性です。

うち、お一人は昔の教え子。(私が中学校教員時代の)

彼女はプロのダンサーで、見るからに、それはただものでない感じをはなっています。

すらりと伸びた肢体。

ほっそりとした体でゆったりと、何の力も入れずに

すんなりと地面に立っている姿。

重心がとても低いところにあって、しっかりと地に足が着いているので、上半身には力がいらず

とても自由で優雅な体の動きになるのですね。

しなやかな鋼(はがね)。

鍛え上げると、こんなにステキな体の使い方になるんだなあ~と

(わたしはただでさえ美しいものを見るのが好きですので!)

もう、彼女を見ているだけで、見ほれるようなニコニコ顔になってしまうのでした。

彼女が歩くだけで、周囲の風がふわりと動く、そんな感じなのです。

さて

そんな彼女とはじめは世間話をしていたのですが

そのうち仕事の話になり

彼女がダンサーらしく「体感覚」バリバリ優位の、ゆっくりとしたテンポで

「感じ」をゆっくりと言葉に出します。

「センセイは…どうしてますか…?」

きらきらした彼女のマゼンタのつめがふうわり動いて、カップを握ります。

何を??

「センセイ…仕事とぷらいべーとの区別、ありますか・・・?」

ないなあ^^と即答のわたし。

彼女が口にしたのは、そうですね・・・大きく言えば

「自分が仕事で(=生きる上で)大切にしたいこと。譲れないこと、自分の表現したいこと」と

現実をどう織り交ぜつつやっていくか、自分の意識をどう作っていくか、というようなことでしょうか。

わたしは、自分の今のあり方、考え方、やっていることを

お伝えしました。

「わたしは…ぜんぶを融合できる道を自分で作っている最中だよ」

というようなことを、でしょうか。

彼女は下を向いて静かに聴きいってましたが

やがてすうっと視線を前に動かし、遠くを見ながらうんうん、と一人小さくうなずいて

それからクスッと笑ってこちらを向きました。

「センセイ、ありがとうございました…。元気が出ました。勇気が出ました」

どこが、何が彼女の中にHITしたのかはわかりませんが

それまでの「もんもん感」とすると

驚くほどストンと、スッキリした彼女の感じは伝わってきました。

そして、彼女はこんなようなことを言いました。

「センセイ…こうやって、私たちの先を走ってくださっていて…ありがとうございます

センセイが走ってくれてるから…勇気が出る」

ああ、そうだ…

わたしは、この瞬間のためにがんばってきたのだ。

そう、思いました。

子どもはやがて巣立っていく。

大きくなっていく。そして、広い世界に出て、現実と対面し、もまれ…様々な体験をして

飛躍的に大きくなっていく。

そのときに

わたしはやっぱり、

「先に」いたかったのだ。彼らの役に立ちたかったのだ。

「先」って、ちょっと変な表現ですね。

共に、でしょうか。共に、走り続けていたかった。

うまくいえないのですが。

ただ

「このためにやってきたんだ」と

そう感じた、のです。

大きく美しく蝶のように成長した彼女。

全身で自分を表現して生きている彼女。

道なき道を自分で作るという生き方を選択した彼女。

その彼女にとって

私が今でも「触発」できる存在でい続けることができたのなら

わたしは、本当に、これまでの時間が意味のあるものだったのだと

そう思ったのでした。

がんばってきて、よかった。

ただただ

そう思ったのでした。

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